政治

2009.11.13

190 順序が違う仕分け作業

今,行政刷新会議で各省から上がった新政策を含めた総額95兆円の来期予算案に対し,縮減を目的に事業の精査(事業仕分け作業)が行われている.大いに真の無駄,政策優先順位,を検証して効果的な予算を検討して欲しいと思う.

この作業はあくまでも予算案づくりの過程の作業であるが,当然の事ながら,必要性の問題,国・地方分権・民間の役割の問題,見積精度の問題,独法問題,各種基金の問題,優先度の問題など,個別事業の精査の中で,
これらに出くわすはずである.

政治色の強い事業は検討案件から除いている様だが,事業規模にかかわらず,これらの問題に係る考え方が定まっていない中で,どう判断していくのだろうか.
公開の場で正義の覇者のように振る舞う仕分け人は大変だと思う反面,得意満面の感じが気になる.

特に,必殺仕分け人と揶揄される割に法的根拠がない仕分け人が自民党の残像と役人を悪役に仕立て,これをやっつける政治ショーを繰り広げている,ともとれるのである.なぜなら

・見直しと行革・制度・法律が連動していない
・見直し・評価の物差しが共通化されていない
・役人対仕分け人のバトルの構図にしている
・省の大臣,副大臣,政務官の位置づけが不明である
・仕分けの結果がどう取り扱われるか不明である
・今回だけの試みなのか不明である
・今後の予算編成プロセスの改革策が不明である

からである.いかにも民主党らしい大局観のない,表面的なやり方だと思う.問題は順番が違う事である.

本来なら,仕分け作業は各省の予算案作りの段階で専門的,政策的,財政的観点で行うべきなのである.各省内での議論が主戦場にならなければならないのである.

特に,分捕り精神で各省の予算案が出る風土があるならば,省内の改革こそが重要なのである.ここに公金の使い方の根源的問題があるからである.

現在の仕分け作業が財務省の査定作業の代行と位置づけるにしても,問題点を各省に戻すところまでである.公開の場で切る,切らないの議論は,ショーとしてエキサイテングになるが,あくまでも,各省での政治判断による予算案作りに戻すべきである.もちろん各省内の仕分け作業は公開してもよいと思う.

このままだと,個別事業の吟味で各省の大臣の政治力や信ぴょう性が疑われ,民主党内の対立が起こり,別途調整する,となるだけである.結局,政治ショーに終わるのである.

現在,大臣,副大臣,政務官はどんな心境でいるのだろうか.又,役人が矢面に立っているが,私が役人なら,大臣に言ってくれと言うと思う.

これらの予算編成作業を見て,素人ながら,次の手順が当たり前だと思うのだが.

①政府による予算編成方針の策定
②各省の大臣の下で事業の仕分けと予算案の作成
③財務省で全省の予算案をもとに財政面から査定
④政府で予算規模,財政政策,省間調整を検討し,各省へ見直し指示
⑤各省で予算案見直し案作成し③へ

というサイクルを繰り返した後

⑤政府案を決定し,関連法案とともに国会に提出
⑥国会(予算委員会)での審議・修正をへて採決

となると思うのだが.当然このプロセスの中で,行政刷新会議のミッション,権限,存在要否等の議論が必要になる.但し①②が重要である事は言うまでもない.

大事な事は無責任な政治ショーではなく,各年度にも通用する予算編成プロセスの改革,行財政改革を進めて欲しいのである.これなくして個々の事業仕分けの判断も出来ないと思うのである.

民主党政権は政治主導,国民本位,対等な外交,などと言いながら言葉先行で中身が伴っていない事や,マニフエストに書いてあるからと,進め方の順番が逆さまになる事が多いと感じていた.

又,野党時代の言動と現実とのギャップに対し,あまり前の言動にこだわっていると難問から抜け出せなくなるどころか,ますます深みに入り国益を損なう可能性がある.

政治の大きな仕事である予算編成も,各省大臣の予算案,省間調整,税財政政策,を軸に大局的に取組んで欲しいのである.


同時に国会での審議が最大の議論の場である事も忘れてはならない.その意味で,国会の予算委員会こそ予算審議にふさわしい仕分けの場,修正の場にして欲しいと思うのである.予算委員会を空洞化させない為にも,国会議員に最大の仕事をしてもらう為にも.

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2009.11.03

189 またか・タバコ増税論

当ブログ144 タバコ増税論議(08年7月)でも発信しているが,民主党政権になって,またまた増税論が言われ始めた.

タバコ税は景気に左右されない,文句が付けにくい,安定財源として,国営の時代から,戦費の確保や財政難の都度,増税を繰り返してきた.愛煙家は,肩身の狭い思いをしながら,現在60%の税率で,年間2.2兆円を国家に納税している.私など,高額納税者として表彰して欲し位である.

前回のブログで増税のコンセプトが曖昧だと主張した.健康の為の消費抑制と増財源の矛盾.ニコチン依存症患者に重税を強いる問題を述べ,私見として,もうこれ以上タバコに財源を求めるな,と述べた.やめられないニコチン依存症の病人から,これ以上金を取るな,国の財政もニコチン依存症から,はやく脱却しろと.タバコは単なる嗜好品ではないのである.

今,読み返してみても,筋の通った主張だったと思う.どうも議論を聞いていると,政治家も学者もこれくらいの値上げなら,消費減があっても,財源は確保できる,などと消費税アップの如き皮算用ばかり言う.まさか消費税をアップをしないと言った反動で,タバコにお鉢が回ってきたのではないだろうね.

元来,国がやる事は個人も,財政も,ニコチン依存症からの脱却である.
常習性に付け込んだ税制は健全ではない.消費抑止と言いつつも,税収の拡大を期待する限り,脱却どころか,財政のニコチン依存を深める事になる.同時に減少する負担者に重税をかけ続ける事になる.

ニコチン依存や健康被害を言わずに「消費が落ち,税収が減ってきたので,その分,値上げをします」さらに,「現在以上の財源が欲しいので,もっと高い値段にします」と言うなら論理としては,はっきりする.もしそうなら,「なぜタバコなのか,弱い者いじめはやめろ」と反論するが.

もしタバコになにがしかの課税をする場合,タバコ税の考え方は一般税的な税源であってはならないと思う.あくまでも.ニコチン依存症の防止策,ニコチン被害の防止策に限定すべきである.

そもそも,健康の為の消費抑制は値上げ以外で考えるべきである.一般財源をタバコに求め続ける限り,ニコチン依存財政は続く.そのうち,消費激減で財政が息詰まる可能性もある.

今回,肩身の狭い,意志の弱い,サイレントマジョリティの愛煙家の一人として,国の政策が間違わないように,144の記事も合わせて,再度発信した.

愛煙家の皆さん,増税となれば,ここは思い切って,'タバコ不買運動’でもしますか.
政治家が喜ぶのか,真っ青になるのか,見たいと思いませんか.

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2009.10.21

188 郵政見直しへの疑問

昨日.郵政民営化見直しの閣議決定がされ,西川社長が辞任表明をした.見直しの趣旨は,郵貯,簡保会社の株売却の凍結,4社統合によるユニバーサル・サービスの復活,だと言う.一斉に今日の新聞各紙は疑義を表明した.

長い歴史の郵政事業の問題や民営化の狙いに対する民主党の所見を言わずして,株売却凍結と過疎地へのユニバーサルサービスの復活,を上げているところに,言えない下心と展望の欠如を感じるのである.私の理解からすれば,まったく分かっていないと,不遜ながら思うのである.

多分,株売却凍結は民営化しない,ユニバーサル・サービの為の組織統合は旧組織にもどす,がそれぞれの本心だと思うが,それでどうするのか,民営化構想に代わる展望が見えない.

特に,過疎対策としてのユニバーサル・サービスを民営化反対論者は,いつも口にするが,これは郵政事業の本質的問題ではないと思う.

過疎問題を言うなら,医療,介護,学校,社会インフラ,防災,地域経済,行政サービス,食品店,等,山ほどある問題への対策こそが大事である.これに比べ,月に1,2回程度の郵便局に行く利便性の問題は,はるかに小さい問題だと思う.

それでも,田舎の郵便局は大衆の口座を扱い,何よりも銀行より郵便局に親しみがあり,よろず相談も出来て,安心出来る,と言うと思う.こう思う人からすれば,ユニバーサルサービスとは数の問題だけではなく,昔のように役所の一部でなければ困ると言うのだと思う.

その背景に,民間の銀行,保険会社は富裕層向け,郵貯・簡保は低所得者向けとの文化があると思う.郵貯.簡保も,その文化を作ってきたと思う.

この感情が民営化反対の根底にあるのかもしれない.これだと,民間会社に,いくらユニバーサルサービスを義務付けても感情的不満が残る事になる.

民営化論議は,郵政にかかわらず,永い歴史で定着したい田舎に強く残る役所依存文化を,今後どうするかという議論になるが,官と民の仕分けの問題,過疎対策の問題として,生活全体を見渡した議論をして欲しいと思う.

唯,郵政民営化見直し論者は,だから官業としてして残すべきだと言えば分り易いのだが,それを言わずに,郵政のユニバーサル・サービスに,こだわったり,株の売却を凍結したいと言のは,弱者救済の大儀や国民の資産を守るとの大義を隠れ蓑にして,別の思惑があるのではないかと感じるのである.

例えば,想像できる思惑・下心は次である.

①4年前の郵政選挙の怨念を民営化中止で晴らしたい
②郵貯,簡保の株や
資金を国内外にオープンにしたくない
③郵貯,簡保の資金(300兆円)を政府の財布にしておきたい
④労働組合(20万人)の保護と連携を強化したい(旧社会党系,民主党系)
⑤組合員組織,特定郵便局組織を選挙活動や組織票に取り込みたい
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当たらずとも遠からず,なら,昔の左派と守旧はが合体したような,下心である.問題提起を得意とするリベラル的性格を民主党に感じていたが,想像以上に,ゴッタ煮の政党,連立政権であると,自ら露呈した様なものである.

政府は昔には戻らないとも言っているようだが,こんなゴッタ煮状態では,当然,意味不明になる.はたして,展望が描けるのだろうか.

端的に言えば,
昔の郵政省もしくは郵政公社に戻すと言った方が主張としては,はっきりするが,そうとも言わない.或いは,国営に戻すのではなく,民営化はするが100%株を国が保有する,と言うのだろうか.これで上記下心を実現するのかもしれない.だとしたら,本来の民営化とは言えない.銀行救済で公的資金を入れ,一時的に国が筆頭株主になる場合と意味が違う.

要は,民営化の意味通り,株式会社として,銀行法,保険法を適用し,資金運用を自由にし,税金を払う会社にするのか,これに制約をもうけた会社にするのか,あるいは,民間企業ではない特殊な法人にするのか,さっぱり見えないのである.

’見直す’とか’改革’変革’’改善’という言葉は良く使われるが,政治の場合,何か魂胆,構想があるはずである.それを明らかにしないのは,魂担を言えない,協議過程を尊重するポースを取りたい,協議過程で結論を誘導したい,場合の政治手法である.今回の郵政民営化見直しもこんな感じがする.

そこで,なぜ郵政を民営化しなければならなかったかを振り返ってみたい.そこには深刻な問題があったと記憶している.

そもそも,郵貯や簡保は国民から資金を吸い上げて公共事業の資金(財投,国債)に回す事が目的であった.国民から見れば,貯金をしたつもりでも財投や国債に投資した事と同じになる.かって,銀行や支店が多かったのも,同じような狙いがあった.要は,政府資金を税金と預金運用(融資,国債購入)で集めるスキームを作ったのである.

そして,財投の返済や国債の償還に税金が使われる.従って超マクロで言えば,国民は自分の郵貯を自分が払う税金で返してもらう様なものである.国債を買った国民も自分が払う税金で回収する感じになる.

このスキームによって,社会資本整備に大きな役割を発揮して来たと思うが,膨大な資金が政府の財布のようになり,いつしか,安易な公共事業を支える財源に変貌して行ったのである.結果,国や地方の借金の増大とともに,郵貯・簡保の資金運用が増大して行ったのである.

これに対し,財政事情の悪化から,公共事業の抑制(出口政策)とともに,融資の抑制(蛇口を閉める入り口政策)が取られ始めた.郵貯・簡保からすれば.運用先を政府から民間に移さざるを得ない事態になったのである.

要約すると,官業のままでは,次のような危機感があったと思う.

・官業による郵貯・簡保の役割は終焉の方向である
(300兆の郵政マネーと官業拡大が連動するスキームは限界)
(郵政マネーのリターンを税金で賄う構造も限界)
(赤字の郵便事業を資金運用のリターンでまかなう事も限界)
(郵貯・簡保・郵便の競争力が低下)
(郵政事業全体が巨額の赤字事業になる可能性がある)
官業の足かせと体質ではジリ貧になる
(官業では新事業に進出できない)
膨大な資金を背景に赤字事業や天下り法人が増殖する)
(利権企業が形成され,コストダウンが出来ない)
(労働組合対策が重荷になる)

この様に郵便事業は’財投・国債依存’’官業と言う足かせ’’官業ならではの体質’ではジリ貧になり,いづれ国の大きなお荷物になるとの危機感があったと思う.

そうならない為に,国鉄や電電の民営化と同じように,民営化を決めたのだと思う.決して利便性レベルの問題ではないのである.

そこで,郵政の民営化は,次のねらいであったと理解している.

・公共事業への資金供給の蛇口を閉める(郵政マネーによる官業拡大防止)
・資金運用先を民間企業に変え,経済活力の向上を目指す
・金融,保険,物流ーサービス会社として自立させる
・株売却,配当で国家財政に貢献させる

・官業では出来ない巨大組織の効率化や人員の縮少を行う,
・官業では出来ない創意工夫や新たな市場創造を可能にする
・公務員や官業労働組合を減らす

そして,この郵政民営化はバブル崩壊と,その後の失われた10年,深刻な経済,財政状況のなかで,’民で出来るものは民で’官から民へ’と言う構造改革のシンボルとして,国民の大きな賛同(郵政選挙)を得て,進められたのである.

このような,官業郵政の問題や民営化のコンセプトに対し,民主党はどうしようとするのだろうか.どんな展望を持っているのだろうか.正々堂々と見直しの理由を表明すべきである.

筋からすれば,’コンクリートから人へ’と公共事業の削減を標榜している民主党は,むしろ,小泉改革の後継者であり,郵政民営化,郵政マネーの民間活用に賛成する事が自然だと思うのだが.

郵政選挙までして決めた民営化をやめるなら,もう一度,国民に問わなければバランスを欠く.先の総選挙で民営化反対の賛同を得たと,民主党は本当に思っているのだろうか.

そんなわけで,いろんな思惑を秘めた’見直し’の内容に注力したい所である.この問題も’合成の誤謬’にならなければ良いのだが.

ところで,議員個人はどう考えているのだろうか,あまり聞こえてこない.民主党議員は党利党略,連立優先で首をすくめているのだろうか.

ところで,以前のブログでも指摘しているが,民主党は展望や検証のないままの政策を掲げているとの感じを強めている.’展望より反対のための反対’'選挙目当てだけの言動’と言う,永い野党時代の体質を,そのまま引きづっていると感じるのである.

郵政問題に係らず,基地問題,温暖化ガス問題,新政策の財源問題,高速道度料金問題,公共事業削減問題,国債残高問題,予算構想問題,天下り問題,政治主導問題,などで,ことごとく展望が見えない,裏付けがない,のは,この体質のあらわれだと思う.

民主党の政策が思うようにいかないのは,自民党の負の遺産のせいだ,との反論があると思う.しかし,更地に家を建てる事などあり得ない事であり,これを言ったら政権担当能力がないと,自から言っている様なものである.

結局,引っ込みがつかないまま,意地になって実行すれば,国家より,民主党のメンツが大事だという事になる.マニュフェストへの固執には要注意である.

一方,自民党は民主党の政治主導,公共事業中止,新政策を盛り込んだ10年度予算,赤字国債増発,そして,郵政民営化見直し,にどう対抗するのだろうか.まったく見えい.

賞味期限切れで売り場から撤去されたままで良いなら別だが,もし戦うなら,失政部分を悔い改め,新保守,新自由主義の路線で党を作り直すか,政党再編しかない.日本の実情からも,2大政党を作る上でも,この対立軸が必要である.

しかし,’皆でやろう’と結束を訴えた自民党新総裁の下で,何をするのか依然不明である.唯ひたすら,民主党の自滅を待つのだろうか.

ところで,マニフェストレベルのリップ・サービス競争から,いよいよ現実的な政策論争,苦渋の選択に変化して来た.それによって,パンドラの箱を開けた様に,そもそもの議論があちこちで起こる.

これこそが政権交代の真の意義であり,国会議員は党利や保身,しがらみで首をすくめている場合ではない.今,日本は剣が峰にいる事を自覚し,真剣な議論をすべきである.それが,政界を進化させ,ひいては国民の眼力を高める絶好の機会になる.

議席数にしか貢献できない議員,選挙の事しか頭にない議員は,せめて一人1億円といわれる歳費,助成金の一部でも返上して欲しい位である.

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2009.10.13

187 只今新政権を静観中

前記事で指摘した通り,リベラル的な民主党政権の行動が出はじめているが,政権1ケ月,お手並みを静観している所である.来年度の一般会計予算の概算要求直前ではあるが,いくつかの感想を述べたい.

①補正予算の見直し,来期予算の組み立ては,小泉改革を上回る勢いであるが,どういう予算・内容になるのか,大変興味がある.

公共事業は長い自民党政権下で,本来の目的(長期的効果の発揮)以外に地域経済,選挙,業界・団体の利権,省益,雇用や景気対策,などの道具として使われてきた.

一方,公共事業の公平性,透明性に向けた事業評価方法や建設途中での評価方法,あるいは事業決定や中止の仕組みもないわけではないが機能して来なかった感じがする.

近年の財政難から事業予算は減少傾向をたどっているが,昨年来の不況対策に選挙対策も含めて,自民党政権で大判振る舞いの補正予算が組まれた,

これらの金の使い方にメスを入れる事はまさに,小泉改革以上であり,政権交代でしかできない大仕事だと思う.

しかし,公共事業は良くも悪くも,いろんな道具となり,それなりの理由があるわけだが,民主党の中止の物さしは何かが,今のところ見えていない.中止の案件が見えない為に,その影響も見えない.明らかになれば景気対策など物議を醸すと思うが,これも興味がある.

②公共事業などの見直し,無駄の排除,事業中止は大いに結構だが,優先順位もない新政策の財源確保の為である事に違和感を感じる.そもそも無駄と言うなら,その財源を使ってはならない.削減した事業予算を既得権のように,他に使う事は官僚体質そのままである.

従って,’無駄の排除で新政策の財源を確保する’という言い方は言葉の意味からも,数字の上からも,間違いであり,国民をだます言い方だと思う.

来なら,まず,現行の膿を出して,自民党では出来なかった行財政改革の為に見直し,中止をやるべきである.そこに政権交代の意義があると思う.

その上で,今後の財政需要(年金・介護・医療あるいは防災など)や税制も含めて,新政策を考えるべきである.それほど新政策は,どれをとっても,巨額な予算であり,毎年その金が必要になるからである.

そもそも,財源の裏付けが検証されていない政策を何が何でもやるとすれば,きわめて危険である.毎年,予算編成の自由度が狭まり,挙句に赤字国債に頼れば,これも恒常的になる.財政破綻の道をまっしぐらに走る事を確定するようなものである.

民主党がマニフェストに固執しているが,そもそも選挙の時,政策を実行した時の予算構想,裏付けを示していない.マニフェストに対し,国民は半信半疑である.最近のアンケートでも,国民はそれほど固執していない感じである.何よりも選挙の勝因は自民党の自滅だったからである.

民主党は労働組合の賃上要求と同じように,国に生活費支給を要求しているように見えるが,国の経営者である事を自覚して,大局観を持って政治をやって欲しいものである.前ブログで指摘した通り,まさにリベラル的発想が心配である.財源が曖昧なマニフェストに固執して,国を滅ぼしてはならない.民主党のメンツより国の方が大事なのである.

要するに,民主党としての全体の予算構想,歳入計画,財政規律,を,選挙におおいても,昨今の事業見直しにおいても,持ち合わせていない事が問題ではないかと感じる.

③個々の事業を吟味するだけではなく,もっと根本的な議論が必要である.財政法が定めている精神は,全体予算が足りない理由で安易に赤字国債発行を出さない事である.これに立ち返る必要がある.

財務省が財政健全化にうるさいのは,この法の精神にもとづいているからである.この精神が間違いなら,いくら赤字国債が増えても問題ないなら,財産法の精神を変えなければならない.

高度成長期のように税収は増えないし,このままでは,どの事業と分からないまま,責任も曖昧なまま,国債残高はさらに増え続け,ゆでガエルの温度を上げる事になる.自民党以上の’やさしい’政治が’合成の誤謬’を招きかねない.

国債費の為の国債発行以外,予算の財源は税収・事業収入と建設国債で賄う事を規律として持つ事,麻薬の様な赤字国債から脱却する事が全ての政策の前提だと思う.’マニフェストにあるから’はいかにも幼稚である.こんな根本的な議論はしないのだろうか.

今,日本国民に必要な事は,もうあれも,これもと国に要求する事ではない.民主主義だと言って,政治も国民の要求を受け入れる事ではない.政治家は実情を踏まえて,受け入れられない要求に対し,国民に説得する必要がある.時としてブレーキ役になる事で,民主主義の弱点と暴走を防がねばならない.ましてや、財源の裏づけの無い政策を国民に吹聴するなど,まったく無責任なのである.

ところで,選挙の時から懸念された民主党の新政策による予算増,税収不足で,大量の赤字国債の発行にならないだろうか.それを否定して来た民主党は,それでも新政策をやるのだろうか.やるなら毎年,これを繰り返す事になるのだが.これは国家存亡の問題になる.

④仕掛中の公共事業の中止は,それまでに使われた金が雇用や地域経済に貢献した事以外,意味がなくなる.更に,中止に伴う補償や雇用の問題が生じる.問題は使ってしまった金が借金,建設国債もしくは赤字国債で払われていれば,返済だけが残る事である.食ってしまった借金を後世に付回して良いかと言う問題である.

使ってしまった金が支払い済みのような印象を与えるが,もし負債があれば,絶対未来に回してはならないと思う.中止するなら債務も清算すべきである.この観点は今のところ誰も追及していないし,実態が不明である..

又,債務の有無に係わらず,中止の事業は後世に,その経緯,反省,教訓を伝えるべきである.現地に記念碑は是非必要だと思う.

また,今後,大型の公共事業は,中止対策として,せめて途中評価まで,税収でやるしかないのである.その後,建設国債に振り替える.これも財源規律である.

⑤繰り返す事になるが,民主党は国の仕組みを改革すると言う.ならば,まず小さな政府,財政規律,規制緩和,民力や科学技術の振興,福祉の充実に取り組んで欲しいのである.

その上で,予算構想,歳入計画,財政規律のもとで,毎年巨額な子供手当等の家計支援策を検討すべきである.同時に中央集権から地方分権の論議も検討する必要がある.国家の危機認識の中で,大局観のある国会の論争を期待したい.

とは言うものの,実際のところ,民主党政権は自民党よりもっと大きな政府を目指しそうである.これは改革ではなく膨張である.残念ながら,そんな余地は日本にはないと思うのである.小さな政府論者がこれに対抗しないと,お湯に,どっぷり首まで浸かっているカエルがゆで上がってしまう.

⑥そもそも民主党が固執している子供手当,農家への所得補償であるが,哲学,国家像,目的は何か,優先度はどうか,自治体の実施分を含めて既設の支援,救済策との関係はどうなるのか,扶養控除廃止で子供手当ての無い高齢者扶養家族は増税でよいのか,毎年の事務コストはどれくらいかかるのか,子供手当て等の財源は税収か借金か,将来の重要政策の足かせにならないのか,支給をやめる時の事を考えているのか,など改めて注力して行きたい.

官邸主導で,党に残った民主党議員(政府に属さない議員)は幹事長の下で,選挙活動が仕事になりそうである.特に若手議員は次の選挙に勝つことが義務ずけられる.これだと,国民は民主党に議席数と国費による選挙活動要員を与えた事になる.

政党はマニフェストで,個人は,どぶ板で選ばれるとする風潮がある.従って議員は日頃から,どぶ板をやれということになる.党から見れば,政治家より議席が欲しいのである.選挙しか頭にない幹事長のもとで,ますます党に残った議員は選挙活動が仕事になる.国会採決の時だけ国会に出席するのだろうか.はたして,これが国会議員なのだろうか.

どぶ板選挙を国民が見離なさない限り,又議員数を大幅に削減しない限り,情報ネットを活用しない限り,政治家のレベルは上がらないし,議員への国費の無駄はなくならないと思う.

もうひとつ議員内閣制で官邸主導となれば,三権分立を損なうと言う問題がある.行政府の政府が政策検討や立法を考える,立法府の党に残った民主党議員は選挙運動に専念し,与党として政府案を追認するだけ,ロボットの如く投票するだけになる.立法府は実質,政府と野党の論戦の場にする事で三権分立の大義が守れているとするのだろうか.

前の記事でも発信しているが,議員内閣制の英国で官邸主導をとった労働党は,三権分立に反する,独裁政治だと,議会先進国ならではの厳しい非難を浴びたのである.

自民党政権では党で政策や法律を決める形を取った.族議員の横行を生んだが,もう一度,三権分立や国会議員の数,国会運営,選挙制度の議論が必要だと思う.これも,遅ればせながら,政権交代の効果かもしれない.

以上,民主党は大局的な展望,政策の優先順位,段取りがないまま,あれもこれもと拙速な感じが気になる.これが政権交代だと張り切りすぎて取り返しがつかない事になってはならない.

今のところ,借金の展望は見えても,国の展望が見えない感じを強めている.静観中とは言え,呑気に構えているわけには,いかない記事になってしまった.

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2009.08.31

186 自民崩壊と政治路線

8月30日の総選挙は下馬評通り,いやそれ以上に,野党民主党の圧勝であった.まさにオセロゲームの如く,全国の自民党・公明党の勢力図が民主党に一気にひっくり返った.歴史的な政権交代が初めて起ったのである.

一方,この政権交代劇は当ブログ176自民党の凋落要因,179私の政局予想,あるいは,世論調査,の通りの結果であった.自民党は誰もが予測できた劣性要因に手を打てず,’負けるべくして負けた’感じである.自民党の自滅,限界を露呈した選挙であったと思う.

この自滅に加え,民主党の官僚政治改革,税金の使い方の抜本改革への熱意が追い打ちをかけて,自民党を壊滅させたのだと思う.

前回の小泉改革,今回の民主党改革と’閉塞感を打破する改革’に軍配が上がったのである.選挙戦術としても,'改革’と言う攻めの姿勢が不可欠である事を証明した.景気対策と言う量的政策のみで,改革と言う質的政策の旗を挙げられなかった自民党は,まさに自滅したのである.

小泉政権は’攻め’で大勝したが,麻生政権は’守り’で大敗したのである.政策戦術,選挙戦術の負けである.

そこで,この政変劇を政治思想の側面から,整理,総括してみた.但し,そんな単純ではないと思うし,異論も多いと思うが,一つの見方を提示したい.

日本の政治思想は55年体制時代,極右翼,右派,中道,左派,極左派(急進・過激,ラジカル派)が存在し,政界では右派(保守)と左派(革新)の対立構造であった.正確に言うと,左派は保守を維持させる為に存在し,実質,保守自民党の一党独裁が続いた.

その後,世界の社会主義国の崩壊で,日本の政治思想は欧米とは内容を異にするが,おおよそ次の3つに集約されて来たと思う.思想,政策と言うより人間の性格の分類に近いかもしれない.

保守主義(コンサーバティブ)

保守という言葉は,多くの国で,共産主義から先祖伝来の土地,財産を守るという意味で使われた.日本も,西側諸国も,この保守勢力が国を治めてきた.
各国とも保守の性格や政策は異なるが,日本の保守派の性格は農耕民族的文化,伝統,ナショナリズム,皇国史観,秩序を重んじるタイプである.又
無条件降伏した日本を戦勝国から守る意味があったと思う.

この性格,思考を持つ自民党は戦後復興に向けて,
社会資本整備,産業振興,を目指した.一党独裁体制の下で,政・官・業の護送船団による産業振興,道路,住宅公団,公的金融機関などを総動員して,積極財政出動・公共事業による列島改造,等を推進し,経済大国に引き上げたのである.

しかし,自民党は高度成長後も手段が目的化してしまった.公共事業経済,官業構造,利権構造が組織票となり,政権を支えた.同時に,大きな政府,官僚国家,肥大官業,等,国家の脆弱性を抱える事になった.又,一党独裁で築いた派閥政治,日本的議院内閣制(党内派閥による政権闘争)も変わる事はなかった.

結果として,世界的に見れば,コストはかかるが安全な社会,中流社会,官・民ダブルスタンダードの社会(複合経済社会),日本的資本主義社会を作ったと言える.

一方,バブル経済の崩壊,国際化の進展で,日本の脆弱性が露呈する事になる.保守派はネオコン派やリベラル派から見れば,守旧派に見える様になった.

保守派の思考は新しい考え方・論理に,’そんな事は出来ない’と,まず否定文を口にする,現状肯定の中で改善は出来ても,現状否定の改革は出来ないタイプである.象徴的に言えば,’外資を生理的に嫌う’’理より気,一致団結が好き’の
タイプである.音楽でいえば,和楽の流れ,形,にはまった演歌を好む.

