スポーツ

2015.11.21

415 世界野球プレミアム12韓国戦で思った事(発想の転換)

世界野球プレミアム12は第一次リーグでは全勝したが、決勝トーナメントで韓国に敗れ、優勝の夢は絶たれた.

この決勝トーナメントの韓国戦で3-0で迎えた9回表、4失点で大逆転され、3-4で敗戦したのだが、その原因について言及してみたい.

先ず,韓国戦を振り返って見ると、次のように,『野球は投手力』であることがよくわかる.

第一次リーグ  5-0 で勝ち
大谷6回被安打2に対し、則本・松井の被安打は5、四死球は1
決勝トーナメント  3-4 で負け 
大谷7回被安打1に対し、則元・松井・増本の被安打は5、四死球は2

ここにある様に、勝敗とは別に、中つぎ、押さえの投手の被安打が第一次リーグでは5/7、決勝トーナメントでは5/6、打たれている.2試合合計で見ると,大谷の被安打3に対し、中つぎ、押さえの被安打が10であった.この事から、次の事が言える.

①決勝トーナメントで89球、被安打1、3-0で完封中の大谷を7回で降板させ、第一次リーグで打たれている則本・松井を再び登坂させた理由が全く理解不能であった.

中つぎ、押さえの投手は、先発よりイニングが短い分、剛球で抑えられる投手でなければならないが、大谷先発の場合、後続の投手は相手からすれば打ちやすくなる(数字でも明らか).このリスク対策が考えられていなかった.

以上の事から決勝トーナメントは従来の先発・中つぎ・押さえの発想ではなく,下記のような、大谷で勝つ新たな戦法(理に適った発想の転換)が必要だったと思うのである.

①大谷投手が先発の場合は、調子が良ければ、続投させる(完投も視野)
②先発陣に3イニングをまかせ、4回から6イニング,大谷投手にまかせる

上記②は大谷の後で投げる投手のリスクをなくす為の戦法である.大谷の実力からすれば、先発陣が3イニングで最少失点に押さえれば、勝利の確率は高まるのである.少なくとも、大谷降板後で大逆転されるリスクはなくなるのである.その意味で、②の戦法は有効だと思う.

監督はペナントレースのような、先発・中つぎ・押さえと言う戦い方にこだわっていたように思う.大谷と言う最強の投手を登坂させる場合は、全く違う戦い方があっても良いと思うのである.

ここで教訓をまとめると,当たり前の事だが、

①長いペナントレース(マラソン)と一発勝負(100m走)では戦い方が全く違う事.
②一発勝負では、投手
力の最大化、投手リスクの最小化を徹底する事.

である.

 

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2014.06.27

359 2014 W杯一次リーグを終わっての感想

2014年のW杯一次リーグC組の日本は,最終戦の対コロンビア戦に1-4で敗れ,C組の最下位が決まった.日本の成績は初戦のコートジュボワール戦で1-2で逆転負けをし,ギリシャとは0-0で引き分け、都合 0勝2敗1分けで終わった.大事な初戦で逆転負けした事で波に乗れなかったのか知れない.

しかし,全体的には『悔しい』,『残念』と言うより,『やっぱり』,が実感である.『本来のサッカーが出来なかった』ではなく,『日本の力を存分に出した結果だった』と思ったのである.

今回のW杯一次リーグでは,アジア勢が1勝もできず全て予選敗退、スペイン、ポルトガル、イギリス、イタリアも敗退.中南米、南米の活躍が目立った.これから激しい決勝トーナメンドが始まるが、どの試合も決勝戦のような激戦と,これぞサッカーと言う試合を見せてくれると思う.

そんなわけで、いよいよW杯は佳境にはいるのだが、これまでの感想を述べてみたい.

1.日本サッカーの感想

FIFAの公式記録にもあるように、日本の戦い方がデータにはっきり表れている.C組の国別比較でみると日本は,

①ボールの支配率が50%を超えている,
②ボールのパス回数が断トツに多い,
③シュート回数も多い
④しかし,シュートの7割が枠外であり、決定率は最低である

これが日本の『パスサッカー』の実態である.これに加えて,PKもなく,CKやFKによるセットプレーも点に結びつかず,これでは勝てるわけがなかったのである.

サッカーはもともと点が入らない難しいスポーツである.日本はそれに輪をかけて、パスサッカーと言う、針の穴を通すような難しいサッカーで時間を費やしてしまった感じがするのである.

肉体的な,或いは,個人技の差を補う為に,パスサッカーと言う組織力で戦う事を日本の戦い方にしたのだと思うが,はっきり言って,通用するところまで,力がついていなかったと思う.

また,5月に代表に入ってきた大久保の『俺が俺がの性格』によって,本田,香川,長友,岡崎の長年の微妙なコンビネーションを崩したとの批判もある.なぜ代表に,との疑問が5月時点であったことは確かである.ザック監督は決定力の弱さを強くしたいと考えたのかもしれない.しかし,土壇場の手は善手にらない事は勝負師なら知っているはずだが.

又,長友の攻撃力を抑える為に,攻めによって,押し下げられた事も,日本の組織力の分断につながったと思う.

その事もあって,パスサッカーが機能せず『インターセプトによるカウンター攻撃』の格好の餌食にされ,日本選手は上がったり,下がったり、振り回わされたのである.

パスサッカーが通用しなかった真の原因は,サッカーの基本である『キックの精度の悪さ』である.相手のプレッシャーを受けた時、無理な姿勢のまま、苦し紛れに、キックしている事が多かったように思う.これではパスにしろ、クロスボ-ルにしろ、シュートにしろ、キックの精度が落ちるのは当然なのである.

日本人の習性かも知れないが、プレッシャーを受けると、ボールを奪われないように、すぐボールを離したがるところが見える.シュートの7割が枠外だと言うのも、相手にボールを奪われない内に、シュートで攻撃を終わりにしたい、との『逃げの心理』が働いているように感じた.

