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2014.10.10

372 グローバル化(ボーダーレス化)と日本文化・制度の行方

世界各地の文化が他国に広がるのは、人の移動もあるが、国力の影響もある.極東に位置する島国日本は、世界勢力の変化とともに、その影響を受けてきのである.

日本の文化を反物に例えると,古来の文化(単一民族,神教,天皇,稲作民族)を縦糸に,飛鳥・奈良時代、平安・鎌倉・室町時代、江戸時代、明治時代、戦後の時代、それぞれに、中国、欧州、米国の文化を横糸として受け入れ,日本独特の和魂漢才,和魂洋才,和洋折衷の文化を編んで来たのである.

分かり易いのは料理である.日本ほど世界の料理を日本風にアレンジして食べている国はない.しかも、稲作文化の日本料理は小麦文化の西洋料理に凌駕されているのである.一方、その日本料理が小麦文化圏で人気を得ていると言うのだから、西洋は洋魂和才になるかも知れないのである.

現在、日本は和魂洋才,和洋折衷,であるが、和の部分が少なくなる傾向にある.料理に見られるように、将来、和が古典になって、洋魂洋才になってしまうかも知れないのである.一方、海外では,洋魂和才、洋和折衷になって行くかも知れないのである.きわめて興味の湧くところである.

ところで、このような、融合文化の流れに、新たな動きがある.『ボーダーレスと言う意味のグローバル化』の動きである.人・物・金・情報が頻繁に国家間を行きかう時代で起こる必然的な動きである.情報ネット社会では、すでに、ボーダレスになっているのである.

この『ボーダレスと言うグローバル化』は,従来の『国の差を認め合う事』『文化・制度を融合する事』ではなく,『国の差をなくす事』『文化・制度を統一する事』を意味しているのである.勿論,従来以上に文化・制度,或いは,国益との激しい葛藤が伴うのである.

そんな時代に,各国はボーダーとボーダーレスの切り分けが求められる.日本も同じだが簡単ではない.日本独特の文化を縦糸に、他国の文化を横糸にして来た日本にとって、ボーダレス化は縦糸をどうするかと言う問題になるからである.

そこで、他国から異質と見られるであろう日本の文化の縦糸を,いくつかピックアップしてみた.いずれも、グローバル化、ボーダレス化の大きなテーマになる事ばかりである.

① 言葉の障壁

どの国でも母国語はその国の文化の象徴である.しかし、母国語人口が少なく、その言葉しか知らなければ、グ゙ローバル化の大きな障壁になる.日本語も少数派であり、当然、日本人は英語を身に着けざるを得ないのである.

新興国の急速な進展は、各人が生きる為に英語を必死に身に着けて来た事と関係している.日本では、生きる為と言ったひっ迫感がない.従って、いくら学校で英語教育をやっても、身に付くわけがないのである.

そんなわけで、日本のグローバル化にとって、言葉の障壁はきわめて大きいのである.日本は英語力の弱さで、政治、経済、技術、芸術、等すべての分野で、英語圏や新興国から取り残されるかの知れないのである.和の文化に浸ってばかりで、いられないのである.

更に重要な問題がある.こんな例がある.娘が英語で話すと、しっかりしている娘に見えるのだが.日本語で話すと、何を言いたいのか,どうしたいのか,よくわからない、頼りのない娘に見えるのだと言う.日本語は曖昧表現が得意だが,英語では,はっきり言わざるを得ない言語だからである.

日本語は、経験知識が共有された同一民族同士が使う言葉である.言わなくても分かり合える文化の中の言葉である.特に問題は、いろんな事を言う割に、結局、結論を最後に言う時、相手の顔色を見て、色んな言い回しで、曖昧にする事が簡単に出来る事である.聞いている方も、それで納得したりするのである.

英語は,経験知識が共有されない多民族同士が使う言葉である.はっきり、自分の主張を言わないと通じないのである.勿論、グローバル時代では、自分の立論力、自己主張力、と英語が必要になるのである.

