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2014.03.26

350 高速バス大惨事の前橋地裁判決への疑問

2012年4月29日群馬県の関越道で発生した高速バスの大事故に対し,№279高速バス事故が大惨事になった原因(12・05・07) で、『ガードレール』と『防音壁』との間に隙間があった事が原因だと発信した.

ガードレールに激突したバスが,ガードレールの切れ目で左に振られた為、防音壁に串刺し状態で激突てしまったのである.言うなれば、この事故は『2重遭難』である.もし、隙間がなかったら,7人の死亡,38人の重軽傷者は発生しなかったと思われるのである.

この事故に対し、2014年3月5日、前橋地裁は運転手に『眠気があった』として自動車運転過失致死傷罪で懲役9年6月、罰金200万円の判決を言い渡したのである.

事故当時,高速バス競争が過熱しており,そこに大惨事の原因があるとマスコミは騒ぎ、真の原因が隠される事を心配していたのである.残念ながら、その風潮のまま、『運転手の眠気』が大惨事の原因になったのである.

私見によれば、当初から、ガードレールに激突した事は運転手の責任だが、防音壁に串刺しになったのは、防音壁の設置に欠陥があったからであり,.問われるのは,この欠陥を放置した国交省だと考えていたのである.

事実、国交省はガードレールと他の建造物との間の隙間は危険だと認識していた節がある.98年以降,隙間のない作りにしているからである.ただし事故現場になった場所のように80年代に作られた隙間は放置されたままだったのである.

急遽(事故発生の1ケ月後)、国交省はガードレールと防音壁の隙間がある全国5100ケ所に対し,隙間をなくす工事を行うよう東日本,中日本,西日本の各高速道路会社に指示したと言うのである.

実はこの事故は自動列車停止装置(ATS)の設置が後回しになった為に大惨事となった福知山線の脱線事故と同じである.この事故では、死亡した運転手だけではなく、ATS設置を後回しにした経営責任が問われたのである.

責任追及は民間企業と行政機関では違うのだろうか.判決の最大の疑問である.被害者も、当然、この判決に不満があると思うのである.

交通事故が起こると,いつも、運転手の原因と責任が追及され,道路の危険性に目が行かない傾向がある.道路に問題があっても、刑事にしろ民事にしろ、役所相手の立件が難しいからだろうか.立件されなければ,道路の責任も、賠償も、加害者にのしかかり、危険な道路も放置される可能性があるのである.

役所としては、議会の指示がなければ、何も出来ないと言うのだろうか.民間企業なら、間違いなく、設備等の欠陥には、管理責任が問われるのである.

高速道路だけではなく、危険な道路は多く存在していると思う.危険を認識していながら放置すれば、『無作為の罪』になる事を行政は自覚すべきである.その心構えがあれば、交通事故は激減すると思うのである.

再発防止だと言って、高速バス事業を規制したり、夜間運行を400Kに制限しても、事故は防げないと思う.単なる役所のアリバイ作りにしか感じないのである.

真に再発防止するなら、警察、道路行政部門が一体となって,危険な道路を認識し,具体的な交通事故防止策を実行する事だと思う.道路の危険を解消しない限り、事故は防止できないのである.

そんな積極的な事を行政がやると,欠陥道路を作った責任や,事故の責任が役所に来ると役人は言いそうだが,ミスを前提にした賠償責任の予算化をして,この問題から逃げてはならないと思うのである.さらに言えば、民間がやっている車の安全運転機能の開発も道路行政と連携してやるべきだと思うのである.

以上、今回の『高速バス大惨事』の判決で、原因が『運転手の眠気』とされ、道路の欠陥が追求されなかった事に疑問を持ったのである.明らかに、国交省が危険を認識した時,すぐ手を打っていれば,このような大惨事は防げたのである.さて,今回の地裁判決で結審になるのだろうか,注目したい.

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2014.03.23

349 東京オリンピックと『おもてなし』

歓喜の東京オリンピック決定から,早7か月,オリンピックまであと6年となった.あの歓喜が,ずっと以前の出来事のように感じる.都知事選やソチの冬季オリンピックあったせいだろうか.

