憲法問題

2017.05.23

469 安倍の総裁憲法改正発言を契機に覚悟ある議論を 

日本の憲法が戦争を放棄しているから平和憲法だと言う人がいる.しかし,自衛の為の戦争まで放棄していると言うのか、自衛の為の戦争は除くと言うのか、はっきりしない.憲法の文面だけで見れば、すべて放棄しているのである.

憲法で全て放棄している理由は簡単である.米国の統治下の憲法だからである.マッカーサーとしては日本を丸腰にしたと言う成果をアピール出来る、日本としては、軍事力及び費用を持たなくて済む、更に、国民感情としても、戦争はもう嫌だ、と言う思惑が働いて、戦争放棄憲法に異論はなかったと思うのである.当時の吉田首相はこの軍事力の問題を独立後の後世の宿題にしたのである.

時系列で言うとこうである.(図のクリックで拡大)

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サンフランシスコ条約で独立が認められると、独立国としての自衛力の問題が出てくる.そこで、自衛権は自然権として存在しているとして、憲法をそのままにし、日米安保条約及びその後の自衛隊発足で日本の防衛を行う事にしたのである.

現在の日本の考え方は自衛権にもとづく,自衛力の行使(交戦権)は敵地では出来ないが、自国内なら可能としているのである.

従って「自衛以外に武力行使をしない,その為の武力も持たない」、と言う意味で平和憲法だと言うなら言えなくもないが、どの国も自衛を大義として,軍隊を持っている事を見れば、別段,平和憲法だと主張する話ではないのである.

それとも、軍隊ではない自衛隊はあるが、憲法で放棄している軍隊は持っていないとして平和憲法だと言うのだろうか.これも説得力がないのである.

一方憲法で「戦争放棄、非武装」を宣言しているのだから,「不戦を誓った国」だと言う人もいる.この不戦の誓いは心構えとしては大事だが、この誓いを担保するには「近隣諸国と不戦を約束する事」がなければ、実現しないのである.

勿論、「私は戦争をしない」と宣言すれば、誰も軍事を背景とした日本への圧力もかけず、日本の国益を侵さないのであれば、これに越したことはないが、現実はその保証はない.

言い換えると、この諸国間の不戦の意識や約束がない中で、不戦を誓う事は最悪、「国益の放棄」を意味する事になりかねないのである.不戦、非武装を主張する人は「何があっても、交戦しない」と言う覚悟があって言っているのだろうか.

以上の事から、我が国の現在の安全保障に関する法体系は次のように、「戦争放棄の憲法」と自衛の為の「日米安保条約」と「軍隊ではない自衛隊」が併存しているのである.

①憲法前文では

「日本国民は恒久の平和を念願し、・・・平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、我々の安全と生存を保持しようと決意した.」

②憲法9条で

国権の発動たる戦争と、武力による威嚇、又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する.」

前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない.国の交戦権は、これを認めない.」

一方独立によって、自衛力が必要だとして、

独立時、自衛の為に,日米安保条約を締結し,その後、軍隊ではない自衛隊を発足したのである.他国の軍事的圧力を抑止するとともに、我が国の領土、領海、領空の侵犯に対しては、自国内で武力行使ができるとしているのである.

このように、極めて解りずらい法体系になっている事は事実であり,結局、日本は、自衛、集団的自衛、国際平和維持、等の安全保障に対し、どうしたいのか、しっかりしたコンセプトが見えていないのである.

このようなすっきりしない法体系になっているのは,日本の独立時、米国統治下で制定された丸腰の日本憲法をそのままにして、憲法解釈で、日米安保条約を加え、更に、朝鮮戦争を契機に,自衛隊を加え,我が国の自衛権と国内での交戦権を行使できるようにした事に由来しているのである.

現憲法が米国統治下で制定されて以来、一度も国民の審判を受けていない事、国内外の状勢が70年前と大きく変化している事、から、現憲法と現実の乖離はすでに、限界に達していると思うのである.

そこで、改めて、昨今の国際情勢を踏まえて、自国防衛の視点、集団自衛の視点、国際貢献の視点で、どうするのか,が問われているのである.その最大の争点は軍隊を持つのか、やっぱり、持たないのか,である.

安倍j自民党総裁が憲法改正内容と改正次期を公言した事から,やっと覚悟を持った憲法改正議論が始まりそうである.

現憲法の問題について、2015年10月,自分なりに、当ブログNO412で現行憲法の問題点をまとめている.

その中で、多くの問題点(翻訳ミス、記述ミス、意味不明文、論理矛盾、米国原案の1院制の名残り、国防の無記述、欧米の文言の継ぎはぎ,等々)があり、明治憲法の改正条文を利用して,いかに短期間で、雑に憲法を作ったかを実感したのである.

そして、国民投票を受けずに成立した憲法のまま、明らかなミスも、現実との遊離があっても、一度も憲法を改正せず、しかも、安倍一次政権まで、国民投票法すら作らずに来た日本は民主主義国家、立憲主義国家、と言えるのか,と改めて思ったのである.

私見としては、憲法を真の最高法規にする為にも、憲法を国民のものにする為にも、この際、もっと体系的に、国の統治で守るべき理念や基本的規則を整理して、きれいな、わりやすい日本文で、全面的に書き換えたい、との衝動に駆られるのである.

しかし,そんな事をしようとしたら、これから、何十年かかるか分からなくなって、問題の多い現行憲法を延命させることになる.

そこで、国会としては、不可思議な条文が70年間も生きて来たのだから、今回も取りあえず棚上げし,最も改正を急ぐ条文に限って,改正の発議をしようと考えているのだと思う.従って、依然として欠陥条文が生き続ける事になるのである.此れも、憲法を長期間、凍結して来た「ツケ」である.

一方、憲法改定の国民投票が未経験である事から、翻訳ミス、記述ミス、等の議論の余地のない条文の訂正を先にやるべきだとの意見もある.国民が国民投票を早期に、経験する為に、一理ある意見である.

ところで、阿倍総裁が憲法改定を口にした事は憲法違反だと言う政治家、有識者がいる.

憲法第99条:天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し、擁護する義務を負ふ.

と言う条文に違反していると言うのである.この条文も、当ブログNO412で憲法の問題点に挙げているが、英文草案では.shall be bound to uphold and protect this Constitutionであり、protectは積極的なdefendやguardではなく,protect this Constitutionは憲法を守る(憲法遵守)と解すのが妥当なのである.明らかなミスである.

憲法を擁護するは変えないと言うニュアンスがあり、改定する事を許さない、と解する人も出てくるのである.その解釈が正しいとすると、国会議員や公務員の憲法改定発言が違反になり、とんでもない条文になるのである.

安倍首相は気を使って,首相ではなく、自民党総裁として発言しているとして,違反していないと反論しているが、こんなところにも、雑な条文が生きているのである.勿論、他にも、同様なミスがある事は当ブログNO421で指摘しているのである.

この安倍首相の発言は憲法第9条の問題(日本の安全保障の問題)を憲法改正の最優先としているのである.勿論、どの条文の改定を発議するかは未定だが、最も重要と思われる安全保保障のあり方、それによる憲法改定内容について、論点(意見)を、ここで、整理しておきたい.

①憲法第9条のままで良い(非武装が良い、自衛隊・日米安保は違憲)
②憲法第9条のままで良い(解釈で自衛隊,日米安保,限定的集団自衛は合憲)
③現憲法第9条に軍隊ではない自衛隊を追記(自衛隊違憲論の排除)
④現憲法第9条に国防に限った軍隊を持つ事を追記(自然権の軍隊を追記)

⑤現憲法第9条を改正し軍保有を明記(個別自衛、集団的自衛、国際平和の為)

憲法改定の各新聞社のアンケートによると、我田引水の結果ばかりで、あまり参考にならない.聞き方次第で、解答を誘導できるからである.各社とも、上記5択のアンケートをして欲しいと思うのである.

この5択の中で、最大の争点は④⑤の「軍隊を持つかどうか」である.

安倍総裁は自民党案である④⑤ではなく、③案を提案した.過去にあまり議論されていない案である.多くの国民が認めている自衛隊の存在を憲法に書き入れる事をまず優先したのだと思う.これなら、国民の賛同を得られ、早期に憲法改定が出来る、自衛隊や日米安保の違憲論を消滅させられる、と考えたのだと思う.

一見、憲法第9条を変えず,自衛隊を明記する事が出来るのかと疑問に思ったマスコミ、評論家があったようである.安倍首相は軍ではない現自衛隊が合憲とされているのだから、そのまま自衛隊の存在を憲法に明記しても、何ら矛盾は起こらないと考えたのだと思う.

しかし、憲法第9条は

国権の発動たる戦争と、武力による威嚇、又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する.」

「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない.国の交戦権は、これを認めない.」とあり、

これに、自衛隊を明記する事は、軍隊と自衛隊の違いの大論争が蒸し返されると思うのである.そこで、「軍隊」と「軍隊ではない自衛隊」の違いに触れておきたい.

軍隊とは

「軍隊」は軍事力及び警察力の一部の行使機関であり,主権国家の象徴でもある。戦時国際法においては、戦時において一定の人道的な制約の下で作戦行動により敵を直接的に加害する権限を持ち、敵の指揮下に入ればその成員は捕虜として扱われる権利がある.

軍隊は,概ね軍事法制(軍規、軍事法廷)によって建設,保持されており,その役割は自国の安全保障,国内の治安維持,軍事力による外交支援,,軍事外交などがあるが、具体的には集団的自衛活動、あるいは国連や有志連合による国際平和維持活動にどのように係わるかは憲法もしくは法令あるいは国会で決める事になる.

又、軍隊の国内における自衛の為の武力行使においては、一般法の外側で有事法制が必要になる.細かいことを言えば、他国の例にある様に、主要な道路、高速道路、橋などで、戦車などの軍事用車両の交通を可能としたり,主要な道路や高速道路などに、戦闘機の発着が出来る.ような事も考える必要がある.

一方、自衛隊は、

自国防衛の為として,陸海空の「軍事力」を持っているのだが、軍隊ではないとしている為、武力行使に必要な軍規、軍事法廷,あるいは有事法制を作れないのである.軍隊と自衛隊の大きな違いである.

更に「軍隊」と「軍隊ではない自衛隊」の違いは法律の立て方にもある.

軍隊は、あらゆる危機に対応する必要がある為、「出来る事」ではなく、「出来ない事」を規定するのである.何が起こるかわからない危機に対し、「出来る事」を全て網羅する事は不可能だからである.

一方、自衛隊は軍隊ではないのだから、警察(一般の行政機関も同じだが)と同じように、「出来る事」を規定する考え方になるのである.しかし、何が起こるかわからない国防危機への対応に、「出来る事」を規定する事は極めて困難になるのである.国会で自衛隊の「出来る事」の議論をしているが、いくら議論しても明確にはならないのである.

例え規定が出来たとしても、断片的で、複雑で、いろいろな条件が付いたり、解釈が伴う規定となり、危機に直面した時,具体的に、どう対応すべきか、混乱が起こると思うのである.

このように法律の面でも軍隊と自衛隊の違いが存在しているのである.

安倍総裁はそんな事を百も承知で,出来るだけ早く次の段階で、④⑤の改正を描いているのかもしれない.だとしたら、④⑤に対する国民の意思を早く聞く事が重要だと思う.最も大事な事を聞く事を恐れていては責任ある安全保障の議論は出来ないのである.国民も覚悟を持って選択すべきだと思うのである.

その為にも、憲法改定発議の前に,憲法調査会で,安全保障の方向性に関する上記5択を国民に聞く事が大事だと思う.国民の啓蒙の機会にもなるはずである.

率直な感想を言えば、③案は自衛隊発足のときの議論である.今更、歴史を逆戻りする必要はないと思うのである.むしろ、将来を見据えて、軍を持つのか,持たないのかを含めて、山積する現憲法の問題を早期に国民を巻き込んで取り組むべきだと思うのである.

民主主義であるなら常に憲法改正論議や改正発議があっても良いと思う.これまで、あまりにも憲法改正問題を選挙公約で訴えてこなかった政党の責任は大きいと思う.

安全保障と言う保険を強化しようとすると憲法違反、何もしなければ合憲、と言う憲法第9条の風潮が日本を思考停止にしてきたと思うのである.これからは、今更ではあるが、日本の歴史と国際情勢を考えつつ、日本のあるべき姿を描きながら、憲法改正論議が覚悟をもって進められる事を願うのである.

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2017.04.28

468 橋下氏の北朝鮮危機打開策’核ヘッジング論'への私見

常日頃、橋下氏の立論力、デベート力に本質を突いた鋭さを感じているのだが、最近,発信している’核ヘッジング論にはいささか疑問があるので発信しておきたい.

橋下氏が主張する核ヘッジング論とは、おおよそ次の通りである.

核ヘッジングとは、核兵器を具体的に持つという核オプションよりも少しマイルドな考え方である.日本の技術力からして潜在的に核兵器保有能力があることを示唆するのである.

北朝鮮が核兵器保有すれば東アジアの核均衡抑制の観点から日本の核兵器保有も検討の俎上に載せざるを得ないことを示唆するのである.

積極的にマッチョ的に核兵器保有を主張するのではなく,消極的、受動的,臆病者的に核兵器保有を検討せざるを得ないことを示唆するのである.此れが核ヘッジング論である.

「日本は核武装なんかしたくない.NPT体制を守りたい.しかし北朝鮮が核兵器を保有するなら臆病者の日本は核兵器保有の検討も俎上に載せざるを得なくなる」というロジックである.

この核ヘッジング論は核なき世界に向けてのロジックにもなる.非核兵器国が核兵器保有にチャレンジする姿勢を示す事で、初めて核なき世界に向けた議論が出来るからである.

今日本の政治家がやっている「北朝鮮の核兵器保有は絶対に認めない!」「対話と圧力だ!」とバカの一つ覚えみたいに国内で威勢のイイことを言っているだけでは、何も動かないのである.

この核ヘッジング論に対する私見を述べてみたい.

この核ヘッジング論は、けんか相手に、’お前がやるなら,俺もやるぞ’と言っている様なものである.ここで重要な事は,'俺もやる’にリアリティがあるかどうかである.実現性が乏しければ、足元を見られて、なんの凄みにもならないのである.負け犬の遠吠えになってしまうのである.

そこで、日本の核保有の示唆に実現性があるか,どうかが重要になるのだが,残念ながら、現状では実現性は乏しいとである言わざるを得ないのである.核保有の.技術的実現性があっても、国民の意思や憲法を含めた法的基盤が出来ていないからである.

