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2016.10.29

450 石巻市立大川小学校訴訟判決で思った事

東日本大震災で大津波にのみ込まれ、児童108人のうち84人,教職員は13人のうち10人が行方不明となった石巻市大川小.北上川の河口にほど近い学校で起こった悲劇である.

児童が下校準備をしている時,地震が起きた.全員が校庭に避難した.児童の一部は迎えに来た親と帰宅したが,校庭に残った子どもたちに悲劇に起った.

地震のあと,子ども達は通学用のヘルメットをかぶり、校庭に整列していた.「点呼をしていた.避難しようとしてたんじゃないか」.地震の後,2人の孫を同校まで迎えに行った男性は言う.避難所にも指定されている小学校は、安全な場所のはずだった.そこへ津波が来た.北上川を河口から5キロもさかのぼり,小学校の屋根を越えた.

宮城県も石巻市も昭和三陸大津波レベルなら大川小学校には津波が来ないことを公言し,それ以上の大津波への対応は全く考慮していなかったと言わざるを得ない.

もし大津波が来たらここは危険との意識が住民に無かったのはそのためだったと言える.大地震だったにもかかわらず、5分で完了可能な裏山への避難が選択肢の後方へ押し.げられてしまったのは,大川小学校に集まった人々のほとんどに危機意識が欠けていたからかもしれない.

児童23人の遺族から出された損害賠償について、仙台地検は10月27日、教員らが大規模な津波が襲来することを予見していたにも、わらず、児童が死亡したのは津波回避に過失があったからだとして、約14億2600万円の損害賠償の支払いを命じたのである.

東日本大震災で同じように、大きな津波を予見していたにもかかわらず、津波回避に過失があったからだとして、遺族に侵害賠償の支払いを命じる判決がいくつか出ている.何れも、予見していたかどうかが決め手になっている.スポーツ事故などでも,同じであるような判決がある.

一般に『過失とは』注意義務に違反する状態や不注意をいい、特に民事責任あるいは刑事責任の成立要件としては,違法な結果を認識・予見することができたにもかかわらず,注意を怠って認識・予見しなかった心理状態、あるいは結果の回避が可能だったにもかかわらず,回避するための行為を怠った事を言う.

この予見有無が過失認定の決め手になる事に率直に言って、違和感がある.

大地震発生後、大きな津波が来ることを広報されているし、誰もが大きな津波が来ることを知っていたと思う..だとすると、この判決に従えば、自力で回避できない、児童や病人,老人の惨事に対し、管理者が予見をしていたにもかかわらず、注意義務を怠った、あるいは.回避行為が怠慢だった、として、過失責任が問われることになるのである.

私見によれば、予見認定も、過失認定も、極めて曖昧な事が多く、判決に違和感がある.具体的には次のような事である.

・予見とは何か(津波が来る予見か、危険度の予見か).
・予見認識の内容やその危険度に個人差がある
生命の危機を予見し,パニック状態になった時、結果責任が問えるのか.
・複数の回避場所の一つに回避し、被害が出た時、結果責任が問えるのか.
・指定された安全な場所に行く事が出来なかった時、結果責任が問えるのか.
・回避場所が指定されていなかった時、結果責任が問えるのか.

過失とは法や規則を不用意に守らなかったり、或は機器等の操作を間違ったりして、被害を出してしまった時と、素朴に解釈すると、今回の例では,津波回避方法が定まっていたかどうか、それが周知徹底されていたかどうか、が,過失の有無の決め手になるのであって、定義が曖昧な,個人的な予見の有無が決め手にはならないと思うのである.

また、『予見していたにもかかわらず、対応しなかったから過失だ』と決めつける判決は、積極的に危機情報を得る事や、予見技術が発達する事が、過失責任を負うリスクを大きくすることになり、『知らぬが仏』『知らない事が免罪符』になりかねないのである.

遺族の心境を察するに、救えた子供の命を失ってしまった口惜しさは図り知れないと思う.その原因は過失にあるとする心情も理解できる.だからと言って,過失有無の物差し(考え方、論理)を曖昧にしてはならないと思うのである.

今回の判決によって、さらに多くの訴訟が起こる可能性もある.果たして、行政側はどう対応するのだろうか、控訴によって、論争がさらに続く事も予想されるのである.

自然災害国日本にとって、被害者支援、保障、の手厚い制度は、勿論、理想であるが、限界もある.又、自然災害対応の過失責任を裁判で問うのも、極めて難しい判断になる.

特に、社会が便利に、安全に、なる程、科学技術が発達する程、或は、防災が進む程、過失責任訴訟が多く発生し、損害賠償も大きくなって行くと思うのである.

自然災害が発生した時、一般に、予想を超えた(設計目標を超えた)事象が起こったから過失なし(予見なしと同じ考え方)、と考えられているが、予算の関係で、設計目標を低くしていた場合、過失責任はどうなるのかと言う問題もある.

一方、法に触れない設計だったから当事者には過失なし、と言う考え方も出来るのである(この場合法の問題になるが).

そんなわけで、『自然災害と過失責任』『防災と過失責任』について,改めて考えさせられたのである.今後とも注目していきたいテーマである.

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