日本戦を戦ったコロンビアを見ると、ボール支配率が低く,パス回数も,シュート回数も少なく,全く日本に劣っているように見えるが,枠内シュート率と決定率は断トツに高いのである.見事なシュートだけに,いとも簡単に決めているように見えるのである.

コロンビアが簡単にゴールを決めているように見えるのは、『打つ姿勢を作ってから,打っている』からだと思う.これに対し日本勢は,激しいプレッシャーの中で、苦し紛れに、やみくもに、ムリな姿勢で,打っていると感じたのである.これではシュートの精度が上がるわけがないのである.

『シュート力』とはボールを受けて,相手をかわして、打つ姿勢を作って,シュートするまでの一連の動作の事を言うのだと思う.決して、止まっているボールを正確に打つ能力ではないのである.従って、CK、FK、PK、の練習と、シュート、クロスボール、パスの練習とは全く違うと思うのである.

この『シュート力』はコロンビアの選手だけではなく、どの国の有力選手も、高い能力を持っている.当たりの強さもさることながら,身をかわすにしても,走りぬけるにしても,スピードが全く日本選手と違うのである.今後,日本がパスサッカーを続けるとしても、サッカーの基本である,この一連の動作による『シュート力』の向上を徹底的に鍛える必要があると思う.

その為には,『背があって,足が速く,骨太の人』が必要だと思うのだが,無いものねだりだろうか.以上,サッカーに素人ながら,勝手な感想を述べた.

2.高温多湿の場所、季節の問題

まず、どの試合も、高温多湿の中での激しい戦いであった.アジア勢が惨敗し、ヨーロッパ勢が苦戦し,中南米,南米の活躍が目立った事と関係しているかもしれない.

特に、こんな季節では、日本チームのように、一人何役もこなすサッカーは適していない.割分担をはっきりさせたサッカーの方が,いざと言う時,力が発揮されると思う.いづれにせよ、4年に一度の開催なのだから、涼しい場所、季節を選ぶべきだと思ったのである.

3.施設の遅れなど気にしない、ブラジルの精神

あれだけ施設が間に合わないと言われていた中で、なんとか開催にこぎつけた.いくつか未完成の施設はあるものの,大会に大きな支障は起こっていない.サッカーさえできれば何の問題もないと言うサッカー大国らしい感覚なのかもしれない.

日本的完璧主義から,ブラジルの国民性を軽蔑するような報道が多くあったが,おおざっぱなブラジル精神に、そんな完璧主義が拍子抜けになって,逆に,『これもありか』と感心したりするのである.

かといって,2年後のリオデジャネイロ・五輪の準備遅れに問題がないと言えるのだろうか.貧富の差が大きい中で,五輪投資にに反対す勢力もある.はたして,サッカーで国を統治できても,五輪で同じことができるか,きわめて心配になるのである.

4.一番の問題は日本のマスコミ

最後に日本のマスコミの問題である.日本のマスコミはW杯特需を狙ってか、人気を煽る側に立って騒ぎ、まともなサッカー論議も批判も出来ない空気を作っていたのである.

まるで戦争を煽っていた戦前のマスコミと同じような対応である.しかも、この人気の煽りは敗戦とともに,一過性で終わってしまうのである.それどころか,今まで伏せておいた主張が関を切ったように,手のひらを返したように,吹き出てくるのである.マスコミのいい加減さ,無責任さ,に唖然とするのである.

海外のマスコミはサッカーの興味を盛り上げる為に、徹底的に戦力分析や戦術論議や厳しい評価をしているのだが、これが、国民のサッカーの見る目を育て,サッカーへの興味を盛り上げているのだと思う.

そこで,日本の『人気を煽るテレビ番組』から『サッカーの興味を盛り上げるテレビ番組』になって欲しいと思った.こんな感じである.

人気を煽るテレビ番組の場合

『W杯がいよいよ始まりますが、日本に必要な事は何ですか』
『充分、決勝トーナメントに進出できる力があり、まずは初戦に勝つ事です』

サッカーの興味を盛り上げるテレビ番組の場合

『W杯がいよいよ始まりますが、日本に必要な事は何ですか』
『実力はどの相手も日本より上だと思います.そこで、パスサッカーで攻めまくるとしても、カウンター攻撃でやられる可能性が高くなります.そこで、逆に,守りを固めて,カウンターを狙う戦術も有効な選択だと思います.いずれにせよ、作戦の徹底とメンバーの人選がきわめて重要になると思います.監督がどんな作戦をとるのか注目したい』.

以上、一次リーグを通じての感想だが、一番の印象は『人気を煽るだけのテレビ番組』である.これでは日本のサッカーは世界に通用しないと思ったのである.

決勝トーナメントでは,人気を煽る日本チームがいないのだから,名誉挽回する為にも,サッカーの興味を盛り上げる番組を提供して欲しいと思う.戦術,選手,技量,日本との差,等,試合を通して,徹底的に分析し,日本の若者に伝えて欲しいのである.これこそ,W杯のもう一つの大きな意義だと思うのである.

ところで、プロスポーツは言うまでもなく、選手も、チームも、用具業界も、マスコミも、ビジネスとして行われているのだが、今回のサッカーーと同じように、前人気を煽る事に走りすぎて、結果がついてこない事が多い.サッカーだけでなく、人気があるゴルフ等も、人気を煽る割に、世界ノレベルにほど遠い状態が続いている.

これではテレビ放映もスポンサーも減って行くと思う.色んなスポーツがビジネスとして発展する為には世界レベルの選手を育成する事である.そこに向けた施策が乏しい様に思うのである.繰り返すが、実力を無視して人気を煽る事はビジネスの衰退に繋がるのである.