法的基盤とは、核やミサイルが現行憲法や専守防衛、個別的自衛権の武器として許容される事とか,更に言えば、国連憲章にある集団的安全保障行為への参加を可能にし、かつ、同盟国同士の集団的自衛権行使や敵基地攻撃を可能とする憲法を保持する、と言う事である.勿論、このような法的基盤は何も出来ていないのである.

したがって、核ヘッジング論は足元を見られて、’やれるものならやってみろ’と冷笑される可能性が高いのである.

たとえ、核ヘッジング論がリアリティを持つようになったとしても,米国の核の傘の下にある日本が核ヘッジング論をかざしても、北朝鮮への交渉力、抑止力の向上にはつながらないと思うし,むしろ、日本も、核を持ちたいのかと、北朝鮮の考えの正当性をPRする材料にされるかも知れないのである.

更に言えば,日本が、核保有を示唆すれば、安保理から反対される可能性も高いし、核を持ちたいと思っている国々と同列になって、世界から孤立するリスクもあると思うのである.

そんなわけで、核ヘッジング論をかざしても、北朝鮮危機の打開策にはならないと思うし,世界の核なき世界への前進にも繋がらないと思うのである.

私見によれば、現在の北朝鮮危機対応は米国に頼わざるを得ないのが現実だと思う.残念ながら、究極的には、日本の生命・財産の危機は北朝鮮,米国,中國,ロシア,韓国にゆだねられているのである.

その中で,日本としては、妥協策を求めて,有事に繋がらない努力をするしかないのである.一方で、米国との同盟関係の下で,世界と伍していく為に,国連の集団安全保障活動、同盟国との集団的自衛活動が出来る法的基盤作りに取り組まなければならないと思うのである.

しかし、これには、相当の年月が必要になると思われ、国際情勢が,これを待ってくれるはずはないのである.従って、北朝鮮が有事の引き金を引いた場合,米国と韓国が軍事行動を起こした場合、日本の現行法での対応方法(個別的自衛行動、個別的集団自衛行動)を具体的に検討すべきである.

しかし、軍隊、軍規、軍事法廷、有事法制が存在しない現行法の下で、軍隊ではない自衛隊が自衛の為に武力行使ができるのか大いに疑問である.そこで、日本は軍隊を持つのか、持たないのか、軍隊ではない自衛隊のままで良いのか、その時、武力行使の法的根拠はどうするのか、等、基本的な事をハッキリさせるべきだと思うのである.

そんなわけで,橋下氏の核ヘッジング論は北朝鮮危機の打開策と言っているが、本意は日本の安全保障論議を促す事にあったのではないかと思うのである.

ところで、国家間の軍事力の均衡は抑止力に繋がり、不均衡は交渉力の優劣につながるのだが、政治体制や安全保障の法的基盤いかんも,抑止力や交渉力に大きな影響を与えるのである.

北朝鮮危機で言えば、北朝鮮が核やミサイル、あるいは毒物を保有する問題もあるが,それを使用する俗人的独裁政治の脅威の問題も大きいのである.ISも同じである.残念ながら,民主国家が、これに対抗する事は極めて難しいのである.北朝鮮の政治体制を変えるしかないのである.

朝鮮半島は古来より、列強国の争いの場になって来た.歴史を振り返れば,朝鮮半島は日本統治時代が唯一,近代国家作りに取り組んだ時代だったように思う.日本の敗戦によって、再び列強が衝突し、朝鮮半島が分裂し、朝鮮戦争に発展し、映画のような俗人的独裁国家が誕生してしまったのである.現代の世にも、価値観が大きく違う独裁国家が存在している事に、大きな時代錯誤と恐怖感を覚えるのである.

価値観や法的基盤が全く違う,何でもありの独裁国家に対して、民主主義国家の抑止力や交渉力は劣勢になってしまうのだが、民主国間の安全保障に関しては,軍事力の均衡以外に,価値観を共有する事、安全保障法制度を均衡させる事は極めて重要だと思うのである.

その為に、国連加盟国は、安全保障法制度の共有化、均衡化に努めるべきだと思うし,集団的自衛体制の推進も、これに適う方法だと思うのである.同時に,国際紛争の解決手段として,国連の役割、機能,権限を強化すべきだと思うのである.

勿論、日本においても、国連や各国々と,伍して平和を推し進める為に、安全保障法制度を世界と均衡させ、集団自衛体制を作る必要があると思うのである.当然、憲法第9条の改定し,どこの国でもある、軍隊の保持、軍規、軍法法廷,有事法制などの制定が必要になるのである.

以上、先の朝鮮戦争で、自衛隊が誕生したように、今回も、北朝鮮危機を眼前にして、日本の安全保障のあり方を考える良い機会になると思うのである.

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2017.02.15

463 日米首脳会談の感想

先週行われた、トランプ新大統領と安倍総理による,初めての日米首脳会談に対し日本国民の70%が成功だったと評価していると言う.私も、率直に言って,大成功だったと思う.

多国首脳や国内有識者、あるいは国内外のメデアからは、この評価と違って、日本は荒くれ者のトランプ大統領にすり寄り過ぎだ、トランプ大統領に批判的な国が多い中で、日本は孤立する、その内、トランプ政策に巻き込まれる、等の声が多かったように思う.じゃ、どうすれば良かったのだろうか.

私の大成功だったと言う理由は、記者会見の内容が,まるで日本が原稿を書いたかのよう、な,日本のの思い通りの内容だったからである.特に、

・日米安保について,その意義と双方の結束を改めて共有した事、
・日本を取り巻くアジアやロシアの状勢認識を説明した事,
・米国のリーダーシップが世界の秩序を守る上で不可欠である事,
・TPPが目指した意義を説明出来た事,
・日米の
経済問題について,実務レベルで協議を進める事,
・国際会議の都度、日米首脳会談を持つ事,
双方首脳の人間関係が良い方向に向かいそうな事,

である.初めての首脳会談で,今後の議論のイニシャルセットできたと思う.同時に,中國や韓国への牽制にも大いに役立ったと思う.

又,人間的に,思想的に,批判の多いトランプ大統領ではあるが、民主主義のリーダーたる米国が選んだ大統領に対して,安倍総理が敬意をもって接した事は大変良かったと思う.この姿勢があればこそ,有意義な時間を持てたと思うし、今後も、率直に会話ができる関係が期待されるのである.

今回は日本が主導したような首脳会談の内容だったが、その分、次は米国から、厳しい要求が来そうだと、今回の成功を率直に喜ばない人がいる.その人に、それでは、成功しなかった方が厳しい要求が来ないのか、と聞きたくなるのである.

主張の相違は怖くないと安倍総理が言うように、問題は常にあるわけで,今回の首脳会談の成功を踏まえて,今後、率直な議論、交渉をすればよいと思うのである.特に、トランプ大統領が問題視している、貿易問題、為替問題について,総合的な視点で,一致点が見い出せると思うのである.

一方、日本には,腫れ物に触るような大きな問題がある.世界の安全保障問題に,日本がどう対応すべきか、と言う問題である.世界が内向きで保護主義の傾向を見せているだけに気になるのである.

具体的には’日本は後方支援や資金供給だけでなく,血を流せ’’日本が血を流さないのは不公平だ’’日本は平和のただ乗りだ’’日本は一国平和主義だ' と言われる問題への対応である.

憲法を変えなければ、この批判に答えられないのだが、世界の集団安全保障体制や集団的自衛体制から除外されても、このまま自国の防衛以外は血を流さないと言い続けるのか、あるいは,改憲をして,それらの体制に参加できる法的基盤を作るのか,いづれ,日本の決断が問われると思うのである.

この問題に対するドイツの考え方は驚く程,明快である.自国が軍隊を持つのは,自国防衛の為ではなく、NATO(北太平洋条約機構)の為だと言うのである.加盟国の防衛は加盟国が共同で行うと言う考え方に立っているのである.

自国の独断,暴走を防ぐと言う,先の戦争の反省から生まれた考え方のようである.多くの国が隣接し,戦争が絶えなかったヨーロッパ諸国が到達した戦後の考え方だと思う.

日米安保条約の下で専守防衛に徹する日本の考え方と、NATOの下で共同で集団安全保障活動や集団的自衛活動を行う ドイツの考え方とは全く違うのである.

日本の自衛以外に血を流さないと言う考え方は、言うまでもなく、占領下で制定された憲法から来ている.すなわち、この憲法は戦争の悲劇を繰り返さない、国際紛争解決に軍事を使わない、軍事は米国にゆだね、戦後復興に専念したい,と言う日本の考え方と日本の軍事的無力化、対中ソ政策の米国の考え方で作られ,その後、自衛隊が編成されるが、憲法は一度も改定されることなく、今日に至っているのである.

一方,昨今の世界秩序の不安定化で、’日本が血を流さないのはけしからん’との外圧が強まる事は,当然、予想される.トランプ大統領が言い出しても不思議ではないのである.

さて、他国との集団的自衛体制、国連や有志連合による集団的安全保障体制に,日本はどう対応すべきか,もう答えを出さなければならないと思うのである.

しかし いつも専守防衛範囲の議論、防衛装備の議論、武器開発の議論、世界の安全保障対応の議論、あるいは有事法制の議論、等で,違憲だ,合憲だ,の議論で終わる.現憲法を前提にした議論に終始しているからである.国にとって,どうあるべきかの議論が全くされないのである.

たとえ,血を流さないと言う考え方、日米安保を基軸とする考え方、を踏襲するとしても、自衛軍の明記と自衛権行使に伴う有事法制を作る為にも、憲法改定は必要だと素直に思うのである.あるいは、他国と同じように、国連憲章で認めている,集団的自衛、集団的安全保障、いづれも、可能とする憲法にするなら、覚悟を持った決断が必要になるのである.

日本にとって、腫れ物のような、この問題に、自ら答えを出さないまま,首脳会談や世界の状勢の変化に、一喜一憂し続けるのだろうか.

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2015.10.24

412 改めて日本国憲法の問題点を列記してみた 

現在の日本国憲法は、下記の流れの中で制定された.それ以来、現在まで、一度も改定されていないのである.

1945年 ポツダム宣言受託(降伏文書調印),米国の日本占領
1945年 極東国際軍事裁判(48年判決)
1946年 大日本帝国憲法第73条の改定手続で現憲法公布(47年施行)
1950年 朝鮮動乱
1951年 サンフランシスコ講和条約締結(日本独立,賠償なし)、日米安保条約締結
1953年 朝鮮動乱休戦

1954年 自衛隊発足

現憲法が公布されて以来69年、一度も国民の審判を受けず、一度も米語翻訳表現や翻訳ミスも訂正されず、一度も時代に応じた改定もされず、しかも、安倍第一次政権まで国民投票法もないまま、従って、国民は憲法改定の経験もせず、今日に至っているのである.ドイツの59回の憲法改定と比較すると、日本は民主主義国家
.と言えるのだろうか.

ましてや、推敲すれば、すぐ分る程度の不具合すら,今日まで放置しておいて、何が最高法規だ、何が立憲主義だ、と言うのだろうか.恥ずかしさを感じるのである.ひょっとすると、日本人は誰も憲法を最高法規だ思っていないのかも知れない.

憲法の草案を書いた米国人ですら、1週間程度で書いたこの憲法は、日本が独立後、すぐに、改定するだろうと思っていたと言う.

この凍結状態の憲法に改定要求が山積みになっていると思うが、その前に、誰でもわかる,すぐにでも修正すべき現憲法の不具合を洗い出してみた.

この洗い出しに当たり、憲法前文、103の条文を改めて、じっくり読んでみた.その上で、私の知り得る専門家の指摘も含めて,独断と偏見で、私が思う、不具合を列記したのである.勿論、間違いや、漏れもあると思うが、正直言って、不具合の多さに、改めて驚いているのである.

憲法の成立過程に関する問題

・占領下で、米国主導(米国草案)の新憲法制定は国際法違反だ.
・大日本帝国憲法73条(憲法改正)による憲法の差し替えは無効だ.
・国民の信任手続きを得ていない現憲法は無効だ.
・大日本帝国憲法の失効手続きが行われていない為、
現在も生きている.

現憲法成立当初からの指摘であるが、この事が議論される事なく、現在に至っている.

憲法前文に関する問題

『日本国民は政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する.』

『日本国民は恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公平と信義に信頼して、我々の安全と生存を保持しようと決意した』

『全世界の国民が・・・平和のうちに生存する権利を有する事を確認する』

『いずれの国家も自国の事のみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は普遍的なものであり,この法則に従う事は、自国の主権を維持し,他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると我々は信ずる』

この憲法前文に対する問題点は次の通りである.

・日本国民は政府の行為によって、再び戦争の惨禍が起こる事のないよう・・主権が国民にある事を宣言し、・・とあるが、言っている事は日本の軍国主義が戦争を起こした,今後は、それを繰り返さな為に、主権が国民にある事を宣言する、と読めるのである.マッカーサーの着任のメッセージと同じである.

日本には主権が国民になく、軍国主義が戦争を起こした、と戦争原因を憲法で断定したり、主権が国民にあれば戦争は起こらない、とのニュアンスを言っていたり、米国の一方的な戦争の大義をそのまま日本の憲法に書き込んだようで、違和感を感じるのである.

特に、民主主義を宣言する事は良いと思うが、戦争を起こさなくするかどうかは別である、政治の意思決定の仕方である民主主義と、その決定の内容は別だからである.米国自身も,民主主義制度の元で、何回も戦争を起こしているのである.どうやら、日本を悪玉にしておきたい意識が憲法前文に表れた感じがするのである.

そこで、前文を書くなら、『日本国民は、主権が国民に在する事を宣言し、生命、自由、及び、幸福追求に対する国民の権利を最大に尊重し、同時に他国の国民の権利を侵さないと決意し、この憲法を確定する』で良いと思うのだが.

諸国民の公平と信義に信頼して、・・・我々の安全と生存を保持しようと決意した、とあるが,簡単に言えば、どの国であっても、相手を信頼し続ける事が我々の安全につながると言っているようである.常に相手を尊重し信頼していれば、争いは起こらない、と、何か宗教の教えのような文章である.

しかし、諸国民の公平と信義に信頼が持てなくなった時、我々の安全と生存はどうなるのだろうか.非武装を決めた第9条も含めて、こうなった時の日本は極めて危険な状態になると想像できるのである.

この心配に対し、日米安保で守られているから大丈夫だ、と言うのだろうか.しかし、日米安保条約は憲法ではないし、憲法だけで見れば、極めて安全保障については無防備で無責任だと思うのである.

国家の行動の指針、基本的な規定を定める憲法としては、リアリティに欠けていると言わざるを得ないのである.

ひょっとすると、この前文は、無条件降伏した日本は、諸国民(米国あるいは戦勝国)に無条件に従う事で、生きて行く、と決意したと言う意味かも知れない.もしそうなら、日本の安全保障は放棄した事になり、第9条と符合するのである.しかし、独立国家の憲法としてはあり得ない内容である事は言うまでもない.

