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2015.10.24

412 改めて日本国憲法の問題点を列記してみた 

現在の日本国憲法は、下記の流れの中で制定された.それ以来、現在まで、一度も改定されていないのである.

1945年 ポツダム宣言受託(降伏文書調印),米国の日本占領
1945年 極東国際軍事裁判(48年判決)
1946年 大日本帝国憲法第73条の改定手続で現憲法公布(47年施行)
1950年 朝鮮動乱
1951年 サンフランシスコ講和条約締結(日本独立,賠償なし)、日米安保条約締結
1953年 朝鮮動乱休戦

1954年 自衛隊発足

現憲法が公布されて以来69年、一度も国民の審判を受けず、一度も米語翻訳表現や翻訳ミスも訂正されず、一度も時代に応じた改定もされず、しかも、安倍第一次政権まで国民投票法もないまま、従って、国民は憲法改定の経験もせず、今日に至っているのである.ドイツの59回の憲法改定と比較すると、日本は民主主義国家
.と言えるのだろうか.

ましてや、推敲すれば、すぐ分る程度の不具合すら,今日まで放置しておいて、何が最高法規だ、何が立憲主義だ、と言うのだろうか.恥ずかしさを感じるのである.ひょっとすると、日本人は誰も憲法を最高法規だ思っていないのかも知れない.

憲法の草案を書いた米国人ですら、1週間程度で書いたこの憲法は、日本が独立後、すぐに、改定するだろうと思っていたと言う.

この凍結状態の憲法に改定要求が山積みになっていると思うが、その前に、誰でもわかる,すぐにでも修正すべき現憲法の不具合を洗い出してみた.

この洗い出しに当たり、憲法前文、103の条文を改めて、じっくり読んでみた.その上で、私の知り得る専門家の指摘も含めて,独断と偏見で、私が思う、不具合を列記したのである.勿論、間違いや、漏れもあると思うが、正直言って、不具合の多さに、改めて驚いているのである.

憲法の成立過程に関する問題

・占領下で、米国主導(米国草案)の新憲法制定は国際法違反だ.
・大日本帝国憲法73条(憲法改正)による憲法の差し替えは無効だ.
・国民の信任手続きを得ていない現憲法は無効だ.
・大日本帝国憲法の失効手続きが行われていない為、
現在も生きている.

現憲法成立当初からの指摘であるが、この事が議論される事なく、現在に至っている.

憲法前文に関する問題

『日本国民は政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する.』

『日本国民は恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公平と信義に信頼して、我々の安全と生存を保持しようと決意した』

『全世界の国民が・・・平和のうちに生存する権利を有する事を確認する』

『いずれの国家も自国の事のみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は普遍的なものであり,この法則に従う事は、自国の主権を維持し,他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると我々は信ずる』

この憲法前文に対する問題点は次の通りである.

・日本国民は政府の行為によって、再び戦争の惨禍が起こる事のないよう・・主権が国民にある事を宣言し、・・とあるが、言っている事は日本の軍国主義が戦争を起こした,今後は、それを繰り返さな為に、主権が国民にある事を宣言する、と読めるのである.マッカーサーの着任のメッセージと同じである.

日本には主権が国民になく、軍国主義が戦争を起こした、と戦争原因を憲法で断定したり、主権が国民にあれば戦争は起こらない、とのニュアンスを言っていたり、米国の一方的な戦争の大義をそのまま日本の憲法に書き込んだようで、違和感を感じるのである.

特に、民主主義を宣言する事は良いと思うが、戦争を起こさなくするかどうかは別である、政治の意思決定の仕方である民主主義と、その決定の内容は別だからである.米国自身も,民主主義制度の元で、何回も戦争を起こしているのである.どうやら、日本を悪玉にしておきたい意識が憲法前文に表れた感じがするのである.

そこで、前文を書くなら、『日本国民は、主権が国民に在する事を宣言し、生命、自由、及び、幸福追求に対する国民の権利を最大に尊重し、同時に他国の国民の権利を侵さないと決意し、この憲法を確定する』で良いと思うのだが.