5.もう一つ気になる事(刺青の事)

日本や韓国以外,どの国のチームも多民族人種の混成である.それだけで,日本は劣勢を感じたり,日本の異質さを感じてしまうのだが,今回、改めて感じた事がある.それは,刺青をした選手の多さである.極限にいる人にとって刺青は心の支えなのだろうか.単なるファッションなのだろうか.

とにかく,日本の『刺青を良しとしない文化』が異質であるかのような多さである.日本文化など吹っ飛びそうである.『刺青した人はお断り』などと言えなくなるのである.

日本人は刺青への抵抗感を持ちつつも、『表向きには』,入学も、学生も、スポーツ選手も、就職も、社員も、公務員も、教師も,政治家も、温泉・旅館も、公序良俗の感覚も、『刺青は自由』と言う事になるのだろうか.それとも『日本人だけ刺青はダメ』と言う事にするのだろうか.

更に,『刺青はダメ』と言う日本文化を世界に広めて行くべきなのだろうか.それとも,『刺青は自由』と日本人の文化を変えて行くべきなのだろうか.サッカーを見ながら,そんな余計なことが頭をかすめ,ゴールの瞬間を見逃してしまったのである.

又,米国大リーグで、現在も、試合中、唾を吐く選手が多い.日本人としては、生理的に気分が悪くなる.だらしない人間に見えて来る.こちらの方は,個人の自由や文化の問題ではなく、自信を持って,マナーの問題として,世界的に禁止を訴えるべきだと思う.放映権を買う時,これを条件にしたらどうだろうか.

プロスポーツは貧困者のドリームとして形成されて来た側面があり,文化度,マナーは,もともと低い所がある.文化度,マナーを上げる為にも,『刺青をしない国』,『試合中,唾を吐かない国』は,世界から支持されるのではないか,と思ったりもする.それとも,多勢に押されて,異質な国として孤立するのだろうか.

国際化とは文化を認め合う事,個性を発揮する事,だと,きれいごとを言うが,はっきり言って文化の衝突であり,葛藤であり,淘汰である.今,世界は日本文化ブームだと言う.日本は文化を受け入れて来た歴史が長かった事を思えば,今度は,熟成された文化を世界に出す時代に入ったのかもしれない.日本文化に自信を持つ時代なのかもしれないのである.

当ブログで度々,文化論を述べて来たが,その中で,洋風化が蔓延している中で,日本文化の最後の砦は『靴を脱いで家にはいる文化』だと言った.これは,『内と外を分ける日本文化の象徴』なのだが,現在,世界各国で,『靴を脱いで家に入る文化』が増えていると言う.近いうちに,靴を履いたまま,リビングや寝室に入る事が異常なことになると思う.日本文化に自信を持ってもよい決定的な例である.

サッカーに負けたが,『なぜ日本選手は刺青をしないのか』をアピールしたらどうだろうか.自然と刺青をしない日本文化が世界に浸透しないだろうか.

追記(7月10日)

本日決勝進出チームが決まった.ブラジルを大差で破ったドイツとPK戦でオランダを破ったアルゼンチンである.

ところで、決勝戦の前日にブラジルとオランダの3位決定戦があると言う.優勝を狙って全力で戦ってきたチームに、3位,4位を決める試合をさせる事に大きな違和感を感じるのである.

興行的意図があるのかも知れないが、世界の頂点であるワールドカップの品格としては、『優勝』以外は順位を付けず、『ベスト4』、『ベスト8』、『ベスト16』で良いのではないかと思う.

又、3位決定戦にサポーターも選手もモチベーションが上がらないと思うのである.世界の観衆も、ブラジルとオランダのどちらが3位、4位になるか、興味があるだろうか.『ベスト4』のままで良いと思うのである.

最後に備忘録として『ベスト4』の決勝トーナメントの戦歴を記しておきたい.ブラジルの7失点を異常値とすれば、どのチームも失点が極めて少ない事が特徴である.まさに強いチームの証である.

ドイツ     :アルジェリア(2-1)、フランス(1-0)、ブラジル(7-1)
アルゼンチン  
:スイス(1-0)、ベルギー(1-0)、オランダ(0-0)PK

オランダ   :メキシコ(2-1)、コスタリカ(0-0)PK、アルゼンチン(0-0)PK負け
ブラジル   :チリ(1-1)PK、コロンビア(2-1)、ドイツ(1-7)

上記ベスト4は ドイツ、オランダの『組織力サッカー』 対 アルゼンチン、ブラジルの『個人力サッカー』の対決であったが、はたして決勝はどちらに軍配が上がるだろうか.

 

 

 

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2012.07.10

288 驚きの韓国プロゴルファーの活躍

近年の韓国プロゴルファーの活躍は米国でも,日本でも,目覚ましいものがある.7月8日最終日を迎えた全米女子オープン選手権と日本で開催されたセガサミーカップ(男子)で,その実力を又見せてくれた.日本は足元にも及ばないが,韓国勢の活躍ぶりに,ただただ驚嘆するのである.

全米女子オープン:決勝ラウンド65人中16人,ベスト10に5人,優勝・2位とも韓国
セガサミーカップ  :決勝ラウンド69人中13人,ベスト10に4人,優勝・2位とも韓国

特に韓国女子プロの日米での活躍はすごい.レギュラーツアー参加選手の数,優勝者の数,賞金ランク上位者の数,歴代賞金王,など,どれをとっても他国を圧倒する成績を上げているのである.特に,全米女子オープンは5年間に4回,韓国勢が優勝しているのである.米国女子プロは近年,世代交代の谷間にあるようである.

韓国の強さは,ゴルフだけではなく,柔道,サッカー,野球等のスポーツも,韓流ドラマも,歌や芸能も,勿論,産業も,海外市場での戦いを国策として推進している事が大きく影響していると思う.国内市場だけでは発展出来ない,厳しい環境が韓国を振るい立たせているのだと思う.世界の国々が注目しているところである.

