« 361 政務活動費問題に厳正なる処分を | トップページ | 363 個人情報・個人関連情報とプライバシーの課題 »

2014.07.19

362 司法裁量権乱用による民主主義の空洞化

現憲法では理念的、抽象的、な表現が多く、憲法内に,論理矛盾もあり、合憲・違憲の判断に,司法の解釈が不可欠になる.その為に,司法としては,合憲・違憲の判断基準を持たないと,判断が出来ない事になる.

憲法解釈で難しいのは重要な安全保障に関する事である. 当ブログNO357 日本の安全保障問題と憲法でも触れているが、現在もいろんな解釈論があって、物差しが定まっていない.これでは立憲主義の憲法にならないのである.それでも司法が合憲・違憲の判断するのであれば、立憲主義の乱用になってしまうのである.

そんな状態で司法の解釈にゆだねて良いのか、国民や政治の意思で決めるべきではないか、と言う素朴な疑問が湧く.憲法が完ぺきではないだけに、立憲主義より民意が大事だと思う局面が多いのである.その為に、主権在民と言う民主主義があると思うのである.民意を信頼しない人ほど、司法権や立憲主義を唱えている感じがするのである.

安全保障問題だけではなく、平等、人権、生存権、公共性、等、理念はあっても、その合憲・違憲の判断基準は定かでないのだが、そんな状態で、合憲・違憲の判断が、司法の解釈にゆだねられれば,国民や議会の解釈より,司法の解釈が優先される事になるのである

最近の判決でいえば、一票の格差問題による選挙無効訴訟で、行政区を無視して人口比で議席を作るべきだとかと、選挙制度に口を出ししたり、原発再稼働差し止め訴訟では、『憲法で保障された生存権を脅かすからダメだ』と言って、規制庁や政府、自治体のプロセスを無視した判決を出したり、目に余る横暴ぶりなのである.

上記の例で言えば、選挙無効とする格差とはどの程度の格差を言うのか、そもそも格差とは人口比だけで良いのか、原発再稼働差し止め判決で言えば科学技術の高度化が持つリスクがどの程度あれば生存権を脅かすと判断するのか等、はっきりしないのである.

さらに、国民や政治の憲法解釈より、司法の解釈を優先する事に抵抗感がない国民性にも心配がある.その国民性は、お上意識やお代官様意識から来ていると思ったりもするからである.そんな意識が、憲法は作るものではなく、与えられるもの、との意識を生み、憲法を国民の手の届かない所に祭っておくものと,なっていれば,これも又,問題なのである.

そんな問題意識から、『司法の裁量権が立憲主義の乱用に繋がるのではないか』と気になるのである.そこで、その気になる事を整理してみた.

①立憲主義を勘違いしていないか.

立憲主義とは、憲法の役割を国家権力の暴走を防ぐ事だとしている.この役割を果たすために、憲法の条文と,その条文の解釈による合憲・違憲の判断基準だと思う.

ところが、この国家権力を縛る役割りが司法権にあると勘違いしている可能性がある.もしそうだとすると、司法権の裁量で国家権力を縛れる事になる.まさに『司法独裁政治』になるのである.この勘違いはないだろうか.学説は知らなしが,素朴に思うことである.

従って、憲法条文に対し、何をもって、合憲、違憲とするのかを、あらかじめ決まっていない場合は立憲主義の役割りを果たせないことになり、其の場合は,議会の判断にゆだねざるを得ないと思うのである.

②司法の裁量権が大きくなると、政治闘争の手段になり,民主主義が空洞化する.

政策の判断は選挙や議会で決まるのだが、司法の裁量権(司法の憲法解釈次第)で立憲主義の役割りが発揮されたら、民意を無視して、政策を無効にすることも可能になるのである(民主主義の空洞化)

この司法の裁量権を利用して、政治勢力が弱い(国民の支持が低い)政治集団が、憲法違反の訴訟を起こすケースが出てくる.思想的に同じくする裁判官を狙って、政策無効の訴訟を起こせば、無効になる確率が上がるからである.(勿論、最高裁の判断まで行くが)

この戦法は少数勢力にとって,民主主義で負けても、司法では勝つ可能性が出てくるのである.又、議会で自己主張する時間がなくても、司法の場ではタップリその時間は与えられるのである.この司法での政治闘争を通じて、支持者も増やせるかも知れないのである.こんなことがまかり通れば,民主主義が空洞化するのである.

さて、このような懸念をどう防ぐか、浅額の私には難しい問題だが、こんな風に考えてみた.

単純に言えば、差し止め訴訟当は政治や行政に訴えるべきであって、司法としては門前払いにしたり、又、司法として憲法合否の物差しを示せないものは、立憲主義が機能しなくなるのだから、立法府(国民の)の判断にゆだねたりすべきだと思うのである.

最近どうも、司法権が立憲主義の機能を持っていると勘違いして、基準も示さず、感情的、俗人的な、思想的、解釈で、違憲を言う傾向がある.その裏に、政治闘争の影が見え隠れしているのである.

又、裁判官に『正義を守る』と言う志があるようだが、憲法や法律に正義などと言う条文はない.裁判官の仕事は恣意的な正義ではなく、憲法条文、合否の基準で裁くことである.

この司法権の勘違いをなくす事が、司法独裁、司法の政治利用、議会や選挙の空洞化、を防ぐことにつながると思うのである.

.

|

« 361 政務活動費問題に厳正なる処分を | トップページ | 363 個人情報・個人関連情報とプライバシーの課題 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/134518/59999430

この記事へのトラックバック一覧です: 362 司法裁量権乱用による民主主義の空洞化:

« 361 政務活動費問題に厳正なる処分を | トップページ | 363 個人情報・個人関連情報とプライバシーの課題 »