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2014.04.24

354 政令指定都市の改革論議の活性化を

政令で指定する人口50万人以上の都市を政令指定都市と呼ぶが,現在,全国に20都市ある.この政令指定都市は横浜市の370万人,大阪市の266万人,神戸市の154万人,京都市の147万人,から平成の合併で生まれた70万人から80万人の静岡市,堺市,新潟市,浜松市,岡山市,相模原市,熊本市などの政令市がある.

これらの政令指定都市には道府県の権限の多くが委譲され,運営されているのだが,県との2重行政などの問題もあり,次のような改革案が議論されているのである.

①政令市の基礎自治体への分割と道府県集権による戦略的広域行政の推進.

数百万人の政令指定都市は市長一人と一般公務員の区長では,きめの細かい住民ービスが出来ない事から、政令市にある区を市と同じような特別区(基礎自治体)にする.(選挙による区長、区議会の設置)又、政令市の廃止によって,道府県への集権をはかり,効率的,効果的な地域の発展を図る.

これによって,住民サービスの向上,2重行政による無駄の削減,道府県全体の戦略的政策の一元化と都市間競争力の向上をめざすとしている.さらに、将来的には、地方分権の受け皿として位置づけ、中央集権国家からの脱却、国家予算の無駄削減を図る.

現在,大阪府長,大阪市長および,大阪維新の会が『大阪都構想』の実現に取り組んでいる所である.しかし、この構想に対し、地方議会や中央官庁,あるいは既得権益者は積極的ではないのである.

②政令市を,道府県から分離し,県相当の特別自治市の新設による活性化促進.

横浜市長が大都市制度として,県と同等の権限を持つ『特別自治市構想』を打している.言い換えると,横浜政令市を神奈川県の下に置くのではなく,横浜県にするイメージ.神奈川県の中で突出している横浜市ならではの意見かもしれない.

しかし、県レベルの権限を得る、政令市議会や既得権益者は喜ぶと思うが、特別自治市の中の区が従来通りなら、政令市を県にしただけになる.又、神奈川と横浜の広域行政が二頭立てで運営できるかと言う懸念もある.又、横浜が独立すると、神奈川県が飛び地で構成されるので神奈川と横浜の線引きが必要になる.

③政令指定市に『総合区』を新設し、区長の権限強化.

区長の権限を強めた総合区を設置できる案.政府の地方制度調整会の答申で,国会に提出されている案だが,導入機運なし.①②に比べて,コンセプトが弱い.

以上のように並べると,③は論外とすると、①は地方の戦略的政策を道府県に集中させ,住民サービスは基礎自治体に任せて行くと言う構想である.一方,②は従来の道府県から政令市を分離して、新たに県をつ作るイメージである.従って、現在の行政機構を前提にした案なのである.

①案か②案か,それとも,現状維持か,大阪市,横浜市,以外の政令市からの声は聞こえて来ない.それどころか,国会議員も含めて,一時,盛んであった行政改革あるいは地方分権,等の構造改革論議がトーンダウンしているのである.

改革に消極的な,あるいは,否定的な市民の声は,『構想がわからない』,『何が変わるのかわからない』,『メリット,デメリットがわからない』,等と『わからない事』を理由にする.しかし,必ずしも,よく調べて,『わからない』と言っているわけではないし、『わからない』事が恥ずかしいとも思っていないのである.これも民主主義のコストなのだろうか.

又、改革に否定的な政治家や有識者は、さすがに、『わからない』とは言えず,只、相手の案に文句を付けるだけなのである.決して、持論をもって反論する事はないのである.持論を言うリスクを避けたいのか、持論がないか、のどちらかだと思うが,その人達に対案を出せと迫ると黙ってしまうのである.

卑近な例で言えば,集団的自衛権行使の問題である.批判的な人は、『もっと慎重に検討すべきだ』,『もっとわかりやすく説明すべきだ』,『政府の憲法解釈で出来る問題ではない』,『集団的自衛権は憲法違反だ』,等と言うのである.『憲法違反だ』という人は,それなら『憲法を改正すればよいのか』と正すと、『憲法改定には反対だ』と言うのである.