そんな折,ふと,準備が進んでいるのだろうか,招致プレゼンで言った事と実際に差異が発生していないだろうか,等が頭をかすめるのである.

ここで,東京オリンピック招致の最後のプレゼンを思い出しておきたい.

昨年9月7日,ブエノスアイレスで20年夏季オリンピックの開催地を決める最終の『IOC総会』が開催された.ここで、マドリード、イスタンブール、東京、がオリンピックの招致に向けて、最後のプレゼン合戦が行われた.

東京招致のプレゼンで、最後に登場した滝川クリステルさんは,流暢なフランス語で感情をこめて,東京招致を決定づけるスピーチを披露したのである.

『東京は皆様をユニークにお迎えします』
『日本語では,それを「おもてなし」と言う一言で表現できます』
それは日本人が大切にしてきた『慈しみ,気遣う精神です』

『この日本文化が近代的な未来都市の景観に組込まれています』
『全ての来場者に生涯忘れ得ぬ思いでをお約束します.』

と,具体例を交えてスピーチしたのである.勿論、このスピーチが決め手となったとは言うものの,日本のスピーチ全体に渡って、好感を持たれた上での決め手であったと思うのである.

特に,プレゼンに先立って,日本を代表して、高円妃久子様が震災復興支援への感謝と皇室とスポーツの深いかかわりを,ご披露された事がIOC委員にのみならず,世界に深い感銘を与えたと思うのである.

凛とした口調と圧倒する「オーラ」でフランス語と英語を交えた久子様のスピーチで始まって、最後を滝川さんのフランス語による『おもてなし』のスピーチで締めくくった事は、『国際感覚の中に日本文化を見事に織り交ぜた見事なプレゼン』だったと、今更ながら思うのである.そして,IOC会長が『TOKYO』と宣言した時,怒涛のように歓喜の渦が湧き上がったのである.

さて、世界を魅了した『おもてなしの精神』について、改めて、考えてみたい.

『おもてなしの精神』は『慈しみ,気遣う精神』である.その精神は礼儀作法の文化として定着し,有形,無形を問わず,あらゆる人間の行動に,にじみ出るのである.

この精神は他国語で言えば、servitors(ラテン語の奴隷)から派生したserviceではなく,hosupitalityの精神である.従って,指示されたものではなく,義務ではなく,自発的な無償の行為なのである.言うなれば、『人との交わりを豊かにする潤滑油』 なのである.

このような精神文化は長い歴史を経て、日本に宿ったと思うが、少しずつ、この精神が薄れて来たり、合理性を尊重する国においては違和感がある事も事実である.

その理由は『経済的合理性の意識』,『対等・平等の意識』,『フレンドリィの意識』からすると違和感があったりするからである.『わずらわしい』,『息苦しい』感覚もあるかもしれないのである.

しかし,『困っている時の気遣い』や『思いもよらない気遣い』に違和感を覚える人はいないと思う.むしろ、感動するのである.『おもてなし』の真骨頂は、ここにあると思う.その根底に、互助の精神、和の精神があると思うのである.

勿論,その気遣いは、大げさなものではなく、『ちょっとした気遣い』に,その精神が宿るのである.まさに『神が細部に宿る』の如くである.

さて、東京招致が決まって,早7か月,東京オリンピックの構想が,着々と進んでいるのだろうか.『おもてなし』が『生涯忘れ得ぬ思いで』になるのだうか.心配が頭をよぎるのである.

『日本の文化』だから、『大きな国際的イベント』に慣れているから、とりわけ何もしなくても、『おもてなしの精神』がにじみ出て来ると、楽観して良いのだろうか.しかし、『期待を超えた気遣い』が必要なだけに、このままでは心配である.

そこで、思い出されるのはデズニーランドの『楽しい思い出作り』と言うコンセプトである.このコンセプトのもとで,従事者の一人一人が『期待を超える気遣い』を常に心がけ,臨機応変に,来場者の『楽しい思い出作り』の手助けをしているのである.

