経済

2009.08.30

185 内需拡大より外需拡大を

日本はここ10年,GDP額も,一人当たりのGDPも,輸出も,その伸び率は他国に比して低調である.特に一人当たりGDPは世界の15位くらいである.他国の成長とともに,急速に下落しているのである.又,世界的に活躍している日本の企業の数も経済大国と言われる割に極めて少ないのである.

2007年の概算数字であるが,日本は人口1.3億人,GDP約500兆円,輸出約80兆円,である.ドイツは人口0.8億人,GDP300兆円,輸出130兆円である.フランスは0.6億人,GDP200兆円,輸出54兆円,である.ちなみに米国は3.1億人,GDP1300兆円,輸出100兆円である.

日本の輸出企業は,機械,医療,車,化学など世界クラスの企業が多いドイツと比して限定的である.あらゆる技術力や,すぐれた製品が輸出につながっているわけでもないのである.

何よりも,日本の多くの企業は世界市場や貿易の事を日常的に考えたり,行動している分けではない.国内や地域の視野しか持っていないのである.

現在の世界的経済危機で日本の輸出が激減し,何としても内需の拡大が必要だと,いつもの様に公共事業をばらまいた.しかし,過去に見るように,一時しのぎに終わる可能性が高い.その理由は,そもそも日本は内需が高どまりで,投資の限界効用が大きく逓減しているからである.なんと言っても850兆の借金があるくらい,実態経済は上げ底になっているのである.

そんなわけで,今後の日本経済を考えた時,外需拡大政策がきわめて重要だと思う.特に,BRICSはじめ世界の経済成長に対応する施策と日本のあらゆる産業・企業が市場開拓においても,製品開発においても,国際感覚を持つ事が必要だと思うのである.そしてGDPの3割くらいに輸出を伸ばしたいものである.

島国根性で閉ざされた経済にとどまり,内需拡大と叫んでいるようでは,日本の経済は世界の経済の中で孤立し,じり貧になって行くのではないかと心配する.

国家間の貿易摩擦にならない程に必要不可欠な製品を輸出したいものである.同時の突出した特定製品ではなく,浅くても広い製品の輸出が望ましい.ドイツから学ぶべき事は多いと思う.

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2009.06.29

178 コンビニ再販価格と独禁法

公正取引委員会がコンビニ業界の最大手のセブンイレブン・ジャパンに対し,加盟店の’見切り販売’を制限しているのは,独禁法違反に当たるとして,排除処置命令を出した.

たしか,法律によれば,書籍や新聞など,一部の商品を除いて,販売側に再販売価格維持を強制できない事になっている.メーカー希望価格で売ろうと,値引き価格で売ろうと,見切り価格で売ろうと,販売価格は販売側の自由である.家電や情報機器などはオープン価格(自由な価格設定)であり,正確に言うと,正価や値引き価格という概念はない.

さて,今回のように,日配品,生鮮品が売れ残った時,見切り販売で売り切るか,見切り販売せず廃棄するか,はファーストフードのフランチャイズチェーンなどで常に起る.

チェーン店全体の鮮度・品質の維持,企業姿勢から廃棄をルール化している例もある.これは,見切り販売するなという指示ではなく,チェーンオペレーションとして廃棄をルールづけているのである.

そこで,廃棄ルールが価格維持の強制となり,法律違反になるのか.あるいは,廃棄せず見切り販売した事へのペナルティー行為が法律違反になるのか.そもそも,フランチャイズ契約下で,全商品が全加盟店で同一価格で売られている事は価格カルテルにならないのか,さらに言えば,フランチャイズ契約,オペレーションマニュアルに独禁法上の問題はないのか,根本的には,独禁法はフランチャイスザー(本部)とフランチャイジー(加盟店)の間に存在しえるのか,等の素朴な疑問が湧いて来る,

そこで,なぜ今頃,こんな問題が出たのか,創業時の事業コンセプトから考えてみた.

そもそも,このビジネスモデルは,米国のコンビニであるセブンイレブン(発祥は氷屋)や,ローソン(発祥は牛乳屋)から輸入したものであるが,今や,日本のビジネスが本家を追い越し,日本が本家だと思っている人がいる位である.

日本におけるビジネスコンセプトは,’顧客の利便性に応える’事である.その為に,ナショナルブランドの日用品を少量でも,きめ細かく品揃えし,深夜も販売する.まさに,大量生産大量販売の量販店でもなければ,小規模小売店でもない,サービス業を目指したのである.この考えから,近年のATM,料金の振込み,宅配の取次ぎ,など,まさに地域住民のコンビニエンス・ステーションとして,定着して行ったのである.

又,この事業の展開においては,立地条件,投資資金,転用物件,をいかに早く確保するかが重要となる.そこで,古来の街中にある,酒店,米店,雑貨店,菓子店,などとフランチャイズ契約し,新事業を拡大して行ったのである.

勿論,旧来業態からの脱却・近代化を進めるも,商売の特質から,加盟店の売上高や収益は旧業態と比べて安定はするが,高い設定はしなかったはずである.オーナーの資金運用,小遣い銭稼ぎ,程度の軽い転業を進めたと思う.

本部は開店までの一連の準備(事業計画,法的手続き,店舗建築,販売設備・資材,商品仕入れ,経営と運営の教育,等)をバックアップし,開店後は商品の安定供給,経営分析,経営指導,本部との清算(商品代金,ロイヤリティ,貸与代金の回収,など)を行う.

更に本部は,加盟店舗にPOSなどの情報装備によって,店舗情報の完全掌握,補充発注や販売,サービス取引,販売管理,商品管理,店舗経営分析などをシステム化した,さらに,店舗の経営情報をもとに,不良店舗のチェックと改善・排除を進めながら,優良加盟店を拡大し,良質な加盟店の募集に繋げて行くのである.

このビジネスのもう一つの特徴は,本部が商品代金とは別に加盟店の利益から,一定の率でロイヤリティを取る事である.会社や加盟店契約によって違うが,運命共同体として,成功報酬として,荒利益もしくは営業利益からロイヤリティーが計算される.

ところで,一般小売店で発生する見切りロス(値引きによる荒利益減),棚卸しロス(万引きや,処理リミスによる在庫減),廃棄ロス(不良品処理,期限切れによる廃却)は荒利益,営業利益を大きく左右する.

ところが,ロイヤリティ計算には,このロスは店側の責任であり,特に見切り,廃棄はコンビニのコンセプトからすれば,ありえない(そんな商品は扱わない)として,加味されていない様である.

この様に,コンビニビジネスは利便性提供のサービス業ではあるが,もっと引いて見ると,デベロッパー業,金融保険業,店舗建築業,店舗設備業,販売資材業,商品・サービス開発業,商品製造販売業,商品共同仕入販売業,物流業,経営コンサル業,ロイヤリティ業という多岐にわたる加盟店サポート事業の姿が見える,

簡単に言えば.’何でも支援するから,商売してください’と言うビジネスである.加盟店の資金と労力を使うわけだから,加盟店を増やす程,安定的なストックビジネス(店舗・設備・商品の供給とロイヤリティ)になるのである.これが,フランチャイズ方式の神髄である.

一方,加盟店は本部指導とマニュアルに従って,作業を行い,毎月,清算書を給料明細のように受け取る事になる.加盟店側は自営で商売している感覚より,使われている感じになると思う.そして,アルバイトを入れてもペイする店になるまで,複数店舗を持つまで,あるいは,競合店次第で,過酷な仕事とリスクを常に背負った仕事になる.競合が少なく,恵まれた立地にある店なら,安泰だと思うが.

以上の様に,コンビニのフランチャイズチェーン加盟店は法的にも財務的にも独立した共同事業者であり共同経営者ではないが,独自に他社から商品の仕入もできず,全ての商品を価格交渉もなく本部から仕入れ,マニュアルに従った本部主導のチェーンオペレーションが行われているのである.特定商品の供給を主体としたボランタリーチェーンとは全く違い,加盟店は実質,リスクを背負った本部の店舗と言っても過言ではないのである.

さて,このようなコンビニビジネスで,今回起こった見切り販売の制限問題であるが,次のように類推される.

コンビニのコンセプで述べた如く,コンビニは,ナショナルブランドの小額の日用品を少量・多品種に品揃えする事で,利便性に応えることである.従って,一般の小売業のような,見切ロス,廃棄ロスはビジネコンセプトにも,処理手順にも,利益計算にも,ロイヤリティ計算にも,ないと類推される.そんな中で起こった.

競争の激化,店舗の大型化,等で売上拡大が重くのしかかるようになり,俗にいう2毛作,3毛作(時間帯によって品揃えを変える)をする程である.又,まったく異質な日配品(デイリーフーズ)のおにぎりや弁当にも手を出すようになったのである.コンビニコンセプトや加盟店契約の見直しもなく,変化していった感じである.

当然,日配品は売れ残った商品の処置が必要になる.小売業では,見切ってでも,売り切る.ところが,見切り販売はコンビニの辞書にはなく,しかも,見切り販売が常習的な値引販売となり他の商品に広がったり,加盟店同士の価格の不一致を招く恐れがあり,ファーストフード業界の様に廃棄を指示したのではないかと思う.多発した食品偽装事件もあって,そうさせたのかもしれない.

しかし,上記のように,廃却もコンビニの辞書にはなかった事から,廃棄ロスは加盟店負担になる.当然,加盟店は廃却より見切りで売り切りる方に動く.かくて,見切り販売,値引き販売反対の本部と衝突が起ったのである.

この様に,廃却も見切り販売もコンビニ経営の辞書に無いまま,おにぎりや弁当を売り出してしまった事が問題の発端だと思う.事前の協議はなかったのだろうか.排除命令が出るまで,何をしていたのだろうか.

今回の排除命令も含めて,フランチャイズ加盟店の再販価格の問題点をもう一度,整理すると,

①日配・生鮮品の廃棄のルール化は再販価格維持の強制になるのか.
②本部は売れ残り品の回収を行い,見切り販売の必要性をなくすのか,
③本部は
何もせず見切り販売を黙認するのか.
④そもそも,全
商品の全加盟店での同一価格販売は価格カルテルにならないのか.
⑤フランチャイズ契約,オペレーションマニュアルは独禁法上問題はないのか
根本的にはフランチャイザーとジーの間に独禁法が存在しえるのか.
⑦同じく,代理店,連結子会社への再販価格維持の強制はどうか,

フランチャイズビジネスに限らず,再販売事業全体に影響する事であり,公取の排除命令を機に見解を明らかにすべきだと思う.

私見によれば,独禁法とは優位的立場で販売価格維持を行う事を禁止する法である.コンビニでいえばザーの自社ブランド商品には法が存在するかもしれないが,仕入商品は多くのチャネルで売られているので,独禁法は及ばない感じがする.どうだろうか.

一方,この再販価格問題以上に,コンビニビジネスが大きな転換期に来ているのではないかとも感じている.

コンビニエンスストアーは取り扱い商品にしても,サービス商品にしても,あるいは広大な駐車場にしても,店舗の大型化にしても,開店資金の拡大にしても,競合や立地による店舗コンセプトの多様化にしても,当初描いたコンセプトやイメージが大きく変貌していると思うのである.

利用者の利便性は増すものの,店舗の大型化で加盟店の資金回収,リスク,過酷な作業の問題が重くなっていると思う.昔の様なオーナーでは開業も難しくなってきた.加盟店の確保・撤退の問題もある.フランチャイズ契約内容も多様化する事も考えられる.これらに対し,どのように変遷していくのか,きわめて興味深い.

弁当がコンビニビジネスの今後を考える突破口になった感じである.

