随想

2009.06.21

175 死の判定と臓器移植

死の判定と臓器移植について,浅学ではあるが,自分なりに考えてみた.

先日,子供を除いて,脳死を死として臓器移植を可能とする現行法から,本人の意思表示が難しい子供も一定条件で可能とする臓器移植法改定案が衆議院を通過した.

子供の海外での移植をなくしたい為である.ところで,臓器移植法は,臓器提供前提なら脳死を死と認め,そうでなければ,脳死状態は死ではない(心配停止で死とする),と言う事で死生観上の問題が古くから議論されている.

ところで脳死を死とした時,どの段階で死亡診断書を書くのだろうか.常識的には,脳死の判定後,臓器摘出手術前になるのだと思うが.理屈の上では,短い時間であっても,心肺は停止していない状態で死亡診断書が発行される事になる.あるいは,脳死判定は犯罪を回避する為に必要であって,死亡診断書は心肺停止を持って発行されるのだろうか.

これらの法案の背景に,移植によって多くの命を守りたいとの切実な願いがある.それゆえに,臓器提供を増やす為に,脳死を死とした考えが出てきたのだと思われる.現実は法律を作っても,欧米と違って,脳死で臓器提供は極めて少ないと言う.

この様に,臓器移植法によれば,死の定義が二つ存在する事になり,その選択は苦渋の判断になる又,心肺停止を死と思っている人からすれば,臓器提供に限って脳死を死と認める事は,積極的安楽死を選んだとの苦悩が付きまとうのである.

一方,あくまでも,人の死を心肺停止と思う人にとって,脳死状態からの臓器提供に限って尊厳死(積極的安楽死)を認めれば良いとの考え方も,論理としてはある.脳死を死とする事と尊厳死を認める事は医療行為は同じだからである.唯,尊厳死が認められれば,法律的に死の定義を心肺停止一つに出来る.但し今度は尊厳死を選ぶかどうかの苦悩が付きまとう事になる.

勿論,苦痛からくる尊厳死や安楽死と同じように,尊厳死は絶対許せないと言う根強い意見もある.この議論に発展させない為に,脳死は死としても良いとの法律が出来たのかも知れない.

はたして,臓器移植に限って脳死を死とする考え方と,心肺停止を死とするが,脳死状態からの臓器提供に限って尊厳死を認める考え方と,どちらが問題が少ないのだろうか.

もう一度整理すると,医学的にはよく分からないが,脳死状態,死亡診断書,摘出手術と心肺停止,となるか,脳死状態,尊厳死,心肺停止,死亡診断書,摘出手術となるのか,である.

臓器提供を許容した時,脳死状態者側も医者側も,尊厳死を決断するより,脳死は死と法律で決めてくれた方が,割り切りができると,なるのか,尊厳死の価値感が変わり,尊厳死への抵抗が低くなり,これを選ぶ様になるのか.あるいは心肺停止という自然死の後でなければ臓器提供は考えられないのか,

これらの問題は常に個人差が出る問題である.ならば,法律で一律に決める問題ではないのかもしれない.いや,いろいろな考え方に対応できる様にする事が法律の役割だとすべきなのか,

いずれにせよ,臓器を提供して他の命を救うという倫理感,死生観の普及がない限り,臓器移植法はむなしい議論になるし,適格な法律もできない感じがする.

そんな思いで,参議院での審議の行方を注目したい.

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2009.06.16

174 スロージョギング 

先日,NHK「ためしてガッテン」でスロージョギングが紹介された.

運動不足,走ることは苦手,生活習慣病,メタボの標本の様な体,なのに,食欲旺盛で飯は旨く,元気だと,さして気にしていない自分にとって,惹きつけられる内容であった.自分なりに理解した内容は次の通りである.

スロージョギングとは`疲労しない(乳酸値が高くならない)ジョギング’であり,長時間走り続けられ,運動量も毛細血管も増えると言う.

そもそも動物の筋肉には持続力を司る赤い筋肉と瞬発力を司る白い筋肉があると言う.マグロのように止まる事のない回遊魚等は赤身(赤い筋肉)で持続力を,普段は動かず,獲物を取る時のみすばやく動く,ひらめ等は白身(白い筋肉)で瞬発力を,発揮している.

人間はこの両方の筋肉を持っていると言う.,赤い筋肉(遅筋)は歩くなどの日常の動作に,白い筋肉(速筋)は緊急事の動作に使われるのだと言う.但しこの白い筋肉は使い続けると,乳酸値が急速に高くなり,そのうち動けなくなる筋肉である.

走る動作で言えば,息が上がり,疲労困憊で足が動かなくなる状態は,白い筋肉の瞬発力を使って,早く走ろうとした結果,乳酸がたまり,心臓も追いつかなくなるからである.

そこでスロージョギングとは,白い筋肉(瞬発力)を使わない,赤い筋肉(持続力)だけで走る方法と言う事になる.乳酸値も2以下を保ち,余り疲労感も感じられない走りである.勿論,赤い筋肉の強さで,スピードに個人差が出るが,初心者なら,歩く程度のスピードである.ただし,スロージョギングのエネルギー消費量は5割ほど歩くより高いのだそうだ.従って,スロージョギングは疲れず,長時間続けられて,運動量が多い,という事になる.

実際,毎日30分程度続けた結果,血糖値,血圧,コレステロール,などが下がり,メタボも解消したと言う.更に,赤い筋肉が強くなり,フルマラソンを完走した人も番組で紹介されていた.

マラソン選手はきっと赤い筋肉で30キロを走り,残り10キロは白い筋肉をフル動員するのではないか.一流選手の完走した後の驚異的な回復力には驚かされる.

たしか,マラソン選手,シンクロの選手,ボクシングもそうであるが,,持続力を高めるために,外から見えない内筋(赤い筋肉)を鍛えていると言う.逆にウエイトリフテングや短距離走の選手は瞬発力が勝負であり,筋骨隆々の外筋を作っている.このことからも,2種類の筋肉がある事がわかる.

さて,早速,今回のNHKの番組を実証したくなり,スロージョギングに挑戦してみた.まず,自分の疲労感を感じない程度のスピードはどれくらいか模索してみた.その結果,歩くより少し早い程度のスピードであった.これで,なんと,10分,20分,と走り続けられたのである.大した疲労感もなく,これが白い筋肉を使わない走りだと確認できた.次は30分に挑戦しようと思っている.

どうやら,スロージョギングの大事な事は,走る距離ではなく,スピードではなく,走っている時間の長さである.当然,歩くより,運動量も多い.但し,あまりのノロさで,見た目はカッコ悪い.だからと言って,格好をつけてスピードを上げたりすると,たちどころに息が切れてしまう.マイペースで黙々と走る精神的な持続力も必要だと実感した.

さて,このスロージョギングから連想する事は,スローライフである.どちらも,持続力だけで生活する,瞬発力はほとんど使わない行動を言うのではないかと,改めて感じる.勿論,この持続力には,経済力も関係するが,環境,価値観,生き様,信念,生活スタイル,人間関係,そして健康などが必要になる.特に第二の人生には不可欠だと思うのである.

また,経済危機は苦しさを招くが,加熱した経済を冷やし,持続力に立ち帰れ,持続力を鍛えろ,と見えざる手が社会に言っている様にも感じるのである.危機は持続力の弱点を露呈させる.その弱点を日頃においても,危機においても,察知し,改善して行く事が政治や企業の仕事である.多額の借金までして,瞬発力で対処療法するだけでは,いつか,財政赤字という乳酸がたまり,息詰まるのである.

企業における持続力は顧客資産,ブランド資産,知的資産,の簿外資産で決まる.従って,この3つの資産を増強する事が経営である.この持続力の上に売上げや利益,あるいは瞬発力が乗っかっているのである.

これらの簿外資産に評価項目を設定し,毎年,評価・改善していく事が成長に必要である.決して売上,利益,従業員数などの推移だけで企業の成長を判断できないのである.数字の膨張と成長は意味が違うのである.

スロージョギングは脳も活性化すると言う.ボケ防止にも利きそうだ.そこで,社会や生活にとって,持続力とは何か,持続力を強くする方法とは何か,それとも,やっぱり,瞬発力で必死に頑張るしかないのか,走りながらゆっくり,考えてみたい.

どうやら,スロージョギングタイムは優雅な,Thinking timeにもなりそうである.持続力による生活作りは,スロージョギングから始まった感じである.

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2008.11.26

158 言語へのこだわり

そもそも,言葉は暗黙知(経験,知識,概念など)が共有されている時,伝わりやすい.’言葉は文化.’と言われる由縁である.

日本の場合,これらを多くの人で共有し,情緒の文化,思いやりの文化,行間で物を言う文化,阿吽の呼吸,等,日本独特の文化を育ててきたのである.’古池や蛙飛び込む水の音’で静寂な世界を,誰しもが想像できる.欧米人なら,蛙が複数形なら,きっとガチャガチャ賑やかな蛙を想像する.単数形なら,ポチャンで終わるだけである.いずれも,さしたる情感も感じないはずである.

この様に暗黙知は伝える上で便利だが,’言葉は文化’だからと言って,それを前提にし過ぎると,問題が起こる.いくつか上げてみた.

①暗黙知が実態と遊離している問題.

例えば,社外取締役,社外監査役などと’社外’と言う言葉を無意識に使うが,’社外’には他人・よそ者だから客観性があるとの暗黙知があるからである.この暗黙知は内と外を分ける農耕民族の文化,村社会文化,血統主義の文化からきている暗黙知である.

ところが,暗黙知を共有していない人,例えば外国人,にとっては’社外’は言語明瞭意味不明である.’社外’だからと言って,なぜ客観性があると言えるのか理解できないし,現実的にも,利害関係があるかも知れないのである.

そこで改めて,本来の意図を表す言葉を考えると,’社外’より’独立’がふさわしい言葉になる.ちなみに日本ではoutside director,であるが,多民族を前提にした(暗黙知を前提にしない)言い方,例えば,英語ではindependent directorなのである.

形で意味を想像する事が日本語には多い感じがする.これからは,直接意味を表す言葉を使う方が良いと思う.翻訳し安いかどうか,チェックする事も,正しく伝える為には必要だと思う.

他に’外資系企業’,’外人’,等も,よくよく考えてみると,現代では意味不明の言葉になる.’外資’の定義も資本の自由化やファンドの発達で,定義困難である.筆頭株主の国で区別するなら,トヨタやソニーは外資系企業になる.’外人’を国籍で言うのもおかしい.日本国籍の外人はいる.なんとなく,西洋人を指すようである.東洋人を外人とはあまり思わないところがある.

