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2014.06.18

357 日本の安全保障問題と憲法の考察

安倍総理は安全保障の強化の為に,現憲法下で取りえる強化策について議論を始めた.特に個別的自衛権に加えて,従来,行使出来ないとして来た集団的自衛権を限定的に(第9条に違反しない範囲で)行使出来るように検討すると言う.(ちなみにドイツは国連およびNATOの加盟国として,集団的自衛権の行使を決意している)

又,国連決議に基づく,集団安全保障活動で日本がどこまで参加できるのかも議論される.さらに言えば,個別的自衛権の分野になるが,他国の武装漁民が島に上陸し,実効支配しようとした時の対応についても検討すると言う.

この議論の前に,改めて,現行憲法の成り立ちについて整理しておきたい.

この第9条は『もう戦争は絶対嫌だ』と言う国民の声、悪い日本を無力化したい連合軍、反共の砦として日本に米国軍を駐留させたい米国、経済復興一本に集中したい日本政府,の思惑が一致して制定されたのだと思う.

1946年公布された当時,米国の統治下にあった事もあって,当時の吉田茂総理は、自衛権も放棄していると憲法を解釈していたのである.まさに日本は米国に統治された『非武装国家』から戦後の歴史が始まったのである.

1952年サンフランシスコ講和条約の発効で日本の独立が認められると、吉田総理は憲法解釈を変更して、独立国に専守防衛の自然権がある事は当然だとして,1954年自衛隊を編成したのである.そして,1960年日米安全保障条約を締結し,今日の米国軍の駐留による安全保障体制を作ったのである.

吉田総理は自衛隊発足時、憲法解釈ではなく,憲法を改定すべきだったと思うが,当時としては,憲法改定の方法もなく、実際、改定の法律を作り、国会で成立させ、憲法改定内容を作り、国会発議をして、国民投票にかける、と言う膨大な作業をする時間はなかったと思われる.それより、経済復興に専念する事が最優先で、国民の信を得た新憲法を作ることは後世の宿題にしたのである.

結局,その後,今日に至るまで,驚くことに,憲法改定手続きも作らず,勿論,憲法改定もされず占領下の憲法がそのまま、国民の手が届かない所に祭られているのである.米国の現憲法草案者すらも憲法が改定されていない事に驚いていると言うのである.

上記の経緯でも明らかなように、現憲法には多くの問題点(ここでは省略するが)を抱えたまま、放置されているのである.

その問題点の中で、安全保障に関する事を洗い出しておきたい.

1.先ず、第9条の『戦争の定義』の問題である.

第9条の放棄した『戦争の定義』がない事が,いつも,憲法解釈の議論を呼ぶのである.今回の安全保障強化の議論も,第9条の戦争の定義をはっきりしていない事で,複雑になる.そこで『放棄したとする戦争の定義』だが,次の二つの考え方がある.

① 自衛権行使に『専守防衛』と言う制約を付ける事で,第9条に抵触しないとの考え方.と言うことは,第9条で言う『戦争放棄』とは,『自衛戦争』も含まれると解釈した上で,例外的に,専守防衛行動は許されるとした.

② 『戦争放棄』とは,先の『侵略戦争』を指しており,自衛戦争は,これに含まれない,と言う考え方.論理としては,はっきりする.しかし,そう解釈すると,『何をやっても自衛の為』と言う大義で戦争が勃発し,第9条が空洞化してしまう可能性がある.そこで,暴走を防ぐ為に,自衛権行使に『専守防衛』と言う制約を付けているとした.

さて、『第9条の戦争放棄』と『自衛権行使』の関係をどう考えるべきか、今更ながら、曖昧なのである.合憲とした司法も、どちらの解釈をしたのか定かではない.この問題は、次の事態になった時、窮地に立たされるのである.

2.自衛権行使が戦争状態になった時の問題

自衛権は攻撃を抑止する意味が大きいが,もし、自衛権行使(専守防衛行動)によって戦争状態になった時,第9条に従って戦争を放棄するのか,自衛戦争の大義で戦争を続けるのかの問題にぶち当たるのである

3.日本の安全保障全般にわたる問題

①専守防衛だけで個別的自衛権が機能するのか,国際法,国連決議,集団安全保障,国際的テロ,サイバーテロ,毒物テロ,武器の技術革新・無人化,等への対応をどうするのか、日本はこれまで、これらの問題に思考停止していたが,今後もこのままで良いのか.

②自衛隊が憲法に記述されていない事で、国内では軍隊ではなく、国内法が適用される.有事の時の自衛隊の行動の法的根拠(有事法制)も作れない.武装漁民(相手国の軍隊ではない)が島に上陸した時の武力による対抗方法がない.などの問題がある.

そんな訳で,日本国憲法は,『理念は高いが、非現実的』、『理念は高いが、安全保障は隙だらけ』、国際的には『理念は高いが、何もせず』、さらに、『理念は高いが世界から孤立』になっているのである.