・いずれの国家も、自国の事のみに専念して他国を無視してはならない・・・この政治道徳の法則に従って、自国の主権を維持し、・・とあるが、これはまさに、自衛権はあるが他国を侵略はしない、との政治道徳の宣言である.

第9条も、同じ意味なら整合するのだが、自衛権に触れず、戦争放棄、非武装を宣言しているのだから,どう見ても、この前文と第9条は整合していないのである.

以上、憲法前文の問題点を上げたが、総じて、日本悪玉論を前提に,米国独立宣言をつまみ食いし,文章全体が,つぎはぎで,唐突で、論理矛盾で意味不明になっている感はぬぐえないのである.

第1章・天皇に関する問題


・第7条(天皇の国事行為)を使って、衆議院を解散(7条解散)しているが、もともと政府の衆議院解散権の規定がない事がおかしい.

・第8条(皇室の財産の帰属変更は国会の議決が必要)は第88条(皇室の財産は国に属する)と矛盾している.

第2章・戦争放棄に関する問題

第9条『日本国民は正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇、又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する.』

前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない.国の交戦権は、これを認めない.』 

この第9条はマッカーサーの『日本の無力化』を実現した条文だと言われているが、その後の朝鮮動乱、米ソ冷戦時代では、米国としては、第9条は間違いだったと言われているのである(米国の御都合主義).

一方、日本国民から見れば、終戦直後の占領下であり、しかも、戦争の悲劇から、第9条に異論はなかったと思われる.又、吉田総理は独立後も当面、戦後復興を優先し、軍は米国に任せた方が得策だと判断した.

そこで、日本の独立(サンフランシスコ講和条約締結)と同時に日米安保条約を締結した.それ以後、今日まで、日本の安全保障は日米安保条約に依存している、言い換えると、
米国の傘の下で、第9条がある、との構図になったのである.

この第9条に対し、次の問題がある.

自然権としても、憲法前文の平和のうちに生存する権利からしても、政治道徳を宣言している事からしても、更に言えば、第13条の生命、自由、及び幸福追求に対する国民の権利からしても、それを守る手段として、軍事力を持つ事は容認されると解釈され、自衛隊を保有している.

その結果、第9条と自衛の為の部隊と武器の所有が併存しているのである.これは現憲法の大きな論理矛盾であり,欠陥である.

・しかも、自衛権の下で、自衛部隊や武器を所有しても、第9条によって、軍隊は存在しない事になっている為、軍事裁判、有事法制、など実力行使に必要な法的基盤が我が国には存在しないのである.

従って、自衛権、自衛隊、武器、はあるが自衛の為の武力行使は出来ないと言う、根本的な問題がある.道路交通法、刑法、民法等の一般法では,武力行使は出来ないのである.

・第9条の戦争放棄、非武装、によってか、『国民の国を守る義務』と言う、どの国でも常識とされる規定が憲法にはない.第9条と共に、世界ではあり得ない憲法である.

・従って、自衛権行使を出来るようにするには、国民の国を守る義務、自衛権・自衛軍の保持,軍規、軍事裁判、有事法制、等に関する憲法及び法律が必要になるのである.そこで、自衛権、自衛隊を合憲とするなら、必然的に、次のような憲法になる.

『国民は国を守る義務を負い,他国から生命、財産、幸福追求を守る手段として,又、世界平和への貢献の手段として,軍隊を持つ、その行使内容は法律で定める』

現状の自衛隊の保有、専守防衛の自衛権行使、国際平和活動の支援、を憲法にすると、こうなるのである.現状を憲法に反映しただけで,何の反対もないと思う.

・さらに、第9条は国連憲章と全く整合していない.上記の様に憲法を変えた上で,国連憲章が認めている集団安全保障活動、集団自衛活動、等への対応をどうするか,国際情勢を見ながら、政策として、武力行使の内容を検討すべきである.

以上が第9条の問題であるが、こう考えると第9条は憲法の全体の論理と孤立して存在し,いかにも,唐突に感じるのである.マッカーサーの指示で第9条が作られた事、憲法全体がつぎはぎの感じがする事、憲法全体の整合性が精査された形跡がない事、等が原因だと思う.

そんなわけで、第9条は憲法全体の論理の一貫性を保つ為にも、現実と整合させる為にも、国際平和に貢献する為にも、早急に改定すべきだと思う.

護憲論者は諸国民を信頼していれば国を守る必要がない.非武装の方が他国から侵害されない、それとも、日米安保条約があるから,日本は非武装で、国民は国を守らなくてもよい、等と言うのだろうか.

第3章・国民の権利及び義務に関する問題

・第3章全般に,権利の記述が多く、国民の義務としては、第27条の勤労の義務、第30条の納税の義務、だけである.日本国民としての重要な義務、例えば国を守る義務とか、憲法や法律を守る義務とか、があると思うのだが.

国を守る義務が無いのは第9条があるからだろうか、国民の義務をあまり憲法に書かないのは、戦争のトラウマがあるからだろうか.国家である以上、国民の義務はしっかり憲法に書くべきだと思う.

・第13条で生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利について・・・最大に尊重する、とあるが、憲法前文の政治道徳によっても、自国を守る権利があると解釈できるのである.ならば第9条と整合しない事になる.

・第15条1項で公務員を選定し,及び,これを罷免することは、国民固有の権利であると、しているが、公務員とは議員の事を言っているようだが、公務員では意味不明である.

草案の英文では The people are the ultimate arbiters of their government となっており、国民は政治の最高決定者であり、They have the inalienable right to choose their public officials and to dismiss them、国民は議員の選定及び罷免が出来る、としている.どうやらpublic officialsを、公務員と翻訳したらしいのである.公務員ではこの条文が意味不明になるのである.

・第15条2項で、すべての公務員は全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではないとの規定をしているが、こちらの公務員は議員を含めた、公職者全体を指しているように感じるが、そうだとすれば、上記1項の公務員がやはり間違いと言う事になる.

・第17条で公務員の不法行為に対する賠償の規定があるが、ここも同じ様に、公務員とは議員を含めた公職者全体を指しているように感じるが、そうだとすれば、第15条1項の公務員がやはり間違いと言う事になる.

・第36条(公務員による拷問、残虐な刑罰の禁止)の公務員も誰を指しているのか曖昧である.

・それとも、第3章の公務員はすべて議員を意味しているなら、議員以外の公職者の規定はない事になる.逆に、公務員の意味が議員を含めたすべての公職者の意味なら、第15条1項が間違いになる.さてどちらだろうか.

・第27条ですべての国民は勤労の権利を有し,義務を負う、勤労条件の基準は法律で定める、とあるが、働けない人達や職がない人達は憲法違反になるのだろうか.又、勤労とは雇われている人を指すのだろうか.そんなわけがないと思うが、勤労と言う言葉の意味も曖昧であり、語感としても違和感がある.

第4章・国会に関する問題

第53条(臨時国会開催)で各議院の総議員の4分の1以上の要求があれば、内閣はその招集を決定しなければならないとあるが,諸般の事情を鑑みて、いつまで、とか期間の規定はない.臨時国会の有り方の検討が必要だと思う.

・第58条(議員の除名)で院内の秩序を乱した議員を懲罰する事が出来る.ただし議員を除名するには出席議員の3分の2以上の多数による議決を必要とする、とあるが、『院内の秩序を乱す』とはどういう事かはっきりしていない. 議員の法律違反行為や道義的責任による懲罰とか除名とは別の事のようだが.

第5章・内閣に関する問題

米国草案では一院制であったが,日本の要望で、急遽、二院制に変更されたが経緯がある.短期間であった為か、一院制の規定が修正されず,遺っている所がある.

・第67条の内閣総理大臣、及び第68条の国務大臣の規定で、本来、衆・参の区別をするところを、国会議員としている.このままだと大臣はすべて参院議員でも良い事になる.政府が衆院解散を行っても、大臣は参院議員だから国民の審判を受けなくて済むことになる.

・内閣総理大臣の衆議院解散権は憲法のどこにも規定されていない.現在は天皇の衆議院解散宣言で、解散している.(第7条の天皇の国事行為としての衆院解散宣言を利用、7条解散と言われている)本来なら総理大臣の解散権を規定すべきである.

第6章・司法に関する問題

・第81条によれば最高裁判所は一切の法律、命令、規則、又は処分が憲法に適合するか、しないかを決定する権限を有す終審裁判所である、とあり裁判官の裁量で法律や行政行為が憲法違反だと判断した場合は、立法、行政の判断を否定出来る事を意味しているのである.

この司法権を期待して、本来、議会で議論すべき政治問題や法律問題を司法に持ち込んで反対運動を展開するケースが増えているように思う.議会より司法の場の方が議席数に関係なく、議論しやすかったり、裁判官の思想を利用できるからである.

もし、裁判官が法律や制度を憲法違反だと判断し、強制力の伴った差し止めや賠償を実施したとすると、民主主義の空洞化、お代官様国家になりかねないのである.こうならない為に、三権分立の制度を作るべきだと思う.又、立法府の議員が議会ではなく、司法に政治闘争の場を求める事は三権分立の思想に反していると思うのである.

ところで、明治憲法(大日本帝国憲法)を考えた伊藤博文は民権運動の言う民意と言うものを、何処まで憲法に反映するか悩んでいたと言う.国民に政治判断をゆだねる危険性を危惧していたのである.ヨーロッパを回ってこの問題を調べた結果、結論は,民主化を進める一方で、そのリスクを防ぐ為に、強力な官僚体制を作る、と言う事であったと言う.

それ以来、官僚は、富国強兵、戦争、戦後の復興に、主導的役割をしてきたのである.その影響か、民意による立法府の危うさを,専門家としての司法が口を出す(法律の違憲性を判断する)と言う構図が出来上がたと感じるのである.

はたして、民意と司法(官僚)の判断のどちらを優先すべきか、民主主義、主権在民の大きなテーマとして、第41条(国会は国権の最高機関)と第81条(最高裁判所の合憲・違憲の判断)を見直す必要があると思うのである.

第7章・財政に関する問題

・第89条で公の支配に属さない善意、教育、もしくは博愛の事業に対し、これを支出し、又、その利用に供してはならないとしているが、現実の補助金の支出先を見れば、この条文は守られていない事は明らかである.財政法の精神(借金の抑制)も含めて、政府支出の有り方、法律の有り方の検討が必要である.

第8章・地方自治に関する問題

・第95条で一つの地方公共団体のみに適用される特別法は、その地方公共団体の住民の投票において、その過半数を得なければ、国会はこれを制定できない、となっているが、特別法の住民投票が行われたことがあるのだろうか.昨今の特区構想で住民投票が行なわれるのだろうか.

第9章・改正に関する問題

・両院の3分の2で国会発議がされ、国民投票の過半数の賛成を得た時、憲法は改正されるが、3分の1の反対で発議ができなくなり、国民の投票権を奪うと言う主張がある.

・発議のハードルを下げて、国民投票のハードルを上げるとの主張もある.

・一方、複数条文が発議された時の賛否の取り方に問題がある.条文ごとに賛否を取るのか、一活で賛否を取るのかと言う問題である.

・一括で賛否を問う場合、目玉条文で全体の賛同を得たり、特定の条文で、全体が否決されたりするのである.一方、賛否の取り方を条文毎にすると、多くの条文が発議された場合、その賛否の取り方の問題、発議から投票までの期間の問題、等が起こる.かと言って,小出しに改定案を発議すると、国民投票が頻繁に起こる事になる.

・さらに言えば、69年間以上の凍結状態から、今後やる現憲法の修正や変更・追加が多く発議される、いや、発議せざるを得なくなる事が想像できる.結果、前面差し替えに等しい改正になるかもしれないのである.実質、憲法の差し替えになるのだが、この事の対応も考えておく必要がある.

・上記問題に加え、発議内容によっては、国民投票まで、どれくらいの期間を設けるのか、その間、国民への告知や政治運動をどうするのか、違反内容をどうするのか、投票方法をどうするのか、等、未確定な事が多いのである.

改定内容にもよるが、既法律の改定作業や、その国会審議期間も気になるのである.

法改定の経験が無いだけに、実際どうやるのか、まだまだ課題はありそうである.国民投票法が制定しただけでは問題はクリアーされないのである.本当に憲法改定ができるのか、不安になるのである.

第10章・最高法規に関する問題

・第99条で、天皇、国務大臣、国会議員、裁判官、その他公務員は憲法を尊重し、擁護する義務を負う.とあるが、擁護とは、憲法改定を論じる事や改定する事を許さないと解する人と、憲法違反を防ぐと解する人と、憲法を守る、と解釈する人がいる.

ちなみに英文の草案では.shall be bound to uphold and protect this Constitutionであり、protectは積極的なdefendやguardではないのだから、protect this Constitutionは憲法を守る(憲法遵守)と解すのが妥当だと思う.憲法を擁護する、は変えないと言うニュアンスがあり、改定する事を許さない、と解する人も出てくるのである.その解釈が正しいとすると、条文そのものが、とんでもない意味になるのである.

第99条に国民の憲法遵守義務が無いのは何か意図があるのだろうか.どの国でも、これを課しているのだが.

以上、憲法の問題点を列記したが,もっとあるかもしれないが、これらの問題点に反論する人は、あまりいないと思う.政治思想とは関係のない、ミスの問題であったり、条文間の不整合の問題を上げたからである.

これらの問題が内在した原因は、日本の有識者が精力的に作成した独自案がマッカーサーに却下された上に、米国草案の象徴天皇制、戦争放棄、民主化,人権、と言った想像を超えた内容に圧倒されて、翻訳された米国草案を推敲する意欲も、タイミングも、失ったからではないか、と思えるのである.

あえて、有識者や議員の『推敲不足』をホローすれば、短期間の為に、そのタイミングが無かった事.,口を挟む空気もなかった事、も原因の一つだったと思うのである.

この生煮えの憲法が69年間、一文字も修正されることもなく、一度も国民の信任を受けることもなく、今日に至っているのである.結果、現憲法が、不具合を内在したまま、時代の変化を反映しないまま、今だに憲法改定手続に重大な課題を残したまま、凍結状態にある事を思うと、何が最高法規だ、何が立憲主義だ、何が民主化国家だ、と思わず叫びたくなるのである.

このままでは、憲法の陳腐化が進み、日本が身動きできなくなるか、政府や司法の憲法解釈の幅が広がっていくか、いづれにしても、最高法規としての憲法の権威は落ちて行くのである.

憲法を真の最高法規にする為にも、憲法を国民のものにする為にも、国民も議員も、この事を真剣に考えなければならないと思うのである.また、どうせ改正するなら、この際、もっと体系的に、国の統治で守るべき理念や基本的規則を整理して、きれいな日本文で、全面的に書き換えたい、との衝動に駆られるのである.