この様に、批判者は、集団的自衛権行使について、必要と考えているのか、不要だと考えているのか、自分の主張を言わないのである.党として主張を持たないのは、党の分裂を避ける為のようである.結局、相手の案を批判するだけの議論になって、質問の意図がわからなくなるのである.

対案のない政党は政党ではないし、対案のない議論は議論ではないのである.小政党は数で負けても、政策で勝つ位の気概が必要なのである.数で政策が決まるなら,国会議員の頭数も、国会の審議も、いらないのである.

さて,地方分権問題で言えば,中央集権の良さは勿論あるが、それが肥大化したり,過負荷になれば,当然、分権が必要になる.現在日本は、国家予算の拡大からして,集権から分権に移る必要性があると思う.

言葉でいえば、集権と分権の良さを切り分けた『集中的分権論』である.現在の中央集権のメリット,デメリットを仕分けする事になる.勿論,分権のリスクもある.それを乗り越えるのも、日本の政治には必要だと思うのである.

又,政令市の改革で言えば、現在の政令市も、その中にある区も、他の市より圧倒的に大規模である.当然,政令市を市レベルの基礎自治体に分割し,行政を住民に近づける必要がある.同時に政令市を解体することによって,道府県との2重行政をなくし,広域の政策が機動的に,効果的に発揮できる体制になる.この体制が,今後の地方分権の受け皿になると思うのである.

勿論、地方分権や政令市の解体に反する人はいると思う.是非,対案を示すか、このままで良いと言うべきである.しかし、その考えをはっきり述べている反対者はいない.利権を失うから反対だ、とさすがに言えないのかも知れない.

ところで、大阪は徳川家康に滅ぼされて以来,商人の町に徹し,アンチ東京で、政治から距離を置いてきたと思う.その結果,大阪出身の政治家を,にわかに思い出せないくらい少ないのである.あえて言えば,塩川正十郎氏,中山太郎氏,くらいである.総理経験者で言うと,戦前の幣原喜重郎氏と鈴木貫太郎氏の二人だけである.戦後は総理を輩出していないのである.勿論,もっと多くの政治家がいたと思うが,申し訳ない事に,調べないとわからないのである.

大阪人ではない私からすると,大阪人は3枚目は演じられても,2枚目を演じられない所がある.2枚目を嫌うところもある.どうも大阪人は2枚目の大変さから逃げて,楽な3枚目でお茶を濁すところがある.商人の町ならではの習性かもしれない.

そんな習性が,大阪から政治家が輩出していなかったり、政治力が弱かったり,大阪市や大阪府で役人天国を作ったり,既得権益ががっちり守られていたり,企業の東京移転を加速させたり,都市開発に一貫性がなかったり、府と市の2重行政で巨額の無駄を生んでいたり、なよりも市民の政治への無関心を産んだり、して来たように思うのである.

そんな大阪の風土に敢然と立ちあがった人がいる.大塩平八郎以来の熱血児である橋下徹前大阪府長,現大阪市長である.少々荒っぽく,喧嘩早いところがあるが,次から次へと,おかしな行政をあぶり出し、叩きのめしているのである.それらは大阪の問題というより全国にも内在している問題ばかりである.問題の長年の放置ぶりに市民は唖然とするのである.

当ブログでもたびたび取り上げているが,橋下氏は,デベートの実力者である.多分,橋下氏に勝てる論客はいないと思うくらいである.ただし欠点がある.デベートに勝つが,負けた方が味方にならない事である.デベートに勝つほどに敵が増えるのである.橋下氏に論破された有識者は,怨念を抱き,隙あらば反撃しようとして狙っているからである.

橋下氏にとって、ここが政治家として損な所である.負けた方が味方になる勝ち方をする必要がある.たとえば,叩きのめすのではなく,いくつか相手の意見を尊重したり,自分の悩みを吐露したり,それに助言を求めたりする事である.

この様に、法廷闘争なら、勝った,負けた,で終わるのだが、政治闘争では,デベートの結果,賛同者を増やす必要がある.ここが,法廷と政治の大きく違うところである.橋下氏には、激励を込めて、弁護士から政治家に成長して欲しいと思うのである.