尚,この保守派の最大のテーマは語源の通り,左派勢力との対峙と日本国憲法の改正であるが,前者のテーマは,時代とともに役割は薄れたが,後者は現憲法の改定規定が障壁となって実現できていない(当ブログ171憲法96条問題で発信).

②新保守主義(ネオ・コンサーバティフ)

ナショナリズムや憲法,安全保障の国家観,皇国史観,憲法改正,あるいは反左派思想は保守主義と一致するが,むしろより強硬派である.,但し,保守と大きく違う点は,自由主義を原則にした小さな政府論者である点である.

政府の介入が小さい方が,規制緩和した方が,国際化した方が,国の活力,効率が上がり,財政規律も守られ,産業・企業が発展し,パイが拡大するとの考え方である.このパイの拡大なくして福祉なしとの考え方は保守思考と同じだが,’官から民へのシフト’が保守思考と大きく違う点である.
保守派は守旧派に見える.

特に問題解決に対しては理論武装,リーダーシップ,大きな決断を発揮する.その分,日本的な文化・価値観・慣習との葛藤を伴う.音楽でいえば自由,個性,ライブを重視するジャズ.

米国の保守(共和党)は,この新保守に近い.開拓精神,自由と言う建国の志を持ち,政治の介入は極力避ける小さな政府の社会を理想としているからである.

この保守思考のもと米国は,建国以来,ナショナリズムや宗教を共有し,自由,個人主義をとりながら,競争,自己責任も許容する社会を作ってきた.これによる,先進科学技術,新産業,ボランティア活動,アメリカンドリーム,が生まれた.反面,貧困層問題も内在した社会でもある.民主党はニューデール政策に代表される国家事業や弱者対策で共和党を補完をしている感じである.

米国の共和党,英国保守党のサッチャー,日本の国鉄,電電公社,専売公社の民営化をした中曽根政権,失われた10年に対し,不良債権処理,官から民への官業改革(郵政,道路,金融など),規制緩和,の小泉政権などがこのタイプ.

③リベラル(反体制という自由主義だが,的確な訳が見当たらない)

古くからのしきたりや制度・法律から離れられない保守派に対して,時代の変化に応じた発想をするタイプ.正義感で,ものを考えるが,過激派(原理主義,ラジカル)ではなく,穏健な平和主義,平等主義,弱者救済主義,大衆政治主義でもある.一方,不合理性,脆弱性を嫌う点では新保守(ネオコン)と同じだが,分配を拡大する,やさしさがあり,大きな政府になる.

特にリベラル思考の弱点は,国際競争,パイ拡大,利益の追求,財政事情と言う厳しさから目をそらす幼児性がある.パイの分配重視が国家の活力を失わせ,ますます,パイの分配が出来なくなると言う結末を想像しない事である.

この様に,パイの分配は熱心だが,パイの拡大は言わない.資本主義,競走原理,市場原理をよく問題にするが,対案が見えない.さりとて,市場原理のない社会主義が良いとは言わない.戦争より平和,武力より話し合い,と当たり前の事を熱心に言うが,具体的問題には策を論じない.安全保障に対しても,はっきりしない,等,リベラル思考の特徴である.

リベラル思考は問題指摘は得意だが,必ずしも,具体策を持っているわけではないと感じる.大きな視点で大局的に考える事が性分に合わないのかもしれない.持ったとしても単純で概念的にとどまると思う.野党に向くけど,与党に向かない性格だと思う.学者,インテリ,評論家,市民派に多いタイプ.
多分,経営者,商売人に向かないし,やっている人もいない.音楽でいえば,言葉に酔いしれて,一時の幸福感,連帯感に浸る事が好きなフォーク派.

しかし,リベラル派は保守,新保守の失政に対し,清涼剤的に評価され,軌道修正的役割で政権を担うことがある.但し歴史的に見れば,保守系ほど長期に政権が続いた事はない.

ところで,日本の中世,南北朝時代,バサラ(婆娑羅)風潮が起こった.身分秩序を無視し,天皇,皇室の権威を軽んじて,自由に反発する人達の出現である.その後,この潮流は下剋上やバサラ大名を出現させて行った.自由に発想するタイプと言う意味で,現在のリベラル風潮も,これに似ているのかもしれない.

このリベラル思想は英国の保守(チャーチル,サッチャー)に対する労働党(ブレア,ブラウン),米国の共和党(ブッシュ)に対する民主党(オバマ),がこのタイプだと思う.
米国共和党と民主党はそれぞれ’惨めな失政をする共和党’(共和党ブッシュ),’優柔不断な民主党’(民主党カーター,クリントン)と揶揄されたり,健康皆保険制度の大論争で双方の考え方の差が鮮明に表れている.


尚,これら対立する2大政党ではあるが,日本と違って,憲法の精神,ナショナリズム,安全保障や武力行使の意義,などを共有した上で,政策の論争が行われる.

例えば,古くはベトナム紛争(東西代理戦争)への介入を始めたケネディ,ジョンソン,の民主党,最近では,湾岸戦争に介入したブレアの英国労働党がある.この政権の誕生は左派勢力が政権を奪取したと思われた.しかし,労働党ブレア政権は,国家観,資本主義・市場経済,米国との関係,に現実路線をとったのである.

このリベラル思考に,もうひとつ特徴がある.真面目さゆえに,演繹的発想をしがちな点である.それが現れている例が官邸主導問題である.

自民党では,中曽根政権,小泉政権,等で,大きな政治課題に対して,政治家の手腕で官邸主導を進めた.これに対し,民主党は英国労働党を参考に,制度,形で取り組もうとしているのである.’国家戦略室’など映画に出てきそうな名前だが,まさに,その性格が丸出しである.

英国労働党は官邸に権力・体制を集中させたが,もともと行政府と国会(政党,議会)の緊張感が薄くなる議院内閣制で,小選挙区制の上に官邸主導を取ったものだからい,一気に独裁色を強めてしまったのである.国会(政党,議会)を軽視し,民主主義の原点である緊張感を奪ったと非難が集まったのである.英国らしい非難である.

本来なら,民主主義とは手間がかかり,議論に緊張感がある方が良いのだが,政策決定プロセスを集中化,単純化したい,と官邸主導にするあまり,民主主義とは反対の独裁に行ってしまったのである.

日本の民主党も官僚主導から官邸主導へと宣言し,その為の制度,仕組み,体制を検討しているようだが,野党時代の官僚に対する恨みがあるのか,いかにも短絡的に捉え過ぎのように思う.

官僚は官僚主導など,とんでもない,政治家がそうさせて来た,と言うはずである.法律的にも,政治主導のはずである.だとすると,本質は政治家が官僚に丸投げしないだけの話になる.政治家の力量,手腕,リーダーシップの問題なのである.

このように捉えないと,演繹的に制度,仕組みを作っても,形骸化するだけである.英国は独裁的になったが,日本は形骸化の方が心配である.

実は政治主導を実現する為に,欧米では,官邸及び政治家が強力な政策集団を持っている.日本では官僚がそれをやってきたわけだが,どうするのだろうか
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政治家主導,官邸主導は実は事務次官会議を廃止したり,戦略室を設けることではない.いかに政治家が問題分析能力,政策立案能力を高めるか,だと思うのである.自前の政策集団を持てないなら,官僚を政策集団にすればよいのである.官僚を目の敵にして,手足をしばる事が官邸主導ではないのである.

さらに,民主党の子供手当支給案について言えば,家計に直接支給すると言う.財源は気にせず,目的も曖昧で,単純で,演繹的で,教条的である.元来,個人の財産に直接公金を使う事は,貧困や災害の特別な場合を除いて,禁じて来た.あくまでも公金は公的な支出(公的資産,サービス)に限っていたのである.

直接支給は公金の再分配であり,恒常的な家計の収入になる為,一度実施すると,廃止,縮小もできなくなる.当然,国家財政の硬直化,肥大化,重税化を招く事は自明である.無駄を削減し,これに当てるとの事だが,恒常的な財源にはならない.何を削るかが大問題になる.財政需要が拡大する中,又新たな課題を背負った事になる.

帰納法的,現実的に考える人は,財源と相談しながら,支給するにしても,間接支給を考える.幼稚園,学校,病院,等の費用を無料化すると考えるのである.目的,財源,制度設計のしやすさ,事務費用,何よりも,廃止,縮小の時の対応策も視野にするからである.この様に,柔軟に対応できる余地を残す考え方をするのである.

農家への所得保障も輸入自由化対策だと言うが,農業の国営化に近い.制度設計は不明だが,膨大な財源は想像できるが,展望が創造出来ない.

総じて,リベラル派は頭で描く先入観で物事を考える傾向がある.真面目さ故に,断片的な事をよく論じるが,大局観や経営視点でものを考える思考の余裕がない.その結果,現実とのギャップが生じたり,実現に無理が生じたり,しやすいのである.それでも,持論を曲げる事にプライドが許さず,権力で押し切ろうとする性格がある.この点が左派的に感じる所である.

リベラルに物を考える人は’水清くして魚棲まず’’あちらを立てればこちらが立たず’’風が吹けばおけ屋が儲かる’'合成の誤謬(ごびゅう)
’(個々に良いこ事でも,全体で見ると大問題になる)を学ばねばならない.

ところで,民主党の’生活第一’という家計への直接支給政策は勝つ為の選挙戦術としては,見事である.業界・団体の組織票を金で買うより,家庭の票を金で買う方が,財源は膨大になるが,票は比較にならないくらい多い,からである.
又,無駄な公共事業だと言われる事もない.政官業の癒着も起こらない,産業や国が疲弊しても,国民の責任に出来る.国民の意識と民主主義の弱点を見透かした,見事な選挙屋の策に感じる.もしそうだとすると,この選挙戦術を考えた人はリベラル的思考の人ではなく,超現実的な人だと思う.

日本の為に考え抜いた政策だと信じたいが,何が何でも選挙に勝つ為,将来に渡って,民主党政権をつなぎとめる為,の政策なら,国民は買収された事になる.

さて,世界政治の潮流を見ると

現在はリベラル,穏健派の流れにあると思う.
イラク戦争,テロとの戦いで,新保守・強硬派が続き,その反動期にあるからである.特に,米国のブッシュからオバマへの政変は象徴的である.今回の総選挙も,この影響を受けていると思う.
しかし,リベラルの発想は問題を掘り下げるほど,立ち往生する可能性もある.その時,ネオコンサーバティブを誘発する要因になる.

以上のように,政治思想・路線は中道左派を含めたリベラル派,保守派,新保守派,の3つに集約されると思うのである.それぞれを集約すると次の如くである.

・国家観が曖昧な無国籍評論家タイプ(リベラル派,フォーク派)
・和魂和才の国家観,洋才に抵抗感を持つ古風な日本人タイプ(保守派,演歌派)
・和魂洋才の国家観,国際的視点で洋魂も許容するタイプ(新保守派,ジャズ派)

ちなみに,楽譜を基本に演じるクラッシックは全体主義派とし,現在の政治思想,路線から除いた.

となる.あなたは何派ですか.フォーク,演歌,ジャズ,どれが好きですか.自民党,民主党の議員にも聞いてみたい.多分,自民党は保守と言い新保守とは言わない.民主党は一概に言えないと言うに違いない.それがまさにリベラルな証拠である.

この3つの政治思想,性格を日本の政党に,改めてプロットしてみた.

自民党は永年の保守本流を進めたが,リベラル的な河野(洋)や加藤の闘争,日本的構造の改革を進めたネオコン的中曽根,小泉,の闘争,小泉政権後の阿倍・福田・麻生の保守回帰,などがあった.今回の政変で,自民党は今後,どのような政治思想,政治路線をとって行くのか,大きなテ-マを抱える事になった.

一方,民主党は選挙の顔はリベラル風であるが,政治思想的には左派から保守右派までの寄り合い所帯であり,政治思想,政治路線は不明である.国家観等の本性は,その有無を含めて封印されたままである.その事がまさにリベラル的であり弱点なのである.

民主党は大衆政治を選挙で訴え,大勝したが,国際政治や国内の難題に,どこまで通用するか注目される所である.合成の誤謬(大衆に良い事をする程,日本全体の活力を失い,良い事がまったく出来なくなる)になったら日本は悲惨な社会になる.民主党政権の最大の課題である.

次に,国民の政治思想は今回の選挙で,どう現われたのだろうか.
自民党の敗因は複合的だと思うが,その原因を政治思想面で考えてみた.

①ネオコン的小泉改革の負の部分が原因だったのか,
保守回帰で古い体質に戻った事が原因だったのか,
③リベラル派の問題指摘,政策と対峙しなかった事が原因だったのか,

私見によれば,小泉改革以後,改革で得た大議席のまま,古い手法の保守に回帰(先祖返り)し,改革も中途半端にし,政権をタライ回しにし,積極的財政出動で景気対策を進めた事が国民には無駄の上塗り,利権政治の復活と映ったのではないかと思う.実力者と言われる古参議員の復活も,これに拍車をかけたと思う.

その結果,もう自民党にあきた,新鮮味がない,賞味期限切れだ,との風潮が深まる中で’責任ある自民党’’景気対策なら自民党’と連日テレビで宣伝するたびに`分かっていない’と,支持を落として行ったのではないかと思う.

以上の事から敗因は②だと思う.特に,保守王国の地方が自民党離れした事は①を超えて,②の古い体質に対する見切りがあったのではないかと思う.これではいくら景気対策と言っても無駄だと,信用されなかったのである.無駄(波及効果の低い投資)も景気対策のうちだとは国民は思わなかったのである.

自民党からすれば,保守もダメ,改革もダメ,では自滅としか言いようがないのである.当ブログでも阿倍政権時,小泉政権後どうするかが自民党の命運を決めると,発信して来た.結局,自民党は迷走しながら,悪手のシナリオを選んで来たと言えるのである.

結局,自民党は日本を経済大国にした実績と850兆の借金を残し,中途半端な行財政改革のまま政権を去る事になったのである.自民党の責任は重大である.この総括をせずして自民党の再生はない.

そこで,今後の自民党であるが,所帯が小さくなった割に,総理経験者や大臣経験者が残り,中堅・若手を失った.それで,総括や再生を難しくするかもしれない.総理・大臣経験者の退任,新党結成,民主党を巻き込んだ政界再編,など真剣に取り組んで欲しいと思う.

一方,民主党には,きれいごとでは済まない現実が待ちかまえている.特にマニフェストで避けた安全保障や国際協調の問題は,選挙で逃げられても,現実の国政では逃げられないのである.

又,マニフェストに記載した政策は,まず財源等を徹底調査したうえで,現実の予算編成の中で,もう一度その実行可否を判断すべきである.マニフェストで約束したからといって,何が何でも実行する事はきわめて危険である.
民主党の約束は守れても,日本が沈没しては何もならないのである.前述のように大局観を持って,合成の誤謬にならない様,切望したいのである.

特に日本は憲法問題,安全保障問題,財政問題,格差問題,少子化問題,年金・介護・医療問題,経済問題,農業問題,行政改革問題,など難問山積みである.必ずしも民主党の断片的マニフェストの内容だけでは国政は出来ない.

以上のように,今回の総選挙は自民党を退場させただけで,難問解決の光は,何も見えていないし,民主党の政治思想も不明である.それだけに,政権交代が起こっても,国民は歓喜しているわけではないのである.
大きなボールを民主党に与えただけである.嵐のあとの静けさの中で,お手並み拝見の状態が続く.

最後に,今後の政治思想の潮流であるが,

前回と今回の総選挙で,大方の予想通り,保守派・守旧派が嫌われ,改革がキーワードとなった.そこで,保守思想はどうなったのだろうか.

・国民の伝統的な保守思想が少数派になった.或いは.
保守派に嫌気がさしただけで,保守思想は依然と根強く残っている.

さて,どちらだろうか

私見であるが,国民の政治意識の向上,日本が抱える深刻な問題,で理の戦いが活発になる.その結果,伝統的な保守派に代わって新保守派が拡大し,その対抗として,中道・穏健のリベラル派が存続するのではないかと思う.
かくて,革新(社会党系左派)に続き,保守も終焉し,リベラルと新保守の政治体制になって行くと思うのである,

そうであるならば,リベラル政党と新保守政党の2大政党体制が出来て行く事になる.まさに米国の民主党と共和党,英国の保守党と労働党である.今回の選挙結果は,これに向かった一里塚であれば幸いである.

もし,自民党が保守本流を改めて標榜しても,展望が見えない.自民党の道は,憲法問題,財政問題,少子高齢化問題など,日本が抱える多くの難題に,従来の自民党の政策の反省も踏まえて,新政策を打ち出すと言う意味の新保守を掲げ,日本の将来の姿を論ずべきだと思う.自民党の総裁選に注目したい.

追記 

当記事は歴史的政権交代に際し,自分なりに考えを整理したく,多くのエネルギーをかけて書いてみた.自分はどんな思考タイプなのか,日本の政治路線はどうあるべきか,を自問しながら推敲を繰り返した.

自民党がやり遂げられなかった膿を出す為にリベラル思考は現在のところ必要だと思うが,国家の長期的視点で日本の難題,閉塞観を突破するには,新保守思考が必要だと思う.政治が国民を’ゆで蛙’にしてはならないし,財政的にも厳しい局面にあると思うのである.まさに’合成の誤謬’に突き進んではならないのである.

今回の選挙で,国家の脆弱性を徹底的に排除し,景気対策の上からも,国家をスリムに筋肉質にし,民力を高めよう,と言う新保守政党がなかった事が残念であった.若手の隠れ小泉改革支持者が声を出す時だと思う.

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2009.08.13

184 地方分権・脱官僚論議

中央集権,官僚国家の解体論が華やかである.明治以来の政治・行政体制を抜本的に変えようという論議である.ずっと以前から,その対策として,地方と中央の役割分担を変えよう,公務員制度を変えよう,道州制を考えよう,政治家主導で政治をやろう,との議論はあるが余り進展していない問題である.

一方,2001年,小泉政権で,筋肉質の国家にすべく,小さな政府論による構造改革に着手,その中で,三位一体改革(税源を地方に移譲し補助金,交付金を抑制する)が進められた.しかし,結果的に地方の取り分が削減され,地方財政が逼迫した.以来,国と地方の金の取り合いが繰り返される事となる.又,市町村合併でその数は半減し,広域行政,行政コスト削減が進められた.

現在の地方分権議論を聞いていると,ひも付き補助金を廃止し,使い道の自由な金に一本化しよう,国の直轄事業負担金を廃止しよう,から,道州制によって,国が持つ役割,財源,人を地方に移管しよう(小さな政府,大きな地方論)まで諸説が飛び交っている.

又,同時に,官僚国家,官僚天国に対し,公務員人事制度改革,天下り団体の縮小,天下りや渡りの廃止,さらには政治主導の政策決定プロセスの制度化,と上記分権論とともに,論議が盛んである.

今回の総選挙においても,この地方分権,官僚国家問題が大きなテーマになっているのである.

目的は国家予算の無駄をなくし,国民にとって効果的に税金を使い,地方の発展を促す事である.しかし,諸論が飛び交っている割に全貌が見えていない.ましてや目的が果たせる保証もない.政党も騒ぐ割に,構想を描き切っているわけではないと感じている.

チョット考えただけでも次の様な素朴な事が見えないからである.(私が知らないだけかも知れないが)

①改めて現中央集権の問題点と対策が整理されているか,
②地方分権を対策とした時,何を分権するのか,
③その時の課題は何か(機能,公務員,スキルの重複,等)
④特に分権下で効果の低い地方投資に対し,国民は許容出来るのか
⑤税源の地方格差をどうするのか,
⑥国家財源の配分をどうするのか,
⑦行政単位をどうするか,
⑧地方の財政破綻対策を用意するのか,
⑨地方の立法権をどこまでにするのか,
⑩国や地方の既借金・新借金をどうするのか,
⑪結果として国や地方の予算規模はどうなるのか,
⑫地方分権によって国力は上がるのか,落ちるのか,
⑬地方議員,国会議員,選挙の各制度をどうするのか,

等々素朴な内容が不明であり,聞こえてくる緒論は断片的,表面的だと思う.こんな状態で,政策の比較検討が出来るのだろうか.感情的,短絡的な方向づけは日本を混乱に陥れる.

少なくとも,地方に自由な金をくれ,ハシの上げ下げまで,国が介入するな,国は無駄遣いばかりしている,官僚天国はけしからん,と非難し,だから地方分権だと短絡的に決め付けられる問題ではないと思う.まず上記のような素朴な内容も含めて,グランドデザインをしっかり描く必要があると思う.

ところで,財政難なればこそ,権力と金は集中しなければならないのは道理である.なけなしの金を公平に分配すれば国も地方も共倒れする危険性がある.あるいは,もう勝手にしろ,金はこれしかないと投げ出す事になるのだろうか.

私見だが中央集権の中で,問題を徹底的に解決する努力,仕組みが,まず必要だと思う.国家予算の立て方,厳重なチェック,監視の仕組み・体制を作る事で解決できる問題も多いと思う.何よりも分権が地方の公共事業経済を助長することになれば,日本は確実に破綻する.

一方,社会の発展とともに,行政規模は飛躍的に大きくなった.中央から地方への負荷分散も必然である.政治を民意に近づける意味においても分権は意味がある.特に直接選挙で選ばれる地方の首長に予算の采配を任せた方が良い,と言うのも一理ある.

ところで,分散を集中する事は簡単だが,集中を分散させる事は簡単ではない.この事は情報処理システムの集中・分散の議論とよく似ている.情報システムの世界では集中的分散(管理集中・処理分散)という考え方が一般的である.集中を基本としながら,集中で不具合な事を分散で解決する考え方である.

そこで,国家の統治機構においても,財政難を念頭において,集中的分散を目指してはどうだろうか.集中の必要性・メリットを確保しながら,集中で説明が出来ない役割・機能・負荷を地方に切り出して行くという考え方である.

以上,地方分権論議,官僚論議を表面的に叫ぶだけでなく,しっかりした構想作りを期待したいものである.

それとも日本人はグランドデザイン力と強いリーダーシップが弱く,魑魅魍魎に走るだけで,結局,ぐちゃぐちゃになるだけだろうか.

それとも,やっぱり,中央集権・官僚国家の図式が国民性に合っていると言う事になるのだろうか.

明治維新は統治制度を変えると言う有史以来初めての革命であったが,それに匹敵する革命が起こせるのだろうか.

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2009.07.31

183 マニフェスト合戦への危惧

従来になく,マニフェストが注目され始めた.しかし,根本的な難題を多く抱えた日本において,マニフェストがはたして日本の進路を良い方向にリードしてくれるのだろうか,感じる違和感について述べたい.

ところで,マニフェストは従来の選挙公約をさらに進めて,個々の政策を国民との契約と考えるのだと言う.従って,国民の選択と結果の評価の為に,より具体的に,より数値化された内容にすべきだと言う.

そこで,このマニフェスト重視における問題点を,いくつか上げてみた.

①断片的なマニフェストで政党選択ができるか

ともすると,マニフェストは党内不一致の重要課題の政策を避けたり,政策が立てられなかったり,他党との選挙協力や連立同士の配慮で取り上げるのをやめたり,選挙目当ての政策であったり,する.国民の為の主張であるべきものが,党利党略の視点で書かれていると思わざるを得ないのである.

日本は現在,憲法に始まる外交・安全保障問題,少子高齢化に始まる年金・介護・医療等の問題,膨大な借金問題,等々,長期にわたる重要な課題を抱えている.こんな重要な事が,マニフェストから抜け落ちたり,掘り下げられていない.今回も生活重視と財政出動の話ばかりである.

勿論,外交・安全政策で明らかに出来ない政策もあるかもしれないが,それにしても,憲法問題,憲法解釈問題,など根本的考え方すら見えないのである.

票を取るための断片的な,人気取りのマニフェストなら国を食い物にするだけである.政党はこれらの重要問題についての認識と所見をまず表明する必要がある.施政方針なしの短期的政策を述べるマニフェストでは国民の選択と国の進路を間違う.国民はむしろ書かれていない問題に留意する必要がある.

②政党の活動評価はマニフェストの達成度で計れるか

与党の評価を党利党略で作ったマニフェストの各項目毎に実現度で測ることが意味ある事か疑問である.又,評価の物差しも簡単ではない.そのた為に評価し易い政策表現をすべきだとの意見も出る.ますます,通信簿の様なマニフェストになる.これでは国の難題解決から,ますます離れて行く.

国民から見れば,与野党問わず,政党の実績評価は,考え方,政治路線が間違っていなかったか,立法活動や法案への賛否実績はどうであったか,国会での質疑内容も評価の対象になる.

これらの政党活動の実績報告は全政党の義務であり,それを国民が評価するのであって,マニフェストに対応した達成度で与党のみ評価しても,あまり意味がないと思う.

又,議院内閣制で政府の総辞職や内閣改造があり得るが,これもマニフェスト評価の意味が薄れる.

マニフェスト重視で政治家の選択が希薄にならないか

知事や市長のマニフェストは個人に帰属し,個人を選ぶ材料になる.国政政党のマニフェストは,①②の問題も含みながら,良くも悪くも,政策・政党選択の材料になる.

従って,地盤,看板,鞄,地元への公共事業誘致,なども含めて,政治を負託する人物の選択が希薄になる.小委選挙区制も含めて,代議政治が人から政策・政党にシフトして行くのである.政党は人が欲しいのではなく,議席が欲しいのであって,人気があれば政治能力など,どうでもよくなる.

マニフェスト重視が日本の多くの難問解決に向かうどころか,ゴッタ煮の政党を選び,力量不足の政治家を選び,難問を先送りする事になりかねないのである.

ならば,間接民主主義の基本にかえって,信念を持った政治家を選ぶ方を優先すべきではないか.政治家(選挙区)と政党(比例区)を分けて考える必要があると思う.

難問と対峙出来る論客を国会に集結させる方が,今後の日本の政治にとって,きわめて大事だと思う.主義主張に応じた政界再編もし易くなる.日本の政治体制,はここからやり直すべきではないかと思うのである.その意味で,マニフェスト合戦に巻き込まれて,貴重な人材を失ってはならないと思う.

官僚主導から政治主導にするとしても,制度の問題より,政治家の力量の問題の方が深刻だと思う.実力のない政治家主導は危なくてしょうがない.官僚主導の無駄なぞ比ではない.

④調査や裏付けのない政策が国を危うくしないか

もし,政権をとった政党の政策に問題が発覚した時,政党はどうするのだろうか.政党のメンツで何が何でも公約を実行するのだろうか.マニフェスト重視の風潮が,こんな事を誘発しないだろうか,心配である.
特に野党の政策に裏付けなしの政策が多く心配である.選挙期間中,国民がこれを見抜く事は難しいだけに,競合政党の政策評価が必要である.しかし明らかに間違っていても,政策毎の賛否投票は国民には出来ないのである.

ところで,マニフェスト信奉者は直接選ぶ地方の首長選挙と代議士・政党を選ぶ国政選挙とを勘違いしていないだろうか.国政の課題は極めて広く,難題ばかりである.考え方や政策も簡単ではない.それも含めて代議士に負託する部分は大きい.むしろ,立候補者にマニフェストを求め,負託する代議士を選びたい位である.

こんな思いの中で,断片的,表面的,政策ばかりの報道を見ていると,違和感どころか危機感すら感じる.又,やたら,具体的内容を迫る報道姿勢も,ますます本質的問題から目を遠ざける様に思う.

思いつくままに書いたが,断片的なマニフェストで選挙が加熱する事に,大きな危惧を抱くのである.

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2009.07.29

182 旧態依然の選挙活動

いよいよ選挙モードに突入した.しかし,日本の進路に取って極めて重要な選挙にもかわらず,怒りさえ覚える選挙活動が目につき始めた.いくつか上げてみたい.

シーン① 地元への公共事業誘致

地元民を前に’永年にわたって,公共事業を地元に持ってきた,これは支持を頂いた地元への恩返しだ.これからも地元の為に戦う’と演説.口利き政治家を認めたような,道路族の演説である.

何かおかしいと怪訝な聴衆もいたようだが,頼れるおらが先生と思っているのか,拍手の方が多い.

かつて地方には,こんな政治家が多かった.毎年の地元商工会の賀詞交歓会等での国会議員の挨拶で,公共事業誘致の話ばかりである.公共事業を持ってくれば票がとれたのである.80年代のバブル経済,90年代のバブル崩壊経済,00年代の公共事業減少時代と,どの時代でも,この戦法が与党を支えて来たとも言えるのである..

特に,古手の党幹部の身体に,この戦法が染み付いているようである.地元の為に,国を食い物にし,膨大な借金を積み上げてきた箱物政治家だと感じる.

せめて,そんな戦法で当選し続けながらも,国政に対する自らの政治信念に取り組んでいるなら弁解の余地はあるが,それも見えない.地位,名誉,議席,権力の対価を公共事業で払っている様に見えるのである.

政治家には国民の政治意識を育てて行く使命があると思うし,国会議員は地元の利益代表ではない.ましてや公共事業を地元に持ってくるのが仕事ではないと,言うべきなのである.

言うまでもなく,国会議員は国家の在り方や法律を決め,予算の効果的活用を行うのが仕事なのである.そのオピニオンの賛否を問うのが国政選挙なのである.そんな意識もない演説に思わず目を覆いたくなる.

厳しい選挙だ,逆風が吹いている,と古手の政治家は言う.その原因がすべて自分の政治姿勢にある事に気が付いていない.

