« 2015年6月 | トップページ | 2015年8月 »

2015.07.30

403 憲法解釈変更と法的安定性の議論への所見

安倍首相の懐刀の磯崎陽輔首相補佐官が7月27日の講演で、

『(従来の憲法解釈との)法的安定性は関係ない.国を守るために必要な措置かどうかを気にすべきでだ』と述べ、『政府の憲法解釈は時代が変われば必要に応じて変わり、法的安性が保たれる必要性は必ずしもない』、との認識を示した.

多分,磯崎氏は『現憲法下で許される範囲で於いて,時代の変化に対応する為に従来の憲法解釈を変更しても、必ずしも法的安定性が問われる事にはならない』と言っているのだと思う.

この発言について、野党から、磯崎氏の発言は、『法治国家としての法的安定性を無視している』発言であり、『安全保障関連法案が法的安定性を無視している事を自ら認めている発言だ』.と大きく反発しているのである.

これに対し,政府は,現憲法下で許される範囲で、新たな憲法解釈をし,それに従って,安全保障関連法案を出しているのだから,法的安定性を無視する考えは全くないし,法的安定性を守っている,として,磯崎氏に注意をしたと釈明した.

こんな論争になるのは当,ブログでも、指摘しているが,『我が国の安全保障は第9条と自衛権が衝突している』と言う根本問題があるからだと思う.

我が国の憲法は第9条で戦争放棄、軍備不保持、を宣言しているだけで、国防と言う概念がない.そこで、自然権としての自衛権は存在しているとして、自衛隊を持ち、極めて限定的だが国防を担っているのである.

この戦争放棄と自衛権が併存している事で、常に,それぞれの主張が衝突し,合憲・違憲の論争になるのである.どの国も、安定的な安全保障法制度のもとで,実際は、シビリアンコントロールで安全保障が運営されているのだが、我が国は、シビリアンコントロールのもとになる安全保障法制度が極めて不安定な状態になっているのである.

だから政府解釈が違憲と言う人は法的安定性を欠く,と言い,合憲と言う人は,法的安定性を欠いていないと言うのである.このように、両極端の意見が出る程、安全保障の法制度は不安定なのである.

不安定な事は他にもある.これも、当ブログで述べているが、自衛権の立場で、安全を追求しようとすると第9条の違反に近づき、第9条の立場で、これを守ろうとすると、安全を追求しない事を良しとする事になるのである.何かおかしい国だと思うが,こんな状態で、国を守れるのだろうか.机上の法治国家云々,法的安定性云々の議論がむなしく聞こえるのである.

更に言えば、現在の専守防衛の個別的自衛権で国の生命財産が本当に守れるのか、有事の事態によっては、憲法を無視して、多国と共同防衛をしないと守れなくなるのではないか、と言う懸念がある.又、世界各国と共同で平和活動が出来ないと言う、孤立化の懸念もある.このように、現法制度は、極めて異常なほど、不完全で、不安定なのである.

こんな不安定な現法制度のもとで、法的安定性を云々する事自体おかしいと思う.磯崎氏の主張の根底に『法的安定性云々の前に、国を守る方法を考える事が先だ』との思いがあるように感じたのである.だとすれば、同感である.

そう思うのは、どの国民も、『憲法より命が大事』だと思っていると思うからである.護憲論者だけが『命より憲法が大事だ』と言って、死を選ぶかもしれないが.

憲法や法制度は何の為にあるのか、を考えれば,不具合な,不備な,憲法・法制度は直さないといけないのである.法的安定性云々の前に,.法的安定性を主張できる法制度を作る事が先だと思うのである.

したがって『日本の安全保障の在り方』(集団安全保障、集団的自衛活動、限定的集団自衛活動、多国籍軍への後方支援、等の考え方)を討議し、その上で、第9条と自衛権が衝突するのではなく、『国を守る為の憲法・法体制』をしっかり作る事が立法府の最も重要な仕事だと思うのである.

このように思うと、法的安定性を守れとか、守っているとか、磯崎氏を罷免しろとか、『党利党略の攻防』を繰り広げている国会が極めて非生産的で、無意味に感じられるのである.もっと、『安全保障のあり方』について,議論をして欲しいのである.

磯崎発言が参院議員でしつこく取り上げられると思うが,一国民の素朴な、こんな意見もある事を国会議員は、知って欲しいのである.

法的安定性について、他にも言いたい事がある.