そんなわけで、橋下氏のような熱血漢を大阪人は大事に育てなければならないし,同時に、大坂から政治の改革を実現して欲しいと思うのである.大阪人は3枚目で茶かすのではなく,ここ一番の2枚目を押し通して、真剣に政策を考え、改革を支えて欲しいと思うのである.

明治維新は薩摩、長州で、平成維新は大阪での初心を,改革論議が下火になった今、あえて、言いたいのである.

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2014.04.09

353  STAP細胞 騒動に一言

今年1月末,万能細胞である,ES細胞,IPS細胞に引き続いて,STAP細胞が発表され,世紀の発見として,世界の注目を浴びた.

その後,ネーチャー誌に掲載された論文に『事実と違う記載(画像)』があると内外の科学者から指摘され,『論文としては失格だ』,『論文は撤回すべきだ』,『科学者として失格だ』,等と厳しい指摘を受け,STAP細胞の信憑性の問題にまで議論が広がっているのである.

この指摘を受けて,理研は論文の精査を目的に調査委員会を組織し,次の判断を下した.(尚、STAP細胞の信憑性については調査委の対象外としている)

『論文にデータを加工したものが使われていたり,又,最重要な画像に,当実験で得た以外の画像が使われている事から,不正行為(改ざん、捏造)があった.』

これによって,理研としては,論文を撤回するのか,提出済みの国際特許も撤回するのか,,際特許申請時の厳しい審査はなんだったのか,責任問題はどうなるのか,STSAP細胞の信憑性についての精査はどうするのか、等,連鎖的に多くの問題が派生した事になったのである.

しかも,これらの対応が見えない為に,『論文が捏造された』と言う調査委の判断だけが,宙に浮いている感じになっているのである.

理研としては,多くの科学者の論文への批判に早急に答えないと,理研の信用にかかわる問題になるとして、あるいは、他の理由があっての事か知らないが,とりあえず,論文の評価 だけを急いで出した感じがするのである.

従って,世紀の大発見かどうかが問われている中で,理研の組織論理を優先した感じがするのである.その結果,理研の組織の在り方や責任論,あるいは、一般論としての科学者のモラルや論文の在り方に話が行ってしまい、肝心のSTAP細胞の信憑性について、理研はどう考えているのか、曖昧な状態になったのである.1月末発表の会見に対する所見を述べる義務があると思うのだが.

もう一つ気になることがある.一般に、『事実と違う記載』『過誤(過ち)』は次の理由で起こる.一つは悪意を持って記載する場合である.これを改ざん,捏造,偽装,と言う.もうひとつは,悪意のない場合である.これを,ミス,誤認などと言うのである.どちらか不明の場合は,『事実と違う記載』もしくは『過誤があった』と言うのである.

そして,悪意・故意があったか,なかったか(捏造かミスか)の判断は次のような状況を勘案して客観的に判断される事が多いのである.今回の事で言えば、次のようになる.

STAP細胞が作られている場合・・・・・・・・・・・・・・・・捏造する理由がなくなる.
STAP細胞が作られていない場合・・・・・・・・・・・・・・捏造と判断される.
STAP細胞が作られていると誤認していた場合・・・ 捏造する理由がなくなる.

理研調査委は,『STAP細胞の信憑性の精査』を棚上げにしているので,『捏造かミスか』の客観的要素で判断できないのである.『事実と違う記載』=『不正(改ざん,捏造)』 としていないか気になるのである.

私見によれば,まず、STAP細胞の確認と評価をした上で論文,特許の評価をすべきだったと思うのである.何よりも、世紀の発見か、どうかが問われているのだから、この面でも、精査の順番が違う感じがするのである.

科学者の中に、その論文に間違いがあれば、たとえ新たな発見があったとしても、認められない、と言う意見がある.その意見は、科学にとって、最も重要な発見があったかどうか、より、それを説明する論文の方が大事だ、と言っているように聞こえるのである.発見より『論文重視』の考え方である.勿論,論文より『発見重視』の考え方もある.過去の偉大な発見は当然,論文より『発見重視』であったのである.