今更,政治姿勢や信条を変えられないだろうから,せいぜい公共事業誘致をアピールして,古い政治手法を演じ続け,住民の国政政治の勉強教材になってくれればと思う.

出来れば,過去に誘致した公共物の脇に銅像を置くのも,政治の歴史遺産として,後世に役立つかもしれない.

シーン② 業界・団体の組織票固め

’こんな政策で貢献したい,要望も是非取り入れたい,どうぞご支持を’と党や立候補者は業界・団体の支持をお願いしている.

支持を得られれば,国会議員・党は支持母体の利益代表として,国政で主張する事になる.それが支持への見返りである.シーン①と同じ族議員の構図がそこにある.護送船団時代の戦法である.

政治家や党はこれらの意見を聞くのは勿論必要であるが,国の視点での政策判断とは一線を画しておく必要がある.投票する国民はこの視線で判断する必要がある.

小泉改革政権の反動で,組織票復活の動きがあるが,古い政治手法に戻るだけである.票を前にすると,国会議員のあり方や政治信念など吹っ飛んでしまう感じである.

シーン③ どぶ板選挙合戦

あいも変わらず,どぶ板選挙が始まった.弁論など二の次である.握手をすれば,立候補者の達成感が満たされると感じるのかもしれないが,ペコペコする政治家はみっともない.いまどき,これで票が得られるとは思わないし,国民はそんなに盲目的ではないと思う.しかし,もし投票行動につながっているとしたら,これも民主主義ではあるが,レベルが低すぎる.

どぶ板に徹したから勝てた,十分でなかったから負けた,では政治信念も政策も関係なかったと言う事になる.どぶ板で勝ったと言うなら,政策が支持されたと言わないように願いたい.国の進路がおかしくなる.

シーン④ 国民へのサービス合戦

生活支援,少子化対策,個人消費増,等を掲げて個人に直接公金を渡す制度,税の再分配先が個人,で本当に良いのだろうか.

かつて,公金は公的なものに使うと言う大前提で運用されて来た.かろうじて,生活保護等の救済目的で支給したり,公的費用の免除で,個人支援が行われてきた程度である.

自然災害をこうむっても,道路復旧に公金を使えても,個人の財産損失や生活基盤の崩壊に公金を支給する事が制度的に困難と考えられて来た.又,一般般個人への支援は減税どまりであった.

今,流行りそうな,一時的な給付金,定常的な手当支給は,従来の公金の使い方からすれば,大きな変化である.この意味を考えてみた.

まず,財源に限りがあると言う前提に立てば,公的事業への支出から個人向け支出へのシフトとなる.簡単にいえば高所得の企業・個人から集めた税金を国民にばらまくのである.

たとえば,

①託児所,保育所をきめ細かく開設する
②託児所,保育園の料金を無料化する.
③子供手当てを支給する,

と言う案があったとする.①②は公的事業への支出,③は個人への支出.である.

さて,同じ予算規模だとして,一つを選ぶとしたら,どの政策が効果的で,公金の使い方として公平なのだろうか.

子供がいる夫婦共稼ぎを支援するなら①,一時的であるが,経済波及効果もある.②③は富裕層にも公金が使われたり,子供を持たない人との不公平感がある.

又③は膨大な予算が毎年必要になり,目的が家計支援,個人消費拡大,になり,①②とは目的が変わってくる.しかし,公共事業と違って,効果の良し悪しが見えにくく,かつ途中で中止する事が至難になる問題を含んでいる.

従って,手当て支給合戦は,国の力を落とす危険性を持っている.やるとしても,財政難を考えると予算の少ない方法を選ばざるを得ない面もある.無節操な支給は重税への拍車,重要政策の実行力低下,国家財政破綻,を間違いなく招く.

税金で手厚い保護を続けると,そのうち保護すらできなくなる.と言う宿命がある事を忘れてはならない.財政難の中で,税金の使い道を真剣に考えた時,個人支給の必要性を説明できるか,大変疑問である..

そんな金があるなら介護保険料や医療保険料をもっと軽くせよ,老人施設や介護者の待遇を良くしろ,医者や病院を処遇せよ,又,そんな財源があるなら,中所得層の所得税,住民税を低くせよ,など,いくらでも議論がある.それでも個人へのばらまきが優先するとは,どうしても思えない.

シーン⑤ 人物より議席が欲しい党公認立候補者

立候補は誰でも出来るが,少なくとも政党公認の立候補者には,政治信念,政治課題と政策への見識,を求めたい.又,党はそのような人を人選すべきなのである.

しかし,どう見ても,知識も主張もなく,デベート出来そうにない立候補者が散見される.うわべの聞いたような話をもっともらしく言う立候補者に苛立ちを覚える.どうせ落選すると思っていても,立候補を許していること事態に腹が立つ.

日本の難問を眼前にして,とてもじゃないが,そんな人に日本の政治を負託できないのだが,国民の政治意識からすると,当選するかも知れないのである.

党から見ればその人が欲しいのではなく,その人の人気で議席をとりたいだけである.その人は国会で党の指示で投票するだけの人になる.

本人もこの事を自覚するなら,絶対立候補すべきではない.党も党利党略で,そんな人を公認すべきではない.国の政治家が弱体化し,まったく国費の無駄になる.せめて票を与えても,議員はいらない.

以上,国家の難題を前に①地元への公共事業誘致②組織票固め③どぶ板選挙④個人へのサービス合戦⑤議席が欲しいだけの党公認立候補者,を垣間見て,はっきり言って’国をつぶすのか’と怒りを禁じ得ないのである.

ところで,どう考えても支持できる立候補者,政党がなかったら,皆さんどうされるのでしょうか.棄権か白票でしょうか.エイヤーと,どちらかに決めるのでしょうか.どちらにしても,国民の責任はなくならないのだが,せめて,白票が一定数を超えたらその選挙区の選挙は無効と出来ないものだろうか.選挙区のまずいメニューを食べたくないのである.それだけに,メニューを出す政党の責任も重い.

そこで,国会議員の選挙は全国区比例区並立制で選挙制度を考えても良いのではないかと思う.勿論,政党の政策と立候補者の政治信条,取組テーマ等は開示される.

地元とか,どぶ板とか,選挙区のまずいメニューから選ばなくてもよくなる.情報化社会なら検討に値すると思う.勿論,国会議員の数も大幅に減らす必要があると思うが.

いずれにせよ,8月18日公示日まで,堅苦しい選挙制度に縛られる事なく,闊達な議論が起り,国民の選択の眼力が高まる事を願いたいのである.そして全国の優秀な論客が国会に集まる事を夢みたい.

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2009.07.28

181 政策と財源問題

民主党のマニフェストが発表された.予想通り,特徴は個人への分配,官僚国家からの脱却である.庶民,有識者の反応は.大方,そんな事が出来るのか,とその実現性を疑問視するものであった.又,成長戦略がない事や安全保障の方向が見えない事も予想通りの指摘を受けている.

この中で,年間16兆に及ぶ新たな支出に対しての財源問題に批判が多い.しかし,指摘する方も答える方も本質がずれていると思う.

そもそも政策ごとに財源を割利当てているわけではないからである.例えば戦闘機購入の財源はどうするのか,公務員給与アップの財源をどうするのか,と聞いても答えられない.新たに目的税を新設すると言うのであれば別だが.

従って民主党も公共事業の無駄排除,事業の縮小,人件費削減,埋蔵金,等で捻出すると言うのも説明になっていないのである.要するに全体の予算規模,内訳を示さない限り,財源の信憑性はないのである.

民主党案で個人への分配を優先するにしても,削減する事業はなにか,増税なしでできるのか,結果,予算規模が増えるのか,減るのか,財政赤字はどうなるのか,さっぱりわからないのである.

さらに言えば,個人への子供手当支給と扶養控除廃止,農業所得保障は生活支援,少子化対策,個人消費拡大,と効果が盛りだくさんだが,はたして公平な分配と言えるのか,個人への手当支給,高校無料化は地方政治で考える問題ではないのか,と言った根本的な問題もある.

公共事業の無駄の排除についても,地方分権で解決するとの主張なら削減分は地方の他の事業に使われるわけで,国の財源は出てこない事になる.それとも地方への財源移譲を削減する事になるのか.これも不明である.

とにかく,全体の予算構想を述べずして政策,財源問題は語れないのである.従って,各政党へは,今後4年間の予算編成構想を出す事を必須にすべきだと思う.予算書にすべてが集約される為,予算案だけで競争しても良いくらいである.

一方,自民党は7月末マニフェストを発表するとの事である.どの程度,成長政策,改革政策が入るか注力したい所だが,前回のブログでも言っているが,上記の事も含めて,次の事は明らかにして欲しいのである.民主党も政権交代を主張するなら是非,上記のことも含めて,マニフェストを補足して欲しいものである.

願わくば,マニフェストで論ずべき必須項目(下記)を国会で決めて解散して欲しいくらいである.自分達の都合や選挙目当ての政策だけでは,納得できる選択が出来ないし,そんな政策だけで国を運営できないからである.

各党が明らかにすべき項目

①国家の借金残高の評価と対策
②予算編成の構想
③行政改革の構想
④社会福祉の構想
⑤経済・金融政策の構想
⑥農業政策の構想
⑦文教政策の構想
⑧税制改革の構想
⑨憲法解釈と安全保障の構想

繰り返すが,マニフェストブームに乗じて,あれもやる,これもやると言うのは片手落ちである.その代わりに,こんな事はやめる,或いは増税する,と言って初めて,やる事の評価が可能になる.又,やめる事も重要な政策であり,選択肢なのである.その為にも全体の予算案は不可欠なのである.

又,政権を狙う党なら,上記の如く,すべての政治案件に対して,所信を述べる必要がある.断片的な所見だけでは政権を選択できないのである.

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2009.07.20

180 歓迎すべき党内部抗争

7月21日衆議院解散,8月30日総選挙が決まった.9月に自民党総裁任期が切れる事もあって,総選挙前に次の総裁を前倒しで選ぶべきだとの主張が反麻生陣営から噴き出した.結局,今のところ,現体制のままで選挙に臨む情勢である.

マスコミもコメンテーターもこの一連の抗争に対し,自民党の末期症状,政権陥落の悪あがき,政策をまとめられない程の凋落,分裂選挙必死と報道した.

残念ながら,なぜ今回の内部抗争が起こったのか冷静に見つめた報道は皆無であった.表面的な興味本位の人事抗争だけを伝えただけであった様に思う.

私見によれば,何度も当ブログで述べているが,今回の抗争は小泉政権以降くすぶっている保守勢力対改革勢力の政治路線抗争であったと思う.誰が総裁になるか,誰が人気をとれるかではなく,今後の自民党の政治路線の戦いであったと思う.

一方,自民党内の過去の抗争もそうであったが,政治路線や政策を前面に出して戦う事を避ける傾向がある.引っ込みがつかなくなる,妥協・収束できなくなる,からか,派閥間の権力闘争という形を取ってきた様に思う.

今回も抗争の根底になる政治路線,政策を,あからさまに主張する政治家が皆無であったように思う.保身が働いているのだろうか,小選挙区制ゆえの縛りが働いているのだろうか残念である.

今回の抗争は現体制存続で第一ラウンドは終わったが,マニフェストづくりで第二ラウンドが起こると思う.ここで,もう一度,保守と改革の戦いが起こる.こちらの方が本質的な抗争になると思う.

又,民主党も政権奪取の前に結束しているようだが,政治信念や路線,政策はゴッタ煮状態である.自民よりもっと大きな考え方の差が内在しているように見える.権力奪取を目の前にして,内部抗争を封印している感じである.

結果,主張も表面的であり,内部抗争になりそうな政策は避けている感じがする.これでは政権をとったとしても,無責任である.

ところで,総選挙にあたって,戦う構図を作る事が極めて大事である.民主党が国民への分配重視,行政構造改革断行,だとすると,自民党はどうするかである.

明らかに自民党の保守路線では公共事業バラマキ,官僚国家のイメージが強く,支持されない.日本民族主義的国家像を信条とする保守本流に拘るだけなら,現在の政治課題は解けないと思う.

自民党が勝つ為には,未来の日本に向けた課題を直視し,その対策を打ち出す必要がある.天に唾するような課題であっても逃げてはならない.長期政権を担ってきた責任だからである.’実績を見てくれ,安心・安全は自民’,では負けである.既に支持率で評価はなされているからである.

自民党は政策で戦う構図を作らずして民主党政策の実現性や政権担当能力を批判出来ないし,選挙には勝てないのである.その意味で自民党のマニュフェストが注目される所である.前回ブログの政界予想通りだと思う.

繰り返すが自民が保守本流政治を標榜し,’保守の自民’’改革の民主’の構図になれば勝負あり,である.既に安倍・福田・麻生政権の保守回帰で支持を落としているからである.

このように,意味ある選挙にする為に,どの政党も闊達な路線・政策の党内抗争をして欲しいのである.その上で政策を,国民に訴えるべきである.議論を封印して,ただ結束を叫ぶ政党は信用できないのである.

もし,政治信念・路線が違えば,離党し,無所属もしくは新党で戦うべきである.政権交代の前に政界再編が先と考えるからである.選挙の結果,離合集散するのでは,選挙の意味,国民の選択,政党政治を無視する事になる.何でもありの代議政治になってしまうからである.

ところで,マニフェストであるが,是非,各政党とも,次のことに触れて欲しいと思う.

①国家の借金残高の評価と対策
予算編成の構想
③行政改革の構想
④社会福祉の構想
⑤経済・金融政策の構想
⑥農業政策の構想
⑦文教政策の構想
⑧税制改革の構想
⑧憲法解釈と安全保障の構想

小選挙区制度にも関わらず,わが党にはいろいろな意見がある,と中選挙区感覚の政治家がまだ多い.ゴッタ煮の政党ならば,大いに党内抗争をやるべきである.

政治路線が許容出来なければ,分裂すべきである.小選挙区制は政治路線,政策の抗争をやりながら党を編成し,2大政党になって行く制度だからである.

それとも,小選挙区制はゴッタ煮の2つの権力闘争チームを作るだけ,政策と無関係に政権交代が起こるだけになるのだろうか.だとしたら人物中心に選択し,人物に政策を負託するしかなくなる.そうであるならば,小選挙区制だからといって,必ずしも,党の政策を選んだ事にはならないのである.

人物中心に選び,その人物が党を構成し,党で政策を討議し,国会で政策論争を行う,という人物中心の中選挙区制が日本の実態に合っているのかもしれないのである.

形だけ小選挙区制にしても,ゴッタ煮の政党のままでは,選挙は勝ち負けを決めるだけの場になる.活発に党内抗争をやってゴッタ煮の政党から脱却すべきなのである.

はたして国民の選択理由が,人物か政策か政党か,知りたいものである.そんな世論調査があっても良いと思う.

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2009.07.05

179 私の政局予想

本日,静岡知事選が行われる.その結果が出ていないが,現時点での政局のシナリオが絞られてきた感じがする.希望的観測を言えばブログで発信しているように,保守対改革の政界再編の後,総選挙が望ましいと思っているが,現実は政界再編を封印してゴッタ煮の政党のまま,総選挙になる模様である.この上で,政局を予想してみた.

シナリオ①
自民党は改革色を取り入れたマニュフェストを掲げ,麻生政権で総選挙突入.結果,現議席数は激減するが,公明を含めた議席で,なんとか過半数を確保.

シナリオ②
自民党は改革色の強い次期総裁を選出し
,選挙突入.結果,単独過半数を確保.

シナリオ③
自民党が保守色を強めて選挙突入.結果,第一党は民主党になる.但し単独過半数にはならず,連立がらみで,政界が不安定になる.いづれ政界再編に向かう.但し民主党が新鮮な党首を立て,党内の政治信条を統一出来れば,単独過半数まで伸びる.

この三つである.いずれも,’バラマキ合戦’より’改革色がキイ’になる.

この3択で言える事は自民党次第だという事である.自民党が改革に歯切れが悪く,保守色を強めれば,間違いなく民主党が第一党になる.

自民党の古参議員が,今度の選挙は厳しいと言う.その原因が自分にある事を自覚しないようでは自民党の勝ちは無いと思う.

こんな分かりやすい選挙なのに,自民党がもし負けたとすれば,勝つ為の手を打たなかった自民党の自業自得としか,言いようがない.

ところで,マスコミで世論調査結果を定期的に発表しているが,質問の内容がよく分からないので,余り影響されないように見ている.時々我田引水の様な調査結果があるように感じるからである.

例えば,総理はブレる,リーダーシップがない,とさんざん報道し,調査結果に指示しない理由として,ブレる,リーダ-シップがないと出る.すると,今度は国民の判断はこうなっていると,自分の言ってきたことを国民の声だと言い始めるのである.

あたかも,芸能報道のようである.自分で言いふらしておいて,話題になっていますがと,世間の声のように言い,さらに面白くする為に,突っ込むのである.芸能人もこの展開を承知で相乗りしている節もある.

ファッションも同じような事がある.まだシーズン前にもかかわらず,今大変話題になっています,とか,流行になっています,などと,あたかも消費者の声の様に言う.これなども,客観性を装って,恣意的に誘導しようとしているだけなのである.

従って,国民は,自作自演で興味を盛り立てる政治報道とは距離をとって接する必要があると思う.

ところで,新聞報道,有識者は支持政党を明らかにして報道・発言すべきだと思う.中立,公平,客観を装って,恣意的な報道・発言をする事は卑怯であり,無責任である.

実際,中立,公平,客観性は証明できない建前でしかなく,支持政党を明らかにしない理由には成らないのである.アメリカの新聞の成熟度を学んで欲しいと思う.

今回,世論調査に影響されず,政治の潮流から,大局的な予想をしてみた.勿論,各選挙区の状況や立候補者の人物を調査したわけではないので,外れれば,まったく自分の読みを反省するしかない.9月に入ったら検証してみたい.不遜ではあるが,当たるか外れるか,個人的には楽しみである.

遅くとも後2ケ月しかない.しかも,日本は難問山積である.人気,保身,誹謗中傷だけでは,日本の難問に太刀打ち出来ない.各政党が国の為に,建設的な激論を交わして欲しいのである,熱い夏にしたいものだ.

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2009.06.25

177 もう一度改革路線を

1991年のバブル経済崩壊,折からの経済のグローバル化で,明治以来の日本の統治機構,護送船団方式,政治風土,の脆弱性,不効率性,無駄,が一気に露呈した,当然,リストラクチャリングが叫ばれたが,’失われた10年’と言われた通り,改革は進まず,景気回復を大義に,膨大な借金,多くの無駄使いを繰り返した.

そして,やっと小泉政政権誕生で改革が動き始めた.改革なくして成長なし,聖域なき構造改革,小さな政府,官から民,を宣言し,同時に,ヘドロのようにたまった不良債権の処理に着手したのである.

しかし,小泉政権後,選挙のないままに,3代総理が変わり,改革への反動もあって,保守回帰が起り,改革は停滞するどころか,世界的経済危機に見舞われて,逆戻りさえし始めた.

こんな中で,今度の総選挙は小泉政権以後初めての総選挙になる.もう一度,改革か保守かを国民が審判する絶好の機会になるのである.

そこで,過去にも当ブログでたびたび取り上げているが,選挙を控えて,この問題をもう一度振り返ってみた.

日本は日本的社会主義,あるいは日本的資本主義,ダブルスタンダード,の国と言われてきた.その理由の一つに,官業の多さがある.金融,保険,運輸,交通,道路,レジャー,ホテル,旅館,保養所,住宅,美術館,博物館,図書館,スポーツ施設,学校,病院,介護,等などあらゆる分野に官業がある.

官業拡大のおかげで,建設土木事業が支えられ,官業周辺に利権組織が形成される,官僚の天下り先も潤沢になる.官僚の支配域も拡大する.資金は官業で集めた資金(貯金,保険料,料金など)と税金である.そして,これらの官業と公共事業を中心とした官・民の巨大な利権組織が出来上がった.

それが選挙の組織票の役割を担ったのである.かくて巨大な官僚国家,役人天国,と安定政権が出来上がったのである.これがまさに日本的社会主義と言われる所以である.

ある山村で,見事に,これに乗じた社会主義村がある.村民のほとんどが村営も含めて官業に勤めている.全員が公務員・職員である.病院,保養所,レジャ―施設,ホテル,農協,郵便局,学校,介護施設,などなど.だが資金は国の公金である.ある種,見事な村社会であるが,この様な社会主義村が全国に広がれば,資金が枯渇し,国の活力はなくなる.

国民の為と言う大儀に隠れて,肥大した官僚国家(大きな政府)は国民の負担と資金の不効率さを増大させる.官業は中止できないばかりか,身ずから改革も出来ないまま存続する組織なのである.

この問題に切り込んだのが,小泉政権である.’官から民’’小さな政府’論である.’旧態の自民党をぶっ壊す’’改革なくして成長なし’とも主張した.勿論,膨大な借金問題が背景にある.社会福祉を充実させる為にも,小さな政府にする必要があったのである.

まさに,'政府がやるべき事'の議論は通り越して‘政府が出来る事'の議論に追い込まれているとの現状認識があったと思う.思想的にも,小さな政府論には,歴史が示す通り,全能の政府を作る事など不可能であり,社会主義・共産主義のように,それを追い求めれば国が滅ぶ,との考えがあったと思う.

この政策は今までの秩序を壊す事から,当然,改革派と保守派の対立が起る,特に,郵政民営化の賛否が保守派か改革派かのリトマス試験紙になると言われた.過去の国鉄の民営化に引き続き,国民の多くの支持を得て,道路公団民営化,郵政民営化,政府系金融機関の民営化,行財政改革などの改革が始まったのである.一方,改革旋風の中で,伝統的保守派は改革に違和感を持ちながら,改革を装う様になったのである.

小泉政権のあと阿倍政権で参院選挙で大敗した事,衆院の大議席を使って,戦後レジュームからの脱却(憲法改定手続き法や教育基本法など)に取り組んだ事が,保守派を取り込む事となり,保守回帰が起ったのである.改革で得た議席が保守回帰に動いた事で政府与党の軸が揺れ始めたのである.

具体的には道路民営化の骨抜き,郵政民営化の見直し,政府系金融機関の民営化の見直し,積極的財政出動,道路族の復活,財政健全化の先送り,などの動きである.加えて,世界的経済危機による景気対策で保守派が回帰から主流派になって行った.

日本の保守派は国家観においても,原理原則より感情論が先行する.理論も苦手である.国の借金など気にせず,バラマキで選挙に勝ってきた経験者でもある.109億の事業価値しかない’かんぽの宿’を2400億もかけて作っても平気な人達である.

こんな箱物をどれほど作ってきたのか.国民の要望に乗って政治家を続けてきた人達かもしれない.まさに,地盤.看板,かばんを持った,おらがふるさとの代表者達である.その成果は850兆の借金を残した事である,こんな古いタイプの政治家は今度の選挙でご辞退願いたいものである.

ところで,改革の大きなテーマに地方分権で国の統治機構を変えよう,と言う議論が古くからある.最近,財政難,官僚国家批判の中で,にわかに,この議論が活発になってきた.

小泉改革路線で行政改革を徹底して遂行していれば,日本の未来は少し開けていたと思うが,日本の脆弱性を早急に取り除かなければ,ますます難題解決が遠のくと思うのである.

そんなわけで,明治以来の国の統治機構の改革(行政構造・政治構造の改革)は待ったなしだと思うが,現在,地方分権による国の統治機構改革論はまだ入り口段階である.地方からの改革の声は自由に使える金をくれ,国一律の規制を撤廃せよ,と言っているが,国全体の姿が見えない.

論理的に言えば,税の無駄使いを少なくし,有効活用する為に,国の仕事,地方の仕事を再定義し,統治機構の全体像を描く必要がある.勿論,国家,地方の予算はどう変化するのかの概算も必要である.その上で,移行方法や議員制度や選挙制度の検討も必要になる.

議論の中で,個々の役割分担や膨大な国や地方の借金,地域差,税の再配分,税体系をどう整合させるか,が悩ましい問題となる.分散を集中させることは簡単だが,集中を分散させる事は至難の業である.単に,自由になる金と権限と人を地方に渡せ,と言った表面的議論では済まないのである.

現状は残念ながら,有識者,政治家ともビジョンとロードマップを描き切れていないと感じる.単純にいえば,徹底した集中で効率を考える事が先だと思う,そして,集中の無駄を徹底排除する事から取り組む事が現実的だと思う.極端な分権論は国全体としては不効率になる事もよく吟味すべきなのである.

こんな中で,総選挙を控えて,各党がどこまで,この問題への考えを発信するか不明だが.国民としては,立候補者,政党が改革思考が強いのか,保守思考が強いのかで選択するしかない.テーマの奥行きが大きいだけに,今回の選挙はその程度のジャッジしかできないと思う.

しかし,NO172政権交代より政界再編で述べているが,ゴッタ煮状態の現政党では党を選択できないのである,選挙の前に政界再編を望みたい所だが,それが出来なければ,せめて,多くの立候補者,特に論客は,個人の信条をを元に無所属で立候補して欲しいのである.

そして選挙後,この人達が中心になって,政界再編をし,構造改革を進めて欲しいと思うのである.政権交替可能な2大政党を作る上でも,政界再編は必要なのである.

いや,やっぱり,ゴッタ煮の政党であっても,そこに属し,内部から改革すると言うかもしれない.その背景は,しがらみ,保身,資金,がからんでいるからだと思う.それなら小選挙区制はどちらかのゴッタニ政党を選ぶだけで,政策を選んだ事にならないのである.せめて,政治を志す人の信条に期待するだけである.

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2009.06.24

176 自民党の凋落要因

総選挙を真近に控えて,政府与党の支持率低下が著しい.多くが語られている事であるが,その要因を自分なりにまとめてみた.

バブル経済崩壊後,不良債権による金融・経済危機が起った.,巨額の借金をして,積極財政出動をすれども,金融・経済危機は回復しないまま,失われたた10年が経過した.その後,日本の構造的脆弱性の改革,不良債権処理,を掲げた小泉政権が誕生し,景気回復と空前の議席を確保した.

米百俵の精神,小さな政府,官から民,聖域なき構造改革,行財政改革,改革なくして成長なし,守旧派及び自民党をぶっ壊す,と,そのリーダーシップは日本の政治史にも特筆されるほどであった.05年確保した空前の議席は,そのまま現在まで続いているが,なぜ支持率が凋落したのか,独断と偏見で,その要因を整理してみた.

①選挙の洗礼を得ず,阿倍,福田,麻生と短期間で政権をタライまわしにした,
②長期に内在していた年金問題が発覚した.
③年金問題,大臣の失態で参院選に大敗した.
④改革政策で議席を得ておきながら,改革の停滞,保守回帰が起こった.
⑤世界的経済危機に際し,大規模な財政出動をするも,ビジョンが希薄と映った.
⑥与党内に改革派,保守派が入り混じって,政治路線が揺れ動いた,
⑦親・反小泉路線の狭間で選挙の洗礼を受けていない政権の弱さが露呈した.
伝統的派閥政治,支持団体組織が時代に合わず,党の政治力も低下した.
⑨多くの難題について,当事者ゆえに守勢にまわり,歯切れが悪くなった.
⑩麻生総理の軽薄さ(性格なのか演技なのか不明)が信頼感を損なった.
⑪国民の小泉氏の様な強力なリーダー待望論に答える人材が見当たらない.
⑫結局,大議席を得た事が,党内をバラバラにした.
⑬世代交代が進んでいない.保守回帰も古い自民党をイメージさせる.
⑭中央集権,公共事業の自民,福祉,地方分権の民主,との構図からくる不人気.

およそ以上であるが,この状態では,野党に問題があっても,一度,野党に政権を渡しても良いと国民が思っても仕方がない状態である.小泉政権後,このような危惧を発信し06年が日本の分水嶺になると予想した.残念ながら,悪いシナリオ通りになった感じである.もう党の分裂しか解決しないと思う.あるいは選挙結果で分裂せざるを得なくなると思う.

ところで,たびたび当ブログでも発信しているが,重要な政治課題に対して,与党も野党も党内がまとまっているわけではない.そんな状態で選挙をしても,権力者を選ぶ事になるだけで,国民が政策を選んだことにはならないのである.

又,選挙公約も党内でまとまっていない重要政治課題は公約に載せない事が多い.これも政策で党を選べない理由である.

そんなわけで,政策論争による政権交代の前に,政界再編が先だと思うのである.それが出来なければ,今度の選挙は無所属で立候補するという良識を期待する.国民は立候補者の政治信条に注力して,人を選ぶしかないのである.そして,選挙後に政界再編を行うシナリオしかないと思う.

この事態に政治家はどう思っているのだろうか,国のことより,自分のことしか眼中にないのだろうか.

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2009.05.31

173 国家財政と民主主義

国家財政問題をたびたび発信しているが,その根底になる国民性や日本の民主主義について触れてみた.

日本の長期債務残高は09年末で850兆を超えて,GDP比174%に達する見込みだという.世界では100%を超えている国はイタリアを除けば皆無である.GDPが落ち込めば,さらに借金の負担は大きくなる.税収と同じ位,国債発行する国も世界に類を見ない.

この天文学的借金の上に,日本の経済,生活がある.上げ底の経済大国といわざるを得ない.正直言って,すごい国なのか,気前の良い国なのか,でたらめな国なのか,よく分からなくなる.

借金の評価について,いろいろな説がある.