大事な事は,同一民族社会では,この立論力,自己主張力,はそれほど要求されないどころか、抑制されがちになるが、多民族社会では,それでは生きていけない事である.

ところで、英文に翻訳する前提で日本文を書く時、言いたい事がいかに曖昧であるかに気づかされる.多分、英語を使う時も、自己主張である動詞を何にするか、とっさに出てこない事と同じである.

日本語でも、立論力を鍛え、言いたい事をはっきり持ちたいと思うが、英語を身に着けると言う事は,これが無条件に鍛えられるのである.言語知識以上に英語が必要になる理由である.

② 日本人の宗教心・信仰心の曖昧さ

この問題も、良し悪しは別にして、他国から奇妙に見られているのである.

・最大の疑念は世界の半数が信仰するキリスト教やイスラム教の信者が1%もいない.
・仏教や神教の形式に従って,区別なく宗教的催事をしている.
・仏教や神教の経典など理解しないまま,祈念している.
・神社・仏閣を,歴史,建築,芸術,植物,等のテーマパークとして訪れている.

・キリスト教の催事は本来の意味を無視して商業目的に行われるいる.

こうなった理由は多くあると思うが,一神教の人から見ると,日本人は本当に宗教心があるのか,ないのか,不気味に思われるのである.

『あなたの信仰はなに』と聞かれて,思わず言葉が出て来ないのだが,わけのわからぬまま,家の墓があるお寺を思い出して仏教の真言宗などと答えたりする.一方,『結婚式は何式で』と聞かれると,誇らしげに,『教会』などと答えたりするのである.

宗教とは,先祖や子孫を人質にとって,生きてる者の行動規範を教えたり,祈る事で精神的苦痛を軽くするものだと思うが.日本人はこの事を特定の宗教に求めていないのである.宗教儀式なども,それぞれの様式に抵抗がないのである.

日本人はバイブルを持つでもなく各宗教の経典を深く知らない事も含めて,日本人は『一神教』でもなく『多神教』でもなく,『無神教』かもしれないのである.日本人の宗教心・信仰心,或いは精神文化を一神教の人達に,どう伝えるのか,大きな課題である.

③ 単一民族,血統主義が持つ異質性

これも,多国から見ると異質な国に見える.

・国籍の血統主義の異質性(多くの国は出生地主義)
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・日本人は村社会で,閉鎖的で,横並び志向で,個人の主張が見えない.
・小柄,黒髪の人ばかりで,多国から見ると,閉鎖的,排他的,にみえる.
・類似した民族同士(血統主義の中国,韓国)は生理的に仲が悪い.
・海外で地元と同化せず,単一民族で群れる(チャイナタウン,コリアンタウン,日本人街)

・多民族国家になる事を嫌い,多民族の受け入れ準備もない.

果たして今後,純潔を守る国になるのか,混血,多民族国家になるのか,大きな問題である.中国や韓国のように世界に中国系,韓国系の人口を増やして,本国の異質性を低くみせる戦力も必要かもしれない.日本には,明示された戦略はない.

ただ現在,世界では民族・宗教を同じくする国の独立が叫ばれ,境線の引き直し紛争が起こっている.戦争で政治的に引かれた国境を基に戻そうとする動きである.グローバル化の動きが民族・宗教の独立運動に点火した感じである.

それを見ると,単一民族,血統主義は国内に争いが起こらいと言う意味では安定的だが,それを守るとしても,国際間の交流の壁にならないような文化・制度が必要だと思うのである. 

④ 曖昧な日本人の和と競争の考え方

日本人は『和』が必要とする場合と,『競争』が必要とする場合の切り分けが曖昧である.海外から見ると,談合,根回しも,景気対策と称する予算のばらまきも,人間関係を重んじる商取引も,年功序列の賃金体系も,企業間の株の持ち合いも,別途協議ばかりが多い契約書も,和の精神に見えたりする.『和』とは『秩序を重んじる精神』に見えるのである.