こんな曖昧な言葉でも,日本人同士では,とりわけ違和感を感じない.しかし,これに係わる法律や政策などで,論理を組み立てようとした時,その概念の曖昧さに気づき,改めて定義と妥当する言葉が議論されるのである.

枚挙にいとまがないが,次のような言葉も,日常,使う言葉であるが,そのイメージや意味が,時代によって,曖昧になってきていると思う.

コンサート,演奏会,ライブショー,ミュージシャン,音楽家,アーチスト,芸術家,芸能人,旅行,旅,ツアー,トラベル,エコノミスト,経済学者,政治家,議員,マスコミ,ジャーナリスト,放送,放送事業,専守防衛,集団的自衛,等.

この様に,論理より日本的情緒や当時の理解で概念化された言葉は,ボーダレス化や多様化によって,その概念が現実とかけ離れ,言語明瞭意味不明になってしまうのである.

②無意識に暗黙知が共有されていると思う問題

昔,IBMマニュアルは全世界に普及していた.当然のことながら,中学生程度の英語力で,かつ,暗黙知が共有されていない前提で,言葉,文章が作られていた.

日本では,無意識に暗黙知が共有されていると思いやすく,相手を配慮した伝え方を忘れがちになる.これも弊害である.島国文化の宿命だろうか.

一方,日本人が,日本語で話すより英語で話す方が論旨がはっきりする事が多い.英語を話す娘が日本語で話す時より,はっきりして,たくましく感じたりする.日本語でも通訳を通して話す場合,正しく翻訳されるように論旨をはっきり言わざるを得なくなり,相当の準備が必要になる.

無意識に暗黙知の前提や情緒的な表現が多い日本語で正確な表現をする時,その内容が翻訳し易いか,いなか,を自問し,推敲する事で,思考力も表現内容も正確になるはずである.’社外’の例と同じである.

③日本人らしく,感情優先で分かり合える問題

そこまで言うな,気持ちはわかる,と相手の立場や感情を優先して,曖昧な表現にとどまる事がある,暗黙知・相互信頼の共有が根底にある.これになれると,立論力やコミュニケーション力が発達しない懸念がある.デベート力が弱いのはこのせいではないかと思う.

曖昧さや,玉虫色の表現は時として,激突を避けたり,逃げ道を作ったりする人間の知恵(曖昧の合理性)である.企業で言えば早く,穏便に,契約を結びたい,とややこしい事は別途協議にする事が多い.その分,本質的な問題が議論されずに曖昧のまま爆弾を抱える事になりやすい,

当ブログの’029 1頁と100頁の契約書’でも述べているが,1頁の契約書では,’双方に疑義が生じた時,誠意をもって対応する’で仕事が始まる.100頁の契約書は仕事の内容,想定される疑義の内容・対応,が同意されて,仕事が始まる.

前者は日本であるが,経験知識や信頼を前提にしたり,ややこしいことは発生した時,考える,との玉虫色の契約書である.もちろん,こんな契約文化は海外では通用しない.

さすがに日本でも,玉虫色にするにしても,せめて’誠意をもって対応’とは,どんな内容かを考え,明文化するケースが多くなってきた.今までの感情論から一歩論理に踏み出したのである.

又,サービス業などの企業間取引では,SLA(サービスレベルアグリーメント)という合意が事前になされるようになってきた.支援内容や品質及びトラブル時の対応などを事前に合意する契約である.

明らかに’誠意をもって取り組みます’では通用しない時代,むしろ,明文化によって,経営や業務の仕組みを確立し,人材を育成し,正当な対価を得て,企業力を高める方向に動き始めたのである.感情論だけでは企業力は向上しない例である.

④暗黙知が無いのに,あるように言う問題

このケースは政治家や役人の言い方や政策,あるいは,外来の概念でよく見受ける.意図的に言う場合が多いと思うが,聞く方は言語明瞭意味不明である.政治家や役人が使う言葉は内部では暗黙知があって,明確に伝わるらしいが,国民にとっては暗黙知などはなく,意味不明な事が多い.

例えば,良く使う,前向きに検討する,考えたい,善処したい,等は何もしないとの暗黙知があるらしい.最近の例で言えば,1兆円を地方財源に,道路特定財源の一般財源化,定額給付金,景気対策,など,意味や論理が不明である.

言う方は意味を知った上で,玉虫色の表現をしているのだろうが,本当は意味もわからず言っている事もある.それはどういう事かと注意深く聞く必要がある.

又,外来概念あるいは新しい概念は勿論,暗黙知などはなく,後付で意味や概念が作られる事が多いが,受け売りで,既に暗黙知がある如くに話す人もいる.聞く側が自分なりに理解し,判断する事が大事である.

以上,’言語は文化’に違いないが,正確に伝えるには’言語は論理’である事を,もっと強く意識する必要があると述べてきた.特に論理性が求められる法律や政策はもちろんである.言葉の表現にはもちろん限界があるが,だからといって正確に伝える努力を怠ってはならないと思う.

ちなみに,論理を追求する業務システム設計では,受注とは,受注取り消しとは,受注変更とは,売上とは,値引きとは,原価とは,在庫とは,などなど,企業毎に,言葉の事象を再定義するところから始まる.言葉が表す事象が企業毎に,あるいは企業内でも,結構曖昧だからである.かつて,百貨店の売上の定義で大論争になったケースもある.

まさにシステム設計は’言葉は文化’から’言葉は論理’に再定義する作業であり,これなしに,システムは出来ないのである.論理思考力を高め為にも,言葉には,こだわりたいものである.

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2008.11.24

157 古都の紅葉

京都は今,赤.橙,黄.の紅葉に彩られている.錦秋の古都,まっさかりである.

紅葉は光合成の終わった葉から緑色の色素がなくなって,赤や黄の色素が現れる.葉の紅葉は,温度,湿度,紫外線と関係すると言う.

京都は紅葉に適した気候と多くの神社仏閣にモミジがある事で古くから紅葉の名所になった.京都のお寺にモミジが多いのは,平安時代,一瞬の爛漫の桜より,新緑,紅葉が美しく,静寂さをかもしだす,いろはモミジを好んだからだと言う.

一方,桜は全国各地の河川改修の時,堤防に植えられた.成長が早いからだと言う.今や樹齢を重ねた数キロ続く桜堤が全国に春を告げている.中でも,桜と菜の花が,いっせいに咲き乱れる雪国は春爛漫真っ盛りに成る.雪国の草花も,春野菜も,山菜も,里山の若葉も厳冬を乗り越えた勢いがあって美しい.春を待つ人々の心も,いっせいに,ほころぶ.雪国は晩秋の紅葉より春爛漫がふさわしい.

桜と違って,紅葉は微妙な環境の違いで,その美しさが違ってくる.2,30年前と比べて,京都や奈良の紅葉は美しさがなくなってきた,と言う人が多い.確かに実感することである.温暖化のせいなのだろうか.しかし,毎年紅葉を見ていると,場所によって,変化の度合が違う.

例えば,奈良の紅葉の名所の一つである水谷茶屋(若草山遊歩道の入口にある藁ぶきの茶店を囲むモミジ)の紅葉は年々,南側の大木の葉が生い茂り,モミジに太陽があたりにくくなっている.日陰になったモミジは緑色の葉をつけ続け,太陽の当っている枝先の葉だけが紅葉しているのである.これでは,昔のような,あたり一面の見事な紅葉は望めない.

同じような事が名所で起っているのではないか.紅葉がまばらになるのは,温暖化の影響より,他の木々の成長で日陰になったせいではないのかと思う.もし温暖化の影響なら,全体が影響を受けるはずである.剪定に手が回らないだけの様に思われる.

さて京都の紅葉は盆地を囲むように,東山一帯,西の嵐山・嵯峨野一帯,そして北の大原一帯に分布している.東山でいえば東福寺から北に清水寺,高台寺,円山公園,知恩院,青連院,さらに岡崎に入って南禅寺,永観堂,哲学の道,銀閣寺などがつながる.

西は嵐山の天竜寺,宝厳院,嵯峨野の常寂光寺,二尊院,祇王寺,大覚寺さらに北の清滝,高尾,神護寺などがある.北大路通りの西の衣笠一帯には竜安寺,仁和寺,金閣寺,南に下った花園に妙心寺等もある.

京都の紅葉を楽しむには午前中は朝日が差し込む嵐山・嵯峨野,午後は夕日が当たる東山一帯が良い.夜のライトアップも幻想的である.

今でこそ,京都は紅葉のみならず,歴史,宗教,神社仏閣,建築,美術骨董,庭園,植物,町家,食,織のテーマパークであるが,明治の東京への遷都で,京都は一時荒廃した.

京都御所生まれの明治天皇も憂いたと言う.公家の岩倉具視の働きもあって,公家の跡地に御苑を作り,平安神宮を作り,琵琶湖疎水を作り,発電所を作り,電車を走らせ,京都博覧会を開催するなど,産業や観光の振興が行われたのである.何よりも,3000ある神社仏閣が残り,維持してきた事が今日の京都につながっているのである.

湯豆腐,鱧,京野菜,京料理などの京都商法(歴史も,調度品も,器も,庭園も,雰囲気も,値段のうち)がどこまで通用するか疑問であるが,山の紅葉とは違って,文化の香りを残す京都の紅葉を楽しみながら,歴史に触れられるのも京都の楽しさである.

ところで,最近,京都・奈良を団体でおとづれる中国人,韓国人が多い.ふるさとの香りが自国より,色濃く残っているせいだろうか.だとしたら,中国,韓国,日本の3カ国会議は飛鳥や東大寺で行えばよい.難問も解けて行くかもしれない.

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2008.05.31

141 哲学の道・琵琶湖疎水

京都岡崎から南禅寺,永観堂,哲学の道,界隈を散策しながら,琵琶湖疎水に思いをめぐらしてみた.

琵琶湖の水が流出する川は唯一,湖南端にある瀬田川である.瀬田川は宇治川となり,山崎の地で木津川,桂川と合流し淀川となり,大阪に流れる.

宇治川が京都に接近した所に伏見がある.京都と大阪を結ぶ地として,秀吉が直江兼継(上杉藩)らに命じて,伏見城,大名屋敷,城下町を建立した.秀吉は間もなく,この伏見城で亡くなるが伏見は水運の港として,酒造などの商業都市として発展した.幕末,竜馬が襲われた寺田屋は,この伏見港にある.伏見は幕末の内乱で時々登場した所である.