理研調査委の発表を受けて,主執筆者の子保方氏は4月8日、『ミスはあったが,悪意を持って論文を仕上げたわけではない』と不服申し立てを行い、4月9日、記者会見を開いた.この中で小保方氏は,

『論文にミスがあったが、STAP細胞は存在しているのだから、捏造する理由がない』,『論文のミスは訂正している』,『論文を撤回すれば,国際的には,STAP細胞の存在を否定する事になり,撤回はしない』,と主張し,第三者による再調査を申し入れたのである.

主執筆者の主張としては筋の通った主張であったと思う.勿論,この主張を立証する為にはSTAP細胞の存在を早急に証明する必要がある.

しかし、理研は特許申請時に厳密な審議を行ったのだから、STAP細胞の存在を認めていたはずであり、だとすれば、論文を捏造する理由がなかったのである.それとも、理研は騙されたと言うのだろうか.ならば、『STAP細胞は存在していないから捏造だ』、と言うべきなのである.

どうも、理研の対応に筋が見えないのである.この際、原点に返って、次の様に進めるべきだと思うのである.

『特許申請時に、理研がSTAP細胞があると認めている上に,小保方氏がSTAP細胞があると会見でも言っているのだから,理研は,その再確認を早急にやる、その上で,特許や論文の評価をする』

この事に理研は歯切れが悪い.小保方氏の作った,いい加減な細胞を再確認しても意味がないと,密かに思っているのだろうか.それなら、なおのこと、確認する必要があると思うのである.

今回の件を通じて、感じた事を、いくつか列記しておきたい.

①そもそも科学的研究において捏造は犯罪かと言う問題である.捏造は結局、論理性でつぶされるか、実現せず淘汰される.科学者にとって捏造は何のメリットもないし、罰する程の事ではないように思う.ただし,捏造で,一時的に、何らかの対価が得られる場合は,勿論,責任が問われる事になると思うのだが. 

②STAP細胞に係わらず、大発見に係わる研究は不確実な事も多いと思う.全てクリアーに説明できない事もあると思う.研究途上であっても、研究発表の先陣争いをする事もあると思う.それだけに、もっと大きな視点で、研究をホローして欲しいと思う.

③やっぱり、間違いだった、と言う論文や研究は多いと思う.そうなる事を研究者や研究機関が恐れていたら、挑戦ができなくなる.研究者全体がそうならない事を願いたい.

④最後に思う事は、『大発見があったのか、なかったのか』、と言う基本的な事に理研としての所見を述べないのはなぜだろうか、今回の問題を取り仕切る責任者は誰なのだろうか、よくわからない事である.

理研は,いろんな分野の研究者の集団であり、理研に所属している研究者は外部の研究者と共同で研究する事もある、しかも、理研の研究者は契約社員であり、理研のロイヤリティより、研究者の師弟関係が強い感じもするのである.

これらを思うと,理研とは研究に必要な資金と場所を与える機関であり,それゆえ,研究の所見や責任をただしても、所詮,無理なのかもしれないのである.トラブル発生時の対応に弱さを感じるのは,このせいかもしれないのである.

かと言って,研究機関が一般の会社のようなピラミッド組織がよいとも思えないし,さてどうあるべきなのだろうか,研究機関の在り方に、新たな問題点が見えた感じである.

以上、一言のつもりが、ついつい,素朴な疑問に話が広がってしまった.

追記(4月16日) 

小保方氏の不服申し入れに対して、理研の対応が、まだ決まっていない中で,研究の指導役である笹井氏の会見が4月15日行われた.冒頭、今回の一連の事に対し謝罪を述べたのち、次の五つの発言があった.

①理研の調査委が下した判断(捏造,不正論文)に同意している.
②従って,STAP論文は撤回すべきだと考えている.(特許は不明)
③STAP細胞論文は有望な仮説のレベルにあると認識している.

④他の細胞をSTAP細胞に偽装すれば簡単に見破られる.