・インフレで借金は軽減できる,
・外国債権を差し引けば,実質的な借金はもっと少ない,
・国債は国内(日銀,郵貯,年金,保険,他
金融機関)で保有し,何とかなる,
・国民の資産が1500兆あるから問題はない,
・財政健全化(効果のない不良債務の削減)こそが必要だ
・借金を借金で返していけば,当面大丈夫だ
・借金して国民に渡した金を,吸い上げて返済するだけだ(増税)
・金利上昇で簡単に財政破綻になる危険水域に入っている

等があるが,未だ政府の所見もなければ,財政再建の道筋も見えていない.返済計画のないまま借金を繰りかえして来た証拠でもある.民主主義の持つ怖さを感じる.首が回らなくなって,これも国民の自業自得だと,達観しているわけにはいかないのである.

経済財政諮問会議がプライマリーバランンスをいつ確保するか,と言った,いかにも狭い議論をしている様だが,現在の借金の評価,破綻防止策,安全な借金規模への返済計画,など,国家財政の本質的な議論を求めたい.与党政府の御用会議なら,諮問会議は不要である.

1000兆の借金があっても,大丈夫だと,計算づくで積み上げた借金だと言うことであれば,その事を公言するだけで日本は明るくなる.そんなわけはないと思うが.

今後も財政需要は高まる一方である.どこまで借金は許容できるのだろうか.借金できる許容枠が信用力,リスク対応力とするなら,日本は,きわめて危険な綱渡り状態だと思うのだが,悲観的過ぎるだろうか.

日本は,借金によって,社会資本を整備し,経済復興,高度成長を遂げてきた.一つの成功モデルである.一方,借金が膨れ上がったのは90年代のバブル崩壊以後の失われた10年の時である.10年間で600兆の借金をし,現在の借金のベースを作ったのである.低金利に乗じて借金を加速させわけだが,何も総括されていない.

借金の中に道路,ダム,空港,が多いが,少ない資金で大きな事業ができる優遇された予算制度も関係している.これらの制度は,戦後の社会資本整備,経済復興を目的としたが,経済危機に対する財政出動の手段に変貌して行った.それだけではなく,選挙対策や予算の食い合いの手段にも使われて行った.要するに,優遇制度が利己的な行動に使われ,借金を積み上げた感じがするのである.

この背景に,無駄な公共事業も,短期的に需要,雇用,選挙対策に効果があるとした考え方がある.バブル崩壊後の経済対策,現在の経済危機対策でも同じである.きっと,今回の経済対策はバブル崩壊後の後遺症に引き続き,もっと大きな後遺症(膨大な借金が残り,将来の財政や主権在民権を圧迫する事)を残す事になる.

これも民主主義だとすれば,民主主義を尊重するほど,借金が膨れ上がるのである.民主主義で借金を作る事は簡単だが,一たび無駄な借金をしてしまったら,民主主義では,この借金を消せないのである.民主主義の怖さである.

他国から見れば,世界に類を見ない借金の大きさは,いかに将来を見ていない,その場限りの,セコイ,利己的な国であるかを表していると言われても,返す言葉が無い.日本は我利我利の国で,未来の事など考えていない国だと烙印を押されているかも知れない.

今回の経済危機で,政府は巨大な財政出動をしたと,自慢げに世界に発信しているが,その哲学が見えないだけに,バカ丸出しの感じがする.

米百票のエピソード,改革なくして成長なし,を唱えた小泉政権が懐かしいが,あたかも,山菜を根こそぎ取ってしまうような,漁業資源の乱獲競争をするような,食料を簡単に捨てるような,自分さえよければ,と言う了見の狭さ,島国根性,箱庭文化が借金を拡大してきたのではないかと心配する.

日本の国民性は元来,借金に抵抗感を持っていると思っていた.個人はそうであっても,借金が世界一なのは,

・公の事には,無責任で,天下国家の事などお上にまかせにする国民性なのだろうか.
・経済成長後も,戦後の中央集権,縦割り行政を変えず来たからだろうか.
・政治家,官僚がこの風土を都合よく利用して来たからだろうか.

そんな土壌では,民主主義は利己的な欲求を満足させる合法的な手段になるだけである.借金の大きさは,日本の民主主義のレベルを表していると思う.

いずれにせよ,事実は日本の民主主義と政府与党が850兆の借金を作り出した事である.国土の特質から,道路を作る費用が欧米の10倍かかる国だから,では説明がつかないのである.

昨今の経済危機問題,少子高齢化問題,社会保障問題などで,今後も財政需要は減ることはない.減らそうという人もいない.しかし,従来のように,足りないから増税という短絡的な発想はもう通用しないと思う.

国家財政が膨らむほど,確実に破綻に近づくのである,小さな政府,効率的な政府を目指す必死の努力がなければ,福祉にしても,教育にしても,技術開発にしても,災害対策にしても,必要なことが出来なくなるのである.

今後必要な事は,

①公金を賢く,大事に使うと言う政治への信頼感の確立が不可欠である.
その上で,優先度による歳出先の選択,行政の無駄の排除が必要である
③横ぐしで歳出の優先度を検討できる予算制度が必要である.
④歳出の監視(効果やコストの監視)強化と見直し制度が不可欠である
⑤公金をどう使うかは当然,選挙の争点にすべきである.
⑥国会議員は地方の利益代表ではなと認識すべきである
.
⑦財政が膨らむほど破綻に近づく認識が必要である.
もう一つ,
⑧社会保障目的の消費税アップ論は危険である.

他の歳出の無駄や甘さが温存される危険性があるからである.むしろ,社会保障に税収を先に割り当てて,.国防,文部,産業,国交,金融,外交,などで消費税の論議をすべきである.公金の使われ方を徹底的に見直す好機になるからである..

総選挙も近ずいてきたが,各政党は是非,公金の使い方を明らかにすべきである.経済危機で積極財政出動した後で,自民党,民主党は今後,どうするのだろうか,注目したい.国民に負担が来る以上,どの公金の使い方が良いと思うか意思表示をする絶好のチャンスだと思う.

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2009.05.15

172 政権交代より政界再編

深刻な政治課題に際し,好みや発想の違いで議論が衝突する.伝統的日本文化である縦文化思考派(保守派)と横文化思考の現状打破派(改革派)の対立である.(当ブログ№002、№019,で’葛藤する日本文化’で縦文化、横文化を比較している)

しかし,この対立は時として見えなくなる.政党内のしがらみ,権力欲,保身から主張を封印するからである.改革旋風の中で,本心は改革に反対でも,迎合するのである.挙句,改革の御旗で大勝しておきながら,いつの間にか,保守回帰に動き出したりする.議員内閣制だからと言って,内閣が勝手に選挙公約を変えてはいけないのである.変えるなら解散総選挙を行うべきである.

現政権でいえば,誰が総理であろうと,徹底して改革をすべきなのである.’改革なくして成長なし’’聖域なき構造改革’で政権を得ておきながら,’成長なくして改革なし’に勝手に変えてはならないのである.

議員内閣制で内閣が変わるつど,政策理念が変わるなら選挙の意味がない.政党も個人も信用できなくなる.改革に期待して投票しても,保守勢力に加担した事になりかねないのである.せめて政党及び立候補者は政治信念を公言し,それを変えるのなら,政治家はバッチを返すか,政権与党は解散すべきなのである.

一方,政党は,国民の迷いを票につなげるため,党の戦略としては,保守派,改革派を混ぜた方が票が取れると思っているに違いない.わが党には幅広い意見があると.まさに中選挙区制の発想である.又,党内意見がまとまっていない重要政治課題は公約に載せないのである.

そんな党のあり方では,権力を手にしたいグループを二つ作るだけであって,政策中心の2大政党にはならないのである.それでも政権交代そのものが大事だとして,小選挙区制を取っているのだろうか.

本来的には,小選挙区制をとった以上,政策理念にもとづいた政党に再編せねば意味がない.そしてその理念の実現に必死で取り組む党員が立候補すべきである.

政策に反対なら,無所属か別の党を作って立候補すべきなのである.国政選挙は,国の政策に賛否を投じるのであって,おらが町の利益代表や業界の利益代表を選ぶ゙わけではないのである.国民も,中選挙区制の頭を変えなければならないと思う.

そんなわけで,小選挙区制度では政策によって,政党や人物を選ぶのであるから,ごった煮状態の政党では選べないのである.政権交代を言う前に,まずを政党の正規化,政界再編が必要だと思う.

あるいは,いっそのこと,全員無所属で立候補し,個人の性格,政治信条,取り組む政策,を選ぶ事にしてはどうか勿論,無所属でも立候補し易い選挙制度が必要となる.その上で,当選議員が個人の判断で総裁を選び,政治課題毎の議員連盟を編成し,案件の賛否,あるいは内閣不信任の判断も行う,当然,解散はない,任期いっぱまで努める.内閣は国会議員の意思で組み替えられる.任期中の議員の行動は選挙で評価される.政権が不安定になるかもしれないが,それも政策次第である.

連想ついでに,政党政治といっても,無所属議員が政党議員より多い状態を作ることも,意味があるかもしれない.この方が現実的かもしれない.今度の選挙でいえば,既存の政党の政策に賛否が入り混じっているから,無所属で立候補すると訴えたらどうだろうか

当選すれば選挙民や自分の判断で案件毎に賛否を決めると言えば良い.政党離れ,無党派が増える中で,意外と信頼が得られるかもしれない.投票率を上げる事になるかもしれない.

論客の政治家の皆さん,無所属で立候補し,当選したら,この指とまれと,仲間を集めたらいかがですか.政界再編のてっとりばやい方法かもしれません.

それもだめなら,小選挙区制度であるが人を中心に選ぶしかない.政党がどうであろうと立候補者の政治信条.重要政策課題への所信で投票し,選挙後の再開再編に期待するのである.

そうでもしないと,政党政治など育たないのではないかとも思う.

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2009.05.03

171 憲法第96条(憲法改定)

昨年9月,当ブログNO152で日本人が抱く究極の閉塞感を3つ上げた.

①憲法の改定方法のない日本は自立した民主国家と言えるのか
②国の借金の限界と返済計画はあるのか,未来の国家財政はどうなるのか
③日本文化の葛藤をどう考えるのか(競走と和,縦文化と横文化)

この三つの問題に見通しを持たない限り,日本はじり貧になって行く感じがする.識者や政治家の所見も聞こえてこない.知った事かと無視する力も無い,自虐感,悲壮感,閉塞感,だけが漂う.私だけの感情だろうか.

現在,経済危機,変貌する国際情勢の中にあって,この3つの閉塞感が,またしても,重くのしかかる.社会や政治の問題が発生するつど,この閉塞感が思考停止状態に追い込んでしまう.国や国民が,よく分かりませんと,のらりくらり生きて行く方が,世渡り上手なのかもしれないと,一瞬,逃避感が頭をよぎったりもする.

しかし,本日は憲法記念日という事で,余り話題にならない憲法の基本的な問題(憲法96条憲法の改定)について再度,発信したい.(専門家が議論し尽くしていると思うが)

憲法論議で,集団的自衛権や海外武力協力の問題,有事の時の問題,日米安保との関係,などの多くの議論があるが,現行憲法を変える方法がないのに,その議論は何なんだろう,解釈論を議論しているのだろうか.むなしくなる.変えられると言う覚悟があって,初めて世論を巻き込んだ真剣な議論ができると思う.

そこで,憲法改定に関する現状,問題を整理してみた.
まず憲法第96条は次の通りである.


『この憲法の改正は,各議院の総議員の3分の2以上の賛成で国会がこれを発議し,国民に提案して,その承認を得なければならない.この承認には,特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行われる投票において,その過半数の賛成を必要とする.』

たったこれだけである.そこで,いくつかの懸念,問題,所見を述べたい.

まず
①衆参それぞれの3分の2以上ないと国会が発議出来ない点である.言いかえると3分の一の意見で発議できなくなる.多数決に反する感じがする.

憲法制定者が発議そのものを実質不可能にし,改正をさせないと考えたとしか思えない.ハードルを低くして,国民に信を問う事は危ないと考えたに違いない.

いずれにせよ,占領時代のなごりが今も憲法を凍結させているのである.革命でもない限り,永久に変えられないかもしれない.何よりも,変える,変えない以前に,民主主義をかなり抑圧している点が問題だと思う.

次に
②’その過半数’の問題である.遅ればせながら2005年に,やっと国民投票法が制定されたが,それによると’有効投票数の過半数’である.’その’を’投票数’を指しているとの解釈である.これだと投票率は無関係になる.しかし,憲法文面からは’有権者’の過半数ともとれるのである.念の為,国民投票法が違憲か合憲か決着しておく必要がある.

③さらに難問は提示された新憲法案への賛否のとり方である.多分,国会発議の提案は新憲法一式である.この一式に対しYES,Noを言う事になる.国民は一部でもNOなら,あるいは欠けている部分があるなら,全部NOとするか,重要な部分がYESなら全部YESとするか,現行憲法よりましだとしてYESとするか,悩ましさがついて回る.あるいは,NOを減らすために,国会の発議を,条文ごとに小出しにする事になるのだろうか.

④新憲法が成立した時,新憲法と整合する法律にする為に,現法律を焼き直す作業が発生する.改正内容にもよるが,膨大な作業を新憲法発令までに終わらせねばならない.

勿論,改正法律はすべて国会審議となる.ここで審議がもめて,長期化し,新憲法発令に間に合わない可能性も出てくる.又,新旧法律を長く並存させる必要性が出てきたり,新たな法律も出てくる可能性もある.

並大抵の事ではないが,避けては通れない問題である.永年,放置して来た付けかもしれない.それにしても,付けの難題が大き過ぎる.

⑤現時点でも,憲法改正の手続き法は完了していない.国民投票法によれば,2010年から実施可能だとしているが,③④等,細部が詰められていない.早急に手続き法なのだから決着しておくべきである.

しかし,現憲法では,永久的に改正発議が出そうもないから,又,改正手続きが先送りになり,憲法改正が出来ない国.が続くのだろうか.

憲法改定方法を持たずにきた事が,長い間の憲法議論を中途半端にし,解釈論,禅問答だけを繰り返し,国民も決断を迫られる事もない状態,を作ってきたと思う.

その結果,憲法への愛着や国民の自主性・思考力・立論力の育成を弱め,考え方(顔)が見えない国,世界の常識とかけ離れた国,半人前の国,になっている感じがする.ここに閉塞感がいつも漂うのである.

戦後63年間,憲法を変えていない国はあるのだろうか.憲法改定の手続きが決まっていない国はあるのだろうか.それでも日本は民主主義国家と言えるのだろうか.世界に憲法を変えていない事を誇れても,世界に類を見ない平和憲法を誇れても,改正の手段を持っていない事で失笑される.

憲法制定時,憲法改正のハードルを高くした理由は

・戦争放棄を永久化したいから,
・日本を信用できないから,
・占領下で憲法改正の重要性の認識がなかったから
・手が回らなかったから

かも知れない.改正方法について,議論した形跡は知らない.
又,改正のハードルが高いなりに,憲法改正手段を,現在まで作らずに来た理由は

・日本国民は自ら憲法を作る熱意も,考え方も,決断力も,経験も,ないから,
・憲法改正の必要性が無いから,
・改正手段の策と,憲法第9条改正論とを一対で考えていたから
憲法改正と言う難事業に政治力もエネルギーも使えないから
・現憲法下で憲法改正発議が出きるとは思えないから

かも知れない.いずれにせよ政治の怠慢である.

結果的に,自ら憲法を変えられない半人前の国家のまま,憲法全体が凍結状態になり,日本人の思考停止状態を招いていると感じるのである.

民主主義を標榜する以上,憲法の内容より,最も大事な事は,改正手続きである.民主主義は手続きだからである.一般の契約書でも,改正の仕方を定める事は,きわめて重要である.改正条項が不明確な憲法は放置国家,崩治国家ならいざ知らず,法治国家,民主主義国家ではあり得ないのである.

そこで
⑥まず民主主義のルールとして,第96条の改正だけで,国民投票をやるべきだと思う.その為に,発議の条件はこれでよいか,’その過半数’の意味は何か,を議論し,3分の2以上にまとめて,発議すべきである.

そして,憲法改正の手段,経験を踏まえて,手続きを明確に確立した上で,現実問題としての憲法問題を論ずるべきである.国民も真剣に,リアリティを持って論議に参加出来ると思う.改定手続きもないのに,発議もできないのに,憲法論議をするのは無責任な時間の浪費に等しい.

憲法内容の世論を形成するにしても,その前に,ルールを作っておかねばならない.憲法改正に反対する為に,ルールを作らない,改正する為にルールを作る,では,民主主義ではないのである.

今頃こんな事になっているのは,わが国は先進国どころか,敗戦直後の政治的後進国と言われても返す言葉が無いが,今の状態では,戦後100年たっても,改正されないかもしれない.

憲法を国民の手にするのは,いつの日なるのだろうか.10年に1回くらい憲法が変わるほど,国民の政治参加とシビリアンコントロールが働く国になりたいものである.

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2009.04.26

170 世襲議員是非論

一族で代々作り上げてきた地盤(支持組織)・看板(知名度)・鞄(資金)を,代替わりで,引き継いで行く事は世襲議員だけの話ではない.そこには一定の効果もあり,秩序を保つ方法としても,社会から許容されて来た事でもある.

政治の世界で言えば,選挙による民主主義政治下でも,世襲の利点が発揮され,世襲議員が多くなって行った.歴代総理も,大臣も大半が,世襲議員である.さらに言えば,戦後の三代目に世代交代する時期であり,ますます世襲議員が増えて行く傾向にある.

世襲議員が圧倒的に多くなった時を想像してみた.

・国会が世襲一族に占拠される,
・国会が若輩世襲議員の学校になる,
・世襲一族の伝統維持に国費が払われる,
・政界が歌舞伎界のような民族芸能界になる,
・与党の政治体制が世襲による幕藩体制(幕府と大名)になる,
・政党内で世襲議員の家系,温情,子弟関係,序列が出来る,
・世襲議員序列重視の党内人事が横行する,

いかにも日本の伝統的な血統主義の文化が政治に復活する感じになるのである.歴代総理や永年議員が特定地方に多いのも,世襲の文化が強い証拠だと思う.
この世襲議員の増加傾向に対し,勿論,問題視する意見がある.

・国民の政治意識の変化で世襲への批判が必ず大きくなる,
・オピニオン,
専門性,実力,のある政治家が少なくなる(国,党とも),
・政治家を目指す青年がいなくなる,

現実には,次の様な事に起因しているのかもしれない.

・公認選びで,世襲が優先され,適任者が存在しても選べない,
・党内政敵の代替わりをつぶしたい,
・党内の世襲議員の村社会をつぶしたい,
・他党の世襲議員の攻撃材料として世襲批判をしたい,

いづれにせよ,政治家の世襲は明らかに選挙に有利である.勿論,それに依存する事の問題もある.そこで,世襲の問題を少しでも,抑制しようとする取り組みもある.

例えば,二代目,三代目の新人世襲候補者は他の選挙区から立候補させる.当然,各選挙区の党の公認選定にあたっては,候補者を公募し,世襲者も横並びにして,厳選する.要は世襲頼みではなく,自らの実力で勝ち上る人材を議員にする考え方である.

世襲政治家一族からすれば,一族に伝わる政治哲学・家訓・歴史,幼少からの訓練・勉学を生かして行きたい,先祖伝来の支持者とともに政治をしたい,政治資金も先代から,そのまま引き継ぎたい,と言うのも政治家一族としては,一つのストラテジーである.子供に,一郎や太郎の様な覚えやすい名前を付けたり,先先代の名前をつけるのも(襲名),このストラテジーのあらわれである.

但し,政治資金団体の資金には贈与税,相続税がかからない事から,世襲一族は個人財産を政治資金として寄付し,相続税逃れ(節税対策)に使う問題がある.

ところで,現職の二代目,三代目の要職を勤めた,あるいは勤めている世襲議員を見ていると,気になる共通の性格を感じる.

負けずぎらいで,すぐむきになり,あまり論理的でない反論をする.又,失言しやすく,総じてデベートが弱い,責任ある要職に就くと,思考の浅さが露骨に見えてくる.要するに裏がない分,幼児性が残っている感じである.政治スタイルは世襲ゆえに保守的である.

きっと,帝王学は学んでも,神輿に乗っているだけで,実務や苦労の経験もなく,プライドだけは高い育ちが,思わず行動に出てしまうからかもしれない.大政治家を世襲した議員に多いタイプである.私だけの偏見だろうか.たちどころに顔が浮かぶのだが.正直言ってご遠慮願いたいのである.

勿論,世襲の恩恵を受けながら,真剣に政治を学び,論客になっている政治家もいる.苦労人の政治家の二代目に多い気がする.

さて,世襲議員是非論であるが,明らかに世襲議員の良し,悪しの議論ではない.より広く人材を求められるかの問題である.従って,党内問題ではあるが,それ以前に,志のある人材が立候補しやすい選挙制度(ネット活用等)を作る事も必要である.

これによって,公認争いに参加しやすくしたり,無所属で立候補しやすくなり,広く人材が政治家に集まる可能性が出てくる.はたして各政党は世襲議員是非について,どんな反応をするのだろうか.

勿論,選挙制度や党の公認制度を改革しても,政治は金と数が勝負だ,その為には世襲は有効な手段だ,日本の歴史文化に馴染む,地域の秩序も乱したくない,という考え方もあり得る.要は国民次第なのである.

ところで,小選挙区制度で政権交代可能な2大政党政治を目指すと言う考えに反するようだが,日本はまだ政党再編を何度か繰り返す必要があるように思う.その意味で党の思惑とは別に,陣傘議員ではない有能な政治家が多く出現できる制度と国民の政治意識の向上を,この世襲議員論議を契機に実現して行きたいものである.

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2009.04.15

169 国家財政は大丈夫か

07年10月,NO115 900兆の借金問題を発信した.膨大な国の借金をどう評価し,処理していくのか,自民の参院敗退で復活して来た守旧派,保守派の政治家に,この問題を聞いてみたい心境で発信した.保守派は借金を積み上げてきた張本人だからである.

その後,サブプライムローン問題で世界的に信用収縮が始まり,08年9月,リーマンブラザースの破綻が起こり,株の暴落,輸出の激減,国内需要の低迷,企業のリストラ,失業者の急増,等の経済危機が一気に世界を覆った.

この危機に対し,政権維持,選挙対策,保守回帰の思惑も働き,政府・自民党は積極財政出動路線に大きく舵を切った.多分,3年ぐらいで借金残高1000兆になる可能性もある.政局より景気と言うが,国民からすれば景気と国家財政の方がきわめて心配なのである.

そもそも経済危機勃発以前に財政問題,年金・介護・医療の問題,地域財政問題,行政改革問題,など山積みのはずであった.これに,とんでもない経済危機がのしかかって来たわけで,積極財政出動で国家財政は大丈夫なのだろうか,と誰しもが心配する.

こんな心配の中で,08年度補正予算,09年度本予算が通り,現在09年度補正予算の議論になっている.本来厳密に運用されるべき赤字国債や建設国債の制度が景気対策の道具と化し,埋蔵金(準備金)も吐き出し,財政再建どころか,関を切た様に,借金が増加する情勢(09年度赤字国債と建設国債で44兆,財投債,借換債は未調査)になったのである,気になる点をあげてみた.

①とにかく’経済の底割れを防ごう’’景気浮上だ’’火事場で,消火費用の事を言うな’等,なりふり構わぬ風潮が総選挙対策と一体となって起こっている感じがする.

政治家が火の手の上がる屋根の上で,組の’まとい’を血気盛んに振りかざししている火消しに見える.’まとい’で火が消える分けではないが,消火より,組みの存在感のアピールの方が大事だと感じているようだ.そんな火消に国家の存亡をまかせて良いのだろうか.

②’政策の財源は国債発行で’とよく言う.財源は借金でと言う事のようだが,借金は財源ではない.借金を何で返すかが財源のはずである.

借金を歳出削減で返して行くのか,準備金で返して行くのか,資産売却で返して行くのか,増税で返して行くのか,インフレを起こして借金を軽減するのか,等の返済の目途があって初めて財源となる.

借換債での返済(借金して返済)は返済の先送り,借金地獄に突き進む.金利の上昇が即財政破綻につながりかねない状態になる.

返済計画のない国債発行は財源のあてのない借金であり.決して財源ではない.未来への付けで飯を食う事は未来の国民の主権在民権,財産権を奪う事を忘れてはならない.それほど借金は慎重でなければならないのである.

そもそも,役人の世界では借金を収入,歳入と言う.又,政治家も含めて,将来の借金返済の事など自分とは無関係だと思っている.お役所・政治家の非常識な感覚が’財源は国債’と平気で言うのである.その感覚が危険である.

③’景気が良くなったら財政健全化,行財政改革に取り組む’との政府の発言を聞くが,経済成長期であっても実現したためしがない.今度こそと言っても,既に遅く,財政健全化や行財政改革は手に負えない事態になっているかも知れないのである.

少なくとも,3年後,5年後,10年後の国家予算(政策)の姿を描きながら借金・税・社会保険料のあり方を考えなければならない.将来を見ない単年度だけの予算編成は無責任で危険である.900兆という借金も単年度しか考えない政治の結果であり,同じ事を繰り返すのだろうか.積み上った後では遅いのである.

④他国経済頼りの輸出国日本の内需拡大は古くからの課題であるが,経済規模が大きくなった日本は,これ以上内需が拡大するか疑問である.むしろ,もったいない,節約文化に回帰している.ましてや貿易の半減を補う程の内需拡大は不可能である.その意味で,内需拡大の為の財政出動は明らかに効果も小さく,一時的である.

従って,経済規模を維持するにしても輸出産業はどうあるべきか,縮少しつづけた場合の日本はどうしていくべきかを真剣に考える事が重要な経済危機対策だと思う.

⑤年金問題のような大問題が財務省にも内在していないか.責任を感じない役人・政治家に国家の存亡を預けている意味において財務省も厚生省と同じである.国家のとんでもない台所事情が政権闘争の陰に隠されているのではないか不安である.国家財政は大丈夫か専門家の冷静な判断,公表を望みたい.

救済対策と景気浮上対策,財政出動と国家財政対策,のかじ取りは極めて難しいと思うが,せめて次の手(新しい財政規律)を打つべきだと思う.

①不良債務(効果なし,借金あり)の償却・発生防止(債務の健全化)
②救済・人件費は税収,社会資本整備は借金と言った財源の分離

③義務的予算とそれ以外の予算の分離(予算編成のしかた,予算表示の仕方)
④公共事業毎の生涯管理(目的と実際,資金計画と実際,等)
⑤無駄な歳出の徹底削減(危機ならばこそ行政改革の断行)

⑤今後の国家予算の見通し,借金返済計画の表明

バブル崩壊後の国債発行の2倍程度が今後も数年間続くと言う.今後3年間で借金が1000兆になる可能性もある.景気回復に向かうとしても,この借金を抱えて今後,財政が持つのか,年金・介護・医療などの問題はどうなるのか,誰も検証していない.一山越えても,借金の山がさらに高くそびえている事だけは確かである.

経済危機が起こる前.財政規律(国債発行は30兆以下としプライマリーバランスを達成する)は財政問題の入口論で,その先の財政需要を考えれば,もっと大変な事が待ち構えていると言われていた.その話はどうなるのだろうか.’米百俵の精神’の話はどうなるのだろうか.

勿論,借金残が1000兆になっても,日本は大丈夫だ,年金・介護・医療も大丈夫だ,必要な公共事業もやれる,税金もそんなに上がらない,と言い切れるなら,それだけで消費も増え,ローンで大型消費財,車,家屋も売れ,経済危機から脱しられると思うのである.

あまり悲惨な事になるので,とても言えない,と言う事であったら,まさに,かつての大本営発表の轍を踏む.元来,国家財政に余裕を持つ事が国家のリスクマネージメント上必要だが,バブル崩壊後,借金を積み上げ,国のリスク対策を放棄して来た.その後,財政再建に取り組むも,それもむなしく消えた.

ならばこそ,総選挙で借金額の評価,財政問題,今後の国家予算の姿を,争点にすべきである.ばら巻き合戦は国を滅ぼす.今こそ未来を見据えた信念の政治家の出現を望みたい.

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2009.03.14

167 政治資金への所見

総選挙間近のこの時期に,政治資金問題がクローズアップされている.今回は虚偽記載問題なのか,斡旋利得問題なのか,贈収賄問題なのか,未だ不明である.政治資金規正法は,過去に事件のある都度,改定されて来たが,民主主義のあり方にかかわる難しい問題を含んでいる.

自分の中で,整合性ある論を作れるか自信はないが,整理してみた.
まず、個人,企業,団体が献金する理由を想像してみた.

①国の為に働く公僕に寄付したい
支持する政治家,政党の政治活動を支援したい
③自分が願う政策の実現を後押ししたい
④公共事業の受注を有利にしたい

政治家の献金に対する意識は

①表向きは,献金の意図,出所を知らない事として受けたい
②出来たら定期的に献金を受けたい
③献金者,資金の使途は出来たら公開したくない

次に,献金の法規正の考え方で言えば大きく次の三つ.

①個人,企業,団体の献金は全て禁止する案
献金は悪(金権政治の温床)との文化にもとづく考え.政治資金は公金や自己資金で行う事になる.公金の額や出し方にもよるが,政治家をやれる人が限定される可能性がある.すべて禁止と言っても,裏金の厳罰,政治資金収支の公開は必要.

