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2016.06.29

438  参院選挙でまた始まった護憲運動

参院選真っただ中で、一部野党は、又、いつもの様に、『平和憲改定反対』と叫んでいる.9条を根拠に平和憲法だとしているようだが、,ふしぎな事に『自衛権と自衛隊を廃止して,非武装にしよう』とは言わないのである.平和憲法死守と叫んでいれば票がもらえると思っている感じである.何十年も同じ事を言っているのである.

その主張が功を奏しているのかわからないが、70年間、日本国憲法は凍結状態であり、70年間、国民投票もなく、一度も憲法改定の経験もないまま、現在に至っているのである.

ただいま、憲法無変更期間の世界新記録更新中である.ドイツやイタリア等は頻繁に憲法を変更している事からすれば、.この新記録は海外から、自分で憲法を作る能力がない、民主主義が定着していない、或は、憲法に興味がない、と揶揄されるのである.だとしたら、ワースト世界新記録である.決して、70年間も変更の余地がないほど立派な憲法で素晴らしい、との評価ではないのである.

ところで、憲法問題について、素人なりに、『NO412日本国憲法の問題点』(2015年10月4日)を発信している.その内容を、久しぶりに読み返してみたが、なるほどと、自分でも関心しているのである.勿論、専門家の語りつくされた指摘があると思うが、私は改めて憲法を丁寧に読みながら、問題点を洗い出してみたのである.

この内容を読んでもらえば分るのだが、国家政策の視点ではなく,条文間の論理性や国語的視点で問題点を列記しているのである.

①安全保障について

前文で、平和を愛する諸国民の公平と信義に信頼して、第9条の戦争放棄、非武装を制定しているが、諸国民とは、どこの国を言うのか不明だが、信頼がなくなった時、どうするのか、なにも触れていない事に驚くのである.

この事も、ブログで触れているが、多分、諸国民とは戦勝国のことを言い、戦勝国を信頼して、丸腰になる、と言う意味だと思う.マッカーサーが日本の無力化と米軍駐留を実現する為に指示して書かれた文言だが、朝鮮戦争で日本の無力化は間違いであったと非難され、アメリカのご都合主義が露呈したのである.

吉田総理はマッカーサーの指示を受け入れれば、賠償のない形で独立が出来る、日本は復興に専念できる,と考えたのである.そして、憲法の改定は独立後、日本がいかようにも変えられると考えたのである.

そんな経緯の中で、国防の規定もない、国民に国を守る義務もない、憲法を守る義務もない、憲法が制定され、今日まで続いているのであ.この憲法は米国占領下であり得ても、独立国としてはあり得ない憲法になっているのである.

吉田総理の宿題を放置してきた結果である.憲法作成にかかわった米国担当者も、独立後、当然、改定されると思っていただけに、一文字も改定されていない事に驚いていると言う.

今更ながら、世界のどこに、『国防を考えていない憲法』があるだろうか,『国防を考えていない憲法は欠陥憲法で無責任憲法だ』と思うのは私だけではないと思う.果たして日本国民はどう考えているのだろうか.

現在、自衛権と自衛隊が存在しているが、憲法で国防の規定がない為、自衛行為をする為の有事法制がないのである.これでは実質、自衛活動が出来ない事と同じである.その為にも、国防を憲法に規定しなければならないと思うのである.

護憲を言う人たちは『国防を考えていない憲法』を『平和憲法』だ、と言い『国の安全保障は不要』だと言っているに等しいのである.それが成立するのは、世界の国が非武装になった時くらいである.残念ながら現実にはあり得ないのである.

それでも現在の憲法に固辞すると言うなら、日本ではなく、先ず、近隣諸国に非武装を説得したらどうだろうか,非武装は日本だけでは成り立たないのである.

このように、国防を規定した普通の憲法にする事は必要であるが、同時に、個別自衛、個別的集団自衛、集団的自衛、或は、世界の安全保障へのかかわり方、等、の日本の安全保障のあり方について、遅ればせながら、国民のコンセンサスを形成する必要があると思う.

そこで、各党は少なくとも、次の問いに答える事で国民に、その方向性を示し,民意を集約して行くべきだと思うのである.

①日本が加盟している国連憲章は集団的安全保障、集団的自衛権を認めているが、賛成ですか、反対ですか、反対なら、国連脱会すべきですか.

②自衛隊は必要ですか,不要ですか、必要とした時、憲法を改定すべきですか、しなくても良いと思いますか.不要とした時、国防はどうしますか.

日米安全保障条約は個別的集団自衛の一つの姿ですが、賛成ですか、反対ですか,反対の時,②はどうなりますか.

④自衛隊を必要とした時、個別的集団自衛活動に賛成ですか、反対ですか、賛成の時、憲法を改定すべきですか、改定しなくとも良いと思いますか.

⑤将来、国連憲章にある集団安全保障活動、集団的自衛活動ができる憲法にする事に賛成ですか、反対ですか.

⑥武力行使に関して、抑制的な日本にとって、なんでもありの近隣諸国の法律は脅威になりませんか.

大きな方向として、これくらいの事は各政党が考え方を述べ、国民に選択肢を与えるべきだと思うのである.、また、マスコミも各政党の考え方を整理して報道する事も必要だと思う.

そして、大枠の方向について、国民の賛同を確かめた上で、改定条文の策定、国会発議の際の改定条文の選択、をしなければ、憲法問題は前進しないのである.表面的な『憲法改定に賛成・反対』だけでは、それでどうするかもわからず、国民の選択肢にならないのである.

➁安全保障以外の条文について

昨年のブログでは上記安全保障関連以外にも、条文や条文間の論理矛盾、条文の翻訳ミス、国民の義務の欠落、米国草案の一院制から二院制に変えた時の修正漏れ、全体として、つぎはぎで、唐突な箇条書き、等々,おかしな箇所を洗い出している.その多さに,これが70年間も保持してきた日本の憲法かと、改めて愕然とするのである.

政治家、憲法学者は何をしているのだろうか、そんな事はどうでも良いと言うのだろうか,或は,おかしな箇所がないと言うのだろうか.先ずおかしなところを直そうと言う考えがないのだろうか、或は、国会発議のハードルが高い(3分の2)せいで、文字の修正すら出来ない、と言う事なのだろうか.

いずれにせよ、憲法の不備については、即刻修正案を国会が発議し、国民投票をする必要がある.国民が初めての憲法改定に参加する意義も大きいし、立憲主義が色あせない為にも必要だと思う.国策と連動した憲法改定より前に,まず、憲法改定の経験をする意義も大きいと思うのである.

③国民投票のあり方について

当ブログは、この問題にも触れている.憲法を国民の物にする為には,発議内容にもよるが、国民投票実施までの期間、選挙運動のあり方、投票の期間、投票の仕方、賛否の表し方(新条文単位か一活か)、等々、通常の選挙とは違う、多くの課題が残っているのである.

