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2013.12.27

343  安倍政権の誕生1年を振り返って

早いもので,今年も年末を迎え、安倍政権誕生から1年が経つ.この安倍政権の誕生に際し,1月10日,当ブロク ゙ NO312で 『安倍自民党政権の特徴と課題』 を発信した.

その記事の中で,『保守と新保守』,『大きな政府と小さな政府』,『ハトとタカ』が安倍総理自身の中にも,自民党の中にも存在している為,その狭間で葛藤が起こる『ヤジロベー内閣』になり,どちらをとっても党内の反発が起こると言った.

そのバランスの中で,規制改革の勢いが鈍化する可能性がある.小泉内閣の改革路線を引く継いだはずの第一次安倍内閣が戦後レジュームからの脱却と称して守旧派を復活させた経緯があるからである.

従って改革を進める為に,『維新の会』や『みんなの党』の『改革派の力』が極めて大事になると提言したのである.

そんな事を言ってから1年、経済優先とした安倍政権であったが,下記に示すように,第一次と同じ『戦後レジュームからの脱却』をはじめ,震災復興,原発,領土,外交,普天間,と多くの懸案事項が覆いかぶさって来たのである.主な活動を列記してみた.

①福島原発事故対応
②東北震災復興対応
③アベノミックス(金融緩和・財政出動・成長戦略)による経済再生戦略の遂行

④太平洋自由経済圏の振興に向けたTPP交渉
⑤衆院に引き続き,参院選での,ねじれ解消

⑥景気動向を見た消費税増税の決断
⑦尖閣列島防衛,竹島領有権主張,北方四島返還への取り組み
⑧中国の覇権主義を阻止しするアジア外交の展開
⑨韓国の露骨な反日行動を異常とする世界世論の形成
⑩安全保障の強化(安全保障会議・特定機密保護法・新防衛大綱の策定)
⑪東京五輪の誘致
⑫総理の靖国神社参拝(12月26日)
⑬沖縄県知事が辺野古埋立を了承(12月27日)

これらの活動を極めて精力的に推進し,その成果は途上ではあるが,確実に前進していると思う.その中で,いくつか,気になる事をコメントしたい.

まず経済政策であるが,

金融緩和による円安,株高は明らかに大きな成果である.経済再生については財政出動政策ばかりが目立ち規制緩和や新産業振興の兆しが見えない感じがする.改革派野党の規制緩和へ取り組みも,力不足を感じる.

一方,経済再生には,何と言っても企業の創造力,実行力が不可欠なのだが,企業・国民がアベノミックスの成果を待つような風潮を感じられ,違和感がある.アベノミックスが個々の企業の業績を上げ、給料を上げるわけではないのである.民間企業の活力を期待したい.

又,財政再建については,税収の増が見込まれるという意味では効果が出ていると思うが,消費税増税による『財政規律のゆるみ』が出て,来年度の予算が拡大する事を懸念している.

次に『消費税増税』であるが,

消費税の導入時も,その後の消費税増税時も,社会保障の財源確保を理由にしてきた.今回は更なる社会保障財源の為とは言わず,将来安心できるような社会保障を作る為としていたのである.民主党政権らしい,オーバーコミットである.

しかし,民主党の言う社会保障改革内容は実現性に乏しく、三党での協議で詰めると言う条件で『社会保障と税の一体改革法案』が成立したのである.

ところが,民主党,自民党,公明党,の改革内容が一致しないまま,消費税率だけが独り歩きした法案になっているのである.

この経緯から,すでに当ブログで『社会保障と税の一体改革法案』は破棄して作り変えるべきだと主張してきた.それも含めて,次の三点で、増税決定には不満が残るのである.

①社会保障改革の中身がはっきりしていない不完全法案である.
②アベノミックス(デフレ脱却、経済再生)と消費税増税が論理的に整合しない.

③増税による財政規律のゆるみと予算拡大で無駄の拡大を招く恐れがある.