もうすぐ始まるオリンピックでも,韓国の金メダル数は飛びぬけて多くなると予想される.スポーツに国威の発揮と言う使命が負わされているからである.中国も同じ考えだと思う.従って選手は適正を厳しくチェックされた上で,英才教育が行われ,世界トップになった時のインセンティフも桁違いなのである.個人任せの日本とは大違いなのである.

韓国のゴルフは英才教育機関を充実する一方,大衆スポーツとして,ゴルフ人口の拡大とゴルフ場の開設を進めていると言う.日本とは歴史も,取り組み方も,大きく違うのである.

さらに違いを言えば,韓国のプロゴルファーは日本や米国が仕事場であって,先輩が後輩をささえながら,勢力を拡大している感じである.戦前,中国人はチャイナタウン,中華料理,韓国人はコリアンタウン,花屋,日本人は日本人街,洗濯屋,を起点に他国でのコミュニティを形成してきたが,今日でも,その文化が韓国に残っている感じである.

ゴルフスイングにも日韓の違いが男女ともに感じられる.日本は美しいフルスイングを目指しているように見えるが,韓国は身体をあまり動かさない,強いインナーマッスによる,コンパクトな(パンチショットの様な)スイングを心がけているように見える.どうも,その差が,ドライバーやアイアンの精度に表れていると感じるのである.

特に韓国の『アイアンの精度』は男女とも非常に高いと感じる.データを調べたわけではないが,『バーディチャンスの確率』(ワンピン以内に寄せる確率)が高く,これが『バーディの多さ』や『ボギーの少なさ』につながっているように思うのである.

まさに『パットが命』ではなく『アイアンが命』なのである.パットは近い程,有利であり,その為に『アイアンの精度』が大事になるのである.バーディを取るのも,ピンチを救うのも,『寄せワン』であり,それを実現するのが『アイアンの精度』なのである.

全盛時代のタイガーウッズは,ことごとく,バーディパットかタップインのパーであったとの印象が強い.苦しいパーセービングパットや,タップインのボギーを繰り返す選手とは次元が違うと感じたのである.

パーセービングパットが入らないと嘆く選手は『パットisマネー』とばかりに,パットの練習に余念が無いが,そんな選手に,タイガーなら,『ショットが問題だ』と言うはずである.タイガーの辞書には,『ショットisマネー』と書いてあるに違いないのである.

そんなわけで,日本の劣性は構造的な問題に起因する事が多いが,当面の策としては,『アイアンの精度向上に向けた練習』が不可欠だと思う.又,『パーオン率』や『バーディ数』で技量を評価するのではなく,『ワンピン・オン数』のデータを取って,アイアンの技量の向上を図るべきだと思うのである.

更に言えば,ボールの状況などに余り影響を受けない,強い打ち込みのアイアン・スイングを作り上げて欲しいと思う.その為に,ミドル・ショート・アイアンが磨り減るほの練習をして欲しのである.

そして,日本のプロゴルファーには是非,思い描いて欲しい事がある.

第2打がバックスピンでピンデッドに止まる,
グリーン周りを埋め尽くしたギャラリーから,地響きのようなどよめきが湧き上がる,

祝福の拍手に迎えられた選手は軽く手を挙げながら,ゆっくりとグリーン上がる,
難なくバーディを決め,何事も無かったように,パターをキャディに渡す,

これこそが,プレーヤー,ギャラリーが味わう,ゴルフの醍醐味だと言う事を.

自分の腕を棚に上げて,プロに不遜な事を申し上げたが,日本のプロが世界で活躍して欲しいからである.正直言って,日本のプロへの欲求不満のガス抜きもある.なにとぞ,ご容赦願いたい.

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2009.03.27

168 WBCで見えた事

WBCは日本の2連覇で終わった.ファインプレー,感動シーン,選手の不調,など一喜一憂に沸いた.日本中が釘付けになった.国民性の違いそのままに,米国流野球と日本流野球の違いもはっきりした.今回のWBCを通じて感じた事を記しておきたい.

①監督の役割

個々の試合での采配より,どんな戦い方をするかを定め,チームを編成する事の重要性を感じた.勿論,その戦略,選考理由は明らかにされていないが,全体の試合を通じて,やりたかった戦略が見えた感じである.単に選手の実力,実績,都合でチーム編成をしていなかった様に思う.従来のチーム編成とは大きな違いだったと思う.

②組織(チーム)の風土

一般に集団力を発揮させる時,縦風土と強力なリーダーシップでまとめ上げる事が多いが,今回は,フラットな人間関係の中で,個人に役割の発揮を求めつつ,相互に助け合う雰囲気が強く出ていたと思う.専門家集団ならではの組織風土を見た感じである.もちろん各選手のプライド,実力,そしてチーム戦略があっての事である.企業組織にも求められる組織風土だと思う.

③投球数制限ルール

今回初めて投球制限の元で試合が行われた.結果として面白いルールだと感じた.日本人では発想できない米国らしいルールである.MLBの理由は別として,短期決戦を特定投手の完投,連投で勝ち抜く高校野球の様な作戦は排除された,

このルールが①②にも影響を与えた部分もあったと思うが,皮肉にも,投手力が豊富な日本に有利に働いた感じもする.特定投手力が勝敗を左右する野球の特性を少なくし,投手の身体保護,チームプレーを促す点で,高校・大学野球にも取り入れるテーマだと思う.

④世代交代

試合内容だけではなく,使命・責任から解放された選手の生の声に本音と個性を感じ,感動的であったが,それらを通じて,指導者層の世代,組織風土などを含めて,長嶋監督,王監督,星野監督の時代から次の時代に移った感じもした.この変化は,他のスポーツ界,あるいは産業界にもある事だと思う.