更に言えば、改定が決定した時の既法律の改定や新憲法の実施日の設定、等の課題もある,このように、国会発議後にも、課題は多く残っているのである.この準備も、発議がある無しに係わらず、やっておく必要がある.とにかく、憲法改定には、初めてならではの課題が多く残っているのである.これらも、忘れてはならない準備である.

④最後に憲法改定に思う事

憲法改定問題について、不備による『憲法修正』、国策による『憲法改定』、実際の『国民投票の課題』を述べて来た.そんな事を言いながら、穏便に先送りが得意な日本の国民性からすると日本の憲法は無変更期間100年と言う金字塔を立てるかもしれないと、頭をかすめるのである.

その時には、確実に、日本国憲法は現実と乖離した歴史遺産になっていると思う.同時に、憲法解釈を広げながら、現実に対応せざるを得なくなっていると思うのである.

そんな記録を作らせない為に、憲法の無変更期間を最長10年とし、それまでに、何らかの憲法改定内容で国会発議をする、との国会決議をしたらどうだろうか.そうでもしない限り、日本の憲法は死んで行くと心配するのである.

本来、立憲主義を守る為にも、憲法改定に真剣に取り組むべきだと思うのだが、今、立憲主義を叫んでいる人は、憲法改定反対の人である.その人たちは、憲法無変更期間100年達成を盛大にお祝いするのだろうか.憲法を経典と勘違いしているのかも知れない.

いずれにせよ,日本は有史以来、『国民の手で憲法を制定していない歴史』を今日も続けているのである.民主主義は手続きの制度だが、海外から揶揄されるように、民主主義を軽んじていると言われても返す言葉がないのである.大日本帝国憲法を作った伊藤博文は『民意の危うさ』に悩んだと言う.現代の政治家も,民主主義に不安を感じているのかも知れない.

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2016.06.26

437  英国のEU離脱:歴史的大決断が意味するもの

2016年6月23日英国の国民投票でEU離脱が決定したこの歴史的大決断をブログに記しておきたいと思い発信した.

欧州では戦争を繰り返してきた反省から、欧州のエネルギー資源を中心とした経済共同体(EC)が発足した.その後,ベルリンの壁崩壊、ソ連邦の崩壊を契機に、東欧諸国の加盟もあって、更に統合色の強い、欧州連合(EU)を発足させたのである.英国を除いて、土地も、河も、道路も、鉄道も、人も、国を超えて繋がっているヨーロッパの自然な姿かも知れない.

このEUの加盟国はそれぞれ主権国家であるが,その主権の一部をEU機構に譲るという,世界で類を見ない共同体である.現在28か国が加盟している.

EUは域内の労働者,商品,サービス,資本の移動は自由にし,関税も入国査証もない,5億人の単一市場を作り出したのである.そして,域内の経済政策、農業政策、通貨政策、財政政策、金融政策、安全保障政策、移民政策、或は知的財産権、等,EU内で統一の制度を設け、欧州連邦政府のような役割を強めて行ったのである.又,世界に対し、EUの発言力、影響力も強めたいとしたのである.

方、加盟国間で経済力の差が大きかったり、社会保障制度の格差があったり,賃金の格差があったり、,アングロサクソン、ゲルマン、ラテンと言った潜在的な民族対立や英、仏、独の歴史的対立が顔を出したり、EU内移民問題や中東からの難民問題、あ,るいは,ギリシャ等の財政破綻への支援策の問題もあって、紛糾する事が多いのである.理想とした共同体と言っても,その舵取りは極めて難しく、統合を強めないと決着できない性格を秘めているのである.

そんなEUではあるが、もし英国が離脱すれば,英国にとっても、世界経済にとっても、経済的ダメージが大きいとして、世界中が残留を願っていただけに、又、英国民は残留と言う常識的な判断をするだろうとの楽観もあっただけに、離脱の決定は世界に大きな衝撃を与えたのである.

さっそく、悪夢の始まりのように、ポンド、ドルの下落、世界的同時株安が起こり、日本では、円高(一時99円、終値102円)と株安(日経平均-1286円で14752早円)が起こったのである.

短期,中期.長期にわたって、EUや英国はどうなるのか、世界経済はどうなるのか、又、大きな課題が発生したのである.そこで、英国のEU離脱と言う歴史的出来事の意味するところを考えてみたい.

EU離脱の裏にある気になる要因

EU離脱の直接的理由は、東欧からの英国への移民の急増現象である.EUの取り決めではEU内の人の移動に対して、その国の国民と差をつけることなく、受け入れなければならない,としており、必然的に賃金が高く、社会福祉が充実している英国に移民が集まったのである.

英国民からすれば、移民の増加によって、雇用や住宅や病院や社会福祉や学校が奪われ、移民受け入れのコストも膨らむのである.英国人の,所得格差や就職難の問題がある事を考えれば,EUの移民制度は許されないと、なったのである.

そこで、離脱で予想される経済のダメージより、離脱による主権復活と移民問題解決を重視し、『経済より主権』、『連合より独立』を選択したのである.今回の『残留か離脱か』の二択には上記以外に、次のような意味もあったと思う.『政府信任か政府不信任か』、『グローバリズム重視かナショナリズム重視か』 の二択である.

この中で特に『グローバリズムかナショナリズムか』で言えば、大英帝国を築き、世界を制覇した事から、一見、グローバリズムが強い国のように思われるが、私は、独立心とプライドの強いナショナリズムが大英帝国を築いたと思うのである.第二次大戦でも、フランスを占領したナチスドイツを追い払い、大戦に勝利した事も、その精神によるところ大だったと思う.

んなたとえ話がある.沈没し始めているタイタニック号から脱出する為、救命ボートに乗れなかった男たちを海に飛び込ませる為に、ドイツ人には『これが規則です』、アメリカ人には『あなたは英雄です』、日本人には『どなた様もそうされています』、そして英国人には『貴殿は紳士です』と言って、了解を得たと言うのである.フランス人にはどう言って説得したのだろうか.たとえ話には出てこないが、我道を行く国民性から、『どうぞ、ご勝手に』と言ったら、誰も飛び込まなかったかもしれない.

英国人のアングロサクソン民族のメンタリティからすれば、いかに英国が凋落したとしても、欧州の共同体とか、連合体に加盟する事には,もともと、抵抗感があったと思う.今回のEU離脱も,このメンタリティが働いたと思うのである.

大戦の反省として,又、経済の発展にとって、現代の政治では『グローバリズム』が進められ、出来るだけ『ナショナリズム』を抑える方向にあると思う.例えば一国の露骨なナショナリズムが現れると、その対抗として.それぞれの国のナショナリズムが頭を持ち上げ、争いに繋がるからである.

