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2015.02.18

387 ピケティの『21世紀の資本』への疑問

21世紀の資本』(著者:フランスの経済学者トマ・ピケティ)が話題になっている.ウイキペデアでは次のように紹介されている.

資本主義の特徴は,格差社会が生まれる事である.しかし、この富の不均衡は、干渉主義を取り入れる事で、解決することが出来る.これが、本書の主題である.資本主義を作り直さなければ、まさに庶民階級そのものが危うくなるだろう.

議論の出発点となるのは,資本収益率(r)と経済成長率(g)の関係式である。rとは、利潤,配当金,利息,貸出料などのように,資本から入ってくる収入のことである.

そして,gは,給与所得などによって求められる.過去200年以上のデータを分析すると,資本収益率(r)は平均で年に5%程度であるが,経済成長率(g)は1%から2%の範囲で収まっていることが明らかになった.このことから,経済的不平等が増してゆく基本的な力は、r>gという不等式にまとめることができる.

すなわち,資産によって得られる富の方が,労働によって得られる富よりも速く蓄積されやすいため,結果として格差は拡大しやすいのである.

また、この式から,次のように相続についても分析できる.すなわち,蓄積された資産は,子に相続され,労働者には分配されない.たとえば,19世紀後半から20世紀初頭にかけては,華やかな時代といわれているが,この時代は資産の9割が相続によるものだった.また,格差は非常に大きく,フランスでは上位1%が6割の資産を所有していた.

一方,1930年から1975年の間は、いくつかの特殊な環境によって、格差拡大へと向かう流れが引き戻された.特殊な環境とは,つまり2度の世界大戦や世界恐慌のことである.そして、こうした出来事によって,特に上流階級が持っていた富が,失われたのである.

また,戦費を調達するために,相続税や累進の所得税が導入され,富裕層への課税が強化された.さらに、第2次世界大戦後に起こった高度成長の時代も,高い経済成長率(g)によって,相続などによる財産の重要性を減らすことになった.

しかし,1970年代後半からは,富裕層や大企業に対する減税などの政策によって,格差が再び拡大に向かうようになった.現代の欧米は20世紀初頭のような、資産の偏重が起こり,中産階級は消滅へと向かっていると判断できるのである.

つまり,今日の世界は,経済の大部分を相続による富が握っている「世襲制資本主義」に回帰しており,これらの力は増大して寡頭制を生みだす.また,今後は経済成長率が低い世界が予測されるので,資本収益率(r)は引き続き経済成長率(g)を上回る.そのため,何も対策を打たなければ,富の不均衡は維持されることになる.

科学技術が急速に発達することによって,経済成長率が20世紀のレベルに戻るという考えは受け入れがたい.我々は「技術の気まぐれ」に身をゆだねるべきではないのである.

不均衡を和らげるには,最高税率年2%の累進的な財産税を導入し、最高80%の累進所得税と組み合わせればよい.その際,富裕層が資産をタックスヘブンような場所に移動することを防ぐため、困難な事だが、この税に関しての国際的な協定を結ぶ必要がある.

特徴

特徴的なのは,200年以上の膨大な資産や所得のデータを積み上げて分析したことで、それが本書を長大なものにしている.ピケティは、このデータを収集、分析するのに15年の歳月を費やした.「この統計データだけで、ノーベル賞に値する」と評している人もいるようである.

内容面での特徴としては,アメリカン・ドリームの否定が挙げられる.すなわち,アメリカでは,生まれが貧しくても努力することで,出世し裕福になれると信じられていたが、ピケティは、現在のアメリカは他国と比べてそのような流動性は高くないことを実証した.さらに,大学への入学においても,両親の経済力が大いに物を言うことを指摘している.

さらに,ピケティは、サイモン・グズネッツの「資本主義経済では経済成長の初期には格差が拡大するが、その後格差は縮小に向かう」という説を否定している.

実際、1955年の時点では、格差は縮小していた.しかし,ピケティは,1980年代になると格差が再び拡大していることを示した.ピケティは、クズネッツの仮説について,「冷戦時代に共産主義に対抗するために作られたものにすぎない」と述べている.

一般的な経済論文とは異なり,この本には、数式はほとんど登場しない.代わりに,19世紀初期のイギリスやフランスに存在した,相続財産によって固定された階級を説明している.

『21世紀の資本』という書名は、カールマルクスの『資本論』を思い起こさせる.実際、ビジネスウィーク誌での特集の書き出しは、「一匹の妖怪が、ヨーロッパとアメリカを徘徊している.富裕層という妖怪が」という、マルクスの『共産宣言』を意識した記述で始まっており、ピケティを批判する人の中には、彼を共産主義者だと言う声もある.しかし、ピケティは『資本論』を読んでおらず,資本主義も否定していない.