ここにあるように,論文の評価について,理研調査委の判断と同じとしたが,言葉の端々で,捏造,不正と言わず『過誤』と言っているので,これが本心ではないかと思うし,その方が『有望な仮説』と矛盾しないのである.

これを受けて、質疑応答で,もっと突っ込んで欲しかった事がある.

①共同研究者は、どんな検証を持って論文投稿や国際特許申請をしたのか.
②論文の過誤に対し,悪意を持った捏造と判断した理由は何か.
③小保方氏は何をもって出来たと言っていると思うか.
④小保方氏以外が多機能性マーカーの発現を確認しているのか.
④理研は小保方氏が保存しているSTAP細胞をなぜ,すぐに検証しないのか.

さて、今後、どの方向が向うのだろうか.すべての可能性を挙げてみた.

1.STAP細胞の存在有無を未確認の場合,
①論文に捏造があるとして,STAP細胞,論文,特許を白紙に戻す.(根拠?)
②論文にミスがあるが,STAP細胞,論文,特許をそのままにする.

2.STAP細胞の存在有無は未確認だが,有効な仮設だと認識した場合.
①論文に捏造があるとして,STAP細胞,論文,特許を白紙に戻す.(根拠?)
②論文にミスがあるが,STAP細胞,論文,特許をそのままにする.

3.STAP細胞が出来ていないと認定した場合.
①論文に捏造があるとして,STAP細胞,論文,特許を白紙に戻す.(悪意あり)
③論文にミスがあるとして,STAP細胞,論文,特許を白紙に戻す.(悪意なし)


4.STAP細胞が出来ていると間違って認識していた場合.
①論文に捏造があるとして,STAP細胞,論文,特許を白紙に戻す(捏造の根拠?)
③論文にミスがあるとして,STAP細胞,論文,特許を白紙に戻す.(悪意なし)

5.STAP細胞は不完全だが出来ていると認定した場合,
①論文に捏造があり,STAP細胞,論文,特許は白紙に戻す.(論文重視)
④論文に捏造があるが,STAP細胞,論文,特許はそのままにする.(発見重視)
③論文にミスがあるとして,STAP細胞,論文,特許を白紙に戻す.(論文超重視)
②論文にミスがあるが,STAP細胞,論文,特許はそのままにする.(発見重視

6.STAP細胞が出来ていると認定した場合.
①論文に捏造があるとして,STAP細胞,論文,特許を白紙に戻す.(論文重視)

②論文にミスがあるが,STAP細胞,論文,特許はそのままにする.(発見重視)

この様に,方向としては①②③④の四つである.ミスは白紙化に当たらないとすれば③はなくなり,実質,三つである.

さて,どれだろうか.どうも理研調査委の判断もそうだが、多くの科学者も,1.の①だと思っている節がある.だから,検証に熱が入らないのかもれ知れない. 国民としては勿論2.の②,もしくは,5.の②,6.の②を期待したいのである.(赤字部)

従って、理研調査委の判断を『ミスがあった』に戻して、既存メンバーも含めて、改めてSTAP細胞の可能性に結論を見出して欲しいのである.これまでの研究へのマナーだと思う.論文,特許,あるいは,責任論などの取り扱いはこの後でよいと思うのである.

理研は、それぐらいの大局観をもって対応すべきだと思う.目先の事で揉めているうちに、研究が海外に行ってしまうかもしれないのである.

追記(5月9日)

5月8日理研および理研調査委は小保方氏の不服申し立てと再調査の依頼に対し,これを却下し,当初通りの最終判断を発表した.これによると,

『STAP論文にミス画像にかわる本来の画像が提示されていない事から故意(悪意)による改ざん,捏造があったとして,不正論文と断定した.従って,論文の撤回を要求する』

これで小保方氏の『悪意のない間違いで、不正ではない』との主張は理研内部の判断ではあるが,退けられた事になったのである.

この判断を受けて理研では内部規定に基づいて,関係者を含めた懲戒問題に視点が移る事になる.又,この判断を受けて,ネイチャー誌の動きも注目される.

