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2015.12.29

421 日韓慰安婦問題の政治決着への感想

12月28日、日韓関係のトゲであった慰安婦問題に対し,日韓両政府の合意が成立した.そこで、当ブログで発信していた歴史認識問題に関する提言と合わせて、感想を述べたい.

戦争と言うものは、いつの世でも、どこの国でも、戦争に勝つと言う大義の下で、自国、他国を問わずを,生命、財産,人権、尊厳、自由,平等,を奪うものである.しかし、皮肉な事に、これらを守る為に、人類は、この残酷な行為を繰り返してきたのである.

戦争の勝者、敗者、たがわず、兵の性処理、捕虜虐待、虐殺、無差別攻撃、空爆、原爆、等も、残虐な非人道的行為に違いないのである.

しかし、これらの残虐行為に関する歴史認識はナショナリズムが働きやすい事もあって、双方が一致する事は極めて少ないのである.その結果、対立や戦争の連鎖が起こるのである.

しかし、戦禍の絶えなかったヨーロッパや、先の戦後処理における日本は、この大きな壁を乗り越えて,今日の秩序を作ってきたのである.日本について言えば,ポツダム宣言受託や東京裁判、サンフランシスコ講和条約、その後の日韓基本条約やアジア諸国との条約によって、或は経済支援などで、今日の秩序を作ってきたのである.

一方、韓国は日本と基本条約締結後、反日運動の一貫として、慰安婦問題をかかげて外交を遮断したり、海外に慰安婦問題を吹聴したのである.

この韓国の振る舞いを問題視する安倍政権に対し日韓関係をさらに悪化させない為に,多くのマスコミ,有識者,政治家が『歴史認識を封印すべきだ』と主張していたのである.

この主張に対し,私は意味不明だと思ったのである.『封印して、どうしたいのか』がさっぱり見えなかったからである.見えたのは、日本特有の『沈黙は金』,『曖昧の合理性』,『おとなの対応』,『問題の先送り』,『穏便に』等の日本文化の匂いである.

もし、これまでの外交と同じように、封印(沈黙)を続ければ,間違った認識が、更に流布される危険性があると思うのである.そこで、『封印より人類の英知を主張すべきだ』と下記ブログで、当時の主張に反論したのである.

329 歴史認識の封印より人類の英知の主張を(13・07・31)

その主な内容は下記の通りである.

この『封印』の主張は、国内で通用しても,国際社会では通用しない、国家間の関係は『封印』ではなく、『国家間の歴史認識の差を政府はどう扱うか』が大事であって、その為に次の二つの同意を求めるべきだと提言したのである.

㋑歴史認識の差を政治利用しない.

歴史認識は国家間で一致する事は困難であり、その差を政治利用する事はナショナリズムに偏重した不毛の戦いになる.そこで、その差を政治利用しない事を約束する事が、対立を断ち切る為に必要だ、と提言したのである.

㋺ただし,民間の慰安婦問題に関する言論は自由である.


歴史認識の差を政治から切り離す事で、ナショナリズムに偏重した歴史認識の対立を是正し、言論や表現の自由を担保することで,相互の国民が歴史認識の間違いや差を冷静に知る事が出来ると主張したのである.この方が両国にとって健全だと考えたのである.

この提言を12月28日の慰安婦問題の政府間決着に当てはめて考えて見たい.

今回の政府間決着はおおよそ、次の通りである.

①日本軍の関与に対し謝罪する.(強制性に言及せず、何らかの関与とした)

②慰安婦の方に日韓共同で支援をする為に日本政府は10億円拠出する.
➂慰安婦問題を最終的、不可逆的に解決したとする.(蒸し返さない)
④在韓日本大使館前に設置された慰安婦像の移動は韓国政府が取り組む.

日韓とも国内世論の中に火種は残っているが,今後、日韓両政府は慰安婦問題を外交問題にしないと合意したのである.これは提言の㋑の部分の合意であり,大いに評価できるのである.

この合意にもとづく、いくつかの成果を挙げておきたい.

