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2015.11.27

417 ふるさと納税制度の存続にかかわる大問題

当ブログNO393で『ふるさと納税』の法的疑念を発信したが、年末を控えて,税額控除と特産品目当ての,ふるさと納税が過熱しているので、再度、問題点を発信したい.

昨今,寄付金に対し,還元率が100%を超える返礼品を出しているところもある.地方自治体としては他地域からの寄付金だから、還元率が100%でも、腹は痛まないし、地方企業にとっても財源が何であれ,商品が売れれば助かるのである.

この,ふるさと納税制度は平成20年度から地方の活性化を目的にスタートした.平成27年上期の寄付金額は全国で453億円(前年同期比 3.5倍)だと言う.還元率競争激化とともに伸びているのである.

人気が急速に高まっている事を受けて、政府は更に寄付を拡大する為に、手続きの簡素化、寄付上限の引き上げ、企業版の検討、などが考えられていると言うのである.

このふるさと納税制度の概略は次の通りである.

①寄付金(2000円を除いて)を税控除対象とする(主に住民税)
②納税者は返礼品(特産品)目当てに,該当自治体に寄付をする(上限あり)
③寄付金で地元特産品を購入し,寄付者に寄付のお礼として特産品を贈る.

(図はクリックすると拡大)
Photo_2
この制度は、地方が寄付金で特産品を買って、寄付者にお礼として特産品を返すと言うだけなら、物販と同じである.ところがこの寄付金(2000円を除いて)は税控除されると言う事から、居住地の税控除金で地方の特産品を買って,寄付者にお礼の特産品を返す事に変質するのである.

寄付者は寄付しなかったとした時の納税額より、2000円が負担増になるが、この2000円で特産品がもらえるように見えるのである.しかし、その特産品の代金は,居住地の税金(税控除額)で払っているのである.

この事を広く周知徹底させず、一部のテレビでは、年末の大バーゲンセールの様に、あたかも、2000円で高額な特産品が手に入ると吹聴しているのである.

この制度を利用して地方の事業に寄付をすると言う、まさに真のふるさと納税もあるようだが、ほとんどが特産品目当ての寄付である.

以前にも発信しているが,この制度がさらに拡大しようとしている今、再度、この制度の存続にかかわる根本的な問題点を指摘しておきたい.

①この制度の寄付金は国語的にも、税法的にも、寄付ではない.

・返礼品(見返り)付の寄付は寄付とは言わない.
・ましてや、高い還元率の返礼品は寄付のお礼とは言えない.贈与である.

・寄付者はふるさとへの寄付が目的ではなく、特産品の取得が目的である、

②特産品をあげるから寄付をくれ、寄付をくれたら税控除する、は違法行為だ.

お礼(特産品)をあげるから寄付をくれ、は贈賄罪、寄付でもない金額を税控除すれば脱税である.又、還元率の高いお礼は贈与であり,贈与税を払わなければ脱税である.

このように、見返り付寄付を税控除対象に出来るなら、税法で言う寄付控除の意味が曖昧になり、税の公平性が失われるのである.どうして、こんな簡単な事が許されているのか,理解できないのである.

総務省は、寄付金と返礼品は別の事象であり、お礼(返戻品)の内容は自治体の判断だとしている.あくまでも、寄付は地方活性化の寄付だと言いたいようである.

この理屈が通るなら、通販の特産品購入も地域活性化の為とすれば、その代金は寄付になり、2000円を除いて、税控除の対象にできる事になるのである.

この違法な制度への保身か、総務省は他人事の様に,自治体の返礼品競争の過熱に自粛を要請しているのである.しかし,返礼品がお礼ではなく,贈与に当たるから税控除出来ないとか,見返り付寄付金は税控除出来ないとか、この制度の根幹にかかわる問題には触れていないのである.

③この制度は課税の公平性を無視している.

ふるさと納税した人と、しない人、で返礼品額分、実質納税額に差が出る事から、この制度は明らかに税の公平性が失われているのである.又、高額納税者は多額の寄付(税控除)が可能になり、2000円で多額な特産品が手に入れる事が出来る事も大きな不公平を生むのである.

この制度を利用しない人の中に、居住地の税金で地方の特産品を買う事に反対している人もいるかもしれないのである.

又、この制度の運用で、自分の居住地にふるさと納税を認めないと、税控除の公平性が失われるのである.

