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2014.10.01

371 民放テレビは新聞社からの独立を

新聞や雑誌は、虚偽や違法がなければ、表現の自由,報道の自由が認められている.昨今の朝日新聞問題は国家のイメージを損ねる程の虚偽記事を長期にわたって報道した事である.

この虚偽報道事件を通じて,朝日新聞は、政治的意図を持って真実を曲げて報道したのではないかと,その報道姿勢が問われているのである.朝日新聞が、自社の歴史認識は間違っていないから、誤報は大した問題ではない、と言う話ではないのである.

そんなわけで、朝日新聞は、第三者による過去の記事の総点検,虚偽記事を書いた経緯、それを踏まえた報道姿勢の検証,虚偽記事の影響調査,誠心誠意の記事取り消し活動,が求められているのである.

このように新聞には、記事のねつ造は論外だが、自社の主義主張の視点で記事が書かれる事いが多いのである.

一方,テレビ・ラジオだが、NHK,民放ともに,公共の電波を国の認可を受けて使っている事から,『政治的公平性』が放送法で義務づけられているのである.新聞のように、持論に傾斜した報道は許されず、常に、公平性が要求されているのである.ここが新聞報道と大きく違う点である.

そこで問題は、その新聞社が系列のテレビ局を持っている事である.朝日新聞はテレビ朝日、毎日新聞はTBSテレビ,読売新聞は日テレ、産経新聞はフジサンケイ、等である.報道番組やバライティ番組には系列の新聞社の論説委員等が.コメンテーターとして参加しているのである.

当然,テレビの報道内容もコメント内容も,新聞社の主張に沿って報道しているのである.例えば、朝日新聞事件をテレ朝では一切報道しなかったり、コメンティターが自分の新聞社の主張に沿った解説をするのである.かと言って、意見の違う複数のコメンティターを在席させているわけでもないのである.どう見ても,その報道内容に政治的公平性はないのである.

新聞社社長の誤報記事の取り消し会見に対し、国民や他のマスコミから、大きな批判が起こったが,新聞社も,系列のテレビ番組も社長会見の内容を流しただけで、いろんな反応は報道せずに終わっているのである.いつも正義の味方のような事を言う報道機関の真の姿が垣間見えた瞬間である.

議決権の規制でマスメデア集中排除原則が守られているのかもしれないが,報道番組の中では集中排除がされていないのである.新聞社がテレビ局に電波の認可を取らせ新聞社の思い通りの報道をしている,と見えるのである.

そんなテレビ局に、電波の使用許可を出しても、放送法が守られるわけがないのだが,そもそも公平性などと言う曖昧な言い方は建前で,どうせ誰からも,何も言われないと新聞やテレビは思っているのだろうか.

私見だが,本来なら,テレビ局は,放送法と言う法律が適用されるだけに、新聞社から独立した報道機関であるべきだと思う.テレビと新聞は根本的に報道の使命や役割が違うからである.

国民としては、全てのマスメデアを見比べる事はできない為、客観的、公平な報道はテレビにしか期待出来ないのである.この事を意識し,放送法云々以前に、報道の客観性を常に配慮した報道番組がある事を付け加えておきたい.

国民の知識や判断力を高める為にも、影響度の大きいテレビがその役割を持つ事は民主主義の発展のためにも、極めて重要な事だと思うのである.

また、信頼感のあるテレビ局になる事は、視聴率の面でも、CM事業の面でも、好都合だと思うのである.その為にも、是非、新聞社から独立すべきだと思うのである.その為の人材体制強化も必要なのである.それとも、テレビ゙マンは報道機関ではなく、番組を流すだけの放送機関に甘んじるのだろうか.

放送法を前提に電波を借りているテレビ局の客観報道の在り方、特に、新聞社やCMスポンサーとの関係、について、マスコミ論を得意とするテレビ業界の論客は、どう考えているのだろうか.たまには、他人の事ではなく,自分の足場の事を考えてみたらどうだろうか.

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