4.第9条は実質無効になっているとする説もある.

①第9条の前提が崩れているのだから、第9条は無効だという説もある.前提とは憲法の前文である.

前文では、『平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われわれの安全と生存を保持しようと決意した』とあり、その結果、『第9条の戦争放棄と非武装を宣言した』のである.従って、諸国民が信頼できない状態であれば、第9条は無効だと言うのである.筋は通っている説である.

来、『平和を愛する諸国民を信頼して戦争放棄、非武装を憲法に書く事』、自体が独立国として不思議なのだが,『米国占領下の憲法』と捉えれば不思議ではない.

すなわち,『諸国民(連合国)の言う通りにするから、武力も交戦権も戦争も放棄する』(無条件降伏)となるからである.護憲論者は独立後も,それで良いと言うのだろうか.

しかし,独立国の憲法として,戦勝国に日本は『服従するから非武装にする』はないのである.こんな憲法を今日まで改定しなかった日本は本当に憲法改定できるのか不安になるのである.それとも,日本は未だ米国の配下にあるのだから第9条のままで良いと言うのだろうか.

自衛隊を合憲と司法が判断した事によって,第9条第2項(交戦権放棄)は意味がなくなったという説もある.自衛と言う交戦権の行使を認めたからである.

以上,安全保障については問題だらけの憲法なのである.この憲法の上で、これ以上議論することのむなしさを感じるのである.言葉遊びになるからである.

そこで、新憲法の制定が急がれるのだが、なんと言っても、日本の安全保障に関する考え方を政治家も国民も、しっかり持っている必要がある.しかし、現憲法に思考まで縛られて、覚悟をもって、真剣に議論してこなかったように思う.その結果、米国占領下の一国平和主義に止まっている感じがするのである.

そこで、本来,どうあるべきか、を考える時の選択肢を挙げてみた.

①いかなる戦争も放棄し,交戦権も武力も持たない.
②限定的な個別的自衛行動(専守防衛)を行う.
③国連憲章で認められた個別的自衛行動を行う.
④限定的な集団的自衛行動を行う
⑤国連憲章で認められた集団的自衛行動を行う.
⑥限定的な集団安全保障活動を行う.
⑦国連決議に従って,集団安全保障活動を行う.

さて、どう考えるべきなのだろうか.各政党は、しっかりした考え方と覚悟をもって、『安全保障のあり方』を作り、これを争点に選挙をすべきだと思うのである.それを踏まえて、憲法改定案の作成、国会発議、国民投票に進むべきだと思う.

とは言うものの、憲法改定案の作成にしても、国会や国民から憲法改定案に対する賛否の取り方にしても、国民投票の仕方や期間にしても、関連法律の改定にしても、課題は山済みである.

私見では10年くらいかかりそうである.ひょっとすると、改定すら出来ないかもしれないのである.3分の1の反対で国会発議が出来ないからである.だとすると、世界情勢への対応で憲法解釈変更を繰り返すしかなくなるのである.そうなれば,第9条の空洞化まで解釈が進むかもしれないのである.

そんな中,政府与党は現憲法の解釈変更で出来る範囲の検討を始めた.

政府,与党は,現実の国際情勢に対応する為、憲法解釈で実現できる範囲で,冒頭の議論を始めたのである.具体的には、従来の限定的個別的自衛権に加えて,集団的自衛権への対応の問題、集団的安全保障への対応の問題,武装漁民の不法上陸への対応の問題(有事対応)を政策課題にあげたのである.

いづれも、第9条に抵触しない内容の検討をせざるを得ないのだが,個別的自衛権と同じように、限定的とか制約付とかの修飾語がついて回る議論になりそうである.しかし,いくら修飾語をつけても、第9条との関係は増々わかりづらくなると思う.

このような政府,自民党の動きに対し、『日本の右傾化』、『戦前への回帰』だと非難する国がある.日本が自国の発展にとって邪魔で、日本を無力化のままにしておきたいと思っている国である.又,最も軍事に力を入れている国でもある.自己中の分かり易い反応である.

国内にも,『戦争が出来る国になる』、『殺したり、殺される国になる』,『徴兵制が復活する』などと、これらの検討に反対している党や人がいる.もともと,護憲論者で、戦争放棄、非武装論者である.しかし,それで日本の安全保障をどうすべきなのかビジョンが見えないのである.危機を煽って,自分達の支持を増やせば良いと考えている様に見えるのである.

この人達は平和を守る為に、命を懸けて戦っている人に、口をつぐむのである.又,『安全保障は話し合いで行うべきだ』と良く言うが、その人達に、頼むから、『相手国に言ってくれ』と言いたくなるのである.

以上が『現憲法下』の安全保障の難しさを述べた.各政党は持論を掲げ議論すべきだと思う.対案もなく,政府与党の批判だけでは、議論にならないからである.

