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2017.10.27

481 安全保障/憲法改定の論議の前に認識すべき事

衆院選挙の結果、いよいよ憲法論議、とりわけ、第9条を含めた安全保障問題がテーブルにのりそうである.

現在の我が国の安全保障は日米安保による米軍と軍隊ではない自衛隊によって守られている.具体的には、自衛隊は個別的自衛活動と日本の防衛が脅かされた時の米軍への支援活動(限定的集団自衛)、及び、海外平和維持の為の後方支援活動を行っている.

これに対し、自衛隊は違憲だ、自衛隊と個別的自衛活動は合憲だが限定的集団自衛は違憲だ、海外平和維持活動への参加も海外派兵につながり違憲だ、等の主張が消える事はない.反対の理由は憲法第9条があるからだと思うが、憲法以前に安全保障のあり方として反対だと考える人もいると思う.

一方、憲法は座して死ぬことを定めていない、として、防衛は自然権として存在している、あるいは、憲法で放棄しているのは侵略行為であって、自衛活動まで放棄していない、そもそも自衛隊は軍隊ではない、として合憲だと考えている人が多いのも事実である.

この現状に対し、安倍自民党総裁は自衛隊の存在に対する違憲論を払拭する為に、現在の『軍隊でない自衛隊』を第9条に追記したいとの提案をした. これに対し当ブログで異論を述べた.『軍隊ではない自衛隊』と『軍隊である自衛軍』では大きな違いがあるからである.

ところで、安全保障の議論が本格的になる前に、これまでの思考停止状態から脱する為に、的確な精度の高い議論をする為に、いくつか認識しておくべき事を.列記してみた.

第一は、『安全保障が持つ特質』の認識と憲法の条文.

これまでの安全保障議論が不毛に感じるのは、この認識がされていないからだと思うのである.その特質とは次の4っである.

①自衛活動の範囲を厳密に定義する事は出来ない事 (個別でも集団でも)
②自衛権発動の条件を厳密に成文化することは出来ない事
交戦状態(戦争)になれば、現憲法も,専守防衛も、吹っ飛んでしまう事
④軍隊及び
軍事行為には軍事法制、軍法会議、有事法制、等が必要である事

特に、万が一の交戦状態になれば、専守防衛などと言っておられず、敵地攻撃や適地侵攻、邦人救出、等も必要になり、国民においても、生命財産が危険にさらされるのである.とても、現憲法や一般法(刑法、商法、民法、等々)では対応が出来ない事態が発生するのである.勿論、現在、これに対応できる法的基盤はない.

そもそも現憲法では諸国を信頼して我が国への主権侵害はないとして、軍事力も交戦権も放棄し、国家主権を守ると言う概念すらないのだから、国家の危機に関する想定も、対応方法も、議論する必要が無かったのかもしれない.米国統治下ならまだしも、独立後もこの状態が続いている事に、憲法の草案を書いた米国人も驚いていると言うのである.

今後は、国家主権侵害の未然防止と侵害された時の対応が出来る憲法にすべきだと思うのである.その為に、究極的には次のような憲法にせざるを得ないと思うのである. 

『我が国の主権を守る為に、世界平和のに貢献する為に軍隊を持つ、その運営は総理大臣の下で文民統制され、その組織,軍事法制,有事法制は法律で定める』

何が起こるかわからない事に対して、その備えを文民統制で行うと言う案である.この案では当然のことながら、時々の軍事行動の内容に国民の目が向けられる事になるし、反対運動も起こると思う.ただし,違憲論争にはならないのである.

これで、『戦争が出来る国になる』と猛反発する人もいると思うが、国家主権を守る手段として軍隊は不要だと言うのだろうか.世界の国々が非武装になった時、言える言葉であって、現実はそうならないのである.

それでも、軍事行動を文民統制と言う俗人的判断にゆだねる事は危険であり、政権の暴走を防ぐ為にも、憲法に制約を付けるべきだとの意見もあると思う.

一見、正論の様だが、何が起こるかわからない、しかも相手がいる事に対し、憲法で主権防衛活動に制約を付ける事は、無防備なところを示す事になり、抑止力も、交渉力も、マイナスになるのである.

したがって、文民統制のもとで、状況に応じた軍事行動を行うしかないのである.その分,文民統制には大きな責任が伴うし、常に民意と一体になっていなければならないのである.その為に、国政選挙では、安全保障の施策を常に国民に問う必要がある.これまでのように、この議論を避けて選挙に臨むことは許されなくなるのである.