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2009.01.29

164 私の景気の見方

科学技術や経済が発達すると,万が一のリスクは幾何級数的に大きくなる.今回の世界的経済危機もそうであるが,大きなリスクほど,単純な原理で現実化する.単純であるがゆえに,防止が難しいとも言える.

日本の資産バブル崩壊は

資金融資と不動産価格がキャッチボールする形で増幅し,担保価値の上昇がさらに借金による需要を押し上げた.これが’バブル経済’の構造である.

しかし,不動産価格が限りなく上昇し続けるわけがない.資金供給の抑制気配で一気に,このバブル経済は崩壊.そして担保割れの膨大な債権債務が残ったのである.日本独特の土地神話が崩れた出来事であった.

アメリカ発の今回の金融・経済危機は

借金(ローン)で物を買う文化が定着している中で,ローンを証券化した金融商品を世界に販売.その販売資金で,さらにローン貸出を増やす.このローン貸出の拡大で需要を維持し世界の経済・貿易を牽引した.これが世界の金を集めて需要を起す’ローン経済’の構図である.

しかし,ローンの証券化,ローン貸出競争が低所得層にまで及び,不良債権が増加.世界に不良な金融商品がばらまかれ,ドル・金融資産の暴落,信用収縮(融資の縮少),需要・貿易の激減.と言う負の連鎖が世界を駆け巡った.アメリカ独特のローン社会,金融社会が崩れた出来事であった.

方や不動産価格,方やローン(金融商品)と,お国柄の特徴・神話が裏目に出た不況である.共通している事は

’価格・債務額の上昇なくして好景気なし’しかし’価格・債務額の上昇は暴落まで続く’

と言う経済原理が働いた事である.まさに’山高ければ谷深し’である.一方,山を低くして谷を浅くする事が,果たして人間が出来る事なのか,議論を呼ぶ大きなテーマである.

ところで,日本はもちろん米国も,家計,企業,国の長期債務残高はすでにGDPの数倍ある.(米国での家計の借金残高は14兆ドルだという.GDPは13兆ドル,日本の家計の借金残高は未調査だが,政府の借金残高はGDPの1.5倍).

従って,現在の実態経済はこの長期債務の上で営まれていると言わざるを得ない.現金を貯めて投資や購買をする現金ベースではなく,将来の収入を先取りして投資や購買をする借金(信用)ベースで需要を生んでいるのである.

今回の金融・経済危機は債務残高(信用)が危険水域を超えたからだと認識せざるを得ないのである.(景気と長期債務残高推移の関係は検証の価値あり)

従って,私見によれば,景気動向は長期債務残高の推移で占なう事が出来ると思う.

だとすると,今後,財政破綻をしない程度に企業・個人が債務の増加に転じるかどうかが景気回復の決め手になると思う.公共投資の波及効果もこれでわかる.勿論,国の財政がその前に破綻しない事が大前提である.

そんなわけで,今後の景気動向は次のように思う.

当面,不良金融商品・債権の償却が優先し,長期債務残高は減少傾向になると思う.さらに世の中の不安や物への価値観の変化を考えると,長期債務残高が増加に転ずるのは残高が底をつくまで長期間かかると思う.だとすると,需要の増加は限りなく先になる感じがする.

現実問題として所得の中間層の人達は,これから,耐久消費財,車,大型家電,住宅,などのローンを組むだろうか,来年から消費税が10%になるなら今年,思い切ってローンを組むだろうか.あるいは10%になってもローンは組むだろうか,ローンを組めないなら景気回復は困難となる.

厳しい予想通りだとすると,せめてローンを組みやすくする景気刺激策も必要だと思う.

例えば経済効果の大きい住宅建築についていえば,技術革新やローンの改革が必要である.ローンの改革は現在の住宅控除の他にローンの2世代化,消費税免除,利息の公費負担はどうだろうか.同様な発想で車ローンの税控除,消費税免除なども考えられる.

要するに需要回復には時間がかかるが長期的なマクロ政策と短期的には上記のように,不良化の危険性を低くして,借金で大型物件を買いやすくする施策が有効だと思う.

やっぱり返済負担や将来の不安があって,手が出ない,と思うなら,景気回復は絶望的である.結果,経済規模が縮小し,国家財政も福祉も雇用も株価も,所得も,瀕死状態になる.今後とも動向に注力して行きたいと思う..

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2008.12.30

160 危機・混乱の2008年

2007年に引き続き,2008年も日本の未来に向けた羅針盤を描くことも出来ないまま,世界規模の金融・経済危機に巻き込まれ,さらに深刻さ,閉塞感,が増幅した年であった.

国民レベルで言えば,失業や収入減が起こり,ローンなど組めるどころか,医療・介護・年金も含めて,先行き不安な時代,に突入したのである.

振り返れば,小泉政権後の2007年は日本の進路を占う分水嶺と思ったが,悪い方向に傾きかけている.2007年の年金問題の勃発,政治家の事務所費問題等で,参院の与野党が逆転,安倍政権が倒れた.

衆参ネジレの中で,2008年の福田政権も,総選挙対策の為に,総裁選を行い麻生政権に引き継いだ.しかし,経済危機と支持率低下で総選挙が2009年持ち起こされた.

与党は小泉政権後の2年間,3人の政権を立てたが,シナリオが狂いっぱなしである,日本の進路も描き切れていない.

さて,金融・経済危機は,昨年夏の米国サブプライムローン問題に端を発して以来,対岸の火にとどまらず,08年9月のリーマンブラザースの破綻を引き金に,大津波が世界の経済を飲み込んだのである.

この経済危機は経済の指標ではっきり表れている.歴史的2008年になった.

日経平均株価は昨年末比で▲42.1%,時価総額▲200兆円,GDP伸び率▲0.8%,上場企業経常利益▲32%,完全失業率3.9%,対ドル為替レート25%アップ,であり,いずれも1990年の日本のバブル崩壊時を大きく上回る逆風が吹き荒れているのである.

主要国の株価も昨年末比,ロシア▲71.9%,中国▲65.2%,フランス▲44.2%,ドイツ▲41.7%,米国▲36.0%,英国▲33.1%であり,世界の時価総額も2600兆円消失し,2800兆円に半減したと言う.余りにも金融資産が大きくなっていただけに,この下落額は巨大である.どの程度,含み損,損切りが発生したのか不明であるが.

クールに言えば,需要(消費)を支えている信用(債権債務,株価,金融商品)が危険水域を超え,リスクが増大した事に対し,健全な信用規模に戻そうとする経済メカニズムが作動したと言える.

その結果,世界の経済は急激な信用収縮が起こり,債権の不良化,消費の激減,貿易の減少,企業の倒産,失業の増加,不動産・商品の価格下落,公私の金融資産の暴落,と景気悪循環,負の連鎖,に陥ってしまったのである.輸出で支えてきた日本経済も一気に沈んだのである.

さらに政治においては,税収減問題,社会保障財源問題,巨額な財政赤字の中での積極財政出動問題,など,暈にかかって難問が覆いかぶさって来たのである.

不況は持てる者の金融資産を半減させる以上に,持てない者の生活や国家の活力を奪うのである.

祇園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり
娑羅双樹の花の色
盛者必衰の理をあらわす
おごれる人も久しからず
唯春の夜の夢のごとし
たけき者も遂にはほろびぬ
ひとえに風の前の塵に同じ

平家物語の冒頭部分である,まさに2008年も,世の中の栄枯盛衰,もろさ,はかなさ,人間の愚かさ,を感じる年であったと思う.(dust in the window と言う歌もある)

経済の拡大は喜ばしい事ではあるが,経済危機のダメージも巨大化する.栄枯盛衰は,いつの世でも偶然ではなく必然的に起こる宿命とするならば,人間の英知に進歩がない気もする.

経済,科学技術,制度,仕組み,の発達で豊かさは高まるが,同時にリスクも増大する.リスク対策なしに先行きは描けない.又一つ,大きな宿題を抱えた.

今年も108つの煩悩を静める除夜の鐘で年が明ける.

人間の煩悩を抑える仏教の教えは滅私,自虐,謙虚,等の日本独特の文化を作ってきた,必ずしも現在通用する教えとは思わないが,国際化時代,競争化時代に,時々,おごれる人の煩悩が行き過ぎていないかと,これに耳を傾けるべきかもしれない.

さてこれからであるが,この経済危機への対策,経済発展への政策,持続可能な社会保障への政策,巨額な財政赤字への政策,行政効率化への政策,など真剣な取り組みが求められる.総選挙も迫っている.政治家や役人の魑魅魍魎など吹き飛ばし,底からの脱出の2009年であって欲しいと願うのである.

企業活動も,’不景気は景気への踏み台’,’CHENGE=CHANCE’ととらえ,難問に挑みたいものである.

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2008.11.16

156 経済危機で変わる事

90年代の日本の経済危機やその後のグローバル化,途上国の発展は日本の経済成長を支えてきた政治構造・産業構造・精神構造の脆弱性を露呈させた.

’美しい湖の水が引いたら,ヘドロだらけの湖底が露出した’感じである.

この危機に対し,積極的な財政出動(失われた10年で国債残高600兆増)も効果は限定的であったが,金融業界・産業界の再編,リストラクチャリング,自立,横社会への変革,規制緩和,等の質的変化によって,フリー,フラット,グローバルな構造へシフトと,経済活力の回復が始まったのである.

さらに,幸運にも,パソコン,インターネットに代表されるIT革命,その後のデジタル革命が起こり,構造改革や産業の活性化を促す事になったのである.

このIT革命は縦構造のレガシーアーキテクチャーから横構造のオープンアーキテクチャーに切変わるものであり,技術・考え方とも革命に当たる大変化である.今日のITの伸展を見ても明らかである.

この革命は,80年代のアメリカの不況下で生まれた新しいアーキテクチャー・テクノロジーであるが,90年代,本格的に日本に上陸した.日本の社会の変化とITの変化が同じ考え方で同時進行したのである.

この様に,90年代の金融・経済危機は日本に大きな転換を促したと言えるのである.

さて,今回の危機は米国を震源地として世界規模で起こった.その影響も長期化の様相になってきた.日本においても,需要の減少,株・ドル等金融資産の暴落,資産運用の赤字化,相対的な円高,信用の収縮,が起こり,日本経済に大きなダメージを与える事になったのである.

米国はじめダメージの大きい国では,不良資産の買取,資本注入,資金融資,など負の連鎖を断ち切ろうと必死である.国際的にも,これを後押しする事になる.今後の為に金融商品の膨張への監視・規制も検討されると思う.

この危機を通じて,どの様な社会変化が日本に起こるだろうか.

反省すべき事が特に日本にはないとして,只ひたすら,景気回復を忍耐強く持つしかないのだろうか.苦しさから,融資の拡大や景気対策の公共事業を拡大するのだろうか.だとしたら,国の借金が1000兆を超えるのも時間の問題となる.

国際化した金融システムの脆弱性に対する是正が論議されると思うが,90年代の様な日本の社会の質的な変化は起こらないかもしれない.しかし,今後の経済の景色が変わると思う.いくつか上げてみた.

①米国の政治力,経済力の下落
②アジア経済圏へのシフト
ローン・借金による需要拡大の減速
④リベラル政治の台頭(パイの拡大よりパイの分配を重視)
⑤国家財政の逼迫,行政コスト削減,増税

等,かならずしも,経済成長が図られる環境・風景ではないと思う.’消費は美徳’ではなく,’節約は美徳,浪費は悪’の価値観に変化していくと思う.この戦前のような日本の価値観に国も企業も転換せざるを得なくなる.従って,経済全体が縮小し,商品・サービスともに,消費の必然性があるものが生き残る.