この主張に対し、2月11日日経新聞の経済教室蘭で森口千晶氏(一橋大教授)は『平等社会は成長に課題』(最適バランス求め議論を)と題して、次の指摘をしている.

『成長と格差』の問題は経済学の重要なテーマだ.成長が貧富の差を生み出すのか,持続的成長が、やがて格差を縮小させるのか,富の蓄積は革新の推進力か,それとも,阻害要因か、等、研究上の困難は理論を検証する為の長期的データが無い事だ.その意味で、ピケティの取り組みは研究に新風を吹き込んだ. 

日本のデータ(明治政府は欧米に先駆けて1887年に所得税を導入した為、125年にわたる、どの国よりも,長い時系列データが得られる)によれば,

成人人口の上位0.1%の高額所得者を超富裕層と呼び、彼らの所得(不動産や株の売買益は一時的な為除く)が総個人所得の何%を占めるかと言う所得シェアーを1890年から2012年で調べた.

これによると、1890年から1938年の産業課初期の急成長期では9%を超えたが、戦中、戦後は2%まで急落している.その後の驚異的な高度成長期(55年から73年)にもシェアーは低位に推移し、安定成長期にはさらに1.5%までに低下、バブル期の頂点でも終戦時と同じ2%に過ぎないのである. 

この事から、格差と成長の関係は一意に決まらない.むしろ、日本の経済システムの特徴と整合しているのである.戦前の9%は資産家による財閥経済,資本家への高額配当,資本家による高額再投資、があった事で説明できる. 

戦後の2%は、戦災によって富裕層の所得や資産が崩壊し、加えて,土地改革、財閥解体、で富の集中を解消し、戦中の高度な累進的所得税・相続税をそのまま制度化し、教育改革、労働法改革で労使関係を平等化し事と整合している.

さらに、個人資産家に代わって、系列企業とメーンバンクが株式と債権を保有し,オーナー経営者はサラリーマン経営者になり(資本と経営の分離)、従業員は企業別組合を結成して企業統治に参加し、戦前に比べて配当・役員報酬が大きく低下したのである.

ブルーカラー社員にも人的投資を行い、ボトムアップの生産性向上を目指す日本型人事管理は高度成長期から安定成長期までの『格差なき成長』の原動力になったのである.

バブル崩壊の90年代以降、デフレスパイラルが続く中、非正規雇用の増大など低位所得層の拡大がみられたが、日本の超富裕層の所得シェアーは2008年戦後最高の2.6%を記録したが、リーマンショック以降は低位傾向である.このように、日本型の資本主義経済が所得シェアーの低位の原因であり、ヨーロッパのデータを基にしたピケティの主張とは違うのである.

又、米国は80年代から所得シェアーが急伸し、2012年は実に8.8%に達している.同年の日本の超富裕層の平均所得が5500万円だが、米国では7倍の3億8000万円である.

キャピタルゲインを含めた所得シェアーを見ると、日本ではバブル期、一時的に,超富裕層のシェアーは5%を超えたが、2012年時点では3.3%にとどまっている.今後、歴史的にも国際的にも、依然として低い水準が予想され、ピケティの警告する『富裕層の更なる富裕化』は起こらないと思われるのである.

ただし、日本は従来の比較的平等な、ボトムアップのシステムから、成長を高める為に、トップダウンの経営、成功した経営者への厚遇、傑出した人材への高い報酬、労働市場のグローバル化、等の課題がある.

一方、米国は、創造力や独創性で競争に勝ち抜いた個人に高い報酬を与えるスターシステムだが、貧富の格差を放置してよいのか、と言う問題がある.いづれにせよ、『成長と格差』の問題は『バランスの問題』だと考えるのである.

また、2月12日の日経新聞の経済教室欄で阿部 彩氏(国立社会保障・人口問題研究所研究部長)は『対立避け、社会の連帯を』と題して、日本の格差拡大は富の集中より貧困問題だ、富裕層対中間層の対立構造を乗り越えよ、貧困の連鎖打破へ財源負担を広く議論を、と主張している.

ピケティによって格差議論が再度、起こったことは良いと思う.日本で1990年代後半から2000年代にかけて、格差拡大が論争になったが、何としても格差を是正すべきだと言う機運にはならず,議論は、貧困対策問題に移って行ったのである.そして、2013年、『子供の貧困対策の推進に関する法律』が成立したのである.