一方では,自由・競争・自己責任・社会を認めながら,『過度な競争はダメだ』,『競争原理主義はダメだ』,とよく言うが,『じゃどうすれば良いのか』が聞えて来ないのである.

社会全体が機能体(競争の精神)と共同体(和の精神)の区別がなく,文化的にも制度的にも,『足して2で割る中途半端な精神と仕組』になっているのである.日本人の『金儲け』『自己主張』は秩序を乱す事だとして,陽に表に出さない精神文化が根底にあるのかも知れない.

そんな日本には,ラクビーで言う『正々堂々と激しく戦う精神』と『試合後のノーサイドの精神』を持つ必要があると思う.試合中にノーサイドの精神を出せば,弱くなるし,真剣にやる相手にも失礼なのである.

国の制度においても,企業内においても,公務員においても,個人においても,この二つの精神を分ける必要があると思う.足して2で割る精神では,冗長度や曖昧さを生み,グローバルな競争には勝てないと思うのである.

国全体でみると,北欧などは徹底した競争世界と、徹底した社会福祉世界を持っている.企業の役割りと国の役割りがはっきりしているのである.日本のように企業に社会福祉などの負担を強いることはないのである.

米国などは自由,個人主義,自己責任を根底に持ち,競争の世界と勝者による寄付の世界を併せ持つ国柄である.伝統的には国に依存する精神が少ないのである.

たとえば研究開発で言えば,日本は大学,専門の研究機関,もしくは,企業で行われるが,予算の制約や失敗のリスクから,研究開発費や積極性に抑制がかかる.結果,研究開発が中途半端になるのである.

一方,米国は,研究開発のリスクをベンチャーキャピタルや寄付が受け持つのである.キャピタルからすれば,たとえば10件の投資の内,1件の成功があれば,投資回収できると考えるのである.この環境によって,研究者は思い切った研究に没頭できるのである.まさに研究開発に自由・競争の精神が取り入れられているのである.

ヨーロッパ諸国は長い戦争の歴史を経て,社会主義的政策が多い.秩序重視の精神もあって,足して2で割る様な,『なんとなく緩んだ世界』になっていると感じる.日本も似たところがあるが.特に日本的経営は、まさに足して2で割る文化、はっきりしない文化になっているのである.

⑤ 羞恥,謙虚,滅私,横並び、曖昧の合理性,等の異質性

これらは仏教の教えであるが,そもそも,農耕民族の持つ国民性でもある.その教えは,争いを起こさず,村社会の秩序を乱さないように,煩悩(欲)を捨てる事を人の行動基準にしているのである.しかし,煩悩は動物も含めて,生きる為に備わった本能だけに,捨てる事は不可能なのだが,仏教はそれを目標にかかげて,存続しているのである.

世界中が農耕民族の仏教信者なら,この教えで良いのだが,残念ながら,世界は狩猟民族,砂漠の遊牧民族の宗教である.極端に言えば,煩悩を前提に理性を説き,行動規範にしているのである.従って,羞恥,謙虚,滅私,曖昧の合理性,ではとてもグローバルな文化の中では通用しないのである.それどころか,相手を重んじる精神文化は相手に付け込まれる危険性があると思うのである.

ここで言う『曖昧な合理性』とは,単一民族,,農耕民族,村社会,の日本文化を象徴する言葉である.『具体的に詰めるより,曖昧にしておいた方が,合理的だ』と言う精神文化を指している.ここには,二つの精神がある.

一つは,決めなくても,当たり前の事があって,誰でもが,それを共有し,臨機応変に実行する,と言う精神である.

二つ目は,この時点で,細かく決めるより,決めない方がうまく行く,との精神である.詰めるべき内容は知っているが,それをぶつけると争いになる事を懸念して,別途協議事項にするのである.いわゆる先送り精神である.