第二は、軍隊としての自衛軍と軍隊ではない自衛隊との差の認識と選択.

まず『軍隊としての自衛軍』と『軍隊ではない自衛隊』との差の認識だが、おおよそ下記の通りである.

軍隊(自衛軍)の場合

「軍隊」は軍事力及び警察力の一部の行使機関であり,主権国家の象徴でもある。戦時国際法においては、戦時において一定の人道的な制約の下で作戦行動により敵を直接的に加害する権限を持ち、敵の指揮下に入ればその成員は捕虜として扱われる権利がある.

軍隊は,概ね軍事法制(軍規、軍事法廷)によって建設,保持されており,その役割は自国の安全保障,国内の治安維持,軍事力による外交支援,,軍事外交などがあるが、具体的には集団的自衛活動、あるいは国連や有志連合による国際平和維持活動にどのように係わるかは憲法もしくは法令あるいは国会で決める事になる.又、軍隊の国内における自衛の為の武力行使においては、一般法の外側になる有事法制が法的根拠になる.

非軍隊(現行自衛隊)の場合

自国防衛の為として,陸海空の「軍事力」を持っているのだが、第9条があるから、軍隊ではないとしている為、武力行使に必要な軍規、軍事法廷,あるいは有事法制を作れないのである.また、自衛隊の法的位置づけは警察や海上保安庁、あるいは一般行政機関と同じである.

この状態では、私見によれば、武力行使の法的基盤(軍規、軍事法廷、有事法制、等)はないのだから、武力行使はできないのである.同時に、抑止力も、交渉力も、発揮できないのである.したがって、自衛隊の軍事力は抜く事も出来る『抜かずの剣』ではなく、抜く事も出来ない『抜けずの剣』になっているのである.

安倍総裁提案の現自衛隊を第9条に追記する案は,自衛隊の違憲論は払拭出来ても、武力行使の法的根拠が作れない事から、『抜けずの剣』のままになるのである.

このように、軍隊と非軍隊では大きく違うのだが、法律の立て方にも差がある.

軍隊は、あらゆる危機に対応する必要がある為、「出来る事」ではなく、「出来ない事」を規定するのである.何が起こるかわからない危機に対し、「出来る事」を全て網羅する事は不可能だからである.

一方、自衛隊は軍隊ではないのだから、警察(一般の行政機関も同じだが)と同じように、「出来る事」を規定する考え方になるのである.

しかし、何が起こるかわからない国防危機への対応に、「出来る事」を規定する事は極めて困難になるのである.国会で自衛隊の「出来る事」の議論をしているが、いくら議論しても明確にはならないのである.

例え規定が出来たとしても、断片的で、複雑で、いろいろな条件が付いたり、解釈が伴う規定となり、危機に直面した時,具体的に、どう対応すべきか、混乱が起こると思うのである.このように法律の面でも軍隊と自衛隊の違いが存在しているのである.

この差の認識の上で、『軍隊ではない自衛隊』のままで良いのか、『軍隊としての自衛軍』にするのかが,防衛問題のスタートの議論になるのである.

そこで、私見として,何が起こるかわからないと言う安全保障の特質と後述の第三、第四、第五、の関係から、軍隊が必要だと思うのである.そこで、『軍隊を持つ、但し、その活用は文民統制による』と上記第一で述べたのである.

軍隊を持つ事に多くの国民は嫌悪感を抱くと思うが、一方では、最悪の備えとして、自衛力、抑止力、交渉力、を持ち、東アジアの安定や世界の平和維持活動に貢献する為に、軍隊を持つ事が必要だと思うのである.

勿論、厳しい文民統制のもとで慎重な運営が求められる事は当然である.又、この新憲法のもとで、二度と戦争を起こさない取り組みも当然である.

ところで、現憲法第9条は、戦争はもう嫌だとの国民の心情、焼け野原からの復興優先、米国の占領政策と日米安保条約、によって作られたと思う.今後も、『第9条+日米安保条約+軍隊ではない自衛隊』で良いのかが、今、問われているのである.

第三は、個別的自衛か集団的自衛かの考え方の認識と選択.