②企業・団体
献金を禁止する案
献金した企業・団体への便利供与を根絶する考え方.しかし,法人の献金を悪だとする問題,献金額の大きさ,個人献金の文化の低さ,等の議論があり,この案に否定的な考えが多い.又,競合政党の政治資金を縮小させようとする意図も見え隠れする.

現在は政治家個人への企業献金は禁止.ただし,団体からの政治家個人への献金は可能(合法的迂回の余地あり)

公共事業受注企業からの企業献金は個人・政党とも禁止の案もあるが,献金の自由の問題,迂回献金の可能性の問題,禁止企業のチェックの問題,等もあり制度設計に無理がある.又,該当企業が全産業に及ぶ事から,やるとすれば,実質,企業・団体献金の禁止になる.

公共事業受注企業からの献金禁止案は制度的に実現できない事を承知して,国民向けにポーズを取っているだけで,本心は企業献金を残そうとしているか,あるいは,与党の反対を承知して,この案を突破口に,全面的禁止の風潮を盛りたて,与党を揺さぶり,国民の人気を取りたいと思っているか,である.

③個人,企業,団体の献金は全て自由とする案
収支の正確性,透明性,公開性,を罰則で担保し,特定企業向け斡旋利得や贈収賄を厳しく厳罰されれば問題なしとするシンプルな案.政治資金規正の厳格化に限界がある事も背景にある.

たとえ,献金が土木建築業界や金融業界など,から多額に,定期的にあっても,献金を許す以上,そのこと自体,問題にしようがない.政治家が多額献金業界に優位な政策を進めても,政治家の政策である以上問題にしようがない.政治は主義・主張・利権・予算取り,の戦いであり,献金と政策の連動の問題は,国民が判断すべきだとの考え方.

大体以上であるが,献金に関する規正は公開性・透明性と特定企業・個人への便益を厳しく監視する条件で③案の自由でよいと思う.

③案は過去の金権政治の再来を懸念する向きもあるが,規正に走るより,自由と公開の中で国民の政治意識が高まる事の方が大事だと思うからである.もし,金権政治が起これば,それは,制度の問題を問うより,民主主義の成熟度を問う問題である.そうでなければ,民主主義も投票行動も育たない.

何でも入口で規制しようとする発想は国民の意識レベルの低さを前提とした律令国家のDNAを引きずっているようで好きではない.国民意識による民主主義の成熟度の向上に繋がるようなルール作りが必要だと思う.

一方,政治資金問題は根本的には誰が負担するかの問題がある.幸か不幸か官僚政治によって日本は政策立案費用は少なくて済んでいるはずである.ほとんどが,選挙体制組織の維持資金,選挙運動資金どだと思う.

本当に官僚政治から政治主導にするのであれば,政治家や政党の政策スタッフを強化する必要があり,もっと政治資金が必要になるはずである.当然,議員数削減の問題も出てくる.この上で誰が負担するかである.表面的な問題より,本質的な議論が必要である.

以上,政治資金制度は必要額,議員数,公金支援,献金制度などと関連し,我が国の政治のあり方を問う問題である.ここは,選挙制度もそうであるが,当事者である政治家が政局,政争の具で考えるより,国民主体の論議が必要である.議論を通じて,国民も見識を高める必要がある.与えられた民主主義を国民の手にするプロセスだと思う.マスコミも識者も,この視点が必要だと思う.

さて,今問題の起訴は,実質,企業から個人への献金であり,政治団体経由にしているのは虚偽報告であるとの事である.虚偽とするには,西松建設の政治団体が実態のないダミー団体であるとの証明が必要となる.

政治団体が実態として存在していれば,企業献金の迂回があっても,献金をどんな方法で集めようとも,違法にはならない.その政治団体の正体や原資が何かは法律では問うていないのである.そのように政治家は法律を作っているのである.政治資金規正法違反は観光客の多いお寺が,庭や花の見学料であっても,拝観料として扱っているのに似ている.

現に企業側の政治団体は多数ある.ザル法と言われているところであるが,これもまた法律なのである,正義感だけで検察権力を行使しては危険であり,そんな権限は司法にはないのである.あくまでも法律と証拠でしか権力は行使できないのである.

秘書を斡旋利得で起訴なら,発注者側への口利きがあったのか,あった時,見返りの報酬として献金を位置づけられるのか,献金の理由を識別できるのか,等,証明する事は多い.

入札の競争妨害(談合)で起訴なら,物件毎に談合の立件と,秘書が談合を仕切った証拠が必要になる.

最後に贈収賄に発展するかの問題であるが,発注者側に金品が渡っていたり,職務権限で介入した事実が必要になる.

素人ではあるが,どれも,立件は難しいのではないかと感じる.ましてやプロの政治家は法律をしっかり知った上で行動していると思う.

最近,献金問題が報道される事が多いが,ダーティさを風潮する話,あたかも違法だ,悪い事だ,と言わんばかりの話が多い.興味本位だけではなく,法律の物差しを意識した報道が必要だと思う.

この件に限らず,政治ネタのテレビ報道に危惧を感じている.相変わらず視聴率狙いのワイドショー化,プアな司会者・コメンテーターの発言,討論バトルのショー化,多局同時類似報道とその繰り返し,等が行われている事である.風評を作り出してしまう危険性に危惧を感じている.

ワイドショー,バライティと言えども,特に政治ネタは事の本質を踏まえた,冷静・公平な報道が視聴率より優先すべきだと思う.視聴率が上がらないと報道すらできないとの反論がありそうだが,本末転倒の自分本位の反論である.

政権交代を問う総選挙が間近であるだけに,報道,特捜の動きに注力して行きたい.


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2009.03.06

166 給付金の疑問解消せず

NO159経済危機対策を考える(08年12月02日)で定額給付金への疑問を発信したが,その疑問が解消しないまま,国会を通過し,給付が始まった.

その疑問を解く為に,国会で次の本質的な質問をして欲しかったのである.

質問   ;病院に給付金を寄付したいのですが,問題はないか.
予想回答;金に色が付いていないので,ご自由に.

質問   ;政治家に給付金を個人献金したいのですが,問題はないか.
予想回答;問題だと思うが,金に色が付いていないので,防げない.

質問   ;ならば生活支援,景気対策を目的とした給付金ではなくなる.
予想回答;厳密に言えば,その通りだ.

質問   ;目的外使用が可能になる政策に公金を使ってもよいのか.
予想回答;良くないと思う

質問   ;さらに,無条件に公金を個人に配る事に違法性はないのか.
予想回答;生活保護,災害救済,各種手当等条件付きの給付はあるが,今回は疑問.

質問   ;給付条件,使用条件,がないなら,国民への’返金’と言った方がよい.
予想回答;なるほど,この方法が法的な問題もないし,コンセプトがはっきりする.

かくて生活支援,景気対策目的の給付金は廃案になり,’返金’の議論がされる.剰余金を国民に返金するとなるのか,返金より介護,医療に使うとなるのか,などの本質的な議論になるはずである.

’返金’ではなく,あくまでも,’目的を持った給付金’とするなら,給付条件を付けたり,目的外使用ができないようにする事が公金使用に求められるはずである.

目的,使用条件の定まらない給付は財政や税制のモラルハザードを招いたり,違法性を感じる.ましてや,その財源を未来に求めれば,公金の食い逃げになってしまう.

国会で,生活支援だ,消費刺激だ,所得制限だ,辞退だ,などの迷走があったように,コンセプトがいい加減のまま実施されてしまった.

それでも,’ありがたい’と,手を合わせて役人から給付金をもらい,仏壇に供える老母の姿に心が痛む.お上が民に施しをしているシーンを連想する.’返金’なら施しにならないのだが.

施しをして,いい仕事をしたと政治家は思っているのだろうか.これで票になると,シメシメと思っているのだろうか.’米百俵の精神’はあるのだろうか.これでは’米百票の精神’だ.

せめて首相は実施にあたって,国民に,お上からの施しではなく’返金’するので自由に使ってください,と宣言すべきであったと思う.思慮が全く浅い.

経済危機対策の大義に乗じて,何でもありの予算の大盤振る舞いと,その取り合いが,いよいよ始まりそうだ.危機だからこそ,無駄な公金使用を徹底排除し,賢い公金の使い方を考えなければならないのだが.そんな感じはない.今こそ’改革なくして景気回復なし’が正しいと思う.

公金バラマキは,無駄を温存させたり,利権構造を蘇らせる.バラマキの要求は切りがない.その内,息切れする.その不安がいっそう経済を委縮させ,国の借金だけが山のようにそびえる.借金がGDPの2倍になるのは時間の問題になってきた.

そんなことでは経済危機からの脱出より先に国も地方も財政破綻をしてしまう.巨額の増税でも追いつかない.こんな最悪のシナリオも現実味が帯びてきた.

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2009.02.23

165 政局予想(保守と改革)

経済が危機的状況である.昨年10月から12月のGDPは輸出の半減もあって,年率換算12.7%の減だと言う.,1月から3月も,さられに悪化の予想である.

かつて,バブル崩壊後の失われた10年,金融危機に対し論理を持った頑強なリーダーが対峙した.残念ながら現在,そんなリーダーは見えてこない.見えるのは古参の領袖の顔だけである.

もし阿倍政権で世代交代と改革路線を続行しておれば,福田政権で大連立が成立していれば,もし麻生政権誕生で総選挙が行われていれば,随分様相が変わっていたに違いない.

さて,現実問題として20年度補正予算,21年度本予算が国会を通ったとして,その後どうなるかである.自民党の動きは次の三つだと思う.

①21年度本予算成立後,新総裁,政権構想を掲げて総選挙(5月)
②21年度補正予算,外交日程をこなし,任期満了,新総裁で総選挙(9月)
③自民の改革派が離党し総選挙,民主離党組みも合流か(9月)

①のケースは改革色の中堅からの総裁をたてて世代交代と政権構想で打って出るケースである.勝つならこのケースが必要.中堅と言っても,保守色の強い新総裁では打って出る感じが出ない.党内が結束するか,保守色が非公認になるか大きな課題.

②のケースは次期総裁に保守色のベテランを立てて戦うケースである.今の自民ではこの方が有力である.但し,民主党の攻撃を受けやすいケースである.同時,このケースでは,中堅若手の改革派が離脱する可能性を秘める.

③で改革派が離脱すれば,小泉以来の旋風が起こるかもしれない.自民党,民主党の票を奪う事から民主党の脅威になる.尚,小泉元総理の麻生批判で,二男は改革派で立候補すると思う.改革派の離脱がなければ,無所属で立候補すると思う.

いづれにしても,総選挙で,過半数獲得の政党は現れないと思う.その結果,自民・民主の保守派,自民・民主の改革派,民主・社民の左派,公明,共産の五つの勢力に分離する.

そして連立の組み方は,それぞれ性格,思考力が違うので簡単ではないが,比較第一党を中心に数合わせの魑魅魍魎の戦いが起こる.参院はこれによって離合集散する.新たな衆参ねじれ状態もあり得る.しかし,

いづれ,保守派と改革派の二つの政党に収れんして行く.この二つの政党が国の状況によって政権を担い合う.どうだろうか.希望的観測に終わるのだろうか.

ところで,保守派と改革派に二分したのは,各政策の根底に,この二つの人間の性格があるからである.しかし現在のように,二つの性格が党内に混在していると,政策ごとに是々非々が起こり,常に異論者を抱えた政党になるのである.

従って,政党政治を鮮明にして行くなら,保守的か改革的かと言う人間の性格で政党を作る事である.政策の理念が一致しやすく,国民から見れば,わかりやすくなる,と思うからである.

そこで保守,改革の性格,思考について,整理してみた.

保守的性格とは秩序を重んじる性格で,変えるとしても改善(根底は現状維持)である.現状否定から始まる改革論は生理的に嫌う.曖昧の合理性,理より気を好む.この性格故に秩序を壊したり,伝統や価値観を失う事には全力で抵抗する.一言で言えば義理人情浪花節・演歌が好きなタイプである.

このタイプには日本の血統主義,農耕民族,村社会の文化がDNAとして残っている.日本の国民性でもある.政治思考は律令国家,長老政治,集団意識,大きな政府,縦社会,混合経済,パイの分配,組織票重視である.

改革的性格は論理や合理性を好む性格である.不合理な,曖昧な事は生理的に嫌う.気より理を優先する.デベートに強く,保守派が優柔不断な人間に見える.理のためには現状否定,やめる事も決断する.一言で言えば米国文化・洋楽が好きなタイプである.

いつの世にもこの理論派がいるが,日本の土壌では大衆の賛同が得にくい性格でもある.しかしグローバル化でこのタイプの人気は高まっている.政治思考は自由経済,パイの拡大,小さな政府,個の自律,横社会,非組織票重視である.

安全保障について保守,改革の色分けが出来ない.現行憲法下では政策課題に挙げられず,思考停止状態にあるからである.性格から判断すれば,保守派は思想的には右翼的色彩を持つ人から,非武装中立までいろいろあるが思想を論じる事が好きな人達である.改革派は国際情勢の中で,現実的機能論を論じる人達である.

尚,どの国の政治家にも,この二つのタイプがいると思うが,政党で分かれている様に思う.ただし,その国の歴史によって,守るべきもの,改革すべきものは違う.

例えば米国の共和党は自由主義経済,を守ろうとする保守派であり,戦後の強いアメリカを目指す.日本的資本主義の脆弱性からの脱却をめざす日本の改革派と波長が合う.

米国の民主党は混合経済,大きな政府,パイの分配,の色合いがする.共和党との差である.アメリカの歴史からすれば,これは改革である.日本の保守派と波長が合うはずである.

現実の日本は重大な課題に直面すると,政局や政党再編の議論が起こったり,日本の3大閉塞感(NO152)で思考停止状態になったりする.その結果,本来の政策になかなか取り組めない事態になり,うやむやのうちに先送りになる.挙句,本質的な問題が蓄積され,ますます,解決を難しくして行く感じなのである.

この現実は国民も政党も,まだまだ未成熟だと言う証拠であるが,早く,保守VS改革で党を再編し難問に立ち向かう政治体制を作って行きたいものである.その期待を込めた政局予想なのである.

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2009.01.10

162 財政出動への懸念

当ブログで度々財政出動の問題を発信してきた.言うまでもなく,財政出動(公共事業)は消費需要,民間企業の設備投資とともに,当面の需要や雇用を支える側面と将来の生活や経済に役立てる側面がある.ケインズ理論はこの両方の効果を説いたのである.

経済危機対策で,この公共事業が拡大する.箱物行政批判,財政悪化で抑圧されて来た積極財政論者が,久し振りに元気になってきた.

この論者は積極財政出動が改革より先だと言う.'経済成長なくして改革なし'と言う論者である.90年代と同じ主張を繰り返している.しかし,好景気の時でも財政出動を減らすべきだ,改革すべきだ,とは言わない人たちである.古参議員に多い気がする.

要するに経済の好不況に関係なく,いつも工事が欲しいと言う本心を隠して,将来の必要性,効果をでっちあげて来た人達である.役立っていない道路,港湾,空港,土地造成,巨額の借金,公共事業経済等を作ってきた多くの実績(箱物行政)がこれを証明している.

まさにケインズ理論を傘に工事という飯を食ってきただけ,と言えるのである.本来の公共事業の目的が公共事業経済を維持する為に変わって来たのである.結果.,地域振興の大儀は,いつも達成されず,工事が減ったから地域は苦しいと,工事を要求し続け,そのツケを将来にまわして来たのである.

その人達から,90年代の事業評価や膨大な借金への所見は聞こえてこない.救済事業,先行投資の区別も見えない.ましてや,国家戦略としての先行投資ビジョンも全く聞こえてこない.

今や,火をつければ経済が燃え盛る復興経済時代ではないし,そんなに経済規模は小さくない.そんな打ち出の小槌もないし,理論もない,成功実績もない.エゴも,無駄も景気対策の内と言うなら,予算は青天井となり,国家の財政破綻,超インフレを招くだけである.

しかし,今回の米国の新ニューデール政策も,我が意を得たりと,得意満面である.彼らが無用の箱物と巨額の借金を生んだ事など,まったく意に返さないのである.自分は生きていないから,将来はどうでも良いのかもしれない.

このような人たちが集まって,意味ある財政出動に向けた選択と集中,国家財政の維持が出来るのだろうか.空虚なピカピカの箱物が全国に散在し,本当に必要な事業に金が回らない風景はもう見たくないのである.経済不況対策が箱物行政に戻ったら,明日の日本はない.

各省庁縦割りの予算の積み上げにメスを入れられるのは,国会議員しかいないのだが本当に大丈夫だろうか.是非,公共事業のコンセプト,評価を厳密にすべきである.救済効果,先行投資効果を明示すべきである.ごまかしで予算をとれば,横領・詐欺である.国会を通たったとしても,免責にはならない.

NO159経済危機対策でも述べているが,公平,人道を軸にした救済事業と経済波及効果を軸とした公共投資とを識別して,メリハリを付けた対策が必要である.特に公共事業は当面の需要・雇用の救済的色彩を持つ事業(公共消費)と,上記の公共投資に分けて論議すべきである.

経済危機対策で,使える金が増えたとばかりに,過去の例のように,ルーズな,公共事業(投資ではなく公共消費)になれば,膨大な借金で国は滅びる.

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2009.01.07

161 労働問題への私見

売上不振で製造業の派遣労働者が多数,派遣切りに合い,社会問題化している.派遣切りした企業がけしからん,そもそも製造業向けに派遣労働を許可した法律も間違っている,等の非難が上がっている.

又,人間を物としか扱っていない,非正規社員は人事部ではなく購買部で扱っている,などの避難も上がっている.

はたしてこの批判だけで解決するのだろうか.自分なりに考えてみた.

そもそも企業が他社に仕事を依頼する場合,請負契約,委任契約,派遣契約がある.それ以外に,本人との直接契約(パート,アルバイト,等の契約)がある.

この中で,派遣契約は企業の求人に基づいて派遣会社が要員を確保し,受け入れ企業の管理責任で仕事を行う契約である.派遣は専門特化した要員の派遣から日雇い要員まで,いろいろな分野がある.

派遣要員は派遣会社の社員の場合もあるが,ほとんどの場合,派遣募集で集めた者である(派遣会社の登録社員).この場合,派遣事業は,まさに手配師的事業になる.

この派遣労働制度は,企業・個人のニーズに基づいており,そのマッチングの役割を派遣会社が担っている,反面,派遣労働者は身分が不安定で,不況になれば,まっさ先に雇用調整の対象になる.

勿論,企業の状態によっては,外注も切られ,正社員も雇用調整の対象になる.いくら雇用維持といっても,仕事がなくなれば,失業者は発生するのである.

だとすると,派遣切りをした企業が悪い,製造業への派遣制度が悪い,と批判するだけは雇用問題は解決しない.そこで,次のような事を検討すべきだと思う.

まず,派遣会社の社員ではない登録社員の場合(登録型派遣).

雇用調整がある前提で,派遣先の臨時社員,契約社員,あるいは準社員として扱う.受け入れた企業は,もともと管理責任があるわけであり,社会保障制度(健保,年金,雇用保険など)や社内制度,組合にも乗りやすくする.当然,給料は受け入れ企業が直接,本人に支払う.

雇用調整のしやすさと言う企業のニーズを残して,雇用機会の幅を維持しつつ,待遇の改善,諸制度の適用を実現する方法である.

派遣会社の社員が派遣労働者となる場合.

派遣契約の解除は請負,委任などの外注契約の解除と同じ扱いとなる.

要するに,派遣制度を派遣会社の社員に限定する.社員ではない人は受け入れ企業と直接契約する.従って,派遣会社は社員による派遣事業と派遣労働者の募集・紹介事業になる.この考え方で思考シミュレーションしてみてはどうだろうか.

派遣会社の社員が増えるか,受け入れ企業の契約社員が増えるか,あるいは,派遣会社が紹介収入はあるものの,ピンハネ収入が減って,事業者が激減するか,どうだろうか.

ちなみに,ワークシェアリングは一人当たりの作業時間と賃金を落として,首切りを回避したり,常時の雇用数を増やそうとする方法であるが,不況程度によっては雇用調整はなくならない.又,パートの様な作業形態で仕事ができるか,短時間・低賃金で雇用が維持されるか,という問題もある.

一方,雇用問題は必ずしも楽観できない.少子化傾向にあるとは言え,国内外の競争の下で,科学技術の発達で労働集約,単純労働は減少したり,事業の興廃も起こる,

ネットワークや物流の発達で流通チャネルも短縮している.省力化も常に進む.かくて,多くの労働力を吸収する企業・産業は少なくなる.ましてや,他国に出稼ぎする風土もない.

従って,失業者を減らす為にも労働者の技量の向上や自前の商売立ち上げが必要である.商売立ち上げに少額でも融資制度があれば有効である.

イタリアで職人や総菜小売店が多いが,個性豊かな小さな商売が多くある社会も有効な姿である.すでに始まっているが,大量生産大量販売に対する消費者志向の変化も必要である.

同時に,一次産業,サービス産業,なども含めて,経済と雇用を支える産業の創出や弱者の雇用対策,救済対策を国家として考えなければならないと思う.但し,雇用促進名目で介護等の福祉への労働力確保は注意が必要である,厚遇前提で性格,知識,技量,人間力を落としてはならない.福祉人材育成の教育機関の充実がまず必要だと思う.

ところで,いつも雇用問題というと,終身雇用,不況時の過剰人員の保有など日本的経営を是とする論調が起こる.簡単にレイオフする米国型経営への批判である.各企業の考え方もあるが,マクロで言えば,どちらが社会にとって良いかは単純ではない.

日本型,米国型の比較は社会保障の企業負担の問題,企業の生産性・活力・競争力の問題,人材はストックかフローかの問題,労働力の固定化,・流動化の問題,社会全体の活力・産業形成の問題,倒産,失業率,格差の問題,国の社会保障のあり方,など考えなければならない.

古来,終身雇用が失業率を下げているように見えるが右肩上がりの経済成長期であった側面がある.これからの変化の時代では許容されなくなったり,倒産による,大量失業者が出るかもしれないのである.
又,企業の社会保障コストや福利コストを軽くする方が税収を増やし,社会保障がよくなり,正規・非正規格差をなくす事になるかもしれないのである.

米国経営は過剰人員をレイオフし企業力を維持しつつ,社会全体としては,労働力の流動化を進める形である.しかし,失業率は確実に高くなる.反面,それが個人・企業の活力の源泉になっている側面もある.労働市場の創出,社会保障制度の充実が強く求められる事にもなる.

私見によれば,医療・介護・年金の制度の検討は必要だが,日本的経営か米国的経営かは,企業毎の考え方,労働者の考え方,で良いと思う.国で決める問題ではないし,日本的経営が企業力,競争力ひいては国の経済発展に望ましいと言う確証もないのである.米国型経営も同じである.

又,東欧にあるような高負担高福祉の考え方もある.簡単に言えば,個人で失業や病気や老後の心配をしなくて済む制度である.従って貯金や保険が不要な社会である.税は国への貯金・保険料なのである.雇用契約もフルタイムとパートタイムの2形態あり,変更も可能である.さらに複数企業で働く事もできる.社会保障制度は一つである.勿論,日本のように正規社員,非正規社員と言う区別は無い.家族手当や扶養控除の考え方もない.但し失業率が高くなり,社会保障費も青天井になったり,国力が衰退する危険性もある.

これを日本で実現する為には,社会保障の考え方,労働法,企業の人事制度など多くの検討が必要である.何よりも,個人生活や仕事に対する考え方も変化が求められる.

ところで,制度とは別に,欧米では宗教が個人個人を下支えしていると思う.国民のボランティア精神も根底にある感じがする.これに比して,日本は宗教界の下支えが少ない感じがする.檀家の村社会風土が残っているからだろうか.

どうやら日本は,悪いことが起こったらどうするか,という視点が弱い感じがする.耐震偽装問題,不良建築問題,薬害問題,医療問題,年金・介護・医療保険問題,安全保障問題,自然災害問題,環境破壊問題,など,泥縄の対応やこれからの難題も多い.

文明の発達,経済の発達で,リスクは幾何級数的に増大するが,悪いことは考えたくない,考えたら何もできなくなる,と避けては通れない時代に来たと思う.

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2008.12.02

159 経済危機対策を考える

経済危機対策総論に入る前に,国民にお金を配ったらどうか(給付金)と言う案が与党,政府から出ている.この案に対し,まず所見を述べたい,現段階で多くの疑問がある.列記したい.

・目的が景気対策なのか,生活支援なのか
・効果はあるのか
・財源をどうするのか
・2兆円と言う根拠はなにか
・もっとやるべき事があるのでは
・所得制限をどうするのか
・支給にかかる費用はどれくらいか
・結局,選挙目当てのばらまきではないのか,

等々,疑問視する声が大きい.緊急対策とは言うものの,あまりにも,稚説な感じである.選挙目当てどころか逆効果になる可能性もある.政党支持率がどうなろうと,賢い使い方をして欲しいのである.

ところで,給付金について,あまり議論されていない本質的な事を提示したい.

①元来,使用目的が不明な事に公金を使う事はあり得ない.個人財産に公金を使うことになるからである.個人にお金を渡す場合は,厳密なルールのもと.社会保障や年金を給付する場合や,最近では,やっと自然災害や事件に巻き込まれた人たちへの給付ができるようになった程度である.

②税金,あるいは借金を直接国民に再配分すのだから,最悪,無駄使いにはならないが,課税の意味,目的が変わる.①も含めて法律に触れないのだろうか.もしこれが許されたら,皮肉っぽく言えば,毎年30兆程,再配分するれば,政治家も役人も利権も無駄も半減できる.

③給付金が公的事業への寄付に回ったとしたら,国民の手で公金の使い道を決める事を意味する事になる.この考え方を拡大すれば,新しい民主主義の形になる.寄付をもらった公共事業は国民の監視のもとで金を使う事になる.国民に不要と思われている事業には金が集まらない事になる.これも②と同じ意味を持つ.

④給付金が政治家や政治団体,あるいは宗教団体等への個人献金,寄付に回ったとしたら,経済対策ではなくなる.政治家や諸団体に資金を供給する為に給付をする事になる.お金に印がないから現実にあるかどうか分からないが,その事が問題ではなく,そのことが可能になる給付制度はダメである.公共事業の発注で政治献金と票を得ている政治家は,さして問題と思わないのかもしれないが.

要するに使い道を定めない給付制度は,どんな大義を掲げようと,使われ方は様々であり,論理的に問題が多いのである.

さて本論だが,政治が行う経済危機対策は大きく分けて,救済対策(パイの分配),景気対策(パイの拡大),行政コストの削減(無駄の削減)の三つである.経済安定期以上の対策が求められるのである.

救済対策は資金貸付,債権買取,雇用支援,減税,費用免除,救済公共事業,などによる弱者支援である.景気対策は,経済波及効果をねらった財政出動(先行投資)や規制緩和,減税,利下げ,資金供給,等である.デフレスパイラル,信用収縮,を断ち切る為に需要を起こす政策である.

この景気対策としての財政出動は直接の需要創出と長期の波及効果を狙うわけだが,経済発展途上段階では効果が出やすいが(ニューデール政策,列島改造計画など),経済大国では,投資の限界効用逓減の法則が働いたり,輸入が増え,国内への波及効果が少なくなる傾向がある.

従って,景気対策と言っても,金をばらまいただけの救済対策になりかねない.挙句,箱と借金が残る可能性もある.とりわけ,本心は工事が欲しい救済対策なのに,景気対策と称して,予算を取るケース等は投資波及効果が出るはずが無い.救済対策か景気対策か,目的をはっきりしないと,無責任,無駄,を冗長させる事になる.無責任,無駄も景気対策のうち,と考えている人がいれば,財政出動は青天井になる.

特に,予算さえ通れば,投資効果の評価も,責任も問われた事がないだけに,財政出動には慎重さが必要である.又,今,苦しいから,背に腹は変えられない,と言って使う金を安易に未来の国民の負担にしてはならない.

このように景気対策としての財政出動は簡単な政策ではないが,景気対策は経済原理,市場原理にかなう政策でなくてはならない.経済は民主主義,多数決で動くのではなく,世界経済,市場経済で動いているからである.

例えば,地域活性化と称して,経済立地条件等が不利な地域に高速道路や工業団地を作る事は,分配の公平性にかなっても,景気対策にならない事が多い.これは一時的な需要・雇用救済策,と,とらえるべきである.

従って,首都圏や新技術,住宅等の経済波及効果の大きい分野,世界的大企業,等へは景気対策,地方経済や中小企業,経済弱者の死活問題へは救済対策と言った,切り分けが必要なのである.勿論,厳密な優先度の判断がともなうが.

このように,景気対策と救済対策は目的,原理が違うのである,無責任,無駄,を排除し,対策の効果を上げる為にも,対策は分けて論じる必要があると思う.

尚,学校の耐震化,下水道整備,など社会資本整備で,いずれやらねばならない事業の前倒し論がある.これは,経済波及効果が目的ではなく,雇用や直接需要を起こす,救済対策と捉えるべきである.将来の国民も,その効用を受けるわけだから,借金でやれる事業であるが,国・地方の全体の予算,将来の負担の中で,優先度の判断をし実施すれば良いと思う.

一方,景気対策と称して,(何でもいいから)思い切った財政出動(金のばらまき)をすべき,と,以前聞いた様な風潮が日増しに大きくなっている.選挙直前の力学も,これを加速させているようだ.