最期に将来の『憲法改定に向けての基本的な問題』を挙げておきたい.

従来のように、憲法改定手続のない中での無責任な議論ではなく,憲法を改定する前提で、建設的な議論をして欲しいと思う.そこで,是非、議論して欲しいテーマがある.

①一つ目は『憲法の在り方』の問題である.

・まず、憲法で『武器や軍隊は戦争の抑止,交渉の圧力と言う意味と,いざと言う時の実力行使の為に保持する.その行使内容は文民統制で行う』と極めてシンプルな憲法の定めにする考え方ある.

特徴は安全保障の行動内容を,憲法で明文化していない事である.明文化しようとしても安全保障の行為を定義出来ない事も理由である.例えば、自衛と言う言葉は過去の戦争を全て自衛戦争だとも言える位、概念の幅が広く,かつ、一国が独善的、恣意的に使う言葉である.それゆえ、憲法で『自衛の為の・・・』と言えば青天井になるのである.

もっと基本的な考えは、『安全保障の行為』を,その時々の,文民が考えるべきだとしている事である.まさに主権在民の民主主義を地で行く考え方である.当然の事ながら、安全保障政策が常に選挙の争点になる.

・一方、現日本憲法のように安全保障の考え方,行為を憲法に記す方法もある.その時々の文民の意思より,憲法で規定しようとする考え方である.その時々の文民の意思に左右させないとの考え方である.

言うなれば,憲法はバイブルであって,政治の手段ではないとの考え方である.従って、憲法改定はしない方がよいと考えるのである.憲法は国民が作るものではなく、与えられるものだ、と言う律令制度のDNAを引きずっているのかもしれない.

この考え方は、情勢によって憲法が足かせになる事も考えられる.文民統制や民主主義が信頼出来ないとの思いも背景にあるかもしれない.又、この考え方の憲法の下では、いろんな出来事に対応する為に、まず、憲法解釈から議論が始まる.この憲法解釈論争は最終的には司法の判断となり、民主主義より司法が優先される事になるのである.

司法の憲法解釈なしに対策が打てないことになると、これは『立憲主義』ではなく、実態は『お代官様主義』になる.まさに、現在の日本と同じ状態が続くことになる.

これは、安全保障問題だけではなく、日本国憲法は理念的な記述が多く、どの条文も解釈の幅がある.従って、司法権はその分、大きくなっているのが特徴である.民意より司法の解釈が優先する社会に民主主義の危機を感じるのである.

さて『文民統制を重視するか』,『憲法を重視するか』,次の憲法をつくる時、是非検討すべき大きなテーマだと思う.

私見によれば,憲法で理念や抽象的なことを書かない方が良いと思う.言葉を定義することが困難だからである.従って,憲法では軍と武器の保有を宣言し,その行使は文民で決断すると言う文民重視の考え方が適切だと思うのである.

②二つ目は『憲法改定内容の賛否の取り方』の問題である.

68年間も凍結状態になっている憲法改正は大掛かりな改正になる.そこで、国会発議もそうだが、国民投票で賛否を得る方法が極めて難しくなる.

あの条文は賛成だが、この条文は反対だ、が起こるからである.多くの条文変更に対して、一票で意思表示できるわけがないのである.かと言って、条文ごとに国会発議と国民投票を行うことになるのだろうか.

人や政党を選ぶ選挙のように,アバウトでは済まないし,頻繁に改正出来ないのである.何か良い方法を考える必要がありそうである.さらに言えば投票期間や投票方法なども具体的に検討すべきだと思う.今のところ、心配するだけで、対案は持ち合わせていない.

さらに言えば,憲法改定内容にもよるが,改定によって,膨大な既存の法律を見直し,国会の審議も必要になる.そこで,もめる事も考えられる.そんなわけで.憲法改定には10年くらいかかるかもしれないのである.

その期間中で、世界の情勢も変わる可能性もある.とにかく、68年間、改正手続きも持たず、憲法を改正して来なかったツケが大きく、改定内容も、投票の仕方も、関連法案の改定も、本当に日本人が出来るのか、きわめて不安になるのである.

以上、現憲法下の安全保障の問題と今後の憲法改定について、本質的な問題を述べて来た.是非、これで議論を展開して欲しいと思うのである.

特に、安全保障問題に関しては、政府の説明不足だとか,よくわからないとか、と言って批判する事こそ問題である.わからなかったら学び、そのうえで、自ら考え、判断する事が絶対必要である.それくらい個人と直結している問題なのである.

最近,『知らない』と言う事を自慢げに言う人がいる.知らないのは自分のせいではないと言わんばかりである. 

『知る権利』とは黙っていても『教えてもらえる権利』ではない.『知ろうとする事を阻害されない権利』である.知らない事は知る努力をしていない,恥ずかしい事だ言うことを自覚すべきだと思うのである.

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