一方,日本の動脈,東海道は,大津から東山を超えて三条に至る大津街道が難所である.京都は東・西・北を山で囲まれた内陸部の盆地で四神思想に適した地形ではあったが,交通の便は決して良くなかったのである.飛鳥,藤原,奈良,京都と続いた内陸部の都の特徴である.平清盛が海洋国家を目指した事もうなずけるのである.

明治維新で,この交通の不便さと遷都によって,京都は衰退すると心配した人によって,琵琶湖疎水による京都活性化構想が持ち上がった.そして,官・民・宗の出資によって,明治中期,大難工事の末,琵琶湖の水を大津から山科経由で三条に引き込む水路が完成したのである.かくて琵琶湖の水の流出口は二つになった事になる.

この疎水計画は遷都後の京都の活性化を図る為に三つの目的を掲げた.

①京都の飲料水の確保
②水運ルートによる大津街道の輸送力向上
③水力発電の導入と路面電車の運行

である.又,山間部に水路を作るという土木技術の革新の側面もあったようである.

ここで改めて琵琶湖疎水の目的を考えてみた.

まず①の飲料水の確保であるが,そもそも鴨川,桂川,白川,豊富な地下水があり,その必要性に疑問が残る.これに対し,水量が極めて不安定だとする説が一般的である.

一方,京都の長い歴史で,たびたび起こる疫病の原因が水にあると思われていた節がある.この事が疎水を必要とした本当の理由ではないか.人口や墓が多かったせいだろうか,そこで飲料水を琵琶湖に求めたのではないか.公家の葵祭りや庶民の祇園祭りは,厄除けの祭りであり,疫病は古来より,京都の大問題だったのである.

現在でも北大路の北,高野川に近い松ヶ崎浄水場に琵琶湖の水が引き込まれ,飲料水として使われている.まさに,わが国の水道事業が京都から始まったのである.現在も琵琶湖は京都の水ガメにもなっているのである.

ところで,哲学の道を流れる水路は当時の名残である.又,南禅寺,平安神宮等東山の多くの庭園の池にも疎水が使われている.琵琶湖で絶滅した魚が庭園の池で今も生息しているという.

この哲学の道の疎水は不思議な事に,北に向かって銀閣寺方面へ,ゆっくり流れている.賀茂川や白川の流れとは逆である.ここにも,当時の土木事業の精度の高さを感じるのである.

次ぎに②は京都の中心三条につながる大津街道の水運による輸送力の向上,伏見に至る水運ルートの確立であった.大津・京都・大阪を水運で結ぶ計画である.元来,大津街道は北陸,東海,滋賀と京都を結ぶ重要な街道であり,特に北陸の海の幸が琵琶湖を通って京都に入っていたのではないかと思われる.

しかし,大津街道の水運は東海道鉄道線の発達で,長く続かなかった.ただ,インクライン(水路のトンネル部で船を陸で運ぶ路線)等,水運の開発経験は,運河の技術として残ったと思う.

③の水力発電であるが,何も疎水でなくても,他の河川で可能だったと思うが,多目的利水の方法として計画されたと思う.京都博覧会を目指した計画であったかもしれない.いずれにせよ,発電技術の輸入,電力事業者や市電事業者の誕生等,京都及び日本の近代化に先駆的に取り組んだ事業になったのである.

このように,日本の近代化,日本の土木技術の革新に琵琶湖疎水事業が大きく貢献したと思う.これもまた,明治時代の功績である.琵琶湖疎水を指揮した設計技師・田辺朔朗はその後,多くの人材を育成したという.

そして,明治後期以降の全国の鉄道建設事業,新潟の大河津分水事業,上越線の清水トンネル事業,全国の治水・利水・土地改良事業,ダム建設事業等,日本の大事業に琵琶湖疏水の経験・技術が波及して行ったと思われるのである.

桜並木のトンネルをゆっくり流れる疎水に目をやりながら,琵琶湖疎水と我が国の近代化,国土開発の歴史に思いをはせたのである.私なりの哲学の道であった.

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2008.05.16

139 国威の発揮場面

5月2日,ミヤンマーの巨大なサイクロン,5月12日,中国四川省の大地震によって,未曽有の自然災害が連続して発生した.それぞれの被害規模は日増しに明らかになってきているが,四川では10万人規模の死亡,千万人規模の被災者,千の学校・数百万規模の家屋倒壊,道路・病院などの社会インフラの全滅,ミヤンマーでも様相が見えてこないが,10万人規模の死亡,が予想される.日本では想像もできない規模である.

数千万人の国が丸ごと被災地になったようなものである.もう立ち上がれない程の絶望感と悲惨な惨状,悲劇が全世界を震撼させた.

ちなみに記憶にある近年の災害は,1964年(東京オリンピックの年)の新潟地震は死者26人,1976年の中国唐山地震は死者24万人(文化大革命中で実態不明),1993年北海道南西沖地震・津波は死者230名,1995年の阪神淡路大地震は死者6434人,2004年の新潟中越地震は死者68人,2004年から2007年のスマトラ沖大地震・津波は20万人規模の死亡,などである.

今回のミヤンマー,中国の災害によって,防疫問題,被災者の救済問題,社会インフラ・住宅等の復興問題,生活物資・食糧問題など,苦難な道が待ち構えている.自然の脅威を改めて人類に示す事態となったのである.被災国はもちろん,世界が力を出し合って,この惨事に立ち向かう必要がある.

一方,中国は3ヶ月後に北京オリンピックを控えている.国威発揮の一大イベントとして,中国は取り組んできた.中国の経済発展も牽引して来た.世界の経済もこれに連動して来た.今回の巨大災害によって,中国は難しい局面を迎えたと思う.ミヤンマーも新たな憲法が国民投票によって決められる直前であった.

私の頭をかすめる事は,オリンピックの中止,もしくは,やるとしても運営の変更である.中国が言いづらければ,IOCが助言してもよい.多数の選手団を送り込む国も考える必要がある.巨大な選手村も見直す必要がある.海外からの観戦者も同様である.

あるいは,何も無かった様に,オリンピックに熱狂するのだろうか.オリンピック後中国は'つわものどもの夢の後’になるのだろうか.

緊急を要する災害復旧に全力をつくす事が真の国威発揮ではないか.オリンピックで国威を発揮する事より大事ではないか.災害を乗り越えてオリンピックを,と言うほど災害は小さくない.むしろ,この中止の英断が中国に対する世界の評価を高くするのではないか,中国の国民はどのように思っているのだろうか,ミヤンマーも軍事政権が世界から非難されている中で,諸外国の協力も得ながら,災害復旧に国威を発揮すべきではないか,と思うのである.

歴史的には,どの国もナショナリズムと連動して,国威発揮に努めてきた.軍事による国威発揮は現在でもある.オリンピックの開催国も参加国のメダル争いも国威発揮の場になっている.日本の歴史にも飛鳥・奈良時代の唐の脅威に対する都や仏閣の建立,明治維新の鹿鳴館外交,富国強兵,たび重ねた戦争,東京オリンピックなどがあった.

過去に災害復旧は内向きに処理する事はあっても,陽に国威を発揮する場になる事はなかったと思うが,地球環境問題がクローズアップしている現在,自然災害対策や災害復旧が,もっともふさわしい国威の発揮の場になるのではないかと思う.

さらに,安全保障のテーマが軍事問題から自然環境問題に,軍事費が自然環境費に,軍事産業が自然環境産業に,軍事の集団安全保障が自然の集団安全保障に,シフトすれば,人類にとって極めて有益な活動になる.

特に,自然には国境がなく,近隣諸国同士での自然の安全保障体制作りは地球温暖化対策を含めて大事だと思う.自然情報・予報情報の共有,防災技術・対策の共有,生活物資の確保,災害復旧部隊の編成,などいくらでもテーマがある.

洞爺湖サミットで温暖化ガス削減目標や削減の仕組みの議論の前に,’人類の平和の為に軍事対策から自然災害対策へ’と日本が世界に発信してもよい.今回の大災害の人類へのシグナルを見逃してはならない.

自然の脅威を前にすれば,人為的な戦争,軍事防衛などで争っている場合ではないと誰でもが実感する.どの国も,自然の脅威と軍事の脅威に対応出来るほど財力はない.これはこれ,あれはあれ,とさばけるものではない.

今回の巨大な自然災害がきっかけとなって,人間同士の争いが,いかにむなしい事で無駄であるかを実感すれば,人類にとって不幸中の幸いになると思うのだが.

こんな思いから,国威発揮の転換,国際政治の転換,北京オリンピックが中止されたら,世界の賛同が得られると思う.人類にとって意義深いオリンピックイヤー,洞爺湖サミットになる.

自然災害は忘れたころにやってくる,ではなく,災害,復旧の大きさから,被災者は忘れる事はできないし,地球規模で見れば,常に自然災害が発生し,頻度も増えている感じがする.文明の発達とともにリスクも被害も復旧も大きくなる.人類の大きな宿命である.

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2008.04.12

135 供述調書引用本問題

報道・出版・表現あるいは言論,宗教等の自由は人間にとって極めて重要な権利であり,そのもとで行われる営利活動も自由な社会を作る社会的機能を担っているのだと思う.一方,この自由な権利がプライバシー,風評,公序良俗,著作物等に被害ををもたらしてはならない事は自明である.

奈良県の医師宅放火事件で逮捕された少年の供述調書を引用した本の出版をめぐり,調書を漏洩した精神科医が秘密漏示罪で逮捕・起訴された.一方,嫌疑不十分で不起訴となった出版社,著者について,出版社は第三者委員会を発足し,取材や出版の経緯について調査報告書を発表した.

新聞報道によれば,発表内容は,秘密漏示罪,無断引用,プライバシー,取材源隠匿,の意識が薄く,営業優先で出版倫理の重大な瑕疵があったと批判した.

小生の感想としては,言論界の割に言葉使いが間違っていると思う.これは,瑕疵ではなく,出版倫理ではなく意識が薄いのではなく,犯罪を覚悟して出版したと言うべきである.身内意識があるのか,嫌疑不十分で不起訴になっているからか,甘すぎる指摘の様に感じる.