世の中の動きに憲法や法律が付いて行っていない事や、価値観の多様化、複雑化に、裁判官の俗人的な裁量が増大し、裁判官によって判決が違ったりする事が多くなっていると思う.『安全保障法制度問題』も『一票の格差問題』も、しかりである.これでは、『法治国家』ではなく『お代官様国家』である.法的安定性を求めようがないのである.

法治国家や法的安定性を声高に言うなら、お代官様の裁量に依らない,180度違う主張が出ない、法的安定性のある法制度をまず作る事が先である.これが立法府の仕事のはずである.これが出来なければ、世界からも、よくわからない国、何もできていない国、になってしまうのである.

日本文化の底流に流れている、村社会、島国根性、行間で物を言う、非契約社会、等が影響し、法制度に必要な、コンセプト力、立論力、説得力、を阻害しているのかも知れない.心配である.

 

.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015.07.26

402  基本が出来ていない日本が心配になってきた

直前のブログ『 安全保障関連法案の要約と所見』の発信以来、約2ケ月弱、発信が止まっているが、その間、安全保障問題に引き続き、『基本が出来ていない日本』と思わざるを得ない出来事があった.幾つか挙げてみたい.

1.東京オリンピック問題

総理の決断で、白紙撤回された国立競技場問題は,すでに,多くの問題が指摘されているが、組織的にも、費用的にも、技術的にも,巨大なプロジェクトの遂行に、早くも、日本の弱点が現れた,と感じるのである.

通常、どんなプロジェクトでも、プロジェクトの方針、推進体制、役割、仕事内容、作業計画、担当部署、責任者、予算、等を含んだ、『総合計画書』が策定され、それを鏡に、全体の進捗管理、部内、組織間の問題管理、費用見通し、等が行われ、逐次対策が打たれるのである.これがプロジェクトマネージメントの基本である.

一方、日本は、巨大なプロジェクトは不得手とされている.得意とする一筆書きの物つくりのやり方では通用しないからである.『一致団結とか連携』で巨大なプロジェクトは運営出来ないのである.

巨大なソフトウエアー開発で言えば、先ず、システム全体の構造化設計を行う.これに基づいて、ツリー構造の開発体制が作られるのである.この体制は、共通仕様を統一したり、開発の重複を防いだり、チーム間のインターフェースを明確にしたり、作業を同時並行的に進めたり、進捗管理や問題管理、或は予算管理と言ったプロジェクトマネージメントの下敷きになったりするのである.これなくして,数千人による開発は出来ないのである.

東京オリンピックと言うプロジェクトで言えば、競技施設、周辺施設、選手の宿泊施設、開会式はじめ多くのセレモニー、宿泊運営、競技運営、会場運営、情報システム、安全対策、スポンサー募集、放映権販売、チケット予約販売、観客運行・支援、等に加えて、放送・交通・宿泊・ネット網、等の民間の対応、を加えれば、広範にわたる、巨大なプロジェクトである.

これをぬかりなくやる為には、役割・責任が明確な、しっかりした『オリンピック準備・開催のツリー構造体制』が不可欠である.しかし、この体制を含んだ総合計画書がどうなっているのか全く見えないのである.

その中の一つである、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会も,上層部の多人数の名簿は公表されているものの、その下部の実行組織体制がどうなっているのか、それぞれの役割がどうなっているのか、予算はどれくらいなのか、進捗はどうなっているのか、等、具体的には、全く見えないのである.

この組織委員会は東京都と文部省の『公益法人』だと言う.途端に責任がどこにあるのかわからなくなるのである.同時に、この委員会も含めて、東京オリンピックに係わる、全体のハイアラキー組織(ツリー構造)が分らないのである.政府、中央官庁、東京都、組織委員会、国立競技場委員会、オリンピック委員会、各競技団体、競技開催自治体、等の役割や責任が見えないのである.

そんなわけで、国立競技場問題や他の施設問題で,いまさら,『誰が責任者だ』,『費用が増大しっぱなしだ』等と他人事のように言う関係者がいるのだから、総合計画書もプロジェクトマネージメントも全く出来ていないと言わざるを得ないのである.

一般的に、問題が起こると、とたんに、隠れていた問題が明るみに出るものである.問題が起こると、組織の最も大事な、役割と責任の曖昧性が露呈する事が多いが、日本の特徴である.組織とは分担して事を進める体制ではあるが、問題があった時、腹を切る体制でもある.