従って,このコンセプトは事業方針であり,同時に,現場の自発的な対応を促す為の指針なのである.単なる標語ではないのである.このコンセプトの実現に当たって,マニュアルはないと言う.もしマニュアルを作ったら現場で義務感が強くなり,自発性がなくなるからである.もっとも,あらゆるシーンを想定したマニュアルなど出来るはずがないのである.

このコンセプトのもと,デズニーランド全体をステージに見立て,来園者や催し参加者を『ゲスト』(お客様)と呼び,ステージで働いている人を『キャスト』(役者)と呼んで,この思い出りを進めているのである.このキャストはゲストを案内をしたり,質問に答えたり,迷子の対応をしたり,救護のお世話をしたり,更には園内をいつも清潔にしておく為に,掃除もしているのである.

こんな話を聞いた事がある.若い夫婦がレストランで,お子様ランチを頼んだと言う.病気で亡くなった子供がこのお子様ランチが好きだったと言うのである.それを聞いたウエイトレスは子供用の椅子を,そっと,お二人の間に用意したのである.夫婦は楽しかったデズニーでの思い出のなかに,子供の笑顔を見た事は言うまでもない.コンセプトが細部に宿った瞬間である.

この様に,デズニーのキャラクターや催しの人気に加えて,『おもてなしの精神』がリピーターを増やしていると思うのである.

デズニーランドを見るにつけ,東京オリンピックも,来場者,世界の観戦者,選手の『感動と楽しい思い出作りの場』になって欲しいと思うのだが,それを支える『おもてなし』が日本の専売特許だと思ったら大間違いかも知れないのである.

そこで,『東京オリンピックの構想』を振り返ってみたい.そのコンセプトは『Discover Tomorrow 未来(あした)をつかもう』である.このコンセプトの下で,

・成熟都市でのオリンピック開催意義を示す
・質の高い綿密な計画と安全な大会の開催
・大都市東京の中心で行うダイナミックナ祭典

を掲げ、具体的な構想を示しているのである.

しかし、これは、招致決定前の構想であり、『競合国との差別化』を意識して『実現性を前面に出した構想』の様に感じるのである.言い換えると、招致合戦に勝つ為の構想だったと思うのである.

招致が決まった今としては,正直,違和感がある.『未来をつかもう』と言う主題があまりにもつかみどころがない感じがするのである.デズニーのコンセプトの観点でいえば、『未来をつかもう』は,先ず主語が曖昧である.『勝手に未来をつかんでください』とも取れるのである.『未来につながるような大会にしたい』としても,具体的なイメージや行動が連想しづらいのである.当然,これでは,自発的な臨機応変な行動は望めないのである.

又,上記三つの方針も、実現性を訴える為に、ハードが中心になっていると思うのである.勿論、ハードの構想は費用などを考えれば、きわめて重要な構想である.しかし,それで、何を実現したいのか、がどうしても弱いのである.従って、準備に係わる人、大会の運営に係わる人,からすれば、もう一つ,目標や行動指針が見えないのである.

余談だが,企業で,よく『顧客満足度向上』と言うスローガンを見かけるが,果たして,この言葉から行動が連想できるだろうか.概念が広すぎて,なんとなくボヤーとしているのである.そこで,『顧客貢献度向上』という言い方に変えた経験がある.

この言葉の方が,貢献できているのか,それぞれの顧客へ提案をしているのか,製品に何が必要なのか,等,次から次へと,連想できるのである.勿論,これを事業方針にしたのは当然である.

そこで、こんな東京オリンピックのコンセプト(実現目標)を考えてみた.

東京オリンピックを通じて,『感動を未来に』を目標にし,『快適性・利便性の感動』、『バーチャル観戦の感動』,『クールジャパンの感動』の三つの感動を目指したらどうだろうか.勿論,その感動は『おもてなし』という潤滑油で『期待を超えた感動』にしたいのである.

このコンセプトで,設備,運営,ITなどのすべての分野で,未来につながる感動を考えて欲しいのである.とにかく、開催地全体をデズニーランドのステージにしたい気分なのである.

