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2016.10.29

450 石巻市立大川小学校訴訟判決で思った事

東日本大震災で大津波にのみ込まれ、児童108人のうち84人,教職員は13人のうち10人が行方不明となった石巻市大川小.北上川の河口にほど近い学校で起こった悲劇である.

児童が下校準備をしている時,地震が起きた.全員が校庭に避難した.児童の一部は迎えに来た親と帰宅したが,校庭に残った子どもたちに悲劇に起った.

地震のあと,子ども達は通学用のヘルメットをかぶり、校庭に整列していた.「点呼をしていた.避難しようとしてたんじゃないか」.地震の後,2人の孫を同校まで迎えに行った男性は言う.避難所にも指定されている小学校は、安全な場所のはずだった.そこへ津波が来た.北上川を河口から5キロもさかのぼり,小学校の屋根を越えた.

宮城県も石巻市も昭和三陸大津波レベルなら大川小学校には津波が来ないことを公言し,それ以上の大津波への対応は全く考慮していなかったと言わざるを得ない.

もし大津波が来たらここは危険との意識が住民に無かったのはそのためだったと言える.大地震だったにもかかわらず、5分で完了可能な裏山への避難が選択肢の後方へ押し.げられてしまったのは,大川小学校に集まった人々のほとんどに危機意識が欠けていたからかもしれない.

児童23人の遺族から出された損害賠償について、仙台地検は10月27日、教員らが大規模な津波が襲来することを予見していたにも、わらず、児童が死亡したのは津波回避に過失があったからだとして、約14億2600万円の損害賠償の支払いを命じたのである.

東日本大震災で同じように、大きな津波を予見していたにもかかわらず、津波回避に過失があったからだとして、遺族に侵害賠償の支払いを命じる判決がいくつか出ている.何れも、予見していたかどうかが決め手になっている.スポーツ事故などでも,同じであるような判決がある.

一般に『過失とは』注意義務に違反する状態や不注意をいい、特に民事責任あるいは刑事責任の成立要件としては,違法な結果を認識・予見することができたにもかかわらず,注意を怠って認識・予見しなかった心理状態、あるいは結果の回避が可能だったにもかかわらず,回避するための行為を怠った事を言う.

この予見有無が過失認定の決め手になる事に率直に言って、違和感がある.

大地震発生後、大きな津波が来ることを広報されているし、誰もが大きな津波が来ることを知っていたと思う..だとすると、この判決に従えば、自力で回避できない、児童や病人,老人の惨事に対し、管理者が予見をしていたにもかかわらず、注意義務を怠った、あるいは.回避行為が怠慢だった、として、過失責任が問われることになるのである.

私見によれば、予見認定も、過失認定も、極めて曖昧な事が多く、判決に違和感がある.具体的には次のような事である.

・予見とは何か(津波が来る予見か、危険度の予見か).
・予見認識の内容やその危険度に個人差がある
生命の危機を予見し,パニック状態になった時、結果責任が問えるのか.
・複数の回避場所の一つに回避し、被害が出た時、結果責任が問えるのか.
・指定された安全な場所に行く事が出来なかった時、結果責任が問えるのか.
・回避場所が指定されていなかった時、結果責任が問えるのか.

過失とは法や規則を不用意に守らなかったり、或は機器等の操作を間違ったりして、被害を出してしまった時と、素朴に解釈すると、今回の例では,津波回避方法が定まっていたかどうか、それが周知徹底されていたかどうか、が,過失の有無の決め手になるのであって、定義が曖昧な,個人的な予見の有無が決め手にはならないと思うのである.

また、『予見していたにもかかわらず、対応しなかったから過失だ』と決めつける判決は、積極的に危機情報を得る事や、予見技術が発達する事が、過失責任を負うリスクを大きくすることになり、『知らぬが仏』『知らない事が免罪符』になりかねないのである.

遺族の心境を察するに、救えた子供の命を失ってしまった口惜しさは図り知れないと思う.その原因は過失にあるとする心情も理解できる.だからと言って,過失有無の物差し(考え方、論理)を曖昧にしてはならないと思うのである.

今回の判決によって、さらに多くの訴訟が起こる可能性もある.果たして、行政側はどう対応するのだろうか、控訴によって、論争がさらに続く事も予想されるのである.

自然災害国日本にとって、被害者支援、保障、の手厚い制度は、勿論、理想であるが、限界もある.又、自然災害対応の過失責任を裁判で問うのも、極めて難しい判断になる.