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2015.10.01

411 安全保障関連法案への代表的な批判と私の感想

限定的集団的自衛権の行使を可能にし,自衛隊の海外での活動を拡大する安全保障関連法が30日,公布された.6カ月以内に施行される.

防衛省は,これに向け,自衛隊による米艦防護や、国連平和維持活動(PKO)での任務拡大に対処するため,武器使用基準の緩和などの作業を加速させる.

南スーダンでのPKO活動に派遣している自衛隊部隊に関しては、離れた場所にいる,文民要員を警護する「駆け付け警護」を任務として追加する方針.政府は法律施行後の来年5月にも実施可能とする方向で調整している.

この安全保障関連法案に対し、代表的な二つの批判を.あげてみたい.

■中国外交部の論評.

(ダイヤモンドオンライン(2015年09月25日掲載)より抜粋)

「戦後日本の軍事安全領域でこれまでになかった挙動」とし,日本は軍事力を強化し、専守防衛政策と戦後歩んできた平和的発展を放棄するのか」と中国外交部はコメントを発表した.

日本の安保関連法案をめぐる動向については,以前から中国でも取り上げられており、中国の民衆もこれに関心を向けていた.

「中国をターゲットにした法案」だと受け止められているため,中国では法案が可決されると同時に動揺が起こった.

人民日報は「安保法案を無理やり押し通す安倍政権,将来に無数の禍根」「安保法案成立,時代の流れに逆行する危険な動き」などと掲げ,これを牽制した.

一般市民からも「日本はこれから戦争を始めるのか」「世界大戦がまた始まるのか」などの声が上がっている.

国際問題の専門家も日米同盟の強化がもたらす中国への影響を懸念している.

「日米同盟の強化で米国は魚釣島にも介入し,日中両国による話し合いでの解決がいっそう困難になる.

台湾海峡での衝突に米国が武力介入すれば、国家統一の大きな妨げにもなる」(中国社会科学院アジア太平洋と地球戦略研究員)

「米国は日本を利用し,(日本列島,台湾,フィリピン,ボルネオを結ぶ)“第一列島線”の防衛を開始し,太平洋に出ようとする中国の海洋進出を封鎖するだろう.米国は第一列島線の防衛を日本とオーストラリアに負わせようとしている」(中国の海軍軍事学識戦略研究室研究員)

中国はこの法案を「安全保障上の新たな脅威,アジア太平洋地域の均衡を狂わすもの」と受け止めている.

→不遜ながら、私なりのコメント(反論)はこうである.

中國(外交部)は敗戦国日本の軍事力強化はけしからん、日本と米国の連携強化は、中國の覇権政策の邪魔になる、中日関係は悪化する、と述べている.

日米を分断させ、アジアに覇権を広げたい中国としては,極めて分かり易い論評である.それだけに,今回の安全保障関連法案は中国の覇権政策の抑止に効いているとも言えるのである.

一方、中国国民の反応は大間違いではあるが、反日思想・教育からすれば、これも又、わかり安い反応である.日本の武力行使の法的基盤が世界一抑制的で、限定的である事を知っていればこんな反応はしないと思うのだが、それだけに、『ナショナリズムで歪められた反日思想、教育の危うさ』を感じるのである.

しかし、あまりにも,ばかげた反応だと放置してはならない.独裁国家ゆえに、その内、わかるだろうと期待はできないからである.中國政府や中国マスコミの発表に、間違いがあれば、日本政府や日本のマスコミは堂々と反論すべきだと思う.『穏便な大人の対応』は通用しないのである.

習近平政権は一党独裁国家・非民主主義国家・富国強兵国家であるにもかかわらず、大国を自認し,米国と新しい大国関係を築き、世界秩序を作ろう(中華思想の影響か)と言うのだが,異常に感じる.

今や世界は民主主義や自由・平等と言った普遍的な価値観を物差しに動いているのであって、習近平政権はこれに逆行しているからである.中國国内でも一党独裁国家を批判する動きがあるように、大国を自認する前に、この潮流を取り入れる政治改革が、まず必要だと思うのである

中国の政治は王朝にしろ、共産党にしろ、独裁政治が続いている国である.民主主義を一度も経験していない国である.12億の民を統治する為に独裁政治が必要だとの考えかも知れないが、そうだとしても、中國の内政問題にとどめて欲しいのである.覇権主義、大国主義で他国を巻き込まないで欲しいのである.

■平和論者のカルトウング氏の論評.

(ダイヤモンドオンライン(2015年9月30日掲載)より抜粋.)

安保法制が憲法違反であると厳しく批判する一方,アジアの平和構築に向けて,北東アジア共同体の設立を提案するカルトゥング博士(平和学の第一人者)はインタビューで次のように論評した.

憲法解釈の問題ではない,つまり、安倍総理は憲法の解釈を変えているのではなくて、それを侵害している.憲法9条第1項は、国際間の紛争を解決するために武力を行使しないと謳っているからである.

はっきりと憲法に謳われているにもかかわらず、いわゆる集団的自衛権という旗を掲げて,世界で最も好戦的な国・米国と共同行動を取ろうとしています.それはまさに戦争を国際間の紛争の解決策として使うということを,宣言していることになる.

日本が集団的自衛権を容認し,米国との同盟関係を強化すれば,もっと危険な状態になると思う.結果、軍拡競争が起こり、戦争に導く要因を増大させる.

私が言う積極的平和では、平和に向かって共同作業をしようという平和である.戦争に向かって協力関係を築こうというのは大きな問題だ.私たちとしては、核の傘というようなものではなく、平和の傘を広げようと言っているわけだ.

→不遜ながら、私なりのコメント(反論)はこうである.

カルトウング氏は『安保法制は憲法違反だ』『安倍総理は憲法第9条1項を侵害している』と言う.

私から見ると、カルトウング氏は、

・自衛権も日米安保も、違憲だと言うのだろうか、
・或は、自衛に限った集団的自衛権が違憲だと言うのだろうか、
・又,限定的な国際平和活動はどう考えているのだろうか,

・日本と各国の武力行使の法的基盤の大きな格差に触れないのはなぜか、
・だから憲法を変えろと言うのだろうか、変えてはいけないと言うのだろうか,

このように、氏が安全保障のあり方をどう考えているのか、さっぱりわからないので、国語的に言っているだけの様に感じるのである.違憲論者にも抱く疑問と同じである.

そう感じる理由は、『じやどうすればよいのか』と言う本来的な主張が見えないからである.氏が社会・政治学者なら、これを言わなければ無責任だと思うのである.

氏の言う『北東アジア共同体の設立』と構想も、日本あるいは各国の武力行使の法的基盤をどうしろと言うのかも見えないのである.武力行使の法的基盤が大きく違っていても、共同体の設立が可能だと言うのだろうか.

更に氏は、日本が集団的自衛権を容認し、米国との同盟関係を強化する事は、憲法で禁止している国際紛争に巻き込まれる事になるし、軍拡競争が起こり、戦争に導く要因になる、と主張しているが、今回の法案は世界で言う集団的自衛権(相互に自衛)ではなく、日本の自衛に限定した集団自衛である事から、氏の主張は間違っているのである.

又、氏は一般論として、同盟を結ぶことが、緊張を高めるとの考えのようだが、国連憲章の集団安全保障や集団自衛に反対なのだろうか、平和は一国では作れない事をどう思っているのだろうか、不明である.

最後に氏は『戦争に向かって協力関係を築こうと言うのは大問題、平和に向かった協力関係を』と言うが、理念としては正しいと思うが、日本は、戦争に向かって協力関係を築こうとしているのではなく、『戦争抑止に向かって協力関係を築こう』としているである.

そもそも日本の武力行使の法的基盤は今回の安保関連法案でも、限定的集団自衛と国際貢献に限った、しかも、必要最低限の範囲である.現憲法では、国連憲章の集団的自衛活動や集団的安全保障活動も出来ないくらい、武力行使を抑制しているのである.この法的基盤でどうして、日本が戦争に向かって準備をしている等と、言えるのだろうか.

氏の言う事が正しいとすれば、国連憲章を認めた国連加盟国はすべて、戦争に向かった準備をしている事になる.ならば、日本に言うより、国連や世界国々に日本並に武力行使の法的基盤を小さくするよう説得すべきなのである.平和は日本だけでは作れないからでである.

人類誰しも,平和を望み,その為に、戦争もして来たと思う.この戦争のリスクは残念ながら、現在も続いているのである.この戦争のリスクをどうしたら縮小できるかが、人類の最大の課題になっているのである.そんな中で、世界の主要国は、国家間の交流を深めたり、国連活動を展開したり、集団安全保障や集団自衛で,戦争の抑止に取り組んでいるのである.

私のカルトウング氏に関する勉強不足かも知れないが、氏に対し、不遜ながら『平和に向かって協力関係を』と詩を歌って自己満足している人に見えるのである.対案が見えないからである.従って、氏を論評する事に煩わしさ、さえ感じるのである.平和主義者を自認する人に感じる苛立ちさと同じである.

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2015.09.19

409 安全保障関連法案の参院審議と感想

9月19日土曜日午前2時過ぎ、安全保障関連法案が参院で可決され、当法案は成立した.

この安全保障関連法案は現憲法の下で、『国際情勢の変化への対応』と『一国平和主義』、『平和ただ乗り論』から、一歩前進した法案になっているのである.

そこで、当ブログNO401安保障関連法案の骨子と所見(6月2日発信)で指摘した問題点や国会審議への期待を踏まえて,参院での国会審議の感想を述べてみたい.

①安全保障法案の特徴の認識不足

NO401でも述べているが、安保法制の特徴は、次の3点である.

『安保法制は有事に対する備え,保険である事』、
『シビリアンコントロールの裁量が大きくなる事』、
『してはいけない事の法制化が必要である事』

これが、一般法と大きく異なるのである.

『安全保障法案は有事に対する備え、保険である事』とは、

今回の安全保障関連法案は、いろんな有事の事態や国際貢献の必要性に対応できるように、法的基盤を事前に用意しておく法案である.この法律を実際に使うか使わなうか、使う内容をどうするかは、シビリアンオントロールにゆだねられているのである.

国を預かる政権としても、国民にとっても、法律がないから対応できなかったでは済まされないからである.

『シビリアンコントロールの裁量が大きくなる事』とは、

シビロアンコントロールの裁量とは、その時の状勢や政権の考え方で、法律を行使しない事も、行使する内容も、判断する事である.従って、シビリアンコントロールは極めて大きな裁量を持つ事になるのである.当然、適正なシビリオアンコントロールを行う為には、国際情勢は勿論、大所高所の判断力が必要になるのである.

『してはいけない事の法制化』とは、

大きいシビリアンコントロールの裁量に歯止めをかける為である.有事の時や国際貢献で、やれることを列記する事も歯止めの仕方としてはあるが、それを列記する事は実質、不可能である.有事の
状況や国際貢献の内容を一概に規定出来ないからである.

従って、『してはいけない事』を定めた方が歯止めとしては、わかり安く、明確になるのである.試しに、今回成立した安全保障法で,『してはいけない事』を書きだすと、法案の中身がわかり安くなるのである.

一方、この特徴を理解していない人は、こんな事を言うのである.

・この場合はどうだと,いろんなケースの議論を始める人がいる.挙句に、シビリアンコントロールの裁量が大きくなると危険だ、だから、裁量を小さくする為に、出来るだけ細かく、やれる事を定義すべきだ、と迫るのである.何か、反対の為の理屈を探しているようにも見えるのである.

・『戦争法案反対』と叫ぶ人もいる.安全保障法の特徴にあるように、この法案は有事への備え、保険である.実際、その備えを行使するかどうか、行使の内容をどうするか、等は、シビリアンコントロールの判断にゆだねられるのである.そして、戦争になるかどうかは、相手国やシビリアンコントロールにかかっているのである.

従って、安全保障法が戦争法ではないし,正しく言うなら、『備えに反対(不要)』、『行使内容に反対』、或は、『シビリアンコントロールの仕方に反対』と言うべきなのである.

②反対者の対案なし(国民へ選択肢示さず)

・野党は『反対運動の共闘』を組んだ.安全保障の考え方がバラバラな政党同士の同床異夢の共闘である.この共闘は、明らかに、法案の中身の審議や対案を出す事より、廃案に向けた委員会運営、或は、国民の反対運動の拡大を狙ったものである.対案を出せない野党にとっては好都合な共闘だったかもしれない.

結果、国会がデモ化し、私の持論ではあるが、『対案は公平に、採決は多数決』と言う議会の姿から遠ざかって行ったのである.国民から見ると、ますます法案の中身や反対の理由あるいは、選択肢が見えなくなって行ったと感じたのである.

・さらに言えば、今回の法案が『違憲だ』と主張する人がいる.野党共闘の結果、どの野党も違憲を言うようになった感じもする.

備えを違憲と言うのか、行使したら違憲と言うのか、法制のどの部分を違憲と言うのか、よくわからないのである.私の勉強不足カかも知れないが、とにかく違憲と言えば、先に議論が進まなくなるのである.70年間の思考凍結状態と同じである.

しかし、『違憲』だと言う人の中に、自衛隊も、個別的自衛権も、日米安保も、後方支援も、国際協力も、違憲だと言う人から、自衛隊、個別的自衛権、日米安保、国際協力は合憲、限定的集団自衛は違憲、或は、集団的自衛も含めて憲法を改定すれば賛成、と言う人まで様々な意見がある.

従って、各自の持論に応じて、『じゃどうするのか』を言わなければ、安全保障論議にならないのである.いつもの入り口論に終わるのである.従って、違憲だと叫んでいる政治家は対案のない、全く無責任な政治家だと言わざるを得ないのである.

どうやら,対案が無くても、違憲を叫んでいれば、国民の支持が得られると考えているようである.安全保障問題を党利党略の材料にしているように見えるのである.国民はこれに乗せられてはならないのである.あくまでも、国の有事の『備えが必要か不要か』、更には『今後の安全保障のあり方』や『憲法のあり方』で判断すべきだと思うのである.

このように、国会審議が反対の為の反対国会になり、安全保障のあり方の議論が遠のいたと感じになったのである.この議論を期待していただだけに、極めて残念だったのである.

次の選挙で、共闘と言う名の下で、立候補調整で、反対勢力を伸ばそうと言うのかも知れないが、同床異夢なのに選挙談合(候補者調整)が出来るわけがないのである.例え談合で反自民が勝利しても、民主党政権の二の舞になるだけである.

以上、法案の持つ特徴の無理解と野党の対案の無さを感じた国会であったと感じたのである.