諸国民の公平と信義に信頼して、・・・我々の安全と生存を保持しようと決意した、とあるが,簡単に言えば、どの国であっても、相手を信頼し続ける事が我々の安全につながると言っているようである.常に相手を尊重し信頼していれば、争いは起こらない、と、何か宗教の教えのような文章である.

しかし、諸国民の公平と信義に信頼が持てなくなった時、我々の安全と生存はどうなるのだろうか.非武装を決めた第9条も含めて、こうなった時の日本は極めて危険な状態になると想像できるのである.

この心配に対し、日米安保で守られているから大丈夫だ、と言うのだろうか.しかし、日米安保条約は憲法ではないし、憲法だけで見れば、極めて安全保障については無防備で無責任だと思うのである.

国家の行動の指針、基本的な規定を定める憲法としては、リアリティに欠けていると言わざるを得ないのである.

ひょっとすると、この前文は、無条件降伏した日本は、諸国民(米国あるいは戦勝国)に無条件に従う事で、生きて行く、と決意したと言う意味かも知れない.もしそうなら、日本の安全保障は放棄した事になり、第9条と符合するのである.しかし、独立国家の憲法としてはあり得ない内容である事は言うまでもない.

・いずれの国家も、自国の事のみに専念して他国を無視してはならない・・・この政治道徳の法則に従って、自国の主権を維持し、・・とあるが、これはまさに、自衛権はあるが他国を侵略はしない、との政治道徳の宣言である.

第9条も、同じ意味なら整合するのだが、自衛権に触れず、戦争放棄、非武装を宣言しているのだから,どう見ても、この前文と第9条は整合していないのである.

以上、憲法前文の問題点を上げたが、総じて、日本悪玉論を前提に,米国独立宣言をつまみ食いし,文章全体が,つぎはぎで,唐突で、論理矛盾で意味不明になっている感はぬぐえないのである.

第1章・天皇に関する問題


・第7条(天皇の国事行為)を使って、衆議院を解散(7条解散)しているが、もともと政府の衆議院解散権の規定がない事がおかしい.

・第8条(皇室の財産の帰属変更は国会の議決が必要)は第88条(皇室の財産は国に属する)と矛盾している.

第2章・戦争放棄に関する問題

第9条『日本国民は正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇、又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する.』

前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない.国の交戦権は、これを認めない.』 

この第9条はマッカーサーの『日本の無力化』を実現した条文だと言われているが、その後の朝鮮動乱、米ソ冷戦時代では、米国としては、第9条は間違いだったと言われているのである(米国の御都合主義).

一方、日本国民から見れば、終戦直後の占領下であり、しかも、戦争の悲劇から、第9条に異論はなかったと思われる.又、吉田総理は独立後も当面、戦後復興を優先し、軍は米国に任せた方が得策だと判断した.

そこで、日本の独立(サンフランシスコ講和条約締結)と同時に日米安保条約を締結した.それ以後、今日まで、日本の安全保障は日米安保条約に依存している、言い換えると、
米国の傘の下で、第9条がある、との構図になったのである.

この第9条に対し、次の問題がある.

自然権としても、憲法前文の平和のうちに生存する権利からしても、政治道徳を宣言している事からしても、更に言えば、第13条の生命、自由、及び幸福追求に対する国民の権利からしても、それを守る手段として、軍事力を持つ事は容認されると解釈され、自衛隊を保有している.

その結果、第9条と自衛の為の部隊と武器の所有が併存しているのである.これは現憲法の大きな論理矛盾であり,欠陥である.

・しかも、自衛権の下で、自衛部隊や武器を所有しても、第9条によって、軍隊は存在しない事になっている為、軍事裁判、有事法制、など実力行使に必要な法的基盤が我が国には存在しないのである.

従って、自衛権、自衛隊、武器、はあるが自衛の為の武力行使は出来ないと言う、根本的な問題がある.道路交通法、刑法、民法等の一般法では,武力行使は出来ないのである.

・第9条の戦争放棄、非武装、によってか、『国民の国を守る義務』と言う、どの国でも常識とされる規定が憲法にはない.第9条と共に、世界ではあり得ない憲法である.