この中に③の懸念は『政治家や役人への不信感』があるからである.政治家も役人も,とにかく予算が欲しい,借金して未来の主権在民権を奪っても,予算が欲しい,少しでも財源ができると,ハゲタカのように、これに群がる,
加えて,予算の『取りっぱなし』,『使いっぱなし』で,無駄が発生しても,だれも責任を取らず,『知らん顔』をする人達』だと思っているからである.

そんな人達に大幅増税を認めれば,財政再建どころか、ハゲタカのように,この財源を食い漁るのは目に見えているのである.それを阻止する対策なくして,大幅増税は認められないのである.

例えば、その対策として,まず,『政治家や役人の自浄作用』を強く求めたいのだが,具体的には『事業の計画と実際の差異』を厳しく管理し,責任を明確にした上で『公表する制度』を作る事である.当然,大きな差がある事業は『虚偽申請の罰則』を課すべきである.

これで予算の『取りっぱなし』,『使いっぱなし』,『無駄になっても知らん顔』をさせない事につながると思う.『議会を通れば,予算申請者の責任がなくなる』と思っている政治家・役人の無責任な感覚を,これで一掃したいのである.こんな厳格な仕組みがあって,初めて公金を政治家や役人に預けられるのである.

又,ほとんど議論されていないが『行政改革』も増税と並行してやるべきテーマだと思う.『いかに国家予算を効率的に使うか』の視点での対策として,道州制に代表される『国の統治のあり方』をもっと議論すべきだと思うのである.

膨大になった最近の国家予算は中央集権の限界を超えていると思う.その結果,明らかに、予算規模の増大にまぎれて無駄な予算も大きくなるはずである.豆腐じゃあるまいし『いちょう、にちょう』と軽々しく数字が飛び交う事に慣れてはいけないのである.

今後,『更なる増税』が予想されるだけに,『無責任な公金使用を防ぎ』,『公金を大事に効果的に使う仕組み』がないと増税には納得できないのである.

次に,安全保障問題だが,

今後の集団的自衛権行使、武器輸出三原則の見直し,憲法改定,を見据えた国家安全保障会議、特定機密法案,新防衛大綱、を制定した.かねてからの総理の信念を一歩進めたのだが,国際協調時代への遅ればせながらの第一歩だったと思う.

しかし,内閣の支持率が落ちた.この現象は安全保障問題を政策課題に上げるといつも起こる現象でもある.この現象は,従来より,国民の中に,『安全保障を論じると戦争に結び付く』とのトラウマがあったり,そのトラウマを利用した野党の政権批判が影響していると思うのである.

当ブログでも発信しているが、有識者の批判者は批判ばかりではなく、『日本の安全保障をどうすべきか』を提案すべきである.提案のない批判は批判する資格がないとさえ思うのである.

又,国民も『安全保障問題にどう対峙していくのか』,正面から考えるべきだと思うし,政府も、国民にしっかり,その必要性を説明する必要があると思うのである.安全保障問題は神学論争ではなく,きわめて現実的な問題だからである.

次に,東北復興問題、福島原発問題だが,

いづれも,依然として苦悶が続いている.もっと前進する事を期待したのだが残念である.まず基本的な問題は,民主党政権下でも大問題になった事だが,重要課題毎に,リーダーが見えていない事である.平時の仕組み,組織では,問題が解決しないのであって,有事には,『独断的な強い顔の見えるリーダーの存在』が不可欠なのである.理解不足かも知れない再考を切望するのである.

2020年・東京オリンンピック・パラリンピックの誘致活動だが,

誘致決定は快挙だったと思う.しかし、東京のインフラ再構築が進み,東京一極集中がさらに加速するようでは問題である.並行して道州制,地方分権,による中央集権統治機構の改革と世界的知名度を持てるような主要都市の発展を策定すべきだと思うのである.そして2020年には新しい統治機構が生まれるくらいの改革を実現して欲しいのである.

最後に,総理が靖国神社に参拝した件だが

第一次安倍政権で参拝できなかった靖国神社に,総理は12月26日に参拝した.いつものように中国,韓国,から非難の声が上がった.加えて米国、ロシアからも初めてコメントが発しられた.各国の論調は、おおよそ,こんな感じである.