勿論,グローバリズムはそれぞれの価値観や文化や制度と衝突し,或は、国内の利害などに、葛藤が起こるのだが、ナショナリズムの壁が低くなる事で、長期的には相互の理解を深めたり、経済が発展したり、すれば、国家間の争いが防げるとして、グローバリズムの進展は、必ずしも悪い事ばかりではないのである.

一方では、冷戦終焉後、民族対立の勃発や、国の統治の手段として,又、グローバリズムの反動として,或は、モンロー主義の様な孤立主義の思想で、ナショナリズムの顔が強く表れ始めた感じもするのである.

英国の選択も、まさに、英国のナショナリズムの復活であり、米国大統領候補のトランプ氏も『米国第一』を掲げて、安全保障問題、移民問題、貿易自由化問題に、自国優先を打ち出し,米国人のナショナリズムに訴えているのである.英国のEU離脱と同じ発想である.

このように、ナショナリズムが前面に出すぎると、世界に対立が増え、不安定になるだけに、この動きを心配するのである.世界各国が、経済、安全保障、自然保護、等々、いろんな切り口で集団を形成し,社会の不安定要素を減らして行くべきだと思うのである.その意味で、英国の国民投票の結果が英国や欧州のナショナリズムの高揚に繋がらない様に政治は留意する必要があると思う.

②国民投票の功罪

国民投票は究極の直接民主主義と言われているが,代議士(人)選ぶ民主主語とは全く違う.国民投票は一政策のYES/NOが決定される事に対し、代議士の選択は人と政策全体を選ぶのだが、個々の政策の決定には、議論が伴うし、政治家の任期がくれば、政治家は国民の信を受ける事になるのである.

したがって、法的拘束力のある国民投票は限られている.日本国憲法改定とか、実際,実施された、大阪都構想の住民投票くらいである.勿論、この実施には十分な期間を取った国民への説明が必要である.

当たり前のことだが、どんな人であっても、一票は一票だと言う覚悟が必要である.又、間違った選択になる危険性がある事も同じである.ナチスドイツはナショナリズムを掻き立てて、国民投票を多用し、戦争に突入した事も忘れてはならない.

その意味で代議制民主主義の権化である英国の国民投票は適格であったのか検証が必要である.又、世界の各国が、難問決着に向けて、あるいは、打倒政権を目指して、軽々しく国民投票を実施する傾向があるとすれば、心配である.複雑な社会になる程、基本は代議制民主主義だと思うからである.

③今後のEUや英国の対応

英国の離脱で面倒な英国がいなくなって、EUの結束を強まるのか、反対に、連鎖して、EUからの離脱国が出るのか、見通しは立たないが、少なくとも、加盟国の中にある離脱派の勢力が大きくなて行くと思う.EUは理想と現実の狭間で、あるべき姿も見直す時期に来ていると思う.

一方、英国はEUとの協議にもよるが、欧州経済圏を失うかもしれない.同時に欧州市場の拠点機能を失い、その機能が欧州内に移る可能性もある.世界経済も、これによって大きな変更を余儀なくされるのである.この事一つとっても、英国や世界の経済的ダメージは大きいと思う.

同時に、残留派の多かったスコットランドの独立運動が再炎するかも知れない.又、英国の離脱によって、G7や安全保障の枠組みが不安定になる可能性もある.EUの存在感も落ちるかもしれない.一方、英国が抜けた後のEUとロシア・中国との関係も、気になるのである.

そんなわけで、英国離脱後の世界の秩序、経済がどのような枠組みになるか、しばらく、目が離せないのである.

④日本政府の対応

英国のEU離脱で、日本の経済が悪くなると想定され事から、当然、アベノミックスにとってはあらたな対応が求められる事になる.

消費税延期がすでに決断されたが、きせずして、正解となった.又、伊勢志摩サミットで安倍総理が懸念した世界経済の不安を警告し、金融財政政策の国際協調を決議した事も、期せずして、正解となった.が、更なるアベノミックスの展開が必要になった事は確かである.

英国のEU離脱に対し、民進党の岡田代は『アベノミックスの宴は終わった』と、わが意を得たりとばかりに安倍政権の批判を強めているが、アベノミックスに変わる、説得力ある対案は聞こえて来ない.

⑤日本の将来の課題

戦争を起こさない為に、世界が豊かになる為に、グローバリゼーション、ボーダーレスが世界の潮流だと思うが、移民の受け入れを日本がどうするか、日本では大きな課題である.今回の英国の離脱の引き金になった移民問題は僅差の投票結果が示すように、極めて悩ましい問題である.

英国のEU離脱に反対と、当然の事のように言う日本人は日本が移民の受け入れを自由にする事に賛成するのだろうか.

多分、金、物、サービス、の移動を自由にしても、人の移動は自由に出来ないと言うのではないだろうか.EUが英国に言っているように『良いところ取りはだめだ』、と言う反論もあると思うが、これに、どう答えるかも課題である.

多分、私なら、日本はTPPで関税のない自由貿易経済圏を形成したい、EUは理想を追いかけすぎて、移民までも自由化した事は間違いだった、と言うと思う.英国の離脱で、こんなことを思いはせたのである.


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2016.06.22

436 世界大学評価ランキングに思う事

報道によるとタイムズ・ハイヤー・エデュケーション(Times Higher Education)は6月20日(現地時間)、Webサイトで2016年のアジア大学ランキングを発表したと言う.東京大学は調査開始以来3年連続の1位を保っていたが、2016年は7位だったと報じた.

THEアジア世界大学ランキングの評価基準は「教育の質・学習環境」「生徒と教員の国際性」「研究の質」「論文被引用数」など,HE世界大学ランキングと同様の13項目.アジア諸国をはじめ、トルコ・中東を含めた22か国の大学を対象に調査し,上位200大学を決定したのである.

評価の結果は,1位は77.4ポイント7でシンガポール国立大学に決定。2位には72.9ポイントで南洋工科大学と北京大学が並んだ.4位は香港大学。東京大学は67.8ポイントで7位にランクインし、国内首位.そのほか、京都大学は11位、東北大学が23位.

2016年のトップ50にランクインした国内大学9校のうち、2015年のTHEアジア大学ランキングと比較して順位を上げたのは3大学。筑波大学が48位から46位、九州大学が58位から48位、北海道大学が63位から49位であった.ランキング100位までに入った国内大学数は14校と,前年の19校を下回った.発表以来、ランキングに入る国内大学数は減少している.

6月14日に発表されたQS(Quacquarelli Symonds)によるアジア世界大学ランキングにおける国内の大学トップ3はそれぞれ、東京大学が13位、東京工業大学が14位、京都大学が15位だった.

トップ50に入った大学はすべて、文部科学省が推進するスーパーグローバル大学創成支援でタイプA型(トップ型)に分類されているのだと言う.