供述調書を引用すれば,取材源は簡単に特定するし,供述調書は秘密書類であることは自明である.無断引用やプライバシー侵害も出版業界の人なら,一番気にする事である.決して,意識の薄さや瑕疵の問題ではない.罪を犯す覚悟がなければ,本は出来ないのである.それ程までして,本を出したかったのではないか.

出版の自由を盾にすれば,不問に出来る,営業優先に出来ると,マスコミ特有の体質,特権意識,おごり,が働いていた可能性もある.第三者委員会は自浄努力のアリバイ作りだった感じもする.素人でも感じる疑義を言論の専門家は誤魔化してはならない.専門家ほど恣意的に動いてはならない.

そもそも,検察が出版社・著者を嫌疑不十分としたのは不可解である.報道・出版の内容が違法に取得した物であっても,出版社は善意の第三者として出版出来るのだろうか.秘密内容を無断で写真に撮り,本を書いた著者に秘密情報の窃盗,無断引用,著作権侵害,プライバシー侵害などの罪はないのだろうか.

取材側がよく言う取材源隠匿の厳守は,取材源の保護だけではなく,違法取得を隠す為なのだろうか.取材源に秘密漏示罪が確定しても,出版社が嫌疑不十分であれば,本は流通し続けるのだろうか.自主回収する意志はあるのだろうか.検察は取材源に厳しく,言論界に弱いのだろうか.あるいは,言論界を抑制する為に,取材源を締める意図が働いているのだろうか.

何かすっきりしない供述書引用本事件である.自由は義務と背合わせである.義務のない自由は許してはならない.言論界も検察も義務に対して甘い感じがする.秘密にしたい情報を他人が勝手にネットに流すなようなネット社会を防ぐ為にも,業界も検察も厳しく義務の重要さを社会に発信すべきなのである.

今回の事件で出版社側の罪が問われないとすると,ネット社会では何でもありになってしまう事を識者は想像しているのだろうか.ネット社会は報道・出版とかマスコミと大衆個人とに区別がない.マスコミ特有の悪しき体質をネット社会にまん延させてはならないし,マスコミ業界は今以上に,義務に対しては厳しくあらねばならないのである.

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2008.03.16

132 食糧自給率

米国の農業戦略に乗せられたように,日本の食文化の大きな変化は洋食化(小麦と牛肉)である.これが自給率を引き下げた主な要因である.

ファーストフード店でハンバーガーを貪る若者が,いかに多いことか.朝食もパン食が多い.米を主食としてきた国が,今や小麦文化に席捲されている.

米はそれ自身がおいしいから,そもそも加工する必要がないが,加工しにくい特性がある.加工用の米粉を作ったとしても小麦粉程に用途が広いわけではない.小麦はそれ自身はまずく,米のように直接食べる事はないが小麦粉にすれば,加工しやすく,グルテンの特性から多様な加工食品の食材になる.

もう一つ牛肉である.そのおいしさやエネルギッシュさで嫌いな人はいない.米国戦略からすれば,まず,牛肉の輸出し,肉食を普及させる.その内,各国で牛を飼育する事になる.この時こそ,飼料を輸出したいのである.飼育と言う手作業を全世界に広め,特殊な混合飼料を独占的に供給する事である.牛は確かに国産になるが,飼料は100%輸入となり,はたして肉を自給していると言えるのか,という問題もある.

さらに言えば,和食と洋食の決定的な差は油の使用である,和食の典型はご飯,小魚,味噌汁,漬物,味噌,醤油である.洋食は小麦粉を使った料理も副食の料理も油を多く使う.この油も,当然輸入に頼ることになる.

肉や油の持つおいしさ,エネルギーを口にすると,病みつきになる.子供の時,油,脂肪を口にすると,一生,この味から逃げられなくなる.かくて,小麦,肉,脂・油の洋食文化が日本食文化を凌駕し,体格も大きくなって行ったが,食料自給率は時間とともに,下がったのである.

油や脂肪の大量消費で食器洗いの洗剤はますます大活躍であるが,体に入った脂肪や油は洗剤では落せない.小麦・肉の食文化から脱しない限り,体脂肪は落とせないし,日本の自給率は上がらないのである.

一方,健康食品志向から和食が世界的に見直されている.しかし米や魚を全世界で食べ始めたら,その食材は瞬く間に枯渇する.巨漢が200g,300gのステーキを食べるように魚を食べたら,ひとたまりもない.その食材の生産や漁獲は地域的に限られているからである.

小麦,肉,油は大量生産可能だと思うが,日本食材はそうではない.日本食が世界に普及すると,日本食材が不足し,価格が高騰し,日本食が減る.大量生産の安い洋食が結果的に増え,ますます自給率が落ちる事になる.

そこで,地産地消の,食文化を各国に広めるべきである.この方が自然である.ハンバーガーチェーンやフライドチキンチェーンが世界に展開される事は,地産地消,食文化,食育,健康を破壊する危険性がある.安易に食事が餌を食べる様になってはいけないのである.

従って,日本は日本食に回帰し,小麦,洋食を減らす.又,日本食を世界に広めない,世界のグルメを求めない,同時に世界各国の地産地消,自国の食文化の維持を訴える.これが世界の食糧自給率,自然保護の基本だと思う.

世界の人が,おいしい物,安いものを何でも輸入する事は世界の資源を食い散らすことになる.又,何よりも,食べ過ぎない事である.飽食やグルメ志向は健康にも悪い.食糧の貿易障壁を作るのではなく,消費者側から食糧問題を変えて行く事が大切だと思う.

CO2削減,無駄なエネルギー消費の削減と同じように,地産地消,食文化を守ることが,地球環境,健康にとって必要なテーマだと思う.食べ物を質素にしても,世界の美味しい料理を食べなくても,豊かな文明・文化が損なわれる事はないと思う.むしろ,各国,地域の食文化にとっても良い.健康にも良い.

エネルギー生産や工業製品は世界分業で発展して行く事は必要であるが,食糧は必ずしもそうではない.風土にあった食文化がもともと,あるからである.ただし食糧難の国への食糧援助,農業開拓支援はもちろん必要である

地球上の生物は食物連鎖で自然界のバランスを保っている.人間はその連鎖の外にいる.人間の食べる量は,この自然のバランスの勘定に入っていない.従って,食物連鎖を崩さない程度に,少しだけ,食べさせてもらうのである.その為に,世界各地で地産地消が必要なのである.マグロを世界の人が食べたら,たちまち食物連鎖が切れてしまうのである.

以上,食糧自給率向上,食料資源保護の為に,世界が地産地消の食文化に回帰する必要性を述べた.日本が最もこれを率先すべきだと感じる.世界のグルメを食べあさったり,世界の料理を好んではいけないのである.日本の家庭にある鍋・食器・調理器具の種類は世界一多いと言う.フランス料理,米国料理,イタリア料理,中国料理,何でも食べるからである.世界の国はそれぞれの国の料理を食べるので食器も調理器具も少ないと言う.この辺から意識改革が必要である.

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2008.02.26

129 論理・主張の一貫性

論理や主張は立場や感情も混ざって,一貫性を損なうことがある.人間社会のなせる技かもしれない.

同じ事象に対し,絶対だめだと思う人,まあまあいいじゃないかと思う人,もいる.絶対だめだという人も,立場を変えると,その論理や主張が腰砕けになることもある.自分に関係ない事は徹底して論理性を追求するが,関係してくると,とたんに論理性が乏しくなる事は世の常である.

一方,社会科学の世界では絶対正しい理論等ないと,思った方が良いのかも知れない.しかし,明らかに一貫性がない事は人間社会の営みを混乱させる.いくつかの例を上げ,考えてみたい.

①虚偽による横領・詐欺・粉飾への対処問題

医師の名義貸し,勤務実態のない医師・介護士・政治家秘書等の登録,補助金・政務費・事務費等の目的外使用,行政の裏金作り,効果・必要性の粉飾による公共事業,大義名分とかけ離れた公共事業,
耐震強度・材料強度・食品表示・古紙表示・等の虚偽,記載,粉飾決算,脱税,労働基準違反等の処置問題

等,が起こった時,行政指導(勧告,修正,ペナルティなど),刑事告発など処置の裁量幅が大きすぎ,物差しが見えない.特に行政責任は裁判を起こさなければ責任を問えない問題もある.

②弱者が正,強者が悪とする感情問題

舟の衝突で,小さな船の被害が大きい為,大きな船が加害者になってしまう.回避行動は小さな船の方が有効であり,責任は重いはず.感情的に小さい方を正当化する感じもする.この感情は法の一貫性を損いやすく,あらゆる場面で顔を出す.

③自分の都合,片手落ちの論理の問題

外国軍の地位協定に反対する論理と,自国軍の海外での地位協定を主張する論理とが相反する場合がある.自分の都合だけの論理は弱い.

又,米国の核,軍備の傘の下で核,軍備反対,平和憲法国家日本と主張しても説得力が無い.

④弁済責任のない政治家・役人へ金を預ける危うさの問題

弁済責任のない政治家,官僚に税や社会保険料を預ける危うさが露呈.いつまで続くのか.責任のあいまいさに加え,金も戻らない.それどころか追加の金が発生する.なのに,このリスクを徹底的に排除する制度が弱い.

そもそも,効果のない公共事業や年金保険の失政などに対し,評価・反省など聞いたことがない.無駄の発生も合法的で問題がないと思っているのだろうか.リスク排除の制度強化が税制論議の前に絶対必要である.

⑤未来の主権在民権を奪う膨大な借金問題

主権在民の要求で無駄な借金を増やせば,未来の主権在民権を狭めてしまう.民主主義は,借金を増やし,未来の国家財政を滅ぼす事もありうる.だからと言って,どこまで借金してもよいか国民は知らない.民主主義の危ういところである.

⑥許認可はするが,責任は取らない行政問題

日本独特の入り口を重視する文化の現われ.薬など,本来,許認可したなら,責任を持って,その後のチェック責任を果たす義務があるはずだが.

⑦行政の丸投げ構造の問題

公共事業の調査,構想,見積もり,業者選定,納品確認,支払,運用改善など一連の工程を天下り先の外郭団体に丸投げし,役人は事務処理をするだけ.外郭団体も,さらに丸投げし,問題が起これば,それは先方の問題だと言える余地を何段階にも作る.

この役人の保身構造を税金が支えている.役人側に立てば,見事な,逃げ道作りの一貫性がある.反面,この事が,行政コストの肥大化を生むのである責任回避・保身構造を考える事なしに行政改革はない.