一方,小保方氏側は『結論ありきの判断で納得できない』,『論文は撤回しない』 としているが,『懲罰の内容がどうなるのか』,『小保方氏の今後の研究活動をどうなるのか』に焦点が移る事になる.これ如何によっては,名誉棄損,懲戒無効の法廷論争に発展する可能性もある.

結局、両者の対立は、小保方氏はSTAS細胞を確認しているのだから悪意をする必要がない,と言う.理研は,STAP細胞の有無とは無関係に,本来の画像が提示されていない事から故意(悪意)の改ざん、捏造があったと言うのである.

私見で言えば、『本来の画像がないから故意(悪意)があった』とする理研の論理は短絡的だと感じる.『アリバイがないから犯人だ』と言っているようなものである.加えて,何の為に故意を働いたのか,と言う客観的な事実に基づく動機を言わない所にも短絡的な面を感じるのである.

社会通念では、理研が『STAP細胞は存在していない事を隠す為に改ざん,捏造した』と言うならはっきりするのだが,『STAP細胞の存在有無はわからないが,故意による改ざん,捏造が行われたと判断した』では,動機が見えない分,説得力が欠けるのである.

科学者の,しかも論文重視の研究者方すれば動機など、どうでもよい事なのだろうか.裁きの世界では客観的な事実で動機を判断する事は罪状や情状酌量を考える上で極めて重要なのである.

従って,当初から述べているが,STAP細胞の存在有無を検証せずして,不正論文だと断定する事は早急すぎると思うのである.

もう一つ、違和感がある.これもすでに疑問視していた事だが、不正論文と断定したなら、その論文が国際特許申請も含めて、組織的にどのようなプロセスやチェックで作られてきたのかを解明することも必要であるが、これは『調査委の仕事ではない』と言うのだろうか.理研の調査委は芥川賞や直木賞の審査をしている風景に見えるのである.

研究の世界では緻密な論理が求められているはずが、人間の行動に対する善悪の判断になると、社会や裁判所より相当アバウトになる感じである.理研は裁判所ではないとは言うものの,実質,人を裁く事をやっているのであり、その重要性からすれば、せめて、第三者や司法に判断をゆだねるくらいの対応が必要だと思うのである.企業ならそうするのだが.

理研と言う、特権階級のプライドが、知らず知らずに社会から隔離された存在になっているとすれば、世界の潮流に逆行している事になる.理研が利権に変貌する温床にもなる.これもすでに指摘していることだが『理研』に代表される『独立の研究機関の在り方』につて、見直す必要があると思うのである.

さて,この論争はすんなり,『理研の幕引き』で終わるのだろうか.

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2014.04.07

352 調査捕鯨敗訴が示唆している事

南極海で行われている『日本の調査捕鯨は商業捕鯨だ』とオーストラリアが4年前に国際司法裁判所に訴えていた裁判に判決が出た.判決は日本の敗訴である.日本の南極海における調査捕鯨は『科学的な調査ではない』との判決が下ったのである.

この判決で南極海で日本は調査捕鯨が出来なくなっただけではなく、北太平洋等の調査捕鯨も、裁判に持ち込まれたら、敗訴する可能性も出て来たのである.

この判決に対し、日本国内の反応は『日本の食文化を奪う判決だ』と不満を言う人が多かったと思う.はっきり言って、こんな反応をするようでは敗訴しても当然だと思うのである.そんな反応をすると言う事は、『食文化の為に調査捕鯨をしていた』事を認めたようなものだからである.

提訴したオーストラリアとしては、本心はクジラを殺す事に反対であり,なんとしても日本の調査捕鯨をやめさせたいのだが,調査捕鯨が国際条約で認められている以上、これに反対できず、そこで、『日本の調査捕鯨は科学的でない』、『調査捕鯨に名を借りた商業捕鯨だ』と訴えたのである.そして、本心であるクジラを殺す食文化にも、調査捕鯨にも反対だと言わずに、南極海でのクジラの捕獲を禁止できたのである.同時に、シーシェパードの捕鯨妨害行為に大義を与えてしまったのである.