消費大国・ローン大国・米国の価値感が変われば,世界が一気に縮小均衡に向う.途上国の発展も減速する.内需拡大と言っても,この価値観ではあまり期待できなくなる.もし拡大しても,かなりの部分,輸入を増やすことになり,国内経済の波及効果は少ない事になる.

そんな風景の中で,経済を引っ張る分野は,願望も含めて言えば,

⑥資源(食料・水・エネルギー・素材)革命

である.社会の根幹である資源に大変化が起こるのではないかと思う.

まず食料は’,国産国消’の方向に向かう.農作物や水産物の貿易拡大は世界の生産の寡占化を進め,天然資源,食文化を崩壊させて来た.

余談だが,日本の家庭の食器の種類,数は世界一多いと言う.日本食,洋食,中華,を食べ,個人ごとに盛り付けるからである.さしづめ,米国でも,フランスでも,中国でも,イタリアでも,世界の料理を家庭で作る事もしなければ,料理の器も大皿と取り皿だけである.

食料の自給率が低いのは,日本の輸入文化や工業製品の輸出と関係していると思うが,日本食に回帰する事で農業・漁業が改革され,地域活性化につながる.この食料の国産国消は消費者がリード出来るのである.

さらに,経済の牽引は

海水を真水に変えるプラントで世界の砂漠を緑化し,水道を普及させる事,
・太陽エネルギーを発電や車に活用する事,
・新素材の開発と切り替え需要を起こす事,

等が予想される.いずれも日本の得意分野である.

これによって,経済の安定化,政治の安定化,自然環境の安定化,さらに,有限資源からの開放が可能になる.

こんな世界を創出して行く事が資源の無い日本のテーマだと思う.日本の資源コストを低減させ,地域活性化にもつながると思うのである.

国の政策としても,金をばら撒くだけの,知恵の無い景気対策では経済危機からは脱出できないし,夢も希望も湧いてこないのである.社会福祉の充実は直接的には税の配分によるが,長期的には価値あるパイの拡大以外あり得ないのである.

90年代以降,IT革命,その後のデジタル革命が起こった様に,今度は資源革命が経済危機をバネに加速するのではないかと思う.また,そうありたいのである.

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2008.10.20

154 金融・経済危機の教訓

昨年夏,米国の不動産価格の下落,大量の住宅ローンの不良化で懸念された景気が最近の米投資銀行の破綻を契機に,一気に信用の収縮,株・ドルの暴落,需要の停滞が起こり,不況風が世界の経済を覆った.

日本ではドル,ユーロの下落による急速な円高で輸出企業を中心に更なる株の暴落が始まった.海外投資機関の資金確保の為の日本株の売りも,暴落に拍車をかけているようだ.今後,年金資産や個人資産の大幅な目減り,資金運用益のマイナス,金融機関や企業の含み損の発生,不況による倒産・失業者の増大,賃金・ボーナスの下落など深刻な状況になる恐れが出てきた.

ところで,日本の不動産バブル崩壊は金融機関で87兆円相当の不良債権を発生せしめ,金融業界の再編にまで及んだ.同時に経済成長を支えた産業構造の脆弱性がグローバル化の中で露呈することとなった.縦構造から横構造への変化である.

この日本の資産バブルの崩壊は加熱した土地投資への金融引き締めに端を発して,高騰し続けた土地が売りに転じ,急速な下落が始まった.その結果,含み損,担保割れが発生し,相対取引の債権が不良化,一気にバブリーな国民経済も,さめていったのである.

米国の場合は証券化された住宅ローン(債権)の不良化である.特にこの債権が他の金融商品と抱き合わせで証券化され,格付けも高い商品として世界市場で取引きされていた為に,その影響や対策が掴みづらい事態になったのである.日本の場合とは違う事態と言える.

この大衆向けローンなどの証券化は近年の新しいスキームである.これによって,資金とリスクが広く分散され,さらにローンと需要を拡大させる.不動産価格も右肩上がりが当たり前になって行ったと思う.

この需要にむけ,各国の輸出が増加し,世界経済をうるおして来たのも事実である.マクロでいえば世界の国々は米国に金を貸して,米国の需要を支えなが輸出して来たと言える.こうして米国の物質文明が世界の経済を牽引して来たのである.米国の需要が低迷すれば世界の経済は大きなダメージを受ける構造になっているのである.この構造から脱出する事が米国離れが必要だとする理由である.

ところで,現在どの国も企業も個人も,借金をして物を買う時代である.その結果,収入の何十倍もの需要と債権債務が生みだされる.実態経済はこの信用(国債も含めた借金)と言う上げ底の上で,運営されている事になる.

それだけに,債務の不良化が一斉に起これば,一気に実態経済を奈落に落とす事になるが,良くも悪くも,債務・信用力・右肩上がりへの期待,によって実体経済が支えられているのである.実態経済と金融経済は表裏一体なのである.

一方,資本主義経済は常に景気や資産価値が変化する.今回の金融危機も,経済の見えざる手(ビルトインスタビライザー)が働いた結果と見れば,経済のメカニズムは正しく作動したとも言えるが,あまりにも大きい資産の暴落は,信用経済を委縮させ,企業も個人も死活問題に陥るのである.自由主義経済,いや人間の欲望の戒めである.

そこで,この信用収縮,資産価値暴落に対し,短期金融市場への資金投入,不良資産の買取,資産劣化の金融機関への資本投入,預貯金の保護,景気対策など国は金融対策,財政対策を打つ事になる.それに何十兆円かの公金を使う事になるが,それでも回復のリスク,国家財政のリスクはともなうのである.

二度と,このような経済危機を起こさない為に,事前に資産価値の暴騰・暴落を抑制する方法はないものだろうか.

日本の場合も米国の場合もそうだが,土地や原油などの拡大再生産できない物に資金が過剰に供給され,右肩上がりが継続すると,さらに資金が集中する.そのうち,実態とかけ離れた価格にまで上昇し,挙句に,一挙に破綻するのである.

従って①資金の集中を抑制する方法・政策が考えられないだろうか.

次に債権の証券化の問題である.株でも社債でも国債でも資金調達者は見えるが,ローンや一般の債権をまとめて証券化すると,まったく債権者が見えない状態で市場取引きが行われる事になる.

ましてや不良な債権を証券化しても市場では見抜けないのである.その為に,金融商品の格付けやリスク保険があるにせよ,もともと,そんな商品は市場に出してはいけない,市場取引きの原則に反すると思うのである.

そこで②顔の見えない債権の証券化を禁止する方法は無いだろうか.

次に思う事は,日本の低金利政策で個人の資金は投資に誘導された.金融市場の活性化に大いに貢献したと思うが,今回の暴落で資産が大きく目減りし,将来不安を抱えながら塩漬けにしている状態となった.特に個人投資は機関投資家と同じ市場で取引される割に情報も専門性も資金も損失保険もないのである.

そこで③元本保証の株式投資商品(個人向け損失保険)を普及させるのはどうだろうか..

例えば5年満期,途中解約自由,満期時含み損があれば元本保証,解約あるいは満期で利益があれば一定割合を販売元に支払う.こんな仕組みで貯金並に投信する仕組みである.

類似商品はあると思うが,投資の大衆化にともなうセーフティネットになるし,これによって,個人の不安解消,個人消費の維持が出来る.しかも普及によって株価の安定化,投資資金の拡大が図られると思う.

今思いつく事は素人ながら上記三つであるが,何よりも資産価格が実態とかけ離れて上昇し始めたら’売り’,実態より下がり始めたら’買い’くらいの判断が一番の抑制策かもしれない.

運用利回りは経済成長程度とみるべきだと思う.もっと上がると欲張ると痛い目にあう.欲張ると’バブルとは崩壊した後でわかる事’と言う事になる.それではまずいのである.事前に判断できない経済専門家,機関投資家の予見能力を疑うが,猛省を促したい.

故人曰く' 山高かければ谷深し’’急に上がれば急に落ちる’’膨らんだ風船は簡単に破裂する’である.これを踏まえて,健全な価値判断を持ちたいものである.個別物件の乱高下はあっても,経済全体が引きづられない政策・仕組み・価値観を人間の英知として確立したいものである.

資本主義,市場主義,自由主義を担保する為にも,暴走を制御する知恵が必要だと思う.

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2008.07.06

143 消費は美徳か

経済活動から見れば,どんな消費であっても,消費が高まる事は経済成長にとって,良い事である.さらに言えば経済波及効果の大きい消費ほど良い事になる.まさに消費は美徳なのである.

しかしながら,経済が拡大し,消費が天然資源の枯渇や地球環境の破壊につながるとしたら,消費は美徳と言えなくなる.価格が上昇し消費を抑制する方向に経済が動くが,起こってしまった枯渇や破壊は取り戻せないのである.

明日からの洞爺湖サミットで地球温暖化ガスの削減論議が行われる.ガス排出の削減競争ではなく,ガ゙ス排出量の争奪戦の様相もある.先進国,途上国,後進国などの主張を,どのように調整するか大きな課題である.(NO134で既発信)

途上国は地球を汚してきた先進国こそ大きく削減せよと言う.当然の主張としても,この程度の問題ではない感じがする.中国,インド,アフリカなどの数十億人の国民が先進国並みの消費をしたら,

例えば,一家で2,3台の車を乗り回したら,毎日朝シャンをしたら,冷暖房が完備したら,大量生産する工場が乱立したら,地球はパンクしかねない問題である.

だとしたら,温暖化ガスが削減どころか,消費もガスも限りなく増加し,製品を作る資源もなくなり,物価が高騰し,途上国,後進国の経済発展もできなくなり,先進国の削減努力程度では済まない問題になる.何よりも,自然環境が変貌し,気候や生態が大きく変わる問題になる.(是非,科学的検証をして欲しいと思うが)

まさに,膨大な人口を持つ途上国,後進国が,かつての先進国が物質文明を謳歌したように,無防備に急速に経済膨張すれば,地球にとって脅威になる.途上国の発展を願うにしても,人類有史以来の飢餓問題,宗教問題,民族問題,等の国際政治の難問と同じくらいの難問に突きあたるのである.

そんな中で,せめて,先進国は浪費(不必要な消費)を抑制する事である.いかに高度な技術で,少エネ,少資源,の製品を普及させても,浪費を誘発しては意味がない.素晴らしいエコ車であっても,利用度の低い人が車を買え変えたり,今まで以上に車を使えば,資源消費は増加することになりかねないのである.

経済から見ればマイナス要因になるが,物を大事に使う,もったいない感覚に回帰する事が必要である.浪費で支えられる経済は続かないし,’消費は美徳’は,経済発展とともに,'消費は美徳,ただし,浪費は悪徳’にして行かねばならない.そうでなければ,’消費は悪徳’の事態を招くことになる.

元来,資本主義,市場経済の仕組みは自然で合理的な仕組みであるが,人間の欲望に従って,地球環境や資源を食いつぶす側面がある.一方,需要・消費側の価値観で,これを抑止する事も可能である.従って,規制に至る前に,消費側の意志で経済と少エネ,少資源を両立させて行きたいものである.

こんな中で日本は’もったいない文化’,浪費の抑制,,エコライフ,省エネ製品の開発,何よりも,少エネ製品の少資源化,ガス削減へのインセンテブ制度を国内で実践し,成果を示して行く必要がある.ビジネスチャンスとばかりに,輸出に執着する風潮は世界の信頼を損なう.

明日からの洞爺湖サミットで’地球環境の安全保障問題’との認識で議論を進めて欲しいと思う.武力の安全保障,食糧の安全保障,病原菌の安全保障,等とともに,人類の英知が問われているように思う.