次にスポーツ事業について触れたい,

⑤日韓の競い合い

近年,野球をはじめ,柔道,サッカー,スケート,ゴルフ,など韓国の活躍はめざましい.スポーツ人口の割りに強い選手を輩出できるのは国民性や英才教育にあるのかもしれない.学生,社会人,プロと機構が分断されている日本とは歴史・考え方が大きく違う.いづれにせよ日韓が競い合って,世界のスポーツ界をリードして行く事はすばらしいと思う.

一方で,ナショナリズムや国威の発揮の為に,スポーツが扱われると,未成熟な社会の証のようで違和感がある.スポーツにはノーサイドの精神と多様化の中の一つ,との位置付けが必要だと思う.

⑥国際的スポーツ事業と国内のスポーツ事業

WBCは世界の放映権市場戦略を進めているMLBが主催している.MLBを頂点として,その下で,国別対抗を盛り上げ,各国の優秀な選手を破格の年棒でMLBに入れ,各国への放映権ビジネスを展開する.これがMLBの世界戦略だと思う.LPGAなども世界の放映権ビジネスを展開しているが同じ戦略である.

このアメリカ流のスポーツ事業戦略はいかにも米国らしい戦略であり,米国の企業戦略そのものである.これに対し,国際あるいは地域機構が対立する最近の構図も同じである.

一方,世界的スポーツ事業が華やかになると,国内の試合の人気が落ちる.経済や技術のグローバル化で頭能が流出したり,国内産業が疲弊する現象に似ている.従って,国内のスポーツ事業は改めて成長戦略を立てなければならない.又,欧米との時差の関係から,日本としては東南アジア圏内での国際スポーツ事業を育てなければならないと思う.これも又,産業界と同じ用に思う.

それにしても,バスケット,ゴルフ等の米国の試合に比べ,国内の試合に興味が薄れて行くのは私だけだろうか.どうやら.視聴者は,一流の選手が出場している試合と'はらはら・どきどき'する強い刺激がないと,体が受け付けない体質になってしまったようである.国内のスポーツ事業は安閑とはしていられないのである.

⑦高齢化社会とスポーツのテレビ観戦

リタイアした人にとって,時間はたっぷりある.野球でもゴルフでも深夜・早朝,海外の試合を見る.国内であろうと国際的試合であろうと,常に興味のある試合が毎週あれば,高齢者の日常的な楽しみになる.高齢者にとって,スポーツ番組は本当にありがたいのである.

それ故,テレビ放送の多チャンネル化,国際化の中で.スポーツ番組は団塊の世代以降の高齢化社会にとって,大事な役割を果たすと思う.ますますスポーツ事業の重要性は高まる.

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2008.08.26

147 身長別競技種目の新設

オリンピックの役割の一つにスポーツ振興,競技人口の拡大,があると思うが,この趣旨に沿って,柔道,レスリング,ボクシング等の格闘技,あるいは重量上げ等に体重別を取り入れている.勿論,体重別にしないと試合が成り立たない事もある.

これと同じように,バレー,バスケット,ハンドボール,短距離走,幅跳び,高跳び,短距離競泳,などに身長別があっても良いのではないか,と思う.

上記競技は近年,競争激化の中で,鍛えあげた,背の高い選手ばかりになり,超人の戦いを見る面白さ,驚きはあるが,反面,競技人口の減少,参加国の固定化が進んでいるように思うのである.

体重はコントロールできるが身長は出来ない.上記競技は,背の低い選手が,いくら鍛えても,2メートルを超える俊敏な選手には勝てないのである.従って,無差別はあって良いが,180センチ以下,あるいは170センチ以下の選手で戦う試合があっても良いと思う.通常の身長者の超人振りも見たいものである.何よりも,競技人口の拡大や参加国の増加が期待できる.メダルを取る国も流動的になるはずである.まさにオリンピックの趣旨にかなうのである.

身長差が勝敗を左右する競技について,是非,各競技団体で身長別試合を考えて欲しいのである.特に小柄な人の多いアジアのスポーツ振興には必要だと思う.先ず,国内,アジアから導入してはどうだろうか.

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2008.08.18

146 オリンピック選手の出場交代がない不思議

誰をオリンピック選手にするか,きわめて難しい問題である.選ぶ方も,俗人的判断の割合が多ければ,結果次第ではその判断が非難される.最近,どの競技でも,選考対象試合を設定し,その上で総合判断されるようである.

今回の北京オリンピック女子マラソンで.怪我による野口選手の出場中止と土佐選手の途中放棄が発生した.いずれも突発的な怪我ではない様である.多くのファンは貴重なオリンピックの出場チャンスを生かすべく,’交代選手を出してやれよ’と思った筈である.

ラクビーで言えばノットリリースは反則である.選考後の選手の意識・状態管理や補欠選手の扱いは,どうなっていたのか,きわめて疑問である.

どんな選手も怪我持ちと言う事で,出る出ないは選手の意思に任せられているのだろうか.あるいは,試合日から逆算して,最終確認日を設定し,客観的に,選抜選手,補欠選手の状態チェックと出場選手の最終確認を行っているのだろうか.言い換えれば,補欠選手が準備を続けるか否かのチェックポイントを設定しているのだろうか.

例えば,チェックポイントが3ヶ月前に設定され,選抜選手の状態に問題がなければ,補欠選手の準備は終了する.その後,怪我や病気が発生すれば,選手交代をあきらめる.あるいは,懸念される事があって,選手交代可能日まで,様子を見るのなら,補欠選手を引き続きスタンバイさせる.勿論,補欠選手は任命期間中,選抜選手と同じ処遇をされる.

といった,リスクマネージメントがあったのだろうか.もしあれば,大事な試合を無駄にしなくて済んだのではないかと思う.土佐選手の場合は,本人の意思なのか,周りの意思なのか,わからないが,リスクマネージメントが作動していれば,こんな悲惨な事は避けられたと思うし,補欠選手の出場も可能だったと思う.

