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2016.03.15

427 地方創生政策に大きな疑問

地方創生を目的として、消費者庁の徳島への移転が検討されているが、その課題を洗い出す為に試験業務が始まった.この中央省庁の地方移転構想に反対意見が多く挙がっているのだが、この問題も含めて、地方創生政策について、私なりの考えを述べてみたい.

本来の議論の発端は東京一極の『集中の良さ』の中に顕在化して来た『集中の弊害』の問題をどうするかである.例えば,人口集中による、医療・介護・育児・教育、等の社会的機能の過負荷の問題、住宅事情や物価高、或は核家族化による少子化の問題、地方と東京の格差拡大の問題、等の弊害である.

しかし、一方で、一極集中の弊害を横目で見ながら、東京のビルの高層化、交通網の発達,関東首都圏の発展などで、東京の一極集中はますます加速しているのである.

そんな中で、今検討中の地域創生政策が、東京地域を創生し,東京一極集中の弊害を解決してくれるのだろうか.

今回の地域創生は全国の創生事業案を国が評価し,予算を付けるようである.これでは予算の分捕り合戦を招くだけで、結果、創生どころか、予算を食って終わりになる事は目に見えているのである.

地域創生は言うまでもなく、製品、サービス、立地条件等の優位性がなければ実現しないのだが、おらが街の地方創生のような話は、予算取りの大義になるだけで,これまでの地域活性化対策と同じように、地方再生に繋がるとも思えないのである.

今話題の、ふるさと納税制度も,税金で地元特産品やサービスを買い上げて、寄付者へお礼として配っているのだが、そんな事で自立した産業が育つのだろうか.はなはだ疑問である.むしろ、健全な特産品の通販ビジネスの邪魔をしているように見えるのである.

又、政府がいくら優遇制度で東京企業の地方移転を促しても、企業や社員、或は市場にとって、地域移転のメリットが無ければ移る事はないのである.

更に,冒頭触れた省庁移転で地域創生を、と言う話も、コンセプトが見えないのである.本来の中央省庁の問題は東京に所在場所が集中している問題ではなく、中央集権の弊害を地方分権で解決しようと言う話である.決して、集権のまま省庁を地方に移転しようと言う話ではないし、ましてや、ネットの発達で、どこに省庁があっても問題はないと言った程度の話でもないのである.

そんなわけで、地域創生政策全体を見ると、東京一極集中の弊害の解決どころか、地方創生に有効だとは思えないのである.そこにストラテジーを感じないのである.

従来、地域活性化と称して、道路建設やインキュュベーションセンターと称する箱物や工場団地、流通団地などを作ってきたが、ぺんぺん草が生えているケースが多いのである.何であっても財政出動すれば景気は良くなると言う論理は、需要を一時的に増やす事は出来ても,将来の経済効果には繋がらないのである.多くの場合、予算を食って借金を将来に回す事になっているのである.

これからの地方の活性化策は当然の事ながら、将来の経済効果を期待できる財政出動でなければならないのである.現在の地方創生事業案件を見ると、一般予算とあまり違わない案件が多くある様に感じるのである.これでは従来とあまり変わらない感じがするのである.

私の描くストラテジーは、『日本の各主要都市の発展』である.その為に,『行政の地方分権』と『地方の自立』である.

活力に満ちた都市で構成された日本を実現する為に、この骨太の政策こそが必要だと思うのである.しかし、交通の発達や高層ビル等で、東京及び首都圏に人や産業の集中が加速する中で、地方の活性化は簡単ではないのである.

私見で言えば、経済原理に適った地方の発展は新技術開発や新事業開発,そして,人財開発だと思う.したがって、地方は,これに集中した取り組みが不可欠だと思うのである.そして、日本の各主要都市の既企業、あるいはベンチャー企業が世界市場に伍して活躍する事を期待したいのである.情報ネット社会はこれを可能にするのである.

一方、東京及び首都圏は他地域に先んじて,世界有数の未来都市に向かって取り組んで欲しいと思う.国としては、当然の事ながら、東京及び首都圏の活力,優位性を削って,集中度を減らす発想ではなく、地方の発展で、国全体の活力を上げる発想でなければならないからである.

これは愚痴になるのだが、戦後の日本は、世界に類を見ない強烈な起業家精神や事業化精神で経済大国になった.しかし、近年、サラリーマン経営者が多くなった事、成熟期だと思いこんでいる事、発展途上国が台頭している事、等が関係していると思うが、この精神が薄れて、守りの精神のスパイラルで、経済がじり貧になっていると感じるのである.このゆで蛙状態から脱出するには、もう一度、戦後の精神が必要だと思うのである.