ところで,約1年前に当ブログ(NO99)で,オリンピックが終わってから,洞爺湖サミットを開催すべきだと発信した.中国の経済発展と地球環境問題をテーマに掲げ,リアリティのある議論になるし,その隣国の日本で開催する意味が増すと思ったからである.今もその思いは変わらない.

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2008.03.20

134 温暖化ガス削減問題

地球温暖化防止に関する主要20カ国は316,2012年に期限が切れる京都議定書の次の枠組み(ポスト京都議定書)のあり方や中国,インドなど途上国が参加する新たな体制作りを討議した.そして,7月の主要国首脳会議(洞爺湖サミット)で合意を目指す.

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現在の排出量を半減すると,海洋や森林による吸収量とほぼイコールになると言う.そこで日本,米国,英国は2050年までに,これを実現することを宣言.当然,革新的な技術開発,低炭素社会作り,環境保全と経済成長の両立,が必要となる.

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この2050年を見据えた目標の合意形成をした上で,ポスト京都議定書(多分2013年~2022年の間)の枠組みの議論がされる事になる.すでに,欧州連合(EU,中国は90年比世界全体で25%~40%削減を提言している.

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現在の京都議定書は199712月に議決され,2008年から2012年間に,先進国全体の温暖化ガス排出量を1990年比5%以上削減することを全体目標とし,先進国に対して,国ごとに-8%~+10%の削減目標を定めた(日本は-6%).

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この京都議定書ではアメリカやオーストラリアの離脱,カナダの削減目標断念,インドや中国などの大量排出国の目標未設定などがあるが,いくつかのポスト京都議定書につながるメカニズム(京都メカニズム)を定めている.

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①グリーン開発メカニズム(CDM,先進国が途上国に投資した時,削減加算),

共同実施(先進国同士の投資分の削減加算),

排出量取引(キャップ&トレード,先進国同士の排出量取引,排出量の上限を決め,過不足取引で補う.削減へのインセンテブ).

排出量取引は200710月に欧州連合(EU)や英,,,米・加の主要州,ニュージーランドなどが調印.国際的な取引市場を目指す予定である.

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一方,日本における京都議定書の削減目標は必ずしも簡単ではない.1990年の排出量126000万トン,に対し2005年は136000万トンの実績,2012年の排出目標は119000万トン(90年の6%減)であり,2005年実績から17000万トンの削減(13%減)が必要になる.

一方,排出量取引や環境税も消極的,CDMや森林吸収だけでは目標達成は困難な状況である.昨今,政府は排出量の多い企業上位100社で日本の3割)に削減圧力をかけ始めているが,いかに技術を誇っても,目標が達成できなければ,他国を説得できない苦しい立場もある.

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さてポスト京都議定書に向けて総論賛成しつつも,各国の思惑が働き,合意づくりが困難を極める事が予想される.何よりも,排出枠設定における先進国と途上国の対立である.

中国は先進国が率先して高い目標を設定し,かつ途上国にGDP0.5%以上のODAをすべきだと主張.インドもこれに近い.反面,先進国はすでに,削減可能量は少なく,これ以上の削減は産業の海外移転か産業の縮小につながりかねない.途上国への削減支援に努めたい,等と国益が衝突している.

日本は産業別に技術的な削減可能量を積み上げて目標設定をし削減可能量の多い国への資金,技術援助はすると提案,米国もこれに同調.欧州連合は温暖化対策が遅れる国に生産拠点が移る事(削減投資の回避)を防止する為の製品輸入規制を主張.ロシアは共同実施方式で削減と技術普及を図ると発表.

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いずれにせよ産業構造,経済成長,技術レベルに応じた公平性によって,非参加国を出さない枠作りと地球温暖化防止につながる枠作りでなくては意味がない.その目標の拘束力の問題も出てくる.各国内においても,同じ問題が発生する.目標設定の仕方,公的予算の投入,拘束力や排出量取引などの国内法整備の問題である.

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削減コストも大きな問題となる.欧州の試算では年600億ユーロ(約95千億)必要だという.日本の試算では現在から20年まで,企業・家庭合わせて52兆円(年4兆円)必要だと言う.これを温暖化防止のコストとみるか,温暖化防止ビジネスとみるか,思惑が交差する.

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この様に地球温暖化による自然環境破壊の恐怖から始まった対策に,懐疑論も根強く存在している.温暖化に関するデータの信頼性,・科学的裏づけの問題,温暖化ガス以外の要因説(紫外線,太陽地場,水蒸気,ヒートアイランド等),予測精度の問題,南極の氷の増減の問題,地球寒冷化説,CO2の吸収先問題,原発や産業の陰謀説,などである.

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この様に生産・消費の増大と温暖化防止をどのように考え,方向を出すか,7月の洞爺湖サミットで主催国日本のリーダーシップが問われる.8月の北京オリンピックの自然環境も気になるところであるが.

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2008.02.25

128 経済国際化と経済数値

新興国のWTO加盟によって,世界貿易が急速に拡大している.金融や資本の自由化,関税障壁の低下は,外資の投融資や外資企業の進出を促す,これによって,新興国は加工貿易の促進,雇用の拡大,技術の移転,社会資本の整備,国民所得の向上を進めている.同時に,各国の価値観・文化などの相互理解,共有化も促し,世界平和にとってきわめて望ましい方向で進んでいると思う

一方,国際化している経済活動を従来のように,国とか県とかで切り出しただけでは実態が見えなくなってきている.

例えば,07年の中国の輸出額は約130兆円,6年間で5倍,日本を04年に抜き,昨年米国を抜いてドイツについで世界2位だと言う.

一方,中国進出の外資企業は累計で63万社,雇用2300万人,年間投資約8兆円,で外資の貿易黒字は1300億ドル(中国全体2600億ドルで約50%)だと言う.多分,外資企業の輸出が全体輸出の50%あるのではないかと思う.

かっての日本と同じ加工貿易と言っても,外資企業グループ間の貿易が多い.だとすると,貿易額,貿易収支額あるいは国民総生産に外資系企業の売り上げが多く占める事になる.従って,従来のように,単純にその国の合計値だけでは実態を見失う事になる.

投資なども従来の感覚で見てはいけない.よく世界のファンド資金が新興国に流れていると言われる.しかし,正確には新興国の既発行株式や債権の買いの場合,売り手が必ずしも新興国だとは限らない.従って資金が新興国に流れているとは言えない事になる.又,外資の株保有が増加すれば,当然,配当は外資に流れる.

ただし,資本への出資(投資)や貸付(融資)なら,新興国へ資金が流れている事になる.このように,数字の中身を見ないと正確に実態をつかめないのである.

日本国内で言えば,最近,景気が良いのに,その実感がないと言われている.これも,海外関連企業が好調であったり,輸出が多かったりしている場合が多い.設備投資,従業員への分配,配当,税金などが海外に向いている可能性もある.

反面,ドメステックな企業は国内需要の低迷で景気の実感はなく,為替レートも実力と乖離する事になる.海外進出が増えれば,国民総生産や国内雇用は増えることはない.単純に国民総生産で経済成長を図れないのである.

地域格差,人口流出,地域振興などの県単位の議論も,経済の国際化の中にある.いくら県単位で地域振興策をとっても,経済は県境どころか国境も越えて動く.当然,経済合理性や他府県,海外との競争優位がなければ,地域振興策は無意味となる.地域という限定世界で経済は動いていないのである.

このように,経済の国際化によって,経済実態の把握や政策立案は,国際的視野が当然不可欠になる.従来の合計された経済数値だけでは実態がわからないのである.その内訳が必要である.無意識に働く’島国的思考’は,もはや通用しないのである.

島国的思考は’内と外の概念’が代表的例である.民族的・文化的背景が根底にあると思うが,時として,実態を見失うことがある.’外資はけしからん’と言う感情,論理もそうであるが,外資の定義が極めてあいまいなまま,無条件に’外’を排他的に考える習性が影響していると思う.実態は物でも金でも入り混じっているのであり,それなくして経済は成り立っていないのである.又,日本の統計も,世界とつながっている意識を欠落させる.内訳を示しながら,グローバルな思考を育てなければならないと思う.

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2007.10.27

120 食品表示の功罪

身体に実害のない食品偽装問題が頻発している.増加しているのではなく、明るみに出ただけだと思う.そもそも食品は曖昧なことが多いし、身体に悪いものでなければ良いとの感覚があるからだと思う.

また,偽装は食品に限らず誇大広告,セールストーク,見せかけ,イメージアップ,化粧・ファッション・装飾・見栄,など人間の本能と隣接し,故意の欺きは詐欺罪とも隣接している.

さて,問題の食品表示について考えてみた.

食品表示制度(食品衛生法、JAS法、健康増進法、景品表示法、計量法)でアレルギー物資の有無や混在食品内容が分かる事は、それを必要としている消費者にとって,きわめて有効であるが、法定表示(産地、原材料、賞味期限、消費期限、容量、製造者、保存方法など)や任意表示(ブランド,特徴,製造日など)に問題もある.

いくつか食品にまつわる問題を列記してみた.

①賞味期限内で製造日調整・書き換え(鮮度競争)
②賞味期限の延長張り替え(もったいない廃棄回避
③商品目利き力を落とす表示依存
④意味不明の回遊魚の漁獲水域、水揚げ港、国名、等の表示

⑤定義を知らないまま妄信する肉や魚の地域ブランド
⑥根拠が不明な消費・賞味期限(メーカーの自由設定)

⑦作り置き商品等、定義が不明な製造日(メーカーの自由設定)
⑧表示困難な業務用、惣菜、切り売り、弁当、料理
⑨国内外のOEM調達、半製品仕入れ等、製造方法の多様化
⑩輸入食材増大と規約の国際間摩擦
⑪グローバル化で加工食品検査が困難
⑫不明瞭な虚偽表示の罰則(衛生法、JAS法、不当競争)
⑬安全・安心で無用な潔癖性が蔓延(コスト増・食料廃却増加)


所詮、食品は食材、品質、うまさ,安全性、等、曖昧さが残る商品である.にもかかわらず、あえて表示する事で、消費者、行政、製造業者、間で見解の相違が発生したり、消費者に盲目的な安堵感を与えたり、偽装を誘発する側面を持っている.

例えば、

製造日表示を賞味期間表示に法制度を変えた経緯があるが,新しいものから売れる消費者心理から、依然と製造日を表示し最新製造日競争が続いている.賞味期間内で製造日を先付けしたり、最新の製造日に書き換えて表示する事が発生する.又、返品商品もリサイクルすれば新しい製造日になったりもする.

製造日の偽装が発覚し,大きなダメージを受けている企業が頻発しているが,製造日の定義いかんで、製造日偽装とは言えない面もある.そもそも数日間の賞味期限なら製造日の表示は不要である.これなら何の問題もないのである.なんとつまらない問題である.

元来,製造日がいつであろうと、品質が変わらなければ、消費者に不利益はないし、むしろ、ロス軽減で、安くなるかもしれない.ならば、製造日を法や業界約束で表示禁止にした方が、製造日競争がなくなり、食品の無駄がなくなると思う.

賞味期限も定義があいまいで,期限を超えても食べられなくなるわけでもなく,期限切れで廃却する抵抗感がある.当然,期限切れの商品に延長張り替えをするか,品質チェックで賞味期限を再設定する事も考えられる.

肉は価格に比例して旨さが決る工業製品に近い食品だと思うが,何々牛とブランドが横行している.同じブランドの中にも旨さ,価格はいろいろある.’神戸牛’だからすべて旨いわけがない.100グラム2000円の肉ならどのブランドもうまいと思う.100グラム400円の肉ならどのブランドもいっしょだと思う.