・ナショナリズムに偏重した政治、言論,が是正される
・不毛の対立に終止符を打って,日韓関係を未来志向に向けられる
・軍の関与を認めるかわりに、➂④の約束を取り付けた
・軍の関与としたことで,売春を合法化して来た各国にも反省を促せる

・中韓の歴史認識共同作戦にくさびを打つ事ができる
・米国の要請にもある、日米韓の関
係が再構築される見通しがついた
・韓国にとっても、安全保障や経済で日米韓の連携が再構築される

以上の様に、自国の主張を通す為に、外交の門戸を閉ざすような外交は慰安婦問題のみならず,すべての外交問題に,あってはならないのである.

まさに阿倍総理がかねてから言っているように、いかなる対立があろうとも、『外交の門戸は何時も開いておくべきだ』が正しいと思うのである.

この合意に対し,封印を主張したマスコミ、識者、政治家、はどう論評するのだろうか.いつもの様に、だんまりを決め込むのだろうか.知識人の対案のない、無責任ぶりが、また露呈したのである.いつも感じるのだが、穏健で、優しそうな人に、論理や対案や責任感が無いのである.

一方、評価大としつつも、今後、懸念される事が三つある.

謝罪の理由を曖昧(玉虫色)にした問題

合意内容が文章になっていない事もあって、①の日本の謝罪が何に対してなのか、はっきりしていない為に、この合意に反対する人が出てくると思う.

韓国人の反応

韓国側としては、日本政府は『20万人の少女を日本国軍が強制的に慰安婦にした事を認めて謝罪した』と認識する人もいると思う.そこで、やっと日本が罪を認めた、従来の韓国の主張が正しかった、と改めて世界に日本の非道さを吹聴したり、慰安婦像がさらに世界に設置するかもしれないのである.

このように認識している韓国人は、日本の罪の深さに比して、日本の謝罪は曖昧だ、金で解決する事など許されない、慰安婦像は移動しない、と今回の合意に反対すると思う.

・日本人の反応

一方、多くの日本人は、軍が慰安所を衛生管理や性犯罪防止の為に作ったが、20万人の少女を強制的に慰安婦にした事実はない、と認識している.もし,そんな事があれば、その時点で、問題が発覚するはずである.しかし,そんな問題は起こっていないのである.又、強制した証拠もないのである.

したがって、今回の謝罪の意味は、軍の組織的強制連行があったとしての謝罪ではなく、存命の元慰安婦へのお見舞いと、兵隊の性行為が行われたのだから『軍の何らかの関与があった』として、この事への謝罪だと認識していると思う.

そして、この『軍の何らかの関与』は日本特有の問題ではなく、慰安所を軍が持っていた国も、売春宿を利用させていた国も、性犯罪を野放しにしていた国も、兵隊の性行為が行われていたのだから、どの国も,『軍の何らかの関与』があったと想像できるのである.

しかし、このような多くの日本人の認識が世界の認識として広がっていない.むしろ、日本悪玉論として、韓国の間違った認識が広がっている感じもするのである.したがって、これらを放置するような、さらに吹聴を許すような、今回の合意には反対だと言う日本人もいると思う.

・マスコミの反応

日本国内、韓国国内のマスコミの反応はおおよそ,今回の合意に賛成の様である.しかし、曖昧な表現だけに、今回の合意が,世界にどのように報道されているかも気になるところである.聞くところによると、アメリカなどには、韓国人の認識と同じように、『日本は,少女を奴隷にしたことをやっと認めた』と伝わっていると言う.もしそうであれば、政府は即刻、誤報だと指摘すべきである.

・両政府の考え

慰安婦問題に対する、日韓の認識の差がある中で,両政府は、このまま、日韓が対立し続ける事より、日韓関係を良くする事を優先した事で、大同小異の判断で合意したのである.

安全保障の面でも、経済の面でも、在日の人たちの為にも、日韓関係を良くする事を優先する一方、慰安婦問題を玉虫色にして決着をつけたのである.この合意に向けて、アメリカ政府の強い要請もあったと思う.