・中国・韓国
A級戦犯が合祀されている靖国神社に参拝する事は侵略戦争を正当化する行為だ.正しい歴史認識なくして信頼関係は生まれない.

・米国
近隣国の緊張を高める行為に失望した.問題を大きくするな.

・ロシア
国際的な戦争の歴史認識を持つ事が軍国主義と戦った近隣諸国との関係の土台になる.その意味で,今回の行動は遺憾である.

・日本
特定の人に対して参拝しているのではない.戦没者の追悼と不戦の誓いをする参拝だ.国のリーターとして当然の行為だ.近隣諸国が批判するような意図は全くない.

言葉は違うが、過去も、今回も、こんな論調だと思う.ただ今回、米国とロシアがコメントを出した事は初めてである.

日本政府としては,戦争末期に、米国の広島,長崎の原爆投下,各都市への無差別爆撃,沖縄への上陸・無差別攻撃,さらに,ロシアの北方四島侵略やシベリア抑留と言う非人道的な攻略を受けたが,その事が非難される事なく,『東京裁判での日本の戦争責任の断罪』を受け入れたのである.

その後,日本は,焼け野原と貧困から立ち上がり、経済大国にまで上り詰めた.平行して,謝罪外交,資金援助,等の平和外交,に努めてきたのである.

そんなわけで,靖国参拝をもって.『侵略戦争の正当化だ』、『軍国主義の復活だ』、『サンフランシスコ講和条約以降の国際秩序を否定するものだ』等と叫ぶ事に,まともに反論する気もなくなるのである.滑稽にさえ思うのである.日本は誰が見ても,近隣諸国の言う非難から,もっとも遠い国だからである.そっくりその言葉を靖国参拝批判者に返したいくらいである.

むしろ問題なのは,安倍総理の参拝のメッセージを無視して,上記のような勝手な断定をして,反日行動や政府間交渉を遮断する事である.さらに問題は,その責任は日本にあるとし,この解決は日本次第だと外交カードを切る事である.

なぜ,このような,いつもの論法を繰り返すのだろうか.

『反日と言うナショナリズム』が領有権等への外交力や自国政府の求心力に必要だからだろうか,日本への影響力を強め,将来,属国にしたいのだろうか.

私見で言えば,そんな論法は,中世期の『ナショナリズム国家』(ナショナリズムを煽って政治に利用する国)を連想するのである.何かにつけ,日本国旗や顔写真を焼く行為や愛国無罪の行動、あるいは政府の過激な攻撃的な言葉を聞く都度,これを実感するのである.

近年の民主主義による法治国家は,グローバリズムを優先して,ナショナリズムを抑制しているのである.『ナショナリズムむき出しの国』はアフリカや中近東の紛争にも見受けられるが,そんな政治は北東アジアから早く,なくしたいと思うのである.

そんなナショナリズムむき出しの国の某国の大統領が『正しい歴史認識なくして,未来は語れない』と哲学的な事を言っているが,改めて自国の歴史に関する『正しい歴史認識』と,それによる、『未来への展望』を聞いてみたい.その歴史認識と未来への展望が他国と共有できるものなのか確認したいのである.

現実は歴史認識は国ごとに違うし,正しい歴史認識など一意に決まるわけがないのである.日本人が伊藤博文を暗殺した犯人を英雄とは絶対に言わないのである.

そこで,某大統領の言葉を失礼ながら,次のように正したい.『ナショナリズムでゆがめられた自国の歴史認識を他国に押し付けるようでは,未来を語れない』である.この方が哲学として普遍的であり,正しいと思うのである.

この考えは『争いを避ける人類の英知』であり,すでに歴史認識の違いを知った上で,これを乗り越えて,国際社会が形成されているのである.よく言われる『戦略的互恵関係の構築』もそうである.今,それが、近隣諸国に求められいるのだと思う.

従って,近隣諸国が『ナショナリズム国家』から脱して,『人類の英知』を受け入れる国になる事が必要である.そのボールは近隣諸国側が握っているのである.日本は米国との歴史認識の違いはあるが,すでに,そのハードルを超えた,二国間関係を形成しているのである.