格差論争が下火になる中で、ピケティが資本主義経済は格差を拡大させるから、それを是正する仕組み(税制)が必要だと主張したのである.

一方、日本では、そもそも日本の富裕層への所得の隔たりは先進国の中で小さい方である.日本の多くの論者が指摘するように、日本の格差拡大は富裕層の拡大ではなく、貧困層の拡大によるところが大きいと認識されているのである.

所得が中央値の半分に満たない人の割合(相対的貧困率)は日本は1985年の12%から2012年の16%に上昇した.子供の貧困率に至っては11%から16%に上昇した.ちなみに、2012年の貧困基準は二人世帯で年間可処分所得は173万円である.

ピケティ氏の『経済格差の固定化』は日本では、『貧困の連鎖』という形で現れる.貧困な家庭の子供は成人後も貧困から脱却できない、生活保護家庭の子供が成人しても生活保護を受ける確率が高い、親の学歴が子供の学歴に比例する、等である.

この貧困対策は貧困を支援する事や貧困が連鎖しない支援になるのだが、一番大きな問題はその財源である.

しかし、ピケティの主張を熱狂的に受け止めている人の中に、富裕層に対する対決意識が感じられる点が問題である.16%の貧困層への給付を、さらに拡大するには、富裕層からの再配分をさらに増やしても十分ではないのである.当然の事ながら、貧困対策の財源は中間層を含めた負担の増加が欠かせないのである.

にもかかわらず、ピケティの主張に熱狂的になる日本の人は、『富裕層から取ればよい』『自分には負担が来ない』と勘違いしているのかも知れないのである.負担の押し付け合いは結局のところ再配分へとつながらないのである.

したがって、ピケティの言う『資本主義に任せておくと、格差がおのずと拡大する』『持続的成長があっても、格差は縮小しない』に賛同するなら,格差縮小の為に多くの国民が負担の覚悟しなければならないのである.

私の所感

『21世紀の資本』を精読したわけではなく、意味や定義が曖昧な理解のまま、誤解も多いと思うが,上記の緒論も踏まえて、私の感じた事を述べてみたい.

①資本収益率(r)〉経済成長率(g)の不等式への疑問

ピケティは過去のデータを分析して、資本主義経済は資産によって得られる富(資本収益率 rate of return 5%)の方が,労働によって得られる富(経済成長率 growth rate 1~2%)よりも、速く蓄積され、しかも、その資産は,子に相続される.結果として,資産のある者と、無い者の格差は拡大しやすいと結論づけたのである.

ピケティが経済成長率(g)を労働によって得られる富の伸び率と言い,マルクス経済学の労働付加価値説を連想するのである.

近代経済学では経済成長とは国民総生産(GDP・付加価値の総額)の伸びを示す指標であり、経済の活動規模(取引規模)の増減を表しているのである.この経済成長の要因として、労働力(人口増加)、機械・工場などの資本ストック(蓄積)、技術進歩,の3つがあり、『GDPの成長率』は、『技術進歩率』と『資本の成長率』と『労働の成長率』に分解できるのである.

正直、私が勉強不足だと思うが、経済成長を労働によって得られる富の伸びと言っている事に、まず理解できないのである.

労働によって得られる富より、資本収益の富が大きいから、格差が生まれると言うなら、国内の所得層別の所得シェアーや貧困層率の推移、を見れば分るのである.それを、経済学で言う経済成長率(rate of economic growth)と、その内訳である資本収益率(rate of return)を比較するものだから理解できないのである.

言葉の使い方だが、g の growth rate は経済成長率ではなく、所得成長率ではないかと思うのである.これなら、経済成長率(rate of economic growth) の中身として,資本収益率(rate of return) と所得成長率(growth rate) を比較できるのである.

原本が正しく、翻訳が間違いなのか、原本が間違っているのか、再確認が必要である.

さらに言えば、資本収益の受け手は,国内、海外、さらに、個人,法人があり,単純に、国内の資産家に、すべてに資本収益が集まるわけではないのである.従って、このことを踏まえて、国内の資産家と労働者の格差を論じなければならないのである.

➁過去200年のデータを分析して格差諭を述べても、意味がない.

『世襲資本主義』を念頭に置いたピケティの資本論は現在の世界の資本主義経済システムと大きく違うように感じる.したがって,経済システムの違う200年間のデータを分析して格差諭を主張しても、現実に当てはまらないと感じるのである.