④税金で一般商品を買って、安く配る事は税金の使途としては許されていない

公共財でもない商品を買って、個人に安く配る事は、個人資産に税金を使う事になり、許されていない.近年になって、やっと、災害見舞時のみ、これを認めるようになったくらいである.従って,一般商品を税金で買って,2000円で配る当制度は税法の根幹にかかわる問題になるのである.

⑤地域活性化策としても疑問である.

税金で商品を買う事が、通常の通販ビジネスや一般の物販の足を引っ張りかねない.又、このまま,ふるさと納税制度を拡大すると、ますます地方企業は農業や建築土木業と同じように、税金依存体質を強めて行く事になる.

そんな事で、地方の展望が開けるのだろうか.自力で地域特産品を内外に打って出ている企業の芽をつぶすかもしれないのである.

要は経済原則に反する政策・制度は悪貨が良貨を駆逐するように、経済全体に悪影響を及ぼすのである.勿論、そんな政策・制度はいつか破綻するのであって、その前に、手を打たなければならないのは当然である.

この制度を考えた人は、財務省の腹も痛まず、地方自治体も、地方企業も、寄付者も喜んでいると、自画自賛していると思うが,税制度面の検証や地域の持続的産業振興の視点が全く欠落していると思う.この制度が税法にも触れず、しかも、持続的な地域振興になっているかどうか、拡大する前に、検証が絶対必要だと思う.

問題点は以上の通りである.これに対し、私見は次の通りである.

税制は決め事だとしても、論理の整合性、課税の公平性、或は、公金の使途、を無視してはならないし、それを無視している,現ふるさと納税制度は即刻、廃止すべきだと思う.

同時に、地方税、交付金、と整合した、真のふるさと納税制度(納税者による特定事業や自治体への寄付)の拡大策を考えるべきだと思うのである.

又、地域活性化策においては、一時的な救済と言った経費の視点ではなく、リターンを意識した投資の視点で再考する必要がある.プレミアム商品券や地域創生交付金も同じである.

以上,『ふるさと納税制度』は、ふるさとでもなく、納税制度でもなく、寄付制度でもなく、地域活性化策でもなく、単に、地域活性化と称して、税金で商品を買う制度であり、しかも、税法で許されるわけもなく、即刻廃止すべきだと発信したのである.

こんな指摘をする人は私だけかもしれないが、早急に検証を要する大問題だと思うのである.

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2015.11.25

416 大阪W選で大阪維新の会の圧勝が意味する事

11月22日の大阪W選挙で大阪府知事、大阪市長、ともに、大阪維新の会が圧勝した.府知事選挙では大阪府の全市町村が、大阪市長選挙では西成区を除く23区が自民党推薦候補を抑えたのである.

全く、期待通り、予想通り、の結果であった.5月の住民投票で大阪都構想が僅差で否決された時、大阪の光が消えたと発信したが、今度の圧勝で、大阪に光が戻って来た感じである.

大阪維新の会の圧勝が意味する事について私見を述べてみたい.

①政策と人材の乏しい大阪既成政党はいよいよ再起不能に陥った.

橋下氏・松井氏の登場以前も以後も、大阪の既成政党は府知事や大阪市長にふさわしい人材を輩出してこなかった.更に言えば、日本第2の都市にも関わらず、実力のある国会議員や大臣,総理も輩出して来なかった.今回の大阪W選でも、またしても,政策はおろか、その任にふさわしい立候補者も立てられず,只,反維新を叫ぶだけだったのである.又、日頃の府議会、市議会の議論を見ても,大阪の既成政党議員のプアさには、あきれていたのである.

そんな既成政党が長い間、公務員天国を作り、都市計画に悉く失敗し、財政危機を招き、教育・福祉政策を停滞させ、大阪の発展を阻害して来たと思うのである.それを許してきた大阪の政治風土も問題であったと思う.大阪夏の陣以来、大阪は政治とかけ離れて来た歴史も影響していると思う.

そんな中で、橋下氏が8年前,登場し、次々に問題を明るみに出しながら、改革に取り組んできたのである.その反面、大阪の既成政党はますます政治力の無さをさらけ出してきたのである.そして、いよいよ今回の選挙で、その存在すらも、危うくなってしまったのである.

②挙句に、民・共と共闘した自民大阪支部は自ら墓穴を掘った.

府知事選、市長選はマニフェストや人物を選ぶ直接選挙である.にもかかわらず、自民大阪支部が自民推薦候補が勝つ為に、反維新で民・共と共闘を組み、反維新を叫んだだけの選挙運動にを展開した.選挙の意味も政党存在の意味も全く理解していない愚行に走ったのである.