ボーダレス時代で、国際市場に身をさらしている現実を自覚し、もう一度、起業家精神、事業化精神を奮い起こして欲しいのである.日本の活性化は、政策以前に、この精神が必要だと思うのである.景気が悪いのは政府のせいだ、等と言う論評を目にするが、大間違いだと思う.

最後に、高齢化、少子化、過疎化、医療・介護の問題だが、現在も、将来も、残念ながら発生する深刻な問題である.この問題の対応は地域活性化の視点ではなく、その現実を前提とした早急な対応策が必要だと思う.

具体的には、地方は、コンパクトシティ化への取り組みである.受け身ではなく、将来の街の姿の創出になると思うのである.この事が街の魅力になって、人が集まる街になる可能性もあるのである.又、東京・首都圏の第二の人生の場所として、ふるさとや希望地への移住もあり得るのである.

以上、住みよい,活力ある,日本にする為に、自分なりの政策の方向性を述べたが、ハ-ド中心の『日本列島改造論』の続きとして、今度は、ソフト中心の『日本活力向上論』の出現を期待したい.

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2016.03.11

426 あれから5年、災害対応マニアルは出来たのだろうか

2011年3月11日午後2時46分、東日本沿岸で巨大地震が発生し、追い打ちをかけるように、巨大津波、福島原発事故、が発生した.

あれから5年、改めて、当時の当ブログを読み返すと、泥縄の対応ぶりが蘇ってくる.1995年の阪神・淡路大震災はじめ、過去の災害の対応も、そうであったが、いつも被災地は原始j時代のような悲惨な状態に陥ってしまうのである.

災害発生時の避難、救命、問題や避難所における食料,水,トイレ,フロ,幼児用品,生活用品,介護,医療,プラインバシー,通信,生活資金,ガレキ処理,避難生活の長期化,仮住まいへの移転問題,等、災害が発生するたびに、同じ問題が繰り返されるのである.

自然災害の多い日本においては、災害発生時、どんな事になるのか、どんな対応が必要になるのかは、ほぼ想像できるし,多くの経験をしているのだが、どうやら、それを踏まえた災害発生時の対応と,それをやる為の事前準備が出来ていないからだと思うのである.

5年前のブログでも、この問題を取り上げ、『災害対応マニアル』を作るべきだと主張していた.特に、災害対応経験のない役人、政治家が災害に遭遇する事が多いのだから、このマニュアルは必須だと提言していたのである.

当時のブログでは、下記のフェーズに応じた『災害対応マニアル』を提言していたのである.

①救難フェーズ・避難・救命・捜索対策、避難生活対策、介護・医療対策,等
②救済フェーズ・仮住まい対策、ガレキ対策,ライフライン対策、生活・事業支援対策、等
③復旧フェーズ・街づくり対策、社会インフラ対策、住宅・産業復旧対策、

④復興フェーズ・産業復興対策、等

特に①➁の対応は,いつでも、短期間に対応する為には、政府、自治体が一体となった事前の準備と行動内容を決めておく必要である.勿論、これに係わる予算制度や災害対応の為の有事法制も作っておく必要がある.

この①➁のフェーズだけでも、優先してマニアルを整備すべきだと思う.何としても、救難活動の迅速化、体育館等での避難生活の短期化を実現しなければならないからである.

あれから5年、果たして,災害対応の事前準備と災害発生時の対応について、国、自治体を串刺しした『災害対応マニアル』が作られているのだろうか.私の無知かもしれないが,その現物を目にしていない.

現実には,いろんな災害対応の制度・仕組みがあると思うが,有事法制度がなかったり、事前準備がなされていなかったり、未経験の役人,政治家が多かったり、依然として,迅速な対応は難しいと思うのである.

結局、また、大きな災害が発生すると,複雑な法律を調べたり、予算の陳情をしたり、対応策を議論したり、過去の対応事例を調べたり、経験自治体のアドバイスを受けたり、関連部署に協力を要請したり、行政と被災者の板挟みになったり、現実の問題に右往左往したり、する事になるのである.

そんなわけで、自然災害発生時の対応力を向上させるために、迅速な対応をする為に、事前準備も含めた『災害対応マニアル』の策定が急務だと思うのである.

最近、東日本大震災の復旧・復興問題や南海トラフ地震の防災対策の議論が多いが、一方では、この『災害対応マニアル』の整備も極めて重要だと思うのである.

日本人は安全保障もそうだが、自然災害に対しても、起こさない事に目が行くが、起こってしまった時の対応(有事法制も含めて)には目が行かない性格があると思う.

日本人の契約に見る’別途協議文化’、政治や企業経営に見る’先送り文化'、事を荒立てない’玉虫色文化’にその性格が垣間見えるのである.その付けが、災害発生時の泥縄対応にあらわれていると思うのである.

 

 

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