・従って、自衛権行使を出来るようにするには、国民の国を守る義務、自衛権・自衛軍の保持,軍規、軍事裁判、有事法制、等に関する憲法及び法律が必要になるのである.そこで、自衛権、自衛隊を合憲とするなら、必然的に、次のような憲法になる.

『国民は国を守る義務を負い,他国から生命、財産、幸福追求を守る手段として,又、世界平和への貢献の手段として,軍隊を持つ、その行使内容は法律で定める』

現状の自衛隊の保有、専守防衛の自衛権行使、国際平和活動の支援、を憲法にすると、こうなるのである.現状を憲法に反映しただけで,何の反対もないと思う.

・さらに、第9条は国連憲章と全く整合していない.上記の様に憲法を変えた上で,国連憲章が認めている集団安全保障活動、集団自衛活動、等への対応をどうするか,国際情勢を見ながら、政策として、武力行使の内容を検討すべきである.

以上が第9条の問題であるが、こう考えると第9条は憲法の全体の論理と孤立して存在し,いかにも,唐突に感じるのである.マッカーサーの指示で第9条が作られた事、憲法全体がつぎはぎの感じがする事、憲法全体の整合性が精査された形跡がない事、等が原因だと思う.

そんなわけで、第9条は憲法全体の論理の一貫性を保つ為にも、現実と整合させる為にも、国際平和に貢献する為にも、早急に改定すべきだと思う.

護憲論者は諸国民を信頼していれば国を守る必要がない.非武装の方が他国から侵害されない、それとも、日米安保条約があるから,日本は非武装で、国民は国を守らなくてもよい、等と言うのだろうか.

第3章・国民の権利及び義務に関する問題

・第3章全般に,権利の記述が多く、国民の義務としては、第27条の勤労の義務、第30条の納税の義務、だけである.日本国民としての重要な義務、例えば国を守る義務とか、憲法や法律を守る義務とか、があると思うのだが.

国を守る義務が無いのは第9条があるからだろうか、国民の義務をあまり憲法に書かないのは、戦争のトラウマがあるからだろうか.国家である以上、国民の義務はしっかり憲法に書くべきだと思う.

・第13条で生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利について・・・最大に尊重する、とあるが、憲法前文の政治道徳によっても、自国を守る権利があると解釈できるのである.ならば第9条と整合しない事になる.

・第15条1項で公務員を選定し,及び,これを罷免することは、国民固有の権利であると、しているが、公務員とは議員の事を言っているようだが、公務員では意味不明である.

草案の英文では The people are the ultimate arbiters of their government となっており、国民は政治の最高決定者であり、They have the inalienable right to choose their public officials and to dismiss them、国民は議員の選定及び罷免が出来る、としている.どうやらpublic officialsを、公務員と翻訳したらしいのである.公務員ではこの条文が意味不明になるのである.

・第15条2項で、すべての公務員は全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではないとの規定をしているが、こちらの公務員は議員を含めた、公職者全体を指しているように感じるが、そうだとすれば、上記1項の公務員がやはり間違いと言う事になる.

・第17条で公務員の不法行為に対する賠償の規定があるが、ここも同じ様に、公務員とは議員を含めた公職者全体を指しているように感じるが、そうだとすれば、第15条1項の公務員がやはり間違いと言う事になる.

・第36条(公務員による拷問、残虐な刑罰の禁止)の公務員も誰を指しているのか曖昧である.

・それとも、第3章の公務員はすべて議員を意味しているなら、議員以外の公職者の規定はない事になる.逆に、公務員の意味が議員を含めたすべての公職者の意味なら、第15条1項が間違いになる.さてどちらだろうか.

・第27条ですべての国民は勤労の権利を有し,義務を負う、勤労条件の基準は法律で定める、とあるが、働けない人達や職がない人達は憲法違反になるのだろうか.又、勤労とは雇われている人を指すのだろうか.そんなわけがないと思うが、勤労と言う言葉の意味も曖昧であり、語感としても違和感がある.