資本主義経済は言うまでもなく、『富の創造と富の分配の仕組み』である.この仕組みで、国内では、数十万の企業、数千万、数億の人が切磋琢磨して生きているのである.少数の資産家が経済を動かす程、経済の規模は小さくないのである.

しかも、科学技術の発展、価値観の多様化、競争の激化、資本の大衆化、ファンドの発達、発展途上国の台頭、自由・平等思想の普及、等によって,経済活動がグローバルに、ダイナミックに変化し,企業の新人代謝も激しいのである.

そんな現在の経済システムは、ヨーロッパの身分制度を背景とした世襲資本主義経済とは大きく違うのである.ましてや、上記指摘にもあるが、日本の経済システムとは大きく違うのである.

したがって、世襲資本主義経済のヨーロッパのデータで格差諭を論じても、現在の資本主義の経済原理にはならないと思うし、現在の資本主義はピケティの言うような静的な経済ではなく、極めて動的な経済を生んでいると思うのである.近年の産業界の新人代謝を見ても明らかなのである.

ヨーロッパが世界の産業の新陣代謝に顔を出さないのは、ヨーロッパが静的な経済にとどまっているからかも知れない.もしそうなら、ヨーロッパ経済にとって重要な事は『富裕層の資産から再分配をして格差を縮小する』のではなく、『世襲資本主義経済から大衆資本主義経済に移る事』を考えるべきだと思うのである.

その上で、指摘したい事は、資本主義経済の運営は国の文化、歴史、政治、等によって、随分違う.公益事業や公共事業の大きさ、国家資本で運営されている事業の大きさ、等によって、『資本主義の仕組みで動く経済の規模』が違うし、格差への影響も違うのである.

特に、日本は大資産家は少なく、所得の中間層、金融機関、ファンド、企業が株や不動産や債券を持っているのである.したがって、資本収益は、これらに分散するのである.したがって、日本の富裕層と貧困層の格差は欧米に比べて低いのである.

同時に、資本収益は長い年月で見れば、個人と言うより、相続のない、法人、或は、政府に集まるのである.勿論,その富は固定的ではないのである.

ピケティは米国は格差が固定化し,アメリカン・ドリームは実現せず、大きな社会問題になっている事を指摘して、自身の格差諭の正しさを主張しているようだが,米国は世襲資本主義がそれをもたらしていると言うより、激しい競争社会が、結果として、格差を生んでいるのである.その多くは、先端技術の競争によって、もたらされているのである.そして、世界一の経済力を持ち続けているのである.

米国は、格差を問題にすると言うより、貧困問題として、深刻に捉えていると思う.税による再分配より、まず、ボランティア精神が定着していたり、世界一の寄付社会である事を見ても、その問題認識と取り組みが見えるのである.

③富裕層の資産が拡大するから、再分配が必要、も短絡的である.

ピケティが資本主義経済では、富裕層の資産が拡大し、格差を生むとして、格差是正の為に、富裕層の資産の再分配をすべきと言っているが,いかにも,単純な主張である.

大富裕層の少ない日本で、富裕層の定義にもよるが、資産税による再分配額は限定的である.再分配の額を求めようとすれば、中間層にも、その負担が行く可能性もある.そうすれば、中間層が貧困層になってしまう事もあり得るのである.

課税の考え方にも短絡性を感じる.現実は富裕層の資産の課税は一般的に、税の公平性を念頭に置きながら、『財源確保の為に高額所得者や資産保有者に負担してもらう』と言う事で、何らかの累進課税を課したり、国の支援を低くしているのである.

その意味で、『資本主義経済は格差を生むから、格差是正の為に富裕層に課税をする』と言うのは、理由としては、概念的で、根拠が薄いのである.現実の課税は、経済活動の結果で負担を求めているのだから、資本主義経済云々は余計なのである.

既に述べているように、そもそも、激変する社会では、富裕層の資産が確実に拡大する保証はない.資本主義経済は資産バブル崩壊もあるが、デフレ、インフレ、需給、等の変化、あるは技術革新や競争で、資産の額、所有者は変化するのである.当然、資産は常に、大きなリスクを背負っているのである.その意味で,資本収益はリスクの対価ともいえるのである.

又、②でも触れているが、資産の蓄積は、原理的には、富裕層個人ではなく、長い年月のうちに、国や法人に集約されるのである.そこには相続と言う概念がないからである.したがって、国や法人の持つ資産を経済活動を通じて、いかに、効果的に再分配するかが大事になるのである.

以上の事から、ピケティの『資本主義経済は富裕層と労働者の経済格差を生むから、格差是正の為に、富裕層の資産を再分配すべき』と言う、対立的な課税理由に違和感を感じるのである.