いや現実には,一度決めた選手はシガラミが出来て,選手交代など出来ない,よっぽどの事がない限り,突っ込むしかない,と言うことなのだろうか.そんなシガラミに,協会はかかわりたくない,一度決めた以上,後は選手に任せた,と言う事なのだろうか.

しかし,せっかくの大試合を有意義にする為にも,選考試合による出場選手,補欠選手の選定だけではなく.補欠選手の処遇とチェックポイントでの監督・コーチによる最終選考といったリスク対策が必要だと思うのだが.

どんな競技でも選考段階より,はるかに体調や実力が落ちている選手がいるはずである.減量,怪我,病気,調子,モチベーション,心理状態,など原因は多くあると思う.その中で,とても試合など出来ない状態になる事もあると思う.是非,上記のようなリスクマネージメントを実施し,直前の試合放棄,無理な出場による惨敗は避けるべきである.

これから,本格的に競技が始まる.女子マラソンと同じような事態が発生するかもしれない.出場選手のリスクマネージメントがどうなっているのか注力したいと思う.

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2008.08.10

145 北京五輪開会式の感想

国の威信を懸けた北京オリンピックが.8月8日開幕した.5月12日の数千万人の被災者,数万人の死亡者を出した四川省の大地震に際し,オリンピックの中止もしくは自粛した運営を願ったが(当ブログ139国威の発揮),悲惨な現実を覆い隠すように,国威発揮一点に集中した,全体主義国家ならではの,空前絶後のオリンピックオープニングショーが漆黒の夜空の中で繰り広げられた.

スケールの大きさに,度肝を抜かれたが,私なりの感想を述べたい.

①開会式アトラクションショー

運動会でもそうだが,開会式は,昼間行われ,参加各国の選手が一同に会し,開会の式典を行う事が原点であるが,最近では開会式が演出しやすい夜間に移り,開会式アトラクションに工夫を凝らす様になった.又,大会全体としては,オリンピックの巨大化,財政負担の増大から,五輪の商業化,既存施設の活用が主流となっている.

一方,今回は,国威発揮とばかりに,数兆円をかけた国家事業としてオリンピックが位置づけられ,開会式に於いても,国家による巨大なショーを繰り広げたのである.漆黒の夜空に9万人収容の鳥の巣スタジアムが煌々と浮かび上がり,そのスタジアムで照明,映像,花火,音響,を屈指したショーが繰り広げられた.

その内容は中国で発明された紙,印刷,羅針盤,火薬を歴史絵巻仕立てで表現し,中国5千年の歴史,中華人民の優秀さを鼓舞したのであった.近年にない異例な開会式となった.

テレビ画面からの印象であるが,何か古代王朝の力を鼓舞する,どこかで見たスペタクル映画のシーンを見ている感じであった.又,2000人規模の人海戦術による演出も民を下部とする古代王朝の姿を彷彿させた.

国威発揮などという中世的感性に違和感もあったが,たとえ中華人民を鼓舞したいとしても,未来へのメッセージがなく、ONE WORLD、ONE DREAM のテーマも浮いた感じがした.世界が注目していたのは,急速な経済成長と民主化問題を抱えた巨大国家中国の未来へのメッセージだったはずである. 

いかにも中国らしと言えばそれまでだが,次回のロンドンは国威発揮などと言わないと思うし,オリンピックの原点に回帰した,スポーツの祭典らしい開会式を期待したい.同時に,健全なスポーツ文化,スポーツスピリットの発展を願うのである.

②開会式アトラクションショーのテレビ放送のあり方

テレビを通じて映画を見ているようだと述べたが,こんな事が頭をよぎった.
アトラクションショー等を放送する時,例えば放送局が実況放送する様な場合と,ショーの製作者側が映像を作り,放送各社に配信する場合がある.今回は,何億人と見るテレビの映像であり,国威発揮のイベントであることから,当然,後者のはずだったと思う.

従って,シナリオ,カメラワーク,色彩,照明,すべてがテレビ映像作りの為に行われたはずである.有名な映画監督が指揮した事からも,この事が想像できる.現場のショーを作るだけでなく,テレビ映像を作ることが,製作者の最終的な仕事であったはずである.従って,現場にいた人とテレビを見ていた人では違ったものを見た事になる.

製作者側が映像を作るとなると,ショーの内容を非公開に出来るし,演出も計算通りになる.映像用のシナリオにもとずいて,効果的なカメラワーク,映像の挿入,映像の合成,CGの利用,など考えられる,アクシデント対策も,バックアップ映像を準備し,実時間よりタイムラグを持って放送すれば,例えば,花火がミスや天候で失敗しても,一瞬で正常な映像に差し替えられる.放送局の実況放送なら,失敗した花火を映す事になるが.

タイムラグを持った放送は,スポーツ番組などで,コマーシャルの効果的挿入などにも使えるし,ライブ放送であっても.映画のように映像合成やCG合成しながら演出効果を高めて,魅力的な映像を配信できる.この様な手法は今後増えるかもしれない.

ただリアル映像(実写)だと思っている視聴者をだます事になりかねない.多くのリアル映像も偽装された映像だと疑われる事になる.真実を伝える放送と演出された放送の区別が付きにくくなる.

製作者側の作った映像,放送局が意図を持って作った映像を報道のように放送することは,報道の信頼を失う事につながり,要注意である.今回の開会式ショーも実況放送なのか,演出をした放送なのか明示する必要がある.

従って,テレビ局は食品表示や映画・ドラマと同じように,番組作りの内容を明記する必要がある.番組によっては番組の趣旨を明示する必要もある.このオリンピック開会式ショーの放送で言えば,映像製作者は誰か,映像に実写・合成・CGが使っているか,タイムラグがあるか,などを明記する事になる.

今回のテレビ放送がどの様に行われたか知らないが,開会式のテレビを見て,以上の様な,日頃,懸念している事が頭をよぎったのである.テレビ関係者はどう思っているのだろうか.