この精神は,『面倒な事は先送り』の精神になったり,『論理を追求しない』精神になったりすると,『曖昧の不合理性』になってしまうのである.こうなると,単一民族は立論力や自己主張に弱くなるのである.その傾向が強くなっていると思う.

そもそも,この曖昧の合理性は多民族国家,狩猟民族,欧米社会,では認められない合理性である.曖昧さは不合理に見えると思う.多民族で経験知識が共有される事派あまりなく,義理人情も生まれにくいのである.

必然的に細かい事を確認し合う契約社会になる.当然,企業の契約では,全てのリスクについて,どう対処するかが決められる.当然,分厚い契約書になる.

日本では,想定できるリスクの対応を決めようとすると,やる気があるのか,と疑いをもたれる.結果,未来のリスク対応はその検討もせず,別途協議事項になってしまうのである.当然,日本の契約書は数ページである.

欧米の場合は,未来のリスクの対応を協議している段階で破談になる事もあるが,契約をかわしておけば、リスクの心配はなくなる.一方,日本流の契約では,これで,ほとんどの仕事が無事終るのだから,日本流の曖昧な契約書の方が合理的かもしれない.只,一たびリスクが発生すれば大問題になるのである.

海外の人に対し,日本には曖昧の合理と言う知恵があると自慢するが,内心,『曖昧の合理性』の精神が『先送りの精神』に変質して,思考力をそいでいる感じを危惧しているのである.

法律などを比べると,日本で起こる問題の殆どが,すでに米国で法制度化されている事が多いのである.日本のフィードバック型の法律ではなく,フィードホワード型の法律で,未来のリスクに対しても曖昧にしていないのである.日本で言えば、安全保障や有事法制が、或は、医療やネット社会の法制度、等、フィードフォワードができていないのである.

そんな事を考えると,日本文化にある羞恥,謙虚,滅私,曖昧の合理性,等の相手を重んじる文化は,国際社会では通用しない感じがするのである.

⑥ 憲法第9条と国際協調

日本独特の文化ではないが、日本独特の憲法第9条の一国平和主義が世界に受け入れられるのか、と言う問題である.特に、グローバル化時代の集団安全保障体制,集団的自衛体制,に参加しなくてもよいのか、と言う問題である.戦勝国が決めた憲法だとしても、独立して70年、日本の意思が問われる事になるのである.

そもそも憲法第9条の戦争放棄、武力非保持,は憲法前文の『平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、我々の安全と生存を保持しようと決意した.』からきている.言い換えると、『諸国(連合国?)を信頼して、丸腰になる』と言っているわけで、完全に米国の占領下ならではの憲法なのである.

独立後には,日本国の意思で、新しい憲法が制定されると,米国も吉田首相も考えていたのである.従って、たとえ、占領下と同じ憲法でも、独立後に、改めて制定すべきだったと思うのである.日本は『70年間も、憲法を変えなかった国』と言われて、問題が随所にあるだけに、『りっぱな憲法だから』とも言えず、ただ、はにかむばかりなのである.

⑦ 在日外国人対応(就学,雇用,税,健康保険,年金保険,公的資格、法律、等).

日本の制度は当然のことながら日本人を対象にしている.グローバル化が進むと,旅行者を含めて、日本国籍を持たない外国人が多く日本に滞在する事が予想される.

永住者,非永住者,居住者,非居住者,等の区分で,しかも,日本の家族単位と言う考え方で,税,健康保険,年金保険,或いは,公共料金,NHK受信料,等の各制度がきわめて複雑になる.又,子供の就学や各国の文化や言葉への対応も進んでいない.先ず,特区を設けて,外国人対応を積極的に進める必要あると思う.この外国人対応が地域活性化のインフラになる可能性もある.

外国人の増加で,日本の制度の複雑さや,未対応さが露呈するのは,もともと,外国人のいない前提の日本の制度の上に,外国人の制度を乗せているからである.ひょっとすると,これがボーダーになる可能性もある.