ちなみに、この支援制度は 我が国の高等教育の国際競争力の向上を目的に、海外の卓越した大学との連携や大学改革により徹底した国際化を進め,世界レベルの教育研究を行うトップ大学や国際化を牽引するグローバル大学に対し,重点支援を行うことを目的としている制度である.いかにも役所らしい,無責任な制度に私は感じる.そこに志も、熱意も、ない、単に予算を分配しているだけに見えるからである.

世界大学ランキングは以上であるが、それぞれのランキングは、主催側のランキング付けの目的も、評価方法も違うのである.例えば、評価対象が学術毎か総合か、教育か研究か、活動実績かか成果実績か、さらに、評価者が学生か、教育者か、研究者か、企業か、によっても違って来るのである.

このように、ランキングは目的も評価基準も違うのだが、多くの国や機関が出している主要なランキングを列記しておきたい.

世界大学学術ランキング(上海交通大学)、THE世界大学ランキング(英国教育週刊紙)、QS世界大学ランキング(英国大学評価機関)、トムソン・ロイター世界大学ランキング(米国)、CWUR世界大学ランキング(サイジアラビア・ランキングセンター)、トップ100グローバル大学ランキング、HEEACT世界大学ランキング(台湾)、ENSMP世界大学ランキング(仏)、ライデンランキング(蘭)、WeboMetrics世界大学ランキング(スぺイン)、Uマップ(欧州)

どのランキングにおいても、総じて日本の大学の評価は下降気味である.共通して評価が低いのは国際化である.どのランキングの評価基準でも、国際化が大きな評価ポイントになっているのである.

ころで、日本の文部省や各大学はどう見ているのだろうか.もっと順位を上げようと取り組むのだろうか、或は、無視しているのだろうか.文部省は上記のスーパーグローバル大学創生支援制度のように、国際化に手を挙げている大学に予算を付けて、高みの見物を決め込んでいるのかも知れない.

真剣に日本の大学の評価を上げたいとするなら、学生も教授も海外の人を多くし,言葉や教材も英語化するしかないのである.しかし、簡単ではない.これは、日本の社会の英語化、国際化と連動しているからである.大学単独では解決が出来ないのである.

アジアでシンガポール、北京、香港がトップ3だが、英語化や国際化は、国も個人も、世界で生きて行く為の手段と考えているのである.教授は勿論だが、学生は英語を日常語のように使えなければ、生きていけないと必死である.日本にはそんなひっ迫感がないし、使命感が無いのである.これがランキングを上げられない大きな原因だと思う.

そんなわけで、世界大学ランキングを総じて上げる事は極めて難しいと思うのである.反面、何故、日本独自の大学の評価システムがないのだろうか、と気になるのである.国際化を評価から外しても,大学を成長させ、人材育成・研究開発の向上を図る指標があっても良いと思うのである.

れとも大学を評価する必要性がない、必要性があっても、評価方法を決められない、のだろうか.政教分離、大学自治、学問の自由で、大学を評価する事さえできないのかも知れない.これでは,『大学は国家戦略』と捉える諸外国の大学と差がどんどん広がりそうである.

実はそれ以上に心配な事がある.大学の共通した評価方法がないにしても、各大学自身が人材育成開発や研究開発に、方針を持って取り組んでいるのかと言う心配である.

大学とは教授の利権の固まりであり、方針やカリキュラムや教育、研究体制を簡単には変えられないのである.したがって、旧態依然の大学が多いのである.せいぜい、大学の評価と言えば、歴史があるとか、有名だとか、偏差値や競争率、或は就職先だとか、の評価である.

大学が取り組んでいる事と言えば、スポーツで有名になるとか、学力より学生数優先で,学生を確保に走るとかである.少子化を迎え,ますます、『入学しやすく、卒業しやすい』大学になって行くようで心配である.これでは,貴重な4年間が,個人にとっても、社会にとっても、無駄な時間になってしまうのである.

以上の様に、大学の世界ランキングを見るにつけ、日本の大学のあり方に思考が向かったのである.世界のランキングの順位を上げようとする事も、大学の成長の一つの方法かも知れないが、もっと大事な事は、大学を国家戦略として考え、国家としての教育・研究政策立案と、各大学の方針をしっかり作り直す必要性を感じたのである.

当ブログでも、以前、発信しているが、義務教育(小学校6年、中学校3年、高校3年)、専門教育(技能校4年、研究校4年から8年)とし、公私含めて技能校200校程度、国公立の研究校は20校程度、私立の研究校は100校程度に絞り、国家予算の効果的投入、技能者の拡充、研究を通じた知力の拡充、学生の針路選択肢の拡充、を実施、同時に海外大学への遊学も支援する、としたのである.勿論、各学校はマニフェストを掲げて運営する事は当然である.これくらいの改革が必要だと思うし、大学が淘汰される事を待つ程、時間はないと思うのである.


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2016.06.18

435  舛添都知事の公私混同疑惑騒動の総括

6月15日、舛添都知事の一連の公私混同疑惑に対し,これを乗り越えられず、結局、都議会の不信任案の可決が,はっきりした段階で、自ら辞職を申し出たのである.辞職に追い込まれた理由は次の3点である.

・東京都民の辞任要求が99%にまで至った事.
・野党は参院選の好材料として、百条委員会、不信任案決議に持ち込みたい.
・与党は参院選の悪材料にならない様に早く辞職させたい.

このように、舛添氏は四面楚歌になったのである.これは前代未聞の辞任劇である.振り返ってみると、舛添氏へのバッシングは、おおよそ、こんな事で急拡大したのである.

①海外主張の公私混同、豪華さへの批判
②政治資金の公私混同疑惑(
家族旅行、多数の美術品や趣味の物品購入、等)
③公用車の公私混同使用(別荘通い等)

④毎週の別荘通い、多い美術館訪問、
⑤週末の危機対応問題
⑥未訪問問題(都区内福祉施設や東日本被被災地)
⑦危機対応意識の問題.
⑦の介護を美談にした嘘(介護はしていなかった疑惑)
⑧政治家になる前の言動との不一致疑惑(指摘した問題のブーメラン現象)
⑨翻訳本疑惑(東大助教時代)
⑩記者会見や都議会での噛み合わない応答

この中で⑩の質疑応答のまずさを上げてみたい.

㋑弁護士の調査報告の位置づけが曖昧になった.
著名な弁護士の報告書で早期に疑惑の幕引きを図りたかったのか、本人から疑惑に対する説明もないまま、いきなり、厳しい指摘を受けた,真摯に受け止め、反省したい、と言ったのである.この姿勢に、政治家としての説明責任が欠如しているとの批判が起こったのである.

そして、調査報告書とは別に、ゼロからの疑惑質疑が進む中で、弁護士の調査報告書と、舛添氏の発言に相違(下記の㋩)が発生し、さらに批判が高まったのである.結局、『弁護士の調査報告書は、何だったのか』となったのである.