この風潮は,90年代に作った,600兆の借金が,今も重くのしかかり(年20兆の償還),国の瞬発力を奪っている事実をどう考えているのだろうか.当時の政治家が,責任も取らず,今も暗躍している事が不安である.せめて,当時の総括と今後の返済計画を述べた上で,積極的財政出動を言うべきだと思う.

さて,根強い道路建設要求は地元経済の救済対策か景気対策か.それとも両方だと言うのだろうか.道路予算で,他の予算が削減される事を気にしないのだろうか.不況だからこそ,道路はしばらく凍結して,もっと大事な事(パイの分配にしろ,拡大にしろ)に使うべきとする道路族の良識はないのだろうか.

’道路特定財源の一般財源化’との大方針も,結局,道路目的税のままで,一般財源化とは地方への道路ひも付き交付金(譲渡)の意味らしい.国交省は何としても道路財源は離さないのである.大方針は何だったのだろうか.それでも,一般財源化をした,方針はブレていない,と言うのだろうか.

定額給付は救済対策なのか,景気対策なのか,よく分からない.多分これも両方と言うだろうが,2兆円使うわりに,効果はなさそうである.どちらかに徹すれば,やれる事は多いはずである.

最後に政治・行政の構造改革だが,財政の逼迫なればこそ,不効率・無駄を徹底排除しなければならない.人件費はもちろん筋肉質の構造にする事は,待ったなしである.国民のインフラである年金・介護・医療,等の社会保障問題も,国の活力を支える制度として,経済危機対策と並行して,取り組むべき事は当然である.

いずれにせよ,すべての対策の財布は一つしかない.あれも,これもと景気対策の名の下で,予算をとり合う姿は無責任に見える,無駄な支出の温床になりかねない.真の経済危機対策は,まず,予算を返上する姿勢,中断する決断が必要だと思う.企業なら当然である.

次に,大きな予算を取る事,私的利権を守る事,大衆迎合で選挙に勝つ事,しか頭に無い政治家では危機から脱しられないと思う.これでは、どんな救済策も息切れになる.

以上,今回の経済危機に際し,救済対策,景気対策,政治・行政改革,の3点セットをバシットと出す必要がある.この視点で,政府・与党の緊急対策,09年度予算に注力したい.

今のところ,道路財源の一般財源化,給付金,行政改革,で政府・与党は命取りになる可能性がある.政党や政治家がどうなっても良いが,失政の付けの方が国民にとって大問題なのである.

’米百俵’の精神,聖域なき構造改革,改革なくして成長なし,小さな政府,官から民へ,規制緩和,を旗印に,’失われた10年’’日本的構造の脆弱性’と対峙した小泉リーダーシップが懐かしい.

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2008.10.30

155 麻生戦略と民主党

麻生政権は,にわかに起こった金融・経済危機に乗じて,解散を延期し第2次補正予算,インド洋給油継続,税制改正,来年度本予算まで,行く所まで行く気配である.

いまだ自民党の選挙公約は発表されていない.年金・医療・介護などの社会保障問題,行政改革問題は今のところ,そっちのけである

しかし,この経済危機のおかげで,国民の目が自民党への批判から景気問題に釘付けになば,国民の苦しさに反して,自民党にとっては神風になる.

さらに’政局より政策’が大事と,景気対策と称して財政出動,バラマキを行い,それが景気回復,支持率向上につながれば,自民にとって一挙両得になる.自民にとっては,すでに選挙運動をしている様なものである.

しかし,自民党の支持率が上がったとしても,景気が回復しなかったら,公金が人気取りに使われただけ,財政危機に拍車をかけただけ,増税の必要性を強めただけ,社会保障がさらに厳しくなっただけ,になり,国民は手放しで巨額の財政出動を喜んでいられないのである.社会保障の為の増税論議が’金を使ったから増税する’にすり替わる可能性もある.

バブル崩壊後の保守的な古典的な財政出動を繰り返してはならないと思う.日本の経済はもうそんな経済規模で回っていないのである.’改革なくして成長なし’が懐かしいと思うし,経済危機であればこそ企業と同じ様に思いきった行政改革,行政コストの削減を急ぐべきだと思う.肥大化した官僚国家のまま,未曽有の経済危機は乗り越えられないと思うのである.

一方,問題は民主党にもある.解散に向けて既に選挙公約を掲げ,戦闘モードに入ったが,いっこうに戦争が始まらない.戦争を早くやる為に妥協を続けたが,解散延期なら民主党の勢いも戦費も息切れする可能性がある.

それどころか,選挙公約実現の為の’埋蔵金’を,第2次補正などで使われたり,民主党と同じような政策を実行されると,発表済みの民主党の選挙公約も空洞化する恐れがある.そして,いよいよ解散となれば,もう一度,財源探しと,公約の練り直しに追い込まれる.こうなる事が麻生政権の裏の狙いかも知れない.当ブログでも指摘したが,政局だけの事を考えれば,麻生政権は最善手を選んだ事になる.

民主党としては解散と関係なく,’改革対保守’の構図を作り,麻生延命政権と戦い続けるべきであった.経済危機対策でも,保守的手法,積極財政出動に変わる将来を見据えた政策を打ち出すべきである.’政局より政策’は民主党が言う言葉である.

’勝なければ何も始まらない’と選挙しか頭にない民主党党首の政治姿勢が宙に浮いてしまった感じである.以前から指摘されていた事ではあるが.この際,若手の党首に交代することも有効な感じがする.

論戦を通じて,国民は来る選挙で,政党・政策を選ぶはずである.古い手法の’どぶ板選挙’も国民から見放されて行くはずである.自分の選挙の事しか頭にない政治家は,すでに思考停止状態となり,どぶ板行脚しか出来ないのかもしれないが.

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2008.10.03

153 解散のきっかけ争い

自民総裁選を盛り上げて,新総裁のもとで,一気に総選挙に突入すると言う福田総理の最後の賭けも失敗に終わった.

総裁選が盛り上がらず,新内閣も保守色が強く,新鮮味に欠ける事から,思ったほどの人気も上らず,総選挙に,直ちに突入する分けには行かなくなったのである.

福田総理としては自分の辞任は何だったのかと思っているに違いない.政権を投げ出した汚点だけが残った感じである.

解散が遠のいた状況で,選挙公約も先送りされているが,新自民党政権の特徴は次の三つである.

①伝統的保守勢力が主流となった事
②改革より経済対策優先(財政出動論者)になった事
③総選挙に有利になる新たな解散の切っ掛け作りが必要になった事

である.この事が選挙に勝てると考えたのか,自民党内権力闘争の結果でこうなったのか不明だが,これが自民党の現況である.

これに対し,民主党は日本の統治機構の改革(行財政改革)による課題解決を訴えている.まさに’自民の保守対民主の改革’の,わかりやすい構図になってきた感じがする.

構図としては民主党がデベートに勝てる構図である.攻めの小泉戦略風になれば,自民党は守勢になる.自民党はこの構図を避ける為に,自民党政策の一つの柱に改革を入れるべきだと当ブログで発信してきたが,今のままでは,天に唾する事を避けた,責任回避とも映る.

残る自民党の戦術としては民主内で意見統一されていない議案(テロ特等)を提出し,民主党を混乱させ,政権担当能力に問題あり、との印象を国民に示す事である.これが解散の有利なきっかけになる.

民主党は,そうはさせじと,自民党の失政を徹底的に追求するために,議案に賛成し続ける可能性もある.こうなると,自民の議案は通り,民主の責任追及は続く,という奇妙な持久戦になる.

しかし,保守的な国民性からすれば,失政をいくら追及しても,自民党に依然有利である.民主党としては,政権担当能力と政策の実現性は勿論だが,それと同時に,不人気の現代表に変わる改革論者を立てる事,自民党内閣を凌駕する内閣の陣容を示す事,が必要だと思う.民間人の登用も有効である.これによって,政権交代の安心感が高まり,国民の保守的ハードルが低くなると思う.

自民党はまだ選挙公約を発表していないが,両党ともに,細かな駆け引きより,もっと本質的な日本の課題を中心に,政権交代可否にふさわしい論争を期待したい.同時に,当選する事,政権を取る事と日本の為になる事が一致した政策を期待したい.

特に自民党は行財政改革(公務員・縦割行政・特会の改革),社会保障改革(年金・介護・医療)をどうするのか,難問の当事者だけに避けてはいけない.これを争点にするくらいの公約を立てる義務がある.経済不況が深まる傾向の中で,行政コストの削減,社会福祉の堅持,は政治の責務であり,政権担当能力そのものだと思うからである.

解散が延びている間,十分な政策の充電をし,選挙に臨んで欲しいと思う.それとも選挙事務所の確保や組織固めに忙しいのだろうか.そんな事に執着していると,持久戦による兵糧攻めに逢う議員が出るかもしれない.

一方,世界情勢の変化,未曾有の経済不況を目前に,自民党の3分の2の空前の議席を任期いっぱいまで活用したいとの誘惑が総理の頭の中で膨らむかも知れない.こうなると,自民党批判も下火になる可能性もある.自民党にとって最善手かも知れない.

保身や権力欲の魑魅魍魎がうごめく政局であるが,日本の難題に向かう考え方,政治姿勢に注力したい.

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2008.09.14

152 日本の3大閉塞感

日本人が抱く閉塞感を3つ上げてみた.

第一,憲法の改定方法のない日本は自立した民主国家と言えるのか
第二,国の借金の限界と返済計画はあるのか,未来の国家財政はどうなるのか
第三,日本文化の葛藤をどう考えるのか(競走と和,縦文化と横文化)

である.この三つの問題に見通しを持たない限り,日本はじり貧になって行く感じがする.識者や政治家の所見も聞こえてこない.知った事かと無視する力も無い,自虐感,悲壮感,閉塞感,だけが漂う.

まづ第一の憲法改正問題である.憲法論議で,集団的自衛権や海外武力協力の問題,有事の時の問題,日米安保との関係,などの多くの議論があるが,現行憲法を変える方法がないのに,その議論は何なんだろう,解釈論の議論なのだろうか.むなしくなる.変えられると言う覚悟があって,初めて世論を巻き込んだ,真剣な議論ができると思う.

そこで,憲法改定に関する現状,問題,所見を整理してみた.
まず憲法第96条は次の通りである.


『この憲法の改正は,各議院の総議員の3分の2以上の賛成で国会がこれを発議し,国民に提案して,その承認を得なければならない.この承認には,特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行われる投票において,その過半数の賛成を必要とする.』

たったこれだけである.そこで,いくつかの懸念,問題,所見を述べたい.

まず①衆参それぞれの3分の2以上ないと発議し,国民に提案できないという事は,憲法制定者が発議そのものを実質不可能にし,改正をさせないと考えたか,ハードルを低くして,国民に信を問う事は危ないと考えたか.いずれにせよ,占領時代のなごりが今も憲法を凍結させている.革命でもない限り,永久に変えられないかもしれない.何よりも,変える,変えない以前に,民主主義をかなり抑圧している点が問題だと思う.

次に②’その過半数’の問題である.遅ればせながら2005年に国民投票法が制定されたが,それによると’有効投票数の過半数’である.’その’を’投票’を指しているとの解釈である.英語原文からの解釈だそうである.従って投票率は無関係になる.しかし,’有権者の過半数’ともとれるのである.解釈が曖昧だと,現行憲法で国民の採決ができない事になる.国民投票法が違憲か合憲か決着しておく必要がある.

③さらに難問は国民の意識と覚悟である.必ず通らなければならない問題である,多分,国会発議の提案は新憲法一式である.この一式に対しYES,Noを言う事になる.国民は一部でもNOなら,あるいは欠けている部分があるなら,全部NOとするか,重要な部分がYESなら全部YESとするか,現行憲法よりましだとしてYESとするか,悩ましさがついて回る.あるいは,NOを減らすために,国会の発議を,条文ごとに小出しにする事になるのだろうか.いづれにせよ,国民は人気投票のような気分で投票は出来ないし,有史以来初めての覚悟が問われる事になる.

④新憲法と整合する法律にする為に,現法律を焼き直す作業が発生する.憲法改正内容にもよるが,膨大な作業であり,新憲法発令までにやる必要がある.新旧の法律を並存させたり,新たに作る場合も予想される.

避けては通れない問題であるが,はたして,複雑に絡み合った法律を解きほぐせるのか,本当に実現できるのか,永年放置してきた付けであり,又,難問が立ちはだかる.

⑤現時点でも,憲法改正の手続き法は完了していない.国民投票法によれば,2010年から実施可能だとしているが,細部が詰められていない.しかし,現憲法では,発議すら出来そうもないから,又,手続き法は半永久的に先送りになり,憲法を変えられない国として,これからも存在して行くのだろうか.

しかし,改正の手続き法は民主主義のルールであり,発議の有無とは関係ないはずである.速やかな制定が必要である.

憲法改定方法を持たずにきた事が,長い間の憲法議論を中途半端にし,解釈論,禅問答だけを繰り返し国民も決断を迫られる事もない状態,を作ってきたと思う.

その結果,憲法への愛着や国民の自主性・思考力・立論力の育成を弱め,考え方(顔)が見えない国,世界の常識とかけ離れた国,半人前の国,になっている感じがする.ここに閉塞感がいつも漂うのである.

戦後63年間,憲法を変えていない国はあるのだろうか.憲法改正の手続きが決まっていない国はあるのだろうか.それでも日本は民主主義国家と言えるのだろうか.憲法を変えていない事を誇れても,平和憲法を誇れても,改正の手段を持っていない事で失笑される.

憲法制定時,憲法改正のハードルを高くした理由は

・戦争放棄を永久化したいから,
・日本を信用できないから,
・憲法改正規定の重要性の認識がなかったから
・占領下で改正規定は重要でhじゃなかったから
・改正規定まで手が回らなかったから

かも知れない.制定時,改正方法を議論した形跡は知らない.
又,憲法改正のハードルが高いなりに,現在まで改正手段を作らずにきた理由は,

・日本国民は自ら憲法を作る熱意も,考え方も,決断力も,経験も,ないから,
・憲法を改定する必要が無いから
・改正手段を作る事と,憲法第9条を改正する事が一対であったから
憲法改正という最大の難事業をやる政治力もエネルギーもないから,
・現憲法下で憲法改正発議が出るとは思えないから

かも知れない.いづれにせよ,政治の怠慢である.

結果,自ら憲法を変えられない半人前の国家のまま,憲法全体が凍結状態になり,日本人の思考停止状態を招いていると感じるのである.

民主主義を標榜する以上,憲法の内容より,最も大事な事は,改正手続きである.民主主義は手続きだからである.一般の契約書でも,改正の仕方を定める事は,きわめて重要である.改正条項が不明確な憲法は放置国家,崩治国家ならいざ知らず,法治国家,民主主義国家ではあり得ないのである.

そこで⑥まず民主主義のルールとして,第96条の改正のみで,憲法改正の国民投票をやるべきである.そこで国会では,発議条件はこれで良いか,’その過半数’の意味は何か,等を3分の2以上で発議すべきである.

そして,憲法改正の手段,国民の意識,経験を踏まえて,現実問題としての憲法問題を論ずるべきである.国民も真剣に,リアリティを持って論議に参加出来ると思う.改定手続きもないのに,発議もできないのに,憲法論議をするのは無責任な時間の浪費に等しい.

憲法内容の世論を形成するにしても,その前に,ルールを作っておかねばならない.憲法改正に反対する為に,ルールを作らない,改正する為にルールを作る,では,民主主義ではない.

今頃こんな事になっているのは,わが国は先進国どころか,敗戦直後の政治的後進国と言われても返す言葉が無いが,今の状態では,戦後100年たっても,改正されないかもしれない.憲法を国民の手にするのは,いつの日なるのだろうか.10年に1回くらい憲法が変わるほど,国民の政治参加とシビリアンコントロールが働く国になりたいものである.

日本は戦後,この憲法問題はじめ,領土問題,安全保障問題,戦争責任問題,歴史認識問題など,引きずったまま,閉塞感に覆われていると思う.さらに,近隣の南北朝鮮問題,中台問題も閉塞感を深める.ヨーロッパの変化と比べれば,あまりにも極東の問題解決が遅いと感じる.

次に,日本の借金問題である.GDPの1.5倍(800兆)の借金,そんな国はどこにもない.当然,その返済額は国家財政を圧迫する.20兆の返還に同額の借金をするさまは,サラ金地獄と同じ状態である.

又,効果の出ていない借金(景気対策名目で食った借金)の返済は将来の財産権と主権在民権を侵害する.これがどれくらいあるか早急に精査し,少なくても,未来に引き継ぐ借金は効果が出ている借金だけにする必要がある.まさに不良債務を撲滅し,財政健全化を図る必要がある.

日本は他国の債権を持っているから,借金は国民の財産になっているから,債権者は国民だから,インフレで軽くなるから,とあまり慌てなくとも良いと言う人がいる.ならば,一刻も早く精算したらどうかと言いたくなる.そんな事は出来るわけがないのだが.

そして日本は借金返済の上に,社会保障対策,自然災害対策,安全保障対策,景気対策,等の大きな財政需要がのしかかってくる.常に増税と赤字国債の発行圧力が続く.かくて日本は,’背に腹’で国家財政破綻への道を歩み続ける危険性を秘めているのである.

この借金問題をどのように解消していくのか,その為に歳出削減や増税がどの程度になるのか,返済計画をどうするのか,などの破綻回避の道筋を付けなければ,国民も納得しないし,そもそも,国家予算や税制は論じられないのである.

とりあえず’赤字国債は出さない’(基礎的財政収支の黒字化・プライマリーバランス確保)は入口の話であり,道筋になっていないのである.

特に国家予算に直結している年金・介護・医療などは,この借金問題と無関係ではない.個人の収入も,国の税収も,経済成長が右肩上がりの時代ではないだけに,不安を加速させる.又,膨大な借金が,あらゆる行動を制約し,公共サービスもなくなる不安もある.国民の自業自特の結果であるだけに,やり場のない閉塞感が漂う.

このことから,苦しい中で,’借金を増やさない’’筋肉質の国家に改造する’は当然のテーマである.特に国家のメタボ治療は,無駄を削るに留まらず,優先度の低い事業・機構も削らなければ,とても社会保障の財源は出てこない.天下り法人や国会議員数の削減も当然である.公共事業で経済を支える手法が又台頭しているが,90年代の600兆の借金を作った二の舞となり,もうその選択肢はないと思う.

借金が1000兆であろうと1500兆であろうと大丈夫だ,と言う論拠があれば別だが,現状は上記のように,財政危機だと思う.繰り返すが,やるべきは

・筋肉質な国家の実現(行政コストの削減)
縦割り予算の調整強化(省間調整強化,一般会計と特会調整強化)
・公共事業の目的・実際の監視強化(国民へのアカウンタビリティ強化)

しかない.この中でパイの拡大(経済成長)を国民は必死に努力するしかない.公共事業経済から脱出するしかない.残念ながら,日本には,これくらいの選択肢しか残っていないと思う.

借金問題の深刻さが騒がれないのは不思議である.悪い事は言わない大本営発表の轍を踏んでいるのだろうか.元来,国や地方自治は借金をしない事が法の基本理念のはずである.未来の負担を先取りさせない為,青天井にならない為である.特別の例外として建設国債と赤字国債があるが,いつの頃から,軽々しく発行し,使い方の追跡管理もルーズになったのだろうか.

以上,わが国の深刻な問題を述べたが,憲法や借金の問題は手段の問題であり,目的が先だ,と言う論客もいる.その人に言いたい.いくら目的を論じても,いくら目的が正しくとも,革命でも起こさない限り,現憲法と借金問題には勝てないと.手段が制約と化し,目的すら論じられなくなっている,と思うのである.

ところで,次の総選挙で,どの程度,この閉塞感に光が当たるのだろうか.票にならない,選挙に勝つ事しか頭にない,と,話題にもならない感じもするが,この二つの閉塞感に立ち向かう政治家こそ,’真の改革の旗手’だと思う.口当たりの良い公約以前に,政治家の反省と解決への取り組みが先だと思う.

最後に日本文化の葛藤問題である.日本は歴史的に中国,ヨーロッパ,戦後のアメリカの影響を強く受け,和魂洋才で文明を積極的に輸入してきた.反物に例えると,和魂という縦糸に洋才という横糸で模様を作り,反物にして来た感じである.

更なる国際化の中にあって,文明だけではなく,考え方,仕組みと言う文化まで,日本的なものが一枚一枚はがされてきている.(当ブログ・日本文化の葛藤,でも発信)良しあ悪しは別にして,洋魂洋才の傾向を強めているのである.縦糸の和魂が洋魂になり,日本的反物がなくなるのではないかという葛藤が起こっているのである.

政治政策,経済政策,あるいは教育現場で文化や価値観の対立が起こる.和魂か洋魂かの葛藤である.私見によれば和,縦の社会と競争・横の社会を場面に応じて切り分けていく必要性を感じる.これらを足して2で割る様な制度・仕組みは中途半端になる.力が半減する感じがする.ラクビーでい言うノーサイドの精神で,社会でも企業でも個人でも,二つの概念を並列に持つ事が必要だと思う.

当ブログでも述べているが欧米社会は見事に,この二面性を使い分けている.激烈な競争社会の反面,宗教やチャリテー精神,夢とファイテング゙スピリットを持ち合わせている.文化問題は長い時間の中で形作られるものだと思うが,二面性を使い分ける考え方は今からでも必要だと感じる.

伝統的な日本文化は村社会で居心地の良い社会かもしれないが,論理性が弱かったり,個人の自立,価値観の多様化,経済の発展にとって足かせになり,世界から孤立する可能性もある.’和と競走’の二面性を並列に持つ文化・制度・仕組・行動がこれからは大事だと思う.

以上,日本の3大テーマ(憲法改正問題,借金問題,日本文化問題)を述べたが,日本の進路を考える上で避けて通れない問題であり,識者の見識を求めたいのである.

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2008.09.11

151 自民党総裁選早くも失望

9月10日,国会を犠牲にした自民党総裁選が始まった.日本の総理を決める選挙ではあるが,自民党の基本政策,総選挙の顔を決める選挙である.

しかし,開始早々であるが,まるで緊張感がない.自民党の危機など,どこ吹く風である.それどころか,日本が苦境に直面している認識もない,と言わざるを得ない.国会まで止めて何をやっているのだろうか.

危機に,じたばたしない態度が好感を得られると思っているのだろうか.もう選挙結果が決まっているからだろうか,内輪で激論を交わす事は,はしたないと思っているのだろうか,白熱戦を期待していただけにガッカリである.

日本の現状認識,与党としての反省,取り組む政策課題,所信も良くわからない.国民へのメッセージもない,熱意も臨場感も伝わってこない.演説のうまさとリーダーシップは政治家の命だと思うが残念である.米国の民主党の大統領予備選,オバマvsクリントンの演説と,つい比較してしまう.数段,いや数十段,レベルが違う.

自民党は米国の予備選挙をイメージして盛り上げようとしたはずであるが,米国のような党内バトルは望むべくもない.舞台で演じる役者もセリフも弱い.一強四弱の配役を決めたせいか.これから,5人の候補者が揃って地方公演で同じ舞台に立つと言う.これでは総選挙の予備選にならない.自民党にとっても逆効果である.

本質的な議論もなく,決める為だけの総裁選なら,談合入札と同じである.密室で決めるより迷惑な話である.自民党の立論力,発信力の問題は
自業自得で済むが,日本の政治がそうであってはならない.

後は総選挙で激しい論争を待つしかない.

この総選挙では,民主党の政策も現実性がない,民主党は政治信条がばらばらの党だ,自民党では改革できない,などの批判合戦や社会保障を守ります,地方を支援します,農業・漁業を助けます,景気対策で財政出動します,財政再建を優先します,等のスローガン合戦では日本の難問は解決しない.だから何をするのかと問いたくなる.

前のブログで述べた程度の研ぎ澄まされた政策を作り,好試合を期待したい.選挙とは白紙委任を取る手続きではない.政策の論争こそが,選挙という民主主義の本質なのである.

税財政問題,道路税問題,行政改革問題,年金・介護・医療問題,経済・金融政策問題,外交・安保問題,など短期,中期,織り交ぜて明確な主張を期待したい.

しかし,内心は政治家が回答を出せるか心配である.すでに,問題の難易度が政治家の能力を超えているかもしれない.政権争奪戦を激しくやっても,問題の解決は,はるか遠い所にあるのかもしれない.

政治家には自分や党を超えた真剣な取り組みが求められていると思う.こんな状況を見て,与野党及び熱血感のある有識者を含めて,新勢力を作ろうとする政治家はいないのだろうか.今がチャンスだと思うが.この方が今より解決に近づく可能性があると思う.

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2008.09.06

150 総裁選・総選挙の脚本

自民総裁選,臨時国会,総選挙,と乱世が続く.選挙戦について,当ブ゙ログ「NO11戦う構図の重要性」でも述べているが,勝つ為の論法について述べたい.

自民党の総裁選だが,選ぶにあたって,立候補者の政治信条,考え方,政策,もあるが,性格,人気,キャリア,議員同士の人間関係,派閥やグループのしがらみ,自分の今後のふるまいや出世,等もからむ.もちろん,誰が総理にふさわしいか,総選挙の顔を誰にするか,も重要な選択肢である.

さてその中で,小泉政権以降の迷走(迷走の理由は,当ブログの’福田総理辞任のわけ’で記載)した政治路線をこれからどうするかが注目の的である.その中で,財政出動派,構造改革派,財政健全化派,あるいは防衛・外交重視派等,立候補者も乱立気味である.

しかし日本の情勢からすれば,とにかく筋肉質な国家にしなければ,福祉も増税も,何も出来ない状態だと思う.行政の脆弱性,無駄に,国民の怒りは大きい.従って,改革の断行は必須である.これが国民の空気である.

コップの中の嵐ではあるが,民主党の改革攻勢に先んじる意味も合って,総裁戦で改革の機運を,もう一度,盛り上げる必要がある.改革を重視しないと党の分裂にまで発展しかねないと思う.これを踏まえて,総選挙の顔を選出し,新総理のもと,総選挙に向けた基本政策を策定すればよいと思う.

総選挙は,相変わらず,勝つ為には,何でもありの選挙戦が繰り広げられる.‘正論必ずしも解ならず’で政策論だけで勝つとは限らない.立候補者それぞれの,人物評,どぶ板,地域との関係,しがらみ,あるいは公共事業誘致等の要素がからむ.

そして,得票の原因が何であろうと,勝った党としては,政策,主張,が支持されたとする.負けた党は,説明が足りなかったと言う.選挙とは’勝てば官軍’なのである.

本当に政策・政党を選ぶなら,全国区比例選挙の方がすっきりする.この場合は政治を付託する代議士を選ぶというより,代議党を選ぶことになる.

あの政党を支持するが,その立候補者はいやだ,も解消する.おらが町の事しか考えない国会議員や能力もない国会議員を排除できる.(比例名簿しだいだが)国会議員の数も選挙費用も半減し,選挙の在り方も,情報社会にふさわしいやり方に変える事ができる.政党も,ばらばらの集団から政策集団に変身して行く.一考すべきテーマだと思う.

一方,政策重視にも課題がある.基本政策は,日本の場合,憲法問題から安全保障政策,社会保障政策,経済財政政策,行政改革など,どれをとっても日常的課題であり,政策課題を絞り込みにくい,重要視する政策課題も違うのである.各政党も,まとまっていない部分や他党から攻撃を受けやすい部分には触れない事もある.

有権者からすれば,各政党の政策に優先度,不明,疑義,賛成,反対などが入まじり,政治意識が高いほど,政党選択は苦渋を伴う.これは選挙制度の難しいところであり,それゆえ,選挙で勝者が決まっても,敗者の建設的反論,提案は,きわめて重要になるのである.

今回の総選挙は現行の選挙制度で行うわけであるから,政策以外に現場レベルでは何でもありの選挙になる.ただ政治の世界にも,ロングテール現象があり,組織票で勝敗は決まる時代ではない.投票率が高ければなおさらである.

そこで,大衆に訴えるキャッチコピー(旗印)が重要になる.平和な世界を,暮らしやすい社会を,安全安心社会を,などという言い方は意味がないし訴求力もない.そんな政党は存在価値もない.

勝つためには,自身の政策のコンセプト,意志を強くアピールした言葉・旗でなければならない.又,他党を攻撃する言葉は自分の所に帰ってくる,反感も買う.やめた方がよい.キャッチコピーの神髄は自分は何をするかである.小泉アジテートは大成功の例である.

当時,小泉総理は’自民党をぶっ潰す’と叫んだ.民主党が‘自民党ではだめだ’と言えば言う程,小泉アジティートが支持される.小泉総理の応援団が民主党になる構図を作った.小泉論法の圧勝である.また’改革をとめない’に対し,民主党は’日本をあきらめない’と言った.これも同じである.デベートに勝つシナリオとキャッチコピーが必要なのである.

これを踏まえて,自民,民主のキャッチコピーを考えてみた.

まず民主党は前回の参院選では,伝統的自民党手法のどぶ板選挙活動を展開しながら,‘生活第一’を合言葉に,小泉改革の格差問題,地方救済をアピール.年金問題や自民党の失策もあって,大勝した.

今度の総選挙は小泉流改革戦法を取るはずである.特に政治の根幹である官僚政治・政官癒着の構造を変えると訴えると思う.この改革の下で,無駄の排除,社会保障改革,弱者救済等を訴えるはずである.与党では反論しづらいテーマになるはずである.