⑧儲ける事や外資を生理的に嫌う問題

個人的感情で嫌う事は自由だが,現実は儲ける事や外資で経済が成り立っている.合法的な経済活動に品格差などない.実業も虚業もない.儲け方や資本の所有者が違うだけである.’外’にたいする生理的嫌悪感で,制度を作りたければ,日本企業の海外進出,海外への投資,社会保険の資金運用も止めなければならない.そもそも外資の定義も曖昧な議論が多い.海外株主が50%を超える優良日本企業を外資というのだろうか.

’少しの儲けは善で大きな儲けは悪’’実業は善で虚業は悪’’内資は善で外資は悪’’年金の高運用益要求は善で株主の高配当要求は悪’等論理矛盾がこの世に多すぎ.

⑨外国人犯罪,外国農作物問題

日本人犯罪,日本の農薬問題,等と諸外国の実態とを比較した上で,特質的問題として取り上げないと,ナショナリズム丸出しの感情論になってしまう.国内の食品偽装問題を棚に上げて,よく言うわと外国から見られているかもしれない.’内と外’と言う民族的・文化的概念は時として,論理性を失う.

⑩国の民意を無視する政党の問題

選挙で負けそうだと総選挙はしない.当然のようだが,民意より党利優先のあらわれである.また少数政党でも連立で内閣に入る.これも民意とはかけ離れている.政党は建前とは別に,民意とかけ離れた行動をする.

⑪11憲法と民主主義問題

憲法を変える仕組みを持たないい国家は民主主義国家と言えるはずがない.日本は不思議な異国である

この類は枚挙にいとまがないが,グローバル社会の中で,もっと理論立てをしないと,日本は世界についていけなくなる.ハードウエアーも大事だが制度・仕組みというアーキテクチャー,ソフトウエアーもきわめて重要なのである.

論理の一貫性がないと,いづれ,国の品格,信頼感を失い,社会秩序が崩壊していく.

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2007.07.18

106 THE 新潟

長文であるが、地震災害で日々報道されている新潟について紹介したい.

新潟は7月16日の中越沖地震、3年前の新潟豪雨と県央地区大水害、中越地震、さらに遡れば昭和39年の新潟地震、38年の大豪雪と災害が頻発している.

また高温多湿の夏、雨天、曇天、豪雪の秋冬春と日常の自然環境も人間にとって、きわめて厳しい所である.一方,近年の温暖化の影響か、暖冬冷夏の年が多く、平野部の降雪量は一昔前からすれば、随分少なくなっている.

この雨天、曇天、豪雪の新潟から谷川岳をぶち抜いた清水トンネルを抜けると,そこには,まぶしいばかりの晴天の関東平野が広がる.新潟人はいつも羨望の眼差しをトンネルの向こう側に向ける.

新潟の気候は越後山脈が,大陸からの雲の流れをさえぎり,雲の吹き溜まりを作ることで発生する.海岸から山に向かうと、この事が手に取るように分かる.飛行機からもはっきり見える.

雲や風は数百メーターの地表の起伏で,流れが変わる.確かに雨や風には通り道がある.ならば,雲のたまり場の山を少し削るだけで,雲は流れて,溜まりがなくなるかも知れない.そんな事を誰しもが想像出来るほど,越後山脈は分かりやすく存在している.

一方、雪に覆われた厳しい冬,雪解けの豊かな水,緩やかな気温の上昇,が元気な農作物や植物を育てる.米だけではなく、山菜などは新潟産は格別である.自生している木々の緑も深く、勢いがある.雪国の桜は美しいのもうなずける.

このように新潟は300KMの海岸線と越後山脈に囲まれた、'新しい潟’の地である.新しいと言っても,はるか平安時代からの言葉である.新しく出来た潟の意味ではなく,越後山脈を乗り越えて,初めて人間が住み付いた所、新開地と言う意味だと思う.石器(縄文土器)などは山間部に少しあるだけで越後平野からは出土していないのである.

入植以来、腰まで埋まるほどの湿地の田、畑で作物を作りながら水害と戦ってきた長い歴史がある.今もいたるところに散在する地蔵さまがそれを物語る.地形的にも越後山脈と海との距離が短く、大雨、雪解けによる激流が毎年多くの河で氾濫を起こしたのである.

この自然環境の中で、明治後半から大正、昭和初期に現在の在来線が地盤の弱い所を避けるように開通した.当時としては世界的大事業として、技術や労力を結集して、清水トンネル、大河津分水(信濃川の日本海へのバイパス)が作られた.明治中期の琵琶湖疏水事業の技術も取り入れられたと思う.この経験はその後の日本の土木事業に生かされて行ったのである.

清水トンネルで上信越線が開通し、東京との交通を激変させ、大河津分水が信濃川水域の氾濫を防ぎ、その後の土地改良事業によって,肥沃な越後平野へと変えて行った.この清水トンネルと大河津分水が現在の新潟の基礎なのである.’新潟の土木事業は福祉だ’と言われるように,厳しい自然環境から生命を救う事業だったのである.明治後期の大竹寛一、昭和中期の田中角栄の偉業は新潟にとって計り知れない.

ところで江戸時代、米や佐渡の金をどのように江戸に運んだのだろうか、興味あるところである.

米は陸路は不可能、北前船で下関経由瀬戸内海で大阪に運ばれた.その後、船で江戸に行ったのである.福井で陸揚げし、琵琶湖経由淀川ルートも考えられたが、実現しなかった.当時、北前船(北海道と大阪間の海運ルート)の利権が強く、日本海側の海運を独占していた.

この利権が大阪に全国の産物を集め,全国に分配する商都の原動力になったのである.北海道産の昆布が大阪の特産品になったのである.今でも、日本海沿岸に積荷の拠点跡がある.必ず川と繋がっており、内陸部の水運ルートと連動していたのである.

金はどうか.答えを先に言えば、直江津、りんご街道、長野、中仙道、群馬、利根川ルートである.長岡経由湯沢、三国街道で山越えし、群馬に出る最短コースも考えられたが、越後山脈超えの厳しさや、山賊の出没が多く、このルートは通らなかった.

ちなみに,上杉謙信の足利幕府維持の為の小田原攻めは三国峠超えルートを通った.これを’越山’と呼んだ.田中角栄の’越山会’はこれに由来する.武田信玄のいる長野ルートはもちろん通らなかった.

秀吉の命で,会津若松藩主、蒲生氏郷の後任として上杉景勝が国替えしたが、この時は阿賀野川(猪苗代湖から新潟市に流れる大河)ルートで行った(磐越ルート、49号線).

予談だが会津の地について触れておきたい.

会津藩主・蒲生氏郷は近江出身で松阪藩主であった.その経験で商業,牧畜の実績を会津にも持ち込んだと類推している.若松の名,商業,米沢牛は松阪から来ていると思う.

この会津においては,現在でも蒲生氏郷を名君として人気が高い.国替えになった上杉はむしろ侵略者の評価である.この会津の地は,内陸部の要所であるだけに,最上,伊達,織田,豊臣,徳川,官軍,と時代の流れの中で翻弄されて来た.特に幕末には近藤勇とともに,薩長と戦い,戊辰戦争,鶴ヶ城落城,白虎隊の悲劇へと続いたのである.

関が原の後、石田三成と組んだ上杉景勝,直江兼続は米沢に移つされる.新潟の経験から米沢の産業育成に努める事になるが,その精神は上杉鷹山に続く.上杉家は米沢の名君となったのである.現在でも上杉神社や上杉記念館が米沢にあり,新潟市とも交流が続いている.

上杉後の新潟は江戸時代は幕府の直轄地になった.佐渡の金山があったからだと思われる.又,幕末の開港の一つに新潟港が指定された.しかし遠浅の港の為,大型船が寄港できず欧米から非難された史実もある.戊辰戦争では新潟長岡藩は官軍に破れ、河合継乃助は只見川ルートで会津に、米百表の小林虎三郎は窮乏の長岡で人材育成に取り組んだ.現在も長岡の学研風土は色濃く残っている.その後、会津は野口英夫、長岡は山本五十六を拝する事になる.

さて、昭和40年代に入り、先輩地元政治家や県民の意を受けて、田中角栄が政治の表舞台に登場した.表日本中心の戦後の復興、社会資本整備に遅れを取りながら、明治・大正以来の新潟の第2期大改造が始まる.

信濃川流域の刈谷田川などの暴れ川の治水事業を皮切りに、北前船以来大型船が寄港出来ず、長い間、海運時代から取り残されていた港に大型コンテナ船が寄港できる新しい港(東港)が,ようやく開港した.その後、上越新幹線、関越自動車道、磐越自動車道、北陸自動車道、原子力発電所、治水利水事業、県内道路網の整備など社会資本整備が進められた.

かつて湿地帯の越後平野に新幹線,高速道路が走る.まさに、日本列島改造計画の実践であった.かくて新潟は明治から大正の第一期,昭和40年代からの第2期で,治水、利水、土地改良、土地造成,交通網が整備され.’新しい潟’以来の新潟が作られたのである.

越後山脈に囲まれた新潟が、上越(群馬)、信越(長野)、磐越(福島)、羽越(山形)、の放射線状の高速交通ルート,港湾,空港,新幹線と裏日本で遅れていた社会基盤が整備され,都市機能が揃ったのである.

’越後山脈を削って新潟の自然環境を変えたい’と願った田中角栄や新潟県民の思い、が新潟を作ってきたのである.

国土の7割が山の日本は治水・利水・土地改良、海岸の埋め立て、によって穀倉地帯や都市空間を作ってきた.新潟の歴史もまさにその歴史である.土木国家と揶揄される日本ではあるが、欧米や中国大陸と比べ、土木建設コストが10倍かかる地形・地質は日本の宿命なのである.

さて、この新潟に三つの特徴がある.

第一の特徴は新潟はどこにも属さない地域だと言う事である.

北陸でもない、東北でもない、関東でもない、甲信越でもない.しかし、どの地域にも属したりもする.

行政のくくりで言えば、上杉謙信没後、景勝の会津、米沢への国替えによって、新潟は天領(幕府の直轄地)となった.明治以降は、財務は関越、郵政は信越、建設は北陸、文教、のど自慢、野球は甲信越、である.現在も続いている.又、作っている電力は東京電力、使っている電力は東北電力である.各会社の新潟支店は会社によって、東北、関越、信越、北陸、それぞれの支社に属している.

第二の特徴は明治以来,現在も、首都圏に労働力・米・電力を供給している事である.