魚の産地表示もたいした意味がない.漁獲海域もしくは水揚げ港もしくは水揚げ国の表示だからである.ノルウエー産と表示する事に何か意味があるだろうか.ノルウエーから輸入しただけで,どこで捕れたか不明である.なんとなくノルウエー近海で取れた魚と錯覚させるだけである.回遊魚ならますます産地表示に無理がある.

肉,魚,野菜,果物などは食品衛生上の問題がなければ,消費者の目利き力が基本だと思う.ブランド,表示に頼ってしまう弊害に気がつかなければならないと思う.

定義が曖昧な項目を表示すると、形骸化したり,偽装を誘発したり、消費者の妄信を高めたり,論理性欠如で海外からの批判が出たり,するのである.

食品衛生上の表示以外、法定表示項目は不要なのかも知れない.自由に表示したものと、中身が違えばもちろん偽装の罪になるだけで良いのかもしれない.

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2007.10.02

115 900兆借金の考え方

国・地方の借金は2005年で912兆だと言う.1990年は289兆であったが,バブル崩壊後の財政出動で15年間で623兆増加した.一方、金融危機対策で低金利政策を取った為、90年の利払い16兆(GDP比3.5%)に対し、05年は12兆(GDP比2.5%)だと言う.

ところで,07年の国家予算85兆のうち返済は25兆(34%)である.企業や家計なら借金地獄の状態であるが,どう考えれば良いのだろうか.まず特質を上げてみた.

①GDPの約1.5倍を超えている(他国はGDP以下)
②海外から借金はしていない(郵貯,金融機関がほとんど)
③返済額を新たな国債発行でまかなっている
④低金利政策を取らざるを得ない
⑤将来も返済額が予算を硬直化させ,民意を圧迫し,重税を強いる

⑥日本経済は900兆の上げ底(先食い)の上で営まれている
 
これに対し,

・残高の危険水域はGDPが上限とする説,
返済は国家予算の20%が上限とする説,
・債権者が国内だから,どうにでもなるとする説,
・国民資産が1500兆あるからどうにかなるとする
説,
・債権を差し引きすると純債務は400兆程度であり問題ないとする説
・インフレを起こせば軽減できるとする説(紙幣が紙屑になるが)

など評価はさまざまである.

いずれにせよ,世界に類のない膨大な借金残高は,公共投資によってGDP,税収が増えるから問題ない,背に腹は変えられない,子孫への負担など,わしゃ知らん,と国債を発行し続けた結果である.真剣な返済計画など聞いた事はない.

特に90年から資産バブル崩壊対策で,15年間,空前の財政出動(623兆の残高増加)をした.しかし,真に効果のあった政策は15年後の構造改革であった事からすれば,まさに,改革なくして成長なし,であり,現在の経済規模では,いくら財政出動をしても効果がでない事を証明したのである.

しかし,失われた10年当時の政治家は誰一人として,この失政,借金残高を認め,反省する者はいない.今でも口を拭って,偉らそうなことを言うばかりか,構造改革はけしからんと,相変わらず財政出動論で復権しようとしている.この人達の考える返済計画を是非聞きたいと思うのだが.

私なりに,借金の対策を考えてみた.

①財政再建(額)より財政健全化(質)を進めるべきである

財政健全化とは,効果のない事業(食い逃げ事業)の借金返済を後世に残さない事である.効果に見合う借金返済なら説明がつく.後世の国民も納得する.したがって900兆の借金の内、どれくらい不良債務(国民から見ると不良債権)があるのかが真の問題である.

これが、財政を圧迫し、未来の国民の富を奪う.この不良債務の返済を優先し、激減する事が真の財政健全化である.この視点で国債残高を評価し直すべきである.プライマリーバランスを取る事が財政改革ではないし、これでは不良債務を隠し、後世に負担を強いる事になる.

②借金による景気対策事業(食い逃げ事業)は禁止すべきである

財投の抑制と郵貯の民営化は,食い逃げ公共事業に流れる資金を止め,資金の有効活用を促す意味で評価できる.官の間で回っていた資金を民の市場に回し、経済の活性化を図って欲しいのである.

また,大義をでっちあげて,実はばらまきの景気対策の公共事業をやるとしても,借金は禁止すべきである.将来の返済計画とそれに見合う効果が怪しい公共事業は,必ず,借金だけが残る.

③低金利政策は長期に続けられないと考えるべきである

最大の問題は国債残高や金融機関を支えている低金利政策である.これは国民の預貯金や年金資産の目減りという大きな犠牲で成り立っている.金利より投資と言われるが,金利のつかない経済は資本主義とは言えない異常事態である.①の財政健全化を早期に進め,ノーマルな状態に戻す取り組みがきわめて重要である.

④財政,税制,予算を最大の争点にすべきである

日本の閉塞感の大部分はこの借金残高問題である.政治がやるべきことは増える一方であるが,この問題に道筋をつけなければ,政策に手も足も出ない.希望も湧いてこない.各政党は,このテーマへの考え方,政策を発表し,総選挙の争点にすべきである.

⑤増税論議は社会保障以外でやるべきである

医療・年金・介護の為に増税する発想ではなく、これらの財源を先に、割り当てた上で、防衛,国土,文教,産業,等の事業で増税もしくは借金の適否を議論すべきである.不良債務の発生を防止し,過去の悪しき事業を覆い隠せなくする為である.

⑥事業ごとの債務残高を開示すべきである

事業毎に債務残高を管理し,毎年公開すべきである.後世の国民は,なんの事業の借金残高か,何の事業への返済か,を知る権利がある.又,先人の作った①の不良債務は教訓として,後世に伝えなければならない.

これくらいやらないと,国民は気が治まらないし,閉塞感も軽くならない,いづれにせよ,この膨大な借金の評価,処方箋,返済計画を,専門家から聞きたいと思う.

今のままでは,返済計画のない借金は,ヤミ金から借金する事態と同じ,と言わざるを得ないのである.

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2007.03.24

88 ロングテール現象

リアルの世界ではパレートの法則(2割の商品が8割の売上を占める)が働いているが,バーチャル(ネット)の世界ではロングテール部(長い尻尾,上位2割以外の商品群)の売上が大きくなる現象が起こっている(ロングテール現象).

物販で言えば,店頭販売では陳列面積の制限,効率,リスク対策で売れ筋の商品を中心に陳列する.一方,ネット販売での取り扱い商品は商品を絞る必要がない.しかも,販売高はパレートの法則が崩れる.売れ筋商品の売上より,それ以外の商品群の売上が多くなる.リアルでは売れなかった商品がネットでは,ちりも積もる事になるのである.

何十万曲,何百万冊の音楽や本のネットビジネスではヒット曲や人気本より,めったに売れないコンテンツ群の売上が大きくなるのである.又,これらの商品は競争も少なく利幅も取れる事になる.

このロングテール現象は商品だけではなく,企業にも言える.特徴があったり専門特化の小さな企業でも,田舎の企業でも,大企業とネットの世界ではチャンスは同等になる.情報社会は産業のフラット化を加速させるのである.

ネット・情報によるロングテール現象の意味する所は,リアルの世界では企業はパレートの法則によって顧客や商品を選ぶが,ネットの世界では,顧客が企業や商品を選ぶのである.まさにオンデマンドの世界が出現した事である.

この変化は社員についても言える.2割程度の社員が事業をひっぱる従来の姿から,情報共有によって,全社員の活躍が期待できるようになる事である.相対評価による人事評価の仕方が問われる事になる.

さらに,選挙においても,無党派が多くなっているが,これも情報社会におけるロングテール現象だと思う.従来の組織票だけでは戦えない時代になったのである.決して無党派は無関心派ではないと思う.政治家が組織票を選んだり固めたりする事以上に,国民が政治家を選ぶ事が大きい時代になった証拠である.

このように,情報社会はロングテール現象を起こし,個性化,多様化,フラット化を加速させていくのである.

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2007.03.17

86 堀江判決

ライブドア事件で堀江元社長への判決が出た.

事件の全容は省略するが,浅学ではあるが,遠目でみた感じでは,ライブドアはネット事業とファンド事業をやりながら,株で資産を築いた.近鉄球団買収を思い立ち,球団保有の審査を通る為にも,楽天との競合で決算を良くしなければならなかった.当たり前のように,社長は売上と利益の上積みを指示した.結果,良い決算が上がってきた.こんな方法もあるのかと喜んだりもした.

そこに,自分としては違法性も犯意もなかったと主張しているのである.創造的,積極的人物によくある言動であり,会計制度に疎いのも事実のようである.しかし,有罪であれば経営者としての結果責任は逃れられない.

一方,経営者を支える経理責任者や会計監査法人が違法性や犯意をどのように認識していたかは定かではない.(特に問題との意識はなかったようだが)

この判決に対し.

虚偽記載の事例からして重すぎる,儲け方が気に入らない,反省・謝罪がない,莫大な財産を持っている,等で軽すぎる,米国の例から,きわめて軽すぎる,などの感想があると思われる.裁判の争点以外の日本的な,感情的な感想が多いように思われる.

ライブドア事案で国民は証券取引やファンドやM&Aの学習をした,引き続き裁判についても,学習の機会を得ていると思う.そこで,この裁判を通じて,素人ながら,経済裁判を考えてみた.

①反省の度合いと量刑の問題

量刑は〔動機・犯罪内容・反省度合い〕で決まるようだが,この中で動機に対しては裁量があっても良いと思うが反省度合いに対しては違和感がある.

今回,反省がない事が実刑になった理由だと言う.無罪を主張し,否認しているから反省する訳もないのだが,反省のない者を世に出してはいけない.じっくり反省と厚生をさせる必要がある.と言う考えが裁判にあるようだ.

日本における実刑は罪の償い(罰)以外に厚生(指導)をさせる目的があるようだ.裁判所と刑務所は罪人の厚生機関と捉えているようだ.償い(罰)の機関でよいのではないかと思う.

反省したら罪が軽くなるとしたらグレーの問題や有罪になる可能性のある問題に無罪の主張が出来づらくなる.真っ向対立で裁判を戦う事で真実をあぶりだす事が難しくなる.妥協で罪を認めれば冤罪の温床になる.

反省の証として謝罪,私財の放棄,弁償等が行われ,減刑されるとしたら法の下の平等が崩れる.

捜査や逮捕と言う国家権力の行使には間違いがない,と言う前提で,反省したら許そう,反省しなかったら許さない,と言う文化が根底にあるように思う.

量刑は〔動機,犯罪の内容〕で決めるべきだと思う.’罪を憎んで人を憎まず'の考えにあるように,犯罪を裁くべきだと思う.反省度合いを量刑に影響させる事は'人を裁く'事になる.人の反省や厚生は少なくとも,経済裁判では裁判所の仕事ではない気がする.

②真実を明かす事と量刑の問題

事実の証拠の提出などは反省に基づくものとされ減刑の要素になるようであるが,それでは黙秘権行使が心象を悪くする事になる.

刑を軽くしてでも真実追求や犯罪防止につながるなら司法取引の制度を考えるべきである.重要証拠を出す,出さないが反省している,していない,と置き換える事は黙秘権や①と同じ問題になる.

③分離裁判の問題

今回,同一事案に対し被告人毎の分離裁判でが行われているが他の裁判の被告人が当裁判の検察側証人になっている.もし,求刑を軽くするから他の裁判の検察側証人になれと言う事があれば,金をやるから証人になれと似た事になる.弁護側は分離された裁判に参加していないのであれば検察側と多勢に無勢になる

そもそも同一事件を分離裁判し,整合性が取れるのだろうか.