自民の遅遅とした対応への国民の不満を味方につける戦略である.自民党の賞味期限切れ論の展開である.だとすると,キャッチコピーは’官僚政治の打倒’,’官僚政治からの脱却’,’行政改革の断行’等が良いと思う.この視点は,小泉流と同じく,勧善懲悪,悪代官をやっつける正義の味方として,国民の喝采を狙う戦法である.

はたして,官僚政治を敵に回して政治が出来るのか,と言う問題がある.政策力,知識,経験で政治家が官僚をリードできるのか,そもそも,官僚政治を強固にして来た原因が政治家にあるのだが.

まさに,政治家の実力が問われるテーマであるが,官僚が立法と行政を握っている現実を明らかにしながら,構造・制度改革で,この問題に挑戦したいと言えば,反対する国民はいないと思う.

もうひとつ民主党の戦法で大事な事は,上記のような外の事以前に,自分の事を改革するとの意思表示が必要である.いくら良い事を言っても,そんな力はない,となりかねない.

憲法・安保・外交,等の国家像の違う人を抱えていては信頼が生まれない.政治信条より数を優先した政党とみなされる.党の目指すものを定め,統一を図ることが求められる.政権を目指すなら不可欠の事である.この事に民主党からの発信がない.最大の問題である.

れに対し,自民党は過去の失政も多いことから,天に唾をする様な政策を出せない.開き直って,出すとしても,小泉流に’自民党をぶっ壊す’というスタンスがなければ説明がつかない.

民主党が上記のキャッチコピーだとすると,自民党としては民主党と一緒にやりたい,としておく方が得策である.対立する必要がない.その上で,税財政問題を意識した上で,社会保障問題,農業問題,資源問題,等を論ずる事である.憲法・安全保障問題,外交問題で民主党に議論を仕掛ける事も作戦的には有効である.

難しい問題ばかりであるが,その難しさを説明しながら,政治課題に挙げて方向性を示す事が必要である.ポイントは’信頼の確保’である.

だとすると,自民党のキャッチコピーは’行財政改革と日本の再生’が考えられる.900兆の借金の総括をしながら経済政策,社会保障政策を掲げる事だと思う.これなくして国民の信頼は取り戻せない.

特に借金の総括で,効果もなく借金だけが残っているものがどれくらいあるのか,その事業の当初の計画と実際との差異とはなにか,を明らかにする必要がある.この返済こそ急がねば,将来の国民を苦しめる,この撲滅こそ’不良債務の撲滅’であり’債務の健全化’である.効果が出ている借金返済は将来の国民も納得するからである.

同時に,不良債務を生んだ責任を取らせる事も,強烈なメッセージになる.排除すべき悪を掲げる事は戦いの基本である.これなら,自民党の再生に国民は期待するはずである.それくらいやらなければ,自民党の危機は解消しない.党の責任感と自浄作用がなければ,選挙と言う国民の審判に勝てない.

歴史が証明している様に,昨今の政権にしても,’組織は内部から崩壊する’決して外部から滅ぼされるわけではない.まず,内部を正して行くことが,勝つ秘訣である.内部をさらけだし,内部の異論者を排除(離党)する姿勢が国民からの信頼を得る秘訣である.これで政党が分裂するなら,政党政治にとっても,日本にとっても,進歩である.これは自民党も民主党も共通したテーマである.

いずれにせよ,キャッチコピー,論法の構図は,これからの選挙には極めて重要である.そのポイントを整理すると,

①自軍のコンセプト,やる事を表現する(意思・主張,熱意)
②相手の正論には賛同する(誠実,争点回避)
③相手を一方的に非難しない(謙虚,品位,反感防止)
④自軍の中に悪玉を作り,これと戦う(反省と自己改革,相手攻撃の防御)
⑤相手の主張・
問題点をカバーする論理を作る(大局的立論力)

以上,総選挙が.好試合になることを願って提言した,選挙参謀の皆さんいかがでしょうか.日本は今,ジャパンバッシングからジャパンパッシングへ,そして,ジャパンミッシングへと,世界の評価が落ちていると言う.総選挙の行方に注力して行きたい.

それにしても一票しか行使できないのは,余りにも少なすぎる.
悩める季節が続く.

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2008.09.02

149 福田総理辞任のわけ

9月1日夜,突然,福田総理が辞任を表明をした.安倍前総理に引き続き,就任後,約1年の短命総理になる.

竹下総理から森総理まで14年間で10人が変わった.その後,小泉総理が5年半,続いたものの,安倍,福田で短命総理をぶり返した.もちろん大臣も短期に多数が入れ変った.喜んでいるのは念願の元△△大臣の肩書を手に入れた多くの政治家と官僚国家を証明できた役人である.

さて福田総理の辞任劇であるが,昨年8月の参院選での自民党大敗,9月の安倍総理辞任で福田政権が発足した.一年前,その経緯,課題など当ブログで克明に発信しているが,予想通り,福田総理は挫折した.

福田総理は’主張より話し合いを’と,ねじれ国会に臨んだが,遅遅として進まず,民主党との大連立を仕掛けるも失敗.

8月1日,内閣改造で,新幹事長による公明党との再結束,財政出動派・元郵政民営化反対派の登用,それをテコにした民主党からの引き抜きを画策.しかし,民主党離反議員は出るも,過半数確保に届かず.今回も今一歩のところで挫折.

何でもありの状態で臨んだ福田総理は,政治信条や政策など,あったものではない.’主張より話し合い‘’国民目線での政治‘と迎合一辺倒の姿勢は,国民から,主張がない,リーダーシップがないと映ったのは当然である.

福田総理は最後の一手として,自民党総裁選挙後,総選挙突入し,これに勝って,再度,引き抜きによる参院の過半数確保というシナリオを描いた.その実行の為の辞任だと考えられる.米国の予備選,党大会,大統領選をイメージしたのかも知れない.

とにかく福田総理は就任当初より,解散・総選挙は次の総理にまかせ,自分としては,政策を曲げてでも,参院の過半数を確保したいと思ったに違いない.振り返ればすべての行動がこれに符合する.今回の辞任も最後のシナリオであったはずである.

しかし,次の総選挙は,単独過半数政党が出現しないと思う.そこで,参院も巻き込んだ連立の組み換え,もしくは政党再編が起こる.政権抗争が激しくなり,混乱期が続くと思うが,野党も含めて,政策中心の政党再編,たとえば,改革派対保守派に政党が収束して行くプロセスであって欲しいと思う.

自民党としては,総選挙を有利にする,自民総裁選挙としたい所だろうが,保守的な財政出動路線を取るのか,小泉流の改革路線を取るのか,党利党略,権力闘争ではなく,日本の為にもう一度,争点にすべきである.

その上で,野党も含めて,憲法問題,安全保障問題,外交問題,医療・介護・年金問題,経済・財政問題,などしっかりした政策を示し,総選挙に臨んで欲しいと思う.

権力に向けた数合わせの政党,政治資金を得るための政党,では国民の選択ができないし,政治の混迷・漂流から脱却できないのである.

思い返せば,

失われた10年の政治混迷の後,改革を旗印に政権をとった小泉政権に引き続き改革路線を突っ走しりながら,年金問題や行政の無駄使い,政治資金問題に厳しく対処していれば,日本にとっても,自民党にとっても,良かったと思う.参院の大敗もなかったと思う.

小泉政権は’改革なくして成長なし,聖域なき行政改革,郵政民営化,行財政改革,小さな政府,官から民へ,自民党をぶっ潰す,官邸主導,不良債権処理,金融改革'など,すさまじい熱気で国民を引っ張った.破天荒な政治手法で国民の喝采を受け,国民の政治意識を盛り上げたのである.

しかし安倍総理は戦後レジュームからの脱却,福田総理は参院議席確保の為に道路族,郵政族の復権,支持母体との関係修復,10年にわたる道路財源確保案,行革の骨抜き,最近では財政出動による大型景気対策案まで飛び出し,改革路線がすっかり影を薄めて行ったのである.

参院戦の敗因がバラマキが減ったから,支持母体離れが起こったから,これを民主党がついてきたから,は守旧派復権の我田引水の論理,小泉政権が日本の窮地を救った事を無視した論理,であると思う.

参院選の敗退は決して改革路線のせいではないし,現在でも,構造改革すべき課題も多いのである.ましてや国家の財政から考えれば,筋肉質の国家を作らなければ,その後の展望はないのである.

自民党は結局,失われた10年の間に600兆の借金を作った財政出動の反省もなく、先祖帰りのように,保守・自民党への回帰に舵を切ったのである.総選挙を真近に控えて,伝統的バラマキ政治で議席を確保してきた習性・DNAが頭を持ち上げた感じである.

小泉政権以前の自民党の失政,無駄使い,膨大な借金,行政の肥大,に反省もない派閥のボス,オールドファッションの政治家は退場し,新進気鋭の中堅・若手の台頭,政界再編を期待したいものである.CHANGE は CHANCE なのである.

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2008.07.13

144 たばこ増税論戯

また又,たばこ増税論が出始めた.たばこの持つ常習性,嗜好性,喫煙人口の多さから,いつも増税のターゲットになってきた(現在税率60%,約2.2兆).たばこ増税は反論しづらく,取り易く,しかも景気に関係なく安定的な財源だからである.

たばこは国営事業でスタートし,戦費の確保等,国家の資金確保に,いつも登場してきた貴重な商品である.先般,社会福祉財源の確保の為の消費税増税を選挙前に避ける為に,またまた,財源の宝庫,たばこに照準が向けられた.苦しい時のたばこ頼みである.

しかし,今回の大幅な増税論のコンセプトがはっきりしない.私流の整理であるが,次の二つに集約されるのだろうか.

①現在より2倍程度に税収を増やしたい,との考え方(@1000円案)

健康論で,たばこ消費を減少させたいと言いつつ.それによる財源の減少を補ってあまりある価格,税率を設定し,新たな財政需要をも賄いたい.との考え方.

学者,政治家の多くは、3分の1が禁煙者になり,健康被害も減る,それでも税収が増える,こんな結構な話はない,と言う.

しかし,喫煙者減と税収拡大を両立するには,禁煙しない人に巨額の税負担を強いる事になる.毎日一箱(600円の税)吸うと,年間21万円の税負担になる.広く浅くの税制から,税負担の局所化,逆進化,高負担化,不公平化に限りなく向う事になる.

何よりも,高額でも,たばこを買う人はニコチン依存症である.病人に重税を課すようなものである.禁煙人口が減って,健康被害が減る事は良いと思うが,ニコチン依存症の人に負担が集中する事になり,財源もニコチン依存症になる.低所得者に喫煙者が多いとするなら,これも又,大きな問題になる.悪く言えば,麻薬の上がりで国家財政を組む事と変わらない.

当案の賛同者は,たばこなど止めればよい,と言うに違いない.それなら税収増を期待してはならない.結構な話以前に,論理矛盾に気がつかない思考力の方が心配である.

②波風立てずに増税をしたい,との考え方(@500円程度の案)

消費量の減少で税収が減少する事を避けたい,消費減にならない程度に値上げし,税収を増やしたい,との考え方.しかし新財政需要を満たすほどにはならない.

これは,あまり波風を立てずに,じわじわ値上げをする,歴史的手法である.又,①②に対し,海外では,もっと高い,と値上げを後押しする人がいるが,海外の高速道路料金と同じように只にせよとは言わない.片手落ちである.公共料金や税制全体について比較した上で言うなら筋が通る.我田引水のつまみ食いは,世間をミスリードする.

という事になる.さて,たばこ税制を,どのようなコンセプトにして行くのだろうか.聞こえてくるたばこ増税論は,あまりにも短絡的な感じがする.

そこで自分の考えを述べたい.あえて③とする.

③たばこに財源を求める考え方はもう終わりにする(価格は現状,税収減を許容)

①②に共通して言える事は,健康被害の回避から喫煙者が減少して行く中で,たばこ税収の維持・拡大は,禁煙出来ない喫煙者に罰則的重税を強いていく事である.特に,ニコチン依存症者に限りなく負担が向かい,苦しめる事になる.密造・密売・ヤミルート,バラ売り,しけもく,キセル,紙巻たばこ,等が横行するかもしれない.昔,見たような風景が目に浮かぶ.

国家として喫煙者や,ニコチン依存症を減少させるなら文化的・健康的キャンペーン(既に禁煙エリアが飛躍的に拡大中)や代替製品開発,医学的な政策をとるべきである.

酒なども,そうであるが,依存症のある消費に税収を求める事は,国家の品位にかかわる事だと思うし,何よりも’消費を減らしたい,でも,もっと財源が欲しい’と矛盾した政策になる.’体に悪いから高額にするけど,やめないでね’と言っているようなものである.

この矛盾からの脱却を考える事が政治の仕事だと思う.たばこが嗜好品と言われていた時代から,健康被害品の時代に移ったのだから.昔のように財源の宝庫と思ってはいけないのである.

しかし,依然として,増税は抑止が狙いと言う人がいる.ならば,体に悪い食品や社会に悪い商品,サービス,すべてに,課税するなら筋が通る.現実は抑止の目的で課税をするのは輸入関税くらいだと思う.しかしこれも減少傾向にある.

一般に,商品やサービスに抑止目的で課税する理屈は,対象が限定するだけに,成り立ちにくい.せいぜい抑止目的が成立するのは税収を期待しない場合である.'抑止できて税収が上がる’と言う税制は必ず論理矛盾にぶち当たるのである.

以上,たばこ財源からの脱却が正しい方向である.たばこ税はニコチン対策にまわし,限りなく,たばこ消費を減らす方向に使うべきである.その結果,たばこ税収がなくなっても,その時は,それ以上の医療費削減が可能になっているかもしれない.(たばこの健康被害説が正しければ)

たばこ増税論者の皆さん,どうでしょうか.

・それでも背に腹は変えられないと,理屈抜きで増税に走りますか.
・いつまで増税による,税収確保,税収増を続けるつもりですか,
・ますます,国家財政がニコチン依存症になりますよ,
・或いは,消費抑制の為,健康の為,といい切れますか,目的税でよいですか,

・いっその事,健康にあまり害はない嗜好品だとして増税をして行きますか,

考え方をしっかり持って欲しいものである.

ところで,

今後,税収確保の為に,既存の商品,サービス,取引に重い税金を課す発想だけではなく,寄付を含んだ取引きを普及させる事が必要だと思う.例えば,この商品売上の2%は地元の病院に寄付しますと言った売り方である.

財政がひっ迫した分野を明らかにし,これに企業,消費者が協力する文化である.消費者もチャリティ意識が芽生えてくる.米国ではチャリティ販売が多いと聞く.日本も税に走る前に,こんな寄付・チャリティ文化が根付いて欲しいと思う.

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2008.07.01

142 パスポート発行手数料

平成19年(昨年)のパスポート発行枚数は一般旅券で420万件(10年267万,5年154万)だという.例年,これくらいが発行されているようである.発行手数料は県の政令で2000円,旅券法で10年は14000円,5年は9000円,12歳未満は4000円と定められている.従って10年間有効のパスポートは16000円となる.家族でパスポートを作る事も多いと思うが結構な費用になる.そして,年間,約500億円ほどの手数料を国民は支払っているのである.

自分の身分証明書を作るのに,いかにも高い感じがする.パスポートを作る費用は県の手数料2000円程度が妥当だと思うが,旅券法の手数料とは何の費用なのだろうか.利権化したパスポートの作成費用なのか,外務省の自主財源なのか.旅券法には金額設定だけで手数料の説明がない.

手数料の定義が条文にないのは,作成代金とするには高額であり,さりとて,外務省の自主財源だとすると,手数料という言葉が使えなくなり,税金になってしまう.税金とすると,公金の重みが増し,ややこしく,国民の理解も難しくなる.そこで何も説明せずに,手数料を装って,自由財源にしているのではないか,この状態は,常識的な手数料の意味からすると,目的外使用になる.国民をだましている事になる.

もし,外務省の入出国チェックシステム費用,旅行者へのサポート費用(大使館や領事館の費用)と言うなら,人生に一回しか海外に行かない人も,頻繁に海外に出かける人も同じ手数料はおかしくなる.

パスポートの有効期間(5年,10年)によって手数料が違うのも意味不明である.パスポートの作成費用が変わるわけがない.いや,10年用は丈夫に作ってあるのだろうか.ちなみに県の手数料はいずれも2000円である.

別の問題もある.手数料金額と同じ額の2000円と14000円の収入印紙を貼る事になっているが,これでは収入印紙税になり,旅券法の手数料ではない事になる.

さらに,印紙税とするなら,印紙税法でパスポート申請書を課税文書にし,税額を設定する必要がある.

あくまでも手数料だとして,現金の変わりに収入印紙を使っているとしても,印紙税から手数料に振り替える必要である.これを可能にする法律はあるのだろうか.あるいは印紙税の中から外務省予算に組み入れているのだろうか.ますます手数料の定義が曖昧になる.

いずれにせよ,旅券法の手数料が何の費用なのか,実際,何に使かわれているのか明らかにする必要がある.その上で,旅券法の手数料の条項の見直しも必要である.ましてや,パスポートが珍しい時代の制度のままなら,なおさらである.こんな状態で,多分,旅券法の手数料の意味を説明できる役人は,いないのではないか.

各国のパスポート発行手数料の意味,金額はどうなっているのだろうか.パスポートを作る費用か,行政の費用を賄う税金か,あるいは,これだけ金を積めば海外旅行を許可する(通行手形を出してやる)と言う,お上意識の許可料か.

詳しい知識のないままに素朴に述べたが,ガソリンの暫定税率のように,旧態以前の制度のまま,濡れ手に粟の財源を長期に,静かに,しっかり確保し,利権化している,監視から漏れている税や手数料は他にないだろうか.

テーマからそれるが,

所得税,住民税,社会保険料(医療・介護・年金・失業など),消費税,以外に手数料,物品税資産税,関税,印紙税,相続税など,どれくらいになるのだろうか.物品税でいえば,たばこ税2兆,酒税1.5兆,ガソリン税(道路特定財源)5.6兆など大物の物品税がある.

標準世帯の年間の公費負担(所得税,住民税,資産税,社会保険料,消費税,物品税,関税,手数料,等など)は所得の50%を超えるのではないか.愛煙家,愛酒家,毎日車を使う人,などは確実に高額負担者である.

文明文化の発展,国民の高齢化によって,公費負担は大きくなるが,多分,有史以来の重税である.さりとて個人の備えの必要性が減るわけでもない.昔なら一揆が起こる.せめて,むしろを掲げるかわりに,国民の厳しいチェックがますます大事になる.国民の盲目的な公費負担は無駄使いの温床になるからである.

ところで,個人的にはパスポートが切れたので,人生最後のパスポート申請になる.手数料の意味が不明のまま,16000円にするか11000円にするか思案中である.せめて納得してパスポートを受けたいものだ.

結果的に海外に行かなければ,手数料が無駄になってしまうが,突然,海外に行けるようにしておく費用だと,自分に言い聞かせている.

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2008.05.20

140 行財政の集権と分権

統治機構のあり方として地方分権論がよく話題にあがる.しかし,機能分担,税財政,選挙制度,地域間格差調整,など体系的な議論は聞こえてこない.

単に中央集権の権力や無駄はけしからん,自由に使える金を地方に渡せ,と言う,相変わらずの中央官庁と地方行政の金の分取り合戦や利権の綱引き,に終始している感じもする.

その中で,分権派の多くは地域の事情で税金を使いたいとの主張である.国の予算で美術館や図書館を作る金があるなら地方の介護施設や病院あるいは従事者の手当に回したいと言った願である.縦割り行政の弊害に対する分権論である.

一方,国や地方は借金まみれの中で,そんなに分権というなら,自己責任で地方で好きにやってくれ,と中央官庁の開き直りも見え隠れする.従って,安易に分権されたら,地方はやっていけない,と困惑する地方の気配もある.

ここで,冷静に国家統治の仕組みとしての集権と分権の問題を考えるべきである.

明治維新以来,日本の近代化を急ぐ為に,中央集権国家を作り上げた.戦後の復興を加速する為に田中角栄は道路や住宅の公団を作り,中央集権で列島改造,日本経済,国民生活を牽引した.このように,それぞれ明確な考えがあったと思う.

資産バブル崩壊で,日本を支えてきた政治・行政・経済・産業構造の脆弱性,既得権が露呈した.資産バブル崩壊対策で莫大な公共投資(600兆ほど)をするも'失われた10年'となった.結局その後,合理性,効率性を軸に構造改革,不良資産処理,低金利政策を取り,なんとか経済をた立て直したのである.

しかしながら,900兆に膨らんだ借金財政はさらに,少子高齢化,年金・介護・医療対策,自然環境対策,防災対策などで,ますます逼迫度を増しているのである.

そもそも,国家の統治機構は,平和で好景気なら,小さな政府,自主自立,自己責任,自由主義,地方分権,等が起こる.一方,国家の危機,大不況期なら,大きな政府,集団主義,中央集権,混合経済と考えるのが自然である.

現実は,経済復興,高度成長の経験のまま,資産価値がバブル状態になっても,途上国の発展とグローバル化が進んでいても,右肩上がり前提の感覚と制度仕組み,巨大な官業,政官財の護送船団,産業構造,等を温存したまま,資産価値の暴落,巨大な借金残高に直面し,国の根底を揺るがす事になったのである.

結局,破綻するまで,構造改革に着手しなかったのである.まさに,ゆで蛙のたとえ通りの事が政治・行政・産業・企業で起こったのである.

80年代の米国不況期にBPR(ビジネスプロセス・リエンジニアリング)旋風が起こったが日本では,バブル崩壊の90年代初頭,このBPRが叫ばれたが,この着手に10年以上の年月を要したのである.

国家の状況や課題によって,集権と分権,規制と緩和,官と民のバランスを取るべきところであるが,上述のように,,ひとたび取得した権力は,固定化し,保守的な政策が破綻するまで引きずるのである.

そこで,改めて,ゆで蛙にならない為に,’パイの拡大とパイの分配’について,しっかりとした論議と方針作りが必要だと思う.

・財政危機であればこそ,集権が必要ではないか.
・集権の無駄,利権問題は集権の中で解決出来ないのか
・分権で国力は低下しないか
・分権で財政問題が解決に向かうのか

・分権で無駄,不効率がなくなるのか
・地域間で有効性と平等性を調整できるのか
・パイの分配方法は国家の状況によって集権・分権の調整が必要では

など根本的な議論が必要である.

情報システムは国の統治方式と同じ様に,開発と処理の仕方について,集中・分散の議論をする.その時の思考方法は,まず徹底した集中方式を考える.集中が効率的だからである.そこで,集中で説明ができない事が出てきた時,初めて分散を考える.この思考手順によって,全体の開発方式,処理方式を決めるのである.

私見によれば,この思考手順と同じように,パイの拡大と分配について,中央集権の在り方を徹底して詰める必要があると思う.もちろん不要な機構,制度は廃止である.この上で,分権論を議論した方が良いと思う.

実はパイの分配については,集権であっても分権であっても,国全体として,社会福祉・文教財源は平等性を,経済対策や研究開発財源は有効性を,災害対策は想定被害規模でといった予算配分の考え方が必要である.分権で交付金を拡大するにしても,交付金一本ではなく,分野毎に,地域毎に査定し,分野毎の地域間調整が必要だと感じる.

又,経済対策など有効性が他地域と比べて低ければ,交付されない事(地域の切り捨て論)も許容する覚悟が必要である.単純に割り算するような平等主義の無駄を許容するほど財源はないし,経済環境の良い所に人口や社会資本を集積し,国全体の効率・活力・税収を上げなければならないのである.せめて,政令市に人口や社会資本を集積して行く国家100年の計が必要だと思う.

こんな壮大な行政の改革が本当にできるのか,はなはだ悲観的になるが,単なる財源と利権の取り合い,道州制の線引き,が集権・分権の議論ではないのである.

行財政改革は明治維新の廃藩置県に匹敵する改革であるが,高度情報社会にふさわしい行政システムと新たな国家の仕組み作り,都市国家作りを目指したいものである.

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2008.05.15

138 組織論理の危うさ

真実や正論から,明らかに,かけ離れている組織の論理・主張が散見される.

組織,立場の保身や既得権の確保が露骨に働いている場合である.先に組織がありきで,それに都合の良い論理が作られるのである.これが組織の持つ危うさである.政治・行政・企業の組織に付きまとう危うさである.立場によって言う事が変わる人が多いが,これも,わかりやすい危うさである.勿論,真実や正論がそのまま組織の論理になる事もあるが,少ないように思う.

道路問題で言えば,道路建築の必要性から公共事業があるのではなく,公共事業をやりたい組織(土木建築業界,地域経済界,政治家)があって,論理が作られる様なケースである.

財政危機の中で利権や政党支持を得る為に,10年間の財源を確保したいと言う本音を隠して道路計画を作ったなら,きわめて危うい組織の論理である.それが見え隠れする,苦しい国会答弁で国民の反感を招いたが,そうであるならば,この法案を国会に出した,空気を読めない政治家’’危うい組織論理を言う政治家’は責任を取るべきである.

組織の主張として,道路予算を確保したいなら,景気対策で工事が欲しい,土木建築雇用人口を維持したい,選挙対策で必要だ,膨大な官僚組織と出先機関及び天下り機構の維持が必要だ,と率直に言うか(言うわけがないが),真剣に道路の必要性とコストを説得するか,である.前者が本音だとすると,後者はそれを隠す論理となり,当然,付け足しの感じになる.

本音を隠して,公共事業の効果をでっち上げ,正論のごとく主張し予算を確保した事は過去にたびたびあったと思う.900兆の借金の中に多くあると思う,しかし,財政難で,しかも,やるべき事が山積みしている現在,このようなことは,断じて許してはならない.

このような事は,国民の金を嘘を言って奪う詐欺行為.民主主義の空洞化,あるいは,民主主義という市場で政官財がインサイダー取引をするようなものである.これでは国会は私利私欲を正当化する機関になってしまう.

政治において,国家国民の視点で組織の論理がぶつかり合って当然である.その意味で各省庁間で税金の取り合いは健全である.但し,組織の論理の中に組織の利権・保身を隠していたら大問題なのである.

一方,この危うさは世間の常識とかけ離れているかで,見抜ける.例えば,独立行政法人改革で,世間の常識とかけ離れているにもかかわらず真面目にその存在理由を言う法人に,組織論理の危うさを感じ,唖然とする事がある.心底そう思っているのか,組織の論理で,.おかしいと思いつつ.言っているのか心配になる.

又.天下り先の独立法人に,仕送り目的を隠して,適当な仕事をでっち上げて発注する事は,背任,公金横領(空発注もしくは過剰発注)のはずだが,発注の正当性を主張する組織の論理に官僚はむなしさを感じないのだろうか.

経験・能力を生かして,転出先で仕事をするのであれば,最後まで出向扱いにすべきである.渡りで厚遇と何回も退職金を貰う,うまみはなくなるが

さらに言えば,先の戦争で.勝てると主張した軍部という組織の論理より,勝てるはずがないと言う,田舎で農作業をしている老婆の感覚が正しかった.これなどは,最悪の組織の論理の危うさである.

このように,政党,政治家,役人,外郭団体,あるいは企業の存在価値は’組織の論理の危うさ’の濃度で判断できる.

坂道を上から見れば下り坂,下から見れば上り坂,地球規模で見れば平坦である.立場によって主張があってもよい.政治問題で言えば,国家の繁栄に向かって,国民の立場,業界や企業の立場,税財政の立場,人道的立場,あるいは効率性の立場,などで諸説があってもよい.

ただ立場を隠れ蓑にして,組織の利権・保身の立場で作られる危うい論理は排除しなければならない.大幅増税論が出始めたが,その中に危うい組織の論理が紛れ込んでいないだろうか.その濃度をウオッチしたい.

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2008.05.05

137 後期高齢(75歳)の意味

後期高齢者(75歳以上の高齢者)医療制度がもめている.発案の原点は財政赤字対策である.もっと源流をたどれば,900兆の借金の重さがある(年25兆の償還).借金を増やせない中で,国家としては,国民に流れた900兆の資産をいかに取り戻すかが財政赤字対策の根幹である.

日本の経済は900兆の借金の上で成り立っている上げ底経済である.投資の効果で返金するなら健全であるが,効果の出ていない無駄な公共事業の借金返済は国民経済を疲弊させていく.900兆の内,これがどれくらいあるのかが,真の財政問題なのである.

さて,この構造の中で,'なぜ75歳か’について,誰も指摘していない理由(私見)を述べたい.

年金の給付は75歳で累計払込保険料と累計給付額がほぼ一致する.75歳以降は年金資産は持ち出しになる.又,定年退職者の組合健康保険加入者は75歳までには国民健康保険に移管される.本人に先駆けて75歳以上の扶養家族は組合健康保険から脱会することになる.この様に75歳は制度的に国家負担が大きくなる切れ目の年代なのである.

医療費が増える理由で75歳の設定は弱い.上記の様に既存の制度から75歳が設定されていると思う.900兆の借金,高齢化を前提にしていない現制度の限界を少しでも埋める為に,現制度をいじらずに,後期高齢者を切り出し,新たな財源にしたのである.医療保険の危機対策で生まれた介護保険も同じ手法である.

抜本的議論に結論が出ないまま,75歳以上の扶養家族から保険料を取ろう,年金から取ろう,(年金財源の一部を医療財源に流用しよう)と単純に発想した感じである.

元来,医療財源問題は少子高齢化が進む中で,900兆借金問題,経済成長問題,年金・介護問題,安全保障問題,災害対策問題,などと関係した問題である.省庁を超えたグランドデザインなしには方向を打ち出せない問題である.