特に、社会が便利に、安全に、なる程、科学技術が発達する程、或は、防災が進む程、過失責任訴訟が多く発生し、損害賠償も大きくなって行くと思うのである.

自然災害が発生した時、一般に、予想を超えた(設計目標を超えた)事象が起こったから過失なし(予見なしと同じ考え方)、と考えられているが、予算の関係で、設計目標を低くしていた場合、過失責任はどうなるのかと言う問題もある.

一方、法に触れない設計だったから当事者には過失なし、と言う考え方も出来るのである(この場合法の問題になるが).

そんなわけで、『自然災害と過失責任』『防災と過失責任』について,改めて考えさせられたのである.今後とも注目していきたいテーマである.

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2016.10.14

449 豊洲市場問題、五輪競技場問題の議論で抜けている事

豊洲市場問題、オリンピック競技場問題、が連日、テレビでとりあげられている.特に豊洲市場問題について、当ブログNO447で、明らかにすべき問題を述べているが、一向に疑問が解明されていない.そこで、テレビ報道などの議論で抜けている事を指摘しておきたい.

地下ピットを作った事の良し/悪しの問題

『盛土ナシを決めた人は誰か』と、あたかも『盛土ナシ』が悪い事だと決めつけて、犯人捜しをしているようだが、そもそも、盛土ナシの地下ピットを作った事が、良かったのか、悪かったのか、やむを得なかったのか、の追及がない.この評価なしに、犯人探しをすることは間違いである.(出来上がった地下ピットの問題点、改善策は市場問題プロジェクトで取り組み中)

 豊洲市場の『盛土ナシ』を公表しなかった問題

大問題は『盛土ナシ』を公表せずに、全敷地に盛土がされているから安全だと言い続けた事である.(事実と異なる事を言い続けた罪)この追及が出来ていない.これこそ、盛土ナシの評価と関係なく重罪である.

海の森でのボート、カヌー競技の適否の問題

海の森競技場はコンクリートで囲われたボート、カヌーの人工コースで、、消波、防風も行うと言う.成完成イメージ図を見ると、素晴らしい人工コースに見える.オリンピック後はマリンスポーツとしてボート、カヌーの人口を増やしたいと言うのである.

この海の森競技場は十分な比較検討と競技団体の賛同を得て、決定したと言うが,その検討内容は公表されていない.しかも、海上のコースに反対する選手も多い.1年ほど前に、日体大ボート部が海の森で、走行した時、横風が強くて、競技にならない、と言う.更に、海の森競技場はレガシーにもならないとも言う意見もある

海上での競技に問題はないと言う人は、ボート、カヌーはタイムではなく着順で競う競技だから、若干の波、風の影響で運、不運があっても、問題はないと言うのだが、はたして、そうなのだろうか.

このように、賛否が分かれているのだが、不思議な事に、海の森でボート、カヌーの走行テストが、どの程度、行われ、どんな評価がされているのか、さっぱり聞こえて来ないのである.

又、海の森の水質、波、風の根本的問題に対し、技術的に解決できるとしているが本当だろうか.もし、ボートやカヌーがひっくり返って、競技どころでなくなったら、数百億円の損失どころか、日本の信用が地に落ちるのである.

こんなに重要な事であり、今からでも,公式の走行テスと、その評価による改善策及び、その実現性を検証すべきだと思う.この結果で問題がないなら、海の森は初めて競技場の候補地になり得るのである.その意味で,海の森は現在、候補地にもならない状態だと思う.

④臨海開発目的のボートカヌー競技場、豊洲市場の誘致の問題

築地市場の豊洲への移転、ボートカヌー競技場の誘致が、いづれも臨海地域の開発ありきで、問題点を無視して、決定されているのではないか、との疑惑がある.たとえば、双方とも下記の様な類似点があるからである.

・豊洲の土壌汚染、海の森の水質、波、風の問題、を解決出来るとしている点.
・豊洲も、海の森も、有利になるように候補地との比較表が作られている点.
・当初見込みの費用が増大している点(問題の隠蔽と当初費用の偽装)
・開発費用増大で、将来にわたって、都のお荷物になる可能性が高い点.

もしそうであるなら、海の森も、豊洲市場問題と同じ轍(失敗)を踏むことになる.しかも、オリンピック競技は豊洲市場の様に延期は出来ないだけに、大問題になる可能性がある.その意味で競技場の選定見直しは極めて重要だと思う.