(歴史認識問題については,当ブログNO329『歴史認識の封印より人類の英知を』で私見を発信している.)

ところで,歴史認識問題を含めて,外交は『美学』」ではなく『実学』だ、と後藤田氏の言葉があるそうだが,はたして参拝しないことが実学になるのか,領土問題に譲歩することが実学になるのか,疑問である.相手が美学を崩さなければ実学は一方通行となり,危険なのである.

かつて,実学をとって河野談話を発表したが,何の解決にもならず,かえって相手の主張を加速させたのである.実学が相手の思う壺になった例である.リベラル思考のやさしさが陥りやすい行為である.

はっきり言える事は『外交こそ一瞬の隙を見せてはならない』と言う事である.優しい,思いやりのある,丸腰の日本人にとっては,実学に走りやすいが,隙を作ることになりかねないのである.実学は相手を見て行うべきだと思うのである.

以上,述べたように,靖国参拝に対する近隣諸国の反発は,的外れであり,これに妥協することは、『間違った反発』を認める事になるだけである.

近隣諸国が『昔,あの国は悪い事をした.反省も謝罪の態度もない.悪い事をしたとは思っていないようだ.そんな国とは付き合えない』と、言い続ける論法は,戦後の歴史を無視した,一方的な主張であるばかりか,国家間の尊厳もない,『思考停止した論法』である.これでは未来を語れないし,国際社会の形成はできないと思うのである.

以上,気になる事を述べたが,

全体としては日本のムードが明るくなってきたと感じている.是非、来年も『経済,安全保障、社会保障、震災復興、原発事故』と言う『国の土台を揺るがす問題』に引き続き,精力的に取り組んで欲しいと思うのである.特に先送りしてきた大きな難問が山積みであるだけに,来年からは,批判するだけでなく、政治家も行政も国民も『解』を出していく覚悟が必要だと思う.

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2013.12.14

342 重要法案のつど政党分裂が起こる日本の政治

10月27日の当ブログNO336で『特定機密保護法案の論理的議論を』を発信した.この法案の議論に際し,各党は議席数に関係なく,『この法案の要否とその理由』をはっきりさせ,『要』の場合の課題については『対案』を示して議論すべきだと言った.

そもそも議論とは『対案のぶつけ合い』である.『対案のない問題点』を並べ立てるだけでは議論にならないのである.議論のルールとしては,対案がなければ賛成とみなされるのである.

勿論、国会の論戦においても同じである.『対案をぶつけ合った』上で採決する事が議会制民主主義の基本だと思うのである.しかし残念ながら、この法案の審議において,『対案をぶつけ合う場』になったかどうか,きわめて疑問を感じるのである.

各党はいろいろ問題を言っていたが,結局,『特定機密保護法案をどうしたかったのか』はっきり言わないないまま,与党の多数で成立したのである.民主党も,維新の会も,みんなの党も,党内対立を引きずった状態では,NO336で期待した『対案のぶつけ合い』が出来るはずもなかったのである.

法案採決で,野党は『与党の横暴・強行採決』と叫び,政府与党はけしからんと国民を煽動しているが,もとはと言えば,しっかりした対案を示していない野党に原因があると思うのである.

マスコミ,日弁連,有識者も同罪である.誰一人として『国家の特定機密保護をどうすべきか』と言う本質的な主張は聞こえてこず,『国民の知る権利や報道の自由が束縛されるから反対だ』と言うだけなのである.このような態度はあらゆる議論に良く見かけるのだが,『かみ合った議論』をすると『議論に負ける』と思っているのかも知れない.

いつも思うのだが,『議席数は負けるが政策では勝る』くらいの気概が野党には必要である.これなくして少数意見の反映は出来ないのである.数の力を批判する前に,自分達の義務を知るべきだと思う.それが出来ない野党は存在している意味が無いのである.

野党に問題ありの感想は私だけかと思ったら、高橋洋一氏はこうなった原因について述べているのだから、あながち私だけが感じていたわけではないようである.

高橋洋一氏によると,みんなの党の『特定機密保護法案』に対する党内対立の直接的原因は,次に議論になるであろう『集団的自衛権の見解の不一致』にあると言うのである.言われて見ると確かに,どの政党も特定機密保護法案に煮え切らないのは,これが背景にあるからだと感じるのである.