第4章・国会に関する問題

第53条(臨時国会開催)で各議院の総議員の4分の1以上の要求があれば、内閣はその招集を決定しなければならないとあるが,諸般の事情を鑑みて、いつまで、とか期間の規定はない.臨時国会の有り方の検討が必要だと思う.

・第58条(議員の除名)で院内の秩序を乱した議員を懲罰する事が出来る.ただし議員を除名するには出席議員の3分の2以上の多数による議決を必要とする、とあるが、『院内の秩序を乱す』とはどういう事かはっきりしていない. 議員の法律違反行為や道義的責任による懲罰とか除名とは別の事のようだが.

第5章・内閣に関する問題

米国草案では一院制であったが,日本の要望で、急遽、二院制に変更されたが経緯がある.短期間であった為か、一院制の規定が修正されず,遺っている所がある.

・第67条の内閣総理大臣、及び第68条の国務大臣の規定で、本来、衆・参の区別をするところを、国会議員としている.このままだと大臣はすべて参院議員でも良い事になる.政府が衆院解散を行っても、大臣は参院議員だから国民の審判を受けなくて済むことになる.

・内閣総理大臣の衆議院解散権は憲法のどこにも規定されていない.現在は天皇の衆議院解散宣言で、解散している.(第7条の天皇の国事行為としての衆院解散宣言を利用、7条解散と言われている)本来なら総理大臣の解散権を規定すべきである.

第6章・司法に関する問題

・第81条によれば最高裁判所は一切の法律、命令、規則、又は処分が憲法に適合するか、しないかを決定する権限を有す終審裁判所である、とあり裁判官の裁量で法律や行政行為が憲法違反だと判断した場合は、立法、行政の判断を否定出来る事を意味しているのである.

この司法権を期待して、本来、議会で議論すべき政治問題や法律問題を司法に持ち込んで反対運動を展開するケースが増えているように思う.議会より司法の場の方が議席数に関係なく、議論しやすかったり、裁判官の思想を利用できるからである.

もし、裁判官が法律や制度を憲法違反だと判断し、強制力の伴った差し止めや賠償を実施したとすると、民主主義の空洞化、お代官様国家になりかねないのである.こうならない為に、三権分立の制度を作るべきだと思う.又、立法府の議員が議会ではなく、司法に政治闘争の場を求める事は三権分立の思想に反していると思うのである.

ところで、明治憲法(大日本帝国憲法)を考えた伊藤博文は民権運動の言う民意と言うものを、何処まで憲法に反映するか悩んでいたと言う.国民に政治判断をゆだねる危険性を危惧していたのである.ヨーロッパを回ってこの問題を調べた結果、結論は,民主化を進める一方で、そのリスクを防ぐ為に、強力な官僚体制を作る、と言う事であったと言う.

それ以来、官僚は、富国強兵、戦争、戦後の復興に、主導的役割をしてきたのである.その影響か、民意による立法府の危うさを,専門家としての司法が口を出す(法律の違憲性を判断する)と言う構図が出来上がたと感じるのである.

はたして、民意と司法(官僚)の判断のどちらを優先すべきか、民主主義、主権在民の大きなテーマとして、第41条(国会は国権の最高機関)と第81条(最高裁判所の合憲・違憲の判断)を見直す必要があると思うのである.

第7章・財政に関する問題

・第89条で公の支配に属さない善意、教育、もしくは博愛の事業に対し、これを支出し、又、その利用に供してはならないとしているが、現実の補助金の支出先を見れば、この条文は守られていない事は明らかである.財政法の精神(借金の抑制)も含めて、政府支出の有り方、法律の有り方の検討が必要である.

第8章・地方自治に関する問題

・第95条で一つの地方公共団体のみに適用される特別法は、その地方公共団体の住民の投票において、その過半数を得なければ、国会はこれを制定できない、となっているが、特別法の住民投票が行われたことがあるのだろうか.昨今の特区構想で住民投票が行なわれるのだろうか.

第9章・改正に関する問題

・両院の3分の2で国会発議がされ、国民投票の過半数の賛成を得た時、憲法は改正されるが、3分の1の反対で発議ができなくなり、国民の投票権を奪うと言う主張がある.