㋺甘い弁護士の指摘を『厳しい指摘を受けた』と繰り返し言った事
誰もが甘い指摘、調査不十分の指摘、との印象がある中で、厳しい指摘を受けたと繰り返す事で公私混同疑惑を、これで終わりにしたとの思惑も見えてしまい更なる反感を招いたのである.

㋩弁護士の『不適切支出』の認識が変わって行った事
弁護士は『違法ではないが(私的流用に近い)不適切な支出があった』と指摘した事を認め、謝罪し、返金すると言いながら、一方では.私的費用の流用疑惑を追及されると、、今度は、,私的目的ではなく、あくまでも,政治活動が目的だったと、不適切支出ではない事を力説し始めたのである.結果,弁護士の報告と舛添氏が言っている事に相違が生じる事になったのである.

そして、舛添氏の説明に失笑を買う程、説得力がなく、逆に,偽装による私的流用ではないかとの疑いが強まって行ったのである.

結局、『不適切支出』を『正当な支出』と説明したものの,その弁明が失敗し,逆に『偽装支出』の疑いが強まり、『違法性なし』が『違法性あり』に、マスコミの報道も『公私混同疑惑』から『私的流用疑惑』に変わって行ったのである.

㋥『指摘を真摯に受け止め、反省し・・』を常套句の様に繰り返した事
これでは質問に答えている事にならず、事実の説明責任が全くなされていないとの批判が大きくなって行ったのである.聞いてる方からすると、謝るのは早すぎる、まだ疑惑が解明されていないのだから、と突っ込みがあったと思う.

㋭『リマオリンピック終了まで不信任案提出を延ばして欲しい』と議会に懇願した事
日本及び東京の名誉にかかわるので、不信任案の提出を待って欲しいとの懇願は全く説得力もなく、納得も得られなかった.本音は、個人的にみっともないと思ったからだと思う.プライドが高いだけに、せこい事で首になったとは、恥ずかしくて言えない、と言うのが本音だと思う.

挙げれば切りがないが、全体を総括すると、

・『弁明方針』に問題があった.
議会やマスコミや都民が、何に不満があるか知った上で、弁明方針を立てるべきだったと思う.ど
うやら、手前勝手に、強気の姿勢からスタートした事が、悪循環の始まりになった感じである.

最初は、違法性がなければ乗り切れると強気の姿勢であった.不信感、不支持が多くなると,今度は、謝罪と減俸、今後の決意、で幕引きに走ったのだが、疑惑に対する説明がないとされ、弁明が懇願に変わり、辞任に追い込まれたのである.

又、繰り返された『お詫び』が何に関するお詫びか、はっきりしていなかった為、逆に心が入っていないと,反感を買う事になったのである.謝罪の仕方は、実は極めて難しいのだが、いかにも、軽い印象を与えたのである.これも,弁明方針の問題だったと思う.

ところで、不祥事や事件に関する、個人、企業、団体、の弁明、謝罪は、率直、誠実、覚悟、が必要だが,一方ではダメージを必要以上に大きくしない事も考えなくてはならないのである.そこで、最悪の事態を想定し、世間の批判がどこにあるのかを確認して.弁明、謝罪の方針を決めなければならないのである.

残念ながら、舛添氏には、助言するスタッフもなく、弁明方針も深く検討しないまま、無防備に疑惑問題の前に立った感じがするのである.

・バッシングの対象が極めて曖昧であった
もう一つ全体として問題を感じたのは、今回の公私混同疑惑に関して,テレビ、雑誌が連日取り上げたが、政治家、マスコミ、一般人は,下記のどの事にバッシングしていたのだろうか.

①海外旅行が公私混同、豪華すぎだから.
②公用車の使い方が公私混同しているから.
③私的費用が政治活動費に計上されている事は合法だが、道義的に問題だから.
④③は合法ではなく公金の目的外使用,公金横領になるから.
⑤私的費用を偽装して計上している事は虚偽,公金横領,詐欺になるから.
⑥多くの指摘に対し、自らの説明責任を果たしていないから.
⑦品格,人間性が問題だから.

舛添氏本人も何がバッシングされたのかわからい状態かも知れない.何の落ち度もない、何故、私だけがバッシングされるのか、と思っているかもしれない.或は、自分の這い上がった人生を振り返って、無理があった、調子に乗り過ぎた、と思っているのかも知れない.

どうやら、誰しもが、今となっては、あまりにも多くの問題がありすぎて,結局は『品格の問題だ』としている人が多いと多いと思う.しかし、それで済まされたら、『政治家の皆さん、品格を汚すような事は,しない様に.』で終わってしまうのである.

ましてや『品格のない政治家は首だ』とはならないのである.品格を図る物差しも,情報も、ないからである.もし,品格ばかりが強調されると、政治家はいなくなるかもしれないのである.

又,選挙で人物評価だけで選択されると,政治理念も、政策もない,人畜無害の品行方正の政治家が増え、難しい政治課題に対応できなくなる、と言う問題も出てくるのである.

改めて言うが、政治家は何を問題にしていたのだろうか.単なる、『他党批判の材料』であったのかも知れない.それとも、世間と同じように、』『品格の問題』だと言うのだろうか,

私としては、全政治家が,公金である政治資金の支出に関して、法律問題以前に、①②③④⑤⑥⑦の事で指摘される事のない様、自らを律したい、と言って欲しいのである.それで、政治活動に支障が出るわけではないのである.政治家に、この意識改革がなければ、『今回の騒動は何だったのか』になるし、いかに政治資金規正法を改正しても、この問題はなくならないのである.

こんな『せこい事』で,人格を問われたり、政争の具になったり、政治を停滞させたり、辞職に追い込まれたり、してはならないのである.もう、うんざりである.

 
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2016.06.08

434 舛添都知事の公私混同疑惑調査への疑念

6月6日pm4時、舛添知事が依頼した弁護士2人による疑惑調査の結果が報告された.報告では,政治資金の私的流用と指摘されている一連の疑惑について『政治資金規正法に違反するよう支出はなかった』としつつ,一部『,道義的に不適切な支出があった』と指摘したのである.不適切な支出と判断したのは、常識的に考えて、次のような場合であるとした.

・会議や打ち合わせはあったとしても、家族旅行や家族飲食が主体である場合.
・常識的に個人使用だと思われるもの.

・美術品等、購入頻度があまりにも多いもの.

この報告を聞いて、いくつか感想を述べてみたい.その前に、政治資金規正法の支出に関する法解釈に相違があると感じられ、整理しておきたい.

政治資金の支出に関する法解釈の相違

現行、政治資金規正法は政治活動を行う政治団体の政治資金の運用内容を公開し,政治活動の透明性を向上させ,民主政治の健全な発展に寄与する事を目的としている.

そして、政治資金の支出においては、投資や不動産以外、制限を付けていない.ただし,その支出内容は公開が義務付けている事から、青天井にならず、自ずとその支出は抑制され、民主政治の健全な発展に寄与するとしている.