この大阪自民党支部の愚行は、誰が見ても『悪あがき』の『自滅行為』だとわかる.それが選挙の結果にも表れているのである.そんな事すら読めない大阪自民党支部は存在理由さえも失ったと思うのである.

この①②を補強する為に、各既成政党の大阪支部は本部の応援を受けていたが、全く逆効果だったと思う.この選挙の惨敗で、本部は『大阪支部は何をやっているのだ』とつるし上げていると思う.

本部が地域支部をつるし上げる前に,下部組織がはたして地域の発展に貢献しているのか、どうか、から点検すべきだと思う.又、地域とのパイプを強くするなど、本部風を吹かせるのも、時代遅れである.そこから脱皮しなければ既成政党は地域政治など出来ないと思うのである.

③一方、大阪府下で大阪維新の会の更なる勢力の拡大が確実になった

上記①➁から大阪維新の会が勢いを増し大阪府市の改革は進むと思う.同時に、府会議員、市会議員の選挙でも確実に維新の勢力が拡大して行くと思う.又、大阪の国政選挙でも、『おおさか維新の会』が議席数を延ばし、既成政党の議席はさらに激減すと思う.
その予想が,すでに、国政に影響を与え始めているのである.

④地域政治の改革、地方創成,地方分権に地域政党の必要性が認識された.

大阪のような既成政党の地域における問題は、どの地域でもありそうである.そこで、少なくとも、政令市を持つ道府県では地域の事を真剣に考える地域政党が必要になってくると思う.地方分権、地域創生ならばこそ地域政党が必要になるのである.今回の大阪維新の会の圧勝は各地域の地域政党化に拍車をかけると思われる.

この傾向は国政政党の下部組織が地方政治をやる事の終焉を意味している.下部組織は国政選挙の地域組織であって、本来的に地方政治を司る組織ではないのである.これでは、人材も、地域政策も育たず、地方政治がよくなるわけがないのである.橋下氏が地域政党の必要性を当初から訴えていたが、その通りだと思う.

⑤風雲児橋下氏のすごさ.

8年間、橋下氏は幾たびかの選挙で信を得ながら、精力的に、全力で、府政、市政の改革に取り組んで来た.又、志を実現する仲間を集めて、全く新しい政党を起こし、地域政党、国政政党を立ち上げて来た.これら一連の活動は、既成政党に大きな影響を与えてきたのである.同時にマスコミの報道姿勢にも、鋭く切り込み、持ち前の立論力、説得力で、その問題点を論破してきたのである.

この橋下氏を政治の世界に引きずり込み、改革の嵐を起こしたのは、大阪の政治がそれ程、問題だらけだったとも言えるのである.その意味で大阪が橋下氏の資質を引き出させたとすれば、大阪が生んだ歴史に残る、稀有な政治家だと言う事になる.

この橋下氏は実にすごい能力の持ち主だとかねてから思っていた.それは誰にも負けない『立論力とデベート力』である.多分、橋下氏の右に出る者は世界広しと言えども、いないと思うくらいである.

橋下氏の『立論力・デベート力』の特徴は具体例を実にうまく使う事である.

相手からの反論や批判に対しては、具体例で、その批判が間違っていると切り返す、自分の指摘した問題には、具体例を上げて問題認識の共有を計る、自分の主張には、解決すべき具体的問題を上げて説得するのである.机上の空論は蹴飛ばされる事になる.

そんなわけで、現場の事を良く知っていないと、とても橋下氏には勝てないのである.政治家も、学者も、コメンティターも、評論家も、新聞社も、随分、この論法で、やっつけられたと思う.

その反面、この力が逆効果を生んできたことも事実である.

弁護士なら論理で勝てば良いのだが、政治家は論破したら,味方に付けなくてはならないのである.しかし、橋下氏の場合は論破された有識者は自身のプライドに傷が付くものだから、別の事で挽回を図ろうとするのである.従って、橋下氏が論破する程、敵が増えて行くのである.論破された有識者の幼児性が問題だと思うが.

そんな橋下氏の選挙演説は絶品である.人を引き込む演説は田中角栄総理以外思い出せないくらい見事である.今回のW選で、8年間を総括した演説は,まさに,大阪の政治史を語る上でも、永久保存版に値する名演説であったと思う.