個別的自衛権と集団的自衛権についての考え方だが、ドイツでは個別的自衛権より、集団的自衛権(相互に共同で防衛し合う)を重視している.戦争の経験から、自分たちの自衛活動判断より、集団の自衛活動判断の方が間違いをなくせる、集団の方が戦争の抑止力が高まる、と考えている様である.

日本の考え方は、個別的自衛活動は良くて、集団的自衛活動や世界の平和維持活動、あるいは、世界平和活動はダメ、と言う論調が多い.ダメの理由が憲法第9条があるからか、ならば、憲法を改定すれば良いのか、あるいは、憲法と関係なく、戦争に巻き込まれるからダメと言うのか、全く不明である.きっと、憲法第9条があることから、全保障の在り方など議論してこなかった事が原因だと思う.

現在『東アジアの平和維持の為に、米軍に基地を提供し、同時に日本の防衛も行う』と言う日米安保条約(集団的自衛の一つの形だと思うが)に、『米国への攻撃が日本の存続危機に係わると判断した場合は、米軍を支援する』と言う安保法制(限定的集団安全保障)が追加された.

米国が日本を守ってくれる事には賛成だが、この追加された安保法制には反対だと言う野党の主張が上記のダメと同じように、ハッキリしていない.これも又、野党において、安全保障の在り方の議論がされていない感じがするのである.

世界各国も国連も、集団的自衛活動や世界平和維持活動の方向にあると思うのだが、現在の日本の発想は、とても、これについて行っていないのである.それとも、日本は一国平和主義(争いには加わらない)を言い続けるのだろうか.考えるべき大きなテーマだと思う.

第四は、現在の安全保障は現実のリスクに追い付いていないと言う認識

日本の安全保障問題は、朝鮮戦争で自衛隊が編成され、イラク戦争では、お金だけではなく血を流せと言われて、後方支援をし、昨今の北朝鮮の核・ミサイル問題では、限定的集団自衛を制定し、どうやら、日本の安全保障は海外の影響で右往左往してきたと言えるのである.

しかも、現在も、近隣の状勢によるリスクに対して、安全保障論議が追いついていないのである.例えば、ミサイル防衛、大量破壊兵器防衛、サイバー防衛、交戦状態対応、敵地の邦人救出、それらの行動における、空爆による敵地攻撃、敵地上陸、敵地での交戦、等、軍事行動の法的基盤も含めて、問題が山積みになっているのである.

日本近隣には独裁国家、軍事国家、反日国家が存在しているだけに、ここはしっかりとした日本のプリンシプルを早期に確立する必要があると思うのである.

第五は、他国との軍法制バランスの認識と選択

安全保障は軍事力バランスが必要だと言われているが、それだけではない.問題の交渉の為にも、個別的防衛活動の為にも、集団的防衛活動の為にも、抑止力の為にも、交戦状態で敵国と対峙する為にも、軍事行動の法的基盤を他国と同等にする事も考えなければならないのである.

ミサイルを打ち込める、しかも、打たれる前でも打ち込める相手に対して、こちらがミサイルを打てない、では全てに於いて劣勢になるのである.又,同盟相手国が出来て、こちらが出来ない、状態では、同盟も結べないのである.考えるべき大きなテーマだと思う.

第六は、安全保障も含めた憲法改定の仕方の選択

最後に、憲法改定の仕方の問題であるが、少しづつやるか、一気にやるかの問題である.持論としては、70年間の積もり積もった問題を一気に解決したいのである.

当ブログで発信しているが、私の見方だが、現憲法に、間違い(翻訳ミス?)、意味不明、一院制(米国案)の二院制への変更もれ、直したい、加えたい条文、等が多くあるのである.

(当ブログ NO412 改めて日本国憲法の問題点を列記してみた15・10・24で発信済み)

敗戦の占領下で一週間程度で作られた完成度の低い憲法、継ぎはぎの憲法を一度も改定していない事、一度も国民の審判を受けていない事を一掃したいのである.又、立憲主義にとっても、国民の審判を受けた最新版が必要だと思うのである.

日本には民主主義があるのか、日本国民は憲法に関心があるのか、と思われている事に終止符を打ちたいのである.

又、改定の中身については、特に安全保障について言えば、現憲法の条文をいきなり議論するのではなく、上記のいくつかの認識を踏まえて、今後、安全保障はどうあるべきかを先に議論すべきだと思うのである.その上で、具体的な憲法条文を議論すべきだと思う.