④裁判官と検事の関係の問題

検察の求刑が裁判官の重要な判断材料になるようだが,はたして,国家権力を持つ裁判官と警察・検察が独立しているのだろうか.求刑が量刑の上限を裁判官に示唆し,裁判官は求刑の掛け率で判決を出す,と言う事になっていたら大問題である.冤罪のリスクに係る問題である.

⑤社会的,経済的制裁と量刑の問題

罪が確定する前(事情聴取,家宅捜査,逮捕など)に本人の意思とは無関係に起こる社会的経済的制裁の度合いが情状酌量に影響を与える事がある.

制裁が自業自得と見るか,裁量に反映すべきか,法の元の平等の観点で議論すべき難問である.識者の見解を聞きたい.

又,大きな制裁が発生した時,いまさら無罪に出来ないと国家権力側は考えるかもしれない.何が何でも有罪に持ち込もうとした挙句,冤罪になりはしないか心配である.

勿論,無罪が確定した時の社会的,経済的制裁の国家弁済の問題もある.

事情聴取だけで白眼で見る国民性,お上意識が根本的問題なのかもしれない.判決が確定するまでは無罪という教科書のような考え方は国民意識や司法制度に反映しているとは思えない.これも識者の見解を聞きたい.

⑥国家権力の行使の問題

確実な事は⑤の事を考えれば,警察・検察・裁判所の国家権力の行使は慎重でなければならない.個人的な思想や恣意的な判断あるいは世直し奉行の自負で国家権力を行使してはならない.

あくまでも違法性と証拠での行使が求められる.国家権力が正義の覇者を振りかざしたら法治国家ではなくなるのである.

又,経済事案は会計監査法人,行政・証券取引の監視機関などで未然防止や修正申告指導などが行われ,経済的混乱を避ける意味合いがあるが,今回はどうであったのかの検証が必要である.特に今回は証券取引監視委員会を飛び越えて,いきなりの虚偽記載の逮捕であり,他の虚偽記載事案と比べて議論を呼ぶ所である.

年寄りが若者を懲らしめているように,法の眼を盗んで錬金をしている事は許せない,哲学・言動も許せない,Tシャツが無礼だ,と時代のヒーローに祭られた人物を見せしめの為に国策捜査をしたとの印象が拭えない.他の経済事案と比較しても違和感がある.

⑦世論,マスコミの反応

司法の判断の尊重からか,一時はヒーロー扱いしたマスコミや世論が手のひらを返すように,司法判断に迎合しているのも気がかりで危険である.マスコミなど見識を問いたい.検察が怖いのだろうか.コメンテーターの薄ぺらさもいい加減だ.

いくつか上げた問題のように,堀江哲学・言動・錬金方法の賛否より,風説の流布や粉飾決算が意図されたのか,他の類似経済事案と何処が違うのか,量刑に恣意的な要素が入っていないか,そもそも検察が介入する前に,会計監査法人,行政,証券取引のチェック機関は何をしていたのか,どのような役割りになっているのか,国策捜査ではなかったか,等の議論を深めて欲しいのである.

経済事案は影響が大きいだけに,国家権力行使によって善意の被害者が発生する.何らかの保護策が必要だと思う.経済裁判が増えてくる中で,伝統的な考え方,制度,仕組み,慣習,用語,形容詞の多い判決文など,改革すべき課題は多い.

さて,堀江被告の法廷闘争は,2審では一転,罪状を認め,反省し,日本的減刑作戦にでるのだろうか,あくまでも無罪でつっぱるのだろうか.世論やマスコミから,この問題は風化してしまうのだろうか.

法治国家である以上,感情,倫理,正義感ではなく,起訴に係る法律と証拠のみで合法・違法の法廷闘争を進めて欲しいものである.それが裁判の使命であり,それ以上の使命や期待は警察国家につながる.この為にも,ここで上げたいくつかの問題の論争も期待したい.国民も論理的な物の見方を鍛えなければ,'お代官様文化'を改革できないし,陪審員制度や国際社会に伍していけないと思う.

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2006.11.20

68 堀江氏の法廷闘争

当初,元ライブドア社長堀江氏の法廷闘争は

①風説の流布,粉飾決算に対する反論
②主謀者ではないとの反論

が考えらたが,マスコミを通じて聞こえてくる主張は②である.①の違法性を認めたうえで,②の闘争に絞っているのだろうか.あるいは,ライブドアや宮内裁判で違法性が確定する事を見越して,いるのだろうか.

そもそも,経済事案は一括裁判が望ましい.一つの事案に対し,被告人毎に,裁判を分離したのでは,法的判断や罪状などの整合性が取れないはずである.別の裁判の被告人が違う裁判の検事側の証人として登場する事など,減免につながる危うさを感じるし,判断のたすきがけが起こってデッドロックになる可能性もある.

又,今回の事案で社会的意味があるのは投資組合の扱いなどの法的論争である.見てる方からすると,どっちが首謀者かはあまり興味がない.マスコミも三面記事のような報道ばかりでは能がない感じがする.経済事案らしい法的考察が欲しいのである.

さらに、金融取引等の経済案件に対する行政,司法の対応の問題もある.チェック、勧告、修正、課徴金、等の行政処分や刑事裁判など,対応のレベルが行政や司法の裁量に依存し恣意的になる性格がある.いきなり刑事事件として扱った妥当性も検証する必要がある.

他方,犯罪が確定するどころか,任意の取調べや家宅捜査だけでも,株価やビジネスに極めて大きなダメージを与える.この事を行政や司法はどのように取り扱うのだろうか.行政や司法が恣意的に動けば,企業などひとたまりもない.ダメージを与えた案件はその責任を避ける為に,何が何でも有罪にしてしまう事につながらないだろうか.

経済案件は法制度の不備や解釈問題,ケースバイケースの不平等性の問題などが発生しやすい.きわめて曖昧な難しい案件でも,行政や司法の振る舞いが多くの株主や業界に損失を与える.

司法が正義をかざしたり,自らの主義主張や世直しの気持ちから恣意的に動く事は絶対あってはならない.あくまでも法に照らして,慎重に行動しなければならないのである.

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2006.09.17

57 ネット広告事業

ネット広告サイトは民放テレビと同じように,視聴率(アクセス)を高めるべく,多くのサービスを無償・有償で提供している.検索やブログのように,今や,なくてはならない機能として,何千万,何億の人に定着している.

一方,利用者の方から見ると,バナー広告やリステング広告はほとんど見ない,又,ネット広告の新たな方法として,何万,何十万ヶ所の個人サイトに広げ,成功報酬で広告料を払う仕組みが急速に広がっている.こちらの方が視聴率が上がる可能性がある.確実に大手の広告サイトの収入が減少するはずである.

この事から,はたして広告収入を当てにした大手の広告サイトのサービスが今後とも成り立つのか疑問を感じる.現在,ネット広告の収入が増加しているが,しだいに,ネット広告サイトは下火になると考えられる.楽観的に見ても,いつまでも存在し続けるわけが無い.

ビッグなネット広告サイトが事業を廃止すると,便利なサービスや膨大な個人の情報(ブログ,ホームページ等)が心配になる.テレビ局が倒産するとは,わけが違う影響が出る.

具体的に調べていないが,法的にも,このリスク対策が必要だと思う.サイトがグローバルなだけに,国際的な検討も必要である.あるいは,利用者責任として扱かわれるのだろうか.ネット社会の多くの問題の一つとして,対策が望まれる.

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2006.06.17

49 経済原理と社会

昨今の経済問題論議で忘れている原理について,自明の事ではあるが触れてみたい.

経済原理は難しい事を言わなければ’儲ける事’である.これによって経済活動(富の生産・分配)が営まれ,お金が回り,社会秩序が形成されている.儲けにつながらない公共事業の肥大化は結局は財政を破綻させ,公共事業を出来なくさせる.経済原理ではなく思想で社会秩序を維持することは歴史が証明しているように限界が来る.結局,儲ける行動が社会秩序を保つ基本原理として作動し続けているのである.

この儲ける行動が競走を生み,儲けられない事業・企業は淘汰され常に産業の代謝が起る.かくて,この単純な原理が多様な価値観,多様な産業を産み,人間の欲する富・科学・文明・文化を導いて行く.この経済原理から切り離される社会保障,安全保障などのセーフティネットの充実も,富なくして成り立たないのである.

一方,この経済原理は行動の自由を求めつつも,国の文化,歴史,慣習,法制度,資源,エネルギー,自然環境,産業保護,などの制約・ルールの中で作動している.したがって国際経済活動で国毎に異なる制約があるが,同じ土俵を求める経済原理がいずれ国際スタンダードの形成に向かわせる.

制約があるものの,経済原理はグローバル,フェアー,フリーに向かう.合理性に乏しい国の独自文化や価値観,法制度は国際化の進展とともに薄まって行くのも必然である.

かつての護送船団方式,公共事業経済,他人資本経営,年功序列,終身雇用などが経済復興,経済成長の原動力になったのも,経済原理にかなう効果があったからである.

資産バブルの崩壊でその冗長度が許容できなくなり,こんどは,規制緩和,市場経済,競争原理,効率化,合理化,金融自由化などの政策が打ちだされた.そして産業再編、経済の再生を進めた事は.これも又,経済原理にかなう行動なのである.効果的な儲け方は状況によって変わるが原理は変わらないのである.

時として儲ける事が弱肉強食,拝金主義,経済格差,貧困層の増大などの批判を浴びる.しかし経済原理を弱めたり否定する事は,ますますパイの確保もパイの分配も悪化させ,社会を崩壊に向かわせる.

’パイを増やせ,但し分配は均等だ’の原理は今のところ存在しない.’儲けることは良い事だ’の経済原理に変わる新しい原理は出現していないのである.

儲ける事に取り組んだり,儲けた者を賞賛する健康な社会でありたい.儲け方に品格を持ち出す人がいるが,経済原理に品格と言う言葉は存在しない.品格を持ち出す人は’士農工商’的物指しか実業,虚業の識別を持っている人である.

経済原理からすれば,新技術で儲けようと株で儲けようと品格差などない,評価するならば,儲けの大きさ,経済的波及効果,持続性,リスクなどの視点で論じるべきものである.’不労所得は搾取だ’といった古典的な思考回路しか持ち合わせていない人がいるようだが,そんな事で社会は営まれていないのである.

株で言えば売買差益が税金,再投資,配当,消費,寄付などに回わる事は他の事業でも同じである.一方,その株の購入者は更なる儲けを企業に求め,企業活力を後押しする.

又,多くの国民の資金(貯金,年金掛け金,保険掛け金など)は産業や国債,金融商品に投資され,その運用益(いわゆる不労所得)で貯金,年金,保険を支えているのである.

株式市場や株取引はバーチャルの世界であって実業とは無縁の賭博場だと卑下する人は経済の仕組みの理解が少ないように思う.株取引は産業の上で存在し,バーチャルではない.金利,為替等の金融市場やM&Aの影響で短期的に株価が実業と遊離して動く事もあるが長期的には連動するのである.

儲けるとは金回りを良くする事につながる.これが経済原理である.’儲ける事は良い事である.’儲けよう’'儲け方を考えよう’は決して卑しい言葉,行為ではないと思う.

儲けるには我利我利では持続できず,自利利他(自分の利益は相手の利益の中にあり相手の満足の対価)にのみ存在し,儲け続ける事は大変な知恵,努力,仕組みが必要である.自利利他で得た社会全体の儲けが増える事は社会全体の満足が増える事につながるのである.