制度は公平にするほど複雑になると思うが,日本国民にとっても,グローバル化の前に,もっと制度の簡素を行うべきだと思うのである.

尚,外国人永住者の選挙権,公務員採用,あるいは地方議員へ秘被選挙権は従来通り,国籍条項を適用して,禁じるべきだと思う.在日の人から納税義務を負っているのだから,国籍条項を外すよう要望が出ているが,帰化の道がある以上,認めるべきではないと思う.

グローバル化で揺れる会社法、金融取締法、関税、税法

冒頭に述べた通り,グローバル化とは『融合』ではなく『統一』である事を述べた.いくつか、議論が起こるであろう法制度を挙げてみた.

企業の株主が世界に広がると、会社法や金融取締法、勿論、会計基準などが国際統一に向かうのである.日本の歴史を色濃く残している司法制度や量刑、或は民法なども,人権的視点で、議論になると思う.

現在協議がされているTPPも関税とか国による産業政策にも、フリー・フェアー・グローバルなルールが要求されているのである.又、国の統治の根幹になる税制も国家間のTaxヘブンの問題もあって,将来、協議の対象になるかもしれないのである.

現実に課題になっている例を一つ上げておきたい.海外株主が役員に社外(独立)を入れる事を強く要請しているのである.仲間内で行う企業経営は信用出来ない、役員は株主に目を向けていない、との主張である.その内,日本人同士は信用できない,役員に外人を入れろと言うかもしれないのである.

このようグローバル化(にボーダーレス化)はあらゆる国内制度に影響を与えるのである.

⑨ 印鑑文化の異質性

契約には印鑑証明されている印鑑が必要であったり,本人確認に,免許証や健康保険証が使われたりする.本人である事を証明する背番号もなければ,本人のサインも通用しないのである.海外から見れば異質な制度である.

日本人の擬装されない印鑑を作る技術を誇っても,印鑑文化は世界に共有されないのである.自動機等では個人番号と暗証番号,或いは生体認証などで行われているが,ペ-パー上の本人確認は欧米のようにサインで良しとするのか,母印で行うのか,或いは,何か違う方法で行うのか,検討が必要である.

⑩ 『政治と宗教』『政治と教育』『教育と宗教』の再整理

日本では,戦前の軍国主義が『政治・神教・教育』が相互に連動していた事から,これを反省し,戦後は,相互に分離する形をとった.

『政治と宗教』の関係は政治が宗教に介入したり,宗教が政治に介入する事がないように『政教分離』制度がとられた.『政治と教育』の関係も,教育の独立を重視し,行政は教育予算を出すが,教育内容については,相互に介入できない制度とした.

『宗教と教育』の関係については,信仰の自由から公教育で特定宗教を強要したり,特定の儀式に参加する事は禁じているが,各宗教の知識教育などは許されているようである又戦前の道徳教育が廃止されたことから,宗教色のない形で道徳教育が始まっている.

各国では,『政治と教育』は,先進国では,どの国も分離の方向であるが,ナショナリズム国家は一体である.『政治と宗教』,『宗教と教育』の関係は国情によって違うが,信仰の自由からそれぞれ分離している国が多い.

日本では戦前の反省から,政治・宗教・教育が,すべて分離されているが,それで,良いのか,背骨のない国や国民にならないか,いや,それでも良いのか,今後,世界各国でも議論を呼びそうである.

以上,グローバル化(ボーダーレス化)の課題は文化の縦糸になって来た日本独特の文化をどうするかである.ボーダレス化を進めるなら、日本が島国ではなく、海外との交流が活発で、しかも、多くの外国人が住む、との前提で、文化・制度を見直す必要がある.

従来、日本では、グローバル化と言うと、輸出や海外進出の事をイメージして来たが、今や、これまで以上に、人や企業や物や文化が入ってくる事をイメージしなければならないのである.勿論、国家であるから,限りなくボーダーを低くする事は出来ないが、島国日本のハードルをどう低くするか,国民は大きな課題を背負っているのである.

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