同時に、後任の吉村洋文新大阪市長を生んだことも見事である.この吉村新市長は弁護士であるが、橋下氏の愛弟子として、大阪市議、衆議院議員の経験をしながら、維新の政策策定に取り組んできた人物である.今回の選挙で、若き、クレバーな、好人物だと認められた事は、橋下氏にとっても最上の喜びだったと思うのである.吉村大阪市長には大いに期待したいと思う.

最後に橋下氏の今後であるが、8年間、全力で投球したのだから、しばらく、クールダウン期間、充電期間を取ったのち、今度は『おおさか維新の会』の代表として国政に登場し,改革勢力を束ねながら、大阪都構想の実現、憲法の改定、統治機構の改革、等、に旋風を起こして欲しいのである.これで名実ともに『維新』になるのである.

 

 

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2015.11.21

415 世界野球プレミアム12韓国戦で思った事(発想の転換)

世界野球プレミアム12は第一次リーグでは全勝したが、決勝トーナメントで韓国に敗れ、優勝の夢は絶たれた.

この決勝トーナメントの韓国戦で3-0で迎えた9回表、4失点で大逆転され、3-4で敗戦したのだが、その原因について言及してみたい.

先ず,韓国戦を振り返って見ると、次のように,『野球は投手力』であることがよくわかる.

第一次リーグ  5-0 で勝ち
大谷6回被安打2に対し、則本・松井の被安打は5、四死球は1
決勝トーナメント  3-4 で負け 
大谷7回被安打1に対し、則元・松井・増本の被安打は5、四死球は2

ここにある様に、勝敗とは別に、中つぎ、押さえの投手の被安打が第一次リーグでは5/7、決勝トーナメントでは5/6、打たれている.2試合合計で見ると,大谷の被安打3に対し、中つぎ、押さえの被安打が10であった.この事から、次の事が言える.

①決勝トーナメントで89球、被安打1、3-0で完封中の大谷を7回で降板させ、第一次リーグで打たれている則本・松井を再び登坂させた理由が全く理解不能であった.

中つぎ、押さえの投手は、先発よりイニングが短い分、剛球で抑えられる投手でなければならないが、大谷先発の場合、後続の投手は相手からすれば打ちやすくなる(数字でも明らか).このリスク対策が考えられていなかった.

以上の事から決勝トーナメントは従来の先発・中つぎ・押さえの発想ではなく,下記のような、大谷で勝つ新たな戦法(理に適った発想の転換)が必要だったと思うのである.

①大谷投手が先発の場合は、調子が良ければ、続投させる(完投も視野)
②先発陣に3イニングをまかせ、4回から6イニング,大谷投手にまかせる

上記②は大谷の後で投げる投手のリスクをなくす為の戦法である.大谷の実力からすれば、先発陣が3イニングで最少失点に押さえれば、勝利の確率は高まるのである.少なくとも、大谷降板後で大逆転されるリスクはなくなるのである.その意味で、②の戦法は有効だと思う.

監督はペナントレースのような、先発・中つぎ・押さえと言う戦い方にこだわっていたように思う.大谷と言う最強の投手を登坂させる場合は、全く違う戦い方があっても良いと思うのである.

ここで教訓をまとめると,当たり前の事だが、

①長いペナントレース(マラソン)と一発勝負(100m走)では戦い方が全く違う事.
②一発勝負では、投手
力の最大化、投手リスクの最小化を徹底する事.

である.

 

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2015.11.10

414  日本人の組織論軽視への懸念

言うまでもなく企業の組織とは目標を達成する為に、政策を実現する為に、使命(ミッション),役割、機能,権限,責任を持った機能体の集合である.

各機能体はそれぞれのミッションに基づいて行動するのだが、同時に、ミッションに応じたナレッジの蓄積や人材の育成も、重要な役割なるのである.この様に各機能体は『事業推進のフォーメーションの一翼を担う』と同時に『ナレッジ,人材の畑』になるのである.

従って、この機能の集合体をどう作るのか、その機能体をどう活発に作動させるのか、は企業の重要なテーマなのである.この組織及び組織運営のあり方は企業のみならず,国家の統治機構を含めた,あらゆる組織に共通しているのである.

この重要な組織及び組織運営のあり方に対し、日本文化の影響からか、日本では,あまり重要視していない気がするのである.いくつか例を上げてみたい.