この政治資金の『支出に制限がにない』事に関して、二つの解釈がある.

政治家や法曹界の法解釈、

政治資金規正法は原則として,政治資金の使途に制限をかけていないのだから、政治資金収支報告書に、領収書が付いていれば違法にならないとする解釈.政治活動と無関係の支出でも、政治家が政治活動費だと言えば、違法にならないと解釈しているのである.

但し、『その支出は道義的に間違っている』と政治家を糾弾する事は法律の外の話だとする考え方である.

この法解釈の根底に、政治活動に縛りをかけない、政治家が政治資金の支出で犯罪者になる事を避ける、と言う考え方で、法律が出来ていると言うのである.

今回の舛添氏の政治資金の公私混同疑惑は,この法解釈にもとづけば、違法ではないが,道義的な問題として取りざたされていると解釈しているのである.

実際、この法解釈で、多くの政治家が政治活動費とは程遠い費用を政治資金で支払っていると言うのである.政治活動資金に公金が入っている事を無視して、公金が入っていない時代の感覚で政治資金を扱っているのである.

私や世間の法解釈や常識

上記法解釈に対し、私や世間の法解釈・常識は、基本的に、政治家の判断ではなく、客観的に私的目的だと判断された費用を政治資金で支払えば違法になるとする考え方である.

その根拠は、公金の入った政治資金を私的に使っても良いはずがないと考えるからである.又、政治資金の使途が規制されていないのは、政治活動に制約を付けない為であり、政治活動と無関係の費用に支出しても良いと考えるのは、拡大解釈であり、政治資金の目的外支出に当たると考えるからである.

もっと基本的な事を言えば、政治団体は政治活動をする団体であり、その政治資金収支報告書は政治活動費に関する収支の報告だから、政治活動と無関係の支出を計上すること自体,間違っていると考えるのである.政治資金収支報告書は家計簿ではないと考えるのである.

更に付け加えれば、政治家には歳費(月給、ボーナス、退職金)以外に、領収書のいらない,文書通信交通費,立法事務費が支給されているのである.この事もあって、政治資金を私的費用に使う事は厳しく罰するべきだと考えるのである.

どの会社でも,交際費や事務費を私的な費用に使えば、いかなる弁明も出来ず、業務上横領になるし、国税からすれば、決算書の虚偽記載、利益隠し,脱税、と疑われるのである.当然、決算書は訂正し、税金も追徴されるのである.

上述の政治家や法曹界の法解釈がいかに異常であるか、もし本当にそれが正しいとしても、政治資金規正法以外の法律(刑法、商法、税法、等々)で違法性を証明できると思っているのである.

この考え方は世間の常識だと思うし、この認識を政治家や弁護士に広げる必要があると思うのである.この法解釈の上で、いくつか感想を述べてみたい.

①『不適切な支出』ではなく、政治資金の目的外使用で『公金横領』である.

弁護士の判断は,家族旅行費,,物品購入費,,飲食代,に違法性はない、但し、私的な目的が主体であると判断した費用は不適切な支出だとして指摘した、とまさに、上述の政治家、法曹界の法解釈に沿った判断をしたのである.

これに対し,私的費用だと認定したのだから,その費用(家族の宿泊費、飲食費、物品購入費等)は『不適切な支出』ではなく,『政治資金の目的外使用、公金横領になる』と言うべきだと考えるのである.

今回、家族旅行費用を政治活動費で計上している事に関して、会議があったからと説明したり、物品購入を政治活動に使っているからと説明して、その正当性を主張していたが、いづれも、説得力に乏しく、嘘っぽく聞こえた為、道義的問題と言うより、領収書の偽装、公金横領、詐欺、の疑惑が高まったのである.

政治活動と無関係の費用を計上しても、政治活動費だと言えば違法にならないとする政治家や法曹界の考え方をとれば、私的生活費までも政治資金で支払える事になるのである.

前項で述べた通り、現政治資金規正法においても、政治活動費で計上された中に、客観的に私的目的の費用が計上されていれば、目的外使用、公金横領になるとすべきである.

いずれにしても、私的目的の費用を計上すれば偽装、虚偽、横領になる事を政治家は認識すべきだと思う.それが公金に対する基本的な考え方であり、それを守れば、問題は起こらないのである.そして,堂々と政治活動費を使えば良いのである.その事を現在の政治資金規正法で読み取れるのである.

舛添氏の政治資金の支出に関して、どのような認識があるのか、確認する所から疑惑問題を議論すべきだと思うのである.

・私的費用を計上しても違法ではないと思っているのか、
・私的費用を計上すれば違法だと思っているのか、
・私的費用を実際に、計上しているのか、いないのか、
・私的費用を政治活動費に偽装して計上していないか、

その上で、個々の支出の内容を精査して欲しいのである.

②副知事や弁護士の報告はあっても、舛添氏からの報告がない.

そもそも、最初から、おかしかった.公的な第三者委員会による調査報告でもないのに、都議会に対しては副知事が舛添氏が国会議員時代の事まで報告し、又、記者会見では弁護士が報告しているのである.

あくまでも舛添都知事の自費による私的な調査の結果であるから、都議会でも、記者会見でも、舛添氏が報告すべきであったと思うのである.

当然、マスコミや都民が指摘した問題について、事実なのか、事実ではないのか、事実なら、何故、そんな事をしたのか、自身の調査を基に、自身で説明すべきなのである.

いくら、弁護士の報告した通りですと言っても、説明責任が果たせたとは思われないのである.逃げているとしか思われないのである.ましてや,弁護士の報告が甘いと言う印象があるだけに不信感が増幅しているのである.

どう見ても、舛添氏は『,ばれないから』或は、『ばれても問題にならないから』、と意識的に、私的支出を政治資金で払っていたと思われているのだから、本人の弁明を聞きたいと言うのは当たり前の要求なのである.

舛添氏は、真摯に疑惑を受け止め、反省していると言うなら、個々の疑惑について自分で説明すべきなのである.これなくして、舛添氏の信用回復はあり得ないし、これから頑張るからと言う話でチャラには出来ないのである.

③弁護士は支出に違法性はないと言うが、調べた形跡はない

すべてにおいて、違法性はないと弁護士が言うが、不適切な支出も含めて、すべての領収書に虚偽がないか調査したのだろうか.

私的支出を政治資金で払う為に、領収書の但し書きに、資料代とか、会議費と書いたり、あて先を政治団体にしたり、或は、但し書きの無い領収書を政治活動費としていないか、当然、調べた上での判断なのだろうか.

記者がこの事を弁護士に質問した時、

『あなたは事実確認の意味を分かっていない、何に使っても合法だから事実確認をする必要がない』と言う趣旨の事を言ったのである.

会場の記者は唖然としたのだが、記者が横領や虚偽記載の有無を調査してから違法性の有無を判断すべきだと追及すべきだったと思う.