⑤オリンピックのコンパクト化の問題と今後のオリンピックの問題

選手村を中心に各種競技場が配置されると言うコンパクトオリンピック構想が今も求められ、選手村の交流こそがオリンピックの目的だ、とまで言う人もいる.

巨大な選手村での交流を錦の御旗に言う人は、競技場建築や,集中による周辺設備に、莫大な費用が掛かっても、プレーしにくい競技場であっても、選手村に近ければよいと言うのだろう.海の森を主張する人にも聞いてみたい.

1万5千人の選手村の方が小規模の分村より、交流ができると、なぜ断言するのだろうか.どんな交流をイメージしているのか不明だが、むしろ、小規模の分村の方が交流しやすいかもしれないし、そう言うアスリートもいるかもしれないのである.

私見だが、1.5万人の選手村を1か所に作る事にぞっとする.将来の都市を夢見ているのか、政治家や大手ゼネコンが考えそうな事である.私見によれば、埋立地の防災や都市の負荷分散を考えるなら、分散した都市開発に向けた選手村建設の方が将来、有効なレガシーになると思うのである.

更に言えば、1万5千人の選手村を中心に、オリンピック競技場を集結させる、コンパクトオリンピック構想は,多くの競技施設を新設することになったり、開催国に人気のない競技施設を作る事になったり、莫大な費用が発生するのである.これではコンパクトオリンピックを誘致できる都市はほとんどないと思われるのである.

東京への誘致合戦のとき、無防備にも、コンパクトオリンピックを提案した事は大きな間違いだったと思うが、現実的に、コンパクトオリンピック構想はどの開催国でも不可能だと分かったのだから、多くの都市で開催できるように、いろんな基準を改革すべきだし、東京はそれを追求すべきだと思うのである.取りあえず東京では競技場の客数基準をへらす取り組みが必要だと思う.

将来的には、オリンピックの開催を都市から国に変えるとか、競技場の観客数の基準を現在の半分くらいにするとか、プロの世界的大会がある競技(野球、ゴルフ、サッカー、等)はオリンピックでやっても顔ぶれが変わらいのだから、やる必要がないとか、検討事項は多いと思うのである.

そもそも、オリンピックの肥大化、社会やスポーツビジネスの国際化で、オリンピックの歴史的役割は少なくなり、競技別世界大会が主流になっていく感じがするのである.

⑥競技場問題

国立競技場問題に始まって、各競技の競技場問題が落ちつかない.既にコンパクトオリンピックの看板を下ろすような他県への変更が進められたり、最近では、海の森、有明アリーナ、アクアテクスセンターの新規開発が問題視されているのである.今後も、すでに決定された競技場の費用負担問題や、建築、周辺設備の費用問題で、まだまだ、競技場問題は波乱含みである.何れも、進め方において、五輪推進体制の問題が影響しているのと思う.

そんな中で、莫大な費用の伴う、海の森水上競技場、有明アリーナ(バレー競技場)、アクアテスセンター(水泳)の新規開発に対し、競技場の変更もしくは費用削減が議論されている.新規開発の主張はおおよそ次の通りである.

①コンパクトオリンピックを標榜したのだから、東京都の中で新規開発をすべだ.
②将来の聖地として世界に通用する競技場を東京都に持ちたい.
③素晴らしい競技場で、選手強化やスポーツの活性化を進めたい.
③負のレガシーにならない様、競技大会や練習を誘致したり、イベント使用で収益をあげたい.

新規開発を決めた経緯、理由がブラックボックスだ、スポーツの活性化を言うなら、全国に競技施設を充実したり、選手育成に使うべきだ、東京一極集中はやめるべきだ、レガシー資産にするためにスポーツ以外のイベントトを誘致すると言うなら、イベント施設に公金を使ってよいのか、とにかくいい加減な費用見積もりで、お金に無頓着だ、等々、新規開発に批判が多いのである.

これらの競技場の問題は,国立競技場の問題と同じ事を繰り返しているだけに、本当にオリンピックが開催できるのか心配である.⑧で述べているように、開催都市東京都を中心に、ビシッと仕事をする体制を早期に作るべきだと思う.繰り返すが、公金使用の責任がない大会組織委員会に競技場問題を任せていたら,問題は解決しないと思う.