少し頭の体操的に、勝手に思いをめぐらしたが、すでに発表している構想を変えられないのであれば、発表済みの構想で実現する目標と位置づけたらどうだろうか.いづれにせよ、あまりにも素晴らしいプレゼンだっただけに、これを裏切るような大会にはしたくないのである.7か月たった今、ふとそんな事が頭をよぎったのである.

追記 『おもてなし』雑感

世界的にみると、『おもてなし』は日本の専売特許ではない.大きく分けて、①『お客様としての気遣い』と②『お客様としない気遣い』がある.

①は、お客様として特別の気遣いをする事である.その目に見える『特別な気遣い』が最高のおもてなしになると考えるのである.農耕民族に多い対応だと思う.勿論、何気ない対応もあるが,相手がお客様であるとの意識はある.

②は、特別、何かをするではなく、自分達と分け隔てなく、フレンドリーに対応する事が最高のおもてなしだと考えるのである.狩猟民族に多い対応だと思う.相手に,よそよそしく、他人行儀で、堅苦しく,感じさせないのである.

さて、日本は明らかに①の文化である.しかし,オリンピックでの国民の『おもてなし』は、②ができたら最高だと思うのである.

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2014.03.12

348 中国・韓国が日本を敵視する背景とその対策

中国,韓国が最近、日本の動きに対し,事ある毎に、『戦争の歴史に反省がない』,『右傾化している』,『強制された慰安婦に謝罪と賠償をしていない』等と日本非難を世界に繰り返し発信しているのである.

そんな事をしながら,自国のナショナリズムを煽りながら,日本固有の領海,領空,領土に主権侵害を続けているのである.たとえば,ロシア首相の北方四島訪問が行われると,間髪を入れずに,韓国大統領が竹島に上陸したり,中国は尖閣諸島の実効支配へのシナリオを加速させているのである.

温厚な日本の多くの人は,その『えげつなさ』に唖然としていると思う.同時に,中国、韓国の報道官のアナウンスの内容も,口調も,北朝鮮とそっくりだと感じていると思う.

私見で言えば,中国,韓国は,冷静な歴史認識や戦後の日本の取り組みを無視して、戦争時の『ナショナリズムに偏った歴史認識』を持ち出して,それを誇張し,『終わりのない批判を繰り返し、自国の国益を得ようとしている』ように見えるのである.

改めて言うまでもない事だが、戦後の日本の歴史は,米国の傘のもとではあるが、新憲法の制定、民主化、謝罪・支援外交、経済復興を進めて来たのである.その歴史はおおよそ,次の通りである.

敗戦末期,

・全国主要都市への無差別絨毯爆撃,
・広島・長崎への原爆投下,
・ソ連による北方4島への侵略
・日本軍捕虜のシベリア抑留と強制労働,

等,いかなる理由も立たない非人道的な行為に,じっと耐えながら,

・ポツダム宣言(無条件降伏)を受け入れ,
米国の占領,東京裁判による戦争責任の断罪,
・サンフランシスコ講和条約による独立、日本国憲法制定,
・日米安保条約締結,
・謝罪外交・経済支援外交の展開,
・中国や韓国との国交回復,

等の政治が行われて来たのである.同時に,焦土の中から日本は経済復興をやり遂げ、,経済大国にまで、なったのである.この取り組みは、多くの国の手本にもなって来たのである.

又,韓国の安全保障で言えば半世紀近く,日本にある米軍基地と米軍で支えており,有事の際の米軍出動は日本の了解が必要なのである.

一方,米国は日本の戦争回避努力を無視して,大平洋戦争を仕掛けたり,原爆の威力を誇示する為の終戦末期の原爆投下に,後ろめたさがあるのか,敵対国であった日本の経済復興を支援し,同盟関係を築いて来たのである.

米国から見ると,日本が先進国になり、東アジアにおける反共の砦になった事が『米国の戦争の正当化』の証明になっただけではなく,その後の東西冷戦時代に、大きな役割を果たす事に繋がったのである.