’儲かりまっか’’ぼちぼちでんな’の挨拶は経済原理を踏まえた含蓄のある挨拶だと思う.

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2006.02.27

36 IT産業の経済的特質

デジタル革命とともに,IT産業の発達,普及は顕著であるが,かつての家電や車のように産業を牽引するものではない.IT産業の特質について整理してみた.

①IT設備投資の経済波及効果は少ない

半導体や液晶などの工場建設で設備投資は何千億と発表される事がたびたびある.最先端技術やデジタル技術に共通する事であるが,部品は高密度高精細のプリント板やウエハーに搭載され,多くの資源,部品,労働力を使うわけではない.又,産業城下町を形成するほど末広がりの企業郡を必要とするわけではない.設備も国内だけで調達するわけでもない.従って,設備投資の波及効果は従来モデル(産業連関モデル)とは違った見方が必要なのである.

②消費拡大でも国内経済効果は少ない

大画面テレビ,デジタル家電,パソコン,携帯電話,等個人消費を牽引していることは確かである.しかし,IT関連製品は国際企業分業が発達し,その需要効果は全世界に薄められる.又,IT関連商品はデジタル化,ソフト化されている為構成部品はきわめて少なくなり,これも需要波及効果が少ない理由である.

③IT関連商品が他の商品需要を抑える

個人消費は可処分所得と使用時間の奪い合いである.デジタル家電やパソコンや携帯電話の購入は他の消費が減少する事を意味する.上記のようにIT関連商品の売り上げ増は②の通り,経済波及効果の少ない商品に個人消費が移る事を意味する.

従来の多くの労働時間や資源,部品を使う,波及効果が大きい商品が減少するのである.又,パソコン等IT関連商品を使う時間が多くなれば,他の商品を使う時間が減少する.そればかりか通信料,サ-ビス料,手数料に消費が移るのである.

④情報社会はオーバーカンパニーを許容しない

IT関連商品は劇的なスピードアップとコストダウンを実現する.社会全体が効率化され,人件費,物流費,在庫投資,設備投資,経費あらゆるものが減少する.この意味でスリム化,効率化,低価格化する分,オーバーカンパニーが淘汰され,全体の経済サイズは縮小し.デフレ圧力になるのである.

⑤ソフト・システム開発の経済波及効果は少ない

ソフト・システム開発は労働集約,非拡大再生産,労働力の低流動性,需要の変動,等の特性がある.基本ソフト,ミドルソフトはマイクロソフトに代表だれるように多くは輸入であり,国内はシステム開発需要であるがパッケージの発達,ソフト技術の発達,スキル人口の増加で事業者の仕事量は減少方向である.

又,デジタル家電,デジタルカメラ,産業機器,車,ゲーム機,携帯電話などへの組み込みソフトの需要は急速に伸びているが,国際競争,国際分業の中で激戦が繰り広げられている.

又,今後のソフト開発の膨大な需要先はロボット分野である.認識,動作など頭脳部分はすべてソフトの力である.産業機器も含めて,この分野は基本ソフトも含めて,今後極めて重要になる.

以上の如く,IT産業には他の産業にはない経済的特質がある.IT産業が経済を引っ張るのではなく,あらゆる産業がITを屈指して,効率化,競争優位,新市場開拓をし,ローテク商品も差別化をしない限り,パイの拡大にはつながらないのである.

IT産業は,かつての重工業,造船,家電,車等のように雇用や景気をを牽引する産業と言うより,産業や個人を多様化,個性化し,経済や資源を効率化する産業であると認識すべきなのである.

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2006.02.21

35 ライブドア事件と守旧派

ライブドア事件の論評が多く語られているが,違法性の問題と錬金手法(ビジネス手法)の問題が,感情,道義,人物評価と混ざり合って,論じられる事が多いように感じる.

一般に,株式時価総額は本業の成果で増加させるものであるが,ライブドアは株式分割,株式交換前提の新株発行と企業買収,自社及び買収先企業の株売却益取得,これを繰り返す手法で時価総額を高めていった.これで資金600万から8000億の時価総額を作ったのである.若さ・度胸も含めて,すごいとしか言いようが無い.随分と研究したのであろう.大学サークルの延長のような感じもする..機関投資家はいろんな手法を熟知しているはずであるが,ほとんどサラリーマンであり,量的金融緩和時代の新人類の出現に違いない.

一方,株価を上げる為に,企業買収に関する風評,偽装,子会社との架空取引,利益操作などの違法性が問われている.さらに,これに輪をかけて,本業ではなく上記のような株操作による資産拡大はけしからん,金が全てはけしからん,仕事も知らない,事業計画も無い企業買収は問題だ,買収で株価を上げて売り抜けるのはけしからん,等の論理性の乏しい論評が起こっているのである.

検察の’汗を流さず巨額の利益をあげた者は許さない’等の正義感も,論理性に欠けた時代錯誤の感じもする.ちなみに,利益は汗の対価だけではなくリスクの対価,価値増加の対価,買い手の満足度の対価,戦略戦術の対価と,いろいろあると思うのだが.金利,配当,投資,投機で利益を得る事を禁止した宗教もあるが,これを信仰している識者が多いのかもしれない.

ようは,ライブドアをファンドと見れば何の不思議でもないのである.ファンドビジネスをけしからんとするなら筋は通る.しかし,年金も貯金も保険もマネーゲームに大きな役割りを果たしている事,誰しも直接,間接を問わず自分の資金はファンドと関係している事を,どう説明するのだろうか.けしからんと言う大学教授,評論家に是非,聞きたいのである.感情ではなく論理で論評して欲しいのである.

感情,道徳で論じているうちに,外資に完璧に負けるのである.公的資金を投入し,国営化された銀行を外資が安く買い取り,巨額の利益をあげた事を’ハゲタカファンドはけしからん’’外資に国の富を売った’と論評した人が多かったが,国内で買い手がいなかっただけである.早く卒業しなければならない風潮である.失われた10年を作った人はこの人たちではないかと思う.

勿論,現場のプロはこんな幼稚な識者の論評に気にも欠けないはずである.多くの国民もきっと論理性の乏しい論者を軽蔑していると思う.大衆を見損なった大衆迎合がマスコミにまん延している感じがする.

もう一つ,ライブドア手法で注目すべき事は株式分割による株主及び株売買の大衆化,小口化である.ネット取引の発達,規制緩和,株式市場の開放,ゼロ金利による間接金融から直接金融へのシフト,の中で,銀行・証券・取引所の膨大な手数料収入とともに,この新たな株取引が出現した.大衆化によって,リスクの分散,株価の安定化,資本と経営の分離,など一つの姿が現れる.成熟した形だとも思う.勿論,貯金,信託,債権を選ぶのも,人気やファン心理で株を買うのも自由である.大衆化は金融に関する国民の知識や高い貯蓄性向を,大きく変化させるのである.

この大衆化に関する賛否の論評が少ない.分割や売買単位に規制を復活する事になるのだろうか.株式市場を機関投資家だけの世界に戻すのだろうか.専門家の論評が欲しいのである.株取引,や金融商品は素人が手を出すなとの風潮があるるうちは入り口の議論から脱しられないと思うし,むしろ,大衆化を前提にした制度設計が経済や金融の健全性を高める上でも必要だと思うのである.デイトレードを仕事とする人や増加を簡単に許す仕組みが,けしからんと言う論者もいる.これも論理性が乏しい.むしろ株の教育が重要なのである.車を禁止するのではなく,運転の仕方を教育する事と同じである.

日本は長い間,貯金と間接金融,公共事業によって経済を運営してきた.資産バブル崩壊後15年立つが,市場経済,金融工学,ファンドビジネス,直接金融,法制度,監視能力,価値観など,まだ未熟だと言う事だろうか.

けしからん族は日本型社会主義的資本主義(混合経済,公私のダブルスタンダード経済)に帰れと言うのだろうか.800兆の借金で,もうそこには帰れないのだが.

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2006.02.17

33 経済事件と経営者

法令違反や事故で司法の手が入ったとき,経営者の犯罪性が問われる.管理責任が問われるのは当然だが,知らなかった/知っていた,報告を受けていない/受けている,決済をしていない/している,指示をしていない/している,そして,しているとしても,違法性を認識していない/認識していた,などの論争がおこる.

良くあるケースは,厳しく,利益を上げろ,コストを下げろ,と経営者なら当然指示する事はある.その事が事故や犯罪を主導したような印象になる事がある.経営者は当然,法を犯してまでやれと指示していない,と言う.

又,粉飾決算などの事件で,違法性を認識できず,そんな知識も無い,詳細は知らない,と言う.

これらの事が,経営者の無罪,有罪,量刑にどのような影響が出るのかよくわからないが,確信犯は別にして,経営者は大変なリスクの上で経営している事になる.

大きな事件なら,マスコミ報道、任意調査,起訴で,企業の信用,株価,事業に大きなダメージが発生する.倒産になる事もある.株主代表訴訟も起こり得る.まさに、築城は難し,落城は安しである.

経済事件は裁判が始まる前に取り返せない制裁が起こるのである.もし無罪だったら,誰が責任を負うのだろうか.

経営者は経営姿勢として,目に見える形で,コンプライアンス運動やチェック制度を実施し,未然防止に努めなくてはならない.又,万一に備えて,マスコミ対応や広報の訓練も必要である.

特に経営者は過去に修羅場の未経験者が多く,発生時の対応が,幼稚であったりする.ましてやマスコミに突き上げられた経験も,マイクやテレビカメラに囲まれた経験もない事が多い.これらも含めて,リスクマネージメントが極めて重要な時代なのである.

鳥インフルエンザ事件で,養鶏場のご夫婦が自殺した事があった.うそを言ってしまった事,責任感が原因かも知れないが,これなども,純朴な人へのマスコミの追求が少なからず影響していたと思われる.夫婦で自殺など乃木将軍以来の出来事であったが、この心境を報道したマスコミはもない.自殺の原因に,マスコミは口をつぐんだ印象がある.

経済事件は,これからも,後を絶たないと思う.日本版SOX法もでてくる.経営者は業績だけに注力する時代ではないのである.マスコミも言論や報道の自由にかこつけて,人権を踏みにじったり,犯人探しに終始し,視聴率を狙った,商業報道に走ってはならないのである.

もう一つ、不適切な事案に対し、業務停止などの行政指導、決算書や納税額の修正申告、逮捕・訴求など、その処置の程度がファジーに感じる.見せしめ的処置もある.官尊民卑を感じる事もある.官、司法の恣意的なところが気になる.

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2006.02.04

31 地域経済振興策の回帰

日本全体の活力にとって,地域経済の活性化は不可欠である.残念ながら現実は公共事業経済であったり,村全体が社会主義経済(村民のほとんどが公益事業に勤務)になっている所もある.社会資本整備によって自然環境や経済立地,などのハンディを軽減しても,振興は進んでいない.
依然として人口が移動し,地方には長男しかいない,いや長男もいない過疎化が進んでいる.受け入れ側や日本全体で見れば良い事なのかも知れない.地域格差の拡大を止める事はきわめて難しいのである.
               
経済原理に合致しない,人為的な振興策は税金の食い逃げにつながる.効果どころか債務を膨らましただけの従来の地域経済振興策を見直し,経済原理にかなった施策に転換する必要がある.
工業団地やテクノパークを造成し企業誘致を図る,厳冬地域にレジャー施設やテーマパークを作る.無駄な道路を作る,など,もはや財政が許さないし,このような施策をやめなければならないのは当然である.

そこで,歴史的に形成された地域産業集積の形態を参考に,各地域の方向性をあらためて定める必要がある.現在の都市は日本に係らず,歴史上の絶対権力者の力で都市が形成されてきた.民主主義の下では経済原理にかなう努力しか,これを推進できない.そこで次の視点に帰って振興を考えたい.