しかし,法案が成立したのだから、安全保障の転換と同時にシビリアンコントロールに対応した政治家、政党の転換が始まるのである.政治家、政党、更には国民も、従来のような平和ボケ、安全保障論議からの逃避は許されなくなるのである.

同時に、これを契機に、政党の理念として、『安全保障のあり方』や『憲法のあり方』が求められ、選挙公約では、『安全保障政策』が必須になるのである.当然、これが、国民の政党を選ぶ大きな選択肢になるのである.

法案に反対した政治家も、政党も、国際情勢をよく理解し、シビリアンコントロールの場で、しっかり主張する事になるのである.これまでの様に、反対反対と言うだけでは政治は務まらないのである.

③野党に『審議妨害無罪』の思考を感じた.

法案の問題点を掲げ乍ら、審議を引き延ばし、国民の支持を高めようとする議会戦略は、野党としての一つのやり方だとしても、その為に、委員長を拘束したり、委員長席で取っ組み合いをする事は許されないのである.しかも、野党共闘でこれを行った事に唖然としたのである.良識の府と言われる参院がデモ会場化したと感じた.

国民の反対運動を盛り上げる為、或は、与党が強制採決をしたと言いたい為に、公務執行妨害に等しい審議妨害をしても、やむなし、と考えているようである.この行為に『愛国無罪』ではないが、『審議妨害無罪』の思想を感じるのである.国会が治外法権の場なら別だが.

いづれにせよ、参院特別委員会の騒動を見ていると、議会政治は発展途上国レベルだと感じたのである.折角の野党の問題指摘も、これでは台無しになった感じがするのである.

議会は言うまでもなく、『立論の戦いと、決着をつける場』である.諭に反対なら論で対抗すべきである.どうせ多数決で負けるから、と言って、審議を妨害する行為は政治家のやる事ではない.良識ある国民から批判を受けて当然だと思う.

④日本の安全保障のあり方の議論が急務.

NO401でも述べているが、現憲法に皆が認める国防の規定がないことが、安全保障の問題を複雑にしているのである.国会審議を聞いていると、もっと根本的な事を議論しないと、議論が噛み合わないのである.

違憲だ、危険だ、巻き込まれる、等の反対理由は、いかにも稚拙な理由である.現憲法も含めて、今後、どのような安全保障のあり方を取るべきか、当面、現憲法下でどうすべきか、今後、憲法をどのようにすべきか、等の討議されなければ、モグラたたきのような議論になるのである.

今回の法制度の成立を機に、日本の安全保障問題を、次の正攻法で検討すべきだと思うのである.今回の国会審議で、対案を持ちながら政府案に反対したり、根本問題に切り込んだ論戦を仕掛けたり、が無かった事に失望したのである.

『①安全保障の在り方→②憲法のあり方→③法制度化』

従来、憲法改定の手段も持たず、改定の経験もない為か、安全保障に関する思考が停止状態になり、安全保障問題は選挙公約にも上げず、根本的な議論(安保の在り方、憲法のありかた)を避けて来た感じを受けるのである.

結果、日本の安全保障は何もしない事(一国平和主義)が安全で、合憲だとの平和ボケが蔓延してきたと感じるのである.

ドイツなどは戦後、十回程度、国民投票で憲法改定していると言うが、雲泥の差である.日本はミスの記述も含めて、現憲法が化石の様に凍結しているのである.この事が安保に限らず、日本の孤立化、思考停止を深めている原因になっていると思うのである.

そんな中で、安全保障関連法案が成立した事で,その対応の為の準備が始まると思うが、政党も、国民も、今までの様に、安全保障問題に無関心ではいられなくなったのである.

政党、政治家は,当然,選挙で安全保障問題から逃げられなくなるし、常に、シビリアンコントロールが出来る情報や力量を持たなければならなくなったのである.今までのような平和ボケでは済まなくなったのである.この事は成立の一つの成果だと思う.

今回の安全保障法制が、安全保障の転換期と言われるが、それ以上に、政党、政治家、及びシビリアンコントロール能力の転換期になったと思うのである.

この機に、思考停止状態から脱出して、『安全保障のあり方』から、議論する、きっかけにすべきだと思うのである.

そこで、現憲法を超えて、『安全保障のあり方』のいくつかの姿を上げておきたい.(NO401の再掲)(注;自衛隊と軍を武装と標記した)

①非武装・中立(自衛隊も軍も不保持)
②武装・中立・自衛(日本独自路線)
③武装・中立・自衛・国連軍への後方支援(日本独自路線)
④武装・中立・自衛・国連軍への参加(日本独路線)

⑤武装・日米安保・自衛(個別的自衛,以下同じ)
⑥武装・日米安保・自衛&国連軍、他国籍軍への後方支援
⑦武装・日米安保・自衛・集団的自衛(限定的)&国連軍、多国籍軍へ後方支援

⑧武装・日米安保・自衛・集団的自衛(相互に自衛活動,以下同じ)
⑨武装・日米安保・自衛・集団的自衛・国連軍、多国籍軍への後方支援
⑩武装・日米安保・自衛・集団的自衛・国連軍、他国籍軍への参加(国連憲章)

細かく言えば、自衛にしても、後方支援にしても、その内容はいろいろあると思うが、まず、骨太の姿で分類してみたのである.ちなみに、日本の安全保障は、⑤、⑥と推移して、今回、⑦になるのである..

各政党は、このような『安全保障のあり方』のどれを主張しているのか、を明示し、『憲法のあり方』、『安全保障関連の法制度化』を議論して欲しいのである.

少なくとも、来年の参院選挙では,各政党は今回の法案の賛否だけでなく、『日本の安全保障のあり方』、『憲法のあり方』を主張すべきだと思うのである.これなくして、国民は政治家や政党を選べなくなるのである.日本の安全保障の国民的合意を形成する為にも、政党は主張をしっかり述べて欲しいのである.

従来は安全保障問題を公約に上げない事で票を取ってきたが、今後は、安全保障政策を公約に上げて、賛同を得ないと票が取れない、となるのである.これで,政党再編が起こるなら正常だと思う.

余談だが、どの国も、こんな基本的な事を議論している国はないと思うが、しかし、このプロセスを通らなければ、国民のコンセンサスが形成できないし、国際情勢に応じた安全保障政策も展開できないのである.ちなみに、国連加盟国なら、⑩の法理を持っていると思う(よく調べていないが).

以上、今回の法案審議、成立は、今後の安全保障のあり方が一歩前進したと思うが、最大の成果は国民が『安全保障のあり方』、『憲法のあり方』を真剣に考えるキッカケになった事だと思う.是非、この思考を続けて欲しいものである.

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2015.07.30

403 憲法解釈変更と法的安定性の議論への所見

安倍首相の懐刀の磯崎陽輔首相補佐官が7月27日の講演で、

『(従来の憲法解釈との)法的安定性は関係ない.国を守るために必要な措置かどうかを気にすべきでだ』と述べ、『政府の憲法解釈は時代が変われば必要に応じて変わり、法的安性が保たれる必要性は必ずしもない』、との認識を示した.

多分,磯崎氏は『現憲法下で許される範囲で於いて,時代の変化に対応する為に従来の憲法解釈を変更しても、必ずしも法的安定性が問われる事にはならない』と言っているのだと思う.

この発言について、野党から、磯崎氏の発言は、『法治国家としての法的安定性を無視している』発言であり、『安全保障関連法案が法的安定性を無視している事を自ら認めている発言だ』.と大きく反発しているのである.

これに対し,政府は,現憲法下で許される範囲で、新たな憲法解釈をし,それに従って,安全保障関連法案を出しているのだから,法的安定性を無視する考えは全くないし,法的安定性を守っている,として,磯崎氏に注意をしたと釈明した.

こんな論争になるのは当,ブログでも、指摘しているが,『我が国の安全保障は第9条と自衛権が衝突している』と言う根本問題があるからだと思う.

我が国の憲法は第9条で戦争放棄、軍備不保持、を宣言しているだけで、国防と言う概念がない.そこで、自然権としての自衛権は存在しているとして、自衛隊を持ち、極めて限定的だが国防を担っているのである.

この戦争放棄と自衛権が併存している事で、常に,それぞれの主張が衝突し,合憲・違憲の論争になるのである.どの国も、安定的な安全保障法制度のもとで,実際は、シビリアンコントロールで安全保障が運営されているのだが、我が国は、シビリアンコントロールのもとになる安全保障法制度が極めて不安定な状態になっているのである.

だから政府解釈が違憲と言う人は法的安定性を欠く,と言い,合憲と言う人は,法的安定性を欠いていないと言うのである.このように、両極端の意見が出る程、安全保障の法制度は不安定なのである.

不安定な事は他にもある.これも、当ブログで述べているが、自衛権の立場で、安全を追求しようとすると第9条の違反に近づき、第9条の立場で、これを守ろうとすると、安全を追求しない事を良しとする事になるのである.何かおかしい国だと思うが,こんな状態で、国を守れるのだろうか.机上の法治国家云々,法的安定性云々の議論がむなしく聞こえるのである.

更に言えば、現在の専守防衛の個別的自衛権で国の生命財産が本当に守れるのか、有事の事態によっては、憲法を無視して、多国と共同防衛をしないと守れなくなるのではないか、と言う懸念がある.又、世界各国と共同で平和活動が出来ないと言う、孤立化の懸念もある.このように、現法制度は、極めて異常なほど、不完全で、不安定なのである.

こんな不安定な現法制度のもとで、法的安定性を云々する事自体おかしいと思う.磯崎氏の主張の根底に『法的安定性云々の前に、国を守る方法を考える事が先だ』との思いがあるように感じたのである.だとすれば、同感である.

そう思うのは、どの国民も、『憲法より命が大事』だと思っていると思うからである.護憲論者だけが『命より憲法が大事だ』と言って、死を選ぶかもしれないが.

憲法や法制度は何の為にあるのか、を考えれば,不具合な,不備な,憲法・法制度は直さないといけないのである.法的安定性云々の前に,.法的安定性を主張できる法制度を作る事が先だと思うのである.

したがって『日本の安全保障の在り方』(集団安全保障、集団的自衛活動、限定的集団自衛活動、多国籍軍への後方支援、等の考え方)を討議し、その上で、第9条と自衛権が衝突するのではなく、『国を守る為の憲法・法体制』をしっかり作る事が立法府の最も重要な仕事だと思うのである.

このように思うと、法的安定性を守れとか、守っているとか、磯崎氏を罷免しろとか、『党利党略の攻防』を繰り広げている国会が極めて非生産的で、無意味に感じられるのである.もっと、『安全保障のあり方』について,議論をして欲しいのである.

磯崎発言が参院議員でしつこく取り上げられると思うが,一国民の素朴な、こんな意見もある事を国会議員は、知って欲しいのである.

法的安定性について、他にも言いたい事がある.

世の中の動きに憲法や法律が付いて行っていない事や、価値観の多様化、複雑化に、裁判官の俗人的な裁量が増大し、裁判官によって判決が違ったりする事が多くなっていると思う.『安全保障法制度問題』も『一票の格差問題』も、しかりである.これでは、『法治国家』ではなく『お代官様国家』である.法的安定性を求めようがないのである.

法治国家や法的安定性を声高に言うなら、お代官様の裁量に依らない,180度違う主張が出ない、法的安定性のある法制度をまず作る事が先である.これが立法府の仕事のはずである.これが出来なければ、世界からも、よくわからない国、何もできていない国、になってしまうのである.

日本文化の底流に流れている、村社会、島国根性、行間で物を言う、非契約社会、等が影響し、法制度に必要な、コンセプト力、立論力、説得力、を阻害しているのかも知れない.心配である.

 

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2015.06.02

401 安全保障関連法案の骨子と所感

ソ連の崩壊による米ソ冷戦時代が終焉して久しいが、それ以来、タガが外れたように、中近東の政状不安,独裁政権の崩壊,民族対立,イスラム武装テロ集団の出現、中国や発展途上国の台頭、中国の覇権志向の活発化、北朝鮮の核保有、等、世界情勢は不安定な状態が続いているのである.

そんな情勢の中で,国連の国際平和活動、連合国による安全保障活動などが行なわれている.同時に、武装テロや細菌テロ、サイバーテロ、と言った新しい深刻な問題にも、各国の連携を強めているのである.

このような国際情勢の中で、我が国は、『戦争放棄』『武力の不保持』を定めた日本国憲法のもとで、自然権としての自衛権を根拠に、自衛隊を編成し,専守防衛の個別的自衛活動と、日米安保条約で、我が国の安全を守っているのである.又、非戦闘地域での多国籍軍の後方支援活動や国連のPKO活動に参加しているのである.

しかし、国際的視点に立つと、日本は極めて限定的な、自衛活動や国際支援活動にとどまっているのである.当然ながら、日本は、国際問題に関する情報収集力も、国際政治に対する発言力も、国際問題への決断力も、国際政治への参画も、極めて弱い国になっているのである.

その原因が、占領下で作られた現憲法を、独立して国連に加盟した後も、国連憲章(例えば、40条の交渉、制裁でも解決しないときの41条の加盟国による武力行使の容認)と整合していない憲法を保持している事にあると思う.『一国平和主義だ』、『国際平和のただ乗りだ』,と揶揄されるゆえんである.

したがって、日本が、世界に平和を叫んでも、説得力を欠くし、安全保障関連の国会審議で、それは違憲だとか、合憲だとか、戦争に巻き込まれるとか、巻き込まれないとか、リスクが増えるとか、増えないとか、自衛隊が危険にさらされるとか、議論されているが、一体、日本は、安全保障に関して、どうしたいのか、国際社会と連携したいのか、したくないのか、他国から見れば、さっぱりわからない議論が繰り返されていると思うのである.

元国連事務次長の明石康氏の発言にもあるが、『世界の平和無くして日本の平和はなし』であって、まさに安全保障問題は国内問題ではなく、国際問題であると指摘したのである.従って、安全保障とは、いかに多くの国と保険を掛け合うかに、かかっていると思うのである.

そこで、保険とは、

・憲法を国連憲章と整合させる事、

・軍隊、武力、交戦権を保有する事、
・国連の平和活動に参画する事、
・集団で安全保障活動や自衛活動を行う事、

・軍事の連携国を増やす事
・国際情報を収集する体制を持つ事、
・多くの国と友好条約や経済・文化交流を活発に行う事、
・他国から信頼される国になる事、

等が考えられるが、現在の日本は、あまりにも保険をかけていないと思うのである.現憲法が他国と共同して、平和を守ると言う保険を放棄しているからである.

そこで、今後の日本の安全保障にとって、個別的自衛活動だけで良いのか、国連憲章と整合した、集団安全保障活動や集団的自衛活動が出来る国に変えた方が良いのか、今まさに議論すべき根本的なテーマだと思うのである.