・発議のハードルを下げて、国民投票のハードルを上げるとの主張もある.

・一方、複数条文が発議された時の賛否の取り方に問題がある.条文ごとに賛否を取るのか、一活で賛否を取るのかと言う問題である.

・一括で賛否を問う場合、目玉条文で全体の賛同を得たり、特定の条文で、全体が否決されたりするのである.一方、賛否の取り方を条文毎にすると、多くの条文が発議された場合、その賛否の取り方の問題、発議から投票までの期間の問題、等が起こる.かと言って,小出しに改定案を発議すると、国民投票が頻繁に起こる事になる.

・さらに言えば、69年間以上の凍結状態から、今後やる現憲法の修正や変更・追加が多く発議される、いや、発議せざるを得なくなる事が想像できる.結果、前面差し替えに等しい改正になるかもしれないのである.実質、憲法の差し替えになるのだが、この事の対応も考えておく必要がある.

・上記問題に加え、発議内容によっては、国民投票まで、どれくらいの期間を設けるのか、その間、国民への告知や政治運動をどうするのか、違反内容をどうするのか、投票方法をどうするのか、等、未確定な事が多いのである.

改定内容にもよるが、既法律の改定作業や、その国会審議期間も気になるのである.

法改定の経験が無いだけに、実際どうやるのか、まだまだ課題はありそうである.国民投票法が制定しただけでは問題はクリアーされないのである.本当に憲法改定ができるのか、不安になるのである.

第10章・最高法規に関する問題

・第99条で、天皇、国務大臣、国会議員、裁判官、その他公務員は憲法を尊重し、擁護する義務を負う.とあるが、擁護とは、憲法改定を論じる事や改定する事を許さないと解する人と、憲法違反を防ぐと解する人と、憲法を守る、と解釈する人がいる.

ちなみに英文の草案では.shall be bound to uphold and protect this Constitutionであり、protectは積極的なdefendやguardではないのだから、protect this Constitutionは憲法を守る(憲法遵守)と解すのが妥当だと思う.憲法を擁護する、は変えないと言うニュアンスがあり、改定する事を許さない、と解する人も出てくるのである.その解釈が正しいとすると、条文そのものが、とんでもない意味になるのである.

第99条に国民の憲法遵守義務が無いのは何か意図があるのだろうか.どの国でも、これを課しているのだが.

以上、憲法の問題点を列記したが,もっとあるかもしれないが、これらの問題点に反論する人は、あまりいないと思う.政治思想とは関係のない、ミスの問題であったり、条文間の不整合の問題を上げたからである.

これらの問題が内在した原因は、日本の有識者が精力的に作成した独自案がマッカーサーに却下された上に、米国草案の象徴天皇制、戦争放棄、民主化,人権、と言った想像を超えた内容に圧倒されて、翻訳された米国草案を推敲する意欲も、タイミングも、失ったからではないか、と思えるのである.

あえて、有識者や議員の『推敲不足』をホローすれば、短期間の為に、そのタイミングが無かった事.,口を挟む空気もなかった事、も原因の一つだったと思うのである.

この生煮えの憲法が69年間、一文字も修正されることもなく、一度も国民の信任を受けることもなく、今日に至っているのである.結果、現憲法が、不具合を内在したまま、時代の変化を反映しないまま、今だに憲法改定手続に重大な課題を残したまま、凍結状態にある事を思うと、何が最高法規だ、何が立憲主義だ、何が民主化国家だ、と思わず叫びたくなるのである.

このままでは、憲法の陳腐化が進み、日本が身動きできなくなるか、政府や司法の憲法解釈の幅が広がっていくか、いづれにしても、最高法規としての憲法の権威は落ちて行くのである.

憲法を真の最高法規にする為にも、憲法を国民のものにする為にも、国民も議員も、この事を真剣に考えなければならないと思うのである.また、どうせ改正するなら、この際、もっと体系的に、国の統治で守るべき理念や基本的規則を整理して、きれいな日本文で、全面的に書き換えたい、との衝動に駆られるのである.

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