①企業の情報システムを設計する時、基本になるのは、その企業の組織体系図である.その部門の役割、機能、権限,責任を知ることが、情報システムの設計の基本になるからである.

ところが、現存の組織を見た時、機能、権限、責任が曖昧であったり、ひどい時には、組織体系図が書けない企業もある.そんな場合、情報システムの設計の前に、会社の機能の体系化とそれによる組織設計から始める事になるのである.

こんな経験もある.製品の販売価格、値引き、を、どういうプロセスで、誰が、決めているのか、と質問すると,その曖昧さが露呈し、大議論になる事がある.勿論、この質問は、企業の販売・利益管理体制や権限の問題に直結するからである.同じように、在庫の責任と管理の仕組みを聞くと、同じような現象が起こる事が多いのである.

②これまでに世間を騒がした,耐震偽装問題、理研のSTAP細胞の問題、東京オリンピックに向けた,国立競技場やオリンピックエンブレムの白紙撤回の問題、各競技施設の見直問題、ビル建設の杭打データ偽装問題、などが発生したが、いづれも、機能体組織に問題があると思う.その理由は責任体制が曖昧だからである.

通常、組織とは事業を推進する体制を表しているが,同時に,リスクに対する責任体制も表しているのである.従って,その責任体制が曖昧だと言う事は,その組織に問題があると言わざるを得ないのである.

『問題が起これば別途協議』と言う日本人の曖昧な契約文化が、事前のリスク対策を先送りにし,それが組織作りにも表れているのかも知れない.欧米の『リスク対応など細かく対応を決めて仕事を始める』と言う契約文化、ジョブデスクリプションによる作業文化、とは大違いである.日本人は会社や役所に就職するが、欧米人は職種に就職する,違いもある.

③大阪府と政令市の大阪市の二重行政の問題が議論されているが、これも地方の政治・行政組織の問題である.

同じエリアに同等の機能と権限を持った大阪府と大阪政令市が二つあって、しかも、別々に選挙が行われるのだから,二重行政が発生するのは当たり前の現象なのである.従って、これをなくすには、政令市を廃止Ðするしかないのである.これは、全国の道府県と政令市の関係に共通した行政組織の問題なのである.

又,知事と府会議員、市長と市会議員も別々の選挙で選ばれる為、それぞれに民意が衝突する事も必然である.加えて、それぞれの議会議員は中選挙区制で選ばれる事から、政党が単独過半数を得る事はほとんどあり得ない中で、首長・政党・議会が『なれ合い所帯』になったり、あげくに,大きな政策が出来なくなったり、地方政治の改革の足を引っ張ったり,投票率がいつも低調になったり、するのである.この事も、現在の自治体組織制度のあり方で起こる問題なのである.

更に言えば、260万人の大阪政令市で道府県の同等の機能と基礎自治体の機能を大阪市長が一人で対応する事は根本的に不可能である(公選される県知事、十数人の市町村長の仕事を一人でやるようなもの).従って、よく言えば政令市市長は調整役、悪く言えば、お飾り、あるいは名誉職になりかねないのである.これも政令市制度の問題である.

このような地方自治体の政治・行政組織には多くの問題が内在しているのだが、結局、現行の組織制度は自治体の意思決定をやりづらくする制度だと言える.『中央集権を強め、地方に勝手な事を決めさせない』と言うコンセプトに従って,現行の自治体組織制度が作られているなら見事な制度である.(勿論、皮肉だが)

これらの問題に対し、大阪維新の会が、二重行政を廃止し、大阪府全体を競争力のある都市にしよう、社会投資を一元化し、投資効率を上げよう、無駄な財政支出をやめよう、政令市大阪の役人天国をやめよう.,大阪市を住民サービスを任務とする複数の基礎自治体に分割しよう、と言う大阪都構想を打ち出したのは、まっとうな提案なのである.

これに対し,大阪府と大阪市の二重行政の問題は、話し合いでうまくやろう、等と言人がいる.しかし、その主張は上記の問題指摘の様に、組織原理からして、あり得ない主張なのである.歴史も、それでは、うまく出来ない事を証明しているのである.この人たちは、組織論に無頓着か、現状の政令市の既得権を守ろうとする人たちの主張にしか見えないのである.

又、明治以来の中央集権統治機構を、機能、権限、予算が肥大化している現在、思い切って、地方分権体制に移すべきだと言う構想もあるが、まさに、これも、組織論の話になるのである.