安全保障以外の改定については,70年間に積もり積もったアカを洗い流して、憲法全体を刷新すべきだと思う.部分的な改定で済む程、現憲法の完成度は高くないからである.優先度によって部分的な改定を先にしたとすると、憲法全体の整合性が取れなくなったり、可笑しな条文が残ったり、何回も憲法改定が必要になったり、することは確実であり、部分改定は避けるべきだと思う.

そんなわけで憲法調査会で、憲法全体をテーブルに乗せて、必要と考えられる改定内容(間違い、意味不明、欠落、要望、等の扱い)をまず取りまとめて欲しいのである.その上で、新憲法草案を作り、国会発議をして欲しいのである.

モット早めるなら、専門家が新憲法案を三つほど作って、憲法審議会で比較検討と修正をし、国民的議論を経て、新憲法を国会に出しても良いと思う.

勿論、国民投票においては,憲法全体をチェックしたり、何を優先して賛否を決めるか、悩ましい事になるが、避けて通れないと思う.新憲法と現法制度の整合性を取るための法律の改定作業も大規模になるかもしれないが、これも乗り越えなければならないのである.

とにかく70年間、放置してきた憲法だから、部分的な修理ではなく、建て替えでしか対応できず、従って、大事業になることは覚悟しなければならないと思うのである.

以上、安全保障議論や憲法議論に先立って、認識しておくべき事を述べた.この認識を共有して、これまでの様な不毛な議論は無くして欲しいと思うのである.

又、従来、政治家が安全保障や憲法をあからさまに主張しないのは、票が取れないから、あるいは、落選するから、の様だが、本当は国民を説得する考え方を持っていないからではないかと思うのである.これからの政治家には、国の根本になる、安全保障と憲法についての所見を公言することを義務づけてはどうだろうか.

以上憲法や第9の議論の前に認識すべきことを列記したが日本人の特性かも知れないが明らかに起りそうな最悪の事態から目を逸らそうとする習性を感じる.農耕民族特有の村社会の秩序を乱したくないと言う心理が働くのかもしれない.
 

の戦争でも敗戦のを想定しなかったり現在で言えば安全保障もそうだが少子高齢化に対する経済や国家財政あるいは社会保障なども最悪の事を想定していない感じもする.勿論想定し対策を考える事は難しく嫌な事であるが政治はこれから逃げてはならないのである.

追伸(2017年12月30日)

自民党憲法推進本部は、第9条の'戦力不保持’を残したまま、'最小限の自力組織’として自衛隊を追記する案の検討に入ったと言う.この案に誰もが感じる事は、最小限の意味や実力組織の意味(軍隊かどうか)が全く曖昧な点である.何か、言葉遊びをしている感じにしかみえないのである.

一方、党内には、分りやすく、9条の戦力不保持を削除して’軍隊としての自衛隊の保持’を明記すべきだ、との案も根強くあると言う.

何とも淋しい限りの議論に感じるのだが、最も重要な事は’日本の安全保障の在り方’の議論である.之が全く見えないのである.之が定まらなければ、憲法など出来るわけがないのである.この議論をすると,収拾がつかなくなる、国論が二分する,として避けているなら、憲法改定を議論する意味がないのである.

そんなわけで、'日本の安全保障のあり方’として、先ず、次の議論が必要だと思うのである.(今頃、こんな初歩的な議論をしなければならない国は世界中で日本しかないと思うが)

軍隊を持つのか(武装諭)、持たないのか(非武装論)の議論.

軍隊を持つとするなら,行動範囲(集団安全活動、集団自衛活動、個別自衛活動、災害対応、等)をどうするのかの議論.

軍隊を持たないが、現行の様に、軍隊ではない自衛隊は持つとするのか,その時、自衛隊と軍隊の違いはなにか、この自衛隊の行動動範囲をどうするか、自衛隊の武力行使に必要となる法制度(軍隊なら必須となる軍事法制、軍法会議、有事法制、等)をどうするのか、この自衛隊の存在を憲法に明記するのか、しないのか、の議論.


と言う根本的な所から議論すべきである.その上で、憲法にどのように記述するかを議論すべきなのである.勿論、自民党だけではなく、各政党も議論し,成案を出して欲しいのである.それとも、又、先送りして、憲法を作れない国を続ける事になるのだろうか.


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