⑦これまでの都議会の検証(チェック機能が働いていたのか)

豊洲市場、オリンピック競技場、それぞれに関して、都議会の過去の審議・議決内容がレビューされていない.過去の決定が正しかったか、このレビューが無ければ、見直し検討が出来ないからである.これはフィードフォワードの基本である.これをやらないから、一度決まった多くの公共事業が間違ったまま,突っ走る事になるのである.

今回、豊洲にしても、オリンピックにしても、都議会に、このような動きがない事は,全く無責任だと思う.もし、過去の議決が間違っていた、或は、状況が変わった、と判断するなら、修正した議決をしなければならないのである.

又、今回の小池都知事の五輪予算見直し、ボート、水泳、バレーボールの各競技場見直し、に関しても、都議会の反応がない事も極めて不可解である.都知事と都議会が相輪と言うなら、無反応は許されないのである.

三競技場の見直しに反対する人は、2年間かけて充分審議し会場を決定したと言うが,その内容が公開されていない.まさに、ブラックボックス状態である.それだけに、過去の決定に疑念を持つのである.

豊洲市場問題も、オリンピック問題も、小池都知事(都政改革本部)から、鋭い指摘を受けて、都議会は恥ずかしくないのだろうか.正直言って、都議会、都議会議員は何をしているのだろうか.東京都庁職員に騙された、我々も被害者だ、とでも言うのだろうか.

⑧東京五輪体制(予算負担体制)の問題

既に、当ブログでも発信しているが、依然として、大会組織委員会と東京都とが対立している.その原因は今や多額の税負担なしにはオリンピックは開催できないのだから、当然、東京都に権限が移らざるを得ないのである.東京都としては金を出すが口を出さない、と言うわけにはいかないのである.東京都としては、納税者に対して、納得の行く税金の使途を決めなければならないのである.

一方、政治介入を排除し、民間事業として独立採算で開催し、その推進を大会組織委員会で行う、と言うオリンピックの理念が残っている.この理念に基づいて、現在の大会組織委員会が編成されているのである.組織委員長の認識もこれに沿っているようである.

しかし、この理念は、とっくに崩壊し、オリンピックは公共事業(政治介入)になっているにもかかわらず、大会組織委員会の役割や認識が変わらなければ,当然、東京都と対立するし、結果、五輪推進組織全体が曖昧になるのである.この問題は日本だけの問題ではなく、IOCは現実に合った理念を作るべきだと思うのである.

いずれにせよ、現実的には、予算負担元が推進母体にならざるを得ないのである.したがって、主催都市の東京都が実質の推進母体になる事は当然なのである.大会組織委員会はIOCの窓口機能と五輪運営事業に分離(法人化)することにすべきだと思う.

そこで、東京都、競技が行われる他県、国、で予算の持ち方を決め、それに対応した体制を作る事が求められているのである.繰り返すが、税金を使う以上、それに対応した五輪組織にすべきだと思うのである.

大きな事業をやる時、どんな大義があろうと、先ず、お金をどうするか、を考えてから計画を作るのである.お金のことを棚に上げて、理想や大義を求めることはプロのやる事ではないと思う.財源のない理想は絵に描いた餅でしかないのである.その意味で、東京への五輪誘致時点から、大間違いをしているのである.

今回の豊洲市場問題も、東京オリンピック問題も、『無責任な放漫経営国家』、『社長も財務部長も、いない国家』、『市民,国民に嘘を言う国家』の性格が露呈した感じがするのである.無駄な公共事業が非難された時があったが、あれ以来、久々に覚える感情である.

以上、8点を追求する事が、フィードフォワードに繋がると思うのである.

ちなみに、フィードフォワードとは、これまでの問題点を検証し、積極的に今後の政策に生かして行く考え方であり、個々の改善をイメージするフィードバックより、政策的、未来的、な視点を持つとして、この言葉を使っている.

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2016.10.02

448 大会組織委員会の役割見直しと新五輪体制

都政改革本部のオリンピック調査チームが929調査結果を発表した.その中で東京五輪体制に社長も財務部長もいないこれでは全体の予算がどうなるのか予算管理を誰がやっているのかも分らないと問題を提起し東京都もしくは、国がこの問題に対応すべきだと提言した.

まさに誰もが抱く問題である.今の流行言葉で言えば、『誰が、何時、予算を決めているのか』,『議会は何をやっているのか』と言いたくなるのである.