・今後の歴史認識の差の取り扱い

両政府が慰安婦問題を今後、口にしないと合意した以上、この謝罪の意味を改めて両政府が説明する事はないと思う.

慰安婦問題の認識の論議は今後、民間レベルに移る事になる.そこで徹底的に史実を議論し、ナシュナリズムで歪められた史実を訂正し、その上で、歴史認識の差を日韓のみならず,世界各国も、認識の差を知るべきだと思うのである.

歴史認識と言うものは、方や英雄、方や侵略者になるように、一致させる事は不可能に近い.したがって、双方の認識の違いを知り合う事が最低限、必要な事だと思う.

ところで、島国日本の『気遣いや謝罪をする文化』に対して、韓国人には、日本人と真逆の『謝罪をしない文化』、『謝罪を迫る文化』が根強くある.これまでの韓国の動きを見ていると、そのことを実感するのである.

この韓国の文化は過去の長い歴史で培われてきたと思われるが、その文化の下で、自己の正当性を主張するあまり、『嘘・捏造・告口・過大解釈、誹謗中傷、愛国無罪、怨念の石碑建立』等が見受けられるのである.

世界のどこにでもあるコリアンタウンやスポーツで,このナショナリズムのメンタリティの異常さを感じるのである.一方、現代政治、あるいは、ボーダレス社会では出来るだけナショナリズムを排除しようとするのだが、これに逆行している感じがするのである.

韓国の慰安婦問題への認識も同じだが、今後、韓国の文化を露骨に推し進めるようでは、世界から孤立して行くと思うのである.この文化,習性は急に変われないとしても、どのように、成熟して行くか,今後の韓国の反日勢力,世論,マスコミ、等の動きと,次の韓国大統領選が注目されるのである.

最終的、不可逆的に解決したとする意味.

慰安婦問題を双方の政治問題にしない、国際政治の場で蒸し返えさない、と言う意味だと思うが,これまでの、韓国の歴史認識や歴史教科書、歴史教育、慰安婦像(韓国,米国の),あるいは慰安所制度批判、などはどうなるのだろうか.

蒸し返さないと言う事を盾に、従来通りで、何も変わらないかもしれない、あるいは、蒸し返さない為に、新たに歴史認識や教科書や教育、あるいは、慰安婦像の撤去や文言を変えるのだろうか.

もし、政府が関与する教科書や教育が従来のままだとすると、蒸し返した事になるのだろうか、蒸し返さない事になるのだろうか.
どうもはっきりしないのである.

あり得る姿としては、蒸し返さないと言う理由で、政治カードにしないが、韓国の従来の歴史認識や慰安婦像、資料館、或は、反日感情などは、をそのままにするかもしれないのである.

政府間合意と世論の関係

政府間合意と世論が一致すれば問題は無いが、世論の中に、異論、反論が存在する事は避けられないと思う.かといって、言論の自由の下で、異論、反論を禁止するわけにもいかないのである.両政府としては、合意の精神から、相手国の誹謗中傷を自粛するよう要請出来ても、禁止する事は出来ないのである.

従って、韓国の民間団体が慰安婦像を韓国内、或は海外に展開する事は特別な法的条件を付けない限り、禁止出来ないのである.
したがって、言論の自由の下で、間違った歴史認識や慰安婦像の文言が存在し続けるかもしれないし、慰安婦像が撤去どころか、更に展開されるかも知れないのである.

しかし、大事な事は、言論には言論で対応する事である.政治がその言論にかかわらないのだから、むしろ、ナショナリズム偏重による国対国の対立を断ち切り、冷静で自由な言論を相互にすれば良いと思う.それによって、相互の違いが分かるようになる事を期待したし、歴史の修正主義等と言論を弾圧する事もなくなると思うのである.これはブログで提言した事と同じ考え方である.

しかし,その自由な言論の結果、世論が新政権を作って、『軍の関与』や『合意内容の意味の差』を切り取って、又、反日政治を繰り返すかもしれないのである.ナショナリズムの強い民主主義政治なら,あり得るのである.只,韓国は国家間の約束を反故にするリスクを覚悟しなければならないのである.