この議論においては,『日本の安全保障のあり方』→『憲法の内容』→『安全保障関連法案の内容』とならなければならないのである.各政党も、これらの、考え方、内容、を表明すべきだと思うのである.

そんな中で、安倍政権は、1年前、現憲法下で、他国と連携して、少しでも、自衛力、抑止力、及び、国際貢献力の向上を、図ろうと、限定的な集団的自衛権を合憲とする閣議決定をした.それに基づいて、今回、限定的集団的自衛活動を柱に『安全保障関連法案』と、国際貢献の強化として『国際平和支援法案』を策定し、当月、国会に提出したのである.

現憲法下での法案と言う事で、『国連憲章との関係』など、『日本の安全保障のあり方』の根本的な考え方が定まっていない中での法案になる.従って、他国では理解できないような、9条(戦争放棄)と自衛権の綱引きと同じように、9条と限定的集団的自衛権の綱引きが発生し,複雑で微妙な法案にならざるを得ないのである.

以上のような、問題意識で、今回提出された安全保障関連法案を簡潔に整理してみたのである.間違があるかもしれないが)

国会に提出された現行憲法下の安全保障関連法案の骨子

コンセプト:国際情勢の変化に対応した自衛力の強化と国際平和活動への貢献

目的;日本の平和と安全を守る

①武力攻撃事態(現在の個別的自衛権)
日本が外国から直接武力攻撃を受けるか、明白な危険が切迫した時は個別的自衛権に基づき反撃.

②存立危機事態(他国の防衛ではなく、自国の自衛の為の集団的自衛活動)
密接な関係にある他国が攻撃を受け、日本の存立が脅かされる明白な危険がある時、集団的自衛権に基づき共同で反撃.(あくまでも自衛行動の範囲であり、憲法に抵触しないとの判断)

③重要影響事態(他国軍への後方支援)

日本の平和と安全に重要な影響を及ぼすなら、他国軍を戦闘現場でない場所から後方支援、弾薬も提供.(あくまでも自衛の為の後方支援)

④グレーゾーン事態
平時(警戒監視中等)で主権侵害の恐れが発生した時の米艦や米軍機の防護

目的:世界平和に貢献する

①国際平和共同対処事態(他国軍への後方支援)
外国で紛争が発生し、国際社会の平和と安全に脅威が発生した時、戦闘現場ではない場所から他国軍への後方支援

②人道復興支援(PKO)
治安維持任務や駆けつけ警護、等を追加、国連以外の平和協力活動にも参加

次に安全保障に関する私見を述べてみたい.

1.『日本の安全保障のあり方』『憲法のあり方』を、まず議論すべきだ.

我が国は戦争放棄、武器の不保持の憲法を持ち、一方では自衛権を根拠にした自衛隊と武器を保有し、個別的自衛権の行使が出来る体制になっている.同時に,一種の集団的自衛の形である日米安保条約で米軍基地が日本に設置され、日本及び極東の安全を支えているのである.

このように,日本の安全保障は憲法では『戦争放棄、軍・武器不保持』を宣言しているが、一方では憲法の外で『自然権としての自衛権の保持と、その為の自衛隊・武器の保有』を認めているのである.

この二つの概念を合わせると『自衛の為の交戦権は保有、それ以外を目的とした交戦権は放棄』であり、これを国として認めているのである.

そして、今回の安全保障関連法案は、この自衛権の枠内で、憲法に抵触しない様に、『限定的な集団的自衛活動』、『限定的な集団安全保障活動』を柱にした新法制度の提案である.

しかし、冒頭述べた通り、この法案以前に、日本の安全保障は、現憲法を改定しない限り次の問題を抱えているのである.いくつか列記しておきたい.

①憲法で戦争放棄を宣言しているが、憲法解釈で、自衛の為の交戦権は有しているとしているが、現憲法に国防の概念が無い事から、第9条と自衛権、第9条と限定的集団自衛権の綱引きが常に起こるのである.その事が安全保障を不安定にし、議論を複雑にしている元凶だと思うのである.これが日本の安全保障の根本問題になっているのである.

②現憲法に、国防の規定が無い為に、自衛戦争に突入した時の有事法制や軍隊の規定を作る事が出来ないのである.したがって、現憲法下では、『自衛権はあるが実質行使できない』と言う事になるのかも知れないのである.

③現憲法を改定するにしても、我が国の今後の安全保障のあり方が定まっていない事が大問題となる.一国平和主義で良いのか、世界の潮流である、集団安全保障体制、集団的自衛体制に変えて行くべきなのか、基本方針を定める必要がある.

日米安保条約締結時以来、今でも続く、日本の安全保障のあり方論議に、そろそろ、終止符を打ち、憲法改定に入らなければ、世界の動きに更に遊離して行くのである.

参考過去のまでに、独断的ではあるが、安全保障のあり方を分類してみた.

①非武装・中立(自衛隊も軍も不保持)
②武装・中立・自衛(日本独自路線)
③武装・中立・自衛・国連軍への後方支援(日本独自路線)
④武装・中立・自衛・国連軍への参加(日本独自路線)

⑤武装・日米安保・自衛(個別的自衛,以下同じ)
⑥武装・日米安保・自衛・国連軍・他国籍軍への後方支援
⑦武装・日米安保・自衛・集団的自衛(限定的)・国連軍・多国籍軍後方支援

⑧武装・日米安保・自衛・集団的自衛(相互に自衛活動,以下同じ)
⑨武装・日米安保・自衛・集団的自衛・国連軍・多国籍軍への後方支援
⑩武装・日米安保・自衛・集団的自衛・国連軍・多国籍軍への参加

勿論、自衛にしても、後方支援にしても、その内容は、いろいろあると思うが、先ず,骨太の姿で分類したのである.これによれば、⑤から⑥になり、今回の政府案は⑦になるのである.

そんなわけで、一日でも早く、この根本問題を解消し、国民の安全を守る為の『日本の安全保障のあり方』それに基づく『憲法と安全保障法制度の内容』を真剣に議論して欲しいのである.これが.国会の最大の使命だと思う.

ところで、現憲法に国防の概念がないのは米国占領下で公布された憲法だから当然かもしれないのである.同時に、日本国民からすれば、悲惨な戦争体験、焦土となった日本、戦後の復興、を考えると、丸腰にならざるを得なかった事情もあったと思うのである.

そうだとしても、独立し、自衛隊を編成した時も、国連に加盟した時も、この憲法を改定しなかったのである.何よりも改定に必要な国民投票法も第一次安倍政権まで作らなかったのである.護憲派の思い通りに推移したのである.今日においても、実際どうやって、国民の賛否を問うか不明な事が多いのである.

現在の憲法を平和憲法だと、自慢する政治家がいる.しかし、国連憲章と不整合で、一国平和主義で、平和のただ乗りで、米国の傘の下で、しかも、憲法改定手段もなく、一度も改定をしていない、事からすれば、自慢できるわけがないのである.

又、この事が日本国民の政治意識を停滞させ、民主主義の成熟を阻害し,安全保障問題も思考停止状態にしている元凶になっていると思うのである.

海外から見ても、日本の安全保障制度や『安全保障の根本問題』を知っている人は、極めて限定的だと思う.多くの人は,日本は何を考えているのかわからない、と不信感を持っていると思う.利己的な国だと思われているかもしれないのである.

そんなわけで,国会審議では、政府案の違憲・合憲の入り口論より、先ず、日本の安全保障の根本的問題を解消する『日本の安全保障のあり方』,『憲法のあり方』について議論を戦わせる方が先だと思うのである.その上でしか、日本の安全保障法体制の議論は出来ないと思うのである.

法律家ならいざ知らず、政治家が『日本の安全保障のあり方』を言わずして、『違憲だから反対』と主張しているのは,日本の生命・財産を守る気があるのか、ど苛立つのである.

違憲と言うなら、どこが違憲かを説明する必要があるし、政治家なら、個別的自衛権、集団的自衛権、及び後方支援、国際貢献について、『じゃどうするか』を言う必要があると思う.当然、『憲法のあり方』と連動した主張が求められるのである.

政治家の仕事は国民の安全を確保する事である.その為に、政治家、政党は、安全保障に対して、しっかりしたコンセプトを持たなければならないのは当然だと思うのである.

『財政は,その国の民主主義を写し出す鏡だ』とよく言われるが、『安全保障は,その国の姿を映し出す鏡だ』とも言えると思う.

集団的自衛権の導入が必要ではないのか

政府は昨今の国際情勢を踏まえ、かつ現憲法を意識して,限定的ではあるが、集団的自衛権の導入を提案した.この提案は、現実的な課題に対応する上でも,又,今後の安全保障や憲法を考える上でも、重要な提案だと思うのである.

しかし、違憲にならない様に、自衛権の範囲内と言う制限を付けた集団的自衛としている為に、曖昧さや,複雑さや,分りにくさや,現実の運用のむずかしさ、が発生している事は否めないのである.

この提案に対し,個別的自衛権の拡大で対応すべし、との意見もある.しかし、この意見は、国際的には通用しない.個別的自衛権の拡大でやると,自国に攻撃が無いのに個別的自衛権の行使をする事になり,相手国に攻撃の根拠を与える事になるのである.同時に、そんなことをやれば、個別的自衛権にもならず、一方的な攻撃として、国際法違反になるのである.

ドイツ等は他国との連携による集団的自衛権を優先し、自国の判断だけで行える個別的自衛権には慎重な(抑制性的な)姿勢をとっているのである.日本も、この考えで良いと思う.個別的自衛権の拡大適用は案にもならないと思うのである.

そんなわけで、私見に依れば、日本は将来の憲法改定も含めて、自衛力・抑止力の向上の為に、法制基盤として何らかの集団的自衛権を持つ事は必要だと思う.その行使の可否や行使の内容は、当然、その時々の、シビリアンコトロールの判断にゆだねられるのである.

この政府提案に対し、世界が言う集団的自衛権は勿論、今回、提出された限定的集団的自衛権でも、自衛権の越脱で違憲だと言う論者がいる.

この論者に憲法を改定して集団的自衛権を導入しようと言う人もいると思うが、大部分は、限定的集団的自衛権は違憲だ、或は、自衛隊も、日米安保条約も、違憲だ、と言う論者、が混ざっているのである.

ならば、この論者に聞いてみたい.

・日米安保条約は一つの集団的自衛の姿であり、違憲だと言うのだろうか.
・個別的自衛だけで,日本の安全が保てるのだうか、

・日本の防衛の為に,戦っている他国を傍観しているだけで良いのだろうか
・世界から孤立して生きて行けるのだろうか,

この問いに、まともな答えを聞いたことが無いのである.結局、議論を突き詰めると、集団的自衛権は不要だ,とはならないと思うのである.それでも、不要だと言う論者は説得力ある反対理由と安全保障の対案を出すべきなのである.

今回の安全保障関連法案の国際的評価だが、中国、韓国、以外は歓迎しているようである.中国、韓国の反日思想からすれば,日本の自衛力、抑止力が向上する事に反対する事は極めて分かり易い反応だと思う.

それゆえ,安全保障関連法案が必要だとも言えるのである.日本の護憲論者は中国、韓国の評価は正しいと言うのだろうか.これも聞いてみたいものである.

さて、集団的自衛権の導入の問題は、その必要性、その内容、及び、憲法の扱い、について真剣な討議を期待したいのである..

㋩出来るだけ早く憲法第9条の改定が必要ではないのか.

今回の安全保障関連法案が成立しても、第9条がある以上、前述の『日本の安全保障の根本問題』は解消しないのである.むしろ、限定的集団安全保障が加わる事で,根本問題が際立つ事になるかのである.

結局、根本的に解決するには第9条の憲法問題に決着を付けなければならないのである.第9条を下記の様に、国防概念と国際貢献の規定を加えるだけで、机上の不毛な神学論争を繰り返さずに済むし、長年の第9条と自衛権の衝突も解消するのである.何よりも、『憲法と法律で国を守る』と言う当たり前の安全保障法制基盤が確立するのである.

そこで、憲法第9条を、こんな風に変えたらどうだろうか.

『我が国の生命・財産の安全の為,国際平和への貢献の為、軍隊と武器を保有する』、『その行使は政府、国会の判断にもとづくが、その行動規定は法律で定める』

国防と国際平和への貢献を立憲主義の下におき、この憲法の下で、国連憲章に反しない様に、個別的自衛活動、集団的自衛活動、及び、国際平和活動、等の行動規定を定めれば良いし、時代の変化によって適時、変えれば良いと思うのである.

又、憲法で軍隊を規定する事によって、自衛隊を軍として位置づけられるのである.現在の自衛隊は軍ではないので、その行動には、刑法、或は道路交通法等の一般法が適用されるのである.

従って、軍の規定や有事法制が無い現憲法下で、個別的自衛や限定的集団的自衛の戦いが始まった時、自衛隊は、どんな法的根拠で戦うのだろうか,又、国内は、どんな有事体制が取れるのだろうか、不明である(私の勉強不足か).

これらの問題を解決する為にも、第9条を改定し、憲法で国防と軍および有事法制を認めなければ、真の自衛力の向上も自衛戦も、は出来ないと思うのである.

ところで余談だが、国民投票で新憲法の賛否を問うやり方の問題である.

憲法改定の国民投票が初め行われる事から、9条以外にも、積もり積もった改定項目は多くあると思われる.そうなると、国民は多くの改定内容に対し、当然、改定内容毎に賛否が発生する.しかし、国民は,全体に対し,YESかNOかの判断をしなければならないのである.

はたして、国民に新憲法の賛否を問うやり方として,これで良いのだろうか.今からでも,国民の賛否の取り方の検討が必要だと思う.例えば、国民に賛否を問うのは1条文のみにするとか、変更条文ごとに賛否を問うとか、の検討である.憲法を国民の手にする為にも、是非,議論して欲しいのである.

㋥安全保障法制の特徴を踏まえた議論が必要である.

安全保障関連の法制度には次の特徴がある.これを踏まえた審議が必要である.

『安保法制は有事発生時の備え,保険である事』
『シビリアンコントロールの裁量が大きくなる事』、
『してはいけない事の法制化が必要である事』

『安全保障法案は有事に対する備え、保険である事』とは、

今回の安全保障関連法案は、いろんな有事の事態や国際貢献の必要性に対応できるように、法的基盤を事前に用意しておく法案である.この法律を実際に使うか使わなうか、使う内容をどうするかは、シビリアンオントロールにゆだねられているのである.

国を預かる政権としても、国民にとっても、法律がないから対応できなかったでは済まされないからである.

『シビリアンコントロールの裁量が大きくなる事』とは、

シビロアンコントロールの裁量とは、その時の状勢や政権の考え方で、法律を行使しない事も、行使する内容も、判断する事である.従って、シビリアンコントロールは極めて大きな裁量を持つ事になるのである.当然、適正なシビリオアンコントロールを行う為には、国際情勢は勿論、大所高所の判断力が必要になるのである.