曖昧性は、日本人特有の一致団結とか連携と言う言葉で、覆い隠してきた部分である.ジョブ・デスクリプションがない日本文化の大きな弱点かも知れない.それが、東京オリンピックの一連の問題に表れている感じがするのである.

そうだとすれば、問題は、国立競技場の白紙撤回どころの話ではないのである.東京オリンピックプロジェクトの全面見直しと、総合計画書の策定が早急に必要ではないかと思うのである.

もう一つ、東京オリンピックで気になる事がある.

開催時期である.現在の計画は7月24日から8月9日、パラリンピックは8月25日から9月6日である.どう言う理由で、この時期が決まったのか知らないが(放映権がらみで、IOCが決めていると思うが)、この時期は、日本では、天候不順、集中豪雨、台風発生、高温多湿、電力不足の時である.どう見ても、最悪の時期である.

関東地区の天候の事を考えれば、絶対10月,11月である.何故、日本はこの時期を主張しなかったのだろうか.屋根付きの競技場を前提にしているからだろうか、夜間の競技を多くしているからだろうか、日本の観光シーズンを避けたかったからだろうか、何か世界各国の事情があるからだろうか、いづれにせよ、日本の季節感を無視した判断だと思う.

国立競技場が白紙撤回され、屋根も無くすのであれば、開催時期も再検討すべきだと思うのである.

しかし、開催時期が決まっていて、立候補したのだから、今更変えられないとすれば、その気象環境への対応も必要となる.(日蔭、冷房、反射熱対策の道路や建物、競技時間帯、等々)

ところで、開催式が夜に行われるようになったのは、いつからだろうか.オリンピックは言うまでもなくスポーツの祭典であり、開会式も競技も、閉会式も、すべて昼に行われていた.1964年の東京オリンピックもそうであった.10月10日,晴天の秋の青空の下で,開会式が行われ、今でも,その感動を覚えている.

開会式は、夜に変わったのは、気温対策も有ると思うが、国威発揮やエンターテイメントの演出のしやすさからだと思う.確かに、大がかりな開会式になるが、あまり記憶に残っていない.

2020年の東京オリンピックはスポーツの祭典と言う原点に返って、昼行いたいところだが、気温対策として、夜、行うにしても、是非、開会式は、原点回帰願いチャイものである.国威発揮の場とするのは、発展途上国に任せて、日本は、そんな意識から、卒業すべきだと思うのである.

いろんな事を欲張って計画しても、『虻蜂取らず』になりかねないと思うし、ここは、スポーツの祭典に絞って、選手も、観客も、安全で快適な大会にして欲しいと思うのである.オリンピック後の経済・財政の悪化を防ぐ為にも,大判振舞いは、絶対に避けるべきだと思うのである.

このように、オリンピックに係わらず、政治も、行政も、立論、コンセプト、計画、実行がビシッとしていない感じを受けるのである.

2.一票の格差問題

この問題は当ブログ『321一票の格差問題を考える』(2013年3月29日で発信している.ここで、

・国会議員の選び方をどう考えるか(格差重視か地域重視か、憲法問題)
・一票の格差の定義とか、違憲になる格差とか、を誰が決めているのか
・一票の格差にも、いろいろある(機会の格差、結果の格差)
・選挙無効確定時、それまでの議決をどうするのか、過去に訴求しないのか.


等について言及していた.

そんな中で、参議員の公職選挙法が10現10増(合区と選挙区定数の増減)で格差を3.2倍に抑えると言うのである.5年ほど期間をかけた結論がこれである.これでは、何も、根本的問題がクリアーされたわけではないのである. 

行政区を無視して、同じ有権者数の選挙区をつくれば、一票の格差はなくなるが、小さい選挙区をつくれば、国会議員の数は大きくなり、逆に、大きな選挙区にすれば、民意が届きにくくなるのである.

地域代表を重視すれば、選挙区を行政区に合わせた方が良いのだが、一票の格差が発生するのである.それでも、この方が良いとするなら、『地方の代表とする』と憲法に書かない限り、格差問題から離れられないのである.

さて、こんもパズルのような問題はなぜ起こるのだろうか.

端的に言えば、憲法の不備である.一つは、両議院の選挙制度(選び方)について、何も触れていないのである.憲法作成時に原因がある.当時、.米国の憲法草案は一院制であった.ところが、日本では貴族院の歴史があったため、日本の要求で,急遽,二院制に変更されたのである.その時、急遽、一院制から二院制に憲法を書き変えたのだが、その時参議院について、役割とか、議員の選び方の検討が、あまりなかったと言う.又、書き換え漏れで、一院制の名残も残っているのである.