まさに、一番大事な『お金の裏付け』がないまま,政治家も、行政も,大会組織委員会も,,国内外の競技団体も、アスリートも,IOCも、JOCも、皆,勝手な事を言っているように感じるのである.これではとてもオリンピックが成功するとは思えないのである.

東京五輪体制やお金の問題は,オリンピック競技大会組織委員会会長に森氏が就任した時から、懸念をしていた.その懸念は早速国立競技場問題やエンブレム問題で露呈してしまったのである.この時、五輪組織の問題を当ブログで発信していた.

本来なら,五輪誘致決定に伴い即時に,全体を統括するヘッドクオーターを設定し、その配下に、役割に応じた実行組織を編成すべきであった.そして、ヘッドクワーターは実行組織と協議して、全体構想の立案、予算の策定、費用の分担、を考えるべきだったと思うのである.

 
しかし残念ながら、日本のお家芸で、All japanで一致団結して、オリンピックの成功に向けて頑張りましょう、と掛け声を掛け合うだけで、本質的なお金の問題や各組織の役割分担も、曖昧なまま五輪体制が組まれたのである.

組織論で言えば、これを『運命共同体組織』と言う,役割,権限,責任,が曖昧な組織をこう呼ぶのである..この組織で使われる言葉は,連携、調整、根回し,である.企業組織にもよく見受けられる組織である.この組織は垣根を超えて、皆が助け合う事が出来そうな組織だが,現実は皆が助け合う事はあまりない.この組織の最大の問題は、役割に抜けが出来たり、問題の未然防止や問題発生時の対応が遅れる事である.

この弊害をなくす組織が『機能別組織』である.役割,権限,責任,を明確にした組織である.特に巨大な組織にはこの機能別組織は必須である.この組織は組織間の壁の問題が発生しやすいのだが,それらを解決する為に、フラットな組織ではなく,3階層程度のツリー構造の組織にするのである.


残念乍ら現在の五輪体制はしっかりしたツリー構造が出来ていない.国、IOC、大会組織委員会、東京都、の役割.権限、責任が曖昧なのである.オリンピック担当大臣、文部省、大会組織委員会、の役割、権限,責任を調べたけれども、さっぱりわからないのである.

どうやら日本は『曖昧の合理性』文化の影響で『運命共同体組織』を好み、しっかりした機能別組織を作る事が苦手なのである.仕事でも、仕事の前に膨大な契約書を交わす事は苦手なのと同じである.だから、問題が起こると、大騒動になるのである.


そんな状況下で、今回、小池知事配下のオリンピック調査チームが総額3兆円超になりそうなオリンピック費用問題に誰が統制と管理をしているのか、誰が金を払うのかと現状の無責任な組織運営に鋭く切り込んだのである.

東京都としては、このまま青天井の請求書が回ってくるなら、都民にも説明がつかないし、都民に負担もかけられないのである.こんな状態を打開する為、主催都市東京が全体の予算の統制、管理をやるしかない、と主張したのである.

どうやら私の理解するところ、IOC配下の『オリンピック競技大会組織委員会』の位置づけに問題がありそうである.この組織の考え方、変遷を整理してみた.

そもそも、IOCは開催国の大会組織委員会をIOCの配下におき財源も含めて独立して存在させオリンピックの準備から運営までを,すべて行う組織として考えていたのである.オリンピックを政治から切り離す、開催費用を抑える、と言う考えかあったと理解している.

これを見事にやってのけたのが、ロサンゼルス・オリンピックである.大会組織委員会の収入ですべての費用を賄ったのである.このロサンゼルスオリンピックは『オリンピックは民間が行うイベント』(商業オリンピックイ)だと言う事を実証したのである..

しかし、どの国も、オリンピックの肥大化や開催国の国威発揮の場になって、現実は大会組織委員会収入ですべてを賄うことは殆ど出来なくなったのである.実際、どの開催都市も国の予算が投入されているのである.東京五輪で言えば、大会組織委員会収入(放映料入場料)は5000億程度である.とても、3兆円どころか、運営費も賄えないのである.

この時点で、もう、大会組織委員会はIOCの言うオリンピックの全体を仕切る独立した組織ではなく、開催都市の計画をIOC及び世界競技団体に伝え了解を得る機能しかないのである.


従って、東京都としては、大会組織委員会が企画した費用の負担に反発したくなるし、どうせ費用を東京都が負えと言うなら、予算の決定権や管理統制を東京都に移せと言うのは当然の主張になるのである.東京都は都民に費用負担の説明をする必要があるからである.