『してはいけない事の法制化』とは、

大きいシビリアンコントロールの裁量に歯止めをかける為である.有事の時や国際貢献で、やれることを列記する事も歯止めの仕方としてはあるが、それを列記する事は実質、不可能である.有事の
状況や国際貢献の内容を一概に規定出来ないからである.

従って、『してはいけない事』を定めた方が歯止めとしては、わかり安く、明確になるのである.試しに、今回成立した安全保障法で,『してはいけない事』を書きだすと、法案の中身がわかり安くなるのである.

この法案を『戦争法案』と言う人がいるが、安全保障法の特徴を理解していない人たちの主張だと思う.安全保障法は有事の時の『備え』であって、保険である.戦争になるかどうかは、相手国やシビリアンコントロール次第なのである.

したがって、論議としては、有事の時の備えが必要か、不要か、シビリアンコントロールの仕方はどうか、してはいけない事に問題はないか、であって、戦争法案だから反対だと言うのは、論点がずれているのである.

又、『シビリアンコントロールの裁量が大きいのは危険だ』という人もいる.やれる事をきめ細かく規定し、シビリアンコントロールの裁量を小さくするとの考えだと思うが,有事の状勢や国際協力の内容を一概に決められないことから、やれることを規定する事は実質的に困難である.

この様に、安全保障法案の特徴は、出来るだけ、いろんな事態に対応できるような法的基盤を作り、実際の対応は、シビリアンコントロールによって、決定されると言う構造になっているのである.

従って、政治家の国際情勢や安全保障に関する力量が極めて大事になるのである.なんでも法律にしないと不安に感じる日本人の不得手な法制度かも知れない.

従来、多くの政党は日本の安全保障について述べると、票にもならないどころか、票が減少するとして、選挙の公約にしてこなかったと思う.当法案が成立すれば、必然的に、そんな事は許されないのである.

シビリアンコントロールの責任が政党や政治家に負いかぶさり、その為に、常に安全保障の考え方を国民に示し,理解を得ておく必要があるからである.従来とは比べ物にならないほどの力量と責任が政党、政治家に求められる事になるのである.

当法案が『安全保障の転換』だと言われるが、『シビリアンコントロールが出来る政治への転換』の方が大きな変化だと思う.

㋭各政党は『日本の安全保障のあり方』『憲法のあり方』の考え方を示せ

戦後、日本の安全保障については、憲法第9条,自衛隊,日米安保条約,国連憲章,等はあるものの,国際協調時代に,『日本の安全保障をどうして行くのか』『憲法をどうして行くのか』が全く描かれていないと思うのである.

その原因は『憲法第9条と政治家の無責任さ』にあると思う.憲法制定以来、前述の安全保障の根本問題を放置し、憲法改定手続きさえも作らず、あげくに,国際協調時代に、安全保障は,どうあるべきか、憲法はどうあるべきか,と言った,まともな議論すら積み上がっていないのである.

旧態依然の違憲・合憲の論議を繰り返しているのは,まさに日本の安全保障は思考停止状態にとどまっているとしか言いようがないのである.とにかく、各政党から『日本の安全保障はどうあるべきか』、『憲法はどうあるべきか』を正面から聞いた事が無いのである.

それを言うと,党が分裂する、或は、いい加減さが露呈し票を失う,からだろうか.本当の所、どうすべきか分らないのかも知れないのである.

にもかかわらず、法を曲解して,戦争が出来る国にする法案には絶対反対だ、戦争に巻き込まれるから反対だ、違憲だから反対だ、と言っているのは,それだけで、ある程度の国民の支持が得られると思っているからかも知れないのである.

だとすると,各政党は安全保障のあり方や憲法及び安全保障法制度のあり方を言わない方が党にとっては得策と言う事になる.

このような安全保障に関する思考停止状態から脱出する為にも,この際,各政党は考えをまとめ、国民に選択肢を示すべきである.それをしない政党は全く無責任だと思うのである.そこで、先ず次の事を明らかにして欲しいのである.

・日本の安全保障のあり方(憲法,個別的自衛,集団的自衛,日米安保).
・政府提案の日本の『安全保障関連法案』への賛否と反対の理由.
国際平和支援法、PKO協力法への賛否とその理由.
 

政党が、この基本的な、最重要な課題に対し、しっかりした主張を持っていなければ、安全保障法制度の審議に参加する資格もないし、政党の資格もないと思うのである.何よりも、そんな政党はシビリアンコントロールは出来ないのである.

政治家の中に、国際紛争に巻き込まれるからダメだ、武力行使で人を殺してはダメだ、自衛隊員が殺されるからダメだ、現在の平和憲法を越脱する行為はダメだ、と言う人がいるが、『日本の安全保障や憲法をどうしたいのか』を言わないのである.全く無責任な政治家だと思う.是非,上記設問に答えてもらいたいのである.

こう言うと、『わが党は考え方がはっきりしている』と言うかもしれない.ならば何故、現実の国防問題に提案をしないのだろうか.

こで、審議を深める為にも、いつもの質問・回答の国会審議ではなく、各政党の党首が主張を述べ、他党からの質疑を受ける機会を国会に作ったらどうだろうか.国民にとっては、現在の国会の審議より、はるかに役立つと思うし,政党にシビリアンコントロールをゆだねる上でも、重要な機会になると思うのである.是非、国会審議は議席数に係わらず、『対案は平等、採決は多数決』でお願いしたいものである.

以上,安全保障関連法案について,私なりの要約と所感を述べた.国民が安全保障の思考停止状態から脱する為にも,本質的な国会審議を期待したいのである.極めて重要な課題に対し、党利党略の議論はやめて欲しいのである.私も、この国会審議を通じて,引き続き、勉強してみたい.

最後に、1.で示した『安全保障のあり方』、『憲法のあり方』の分類を再度、記載しておきたい.あなたは、どれが良いと考えますか.各政党は、どれを主張しているのですか.

①非武装・中立(自衛隊も軍も不保持)
②武装・中立・自衛(日本独自路線)
③武装・中立・自衛・国連軍への後方支援(日本独自路線)
④武装・中立・自衛・国連軍への参加(日本独自路線)

⑤武装・日米安保・自衛(個別的自衛,以下同じ)
⑥武装・日米安保・自衛・国連軍・他国籍軍への後方支援
⑦武装・日米安保・自衛・集団的自衛(限定的)・国連軍・多国籍軍後方支援

⑧武装・日米安保・自衛・集団的自衛(相互に自衛活動,以下同じ)
⑨武装・日米安保・自衛・集団的自衛・国連軍・多国籍軍への後方支援
⑩武装・日米安保・自衛・集団的自衛・国連軍・多国籍軍への参加

勿論、自衛にしても、後方支援にしても、その内容は、いろいろあると思うが、先ず,骨太の姿で分類したのである.これによれば、⑤から⑥になり、今回の政府案は⑦になるのである.

追伸(7月16日)

戦後の安全保障政策の一大転換となる安全保障関連法案は,きのう衆議院の特別委員会で可決した.与党は,今日中に法案の衆議院通過を図る方針である.

民主党は,『審議が不十分だ』、『強制採決はけしからん』、と、プラカードを掲げて、反対を叫んで、委員長に迫っていた.まるで、特別委員会議場がデモ会場になった感じである.それでどうなるわけもなく、党や議員として、みっともない限りなのだが、この様子をテレビ報道を通じて、党の姿勢を国民にアピールしたかったのかも知れない.しかし、対案を示して、攻めていないのだから、議会政治とはかけ離れたアピールだったのである.

これまでの国会審議を聞いていると、懸念したと通り、各党自身の考え方が明示されなかった.したがって,どんな考え方を持って,質問し、問題だ、反対だ、と言っているのか、全く、分からない国会審議だったと思うのである.

そんなわけで、相変わらず、違憲だ合憲だと入り口論ばかりで、『日本の安全保障を、どうすべきか』と言う根本問題は議論されなかったのである.

是非、参院の審議では次の事に各党の考え方を示し、『対案のある論議』を行って欲しいのである.国民の理解を深める為にも、国民に選択肢を与える為にも、これは、公党の義務だと思うのである.その意味では、大きな国費を使いながら、義務を果たしていない公党が多い様に思う.

・現在、今後の日本の安全保障のあり方(憲法も含めて)
・政府提案の日本の『安全保障関連法案』への賛否と反対の理由.
国際平和支援法、PKO協力法への賛否とその理由.

そんな中で、維新は断片的ではあるが、対案を示していた.違憲論を回避する為に,限定的集団的自衛行為を,個別的自衛権の拡大で、行うと言う主張である.

しかし、所見の㋺で述べている通り,論外の対案である.従って、維新は限定的集団的自衛行為を認めているのだから政府案に賛成すべきなのである.

このように、各党が『安全保障の考え方』を言う事によって,その政党の反対の理由が,当を得ているのか、どうかが、評価できるのである.

ところで、マスコミのアンケートによると、

わからない、理解できない、審議不十分だ、反対だ、が圧倒的に多いと言う.これに対し、ひたすら、政府は、今後も、丁寧に、国民に説明したい、と繰り返しているだけである.

私見によれば、このような否定的な結果になるのは、次の理由があるからだと思う.

一つ、わからない、理解できない、が多いのは、野党の対案が示されていないからだと思う.選択肢としての野党の対案が有れば、違いが明らかになり、論点がはっきりするのである.政府案しかない場合は、その賛否を問うのではなく、現状と政府案を比較して選択してもらう方が意味があると思うのである.

二つ、反対が多いのは、危険だ、戦争に巻き込まれる、違憲だ、等と言われれば、『何もしない方が良い』と思うのは自然だからである.しかし、それで安全保障が成り立つわけがないし、従って、国民は、どんな問題を解決するのかを認識した上での判断が必要になると思うのである.

三つ、反対が多いのは、国民が、『一国へ家和主義』、『平和へのただ乗り』に気付いていないからだと思う.これを説明すれば、この方が良いと言う人は少なくなると思う.

四つ、反対が多いのは、第9条で戦争放棄、武器や交戦権の放棄を定めている事で思考停止しているからだと思う.憲法で規定されていないが自衛権があって、それを向上すると言っても、第9条と自衛力向上の線引きが難しい事から賛成より、反対に傾きやすいと思うのである.

まさに、『第9条が個別的自衛、集団的自衛、国際的安全保障とぶつかる』と言う根本問題が、浮かび上がるのである.このい難しい問題に、政治家、政党は答えを出さなければならないのである.

ところで、民意のアンケートで、もっと根本的な事を聞いていないと思う.

『今回の法案の賛否』を国民に問う前に、『今後の日本の安全保障のあり方』を問うべきだと思うのである.

各報道機関のアンケート調査は我田引水の質問で、調査結果を自社論に誘導していると思う.そんな調査は役に立たず、例えば、上記、分類を示して、方向を聞くのは国民や政治家も役に立つと思うのである.

そんなわけで、参院の審議では、良識の府として、『国民に選択肢を与える国会』になるよう,期待したいのである.その為に、『安全保障のあり方』に関する民意を調べたり、各党の主張の比較をしたり、すべきだと思うのである.衆院と同じような、党利党略の場になれば,まさに参院無用論が頭をもたげるのである.

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2014.07.29

365 集団的自衛権行使容認に関する世論調査に一言

日経新聞の世論調査によると,今月,閣議決定した,『必要最低限の集団的自衛権』の行使容認を,評価しないが48%,評価するが38%,であったと言う.評価しない理由の多くは歯止めがかからなくなるが53%,歯止めがかかっているが23%だと言う.

この結果から見ると,『戦争に巻き込まれるから,集団的自衛権行使容認には反対だ』,言い方を変えると,『専守防衛以外は傍観する』が半数近くの人の意見である.

戦勝国による『日本の無力化』と,『戦争はもぅいやだ』と言う国民感情によって,戦争放棄の現行憲法を受け入れて来たのだが,今回の反応は,これとあまり変わらない結果になった.

しかし,これは,現憲法に関係なく,今後の日本の安全保障のあり方として考えた結果なのか,現憲法の許容範囲を超えていると考えた結果なのか,あるいは,憲法を変えれば評価できるのか,不明なのである.

いずれにせよ,国際情勢の変化,日本の世界における立場,を踏まえて,今後の日本の安全保障のあり方に関する世論調査ではないのである.

当ブログ『357 日本の安全保障問題と憲法の考察』(6月18日発信)で日本の安全保障と現憲法の問題を,自分なりに考察した上で,『日本の安全保障のあり方』が議論されていない事を懸念して,先ず,この議論が先だと提言したのである.これなくして,国民の意識も深まらず,日本の安全保障に関する憲法解釈も,憲法改定も,考えられないと思うのである.

そこで,議論を分かり易くする為に,現憲法の制約を外して,今後の『日本の安全保障のあり方』を次の選択肢で議論する事を提言していたのである.

①いかなる戦争も放棄し,交戦権も武力も持たない.(現憲法)
②限定的な個別的自衛行動(専守防衛)を行う.(自衛隊発足時の憲法解釈)
③国連憲章で認められた個別的自衛行動を行う.
④限定的な集団的自衛行動を行う(今回の憲法解釈)
⑤国連憲章で認められた集団的自衛行動を行う.
⑥国連決議に対し、限定的な集団安全保障活動を行う.
⑦国連決議に従って,集団安全保障活動を行う.

この分類で言えば,今回の閣議決定は②にプラスして,④を認める,としたのである.それに対し,今回の世論調査の結果は②に留まれと言う結果であったのである.

私見で言えば,政府は現行憲法に違反しない範囲で『針の穴を通すような事』を言い,国民は『戦争に巻き込まれるからいやだ』と言い,どちらも,『安全保障に対する考え方と覚悟』がないままの議論や世論調査でしかないと感じるのである.

率直に言えば、政府は将来の安全保障のあり方を言わずに、国民は一国平和主義に思考停止したままの中での世論調査だと思うのである.

本来なら,政府与党,野党とも,上記選択肢に対して,『日本の安全保障はこうあるべきだ』とビジョンを示したうえで,当面,現憲法下では,こうしたい,と言うべきだと思う.国民も,世界の安全保障,集団自衛行動に傍観し続けるのか,何らかの形で参加するのか,腹をくくる必要があると思うのである.

この問題は避けて通れない問題であり,何時までも,思考停止状態ではいられないと思う.是非,世論調査も,本質的な,たとえば,上記①~⑦の選択肢を示して,世論調査をお願いしたいのである.出来たら,議論の経緯を踏まえて,何回かこの世論調査を繰り返し,意味ある世論調査を続けて欲しいのである.さて、どんな結果が出るのか、安全保障に関するリトマス試験紙を見る思いである.