以上、今回の合意について、若干の感想、懸念を述べたが、この慰安婦問題の合意が、今後、どのように具体的な行動に表れてくるのか,大いに注力して行きたいと思う.

又、日韓では竹島問題、元徴用工問題、等、相互の主張が異なっている問題がある.この問題で韓国が又、外交の門戸を閉ざせば、慰安婦問題で開いた扉も、意味がなくなるのである.そこで、『いかなる対立があろうとも、外交の門戸は開いている』事を、今回の慰安婦問題の合意を契機に両政府は確認すべきだと思うのである.

 

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2015.12.26

420 世間の好みと自分の好みの乖離現象

どうやら、年配者と言われる私の音楽や映画の好みが世間から、どんどんかけ離れて行く感じがしている.

私は音楽で言えば、50年代から60年代の米国音楽のカントリー,スイングジャズ、スタンダードジャズやハワイアン、ラテン音楽が大好きである.これらの洋楽があまりにも、表現とリズムが豊かで、カッコよかったからである.この好みは,ベンチャーズ,エルビスプレスリー(70年代前半)の頃まで続いた.今でも、その頃までの洋楽が大好きなのである.

ベニーグッドマンやベンチャーズのサウンドにはウキウキするし、トリオロスパンチョスのラテンには哀愁が漂うし、プレスリーのロックンロールには体がゆすられるし、プレスリーのラブバラードには弾き語りにピッタリの雰囲気がある.そんなわけで、それ以降の音楽には興味が湧かなかったのである.

ビートルズは70年代に登場したが、最初、子供バンドのように聞こえた為か,何の興味も感じなかったし,その後も,興味を持つ事はなかったのである.

一方、好みの日本歌手で言えば、ジャズを唄っていた頃のフランク永井、ハワイアンの大橋節夫、カントリーのジミー時田、オールラウンドの尾崎紀世彦、等である.特に大橋節夫の数多い名曲や尾崎紀世彦のカントリー、スタンダードジャズ、ハワイアンは,世界にも類を見ない、飛びっきりの実力に魅了されたのである.

反面、日本の演歌、歌謡曲、フォーク、JーPOP(ポピュラー,ブルース、ロック等)に,カッコよさを感じなかった事もあって,あまり興味が湧かなかったのである.

映画もやはり,40年代から50年代の米国映画が好きである.大自然の中で繰り広げられる西部劇や風と共に去りぬ、ベンハーのような超大作は今でもすごいと思う.映像も自然色で深みがあって,実にきれいである.その後,アクション映画が多くなると、特撮やCGを屈指した映画が増えて,私の好みから離れて行ったのである.今も、ハリーホッターやスターウオーズ等の世界的人気映画にも興味が湧かないのである.食わず嫌いかも知れないが.

アニメでも同じ感じを持っている.何といっても、40年代の白雪姫,シンデレラ、ダンボ等のデ゙ズニー長編アニメである.現在でも、これを超える作品はないと思っている.

デズニー長編アニメではキャラクターや動物の動きは勿論、顔の表情から指先や服の動きまで、徹底的に研究し,一秒間に24コマ以上の絵で、一作品20万枚ほどの絵が描かれているのである.童話アニメではあるが、人の心をつかむ感動的なストーリーも素晴らしいが、表情豊かな,繊細な動きや音楽、擬音へのこだわりも、すごかったと思う.

当時としては一作品15万ドル程の巨額の投資と600人程のアニメーターを投入して、作品を次々に世に出したのである.勿論、このデズニー長編アニメは映画に革命をもたらし、世界的に,一世を風靡したのである.

れらの作品を通じて、アニメ映画の人気だけではなく、多くの挿入歌が名曲として,世に送り出された.キャラクターのライセンスビジネスやデズニーランドビジネスの展開にも,繋がって行っ.た又、デズニーの多くの失敗を経て、ここに至るまでの生き様も、今の世に受け継がれているのである.