この弁護士の答弁で、一気に報告書の信憑性が地に落ちたのだが、.それでも、権威がある弁護士を信用しろ、とでも言うのだろうか.極めて上から目線の態度に、思考の狭さを感じたのである.

調査結果はあくまでも舛添氏側の報告であるから、真の公私混同の調査はこれから始まるのである.当然、私的支出の計上理由を本人にただしながら,都知事の政治資金収支報告書や舛添氏の政治家としての資質を評価をすべきだと思うのである.

④舛添氏の『厳しい指摘』と何回も言った心の内が透けて見えた.

弁護士は常識的に見て、多くの不適切支出があったと言ったが、これを、舛添氏は厳しい指摘だと言うのである.

私から見たら,上述の通り、弁護士は甘すぎる指摘をしていると感じたのだが、それを、厳しいと言うのは、自分は、不適切もない、真っ白だ、当然、公私混同はない、と思っていたからだろうか.当時、どんな考え方をして収支報告書を作っていたのだろうか、是非聞いてみたいのである.

又、舛添氏は『厳しい』と繰り返えす事で,『厳しい指摘であったが、違法性はなかった』と結論図けたいのだと思う.その魂胆が、『厳しい指摘を真摯に受け止め、反省し,信頼回復に努めたい・・・』に表れているのである.

思わず,『疑惑の決着がまだついていない』と突っ込みたくなるだけに、舛添氏の魂胆は虚しく聞こえるのである.

私の感想は以上であるが、

都議会での追及がいよいよ始まった.弁護士の報告は舛添氏の私的調査であるから、都議会としては、最初から、舛添氏の行為について問いただす事になると思う.そして、どうして常識では考えられない事をしたのか、徹底的に本人を追求すべきだと思う.

それを通じて,都民の代表として、都知事として、適切かどうか、国民,都民,都議会が判断する事になる.また、疑惑に対する訴訟があると言う.こちらの方も注視したい.

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2016.06.03

433 子供はすごい、しかし捜索に問題はなかったか

報道によると、3日午前7時50分ごろ、北海道鹿部町の陸上自衛隊駒ケ岳演習場内の宿舎小屋で、5月28日から行方不明となっていた北斗市追分4の小学2年、田野岡大和さん(7)が6日ぶりに見つかったと言う.道警函館中央署によると、訓練のため訪れた隊員が偶然、演習場内の宿泊施設内にいる子供を発見したとの事.そして、自衛隊員の差し出した握り飯を食べたと言う.

山林などで子供が行方不明になり,無事保護されるケースはしばしばあるが,今回のように6日ぶりに保護される例はきわめて珍しいとの事.

この無事生還には、いくつかの幸運が重なっていた、と想像できる.

・道に沿って歩いているうちに、当日の内に、宿舎小屋に遭遇した事、
・無人であったが宿舎小屋に入れた事、
・雨にぬれず、体温の低下が防げた事、
・水道とマットがあって、飢えと寒さをしのげた事、
・小屋の中に止まって,体力の消耗が抑えられた事、
・偶然、7日目の朝、自衛隊がこの宿舎に立ち寄った事、

それにしても、無事救出の報道に、思わず,『よかった、子供はすごい』と叫ばずにはいられなかったのである.大人の心配をよそに,子供のたくましさに驚いたのである.

この事件は、親が『しつけ』の為に、子供を車から降ろした事から始まった.数分後、親が降ろした場所に戻ったが、子供は行方知れずになったのである.この事に対し、『しつけ』のあり方について、多くの論議が起こったが、私はその事ではなく、6日間の大捜索に問題がなかったのかが気になったのである.

子供の捜索は学校関係者、住民は勿論、消防、警察、自衛隊も含めた大捜索隊を編成し、時間と戦いながら、6日間、徹底的に捜索が行われた.そして、手掛かりがないまま,7日たった、この日から捜索を縮小する事になったのである.こだけ捜しても見つからないのだから,誰かに連れ去られたのではないか,との憶測が頭をかすめたのである.

その矢先の早朝、たまたま、自衛隊宿泊小屋に訪れた自衛隊員が子供を発見したのである.想像さえしていなかった場所で、しかも,瀕死の状態でもなく、発見されたのである.しかも、自衛隊員が差し出したおにぎりをむさぼるように食べる程の気力が残っていたのである.

絶望感さえ漂っていた中で、この発見に、親族、学校関係者、住民、始め、捜索を行った人々,さらには全国の人達も、歓喜の声を上げたのである.子供の悲しい事件が度々起こっているだけに,このニュースは人々を明かるくしたのである.

ところで、無事救出された今となって思う事は、捜索した所と,子供がいた所が全く違っていたた事である.なぜそうなったのだろうか.私の推測を述べてみたい.

大人は誰もが、藪の中や崖下や水辺に倒れているのではないかと、万が一の事を心配すると思う.そして、心配になる場所を徹底的に捜索するのである.大人には、もう一つの思い込みが働く.もし子供が藪の中に入らず、道路沿いに歩いていたら、子供の歩ける距離からして、すぐ見つかるはずだとの思い込みである.この二つの大人の思い込みが藪の中に捜索を集中させたと思うのである.

一方、置き去りにされた7歳の子供は、そこに止まっていれば、親が迎えに来ると思う程、思考力はないし、誰もが赤ん坊の時から持っている敏感な保身本能が働いて、とにかく、安全を求めて、道に沿って、歩き始めたと思うのである.勿論、藪の中に行くはずもないのである.その仮説に立てば、車で、道路ぞえに、広範囲に、短時間に、捜索でき、発見につながったと思うのである.

子供の行動は、本能で歩いているから、歩いても無駄だ、とか、その先どうなるのか、等と考えるわけもなく、只、恐怖の中で、本能の赴くまま,7キロ以上も歩き続けたのだと思う.

以上のように、大人の思いと子供の行動が大きく違った為に、捜索活動は成果を上げられなかったと思うのである.

以上の事から、大人の捜索活動は一概に無駄だったとは言わないが,子供のいない所で大捜索が行われた事は事実であり、もし、最悪の状態で発見されていたら、捜索の責任が厳しく問われたと思うのである.それだけに、幸運にも無事生還したとは言え、捜索のあり方について再考する必要があると思ったのである.

特に感じたのは、上記に述べた,捜索エリアの設定の問題である.捜索エリアの設定は,大人の心配や思い込みだけで、決めた感じがするのである.子供の行動学の視点が必要だったのではないか、少なくとも、同じ年頃の子供の意見を聞いてみても良かったのではないかと思ったのである.

捜索に当たっては、警察犬を投入したと思うが、結果的に効果が無かった事になったが、これも、大人の思い込みで、山中の藪の中ばかりを捜索させていたのではないか,と思ったのである.