この『日本の安全保障のあり方』を議論せずに,国民の安全保障への認識は深まらないし,そんな状態での,いかなる政策も,憲法改定も,『戦争はイヤだ』の国民感情で,吹き飛ばされるのである.

そんなわけで、今後の憲法改定行動の前に、『安全保障のあり方』の世論調査をし、国民のある程度のコンセンサスを得て、憲法改定草案を作るべきだと思うのである.

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2014.06.18

357 日本の安全保障問題と憲法の考察

安倍総理は安全保障の強化の為に,現憲法下で取りえる強化策について議論を始めた.特に個別的自衛権に加えて,従来,行使出来ないとして来た集団的自衛権を限定的に(第9条に違反しない範囲で)行使出来るように検討すると言う.(ちなみにドイツは国連およびNATOの加盟国として,集団的自衛権の行使を決意している)

又,国連決議に基づく,集団安全保障活動で日本がどこまで参加できるのかも議論される.さらに言えば,個別的自衛権の分野になるが,他国の武装漁民が島に上陸し,実効支配しようとした時の対応についても検討すると言う.

この議論の前に,改めて,現行憲法の成り立ちについて整理しておきたい.

この第9条は『もう戦争は絶対嫌だ』と言う国民の声、悪い日本を無力化したい連合軍、反共の砦として日本に米国軍を駐留させたい米国、経済復興一本に集中したい日本政府,の思惑が一致して制定されたのだと思う.

1946年公布された当時,米国の統治下にあった事もあって,当時の吉田茂総理は、自衛権も放棄していると憲法を解釈していたのである.まさに日本は米国に統治された『非武装国家』から戦後の歴史が始まったのである.

1952年サンフランシスコ講和条約の発効で日本の独立が認められると、吉田総理は憲法解釈を変更して、独立国に専守防衛の自然権がある事は当然だとして,1954年自衛隊を編成したのである.そして,1960年日米安全保障条約を締結し,今日の米国軍の駐留による安全保障体制を作ったのである.

吉田総理は自衛隊発足時、憲法解釈ではなく,憲法を改定すべきだったと思うが,当時としては,憲法改定の方法もなく、実際、改定の法律を作り、国会で成立させ、憲法改定内容を作り、国会発議をして、国民投票にかける、と言う膨大な作業をする時間はなかったと思われる.それより、経済復興に専念する事が最優先で、国民の信を得た新憲法を作ることは後世の宿題にしたのである.

結局,その後,今日に至るまで,驚くことに,憲法改定手続きも作らず,勿論,憲法改定もされず占領下の憲法がそのまま、国民の手が届かない所に祭られているのである.米国の現憲法草案者すらも憲法が改定されていない事に驚いていると言うのである.

上記の経緯でも明らかなように、現憲法には多くの問題点(ここでは省略するが)を抱えたまま、放置されているのである.

その問題点の中で、安全保障に関する事を洗い出しておきたい.

1.先ず、第9条の『戦争の定義』の問題である.

第9条の放棄した『戦争の定義』がない事が,いつも,憲法解釈の議論を呼ぶのである.今回の安全保障強化の議論も,第9条の戦争の定義をはっきりしていない事で,複雑になる.そこで『放棄したとする戦争の定義』だが,次の二つの考え方がある.

① 自衛権行使に『専守防衛』と言う制約を付ける事で,第9条に抵触しないとの考え方.と言うことは,第9条で言う『戦争放棄』とは,『自衛戦争』も含まれると解釈した上で,例外的に,専守防衛行動は許されるとした.

② 『戦争放棄』とは,先の『侵略戦争』を指しており,自衛戦争は,これに含まれない,と言う考え方.論理としては,はっきりする.しかし,そう解釈すると,『何をやっても自衛の為』と言う大義で戦争が勃発し,第9条が空洞化してしまう可能性がある.そこで,暴走を防ぐ為に,自衛権行使に『専守防衛』と言う制約を付けているとした.

さて、『第9条の戦争放棄』と『自衛権行使』の関係をどう考えるべきか、今更ながら、曖昧なのである.合憲とした司法も、どちらの解釈をしたのか定かではない.この問題は、次の事態になった時、窮地に立たされるのである.

2.自衛権行使が戦争状態になった時の問題

自衛権は攻撃を抑止する意味が大きいが,もし、自衛権行使(専守防衛行動)によって戦争状態になった時,第9条に従って戦争を放棄するのか,自衛戦争の大義で戦争を続けるのかの問題にぶち当たるのである

3.日本の安全保障全般にわたる問題

①専守防衛だけで個別的自衛権が機能するのか,国際法,国連決議,集団安全保障,国際的テロ,サイバーテロ,毒物テロ,武器の技術革新・無人化,等への対応をどうするのか、日本はこれまで、これらの問題に思考停止していたが,今後もこのままで良いのか.

②自衛隊が憲法に記述されていない事で、国内では軍隊ではなく、国内法が適用される.有事の時の自衛隊の行動の法的根拠(有事法制)も作れない.武装漁民(相手国の軍隊ではない)が島に上陸した時の武力による対抗方法がない.などの問題がある.

そんな訳で,日本国憲法は,『理念は高いが、非現実的』、『理念は高いが、安全保障は隙だらけ』、国際的には『理念は高いが、何もせず』、さらに、『理念は高いが世界から孤立』になっているのである.

4.第9条は実質無効になっているとする説もある.

①第9条の前提が崩れているのだから、第9条は無効だという説もある.前提とは憲法の前文である.

前文では、『平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われわれの安全と生存を保持しようと決意した』とあり、その結果、『第9条の戦争放棄と非武装を宣言した』のである.従って、諸国民が信頼できない状態であれば、第9条は無効だと言うのである.筋は通っている説である.

来、『平和を愛する諸国民を信頼して戦争放棄、非武装を憲法に書く事』、自体が独立国として不思議なのだが,『米国占領下の憲法』と捉えれば不思議ではない.

すなわち,『諸国民(連合国)の言う通りにするから、武力も交戦権も戦争も放棄する』(無条件降伏)となるからである.護憲論者は独立後も,それで良いと言うのだろうか.

しかし,独立国の憲法として,戦勝国に日本は『服従するから非武装にする』はないのである.こんな憲法を今日まで改定しなかった日本は本当に憲法改定できるのか不安になるのである.それとも,日本は未だ米国の配下にあるのだから第9条のままで良いと言うのだろうか.

自衛隊を合憲と司法が判断した事によって,第9条第2項(交戦権放棄)は意味がなくなったという説もある.自衛と言う交戦権の行使を認めたからである.

以上,安全保障については問題だらけの憲法なのである.この憲法の上で、これ以上議論することのむなしさを感じるのである.言葉遊びになるからである.

そこで、新憲法の制定が急がれるのだが、なんと言っても、日本の安全保障に関する考え方を政治家も国民も、しっかり持っている必要がある.しかし、現憲法に思考まで縛られて、覚悟をもって、真剣に議論してこなかったように思う.その結果、米国占領下の一国平和主義に止まっている感じがするのである.

そこで、本来,どうあるべきか、を考える時の選択肢を挙げてみた.

①いかなる戦争も放棄し,交戦権も武力も持たない.
②限定的な個別的自衛行動(専守防衛)を行う.
③国連憲章で認められた個別的自衛行動を行う.
④限定的な集団的自衛行動を行う
⑤国連憲章で認められた集団的自衛行動を行う.
⑥限定的な集団安全保障活動を行う.
⑦国連決議に従って,集団安全保障活動を行う.

さて、どう考えるべきなのだろうか.各政党は、しっかりした考え方と覚悟をもって、『安全保障のあり方』を作り、これを争点に選挙をすべきだと思うのである.それを踏まえて、憲法改定案の作成、国会発議、国民投票に進むべきだと思う.

とは言うものの、憲法改定案の作成にしても、国会や国民から憲法改定案に対する賛否の取り方にしても、国民投票の仕方や期間にしても、関連法律の改定にしても、課題は山済みである.

私見では10年くらいかかりそうである.ひょっとすると、改定すら出来ないかもしれないのである.3分の1の反対で国会発議が出来ないからである.だとすると、世界情勢への対応で憲法解釈変更を繰り返すしかなくなるのである.そうなれば,第9条の空洞化まで解釈が進むかもしれないのである.

そんな中,政府与党は現憲法の解釈変更で出来る範囲の検討を始めた.

政府,与党は,現実の国際情勢に対応する為、憲法解釈で実現できる範囲で,冒頭の議論を始めたのである.具体的には、従来の限定的個別的自衛権に加えて,集団的自衛権への対応の問題、集団的安全保障への対応の問題,武装漁民の不法上陸への対応の問題(有事対応)を政策課題にあげたのである.

いづれも、第9条に抵触しない内容の検討をせざるを得ないのだが,個別的自衛権と同じように、限定的とか制約付とかの修飾語がついて回る議論になりそうである.しかし,いくら修飾語をつけても、第9条との関係は増々わかりづらくなると思う.

このような政府,自民党の動きに対し、『日本の右傾化』、『戦前への回帰』だと非難する国がある.日本が自国の発展にとって邪魔で、日本を無力化のままにしておきたいと思っている国である.又,最も軍事に力を入れている国でもある.自己中の分かり易い反応である.

国内にも,『戦争が出来る国になる』、『殺したり、殺される国になる』,『徴兵制が復活する』などと、これらの検討に反対している党や人がいる.もともと,護憲論者で、戦争放棄、非武装論者である.しかし,それで日本の安全保障をどうすべきなのかビジョンが見えないのである.危機を煽って,自分達の支持を増やせば良いと考えている様に見えるのである.

この人達は平和を守る為に、命を懸けて戦っている人に、口をつぐむのである.又,『安全保障は話し合いで行うべきだ』と良く言うが、その人達に、頼むから、『相手国に言ってくれ』と言いたくなるのである.

以上が『現憲法下』の安全保障の難しさを述べた.各政党は持論を掲げ議論すべきだと思う.対案もなく,政府与党の批判だけでは、議論にならないからである.

最期に将来の『憲法改定に向けての基本的な問題』を挙げておきたい.

従来のように、憲法改定手続のない中での無責任な議論ではなく,憲法を改定する前提で、建設的な議論をして欲しいと思う.そこで,是非、議論して欲しいテーマがある.

①一つ目は『憲法の在り方』の問題である.

・まず、憲法で『武器や軍隊は戦争の抑止,交渉の圧力と言う意味と,いざと言う時の実力行使の為に保持する.その行使内容は文民統制で行う』と極めてシンプルな憲法の定めにする考え方ある.

特徴は安全保障の行動内容を,憲法で明文化していない事である.明文化しようとしても安全保障の行為を定義出来ない事も理由である.例えば、自衛と言う言葉は過去の戦争を全て自衛戦争だとも言える位、概念の幅が広く,かつ、一国が独善的、恣意的に使う言葉である.それゆえ、憲法で『自衛の為の・・・』と言えば青天井になるのである.

もっと基本的な考えは、『安全保障の行為』を,その時々の,文民が考えるべきだとしている事である.まさに主権在民の民主主義を地で行く考え方である.当然の事ながら、安全保障政策が常に選挙の争点になる.

・一方、現日本憲法のように安全保障の考え方,行為を憲法に記す方法もある.その時々の文民の意思より,憲法で規定しようとする考え方である.その時々の文民の意思に左右させないとの考え方である.

言うなれば,憲法はバイブルであって,政治の手段ではないとの考え方である.従って、憲法改定はしない方がよいと考えるのである.憲法は国民が作るものではなく、与えられるものだ、と言う律令制度のDNAを引きずっているのかもしれない.

この考え方は、情勢によって憲法が足かせになる事も考えられる.文民統制や民主主義が信頼出来ないとの思いも背景にあるかもしれない.又、この考え方の憲法の下では、いろんな出来事に対応する為に、まず、憲法解釈から議論が始まる.この憲法解釈論争は最終的には司法の判断となり、民主主義より司法が優先される事になるのである.

司法の憲法解釈なしに対策が打てないことになると、これは『立憲主義』ではなく、実態は『お代官様主義』になる.まさに、現在の日本と同じ状態が続くことになる.

これは、安全保障問題だけではなく、日本国憲法は理念的な記述が多く、どの条文も解釈の幅がある.従って、司法権はその分、大きくなっているのが特徴である.民意より司法の解釈が優先する社会に民主主義の危機を感じるのである.

さて『文民統制を重視するか』,『憲法を重視するか』,次の憲法をつくる時、是非検討すべき大きなテーマだと思う.

私見によれば,憲法で理念や抽象的なことを書かない方が良いと思う.言葉を定義することが困難だからである.従って,憲法では軍と武器の保有を宣言し,その行使は文民で決断すると言う文民重視の考え方が適切だと思うのである.

②二つ目は『憲法改定内容の賛否の取り方』の問題である.

68年間も凍結状態になっている憲法改正は大掛かりな改正になる.そこで、国会発議もそうだが、国民投票で賛否を得る方法が極めて難しくなる.

あの条文は賛成だが、この条文は反対だ、が起こるからである.多くの条文変更に対して、一票で意思表示できるわけがないのである.かと言って、条文ごとに国会発議と国民投票を行うことになるのだろうか.

人や政党を選ぶ選挙のように,アバウトでは済まないし,頻繁に改正出来ないのである.何か良い方法を考える必要がありそうである.さらに言えば投票期間や投票方法なども具体的に検討すべきだと思う.今のところ、心配するだけで、対案は持ち合わせていない.

さらに言えば,憲法改定内容にもよるが,改定によって,膨大な既存の法律を見直し,国会の審議も必要になる.そこで,もめる事も考えられる.そんなわけで.憲法改定には10年くらいかかるかもしれないのである.

その期間中で、世界の情勢も変わる可能性もある.とにかく、68年間、改正手続きも持たず、憲法を改正して来なかったツケが大きく、改定内容も、投票の仕方も、関連法案の改定も、本当に日本人が出来るのか、きわめて不安になるのである.

以上、現憲法下の安全保障の問題と今後の憲法改定について、本質的な問題を述べて来た.是非、これで議論を展開して欲しいと思うのである.

特に、安全保障問題に関しては、政府の説明不足だとか,よくわからないとか、と言って批判する事こそ問題である.わからなかったら学び、そのうえで、自ら考え、判断する事が絶対必要である.それくらい個人と直結している問題なのである.

最近,『知らない』と言う事を自慢げに言う人がいる.知らないのは自分のせいではないと言わんばかりである. 

『知る権利』とは黙っていても『教えてもらえる権利』ではない.『知ろうとする事を阻害されない権利』である.知らない事は知る努力をしていない,恥ずかしい事だ言うことを自覚すべきだと思うのである.

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