③開会式の各国の入場

今回の開会式で一番良かったと思う事は,各国の入場である.昔のように,国威発揮とばかりに,一糸乱れぬ軍隊のような行進をする国がなかった事である.個性豊かに,数人の参加国から千人を超える国まで,200を超える国が,それぞれのスタイルで和気あいあいと行進していた.

そのせいもあって,これ程,世界の多くの国々の存在を認識できた瞬間はなかった.スポーツの祭典にふさわしい,入場であった.

皮肉にも,必至に国威発揮に向けて作り込んだショーとは裏腹に,ライブがかもし出す感動が漂っていたと思う.これこそ開会式のメインイベントであり,オリンピックの真髄だと思う.国威発揮ショーが長すぎて,200国を超える選手入場の途中で,テレビの前で眠った人も多かった思うが,もったいないと思った.又,選手達も,長時間,入場を待ち続けた事も配慮不足の感じがした.

蛇足ながら,エスコートの多くの女性陣が容姿端麗・八頭身美人揃いであった事も雰囲気に花を添えた.国の権力で全国の美人を集めたにせよ,この美人たちの方が,国威発揮ショーより,中国のイメージアップになった感じである.

④中国の民主化

国威発揮に国を挙げて,全力で取り組んだ反動が心配である.いかに装うとも,中国の本質的問題が解決するわけでもないし,問題を覆い隠した反動で,鬱積した問題が噴出するのではないかと懸念するのである.この本質的な問題について触れたい.

中国の本質的問題は,13億人の国の統治と,自由・平等の政治・経済・社会の仕組み,をどのように両立して行くのかである.

人口の多い中国は中央集権国家,全体主義国家でなければ13億人は統治できない,自由・平等など規制しないと国家の運営など,とても出来ないと思っているに違いない.戦後世界の近代政治の波も,共産主義という思想で統治する手法で消えた.文化大革命も時代の流れに逆行した.現在でも、愛国無罪、報道の自由より統治優先と聞く.威信をかけたオリンピックも報道規制があると言う.

自由・平等に対する統治者の恐怖心が思想や権力の統一を強め,結局,国家の近代化を阻害して来たと思う.近年の開放政策と経済成長,ネット社会の到来で,有史以来初めて,自由・平等への風穴が開き始めた感じはするが.

そんな中で,中国国民が世界の人々に触れるオリンピックが,新しい中国への脱皮,民主化の進展を加速すると思いたいのだが,残念ながら,そんなに簡単ではなさそうである.

経済が成長し,国民の生活も向上し,世界との交流も多くなり,民主化機運が高ったとしても,13億人相手の民主的政治制度作りは簡単ではない.

共和国としている現在の体制から,思い切って,国家の分割,あるいは分権国家にしなければ民主化は難しいと考えるからである.13億人は民主的政治体制にとって大き過ぎると思う.(1億の日本ですら中央集権に課題だらけ,2億の米国でも連邦国家である)

この問題に方向性を持たない限り,民主化機運は,行き場を失い,混乱を招くだけになる.混乱を防ぐ為に政治圧力がさらに強化される.結局,一党独裁の中央集権国家,全体主義国家から,ますます脱出できなくなる.せっかく始まった民主化機運も後退する事になる.

ましてや,現体制の素晴らしさをオリンピックが証明した事になれば,一党独裁の現体制は堅持される.こんな懸念を心配するのである.

以上の如く,オリンピック後のむなしさ,多くの鬱積した問題,上記の民主化の問題,さらに.四川省の大地震の惨状もある.北京オリンピックが政治・経済・文化にどのように影響するのか注目したい所である.かつての東京オリンピックは経済成長を,ソウルオリンピックは民主化を加速したのだが.

この様な事が交錯し,手放しで楽しめ,希望の持てる開会式でなかったのである.きっと,中国の賢明な指導者も同じ思いではないかと思う.

以上,国威発揮の為のオリンピック開会式であったと思うが,さて,このオリンピックが一党独裁国家の堅持に働くのか,崩壊に働くのか,オリンピック後の中国国民の民意に注目していきたい.

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2007.10.17

119 亀田騒動の根幹

世界タイトルマッチでの亀田選手のラフプレーに対し、非難が吹き荒れた.JBCも制裁に動いた.亀田ファミリーの日頃の威圧的な言動も、非難に拍車をかけた.以前より亀田ファミリーを題材にし、興行主化したテレビ局が、亀田サイドを煽って来た感じがする.亀田サイドもテレビの前で演技をしていたのだろうか.テレビ局と亀田サイドはどんな契約をしていたのだろうか.

既に当ブログで指摘しているが、視聴率至上主義のもとで、スポーツを伝える立場から、スポーツを題材にした番組を作る立場、興行主の立場、に踏み出したテレビ局の危うさが亀田興毅戦に引き続き、今回も露呈した.

ところで、ボクシングはショーなのかスポーツ競技なのか、もう一度はっきりする必要がある.ラフプレーはプロレスならこんな騒動にならない.プロレスなどは力道山以来、悪役を仕立てて、喧嘩のような演出と試合中の反則は、当たり前である.試合展開もテレビ放送時間に合わせて、シナリオがある感じである.それを知った上で、ファンは楽しんでいる.

テレビ局も亀田サイドもボクシングをプロレスの様なショーと認識し、前人気をあおり、振る舞いも演出し、タイトルマッチをしたのかもしれない.ファイトマネーより格段の出演料が出ていたかもしれない.

一方、日本人のプロボクシングに対する心情は特別なものがある.ボクシングを厳しいトレーニングをやった者が、ルールに基づいて、正々堂々と戦う、厳しくて崇高なスポーツだと思っている.ボクシングの歴史を見ても、多くの人生ドラマを生み、歴代の強者には品格もある.ファンは修行僧のように選手を見ている.ボクシングはプロレスと一線を画しているのである.