そもそも、ピケティが資本主義経済には欠点があると言うなら、政治学者なら税と言う政治的政策を言うのではなく、資産家と労働者の概念を捨てて、資産の大衆化、起業の活発化、技術革新の促進、など、経済構造の改革で、富の偏重を是正し、多くの人が富を得られる方策を提言すべきだと思うのである.これこそが、資本主義経済が求めている姿だと思うのである.

④経済格差が学力・学歴の格差を生み、次世代の格差に連鎖するのか

2月15日の日経新聞の中外時評で論説委員長の大島三緒氏が、『教育格差が未来を奪う』(止まぬ機会不平等の連鎖)と題して、論評を載せた.その結果、戦前と比べて上昇思考が薄れ、社会の活力が急速に失われていくと言うのである.

この論評に代表されるように、経済格差が諸悪の根源だと言わんばかりの論評が多いのである.然し、貧しいから、進学できない、は昔の方が多かったと思うし、今は高校進学率も、大学進学率も極めて高くなった事を思えば、学力や学歴の格差は社会全体から見れば大きく改善していると思うのである.

ピケティに呼応して,経済格差が教育にも連鎖すると言う主張は16%の貧困層の話としてはあると思うが、社会全体の問題のように言うのは疑問である.社会全体としては、上記のように、大きく変化しているからである.

問題の核心は格差問題ではなく、16%と言われる貧困層が教育費用が負担できずに、学力・学歴に不利を生じる事である.それに対し、経済の底上げ、貧困支援、教育支援、等が十分ではないにしても、行われているのである.

ピケティに触発されて、鬼の首を取ったように、16%の貧困問題を社会全体のように叫んだり、東大生の親に貧困者がいないと指摘したり、する事に幼稚さを感じるのである.この人たちは、史上空前の進学率をどう説明するのだろうか.

教育問題の私見を言えば、根本的には、教育機関を、それぞれ3年の高校・専門学校・大学、のパスにすべきだと思っている.若者に適材適所の質の高い教育をする為である.同時に、大学は研究機関、国家試験向け、と位置づけ,40~50校程度にする事である.

このパスで、医学を目指す学生には、才能は厳しく、費用負担は軽く、を実現したいのである.親の財力が無ければ医者のなれない事態は解消したいのである.一考の価値は有ると思うのだが.

⑤『経済成長し続けても、格差は縮小しない』との主張にも疑問

ピケティは40年から50年前のデータで、この説を主張し、経済成長が続けば、その経済効果が広く波及し,格差は縮小するとの意見に異を唱えて、反共産主義の仮説だと言い切っているのである.正しい主張だろうか.

この説は世襲資本主義のヨーロッパのデータだけの話のように感じるのである.経済成長は産業の新人代謝やマーケットの開拓で推進され、資産がダイナミックに移転しながら,経済全体の規模が拡大して行くのである(パイの拡大).

経済成長が続くと言う事は、所得が増え、消費が拡大し、経済の底上げ、貧困層への波及効果があると思う.さらに、社会保険等の運用の増大や税収が増えて、貧困対策に財源が回る事もあり得るのである.富裕層の所得も拡大し、相対的格差が拡大しても、貧困層の可処分所得が増える事になると思うのである.格差問題よりこのことを評価すべきだと思うのである.

尚、富裕層の資産は資産バブル崩壊や景気変動によるデフレもあり、資本主義経済の特徴は、資産の偏重を正規化するメカニズムを持っている事なのである.

『資本主義経済は格差社会をもたらす』とのピケティの結論は格差の程度を論ぜずして言いきれないのである.

⑥ピケティを神のお告げのように受け入れている政治家へ

『弱者救済の為に富裕層からの再分配を増やすべきだ』と正義の味方、弱者の味方、を自認する政治家にとっては、わが意を得たりの心境だと思う.そう言う人に限って、論理の掘り下げがなく、感情論で終わっているのである.

上記指摘にあるように、ここはヨーロッパではない、日本である.日本の実情を踏まえて、ピケティの主張が日本の実情に当てはまるのか、具体的にどうすべきなのか、しっかり考えるべきなのである.

多分、このピケティ旋風は、これ以上掘り下げられず、どこかに行ってしまいと思うのである.国会でピケティの指摘を持ち出して、政府を攻撃しても、デフレからの脱却、経済成長政策、少子高齢化対策、社会保障対策、貧困対策、及び、財政健全化対策に必死で取り組んでいると、政府が言って終わりである.

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