これらの経緯を無視して,安倍首相の靖国参拝,尖閣・竹島・北方四島の帰属のアピール、安全保障会議の設置,特別機密情報保護法の成立、武器輸出三原則の見直し,集団的自衛権や憲法改定の論議、慰安婦の史実の検証、等,に,冒頭の批判を繰り返しているのである.どうやら,国益の為に,日本を『敗戦状態のまま凍結しておきたい』ようなのである.

靖国参拝批判も,A級戦犯(東京裁判の定義)が合祀されている靖国神社に総理が参拝する事は戦前の『軍国主義,侵略戦争を正当化する行為だ』と批判しているのである.

宗教観の違いもさることながら,そんな気持ちで参拝していないと総理も明言しているし,日本国民の多くの人も,同じ気持ちだと思うのである.今の日本は軍国主義、侵略戦争から、最も縁遠い国である事は自明であるし,時代錯誤も甚だしい批判なのである.

加えて言えば、もし,このような批判がまかり通れば,首脳の思想・思考に他国が介入する事になる.現実には,世界に,共産主義思想や一党独裁政治思想、軍国主義思想,先軍思想、自由主義思想、資本主義思想、あるいは宗教も含めて、いろんな思想・思考をする国や首脳がいると思うが,だからと言って,その事を国家として批判し,交渉カードにはしていないのである.

この様に整理すると,冒頭の私見のように,中国、韓国は『日本の戦争責任と謝罪』を根拠に,『終わりのない批判と要求』をし続け、『日本を押さえ付けようとしている』としか思えないのである.彼らは,反日の恰好な材料として,それに役立つ歴史を引っ張り出しているのである.

そこで、当ブログでも、度々触れているが、何故、中国、韓国は自国の歴史認識を持ち出して,そんな行動に出るのか,その背景を独断と偏見で整理し,その対策を考えてみたのである.

①国民性・国柄から見た背景(中国、韓国、共通)

・面子を最も重視した社会であるから
・面子の為なら、攻撃、嘘も許される文化があるから.

・自国が『反省・謝罪・譲歩』をすれば『面子を失い、国が滅ぶ』から.
・他国に『反省・謝罪・譲歩』をさせれば『絶対優位に立てる』から.

・日本・中国・韓国は血統主義国であり,生理的に相互に排他的だから.
・日本をバッシングすると快感を覚えるから.(日本にコンプレックスがある)
・ナショナリズムを煽る事で政権を維持している国である.(ナショナリズム国家)

・法の支配が国民に定着していない国だから.
・世界のチャイナタウン,コリアンタウンを海外進出の土台にしている国だから.
・国民は海外移住(自国からの脱出)に抵抗感が薄い国だから.
・中国も韓国も,反日で連携する事が国益になると考えているから.
・国の殺伐の歴史から『受けた屈辱を石に刻む』習性があるから.

上記の如く、とにかく、中国,韓国には(もちろん北朝鮮も),面子を失ったら国、民族、家族、個人、が亡ぶとの歴史的トラウマがある.従って、何としても自分達の面子が潰されないように,本能的に攻撃的な行動をとるのである.相手がひざまずき,貢物を差し出す事によってのみ,争いが避けられると思っているのである.

日本にも面子を重んじる文化があるが、大きな違いがある.中国,韓国は面子を守る為に外に対して,何でもありの行動をとるが,日本は面子を守る為に、内を律するような行動をとるのである.自分の面子を自身でつぶすような事は恥だと,考えているからである.

日本には、この『羞恥』,『謙虚』,『配慮』,『曖昧の合理性』等で『自制』が働き,中国、韓国ほどの露骨な攻撃はしないのである.『島国と大陸の文化の差』なのかもしれない.

この様な中国、韓国の『面子に関する国民』は,あらゆる行動に表れる.ナショナリズムに熱狂したり、史実を歪めたり、それを誇張したり,優位性を鼓舞したり,劣勢を認めなかったり,謝罪しなかったり,とにかく,恥もが外分もなく強気なのである.『面子を強気で守ろうとする』のである.これは企業や個人にも表れるのである.