この訴えに対し、日本としては、科学的に調査捕鯨をしていると主張したと思うが,日本自ら調査に必要だとした捕鯨頭数に比べて、実際の捕獲頭数が大きく下回っていたり、クジラ肉の需要の低下と捕獲頭数が比例していたり、クジラ肉の販売で調査費をおぎなっているのだが、この調査費も売り上げに比例して低下していたり、捕獲しているクジラの種類が食用に偏っていたり、捕鯨以外の調査をしていなかったり,素人でも科学的ではないと分る実態が指摘され、冒頭の判決が下ったのである.

今回の判決は日本に大きな反省を促す事になったと思う.

まず、率直に言って,日本国民の反応にあったように、『調査の為の捕鯨』ではなく『食文化の為の調査捕鯨』と理解し、調査の科学性を,おろそかにしていた点を反省すべきだと思う.

多分、そうなった理由は,商業捕鯨禁止の例外として,科学的調査を条件に,各国に調査捕鯨が認められたのだが,科学的と言う定義が曖昧なことに乗じて,『調査捕鯨に名お借りた商業捕鯨が出来る』,『日本の食文化が守られる』と,思った所に,そもそもの間違いがあったと思うのである.

さらに反省すべき事は,『科学的調査』と言う曖昧さに乗じて,自国のナショナリズムや文化が入り込んだ事である.ルールが曖昧なら,他国から文句を言われない科学的な論理を作って,行動すべきなのである.ナショナリズムや文化で行動することは『昔からの食文化があるから捕鯨してもよい』と主張しているようなものであり、これでは国際社会では認められないのである.

こんなプアな事になったのは,行政,専門家,業界,の閉鎖的な社会の発想に原因があると思う.専門家より,しがらみのない素人の方が論理的な発想ができると、思わざるを得ないのである.

今後、日本としては,クジラの科学的調査を継続しつつ,クジラの量によっては,商業捕鯨を認める論理が必要である.

クジラに係わらず、マグロなど他の食文化も科学的根拠の下に位置づけられると思うのである.『昔からの文化だから』、『牛を殺せてもクジラは殺せないから』等と、文化や動物に対する感情を持ち出しても、世界を説得できる解は出せないのである.あくまでも,種の保全と生態系のバランスがあって,その次に,食文化があると思うのである.

所で,今回,あえて『調査捕鯨敗訴』を取り上げたのはすでに述べたように,『科学的な調査捕鯨』を国民の感覚で、『食文化の為の調査捕鯨』にすり替わる、言い換えると、『論理より文化を優先する』事の問題を示唆しているからである.

一般的に言えば,国際化とは『価値観・論理・制度』を共有化する事である.人や物が国境を越えて交流するからである.当然,固有の価値観や慣習,文化と葛藤が生まれるのである.

『日本異質論』ではないが、日本は島国で単一民族の日本であるが故に,国際化には,常に,大きな葛藤が伴うのである.日本は,明治以来,『和洋折衷』,『和魂洋才』と言う形で,現在も,国際化を進めているのだが,その過程で,日本的な慣習や文化が一枚一枚剥がれているのである.言い換えると,世界の論理に日本の文化・制度が駆逐されているとも言えるのである.

今回の『調査捕鯨敗訴』も『論理が文化を駆逐した』のである.今後,日本的文化を守るとしても,相手を説得できる論理が必要なのである.日本には優れた考え方や文化や制度がある.これらを失わない為にも,それらを『一般的な論理』に組み立てる必要がある.政治にも言える,日本の大きな課題だと思う.日本的な良い文化を箱庭のように守るだけでは,何時かローカルの古典に追いやられるか、国際社会のルールで消えて行くのである.

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2014.04.03

351 チリ大地震による津波注意報への疑問

気象庁はチリ大地震が発生した18時間後の4月3日AM 3時に、1メーター程度の第一波が5時30分頃、到着するという津波注意報を出した.多分、ハワイの観測データからシミュレーションした予報だと思う.

この津波注意報によって,深夜,海岸からの避難が始まったのである.例え1メーターと言っても、入り組んだ海岸や水深が浅い海岸は一気に津波が大きくなり、波のスピードも激流に化す可能性もあるからである.