日本の野党は経済政策,財政政策,脱官僚,地域主権,社会保障政策,等で問題点は言うが対案を示しているわけではない.歴史認識,靖国,中・韓外交,集団的自衛権,武器三原則見直し,沖縄基地,憲法改正,となると,もっと主張が見えなくなるのである.

これを言うと党が分裂するからだとよく聞く.だとすると,現在の政党は政策集団ではなく,選挙と政党助成金狙いの野合集団だと言う事になる.『わが党には色んな意見がある』と自慢げに言う政治家がいるが,それで政党政治が出来ると思っているのだろうか.『数』と『選挙資金』と『利権』しか頭にない政党は『食品の偽装』と同じように『政党の偽装』だと思うのである.

そんな政党政治を続けた結果,日本を憲法改定方法もない欠陥民主主義国にし,憲法条文のミスすら直せないのに,憲法第9条の論議をし,選挙制度の違憲状態も解消せず,返す当てもない1000兆の借金に,さらに借金を積み上げ,少子高齢化社会にも手が打てず,歴史認識・中韓外交・集団的自衛権・武器輸出三原則見直し・沖縄基地、などの外交、安全保障問題に道筋を示さず,とにかく,政党の保身や分裂を恐れて,肝心な事はすべて先送りにしているのである.

言い換えると吉田茂の経済復興優先の戦後政治が成功したが,吉田茂が宿題にした憲法問題や安全保障問題に答えを出していないのである.かつて『経済は一流,政治は三流』と言われたゆえんである.ちなみに現在は、さらに悪化し,『経済も政治も三流』に凋落していると思うのである.

このまま,日本の政治が重要案件が政治課題になる都度,政党が分裂していては,とてもじゃないが『危機を余地した事前の策』など検討出来るわけがないのである.そんな事は『民主党野合政権の大罪』で終わりにしたいのである.

日本には,もはや政党がゴチャゴチャしている時間はないし,何としても,『難題と向き合った政界再編』を願うのである.決して難題から目をそらした野合を許してはならないのである.そんな野合は民主主義のコストではないのである.まさに『無駄』である.

最後に,愚痴を加えたい.

総じて,国会議員は権利に守られて義務を果たしていないと思うのである.年間一人1億円の歳費給付の割に義務としての活動が見えないのである.『最大の義務である対案』を出せない政治家,政党には歳費給付どころか,存在そのものが問題だと思うのである.

歳費の大部分が次の選挙資金に回るような仕組みも選挙制度も見直すべきだと思うのである.

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2013.12.08

341 仏教伝来がもたらしたもの(再認識)

島国日本は,シルクロードの東端に位置し,長い年月をかけて,多くの国を経由して,生き残った文明・文化の終着駅になった.そして日本は,それらを受け入れながら,自らの文明・文化を形成して来た稀有な国家だと思うのである.

最初の大きな文明・文化の渡来は飛鳥,奈良時代の『仏教伝来』である.その影響の大きさを改めて再確認し,浅学ながら,『仏教伝来の意味』を備忘録程度に整理してみた.

6世紀~7世紀(飛鳥時代)

朝鮮半島は当時,新羅、高句麗、百済などの王国が群雄割拠していた.その中で,百済は倭国と交流があって,多くの百済人が日本に渡来していた.その人達を通して,仏教,文字,土木技術,製鉄・製銅技術,鋳造技術,仏像作成技術,建築技術,等が伝わって来たのである.それらの中に,エジプト,ペルシャ,インド等の恩影も混ざっていたのである.

当時の日本人からすれば驚きの連続だったと思う.技術も去る事ながら金色の仏像を見た時の驚きは大きかったと思う.さらに仏像を拝めば救くわれると,きわめてわかりやすい教えに見えたと思う.神教では神の姿を見る事もなかっただけに仏像のインパクトは強烈だったと思うのである.

