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2014.11.29

379 報道の自由と放送法を考える

新聞や雑誌には,言論の自由とか,表現の自由とか,報道の自由,がある.報道の自由の行使においては日米に大きな違いがある.

日本の全国紙の場合は,公平性,客観性を装って,実際は主観的な報道をする事が多いのである.ともすると,読者は客観報道だと勘違いするのである.

一方米国の大手新聞は,政党や政策、或は自分の考えを明らかにした上で,記名付の報道をしているのである.まさに,報道の自由の下でど堂々と主観報道をしているのである.読者はそれをわきまえて新聞を選んだり、読んだりしているのである.

日本のコマーシャルで宣伝主の指示や出演料があるにも関わらず、あくまでも個人の感想ですと断って,いい事を言わせているが,米国では、これをステルスマーケテンク(やらせ)と言って,禁止しているのである.米国では消費者保護が徹底されているからである.

さて、日本と米国のマスコミミで,どちらが報道の自由の精神を発揮しているだろうか.同じ報道の自由でも、その行使の仕方は米国の方が一歩も、二歩も、成熟していると思うのである.日本のマスコミでもコマーシャルでも,米国の精神を学ぶべきだと思うのである.

一方、テレビ放送においても、日米の違いがある.米国の場合は新聞と同じ報道の仕方だが、日本の場合は『放送法』によって,客観性,公平性が義務つけられているのである.視聴者への影響が大きい事,公共物である放送網を使う事,から、この法律が制定されたのである.

この放送法は放送を『公衆によつて直接受信されることを目的とする電気通信による送信』と定義し,その放送を行う場合、認可を受けた放送事業者に次の事を要請しているのである.

・公安及び善良な風俗を害しないこと. 
・政治的に公平であること. 
・報道は事実をまげないですること.
・意見が対立している問題については,多くの論点を明らかにすること.

この放送法には,いくつかの課題がある.列記してみたい.

1.ケーブルテレビの自主放送に放送法が適用されるのかと言う問題がある.有線は私設であり,報道目的が公衆ではなく,ケーブルテレビ契約をした人への送信だからである.ケーブルテレビが出た当初は放送法の外で位置づけられたが,近年,放送法が適用されているのである.

2.有料放送に放送法が適用されるのかと言う問題もある.これも又,公衆への送信目的ではなく,契約者への送信だからである.

3.米国のテレビ報道は新聞と同じように主観報道をしている.日本は放送法があるだけに,公平性、客観性があると信じられている.実際は新聞と同じように,放送法を守っていると装って(客観性を装って),主観的報道をしている場合が多いように感じられる.

実際,民間放送局が新聞社の配下にある事から,政治的中立性がすでになくなっている現実がある.子会社のテレビ局に放送の認可を取らせて,新聞社の主張をテレビに流している感じになっているのである.先の朝日新聞の大誤報事件に対し,テレビ朝日の報道を見ると,完全に放送法を無視しているのである.本当に,放送法を守るなら,テレビ局は新聞社から独立すべきなのである.

4.そもそも,公平性とか客観性の判断基準があるのか,誰がチェックしているのか.放送法違反を指摘した事があるのか、あるいは,認可取り消しをした事があるのか,よくわからないのである.報道の自由を優先する為か,放送法を誰も守らない,誰もチェックしていない,誰も指摘をしない、感じがするのである.これでは、放送法が、主観報道を客観報道に見せかける装置になっているだけなのである.

5.インターネットのコンテンツ(Youtube、インターネットテレビ等)の送信は世界の万民に向かっての情報発信であり,放送の定義に当てはまるのだが,実際は誰でも,このような送信ができる事から放送法を適用する事は実質不可能なのである.

やむを得ないと言う現象が他にもある.インターネットが使う有線・無線の通信網が公共物であるにもかかわらず,公平性,中立性が問われない事になる点である.

そうなると,放送法は結局,テレビ局向けの制度と言う事になるのだが,将来,もっとインターネット放送が拡大して行くと,この放送法がどれだけ意味がある事になるのか,が問われてくると思うのである.

6.最近、民放テレビは,特にBS放送はテレビショッピング番組がきわめて多い.調べてみると,放送法第5条で放送番組の種別を教養番組・教育番組・報道番組・娯楽番組,等としているのだが、近年,各社は収益確保の為に番組種別の中の『等』を利用して『テレビショッピング(通信販売)』を番組種別に加えているのである.そして堂々とテレビショッピングを番組として放送し,商売しているのである.

電波は公共物であり,広告時間に自主規制をかけているのだが,テレビショッピングはそんな精神はどこかに行ってしまって,公共の電波を堂々と私的な目的に使っているのである.これも,まさに放送法の空洞化である.

以上,いくつかの課題を列記したが,じゃどうするかである.浅学では論じられないが,次の考え方をまずはっきりさせる必要があると思うのである.

①テレビ各社の報道に公平性,中立性を求めるべきか否か.
②求めるとした時,テレビ局は新聞社から独立した報道機関にすべきか,否か.

③求めるとした時,公平性,中立性の判断基準を作るべきか,否か.
④求めないとした時,米国流(主観報道明記)にするのか、否か.

の検討が必要だと思う.また,民放のテレビショッピング番組に関しては

⑤見る,見ない,を視聴者が判断するので,テレビ局の勝手でよいと考えるのか.
⑥電波使用料をテレビショッピング時間分,別に課金すべきだと考えるのか.
⑦テレビショッピング番組は禁止し,広告収入のみにすべきだと考えるか.

こんな思考で整理してみたいのだが,多くの議論を呼びそうである.

私見で言えば,インターネットに代表される情報化社会は,いろんな情報が飛び交うだけに,自己判断が大事になる社会である.

その中で,テレビ報道は視聴者に与える影響が大きいだけに,視聴者への情報の整理役,判断材料の提供役であって欲しい感じもする.ならば,放送法の公平性,客観性,が必要な感じがするのである.あるいはNHKのみにこれを求め、民放は米国流に主観報道を許すことにするかである.

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