そんな国民性が政治に表れる.勝手に問題を起こしても、その原因は相手国にあり,条件を飲まなければ,交渉のテーブルにつかないと言うのである.それどころか,制裁を科したり,不買運動をしたり,愛国無罪の行動をしたり,国旗を焼いたり,政府間交渉をすべてボイコットしたりして,すごむのである.過去のあらゆる問題はすべてこのパターンに当てはまるのである.

これはまさに,『落とし前をつけろ』と言う『ヤクザの戦法』である.日本では,その戦法に対し,大人の対応と称して,『顔を立てる穏便な対応』をしてきたが,最近,国内では,『迷惑防止条例』を作って,真っ向からそれを許さない社会に移っている様に,国際社会においても,
同じような対応が必要だと思う.その為に,まず,事あるごとに,ヤ『クザ戦法』を世界に公表すべきなのである.

その意味で、安倍総理の『条件を付けた交渉には乗らない』、『日本は常に交渉の門は開いている』、『問題を解決するのが交渉の目的だ』、は正しいのである.国際社会に、これを定着させ、『ヤクザ戦法』が通用しない社会にしたいものである.

最後に挙げた『受けた屈辱を石に刻む』習性は,永い殺伐の歴史がそうさせていると思うが,いつまでも恨んだり,非難する事は,終わりがなく,逆に,みづからの行動を縛り,国家の品位を損なうと思うのである.

人類の歴史は振り返る事より,未来に向かう事,恨むより感謝する事に視点を移す事が建設的だと知るべきなのである.日中国交を開いた周恩来氏の言葉が懐かしく思いだされるのである.その後,周恩来氏のような懐の深い政治家は出ていないどころか,ますます小粒になっていると感じるのは私だけだろうか.

②韓国固有の背景

・史実によるコンプレックスが国民性の根底にある.

・日本を打倒し,世界に進出する事が韓国の目標としている.
・国連や世界の機関の主導的地位に就きたいと思っている.
・韓国の発展にとって日本は邪魔だと思っている.

・北朝鮮問題は米韓で,経済問題は中韓で対応する(米,中のコウモリ外交)
・米国で多くの韓国人専門家を育成したい.
・韓国系米国住民を増やし,米国での政治圧力に利用したい.

この様に韓国の発展には『日本が邪魔だ』との感情があると類推される.現に輸出品目が日本と競合する事が多くなっているのである.

そこで,日本を抑え込む為に,『日本は韓国の侵略者で、性奴隷国家だ』と世界に吹聴しているのである.それだけではなく、これに日本が反省し、謝罪し、譲歩しなければ、政府間の会議はしないとまで言うのである.日本固有の竹島を侵略している上に、最近は、20万人を日本が強制的に慰安婦にしたと、世界に吹聴し、米国の数か所に、慰安婦像まで立てているのである

条約によって韓国が併合された事実や,韓国の侵略によって竹島を実効支配されている事実や,日韓基本条約で日韓関係が作られた事や,韓国の近代化に日本が大きく貢献してきた事実や,韓国の安全保障に日本が貢献している事等を無視して,戦時中に時計を戻して,反日の材料を掘り出して反日運動を展開しているのである.

『過去に思考停止している国』と過去を乗り越えて『未来を志向している国』ではベクトルが合わないのは当然なのである.

韓国が執拗に歴史問題を掘り返すなら,徹底して韓国の歴史認識を検証したくなるのである.たとえば慰安婦像による日本非難の根拠を河野談話をもとにしているようだが,徹底して談話の経緯や歴史的史実,特に20万人が性奴隷にされたという根拠を検証したくなるのである.

この検証は歴史の修正主義だと韓国は反発しているようだが,主張が正しいと思っているなら、反発する必要はないのである.それとも、反日のナショナリズムがエキサイトして捏造した事がバレル事を恐れて,反発しているのだろうか.

『強制された』と言えば、慰安婦の自尊心の救いになるし、反日家にとっては,恰好の攻撃材料になるのである.従って、捏造があっても不思議ではないと思うのである.その事も含めて、歴史家を中心に,史実を検証する必要があると思う.

(当ブログ『NO344 私の慰安婦問題の考え方』で私見を述べている)

又,次の様に,彼らの歴史認識にアンフェアな事が多いのである.