米の事は言う必要も無いが,労働力は今でも長男を残してほぼ全員が東京に出る.盆暮れの帰省は,まるで民族大移動の如くである.電力で言えば,東京山手線の電力は小千谷の水力発電が供給している.刈羽原発は7基あるが、わが国最大の発電所として、首都圏の電力を支えている.かつては石油、天然ガスの供給もあった.地盤沈下で廃止されたが,現在も石油の備蓄基地がある.

首都圏の発展は新潟が支えてきたのである.この相互関係は今後も続くと思われる.この意味で行政のくくりで言えば、2時間以内の時間距離でもあり、関越のくくりが強い.道州制なら、この単位が望ましい.太平洋、日本海に接した日本の横断地域となる.

関東平野のポテンシャルも大きく、出来るだけ関東平野に人口移動することも、防災上必要だと思う.新潟と関東圏は通勤圏になる.群馬に日本海の鮮魚センターがあっても、おかしくない.関越の交通政策はきわめて重要である.

妙高に沿った高田(上越市)、新井市の地域(元は新潟県ではなかった)は武田信玄との戦いの歴史はあるが、長野と関係を強めた方が、地勢学的に望ましい.米山で新潟県が分断されているし、高速道路は長野と北陸道が繋がっている.長野新幹線が高田経由富山に繋がる事も関係する.

その上で,新潟は、農業圏、漁業圏、エネルギー圏、温泉圏と位置付けてはどうだろうか.又,新潟ならではの100年、200年持つ住宅の開発、被災グッズの開発,介護製品や介護体制の先駆的な取り組みも望まれる.

第三の特徴は'新潟は首都圏から近くて遠い所'だと言う事である.

言い換えると'すぐ近くに、遠くに来たようなローカリティがある’と言う意味である.ローカリティとは自然,人情,風景,方言,食文化,酒,美人などである.酒の蔵元は100もあり,それぞれの持ち味を競っている.うまいはずである.全国に売り出す事もなく,かたくなに持ち味を保っている.

そんなわけで,現在も医師会や産業界の全国会議が新潟でよく開催される.訪れる人々の人気は高い.又,転勤族の思い出に新潟時代の良さが必ず話題に出て来る.地形、歴史から村社会的人間関係は残るが、厳しい自然の中で培われた、やさしいさ,食文化は豊富である.

新潟の度重なる自然災害の報を受けて、新潟の事を書いてみた.

新潟の特徴を再認識し,今後とも,首都圏・関東平野と連動しながら,新潟の役割を構築していく事が新潟の姿だと思う.そして,太平洋と日本海に接したベルト地帯(東京・埼玉・群馬・新潟)として発展して欲しいと思う.

終わりに、恒例の新潟祭りで行われる民謡流しの情景をお届けしたい.

   老若男女 浴衣一色に染まった町並みに民謡流しの夜が訪れた.
  万代橋から古町,西堀に渡る目抜き通りに二万人の踊り手が集結した.
  
新潟甚句のお囃子が一斉に町に流れると町並みは清流に変わった.
  髪をあげた浴衣姿のうなじや 空を舞うしなやかな指先が美しい。
  真夏の夜の涼風が民謡流しに心地よい.

 
 櫓で奏でるお囃子もいよいよ佳境に入り 夜空に熱き甚句がこだました.
  
9時近くになると人波が目抜き通りから横道に流れた.
  それぞれの街角で今度は佐渡おけさが始まった.
  町の名人が歌う正調佐渡おけさには味がある.
  踊り手もなかなかの達人ばかりだ.
  10時近くになると哀愁漂うおけさの歌声が静かに夜空の中に消えていった.
  8月9日万代橋の花火大会で新潟祭りはクライマックスを迎える.

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2007.05.28

100 100号を振り返って

当ブログの発信が100回目を迎えた.思いつくままに,回を重ねてきたが,バブル崩壊、資産デフレに伴う、社会の激変に対し感じた事を発信してきた感じがする.

振り返ってみれば、バブル崩壊は’美しい湖の水が引いたら、湖底はヘドロだらけであった’如くである.資産価値の暴落によって、政治、行政、経済、精神、のヘドロ(不正、ムダ、馴れ合い、利権 等)があぶり出されたのである.

①過度な債権債務残高
②金融機関、企業の大型倒産、リストラ

③地方・国家財政の逼迫
④健保・年金資産問題

⑤麻薬化した
公共事業経済
⑥行政不祥事の露呈
⑦天下りと公共事業(仕送り)の構造
⑧政官財癒着構造

これに対し

①行政構造改革(省庁・特殊法人の再編等)
②公的資金による金融不良債権処理
③金融機関再編
④産業再生機構新設
④ゼロ金利政策(銀行救済、貯金から株、投信へのシフト)
⑤他人資本(借金)から自己資本(資本金調達)へのシフト
⑥規制緩和、国際化
⑦官から民へのシフト(道路公団、郵政、社会保険)
⑧財投の抑制(郵貯、社会保険等)
⑨特別会計改革(目的税、利権、外郭団体の見直し)
⑩市町村合併(広域行政化)

などの対策が着手され、戦後の成長モデルからの脱却、高度成長で蓄積されたヘドロの除去が序序に進められた.又同時に

①デジタル革命、情報化社会の進展
②消費行動の変化(大量生産大量消費の終焉)
③集団から個への価値感シフト
④株の大衆化
⑤ファンドマネーの台頭と企業買収
⑥株主重視(配当性向・株価の向上)
⑦中流意識の安心感の終焉(格差の広がり)
⑧中国の経済発展、経済の国際化等による景気回復
⑨産業・意識の縦構造から横構造へのシフト(フラット化)

等が起こっている.今後に残る大きな問題としては

①少子高齢化問題(経済力、医療、介護、年金)
②国・地方の財政破綻問題
③安全保障(国防、災害、地球環境)問題
④憲法問題

等の難問が目前に控えている.

こんな激変の中で、当ブログを発信して来たのである.発信したブログで言っている事は、日本人特有の曖昧の合理性、微妙なバランスを許容する感覚、美意識,、横並び精神、が、美しくもあり、奥ゆかしさもあり、だが、その事が考え方、経済的合理性、立論力、理論武装、自己確立を弱めているのではないか、との危惧である.これからの世界は個人にとっても国家にとっても、両方の価値観、政策を持たなければならないと思うのである.

聖徳太子の'17条憲法’は和を持って尊しとする’など、ルール以前の政治をつかさどる者の心得を定めた.

こで言う’和’は集団主義、村社会、馴れ合い、長いものに巻かれる、を言っているのではなく、多くの意見を合議せよ、と言う事である.決して合理性、競争、理論、主張、を排除する事を言っているのではない.もう一度、政治・行政に携わる人に、この憲法を熟読して欲しいのである.

長い封建時代を打ち破った明治維新も、新たな国作りや自立の精神に燃えていた.戦後の復興、経済成長がバブル崩壊によって大きな区切りとなった.今まさに、蓄積されたヘドロの除去、次世代に向けた国や経済の仕組みが求められていると思う.

こんな思いを背景に、物の見方、考え方を、自分なりに整理して来たように思う.

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2007.05.19

99 サミットと北京五輪

地球環境問題が異常気象,海温の上昇,回遊魚種の変化,等で,身近に感じるようになってきた.08年7月洞爺湖サミット(主要国首脳会議)でも,この問題が取り上げられるとの事.

其の1っケ月後,08年8月,北京オリンピックが開催される.私見によれば,今回の北京オリンピックは中国の地球環境問題が良くも悪くも,世界に露呈される事になると思っている.オリンピックが終わってから洞爺湖サミットが開催された方がサミットの意義がもっと高まると思うのだが.

真夏の北京で高温,黄砂,水不足,大気汚染で,はたしてオリンピック競技が出来るのか,きわめて心配である.車の廃棄ガスは日本の30年前と同じだと言う.中国は独裁国家の威力を遺憾なく発揮して,大気汚染問題に取り組んでいると思うが,はたして,どこまで改善されるか心配である.

黄砂とスモッグで薄暗くなった街並みを,防塵マスクをしたマラソン選手が苦しそうに走る,酸素ボンベが用意された給水所に選手が次々に飛び込んでくる,けたたましい急救車のサイレンが街中を駆け巡る.そんな光景が頭をよぎる.

選手の合宿場所を日本に置き,競技出場期間だけ中国に滞在する国が増えるかもしれない.北京と日本の空港を結ぶ期間限定の便が必要になる.

こんな想像から,北京オリンピックは中国の環境問題の実態を世界に示し,オリンピック以上に意義深い大会となるかも知れない.これによって,中国は勿論,世界の主要都市も厳しい環境対策が求められるきっかけになる.

環境対策のない中国経済の膨張は思想や武力以上に地球の脅威になる.他の国も発展途上国だからと言って,野放しで良いわけがない.先進国も途上国も後進国もない.地球の問題なのである.

中国のオリンピックに向けた社会資本投資,経済投資が急速に進んでいるが,環境問題の視点で北京オリンピックを注目したい.

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2007.05.01

97 地球環境と経済

経済の発展,パイの拡大,個人の自由,私有財産,経済的合理性,等を可能とする自由主義経済,資本主義経済,市場経済が社会の仕組みとして発展してきた.同時に公共性の高い事業,社会保障,安全保障,文教,等は自由主義経済が生み出したパイによって支える仕組みを作ってきた.

この自由主義経済のアクティビティに,かつては公害,最近では自然環境,資源・エネルギー,食料の壁が立ちはだかっている.

はたして自由主義経済,市場経済の仕組みが制限される方向になるのか,現在の自由主義の仕組みのままで,この問題を解決できるのか,そんなレベルの問題ではない事なのか.

さらに,先進国,発展途上国,後進国,それぞれのアクティビティをどのように調整するのか,地球規模で考えなければならない時代に突入した.

自然環境や資源・エネルギー,食料に影響を与える消費を抑制する,商品を買わない,競争によって技術が発達し,其の商品が売れる,と言う事であれば,自由主義経済のメカニズムが,この問題に機能することになる.

ただし,消費を抑制したり,商品を買わないと言う消費行動が自由経済の中で実現しなければ,限りなく地球がパンクに向かう.実現できるとしても,経済の縮小を意味する事から,先進国やインド,中国などの経済発展国いかんに,かかってくる.

又,中国の16億人が日本と同じ一人当たりエネルギー消費をすると,それだけで地球がパンクすると言う.地球規模でエネルギーの分配問題も発生しそうである.