又、ドローンの活用とか、日頃から、子供の保護を目的に、GPSの装着等も今後、検討すべきだと思ったのである.

更に言えば、この捜索と並行して、誰かに連れ出されているケースを想定した対応も必要である.今回、これはどうだったのだろうか.

いずれにせよ、人海戦術で山狩りのような捜索を否定するわけではないが、6日間もかかって発見できなかった事を思うと、もう少し合理的な捜索が必要だったと感じるのである.

そして、今回のケースで得た教訓を防災と同じように、広く知らせる必要性も感じた.又、自然教育の一環で、子供にサバイバル訓練も必要だと思ったのである.

以上、GOOD NEWS で、心が晴れたのだが、捜索のあり方について,素人ながら、気になった事をの述べた.

 

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2016.06.02

432 また始まった民進党 岡田代表の筋ちがいの主張

民進党の岡田克也代表は消費税増税について、こんな趣旨の発言をした.

①『安倍総理の増税再延期は公約違反だ』
➁『その原因はアベノミックスの失敗にある』
③『安倍総理は責任を取れ』

④『これでは増税は出来ない、再延期だ』
④『延期中の社会保障費は赤字国債で賄う』

岡田代表はこの主張に不整合がある事に気づかないのだろうか.

①『公約違反』を叫ぶなら、『再延期に反対』と言わなければ筋が通らない.
➁『再延期容認』は従来の『社会保障の為の増税』と整合しない.
③『社会保障の財源』を赤字国債に求める事は財政再建と整合.しない.

④『アベノミックス失敗』と叫ぶなら,対案を示さなければ筋が通らない.

結局、考え方に筋が通っていないのである.民進党の従来の主張からすれば、再延期反対、増税実施と言いたいところだと思うが、

・安倍総理の公約違反を糾弾したい.
・しかし、野党連合の手前、増税実施とは言いづらい.
・結果、糾弾と再延期容認と言う筋が見えない発言になった..


のである.そして,
『,アベノミックスが失敗したので、やむなく,増税再延期を主張した』と言う趣旨の発言になったと思われるのである.しかし、不覚にも、三つの事を喚起してしまったのである.

一つは,増税延期の可否の争点が消えてしまった事である.
二つ目は,アベノミックスが失敗だと言った事で、対案が求められた事である.
三つめは,増税の考え方が曖昧になった事である(
分配重視か成長重視か).

三つめを説明すると,増税延期容認の岡田代表発言は本人が気づいていたかどうか知らないが、従来の分配重視で『社会保障のために増税』の考え方から,安倍総理の主張と同じように.成長重視で増税を考えると言う考え方に変わったと受け取れるのである.

従って、この岡田発言は,民進党としては、『社会保障と税の一体改革』の考え方の根幹にかかわる事になるのだが,民進党議員も唐突に岡田代表発言を聞いたと思うのである.又,民進党の内部が騒々しくなりそうである.自民党内で増税実施か再延期かの激しい論争があったのだが、民進党には全くその議論が聞こえて来なかったのである.

一方、安倍総理としては就任当初から『成長なくして社会保障も,財政健全化もなし』という考え方で一貫しているのである.従って、折角の上昇経済が腰折れしない事の方が国民にとって重要と考え,公約違反の誹りを覚悟で、増税延期を決断したのである.世論調査では,この決断に、賛同する結果が出ているのである.

私見でいえば、言うまでもなく日本は資源もなく、厳しい自然環境の中で、社会保障のみならず、防災、災害復旧、インフラ補修・強化、地域再開発,安全保障、等々、コストがかかる国家であり、これからも、そのコストは増加傾向にある.それゆえ、日本は官民挙げて、パイの拡大に努めなければならない宿命にあると思うのである.パイがなければ分配も出来ないからである.

民進党が、赤字国債を発行してでも生活を支える事を優先すれば(分配重視),経済は良くなる、とよく言うが、財政が逼迫する事はあっても、経済が良くなるとは限らない、極めて危険な考え方だと思うのである.

もし、経済成長なくして、増税・分配に走れば,やがて、財政的に合成の誤謬(何も出来なくなる事)が起こり、確実に貧しい社会主義国家、財政破綻国家に凋落して行くと思うのである.この事を国民も政治家も肝に銘じて政策に取り組んで欲しいと思うのである

そんなわけで、岡田代表が増税・分配重視の考え方から、成長重視に宗旨替えをしたなら,歓迎したいと思うのである.

一方、世間には、『成長に固執することはやめよう、のんびりと、穏やかで、質素な社会でよい』と北欧のようなことを言う人がいる.その人は、北欧が天然資源が豊富で、人口が1000万人程度である事を知らない.したがって、社会保障内容を単純に比較しても意味がないし、ましてや日本は成長を放棄する程、恵まれた、豊かな国ではないのである.

今回の唐突ともとれる岡田代表の主張に驚いたのだが、どう見ても、堀り下げた立論が感じられず、喧嘩の仕方も下手だと感じるのである.それは,今始まった事ではなく、過去にもあったので、記しておきたい.

小泉総理が’自民党をぶっ潰す’と叫んだ.民主党の岡田代表は‘自民党ではだめだ’と叫んだ’と叫んだ.その結果、岡田代表がそう言えば言う程,小泉キャッチコピーが輝いたのである.
また,小泉総理の’改革をとめない’に対し,岡田代表は’日本をあきらめない’と叫んだのである.主語も熱意も感じられないトンチンカンな意味不明のキャッチコピーである.その結果、小泉総理の圧勝に終わったのは言うまでもない.

さらに言えば、民主党が政権をとったマニフェストの嘘に対しても、東日本大震災や福島原発事故に対しても、安全保障政策に対しても、憲法改正に対しても、右往左往する立論力のなさが、時々顔を出すのである.当時、私は民主党に対し、批判はするが、対案がない、対案があっても、実現性がない、として、民主党を『誤謬政党』(いろんなことを言うが、トータルすると、何も出来ない政党)だと批判していたのである.

『神は細部に宿る』と言う例えがあるが、神(立論)のなさも細部に出てくるのである.今回の岡田代表の主張も、相変わらずの立論力のなさが顔に出た瞬間だったと思うのである.

さて、国会が閉会し、いよいよ参議院選挙モードに入る.参院選は安倍政権のこれまでの評価が問われる事になる.野党は共倒れを防ぐために、一人区で野党候補を一人に絞るという、無所属で野党推薦にするのか、選挙区ごとに立候補する党を決めるのか、知らないが、従来以上の談合選挙が予想される.

反自民勢力を大きくしたいと言うのだが,見方を変えると,共倒れを防いで、政党交付金を得る為の談合とも言えるのである.この談合に乗るか乗らないか、国民の判断が求められるのである.

結果的に、参院議員を選ぶのではなく、政権与党に対して、『YESかNOか』の選挙に変質する事は確かである.参院のあり方の議論が之で又、高まるかもしれない.

 

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