朝鮮併合,日韓条約,戦後の韓国支援、における韓国のメリットを口にしない.
・自国の歴史に対する歴史認識や自国の慰安婦の実態を口にしない.

ついでながら,韓国の国民性に加えておく事がある.

・民族の顔を捨ててまで,美容整形する(脱亜論の表れか).
・悲しさを演出する為に、泣き女の風習がある.
・政治・経済・芸能・スポーツ,すべてに,露骨な
強気の姿勢を崩さない.
・生きて行く為の激しい競争社会になっている.


この様に、面子の為,目的の為,『激情型の猪突猛進』の国民姓を感じる.


③中国固有の理由

・中国は政府より血縁を信頼している社会である.
・独裁政治を維持する為に思想・言論・報道の規制をしている.
・独裁政治を維持する為にナショナリズムを利用する.
・中国国民の民意が見えない国である.

・領海・領空・領土の拡大は中国の国是である.
・東アジアの経済圏,安全保障圏は中国が制覇したい.
・尖閣諸島の領有化,台湾の併合は中国の核心的利益だ.

・日・米・韓を分断し、東アジアを中国の影響下に置きたい.

韓国は『異常なナショナリズム』、中国は『一党独裁の野望』、と言う違いはあるが、両国が日本を敵対視する背景が上記のように存在しているのである.そして,『日本を抑え込む』手段として,歴史認識問題が恰好な道具になっているのである.従って、例え歴史認識で譲歩しても、日本を抑え込みたい思いは変わらないのである.では日本はどうすればよいのだろうか.

一つ目は,日本として中国、韓国との関係を、どうしようとしているのか、をしっかり見定める必要がある.中国、韓国が目標を掲げているのだから、当然,日本としても目標が必要である.私見で言えば,相手が変わらない限り、『近くて遠い国』しかないと思う.近い国になるための譲歩は絶対ダメである.

二つ目は、歴史認識を武器に日本を攻めているのだから、その歴史認識の一部でも反証し、中国、韓国の歴史認識の信憑性を失わせる必要がある.特に,ナショナリズムで歪められ、誇張している部分を取り上げて、その捏造をあばく事である.

その結果、慰安婦像は『捏造の記念碑』になる可能性がある.政治家と言うより、歴史学者が率先してこれをやるべきだと思う.

三つ目は過去の戦争の多くは『自国の歴史認識を相手に押し付ける事』で起こっている.この反省から次の提言を相手国にすべきだと思う.

①歴史認識は個々の国に存在する事を認め、差を明らかにする.
②自国の歴史認識を相手国に押し付けたり、それを外交カードにしない.
③領土問題や賠償問題は両国間の条約,国際法あるいは国際機関で決着する

『正しい歴史認識なくして未来はない』と言う韓国大統領の発言は、一見正しいように感じるが,『自国の歴史認識に従えば、未来がある』と言う本心が透けて見える.こんな事を通そうとすれば、国際社会の秩序が連鎖反応を越し,むちゃくちゃになる.

正しくは『自国の歴史認識を他国に押し付ければ未来がない』と言うべきである.これこそ日本を含めて,国際社会にとって必要な事なのである.

四つ目は日本がいかに世界から尊敬され,あこがれの国になるかである.特に経済力、財政力,技術力,人間力,の向上は必須である.又、高齢化社会の対策も世界を牽引できる実績が必要である.これに向けた国家としてのコンセプトもしっかり作る必要がある.

最後に、今起こっているウクライナ問題であるが、日本と無縁ではない.根底には長年のロシアの南下政策があり、中国も同じ野望を持っている.そのロシアと中国が日本の領土・領海・領空を犯しているのだから,このウクライナも含めて南下政策には断固反対すべきである.

当然、東アジアでの中国の野望を許してはならないし、TPPの枠組みも必要だと思う.同時にそんな政策を押し進めるロシア、中国が国連の安全保障常任理事国である事も大問題だと思う.国連を国家間の紛争解決の機関にするなら,新しい枠組みでの国連改革が必要だと思う.

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