温暖化抑制の京都議定書どころか,消費の抑制の議論がいつか起こる気がする.

もう一つ,今,地球の人口は年間1億人増加していると言う.65億の人口が50年後には100億人を超す.これだけで地球の重量がオーバーするそうであるが,そうであれば,消費や商品を抑制する程度では支えきれない.ましてや技術革新が救う程度でもない事になる.

そこまで考えると,漁獲制限のように,地球規模で統制・計画経済が考えられるが,どうやって実現するか,そもそも間に合うのか,と言った深刻な問題もある.

地球を一つのシステムとして,人口,消費,自然環境,資源・エネルギー,食料をシミュレーションし,国同士のいがみ合いなど棚上げして,地球規模の政策を本当に検討しなければならないと思う.このスキームが新しい国際秩序を作り出すかもしれない.そうしないと人類が滅亡するからである.

生き物の大先輩である動物や植物は何億年も生きてきた.人間はこれからである.これから50年,人類の英知が求められる.争いなどやっている場合ではないのである.いや,戦争で人類が自ら淘汰する事で解決していくのだろうか.

心配するな,地球は自由主義・市場経済を制限するほど,小さくない,100億人位,地球で住める余地はまだある,と思いたいのだが.

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2007.04.12

91 紳士ファッション

紳士ファッションのコーデネートパターンは私見によれば,次の通りである.このパターンを持っていると、随分役立つ.

①スーツ
紺系無地で秋冬用と春夏用を用意し,白と青のカッター,ネクタイを数本,で組み合わせる.典型的なビジネススタイルである.
②シティカジュアル
ブレザー,替えズボン,ワイシャツ,ネクタイ,革靴,をシティカジュアルと呼び,会社のカジュアルディ,休日出勤等で使う装い.ブレザーとズボンの色あわせが重要.ブレザーが紺系ならズボンはグレー系,ブレザーが明るい色ならズボンは紺系で決まり.このスタイルを着こなす事が男子の最大のテーマ.
③スポーツカジュアル
シティカジュアルからネクタイを取ったのがこのスタイル.ポロシャツでも可.ゴルフや街に出かける時のスタイル.紺ブレを一着持っていると使いがってがある.
④タウンカジュアル
ジーパンや替えズボンにティシャツ,ポロシャツあるいはセーター,ジャンパー,ブレザー,靴はスニーカーのスタイル.普段着,アウトドアーレジャーのスタイルである.これで会社に行くのはおかしい.又,中高年にとって,かっこよくこのスタイルを決めるのは難しい.腹が出ていれば,ジーパンにブレザーが良いかも知れない.色も挑戦する価値がある.是非,季節に応じて,何パターンか持ちたいものである.

日頃,この4パターンのスタイルで間に合う.男性は服を着こなす事があまり上手ではないが,これを用意しておくと便利である.又,場違いのファッションにはならない.中高年はもとより,社会人一年生もすっきり決めたいものである.

かねてより,アメリカのカントリージェントルマンに関心している.農業や牧畜をやっている人たちが仕事を離れ,カジュアルスタイルになった時,ごく自然にカントリージェントルマンに変身する.シティカジュアル,スポーツカジュアル,タウンカジュアル,どれをとっても,人柄,雰囲気にマッチして,かっこいい.休日をトレーニングウエアーだけで過ごす日本人とは随分違う気がする.

紳士服店で,紳士ファッションのコーデネートを提案してはどうだろうか.需要喚起するはずである.男性のファッション感覚も育つはずである.少なくとも,団塊の世代のファッションを刷新してはどうだろうか.

尚、スタイルの呼び方は独断で言っているので悪しからず.

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2007.03.11

85 田舎の火事騒ぎ

けたたましいサイレンが鳴り響き,消防車が次々にやってくる.何が起こったのかと消防車の走る方向を見ると,黙々と上がる黒煙が見える.そんなに遠くない.何が燃えているのか心配で見に行った.

煙は町営体育館の南側に広がっている広い野原の真ん中から出ていた.どうやら,うず高く積まれた枯れ草が燃えているようだ.すでに,四方を取り囲むように,一勢に放水が始まっている.たちどころに枯れ草の火は静まっていった.

思わぬ大きな黒煙で,消防士は張り切って,はせ参じんたが,気勢を削がれた感じである.キャンプファイヤーのように取り囲んだ野次馬も期待はずれの顔で帰り始めた.

その時,感高いサイレンを鳴らしながら,音の割りに,小さな,おもちゃの様なピカピカの軽消防車が息を切るように到着した.村の消防団のようだ.だいぶ,あわてている.

若者は,車から飛び降りると,給水ホースを持って,小川まで走った.しかしホースが届かない.急いで車に引き返し,丸められた予備のホースを転がしながら,もどかしそうにホースをつなぎ始めた.

一方,放水ホースを持って火元に走っていたリーダーらしい若者は大きな声で叫んだ.

「早くしろ,火が消えてしまうぞ」.

何か変な言い方だ.遅れを取り戻したい気持ちが,思わず出たのであろう.遅れた為に消火活動が出来なかったら,消防士としては面目丸つぶれである.

しかし,火が消えたら困ると言う意外な言い方に,思わず吹き出してしまった.

リーダーは野次馬を掻き分けて,かろうじて,ちょろちょろ燃え残っている枯れ草にホースの先を向けた.放水に備えて,中腰で踏ん張って構えた.しかし,なかなか水が出てこない.

「早く水を出せ」

水の出ないホースをじっと構えている姿に,またまた吹き出してしまった.野次馬の目がホースの先に集まった.静寂が続いた.突然,不意を付くように,すさまじい勢いで水が噴出した.

あまりの水圧でホースが手から離れ,大蛇のように暴れ始めた.取り囲んだ野次馬に容赦なく水が飛んで行く.大蛇の首に消防士はタックルしたが,のた打ち回る大蛇を抑えられない.暴れる水を逃れて,野次馬は右応左応する.野次馬の輪が一瞬で乱れた.輪の向こう側の野次馬にも機関銃の乱射のように,ストレートな水が横に走った.

混乱の中で,車に駆け寄った若者があわてて水圧のダイヤルを回した.暴れまわったホースは死んだように静まった.ホースの口からはちょろちょろ水が出ている.消防士は泣きそうな顔でホースを持つと,くすぶっている枯れ草に,しずくのような水をかけた.ずぶ濡れの野次馬に,嵐の後の静けさが漂った.

枯れ草まみれで,ずぶ濡れの若武者はうなだれて,肩を落とした.その肩に悔しさが漂っていた.若者達はそれぞれ仕事を持った村の青年団である.

真面目な青年達に悪いが,彼らの真剣な姿を思い出すたびに,今でも,おかしさがこみ上げて来る.田舎の平和な火事さわぎの思い出である.

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2007.03.07

84 「華麗なる一族」

たしか,昭和48年(1973年)頃だと思うが,山崎豊子さんの力作「華麗なる一族」を引き込まれるように読んだ.34年前である.今,テレビ放映をきっかけに,ほとんど忘れていた物語を,もう一度読み返してみた.

物語は当時としては珍しい銀行の合併をテーマに,同族銀行の生き残りをかけた政,官,財の魑魅魍魎の世界に父と子,家族内の確執を絡めながら,経済ドラマと人間ドラマを鋭く描き出した作品である.どちらを中心にとらえるかは,読者にゆだねられていると思うが,タイトルの通り人間ドラマが軸になっている気もする.

ここでは経済ドラマに視点を置いて述べてみたい.

小説の舞台は新幹線,高速道路,東京オリンピックを経た昭和40年代,神戸で現実にあった鉄鋼会社倒産劇,銀行合併劇と当時既に水面下で胎動していた金融再編計画,鉄鋼再編政策を下敷きにしている.ドキュメンタリーとフィックションの間にあるような臨場感ある小説である.

小説の発表後,80年代のバブル経済の謳歌,バブルの崩壊,による90年代の金融破綻,金融再編,金融自由化,不良債権処理等の激変があったが,その震源地を34年前に描いていたと言える.同時に財閥・コンツエルの終焉も示唆していた様に思う.

年月とともに,臨場感は失われるどころか,激変の歴史が積み重なった分,何倍にも臨場感が増しているように感じた.自分の経験知識も34年前とは全く違う事も原因だと思う.

物語の内容で改めて実感した事は,金融業界は’お上’の手の中で動かされている点である.明治から現在に至るまで,この文化は引き継がれている.

官主導のもと,他人資本中心の日本的資本主義経済とメインバンク制による銀行の産業支配,公共事業への資金供給,預金による資金の収集,を銀行が担ってきたのである.数多くある銀行は金を吸い上げる為に必要だったのである.

この様なドメステックな金融業界の構造が資産バブル崩壊にる膨大な不良債権によって崩壊し,合併再編を余儀なくされた.同時に資本主義本来の姿である投資(資本投入)で動く国際経済からの立ち遅れが露呈し,世界から取り残されかねない事態を招いたのである.

これらの視点で見ると,小説の中の野心家も,魑魅魍魎の人間ドラマも,吸収合併も,むなしく,小さく見えてくる.作者も世界の動きの中で,日本の金融行政・業界の後進的村社会を指摘していた様に思う.

「白い巨塔」でも,あぶりだした医学界の舞台裏が,現在でも臨場感を増しているが,山崎豊子さんの鋭い着眼点,徹底した取材,テーマの展開,そこに人間ドラマを織り交ぜて行く力量には圧倒されるのである.他にも,不毛地帯,二つの祖国,大地の子,沈まぬ太陽など社会の暗部を実話を下敷きに鋭く抉り出している.歴史小説や推理,恋愛小説とは全く違う社会派作家の苦労を想像すると頭が下がる.

今後とも,現実を鋭く描く小説に出会いたいと思うし,それを後年にも読み返してみたい気もする.

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2007.02.10

81 こだわり性分

団塊世代及び,それ以前の人達には共通の性格がある.その性格は,人数が多いだけでなく,戦後の貧しさの中で,子供時代を過ごした事に起因している.

①弁当の蓋に付いたご飯粒をつまんで食べる

弁当を開けた時,蓋の裏側に,ご飯粒が付いていた時,そのままにしておくことが出来ない性分である.本能的に,ご飯へのこだわりがある.もちろん,ご飯茶碗に付いた,ご飯粒も同じである.