ところが、発表から4 時間過ぎたAM 7時(チリ地震から22時間後)、到着予測時間から1時間30分過ぎているのだが、第一波は来ていないのである.津波注意報も4 時間前のままである.

この気象庁の姿勢に疑問を感じるのである.それは、到着予測時間を過ぎているにもかかわらず、最初の注意報に対するコメントもなければ、最新データによる今後の予測の説明もないからである.

言うまでもなく、津波は連続現象である.1万5千キロ離れたチリで発生した波が日本にいつ到着するかの予測は難しいとしても、ハワイのデータで予測しているのだから、予測は天気予報より簡単なはずである.ましてや、それから4時間もたっているのだから、予測精度はさらに高まっていると思うのである.

にもかかわらず、最初の注意報をそのまま掲げて,引き続き注意を呼び掛けている事に疑問を抱くのである.

避難している住民や事業者からすれば,第一波の予想到着時間がとっくに過ぎているのだから,今後,津波が発生するのか,しないのか,発生するなら,地域,何時,津波の大きさ,等の最新情報を知りたいのである.

何故、気象庁は最初の津波注意報をそのままにしているのだろうか.何故、最新の予報を出さないのだろうか.不思議に思うのである.その理由を勝手に推測してみた.

①津波の予測誤差の範囲内であり、最初の注意報を変える必要がないから.
②波状的に起こる津波の予測では,いちいち時刻や規模を言えないから,
③最新データで最新予測を言うと,混乱を与えるから.
④最新データで最新予測を言うと,気象庁の予測能力が疑われるから,
⑤最初のままにしておいた方が、現実と違っても,言い訳が立つから,

さて、どれだろうか.ほかにも理由があるのだろうか.住民の心情からすれば,なんの説明もなく,古い津波注意報を掲げたままで,『今後も注意が必要だ』では収まらないのである.

正直言って,気象庁は,あまりにも無責任な感じがする.ちゃんと仕事をしてくれ,と言いたくなるのである.予測技術が未熟で,予測出来ないなら,そう言えばよいのである.それも言わず,注意報を出しっぱなしは気象庁の保身としか思えないのである.

テレビも勝手に第2は第3波のことを口にして、通り一遍の注意を促している.のではなく,住民の身になって,発表から4時間もたっているのだから、最新データによる今後の予測がどうなっているのかを記者会見の場で聞き出すべきなのである.

そんなわけで、朝7時時点で、深夜3 時発表の津波注意報を,そのままにして,まだか,まだかと,津波が来るのを待っている情景に違和感を感じるのである.テレビレポーターが海岸に出向いて,潮位に変化がありませんと,全国に放送している姿も滑稽に見えるのである.そのシーンに,気象庁の保身の匂いが漂っていると感じるのである.

このように感じるのは,遠隔の地の地震による津波予測は天気予報より簡単だと思っているからである.同時に東日本大震災の津波警報の反省が生かされていないと思うのである.

私が思った東日本大震災の津波警報に関する問題点はこうである.

①3月11日14時46分 巨大地震発生
②3月11日14時49分 津波警報発信(3~6m)
3月11日14時59分 津波観測値発表(10㎝)後日取り消し
④3月11日15時14分 津波警報変更(10m~)
⑤3月11日15時20分 巨大津波が各地で上陸 

問題は③の観測値の発表である.後日,この観測地は取り消されたが,一瞬,住民は波の低さに安堵したと思う.其の分,緊迫感が薄くなったと思うのである.第一波到着予想時刻の観測値の発表は住民が到着予想時刻を信じている為に,誤解を生みやすいのである.

今回のチリ地震による津波予想も,到着予想時刻に何も起こらず,同じように安堵を与えたと思う.今回はずっと後で潮位の10㎝程度の上昇で済んだが,観測値を言う場合は,その後,どうなるのか,前に出した警報や注意報にこだわらずに,最新予想値を言うべきなのである.

素人から見た意見を述べたが,誤認,誤解があれば,気象庁に文句を言った事をお詫びしたい.

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