④海外企業と共同事業を始めようとする時、海外企業の発想は機動力発揮の為に、共同出資の別会社を作る事をイメージする.一方、日本人は既存組織の中でやる事をイメージする.日本人は新しい事を始める事には躊躇しないのだが、別会社設立となると、とたんに躊躇してしまうのである.日本人の起業が少ない事と関係していると思う.どうやら、新しい組織を作る事に大きなハードルを感じてしまうのかも知れない.

⑤日本人は、器用に、一筆書きで物を作る事は得意だが、論理設計(仕組みの設計)をして、多くの人に作らせる事は苦手だ、と言う傾向がある.よく言われる、職人文化と言われたり、テクノロジー(技術)は得意だが、アーキテクチャー(方式・仕組みの設計)は不得意だ、と言われる事でも、明らかである.これは物つくりの話だけではなく、その物を作る組織作りにも連動した話なのである.

複雑なソフトウエアー開発で言えば、日本人はコンピューター、パソコン、スマートフォン、の基本ソフト(OS)を作ったことが無い.財力の問題もあるが、OS全体のコンセプトイを決め、巨大なソフトの論理設計(構造化設計)をし、それによる分業開発体制を編成する、と言う一連の作業が苦手なのである.企業や金融の巨大なアプリケーションソフトの開発も、巨大なパッケージソフトの開発も、同じ様に感じるのである.

私の経験で言うと、大きな目標や課題解決に対し、米国人は先ず、それに必要な、大きな機能を切り出して、ブロックにし、全体の機能関連図を描くのである.そして、それぞれのブロックをさらに機能細分し、幾層にも、ブロックを展開して行くのである.まるで開発の組織体制図を書いている如きである.

これが機能体系図(=組織体系図)であるが、この機能体系図で重要な事は、機能ブロック間のインターフェースを定める事、細かな機能は逐次追加開発で可能になる事、トラブルやメンテナンスを局所化出来る事、並行して開発出来る事、組織編制や進捗管理や予算管理や責任体制が明確になる事、等、まさにプロジェクトマネージメントが的確に出来る事である.この機能体系図を的確にできるかどうかが,製品つくりや,組織作りに大きく影響するのである.

この論理設計に関して、日本人は、器用さ、阿吽の呼吸、和の精神、が災いしてか、構造的に論理を展開する事が、総じて苦手だと感じるのである.それが組織のあり方の軽視につながっているように思えるのである.

当ブログNO029『一頁と100頁の契約書に見る日米文化』(06・01)で発信した日米文化比較と類似しているのである.

以上、日本人の組織軽視の傾向に関して、その懸念を述べたが、日本人は、事業計画でも、組織作りでも、製品つくりでも、次の三つを連動させて認識すべきだと強く思ったのである.

①コンセプトの重要性(事業・組織・製品の考え方、目標)
②コンセプト実現に向けた合理的な論理設計の重要性(製品・組織の機能体系化)
③組織の機能体系化による専門家集団の形成(リーダーシップ,機動力)

是非,この三つの視点で,現状の事業(製品,組織)を見直すべきだと思うのである.各組織に属する人たちは、その役割、機能を発揮する為の研鑽を見直すべきである.勿論,これは,企業だけではなく、政治・行政の組織も同じである.

日本人はよく、一致団結とか、話し合いとかの掛け声や、組織より中身だ、と言ったりするが、それが,事業や組織の脆弱性,不合理性,不効率性を隠してしまう事になれば問題である.大きな組織体であるほど,これでは、良い成果は生まれない、どころか、組織全体が烏合の衆になって行くのである.事実、烏合の衆ほど,抽象的なエールが飛び交うのである.

ところで、オリンピック開催準備及び本番運営で言えば、政府及び国の各行政機関、東京都の各行政機関、オリンピック組織委員会、更には、関係企業、ボランティア組織、等による、巨大な組織になると想像する.

はたして、すべての役割を洗い出して、ツリー構造の全体組織体制をきちっと描かれているのだろうか.もし、描かれていないのであれば、各組織のリーダーシップも発揮されず、役割の漏れ,責任不在、臨機応変な対応、予算管理、進捗管理、新たな問題への対応、等、まさに巨大なプロジェクトの管理が出来なくなるのである.

私見であるが、誰がこの組織体制を考えているか,さえも分らず,大変心配しているのである.日本人はしっかりしているから大丈夫だ、は,あまりにも楽観的過ぎると思うのである.組織の重要性を軽んじて欲しくないのである.

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