②浴槽のお湯がこぼれないように風呂に入る

浴槽にお湯が多く,こぼれるようであれば,浴槽にはいる前にお湯を使ったり,バケツに汲み取ってから入る.入っても,こぼれないように,中腰のまま,洗面器でお湯を肩からかけたりする.

ザブーンと入って,お湯が滝のようにあふれ出る事など勿体無くて出来ない.その割りに,旅館等では,おかまいなしにザブ-ンと入ったりする.

多分,若者はあふれ出るお湯など気にせず,むしろ気分爽快にザブーンである.

③風呂から上がる時,使ったタオルで身体を拭き,ゆすいで干す

当たり前のようだが,若者は違う.使ったタオルは洗濯機へ.頭をバスタオルで拭いて肩に掛け,身体をもう一枚のバスタオルで拭いて腰に巻く.着替える時,二枚のバスタオルは洗濯機へ.

60代70代の世代は,何でもすぐ洗濯機に放り込む事に抵抗感がある.水や電気の消費量,洗濯機による衣類の磨耗を,気にしているわけではない.手で洗濯していた時代には,なかった行動だからである.

卑近な'セコイ’性分を三つ上げたが,戦前,戦後の,炊飯器,湯沸器,,洗濯機,が無い,毎日が手仕事で,貧困の中で,身に付いた,手間と無駄を避けようとする性分である.省エネから来ているわけではない.便利になっても,この時代錯誤の性分は残っているのである.

戦争経験のある人は,勿論,同じ性分であろうが,さらに,身の回りのきっちりした整理整頓,物に購入年月日を書くほどに物を大切にする性分がある.残念ながら,この性分は戦後派には受け継がれていない.同じように,団塊世代のセコイ性分も次世代では薄まっている.

年配者の勿体無いのこだわりは,もっと大きな事で無駄をしていると言われる弱みもあって,黙って,こだわっているだけである.

戦争や貧困で身に付いた,このような性分は,温暖化,エネルギー,資源などの制限,危機の中で復活するのだろうか.

中国,インドの国民が朝シャンをするだけで,地球はパンクすると思うが,先進国も含めて,文明の発達が浪費の膨張につながってはならない.科学技術が少エネを引っ張っても,無駄な消費には,かなわないのである.

洗濯機で言えば,洗濯の量が,手洗いの時代と同じくらいであれば,エネルギー問題は起こらない.洗濯機が何でも放り込む習性を助長させたなら,この習性を直さなければ,省エネ技術ではカバー出来ないのである.

エネルギーの消費料金は,ある一定以下は安く,一定以上は級数的に高くし,浪費を抑制する方法も一案である.エネルギー・資源の消費は経済的に豊かであっても,便利な製品であっても,浪費を助長してはならないのである.

これだけは消費は美徳ではなく,節約は美徳なのである.

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2006.03.05

37 人間の頭脳と行動

人間の頭脳はメモリーベースアーキテクチャーと言って,記憶に従って行動を起こす仕掛けになっている.赤ん坊のときから行動と記憶を繰り返しながら,生きるための能力を蓄えて行くのである.

多分このアーキテクチャーは地球上のどこに生まれても,環境に即して生きていけるように考えられた方式である.人間が環境に順応できるように,脳も大きく作られているのである.動物や植物は生き方を固定している分,脳機能は小さく,生き方の数だけ動植物の種類があるのだと思う.

一方,コンピュータはストアードプログラム方式である.与えられたプログラムによって処理をするのである.経験,記憶によって次の行動を起こすような学習機能は今の所,持ち合わせていないのである.

人間とコンピュータに共通しているものがある.内部メモリー管理方法である.もっとも使われない記憶から消滅させるのである.人間はある記憶を忘れないようにするには時々思い出せばよいのである.

思い出す方法も共通している.連想記憶方式でリンクをたどる方法である.人間もコンピュータもこれを可能とする記憶の格納方法を持っているのである.忘れない方法としては,芋ずる式に連想できる結合子を記憶する事である.

情報ネットやITの発達によって,情報共有によるナレッジマネージメントが威力を発揮している.これは個人の行動・記憶を組織の行動・記憶としてとらえ,組織の脳を作る事を意味している.これによって個人の脳だけではなく,組織の脳を使って,自分の脳にはない記憶を活用して,行動するのである.その結果が自分と組織の脳にフィードバックされるのである.

人間の行動に’玄人ははにかみ,素人は断言する’がある.これは明らかに記憶の量に関係している.玄人は博識さが断言を躊躇させる.ただし,多くの点在する記憶が線で結ばれたとき,これが気付き,推測となる.素人とはこの点が違うのである.ナレッジマネージメントはこのばらつきをなくし,個人の適格な行動や気付きを支えるのである.

ところで俗に言う頭の良し悪しは合理的か情緒的かの差だと思う.合理的に,効率的に物事を見たり,考える人は,マージャンも競馬も試験も,強く,頭が良いとされる.

これに比べて情緒的な人は余計な事を思ったり,考えたりする分,合理性や効率性が落ちるように見える.マージャンでも上がって何ぼ,で打つ人と,手作りの楽しみで゙打つ人の差である.どちらも確率を気にするが,情緒的な人は,低い確率でも,それを選択してしまうのである.

本当は頭の良し悪しはなくて,思考の内容,範囲が違うだけだと思うのである..誰にも,適材適所がある由縁である.想像したり,違った考えに気付くのは,いわゆる頭の悪い人かも知れない.頭の良い人はそんな不効率な事をやるはずがないからである.これは証明できない仮説である.

この仮説からすると,記憶が同じとしたとき,試験に強い人は合理性や小さな論理を追求する仕事,試験に弱い人は想像的な,大きな論理を追求する仕事が向いている気もする.

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2005.09.28

18 植物に学ぶ

あらゆる生物は地球の自然環境の中で壮大な生態系を形成している.その生態系は個々の生物の生き延びる為の仕組みで出来上がっている.植物でも動物でも何十万種類が存在しているが,それぞれ相互に依存しながら,独自の生きる仕組みを持っている.この生きる仕組みは何億年,何千年の経緯のなかで確立して来たのである.

最近,道草を見ても,葉の形,花の形,色彩,香りにその花,ならではの仕組みがあり,あらためて関心や感動をする.『お前は,こんな考え方で,こんな風になっているのか』と.しかも何十万種類の植物が,たとえ同じような自然環境の中であっても,それぞれ独自のコンセプトを持っているのである.

恥ずかしながら,植物に全く知識がない小生は,こんな事を思ったりもしている.

高山植物は小さくて,花が美しいのは,強風の中で身体を小さくして,数少ない虫を受精の為に呼び込むために,派手な美しい花びらにしているに違いない.同時に少ないチャンスで受精を確実にする為に,花びらを深くして,蜜の香りで取り込もうとするもの,いや浅くした方が良いと考えているもの,等さまざまである.

とすると,『花びらへの美的センスは虫も人間も同じに違いない』とか『紫外線で反射した時の花びらの模様が,虫に分かりやすいように競いあっている』とか『高山植物の花の色に青がないのは,青空と区別が付かないからだ』とか『日当たりの悪い所では色ではなく香りで勝負だ』とか素人なりの仮説を勝手に立て,観ているのである.

木なども,養分の取り方,葉の形,種の形,種の落とし方,などすべてコンセプトが違うし,果物の実も,どこに運ぶために,どんな鳥を使うかによって,形状や大きさが違う.どれを取っても,生き延びてきた事実からすれば,そのコンセプトは完璧なのである.

動物のコンセプトと違って,動く事ができない植物ならではの,生き方やその生き方の多さに,すばらしい知恵を感じる.この知恵が植物の生命を支えているだけではなく,地球全体の生態系を支えているのだと,その偉大さに,つくづく敬服するのである.

ところで,人間にしても企業にしても,残念ながら植物のように生き方を確立しているわけではない.『我社は,こんなやり方で生きるのだ』と少しでも植物にあやかりたいと思う.何百年と,この道一筋でやっている仕事に接した時,ただそれだけで感動や尊敬をしてしまう.そこには仕事の必然性や確固たる社会的存在価値があり,同時にそうあり続ける為のたゆまぬ努力があるからである.その意味で会社の事業コンセプトや取り組みを観る時,植物を見る目と同じになるのである.

そんなわけで,植物の生き様を学ぶ中で,事業化や事業の仕組みへのヒントがあるかも知れないと思うのである.最も精巧に出来ていると言われるランや,群生しているセイタカアワダチソウや,生命力のあるタンポポや,水芭蕉や座禅草等,その生き方のコンセプト,仕組みに興味が尽きないのである.

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2005.09.17

14 不便な事と便利な事

’不便な事は安全で公平,便利な事は危険で不公平’

これは医学にしてもITにしても技術革新が急速に発展して行く途上で起こる現象・感情である.特に政治や行政に,色濃く存在している.

技術の利便性とリスクの天秤の中で使い分ける事になるが,技術革新がさらに進み,危険性が減少し,普及が進んで行くと,’技術を使わない事が不便で危険で不公平’になって行く.これが文明の歴史である.

電子化やネット活用は民間では当たり前であっても,行政では危険で不公平と思われる事が多い.結果,常に不便な高コストのレベルにとどまる.便利になる事への危険論・不公平論に自己の損得・利害が隠れている事もある.

例えば,医療費明細(レセプト)を病院で電子化されているが,そのデータをそのまま保険料審査や請求,医療統計に使えば,劇的なコストダウン,期間短縮,効果的な医療につながる.だが,再入力業界の反対や統計的に過剰診療や過剰投薬が,病院や医師毎に,たちどころに判明する事になり,医師会の反対もある.

これは’便利な事が安全で公平’を阻止している典型例である.多分,医療機関では’便利な事は危険で不公平’を隠れ蓑に自身の損得を基準にしていると思わざるを得ないのである.行政内部全般に,このような力学が働く傾向がある.

国民背番号制を考えると住民情報,税,保険,年金等個人情報がひも付きになる危険性がいつも主張されるが,これなどはまさに’不便な事は安全で公平,便利な事は危険で不公平’の立場である.

情報技術の利用においては,利便性をいかんなく発揮していく立場でリスク対策を議論すべきである.不便のまま高コスト社会を続ければ,もっと良い事がやれなくなる事を論者は認識して欲しいのである.

’効率化は人類を堕落させる’と英国の産業革命に反対した哲学者がいたが’効率化をしなければ利便性も,富の拡大も,人道的活動も出来なくなる’事を認識すべきである.

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