そんなわけで、『国会議員をどう選ぶのか』と言う民主主義の根幹に当たるコンセプトが憲法でも、はっきりしないまま、今日に至っているのである.この選挙制度の問題も、憲法改定手続の問題も、安全保障の問題も、有事法制度(緊急事態法)の問題も、財政運営(財政法)の問題も、国家の運営の土台が定まっていないのである.

この事は、日本が憲法を一度も変えて来なかった日本人、政治家の政治意識が原因だと思う.国の根本的な問題を掘り下げず、放置して来たのである.このままでは、この根本的問題が山積みになって、身動きできなくなるのではないかと、ぞっとするのである.憲法を日本人の手に戻し、しっかりした国になるのは何時のことになるのだろか.

3.中国の覇権主義への対応

中国の東シナ海の日中中間線(日中がそれぞれ主張する排他的経済水域の中間、中国は1970年頃までの国際法上の解釈に基づく大陸棚の先端、沖縄トラフまでを排他的経済水域だと主張)における、ガス田開発の状況を日本政府は現状の変更は許されないと公表した.

2005年以来,この地のガス田開発が問題になり、日中境界線にあるガス田は日本の領海の下にも存在している事から、共同開発を申し入れていた.そのころ、中国はチベット自治区への弾圧で国際社会から反感を買い、念願の北京オリンピックに大きな影響が出る事を恐れていた.そんな情勢の中で、中国は日本との共同開発に同意したのだが、中國国内の大反発が起こり、中国政府は尖閣問題を絡めて、外交交渉を中止し、実施、共同開発を封印したのである.

共同開発が頓挫している中で、中國は着々とガス田再発を進め、結局、基地を12か所にまで拡大したのである.中国は、この既成事実をつくる為に、尖閣問題を起こしたのかも知れない.

一方、日本はガスの埋蔵量やコストからガス田開発に積極的でなかった事、中國のガス田基地が制空・制海にきわめて重要な役割を持つ事に、日本は疎かった事、で中国にやすやすと既成事実を作ら出てしまった感じがするのである.

このガス田基地は島ではないので、領土、領海にはならないにしても、新たなレーダー基地や軍用のヘリコプターの発着場として使われれば沖縄トラフに至る、中國の制空力、制海力、が飛躍的に高まるのである.

今更ではあるが、南シナ海、東シナ海、尖閣諸島、あげくに、沖縄に至る、中國の覇権主義が着々と進んでいるかに見えるのである.同時に、経済力、金融力、軍事力、を背景に、世界の政治・経済に積極的に介入し始めているのである.

日本は『法による秩序』を訴えるも、『中國の着々と進める、実効支配』に手が出せない状況にある.そんな中、親中派の保守議員が久しぶりの出番とばかりに、相変わらずの、揉み手の外交シグナルを出しているのである.中国は表面的には大歓迎しながら,あるいは、歴史問題を外交ストップの材料にしながら、裏では、着々と、中國の覇権主義の既成事実を積み上げているのである.

正直言って、中國を刺激しない日本の配慮に対し、中國は日本に配慮しないのだから、中國の戦略が着実に進むのは当たり前である.しかも、中國の何十年に及ぶ覇権戦略の推進に対し、頻繁に変わる日本の内閣では、とても太刀打ちできない感じがするのである.民主主義政治体制と独裁政治体制の差かも知れない.

日本は日米同盟、中国包囲網の形成を最重要戦略としても、中国の独裁政治体制、国家資本主義経済体制、覇権主義、が崩壊する事を待っていても、中国の強引さはなくならないと思う.

中国は12億の民を養うと言う最大の課題があって、.経済が発展し、国民の政治意識が高まったとしても、一党独裁体制を強めて、この動きを抑えると思うのである.

そんなわけで、国際的な監視を強めながら、『中国の覇権主義の既成事実化を阻止する事』が対中戦略の基本になると思う.同時に、日本が経済の面でも、科学技術の面でも、文化の面でも、尊敬される国家である事が、中国の覇権主義を防ぐ、大きな武器になる事は言うまでもないのである.この軸をしっかりもって,中國戦略、中國外交、を展開して欲しいと思うのである.

.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2015年6月 | トップページ | 2015年8月 »