そんな仏教伝来に『崇仏戦争』が勃発した.保守派・俳仏派の物部氏と改革派・崇仏派の曽我氏の権力闘争である.悲惨な戦いを経て,曽我氏が勝ち,百済の『王興寺』のコピーと言われる『飛鳥寺(法興寺)』を建立したのである.この時も多くの渡来人がこれに携わったと思う.

又,聖徳太子は推古天皇のもと,蘇我馬子と協調して政治を行い,遣隋使を派遣するなど大陸の進んだ文化や制度をとりいれた.十七条憲法を定めるなど天皇中心とした中央集権国家体制の確立も図った.又,多くの渡来人の力を借りて,法隆寺、四天王寺,などを建立し,仏教の興隆につとめたのである.

660年,百済が唐に滅ぼされ、672年,蘇我政権が中大兄皇子(天智天皇),中臣(藤原)鎌足に亡ぼされる(壬申の乱).政治は『天皇中心の政治体制』(大化の改新)に向かうのである.

8世紀になると(奈良時代)

唐の百済攻略に日本は『唐の脅威』を感じたと思う.百済に応援を出した史実からも,それがわかる.そこで,唐に対する国威発揮をすべく、唐の都と律令制度を習って,藤原京,平城京(710年)を作って,『律令国家』を誕生させたのである.

又,天武天皇,持統天皇(女帝)は天照大神を祭った伊勢神宮(藤原京の真東に位置)を天皇家の氏神とし,天皇家の神聖化と,遷宮(天孫降臨神話の儀式)を繰り返す事による神威の永遠化を図ったのである.

このように,飛鳥時代の百済からの仏教,寺,渡来人の受け入れに続いて、唐への国威発揮を目指して,藤原京,平城京,律令制度,の誕生に加えて,伊勢神宮と天皇の神威高揚に取り組んだのである.

当事としては,大変な近代国家作りである.明治時代の列強国に対峙する為の,立憲君主国家,文明開化,富国強兵のような対応が,この時代にも行われていたのである.

さらに聖武天皇は,疾病の蔓延による民の疲弊を救う為に,護国信仰に基づいて,全国に国分寺とその総国分寺として,東大寺の建立を命じた(741年).勿論、唐に対する更なる国威発揮もあったと思う.そして,752年,大仏開眼共養,789年,東大寺伽藍が完成したのである.

この巨大な40数年間に及ぶ国家プロジェクトに渡来人の血を引く『行基』と『渡来人の技術集団』が組織化され,資材,人民を全国から結集させたのである.行基は『御利益をかざして努力させる』と言う手法でこの難事業を進めたのだが,その結果,『仏教の大衆化』のみならず,『文字や土木・製鉄・製銅・鋳造・仏像作成・建築の技術』も日本中に広がって行ったと思うのである.

そんなわけで,『仏教伝来』と言うと,新しい宗教が入ってきた話のようだが,その影響を見ると,実は『文明・文化の伝来』だったと,改めて感じるのである.

この仏教伝来以来,日本はシルクロードで伝わってきた文明・文化の宝庫になり,それらをもとに,日本文化の形成・熟成を続ける事になるのである.

ところで,宗教を広げる手法(マーケテング手法)には,かねがね感心している.

キリスト教やイスラム教は人格を持った神の像,教会,聖書,絵画等で教えを広めたのだが,仏教も限られた僧侶しか読めない膨大な経典の代わりに,如来,菩薩,明王,天,と言う仏の像を作って教え広めたのである.

仏教の布教方法をまとめると,心の救済をする為に,死後の世界を人質にした論理・行動規範を作り,僧侶,仏像,お寺,檀家,祭事,寺町・門前町,と言った大仕掛けの装置で仏教を布教したのである.この仏教のマーケテングシステムが功を奏し,生活の隅々まで仏教が浸透し,文化を形成して行ったのである.

一方,神教も天皇を頂点にして,地縁,血縁の共同体を守る目的で自然信仰,民族信仰,として全国各地に神社が作られ,神主・檀家が組織化され,四季折々の祭事が催され、信仰の定着と継続が図られたのである.これもまた,マーケテング手法として優れていると関心する.この神教と仏教は目的が違う事もあって,それぞれが今日まで並存しているのである.

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