①地場需要からの発展型(既事業の発展)
②既産業集積からの発展型(既集積産業の振興)
③産地からの発展型(農林漁業,鉱業,エネルギー等関連事業振興)
④産業城下町からの発展型(下請けの特技の振興)
⑤産業立地からの発展型(大都市需要,企業連携からの振興)
⑥地域と無関係な独立企業の発展型(特化企業の勃興)
⑦歴史文化からの発展型(遺跡,偉人,祭り,行事からの振興)
⑧自然環境からの発展型(観光,温泉,長期滞在等からの振興)

各地の産業振興は上記8つの切り口の中で,どの切り口が妥当するのか,足元を見つめながら振興の方向性を見直すべきである.同時に中小零細企業,個人事業は職人気質の発揮やユニーク性の発揮を求めたい.情報ネットの活用も不可欠である.世代交代によって,家業を引き継いだ青年実業家の台頭もあり.国際化の中で,産業構造が大きく変貌する中でこそ,足元に振興の芽があるように思うのである.
農業漁業で言えば特産品,ブランド,安心安全の付加価値追求や,地元産物を使った,食品,薬品,化粧品の第二次産業への進出や,第一次産業と弟二次産業の労働力のワークシェアリング等,特徴ある地域産業集積が考えられるのである.もちろん市場は全世界にあるのである.
又,健康増進,病気予防,介護,福祉,医療等をコストと見るのではなく,この関連製品の開発やサービスの事業化も,どの地域でも考えられるテーマである.
定年退職者のNPOへの行政の委託も行政コスト削減のみならず,人材の有効活用につながるのである.
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最近,大学改革の中で,どの地域も地域経済振興の為に官産学連携が叫ばれている.残念ながら,予算取りや表向きの大義名分が透けて見える.地元企業への技術相談や共同開発はありえても,大々的な先端技術による地場産業振興や企業誘致は他地域や国際的な競争の中で,自治体が思うほど実現性は低い.当事者すら,旧態依然の予算取りや箱物行政が裏にあると感じているのである.
地方大学は地域の人材育成が本職だが,地域産業振興を支援するならば,その地域の特性を踏まえた,次のような活動を望みたい.

①地域公共投資の客観的評価
②上記8つの視点での地域分析
③運賃(鉄道,新幹線,航空,高速道路)と産業振興の関係分析
④交通網整備と地域経済の関係分析
海外も含めた類似地域の活性化事例の分析
⑥地域産業の歴史・人物の紹介
⑦地域社会人への生涯学習の実施

など地域に役立つ大学らしい活動が必要だと思う.
又,地方大学自身の改革も急務である.定年後の教授や公務員の天下りの受け皿であったり,旧態依然の教材,保守的な風土,などから改革せねばならない.
大学の教育目標をマニュフェストにし,それに応じた教科を作り,人材育成への責任ある取り組みが必要である.同時に,民間人の登用も含めて,指導者の適材適所も必要である.今後,大学の淘汰が予想される.マニュフェスト,指導者,塾の精神が存続のファクターになると思う.地方の大学も地域振興の中にあるのである.

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2005.12.06

25 建築業界体質

耐震強度偽装の多発事件は,危険な建築物を世に出さない,と言う仕組みが,全く機能していない事を,絶句する程に露呈させた.一件毎に検査を義務付けた厳重な制度がむなしくなる,深刻な問題を突きつけたのである.改めてこの制度や問題点を整理してみた.

①こんな責任重大な仕事にもかかわらず,建築基準法では,建築士の違法行為の処罰は極めて軽く,検査機関の瑕疵責任や罰則は無い(検査を役所もやっているからか)

②瑕疵責任は契約責任として販売主にのみ存在し(無過失責任),設計,施工,の責任は民法による不法行為責任にゆだねている

③建築物は不動産と言う事でPL法(消費者保護を目的とした動産の製造者責任法)の適用は無く,瑕疵責任を負っているのは販売主

④建築物は経年劣化するからかPL法を非適用としているが,理由が曖昧であり,これに隠れて,建築業界に甘い罰則規定になっている感は得なめない

検査機関が機能せず,危険物を合法化する機関となり,販売主,関係企業は責任を負う能力もない.

⑥購入者に巨額の負担のみが残り,退去命令が出される,行政も個人への救済策に限界がある.

⑦最終的に建築確認をした行政の責任,賠償に行く,又,関係者間で複雑な訴訟合戦が展開される.

⑧建築業界は地盤,地質,液状化,基礎工事あるいは建物のバランス等と耐震強度の関係にファジーな事があり,安全対策より,費用の意識が勝る風土が過激な競争の中で助長され,検査機関の通過を契機に,これを加速させた.

⑨耐震基準に合わない建築物が現実に多く存在している事も,遵法精神を弱めた.

⑩問題が発覚した時の責任を検査機関に問える余地を残す為に,設計主,施工主,販売主が違法性に気づいても,指摘する風土が無い,検査機関は甘い方が業界に都合が良いと思っているふしがある.

⑪地震はいつ発生するか分からないし,10年先で瑕疵責任が消滅しているかもしれない.会社もどうなっているか分からない.

⑫地震が発生し倒壊したとしても,設計との因果関係を立証する事が困難になり,ましてや,震度7以上で倒壊すれば,不法建築がうやむやになる.過去の震災で業界の瑕疵責任や損害賠償責任が発生していない事から,安全に対する経営感覚が薄い.

と思わざるを得ないのである.鉄筋以上に,基礎工事やコンクリートの質,量も手抜き工事も,’知らぬが仏の業界’なのかもしれない.業界体質の徹底解明と厳格な制度作りが必要である.

この事件に対する行政の対応は牛のBSE検査並みに全棟検査を改めて,やれるのか,何万棟も違法建築が出て,退去命令を出さざるをえなくなって,瑕疵責任も取れなくなって,住民はパニックになって,政治も行政もトラの尻尾を踏んだような,藪をつついたような状況となり,収集が付かなくなるのではないかと,放心状態に陥る可能性を秘めているのである.徹底的に調査をするのか,適当に幕引きするのか,行政の考え方が問われるのである.

すぐ取組むべき事は

①今回,今後も含めて,被害者救済策,業界の保険制度の検討

②建築物の安心安全の検査基準の再設定,徹底方法の検討

③建築物に関する専門裁判所の設置と迅速化の検討

④災害以外の退去命令と購入金額の返却のセット化の検討

最後に,この事件を契機に,社会の安全安心の関所である全ての検査機関.(企業・行政の会計監査,食品・薬品の検査,車・鉄道・飛行機等の検査,医療診断etc)を洗い出し,その在り方を見直す必要がある.そして,社会の関所に情報装備(データーベース&ネットワーク)の充実,定年退職者の能力活用が必要だと思うのである.

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2005.10.16

21 株買占めへ抵抗感

日本企業は株を買い占められないように企業間での株の持ち合いやメインバンクの保有を行なってきた.これが資産バブルの崩壊,年金資産の減損,時価会計制度の導入によって,企業持ち株が放出され,海外の機関投資家やファンドに多額の株が流れた.これによって,企業は新たな買占め防衛策が必要になったのである.

元来上場企業は株主を選べないし,敵対的買収リスクが常に存在している.従って,大口株主が突如出現すると,株価が高騰し,時価総額が大きくなるにも係らず,経営者は真っ青になる.世論,従業員も株売買利益目的の買収には反感を持つ.

買収に抵抗感があるのは経営権を取られるからであるがその背景を上げてみた.

①他人資本中心の企業経営の歴史に一因がある.資産や事業の拡大は融資を受けて行なっており,必ずしも増資によらないのである.従って株主より銀行が大事であり,配当より含み益や内部留保を重視するのである.かくて総資産に占める資本金の占める割合は低くなり,株の時価総額も資産価値より低い状況になりやすいのである.

②ファンドに対する抵抗感も一因である.株主のイメージは個人,一般企業,銀行,保険会社である.ファンドマネーとかファンドマネージャー,トレーデングとかに背広を着たバクチ打との感情がある.バブル絶頂期,マネーゲームがブームになったが,その時も生業とは一線を画していた.ファンドによる買収はマネーゲームだけで仕事を知らないくせにと抵抗感を強めるのである.

③もう一つ,会社は大口株主のものではないとの意識があるからである.会社は顧客,取引先,従業員,納税,福利厚生,雇用,など多くの役割りを担っている.これらはまさに会社の役割りであって,会社を所有しているものはやはり株主なのである.

大口株主の出現は会社の活力を高める可能性を持つが、会社に巨額の損失を与える可能性もある.世論や経営者,従業員の反感は,この損失の可能性に反感を持つのである.買収は業績の悪い会社に取っては救世主であり,業績の良い会社にとっては乗っ取りになるのである.

⑤さらに,抵抗感がでるのは,資本と経営が分離している状態(経営権を持つ株主がいない状態)の会社に突如大口株主が出現する場合である.まさに大口株主,物言う株主の出現への抵抗感である..

⑥株の時価総額が必ずしも企業価値をあらわしていないと思われている点である.企業の状態とは無関係に短期間で株価が動くからである.又,企業は株発行で資金を調達した後の株価の変動は,決算とは無関係で短期的には株価に興味が薄いのも要因である.

しかし資本主義である以上,株の所有で買収したり,売買差益を求める行為を批判する論理は無い.

従って,大株主不在の元気な企業は敵対的買収の防衛策が急務である.金あまり状態で,大金が集まる.ファンドにとって日本は荒稼ぎが出きる有望市場である.低い配当,安い株価は格好なターゲットである.資金力があれば確実に儲けられる市場である.日本の企業は知らないうちにマネーゲームや配当圧力の荒波に身をさらしているのである.

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2005.09.16

12 フラットな産業構造

資産バブルの崩壊,グローバル,フリー,フェアーの風潮と共に,日本の高度成長を支えた縦型産業構造の弱点が露呈し,一揆にフラットな産業構造に変貌している.すべての企業が世間の風波に身をさらしながら,自らの生きる道を探し始めたのである.大量生産大量販売の時代に許容された類似企業郡,大企業郡,あるいは下請け中小企業郡は社会的存在価値を問われながら,個性ある事業の自立化に向けて歩み始めたのである.

元気な中小企業においては,

・ビジネスモデルを再構築した事、
・商品もしくは客層を絞り込んでいる事、
市場を地域のみならず,全国・世界をみている事,
・社内風土がフレンドリーである事,
理(方向性)と気(行動力)がよくバランスしている事,
・ホームページやネットをうまく使いこなしている事
・特に経営者自身が熱き志を持ち合わせている事、
・社長自身が自社の製品分野に関して専門家である事、
・問屋を通さない直販志向である事,
・付加価値重視である事、

と言った企業が多く台頭しているのである.まさに,それぞれ特徴を持った企業がフラットに多く存在する産業構造が進展しているのである.

今後とも,イタリアの街で見かける,多くのピザ屋,惣菜屋,靴屋,かばん屋,装身具屋などが個性豊かに,しかも世界にも通用する職人と商品があるように,こんな姿を願うのである.消費者の価値観やこだわりにも答える事にもなる.決してGNPは高くはないが,生き生きしている,持続している事が大事なのである.

情報化社会がそのような産業構造を加速するはずであり,これに向かって夢を実現して欲しいと切望するのである.全国地域の農業,製造業,商業が企業規模を問わず,それぞれが生きる道を探求し,自らの事業の社会における存在価値を見出して欲しいのである.必ず,ニーズが存在しており,見逃している事が多いのである.

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