日本で人気のテレビアニメのサザエさんやドラエモン、アンパンマン,等は、動画と言うより紙芝居に近く、比較できないが、最近の劇場用のデズニー長編アニメはCGがベースになり、映像に、きめ細かい手作り感がなくなった感じがする.宮崎駿の劇場漫画も,きめ細かい画像作りをやっているが、どうしても、作画の省略があって、動きに,ぎこちなさが感じられるのである.

そんなわけで、もう、40年代のデズニー長編アニメのような劇場漫画は誰も作らなくなり、結果、我が家では、子供から孫に至って、今でも、昔のデズニーアニメを何回も見ているのである.こんなロングランは我が家だけかもしれない.ついでに、日本語版より英語版の方が英語の勉強になる余禄もある.

以上の様に,私の好みは,40年代,50年代,60年代の米国の音楽,映画,アニメ、に,止まったままになっているのである.もっぱら,音楽は,YOU TUBEで往年の名プレーヤーの本場の音楽を楽しみ,映画はDVDを大型テレビで,見ているのである.

少し寂しい感じもするが、良寛の『世の中は,混じらぬとはあらねども、ひとり遊びぞ我はまされる』の心境である.

どうやら、私は、鍛え抜かれた人間の技と労力に、いわゆるARTに感動するが,工業製品や工芸品にはあまり感動しないのである.

建築物や絵画や彫刻の好みも同じである.現在の金をかけた学芸会の様なコンサートも,迫力満載のCG映画も、電子音楽も、私からすれば、うるさいだけで、本物感が乏しく、人間のすごさが感じられなく、興味が湧かないのである.

戦後,米国ポップスに影響されて,今でも、『カントリーやジャズが好きだ』と言う人が結構いると思う.年配者が演歌とJ-POP中心のNHK紅白歌合戦を見ない事と符合するのである.

今、J-POPが好きな若者が60歳代,70歳代になった時,今度は,『J-POPが好きだ』と言う年配者が多くなる思う.『世は歌につれ』と言うが,その歌は数十年のタイムラグで、年配者の好みになるのである.いずれにせよ『年配者は演歌が好きだ』と言う既成概念は,すでに変わっていると思うのである.

ただ残念な事がある.日本の伝統的な芸能が、今の芸能に繋がっていない事である.日本の伝統的芸能は古典と言う枠の中でしか存在せず、その内、演歌も、懐かしのメロディから,古典の枠に入るかもしれないのである.総じて、欧米文化の普及で、日本文化が現世から切り離されて、古典として扱われて行く事と同じ潮流である.日本の『おもてなし』も、すでに、古典の中にしか存在していないのかも知れない.

そんなわけで、出来る事なら,現役世代の好みが多様化し,勿論、カントリーやラテン、ハワイアンが好きな若者もいて、将来は、『趣味も才能も豊かで元気な年配者』が多くなる事を期待したいのである.

PS

ついでながら、自分の好みが、社会から、離れていると感じる事は音楽や映画だけではない.例えば,人気があると言われて、連日、頻繁に流れている、ソフトバンクやauの一連のテレビコマーシャルである.私には、CMの意図や人気の理由が、さっぱり、理解できないのである.いらつく程である.相当、社会の嗜好、感性から私は乖離していると思わざるを得ないのである.

テレビついでに言えば、私のテレビの視聴傾向はNHK(特にBS)に傾斜している.その理由は、自分に時間が多くあるから,受信料を払っているから、民放の番組が軽薄になって来たと感じているから、特に、関西地区はローカル番組が多く、それに拍車をかけているから、或は、コマーシャルがうるさいから、かも知れない.

何れにせよ、この私の民放離れも、社会の嗜好から離れている事かもしれない.それとも、テレビが斜陽化しているのだから、当然の事なのだろうか.

 

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2015.12.16

419  陰陽師・安倍晴明がアイスリンクに舞った

羽生結弦が陰陽師の安倍晴明を演じ、NHK杯、グランプリファイナルと立て続けに異次元の世界最高得点を出し、フィギア界に新たな世界を切り開いた.

