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2015.11.10

414  日本人の組織論軽視への懸念

言うまでもなく企業の組織とは目標を達成する為に、政策を実現する為に、使命(ミッション),役割、機能,権限,責任を持った機能体の集合である.

各機能体はそれぞれのミッションに基づいて行動するのだが、同時に、ミッションに応じたナレッジの蓄積や人材の育成も、重要な役割なるのである.この様に各機能体は『事業推進のフォーメーションの一翼を担う』と同時に『ナレッジ,人材の畑』になるのである.

従って、この機能の集合体をどう作るのか、その機能体をどう活発に作動させるのか、は企業の重要なテーマなのである.この組織及び組織運営のあり方は企業のみならず,国家の統治機構を含めた,あらゆる組織に共通しているのである.

この重要な組織及び組織運営のあり方に対し、日本文化の影響からか、日本では,あまり重要視していない気がするのである.いくつか例を上げてみたい.

①企業の情報システムを設計する時、基本になるのは、その企業の組織体系図である.その部門の役割、機能、権限,責任を知ることが、情報システムの設計の基本になるからである.

ところが、現存の組織を見た時、機能、権限、責任が曖昧であったり、ひどい時には、組織体系図が書けない企業もある.そんな場合、情報システムの設計の前に、会社の機能の体系化とそれによる組織設計から始める事になるのである.

こんな経験もある.製品の販売価格、値引き、を、どういうプロセスで、誰が、決めているのか、と質問すると,その曖昧さが露呈し、大議論になる事がある.勿論、この質問は、企業の販売・利益管理体制や権限の問題に直結するからである.同じように、在庫の責任と管理の仕組みを聞くと、同じような現象が起こる事が多いのである.

②これまでに世間を騒がした,耐震偽装問題、理研のSTAP細胞の問題、東京オリンピックに向けた,国立競技場やオリンピックエンブレムの白紙撤回の問題、各競技施設の見直問題、ビル建設の杭打データ偽装問題、などが発生したが、いづれも、機能体組織に問題があると思う.その理由は責任体制が曖昧だからである.

通常、組織とは事業を推進する体制を表しているが,同時に,リスクに対する責任体制も表しているのである.従って,その責任体制が曖昧だと言う事は,その組織に問題があると言わざるを得ないのである.

『問題が起これば別途協議』と言う日本人の曖昧な契約文化が、事前のリスク対策を先送りにし,それが組織作りにも表れているのかも知れない.欧米の『リスク対応など細かく対応を決めて仕事を始める』と言う契約文化、ジョブデスクリプションによる作業文化、とは大違いである.日本人は会社や役所に就職するが、欧米人は職種に就職する,違いもある.

③大阪府と政令市の大阪市の二重行政の問題が議論されているが、これも地方の政治・行政組織の問題である.

同じエリアに同等の機能と権限を持った大阪府と大阪政令市が二つあって、しかも、別々に選挙が行われるのだから,二重行政が発生するのは当たり前の現象なのである.従って、これをなくすには、政令市を廃止Ðするしかないのである.これは、全国の道府県と政令市の関係に共通した行政組織の問題なのである.

又,知事と府会議員、市長と市会議員も別々の選挙で選ばれる為、それぞれに民意が衝突する事も必然である.加えて、それぞれの議会議員は中選挙区制で選ばれる事から、政党が単独過半数を得る事はほとんどあり得ない中で、首長・政党・議会が『なれ合い所帯』になったり、あげくに,大きな政策が出来なくなったり、地方政治の改革の足を引っ張ったり,投票率がいつも低調になったり、するのである.この事も、現在の自治体組織制度のあり方で起こる問題なのである.

更に言えば、260万人の大阪政令市で道府県の同等の機能と基礎自治体の機能を大阪市長が一人で対応する事は根本的に不可能である(公選される県知事、十数人の市町村長の仕事を一人でやるようなもの).従って、よく言えば政令市市長は調整役、悪く言えば、お飾り、あるいは名誉職になりかねないのである.これも政令市制度の問題である.

このような地方自治体の政治・行政組織には多くの問題が内在しているのだが、結局、現行の組織制度は自治体の意思決定をやりづらくする制度だと言える.『中央集権を強め、地方に勝手な事を決めさせない』と言うコンセプトに従って,現行の自治体組織制度が作られているなら見事な制度である.(勿論、皮肉だが)

これらの問題に対し、大阪維新の会が、二重行政を廃止し、大阪府全体を競争力のある都市にしよう、社会投資を一元化し、投資効率を上げよう、無駄な財政支出をやめよう、政令市大阪の役人天国をやめよう.,大阪市を住民サービスを任務とする複数の基礎自治体に分割しよう、と言う大阪都構想を打ち出したのは、まっとうな提案なのである.