この考えから、東京都は大会組織委員会(東京都の出資する外郭団体)を監理団体として位置づけたいと提案しているのである.(現在は報告団体)

一方、これまでの大会組織員会森会長の発言を聞くと.

『大会組織委員会はIOCの規定で作られたオリンピック企画・実施組織だ』
『大会組織委員会は行政が用意した設備を使って、オリンピックを運営する組織だ』
『大会組織委員会は東京都の下部組織ではない』(東京都の監理団体ではない)
『競技場を今更変えられない』(東京都の競技場再検討に対して)


役割認識がその都度違うのだが、どうやら、森会長自身が、大会組織委員会の役割を認識しているのか,不安になるのである.

日本文化が持つ『曖昧の合理性』(ハッキリ決めるより、曖昧にしていた方がうまく行くとの考え方)が暗黙の内に働いて、しっかりした『機能別組織体制』を作らず、曖昧な『運命共同体組織』を森氏に丸投げしたのかもし知れない.だとすると、森会長が大会組織委員会の役割をしっかり認識していない事は当然と言う事になる.


この責任体制の問題に対し政府は

『オリンピックはIOCと東京都が行う大会だ』
『東京都と大会組織委員会で責任体制をハッキリすべきだ』
『責任体制が曖昧なまま、国が費用を負担する事はない』


等と,国はオリンピックから距離を置いたような発言をしているが、新設されたオリンピック担当大臣、文科省はじめ各省庁の役割は曖昧である.

どうやら,下記の事が整合されないまま、曖昧な五輪体制が組織されている所に根本問題があると思うのである.

・政治を排除し、IOCと大会組織委員会でオリンピックを開催すると言う理念.
・税金(政治介入)で費用を賄わなければオリンピックは開催できないという現実.


そこで、先ず、オリンピックを成功させる為、大会組織委員会を機能分化し、次のような機能別組織体制に再編する事を提案したい.

・五輪統括部門の設置(企画,予算、運営、の統括と管理、IOC連携)
・設備準備部門の設置(競技場、仮設の計画と予算化,建設)
・運営事業部門の設置(事業収入、運営サービスの独立採算法人化)

・セキュリティ部門の設置  (国の対応)

統括部門は設備及び運営、各部門との協議で全体計画を取りまとめ,予算の統制と管理を行う..同時に、国内外への広報、IOCとの連携を担う.この組織は行政組織とし、東京都に置くか、国に置くかの検討が必要である.

設備準備部門は国内外の競技団体と協議し,予算の検証によって、競技場、仮設設備を決定する.予算の負担については、統括部門交えて協議する.この部門は東京都、東京外競技場の自治体、国、で編成する.

運営事業部門は東京都の独立採算の法人とする.赤字予想の時は改善策、行政負担含めて統括部門で協議する.


又、今後のオリンピックの事も考えて、IOCは次の対応が必要だと思う.


・IOCは各国のオリンピック競技大会組織委員会の役割の変更.


政治と切り離す為に、IOCの出先機関として、大会組織委員会が全てを仕切る形を取っているが、実態は税金で費用を賄う必要があり、政治抜きでオリンピックは開催できないのである.従って、大会組織委員会の役割はIOCとの窓口機能に変更すべきだと思う.

・IOCや世界競技団体は競技場や選手村に条件を付けない(場所、観客数、等)


IOCはオリンピックの企画をし、開催都市に実行してもらう、と言う立場で、いろいろ細かな事に介入してくるのだが、それが、費用の増大を招いているように感じる.費用を落とし、世界の都市でオリンピックが開催できるように、開催都市の状況に合わせた企画にすべきだと思うのである.是非、この検討をすべきだと思うのである.

・オリンピックと競技別世界大会のすみ分け

オリンピックの規模縮小から、既に存在しているプロを中心とした世界大会(ゴルフ、サッカー、野球、等)はオリンピックから外しても良いと思う.オリンピックでやっても同じ顔ぶれになるからである.

又、莫大な税金を使うオリンピックうの将来を考えると、規模縮小の先に、アマも含めた競技別世界大会にシフトしていくのではないかと思う.オリンピックの社会的役割も終焉していくような気もするのである.

以上、五輪体制の問題は、まさに、オリンピックが過渡期にある事を露呈していると思うのである.

 

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