そこで、改めて、陰陽師・安倍晴明をWikipediaでおさらいしてみた.

陰陽師(おんみょうじ)とは陰陽道による災厄や吉凶を占う知識人である.その陰陽道は自然界の万物は陰と陽の二気から生ずるとする陰陽思想と万物は木,火,土,金,水の五行からなるとする5行思想を組み合わせた実用技術である.

この陰陽道は中国の占術・天文学の知識を消化しつつ神道、道教、仏教などからも様々な影響を受け取って,日本特異の発展を遂げて誕生したものと考えられている.

安倍晴明は921年(延喜21年)に摂津国阿倍野(現・大阪市阿倍野区)に生まれたとされる.また,生地については、奈良県桜井市安倍とする伝承もある.幼少の頃については確かな記録がないが,陰陽師賀茂忠行・保憲父子に陰陽道を学び,天文道を伝授されたという.

平安時代では,最先端の学問(呪術・科学)であった「天門道」や占いなどを,体系としてまとめた思想としての「陰陽道」に関して,安倍晴明は卓越した知識を持った陰陽師とも言われ,花山天皇、一条天皇、藤原道長、に寵愛され、当時の朝廷や貴族たちの信頼も厚く,その事跡は神秘化されて数多くの伝説的逸話を生んで行った.

安倍晴明の墓所は京都嵯峨野にあり,渡月橋の近くにひっそりと眠っている.安倍晴明を祀る神社は屋敷跡に建てられたという一条戻橋近くの清明神社や生誕地とされる大阪安倍野区に建てられた安倍神社、東国では清明ゆかりの熊野神社、尾張で毒蛇退治をした際に居住していた屋敷跡の名古屋晴明神社など全国各地に存在している.

夢枕獏が小説『陰陽師』で安倍晴明の活躍を書き、これをもとに2001年,監督滝田洋二郎、主演,野村萬斎で映画化された.『SEIMEI』は、この映画『陰陽師』をもとに作られたフィギアスケーター羽生結弦の新プログラムである.

この新プログラムを演じる羽生結弦に狂言師の野村萬斎は,こんなアドバイスをしていた.

・舞踊、狂言,能、等、決められた形があるが、その意味を理解した表現が.必要だ.
・音楽があって踊りがあるのは西洋、踊りがあって音楽があるのは日本文化だ.

京舞井上流五世家元井上八千代氏によると、井上流は、舞に形はあるが,そこに自分の思いを込め、力強さと,たおやかさを表現する、と教えているのだと言う.

いづれも、伝統に培われた形を継承しながら、新鮮な創造性をいかに表現するか、を問うているのだと思う.

この野村萬斎のアドバイスに、羽結弦は深く感銘を受けたと言う.そして
『SEIMEI』の演技では,能、狂言,舞,のような伝統芸能の要素を取り入れながら,平安時代のテーストをかもしだす事で、フィギアの新境地を切り開いたのである.

そして、『SEIMEI』は先のグランプリファイナルでは、NHK杯での世界最高点をさらに超えた完璧な演技で、世界のファンを魅了したのである.最高の技術の上に,平安時代の舞を彷彿させる妖艶な世界を演じ切ったのである.フィギアスケートの神髄を見た思いである.

かねてから,荒川静香、浅田真央の演技にも、点取り競争だけではなく、『豊かな表現で舞う』事を重視した姿勢が感じられた.高いアスリート能力の上にアーチストとしての豊かな表現を発揮したのである.フィギアスケートの大きな方向性を示したと思うのである.

最後に『SEIMEI』の着想と羽生結弦の極みの追及に大いなる敬意を表したいと思う.

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2015.12.15

418 消費税増税問題を考える

消費税率1%で2兆円の税収になると言う.現在8%だから、16兆円になる.2017年4月に10%に増税すれば、4兆円の増税になる(ただし消費が落ちなければ).しかし、軽減税率を導入する約束がある事から、どの商品を8%に据え置くかによって、増税額は少なくなるのである.