これに対し,大阪府と大阪市の二重行政の問題は、話し合いでうまくやろう、等と言人がいる.しかし、その主張は上記の問題指摘の様に、組織原理からして、あり得ない主張なのである.歴史も、それでは、うまく出来ない事を証明しているのである.この人たちは、組織論に無頓着か、現状の政令市の既得権を守ろうとする人たちの主張にしか見えないのである.

又、明治以来の中央集権統治機構を、機能、権限、予算が肥大化している現在、思い切って、地方分権体制に移すべきだと言う構想もあるが、まさに、これも、組織論の話になるのである.

④海外企業と共同事業を始めようとする時、海外企業の発想は機動力発揮の為に、共同出資の別会社を作る事をイメージする.一方、日本人は既存組織の中でやる事をイメージする.日本人は新しい事を始める事には躊躇しないのだが、別会社設立となると、とたんに躊躇してしまうのである.日本人の起業が少ない事と関係していると思う.どうやら、新しい組織を作る事に大きなハードルを感じてしまうのかも知れない.

⑤日本人は、器用に、一筆書きで物を作る事は得意だが、論理設計(仕組みの設計)をして、多くの人に作らせる事は苦手だ、と言う傾向がある.よく言われる、職人文化と言われたり、テクノロジー(技術)は得意だが、アーキテクチャー(方式・仕組みの設計)は不得意だ、と言われる事でも、明らかである.これは物つくりの話だけではなく、その物を作る組織作りにも連動した話なのである.

複雑なソフトウエアー開発で言えば、日本人はコンピューター、パソコン、スマートフォン、の基本ソフト(OS)を作ったことが無い.財力の問題もあるが、OS全体のコンセプトイを決め、巨大なソフトの論理設計(構造化設計)をし、それによる分業開発体制を編成する、と言う一連の作業が苦手なのである.企業や金融の巨大なアプリケーションソフトの開発も、巨大なパッケージソフトの開発も、同じ様に感じるのである.

私の経験で言うと、大きな目標や課題解決に対し、米国人は先ず、それに必要な、大きな機能を切り出して、ブロックにし、全体の機能関連図を描くのである.そして、それぞれのブロックをさらに機能細分し、幾層にも、ブロックを展開して行くのである.まるで開発の組織体制図を書いている如きである.

これが機能体系図(=組織体系図)であるが、この機能体系図で重要な事は、機能ブロック間のインターフェースを定める事、細かな機能は逐次追加開発で可能になる事、トラブルやメンテナンスを局所化出来る事、並行して開発出来る事、組織編制や進捗管理や予算管理や責任体制が明確になる事、等、まさにプロジェクトマネージメントが的確に出来る事である.この機能体系図を的確にできるかどうかが,製品つくりや,組織作りに大きく影響するのである.

この論理設計に関して、日本人は、器用さ、阿吽の呼吸、和の精神、が災いしてか、構造的に論理を展開する事が、総じて苦手だと感じるのである.それが組織のあり方の軽視につながっているように思えるのである.

当ブログNO029『一頁と100頁の契約書に見る日米文化』(06・01)で発信した日米文化比較と類似しているのである.

以上、日本人の組織軽視の傾向に関して、その懸念を述べたが、日本人は、事業計画でも、組織作りでも、製品つくりでも、次の三つを連動させて認識すべきだと強く思ったのである.

①コンセプトの重要性(事業・組織・製品の考え方、目標)
②コンセプト実現に向けた合理的な論理設計の重要性(製品・組織の機能体系化)
③組織の機能体系化による専門家集団の形成(リーダーシップ,機動力)

是非,この三つの視点で,現状の事業(製品,組織)を見直すべきだと思うのである.各組織に属する人たちは、その役割、機能を発揮する為の研鑽を見直すべきである.勿論,これは,企業だけではなく、政治・行政の組織も同じである.

日本人はよく、一致団結とか、話し合いとかの掛け声や、組織より中身だ、と言ったりするが、それが,事業や組織の脆弱性,不合理性,不効率性を隠してしまう事になれば問題である.大きな組織体であるほど,これでは、良い成果は生まれない、どころか、組織全体が烏合の衆になって行くのである.事実、烏合の衆ほど,抽象的なエールが飛び交うのである.

ところで、オリンピック開催準備及び本番運営で言えば、政府及び国の各行政機関、東京都の各行政機関、オリンピック組織委員会、更には、関係企業、ボランティア組織、等による、巨大な組織になると想像する.

はたして、すべての役割を洗い出して、ツリー構造の全体組織体制をきちっと描かれているのだろうか.もし、描かれていないのであれば、各組織のリーダーシップも発揮されず、役割の漏れ,責任不在、臨機応変な対応、予算管理、進捗管理、新たな問題への対応、等、まさに巨大なプロジェクトの管理が出来なくなるのである.

私見であるが、誰がこの組織体制を考えているか,さえも分らず,大変心配しているのである.日本人はしっかりしているから大丈夫だ、は,あまりにも楽観的過ぎると思うのである.組織の重要性を軽んじて欲しくないのである.

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