騒動の中で、マスコミは手のひらを返したように、亀田批判を繰り返している.亀田サイドからすれば、さんざん持ち上げておいて何だ、と思っているかもしれない.ファンも同じ感じだと思う.

テレビ局は批判をする前に、自らを検証し、自らの行動に対する所見を述べるべきである.他人に厳しく、自分に甘いテレビ局の体質は信頼失墜である.

いや、高視聴率を確保して大成功と思っているのだろうか.騒動はそれで又視聴率を稼げると、何度もおいしいと、大喜びなのだろうか.

いづれにしても、今回の騒動を通じて、ボクシングが厳格なスポーツ競技として再認識され、さらに発展して欲しいのである.又、興行収入以外にもスポーツ産業として開かれた事業にも取り組んで欲しいのである.テレビ局と組んで人気と収入を確保するにしても、ファンのボクシングに対する羨望を裏切ってはならない.厳しいさ、厳格さ、品格を売りにして欲しいと思う.この方が興行的にも持続する.

ボクシングがダーティなショーの方向に向かえば、ボクシング競技や選手の品格が失われて行く.今のテレビ局なら、この方が視聴率を稼げると思うかも知れない.ならば、批判などせず、自ら興行主になって、ラフエキサイテングな番組を作り続けたらよい.かくして崇高なスポーツが消滅して行く.

今後の推移に注目したい.

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2006.06.23

51 W杯で見えた事

サッカーワールドカップの試合を見るにつけ,組織と個人の関係,個人力の育成の仕方,試合展開の方針,親善試合やテストマッチのあり方,等について,色々考えさせられる事があった.

まず組織と個人の関係である.
役割り,動き方を決めた組織(フォーメーション)に個人を割り当てて,全体の戦力を高める考え方(組織サッカー,組織があって人がいる考え方)と個人技を生かす攻撃パターンを作って,それを組織がバックアップする考え方(人を生かす為に組織がある考え方)がある.選手の選抜,試合に,
二つの考え方が如実に現れる.

どちらの考え方に立つかは個人能力の高い人がどれくらいいるかによる.強いサッカーチームは高い個人能力を組織でバックアップする考え方を取っているようである.個人技が弱い場合は組織サッカーを取る事になる.

日本代表チームにおいては,ジーコ監督はブラジル流の個人技に期待したサッカーを目指すも,組織サッカーをせざるを得ない実力に困惑したと思う.

トルシェ前監督はヨーロッパ流の組織サッカーが日本に合っているとして,組織に合う個人を選び,チームを編成したように思う.

次に個人力についてである.
上記のサッカースタイル如何に関わらず,一対一の強さ,スルーパスやラストパスの精度,決定力など最後は個人力に大きく依存する.

日本チームで言えば,一対一の状態で積極的に自らシュートに持ち込もうとせず,苦し紛れのパスでチャンスをつぶす場面が多くあったように思う.技術,体力,精神力をどう高めるかの問題がクロージアップされたと思う.

体力は個人の肉体的成長期にあわせて鍛えた方が良い.技術は肉体の成長期前に身に着けておく方が良い.優秀な選手は子供の時にすでに高い技術を身に着け,自信につながっている様に思う.

全てのスポーツに共通する事であるが日本では必ずしもこのような育成が行なわれているとは思えないのである.掃除や玉拾いから始まるような,年功序列の練習等,昔の軍隊の風潮が色濃く残っている感じがする.

今後日本はチーム編成,戦い方,個人技,体力,を組み合わせて,どのように狩猟民族の闘争心,自立心と戦っていくか,興味のあるところである.

次に大事な事は試合展開の方針である.
試合の時間帯,試合状況によって,守るのか,攻めるのか,マークをどうするか,などチーム全体の方針,戦略をどのように考えるかの問題である.チーム間の実力の差があるとき,特にこの戦略が重要になる.

特に1ー0で勝っている時の試合が極めて重要である.オーストラリア戦で言えば同点にされたときの精神的肉体的ダメージと相手の気勢を考えれば,1-0後は守りの戦い方を指示すべきではなかったか.2-0にするのは理想だが,それに向かった結果,1-1で予想通り,自らのダメージと相手の気勢を高めてしまった.

願っても無い虎の子の1点を死守し,重苦しい試合になるが1-0で勝つ試合運びが弱者の戦い方の様に思う.実力のあるチームは一気に2-0にできるだろうが.1-0のハーフタイムで,ジーコ監督は’勝ってる時の戦い方をしろ’と指示したそうだが,指示が具体的であったかどうか.

次に国際親善試合(練習試合)の考え方の問題である.
オーストリア戦敗退の震源地はドイツとの国際親善試合にあったと思う.全力で必死に戦って,本戦以上の歴史に残る最高の試合をした.しかし何人かの主力選手の負傷者を作ってしまった.結果,万全の体制でオーストラリア戦に望めなかったのである.

本線前の国際親善試合の考え方がはっきりしていなかったと思う.先発メンバーを選ぶ為なのか,戦術を試す為なのか,試合に慣れる為なのか,勢いを付ける為に勝ちに行くのか,勝ちにこだわらないのか,目的をはっきりさせる必要があったと思う.

いずれにせよ本戦前に必死の戦いをする事は得策ではない感じがする.ドイツの本戦での活躍を見るにつけ,未熟さ,余裕の無さを感じる.マスコミもサポーターも解説者も,ただ盛り上がれば良いだけのレベルから脱しなければならない.

ところで,決勝トーナメントはサプライズは無く,順当に実力チームが出揃うはずである.組織サッカーか個人技サッカーか,攻めか守りか,基礎体力の強さ,運動量の緩急のつけ方,などじっくり激戦を見届けたい.

このように,サッカーは会社経営に多くの示唆を与えてくれる.会社とサッカーチームを単純に比較できないが,組織の方針,編成,戦い方,人の育成,生かし方,など,経営の基本に通じるヒントが多いのある.

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