そこで、どの商品(必需品中心に)を対象にするかで、①自民党税調+財務省と②安倍官邸+公明党が対立していたが,大筋として,外食、酒類を除く、生鮮・加工食品を8%に据え置く事で合意された.これで、約1兆円が税収減になり、3兆円の増税になる.

ここに至るまでの争点は、

①の陣営(、官邸、公明党)は増税感、痛税感を軽減させたい、弱者の負担を増やしたくない、との主張から軽減税率の商品を増やしたい(具体的には生鮮・加工食品で1兆円税収減)との主張である.景気への影響を小さくしたい、来年の選挙での支持率を落としたくない、との思惑もある.又、将来、消費税がさらに増税された時、今回の減税率対象商品を8%に据え置かきたいとの思惑もある.

②の陣営(自民税調、財務省)は、社会保障財源確保、財政健全化の立場から、軽減税率対象を限りなく小さくしたい(具体的には生鮮食品のみで4000億税収減)、弱者の負担増に対しては、給付制度や社会保障制度の中で検討する,との主張である.給付制度は逆進性を弱め、税制を簡素化する有力な方法だが、給付対象者の選別方法の難しさがある.

一方、①の主張に対し,軽減税率商品を拡大する事で恩恵を受けるのは貧困者ではなく富裕層だ、1兆円の税収減の補充をどうするのか、と言った問題を指摘している.もし,新たに1兆円の財源が確保できるとなると、そもそもの消費税増税の必要性が問われかねないとも言う.又,将来の消費税増税時、生鮮・加工食品を8%に据え置くと、増税幅を大きくせざるを得なくなる、との問題も指摘している.

この論争の結果、官邸主導で①案が与党案として決まった.年明け早々の臨時国会で、野党を含めた論争が再燃しそうである.幾つかの課題を列記しておきたい.

㋑消費税増税で残された問題がある.

・軽減税率対象商品の具体的選定、外食の定義と加工食品との線引き.
・複数税率に伴う、事業者の多段階差額納税処理の変更.
・納税の根拠となるインボイス方式の設計と実施時期の検討.
・インボイス方式適用までの経過処置の検討(みなし納税制度).
・景気への影響を踏まえた,
1兆円税収減をカバーする新たな安定的財源確保.

はたして、これが増税までに、詰められるのか、その対応次第では、2017年4月の実施が危ぶまれ、景気条項と合わせて、再度、増税延期の可能性もあり得る.

㋺消費税増税に際し,国民に示すべき事がある.

政治の仕事は未来を作る事である.当然、増税に際し、今後の見通しを明らかにすべきである.『未来を見据えて現在を語る』論争を期待したい.先の戦争の様に、『一撃講和』を言い続けて地獄に落ちた轍を踏んではいけない.

・行財政改革、社会福祉改革、予算制度改革、等による歳出削減見通し.
・社会福祉、災害関連、安保関連、を含めた、必要財源の見通し.
・税負担の上限を見据えた税制改定見通しと税収見通し.
・以上を踏まえた国家財政健全化の見通し.

・公共料金引下げによる国民負担の軽減策
(教育,電気,ガス,水道,NHK受信料,通信費.,JR運賃,等)

いつも増税時には社会保障を理由に挙げているが、今度は、それだけでは国民は納得しないと思う.増税しても、毎年の赤字国債発行額も債務残高も、あまり減っていないとか、増税しても、焼け石に水だとか、聞こえてくるだけに,不信感が増幅しているからである.

この不信感を払拭する為にも、政府はしっかりした説明が必要だと思う.勿論、各政党も、税と言う最も重要な政治テーマについての政策を明らかにすべきである.

いづれにせよ、日本は、需要拡大とインフレ基調への誘導、GDPの伸長、国民所得の増大、を目指す一方、これにブレーキをかけかねない今回、および今後の増税を、どうハンドリングして行くのか、極めて難しい局面に立っているのである.

結局、増税・大きな政府・マイナス成長・税収減少・財政逼迫・財政破綻・貧しい社会主義国家・社会保障等の劣悪化、への道を歩く事だけは避けなければならない.今こそ、大きなビジョンが求められていると感じる.

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