財源領域を新たに切り出して,現制度の穴埋めをする官僚的視点では済まない問題である.どんな新たな切り出しをしてみても,負担は国民だ゙からである.

そもそも,社会負担が増加すれば社会主義化に向う.社会主義に向かうと個人・法人の自由度や経済活力が疲弊する.ますます年金・医療・介護の財源がなくなる.この’経済活力と負担増’’パイの拡大とパイの分配’をどのように両立させるか,日本が抱えた大きな難問である.財政難の中で,徹底した無駄の排除,活力の向上を目的にした小さな政府論,構造改革論は一つの方向であったが,現在曖昧である.

日本は年金・医療・介護の社会保障問題だけではなく,安全保障問題,憲法改正問題,財政赤字問題,政治・行政問題など,思い切った議論と決断が必要になっていると思う.先送りするほど,問題が肥大化する.選択肢もほとんどなくなる.

何とか’世界から憧れるジパング像’を描きたいものである.魑魅魍魎,権力闘争,利権・地位確保,直面の選挙対策,地元への公共事業誘致に走る政治家が小さく見える.

日本が抱えたいくつかの問題にグランドデザインはおろか泥縄の対応すらも的確に出来ないとすると,すでに,国民・政治家の意識,能力を超えた問題になっているのかもしれない.

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2008.04.21

136 天引文化を考える

給料から所得税,住民税,厚生年金,失業保険,健康保険,などが天引きで徴収される.集める方からすると,コストをかけずに(企業がコストを負担)取りっぱずれがない,支払う個人の方も,手間いらずで,何もせずに済む.

この源泉徴収制度は世界に冠たる仕組みである.この源泉徴収精神・便利さは,年金にも及ぶ.税金,後期高齢者保険,介護保険の天引きである.

結構づくめの源泉徴収制度に死角はないだろうか.いくつか考えてみた.

・個人は制度の中身に疎くなって行く(ブラックボックス化)
・総額で高い・低いとの評価しかできなくなる
・政治・行政への丸投げ意識が強くなる
・制度の複雑化に抵抗感がなくなって行く
・徴収項目が増えるほど複雑になるほど利便性が増す

・制度に詳しい人が限られてくる
・支払者は税や社会保険の使われ方に甘くなる
・政治家・役人は自由に公金を使いやすくなる
・住民税の会社への通知で確定申告内容(個人情報)が伝わる
・税・保険料の支払が一方的に優先される
・徴収機関としての企業の位置づけが企業負担を強いる
・起業を阻害し,倒産で複雑になる

確定申告をしている人から見れば,サラリーマンは社会人として自律していないと見える.無党派も多い.この源泉徴収制度,天引き文化が原因かもしれない.

源泉徴収を廃止したら,手間が大変だ,取りっぱぐれが多発する,と,まず反論が起こる.しかし上記の逆が起こると思う.制度は単純化に向かい,何よりも社会・制度への参加意識は高まり,税や社会保険料の使われ方がシビアになり,政治意識も大きく変わると思う,国民が目覚める事を嫌う役人,政治家には,いやな事だと思うが.

確か欧米では,源泉徴収の考え方がないと聞く.収入を得る事と収入の中から,税や社会保険料を払う事は別次元だと考えるからである.会計原則から見ても相殺は許されていない.税金は個人が直接払う事を前提にシステムが出来ている.従って社会への参画意識も高くなり,制度も単純になっていると思われる.

現在の日本の源泉徴収・天引き文化が制度・システムの単純化を阻害している感じもする.特に公平性や巧みな課税で制度が複雑になり,国民が理解できない制度になっても,天引きするから問題なし,となっていないか.

これでは,ますます官僚国家の色彩を強めながら,結局,官僚すら制度やシステムがわからなくなり,政策も作れなくなる.複雑な制度が自滅に繋がる危険性を秘めているのである.

そこで,源泉徴収するにしても,まず,源泉徴収・天引き文化を前提にしない制度設計を行うべきである.当然,制度や運営の単純化が必須になる.そこで,公平性追及と複雑化との葛藤が起こるが,例外的な不公平への処置が残っても,本筋は単純化の方向に向かうべきだと思う.

その上で,個人の支払い方法の多様化に対応すべきなのである.お上文化と連動している感じの天引き文化から脱しなければ,民主国家はできないと思うのである.源泉徴収,天引文化に紛れ込んで複雑な制度が作られたり,国民の理解を遠ざける事であってはならないと思う.

繰り返すが,社会コストを国民から召し上げる律令国家の考え方ではなく,国民が社会に参加する民主国家の考え方に変えていくべきだと思う.利便性を理由に国民を盲目にし,金を巻き上げる文化・制度はなくしていかねばならない.民主主義の上に利便性が存在する事を忘れてはならない.欧米の考え方に学ぶべき事は多い.

’制度の簡素化’と’国民の参加意識の向上’さらには'民主政治の推進’その上で’徴収の簡素化’は,これからの日本にとって極めて重要なテーマだと思う.

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2008.03.19

133 道路の一般財源化とは

’道路目的税の一般財源化’の議論が高まっているが,私の理解によれば,一般財源化の意味が三つある.

①目的税のまま一般会計に移す.(特別会計の廃止,財務省への移管)
②一般税にし,一般会計の中で道路計画の財源を確保する.
③一般税にし,道路以外の財源にする.(道路計画の白紙化)

現行制度では’道路財源が余ったら一般財源にまわす’となっている(特例法).そこで,道路以外の事業に,使えると,誤解している人が多い.一般財源にまわす,とは一般財源の道路に回すという意味である.目的税で課税している以上,一般会計にまわしても道路以外に使えないのである.一般会計に回した分,一般会計の道路予算を減額すれば,道路予算総額は減少するが,その保障はない.これで,阿倍政権の一般財源化政策が骨抜きになったのである.あるいは,道路財源を確保しないと借金返済ができなくなる切羽詰まった事情があるのかもしれない.

この経緯を踏まえると,一般財源化とは素直に③を意味していないのである.この魑魅魍魎がうごめく中にあって,一般財源化の論議や各党の主張をチェックする必要がある.

自民党は目的税・特別会計による積極的道路政策,地域経済支援,選挙対策が本心である.従って①②で世論をかわしたいと思っている.一方③の意見も少数意見だが,党内にあるようである.民主は道路の無駄を追求して来た経緯から③である.

マスコミも一般財源化の意味をわきまえて報道して欲しいのである.単純に一般財源化賛成,反対では本質的な議論にならない.政治家や官僚の巧みな抜け道を見逃してしまう

国民の怒りは,目的税であろうと,なかろうと.税の使われ方が,あまりにも放置されてきた.天下り先の独立法人への仕送り,拡大解釈による関連事業の拡大,地域経済・集票を目的とした金のばらまき,数倍に膨れ上がる道路予算,職員の異常な処遇・福利厚生,事務費の拡大解釈,など,どんぶり予算,目的外使用,無駄な使用がいつも問題になっている事である.

そこで私見を述べたい.

900兆円の借金の中に,どれくらい無駄の借金があるのだろうか.当ブログでたびたび発言しているが,日本の民主主義,代議政治が’放置国家’を許容してきた事は事実である.

税制の議論の前に無駄な使われ方を防止する仕組みがなければ,利権者が金の巻き上げ方を議論しているに等しいのである.これでは納税が搾取になってしまう.国家の信頼性がなくなってしまう.税金の無駄使い(公金の食い逃げ事業)防止の仕組みが出来なければ,税金を預けられないし,税金を小さくするしかないのである.

そこで,まず,税制議論の前に,税金を有効に,無駄なく使う精神・制度を強く求めたい.これが政治,行政の民主主義の根本のはずである.

この上で,本質的な問題は膨大な借金,社会福祉財源の枯渇,の中で,道路政策をどうするかである.従って,③の意味で,一般財源化すべきである.当然,10年間の道路計画は白紙に戻す.そして,総選挙で改めて,道路政策,社会福祉政策,温暖化対策などと,税制を国民に問えばよい.

ところで歳出の配分はもはや,各道路計画間の競争ではない.物件ごとに社会福祉や文教等との競争になる.歳出の分権が進むほどシビアになる.道路目的税の廃止はこれを促すことを意味している.

70年代,80年代,正論であった列島改造論や工事のばらまきが地方票につながる時代ではない,残念ながら,それを許容する財源もない.借金もできない(GDP500兆の1.6倍の800兆の残高は世界最高,返済は毎年30兆,ただし債権者が国内,各国の残高はGDP以下),これで政治家を続けてきた人,政党は静かに退場を願いたい.これからやるべき事が山ほどあるのだから.

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2008.03.04

131 自衛隊の行動論議

イージス艦の漁船衝突事件が発生した.なぜ防げなかったのかとか,なぜ救助できなかったのかとか,自衛隊内の連絡が遅いとか,自衛隊内部で保身の口裏合わせをしているのではないかとか,自衛隊内部がたるんでいるとか,避難ごうごうである.

そんな批判や昨今の不祥事を受けて,自衛隊の改革に取り組むと言う.組織人事の改革にとどまらず,有事法制度まで掘り下げた行動基準の議論が進むのだろうか.

自衛隊の車両,船,飛行機などは,単に輸送機器としての側面と軍備としての側面がある.その運行や行使は①一般の法律に従う時②自衛権発動やテロ対策の時(有事の時)③どちらか不明の時,それぞれに行動基準が変わる.有事立法が過去から話題になるが,依然,断片的(海外活動など),あいまいであると認識している.ましてや現実には③の問題が国内でも起こり得る.

今回の事件で言えば,正体不明(自国・他国限らず)のテロリストからの攻撃を受けたとしよう.最先端のイージス艦なら狙われる事は容易に想像できる.ましてや,今回の事件で簡単にイージス艦に衝突される事が立証された.さてこの時,一般と同じ法律で対応するのか,有事の法律で対応するのか.

②③の行動基準を決めずに,自衛隊はけしからん,と非難する政治家が多い事が気がかりである.

暴言を吐けば,交通事故は自衛隊だって起こる.犯罪も起こる.自衛隊も,そんな事で,わざわざ大臣や総理に逐次連絡を入れるとは思ってもいない,のではないか.政治家は,そのことを問題にする以上に,②③の問題を真剣に考えるべきだと思うのだが.その議論の中で交通事故の対応も定義づけられる筈である.

’こんな交通事故への対応のまずさで国を守れるのか’と叫ぶ前に,国を守る方法を示さなければ,行動も決まらなければ,抑止も防衛機能も発揮できない.憲法の解釈論の曖昧さが,そのまま自衛隊の行動の曖昧さにつながっている感じがする.

これでは膨大な防衛省予算(年間5兆円)は無駄だという事になる.1400億かけたイージス艦が事故後仕事をしていなくとも,誰も気にしないのは,防衛予算も同じではないかとさえ思う.

長い間,日米安保条約の下で,憲法や有事法がはっきりしない防衛という保険に,国民は保険料を払い続けてきた感じがする.幸い有事が起こっていないから,この問題が露呈しないが,本来なら,しっかりした保険にすべきなのである.これなら万一に備えた保険料(税金投入)は意味がある.

このように,交通事故で垣間見た自衛隊のあり方の議論より,もっと本質的な防衛行動の法整備の議論が必要だと思う.これをやると,憲法問題で大議論になったり,きな臭くなり,やっぱり思考停止状態になるのだろうか.

交通事故程度の対応策(海上保安庁との役割問題とか,情報開示の問題とか,連絡方法とか,事故防止策とか)が身の丈の議論だとすると,自衛隊など持つ資格がないのかも知れない.保険料も高すぎる.

いや,有事の行動を曖昧にしておいた方が,中身のない保険になってしまうが,有事がエスカレート(有事の拡大)しなくて済むかもしれない,などと高度な,自虐的な,発想が頭をよぎる.(そんな国はないと思うが)

こんな状態では,ひたすら有事が起こらない事を只々願うだけである.起こったとしても,交通事故程度であって欲しい.

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2008.02.10

127 米大統領選挙制度

現在,アメリカでは大統領予備選挙がヒートしている.米国内の選挙ではあるが,世界に与える影響が大きいことから,人物,政策は世界から注目されている.一方,私も含めて,意外と選挙制度がよくわからないと言う人は多い.今回,調べてみても,素朴な疑問に答えてくれる資料がないように思う.そこで,自分なりに理解した内容を簡潔に整理してみた.

大統領選挙は各党の立候補者を決める予備選挙と各党の立候補者の中から大統領を選ぶ本選挙がある.制度の理解がしずらい点は次の3点だと思う.

①類似している予備選挙と本選挙の制度が混同されやすい事
②州の独立性から,制度の上では間接選挙制度をとっている事
③日本の様に住民台帳から選挙人名簿を作る律令国家ではない事

予備選挙は党の統一立候補者を決める仕組みである.最終的には党大会で決まる.全国区選挙のように,州の頭越しで,直接選ぶ形をとっていない.本選挙と同じ様に,投票によって州毎に代議員(DELEGATES)を選び,党大会で代議員が統一候補者を選出(候補者指名)する形をとっている.州の独立性,連邦国家の精神を取り入れているのである.

ところで,代議員は,州の勝者陣営の人,州党集会で選出された人,党の幹部(現職議員など)で構成されている.従って支持候補を拘束されていない代議員がいることになる.この非拘束代議員は選挙結果が接戦の時,キャッシングボードを握る.どちらが他党の候補者に勝てるか,などの判断が働くのである.

設定されている州毎の代議員の数(拘束,非拘束)は政党によって違うようである(未調査).選挙結果にもとづいて,州毎に,この設定人数を得票数で比例配分するか,第一位が総取りするかも,党によって違う.

この代議員は候補者の熱狂的な支持者だと思うが,州で勝って,党大会に出席する栄誉を得る為に,代議員になる戦い(選挙,集会)がある.予備選を盛り上げるもう一つの行事である.

予備選挙は長期間(5か月)かけて全米で行われるが,国民の意識,候補者の考え,候補者の淘汰などを促しながら,勢力の支流を大河のうねりに変えて行く,候補者の風格をつけて行く期間であると言える.

又,全州同時に選挙が行なわれるわけではないので,後半行われる州は,態勢に影響がなくなったり,逆にキャッシングボードを握ることもある.有権者も,これまでの選挙結果の影響を受ける.従って候補者の選挙戦略は極めて大事になる.全州の選挙スケジュールは歴史的に決定しており,最後まで盛り上がるように設定している(大票田の州をちりばめている)感じである.

選挙後,7月,8月に開催される各政党の党大会で統一候補者が決定され(候補者指名),11月の本選挙に向けて,政党間の選挙戦が展開されるのである.

ところで,米国の有権者とは18歳以上で自己登録した人である(条件はあるが).又,事前に支持政党を登録する事(党員登録)もできる(しなければ無党派).20歳で自動的に有権者になる日本とはまったく違う.

自己登録された有権者の情報は州の選挙管理部門で管理されているが,あくまでも申請主義である.日本は自治体の住民情報から選挙のつど,選挙権保有者を抜き出し(大変な仕事であるが),有権者に投票案内が送付される.

各党の予備選挙の参加者を自党員に限定するか,他党員や無党派も許すかは州によって違う.もちろん,有権者の投票は一回だけである.予備選の投票率は20%程度(算出方法は未調査,全有権者の各政党への投票者数の比率か,党員数と投票者数の比率か)と言われているが,党内の選挙であり,本選挙と比べれば窮めて少ないのは当然である.ちなみに,2004年の本選挙の方は有権者約2億人,投票率51%であった.

本選挙(一般選挙)も形の上では選挙人(ELECTORS)を選ぶ間接選挙である.各政党は州ごとに設定された選挙人分(上下院議員数)の選挙人名簿を作る.各州の有権者は立候補者,政党ではなく名簿を選ぶ形をとる.選挙は全州同時(11月第一月曜日の翌日)に行われる.州ごとに選挙日が設定されている予備選とは違う.

そして,名簿が選ばれる事によって,勝者は州の選挙人をすべて獲得することになる(総取り方式).選挙区ごとに選ぶ州もあるが,州の独立性の観点から,州の意見を一本化する総取り方式が一般的である.法的には代議員が支持候補者を拘束されているわけではないので,12月,選挙人による大統領選出が行われる.しかし翻意する選挙人は過去にはなく,本選挙の結果で大統領が事実上決定し,1月20日就任することになる.

このように,予備選挙でもそうであったが,本選挙は州の独立性,連邦国家の精神から,州の頭越しで国民が直接大統領を選ぶ形はとらず,勝利した州の選挙人の数を合計して,競うのである.当然,選挙人数の設定が大きい州の勝利は優勢になり,選挙戦略の腕が問われるのである.

ちなみに,本選挙の選挙人は現在,538人を51州に割り当てられている.大きい順はカリフォルニア55人,テキサス34人,ニューヨーク31人,フロリダ27人,イリノイ21人,オハイオ20人,など,最小は3人で7州ある.2大政党なので,270人選挙人を確保すれば大統領になれることになる.

そもそも連邦国家である米国の各州の政治は,住民に判断を仰ぐ事が多いと言う.大統領選挙もこれと同じ様に,州としての大統領を誰にするかを住民に仰ぐ形をとるのである.

多分,大統領制をとる国の制度の中で,最も複雑な仕組みかもしれない.しかし,選挙の意識は高い国である.党員も広く国民に広がっている.選挙資金も個人献金で賄われる.この中に大統領選挙制度があるように思う.

以上が米国大統領選挙制度のあらましであるが,法制度と党の制度の範囲,代議員・選挙人メンバーの選び方,予備選挙時の拘束代議員の役割,得票数が同じときの処置,投票率や得票率が低いときの処置,選挙運動のルール,選挙資金や献金のルール,選挙違反の実態,など詳細は調べていない.ただインターネットやテレビ,マスメデア,出版物の使い方は日本では大きな課題であり,先行する米国のやり方を知る必要があるように思う.将来のデジタルデモクラシー(ITを屈指した政治・行政・投票等の仕組み)の姿を描く為にも.

ところで,現時点で民主党の予備選挙が接戦で,マスコミをにぎわしているが,静かに見える共和党との論戦(本選挙)が真の戦いである.政策色が際立ってくると思う.これに注力して行きたい.

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2008.01.23

126 ガソリン暫定税率論議

30数年続いているガソリンの暫定税率(道路目的税の上乗せ部分,2.5兆)を継続すべきか,廃止すべきか,期限直前,原油高騰,財政逼迫,の土壇場の時期に議論がヒートアップしている.

争点は
①暫定税含めて道路目的税を10年間継続(道路計画にリンク)
②暫定
税は廃止,本則目的税は一般税化

①②とも必要な道路は作るとしているが,さてどちらの案が国民から支持を得られるのだろうか.自分なりに考えを整理してみた.

この争点を掘り下げると

①はこれからも道路整備の要請は強い,全国の幹線道路も完成していない,財政逼迫の中で,他の事業に影響を与えず,財源を確保したい.との主張.かつて,道路目的税の一般財源化に反対した主張と同じ.又,既に2008年度予算案に折込済みであり,廃止は財政の大混乱を招く.と主張.

②はガソリン高騰,経済対策としてガソリン価格を値下げすべきだ.経済効果も期待できる.そもそも,道路だけ特別に財源確保する情勢にない.道路目的税(ガソリン本則税)も一般財源化し,他の事業と必要度,優先度の比較検討をすべきだ.その為に,縦割りの補助金行政をやめ,交付税中心の地方財政に移行すべきだ(地方分権論).との主張が根底にある.政治・行政改革の大儀もある.

この論争はどう見ても,ガソリン値下げ案,一般財源化案が勝つに違いない.経済の波及効果も,道路開発よりガソリン値下げの方が大きいと思われるし,何よりも道路以外の事業に税金をまわして欲しいと思うからである.又,国民意識の根底に,過去の道路建設のばらまき,利権,談合,政治献金,選挙,いわゆる政・官・財癒着構造への嫌気がある.

全国の地方自治は暫定税率の継続を強く要望しているようだが,国のあり方の論議ではなく,自分のところに予算が欲しいだけの要望のように聞こえる.

そこで,あらためて,双方案の違和感を整理すると次の通りである.

①は過去の道路行政の多くの問題を引きずったまま,次のような違和感がある.

・国家財政の逼迫の中で道路を特別視する理由が見当たらない
・10年間で60兆の財源を道路で確保する必然性が疑問である
・道路目的税の一部の一般財源化といっても道路でしか使えない

地域経済の活性化に今後も道路が有効であるか不明である
・道路建設と他の事業との優先度を比較していない
・目的税の負担と受益(車と道路)の関係が経済復興時と違う

・過去の工事のばらまき,利権・票の復活
も感じられる
・道路特会が官僚の天下り,無駄な独立行政法人の温床か
・ガソリン需要の抑制を言うなら道路建設財源とは無関係
財源をみすみす手放す事はないとの感覚がないか
・地方の道路要請は国費が前提だからか
・道路の効果より工事の効果(金,雇用),公共事業経済を優先か


どうやら構造改革で票を失った参院戦の挽回の為,60兆円ワシづかみして,選挙に勝とうと言う色彩が強い(道路族のドンが選対委員長に就任した事でも自明)
.

小泉政権で一般財源化の方針を出し,安部政権で,道路予算が余ったら一般財源にまわす,と後退し,福田政権では暫定税を含めて道路目的税を10年間継続して道路行政を維持しようと,180度以上の変貌ぶりである.

また,道路目的税というなら,医療目的税,年金目的税,介護目的税,防衛目的税,教育目的税 などなども許容する論理となるが,税制そのものの議論が必要である.いずれにせよ,道路の財源確保の主張の前に道路案件毎の必要性,優先度を国民に説明する必要があると思う.

②の主張は議論の中では正論と言えるが,
・減税をするが道路も作る,では,絵空事,ポピュリズムになる
・減税をするが道路も縮小する,と言った方が論理的である
・原油が下がると税廃止の効果が低減する可能性もある
・ガソリン値下げ効果を①案と比較して主張する必要がある
・廃止時の混乱防止策(流通,店頭,国家予算)が必要である
・詰が甘い分,何でも反対,政争の具,に見える
(かって小泉政権の一般財源化案に反対した経緯もある)

’改革とはやめる事’との認識で改革を断行する覚悟が必要である.当面の選挙に勝つ為の主張であってはならない.

結局,双方の議論の本質は財政難の中で’今後も道路を作る’か’今後は道路をあまり作らない’か,に集約される.選挙を意識して,この議論を双方とも避けている感じがする.是非,この観点は徹底論議して欲しいと思う.

私見によれば,暫定税率の廃止でガソリン価格を引き下げて,経済効果を狙うべきだと思う.道路整備は残りの道路目的税(ガソリン本則税)で計画を作り直すべきである.

一方,暫定税率を継続するにしても,物品税に変えて,道路以外の事業(社会保障,介護士待遇改善,災害対策,教育投資,新技術開発,借金返済など)にまわして欲しいのである.いっその事,今回の論議に,次の案も加えたい.

③ガソリン税(暫定部・本則部)を目的税から一般税に変更

現在の国家財政を思えば,10年間で60兆をかけて,道路を作り続ける余裕などないし,もっと優先度の高い事業が多くある.道路を作ったとしても,新たな希望は湧いてこない.’新たな道路建設は10年間凍結’とした思考実験の方が,明るい希望が見えてくる感じがする.納税者も納得すると思う.

選挙基盤にしがみつく道路族議員,工事が欲しい自治体・地元建設業界,が高笑いするシーンだけは見たくない.そんなシーンは高度成長期で終わっている.

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2007.12.30

125 混迷が続く08年

06年末,当ブログで07年は’分水嶺07年’(73番)と題して,改革を続けながら’もやっとした国’から’すっきりした国’に向けた分水嶺になると期待した.

経済の活力を持続しながら,憲法を頂点とする司法,行政,立法の改革,財政の健全化,少子高齢社会への制度改革などに道筋をつける大事な年だと認識していたのである.

結果は期待に反して,07年は散々であった.’すっきり’どころか,ますます’もやっと’の度を深めた感がする.多くの累積した難問(73番参照)に何一つ対策が打たれず,それどころか,さらに難問が積み上がった年であった.

国民の負託を受けた政治家はいったい何をしていたのかと,与野党問わず糾弾したい気持ちである.政策のない政党が政争に明け暮れていただけ,テレビも面白おかしく,政治ネタをワイドショー化していただけではなかったか.行政・政治家の失態だけが露呈した年ではなかったか.

財政問題,社会保障問題,安全保障問題,自然災害問題,国際政治・経済問題,行政改革問題,など国力の下降要因が重くのしかかる.

バブル崩壊以来,経済発展を支えた,日本的社会主義構造の脆弱性が露呈し,失われた10年と言われた漂流期から,遅まきながら起こった合理・競争・自立に向けた構造・規制改革(小さな政府論),憲法改正の機運はどこに行ったのだろうか.景気や政策論議が活性化した矢先だっただけに,07年は’負に向かう分水嶺’になった感じがするのである.

この状態では08年の展望が見えてこない.まず政策立案,政党再編から出直す必要があると思うが,政治家から聞こえてこない.もう手に負えないところに問題が行ってしまったのかもしれない.我が国にとって,こんな夢のない年末は初めてである.世界ランキングを見ても,一位の借金高,凋落する経済力・学力など,不安ではなくて現実なのである.

08年の予算案が発表されたが,財政問題に対する危機感と決意が見えない.総選挙目当ての予算案である.選挙に勝つための政策は民主主義の基本であるが,国民や政治家は夕張市の惨状を他人ごとに思っている感じがする.夕張市の破たんは日本の政治,日本の民主主義の行く末を示唆していると認識すべきである.格差どころか社会保障すら,ままならない事態に向かっていると認識すべきである.

年金問題もそうであるが,国家的大問題に遭遇すると,混乱を防ぐ為に,楽観的な大本営発表を行うものである.そのような事が増えていないか心配である.

当たり前ではあるが,大本営を発表する事や問題をほじくり出して政権を揺さぶる事が政治ではない.問題を解決していく事が政治とするならば,07年に引き続き,08年も光が見えない.

今日本は与野党問わず,必死に対策立案に取り組むべきである.その姿勢で権力選択がされるべきである.難問を最初から政争の具にしたからといって,解決できるとは思えないからである.そんな完全無欠の政党などありえないからである.

08年はせめて’増税なき財政再建’の決意で年金・医療以外の歳出中止,廃止,縮小を追求するくらいの政治が必要だと思う.政治家・役人の保身,公共事業という大儀で国を滅ぼすわけにはいかないのである.

この際,もう一度,民主主義に潜む脆弱性を認識し,これを回避しなければならない.その脆弱性とは

①失政があっても,責任が問われない制度である
②主権在民は未来の主権在民権を狭める制度にもなる
③選挙は
政党・政策が支持された事にする制度である

この脆弱性を排除する為に,政党・政治家は多くの難問に対し,考え,方針を掲げ,国民に問うべきである.策が出来ていなければ,それも言うべきである.あたかも策があるかのごとき装う’政党の偽装’は許されない.どうも日本の政治や行政の無責任性は民主主義の持つ脆弱性に守られている感じがする.

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2007.11.12

124 増税論議の前に

国・地方の借金残高900兆、一方,少子高齢化,社会保障費の増大、安全保障費(軍事、自然災害)の不確実性増大などが国家財政に追い討ちをかける.

そんな中で,消費税増税論議が胎動している.増税が説得しやすい事から、福祉目的税的な言い方もされはじめている.

しかし,’不足するから増税が必要だ’’財政破綻するから増税だ’と言う子供みたいな発想では未来の国民に説明が出来ない.増税論議の前に、やるべき事がある.

900兆の借金の使用内訳の開示
②既に効果がなく借金返済のみ発生している事業の開示
③無駄防止の為の制度改革の策定
福祉予算を優先割り当て,それ以外の事業で増税論議

①②は効果の見返りとして返済し続ける借金(優良債務)と見返りのない借金(不良債務)を明らかにする事が未来の国民に対する責務である.②はどれくらいあるか分からないが、この不良債務(食っただけの借金)こそが財政問題である.

ばら撒いた金を取り戻す事が増税ならば、ばら撒きを受けたところから取り戻して欲しい感情もある.未来の国民に負の遺産を残してはならないのである.

効果の見返りに借金返済するなら、何とか説明できる.従って、借金の額ではなく、借金の中身が重要なのである.この意味で、帳尻あわせの財政再建ではなく、不良債務をなくす財政健全化(借金健全化)こそが大事だと思う.

③は行政改革の継続は勿論であるが、縦割り弊害の防止、特別会計を含む予算のP.D.Cの制度化、個別案件別財源(税収か借金か)の明確化、同時に経費は税収で、見返りのある公共投資は借金での考えが必要である.

④は福祉目的の増税論議は他事業の無駄や既得権を温存した議論になりかねない.福祉予算枠を固定し、他の事業の為の増税論議をする発想が必要である.

経済成長こそ財政を良くし、福祉を豊かにする、福祉に多くの税や借金をつぎ込むと,福祉を続けられない事になる.従って、パイの拡大に使う、と言う考え方は正しいと思うが、金をばらまいても経済成長に繋がらない.制度・仕組みで成長や効率化を考える時代である.

以上、増税論議の大事な前提条件だと思うが.そんな事を言っても実行は難しい、との声が聞こえてきそうである.

ところで、90年から10年間で税収減、低金利もあって、600兆の借金が増えた.バブル崩壊後,日本の構造的脆弱性を改革すべきとの機運もあったが,結局踏み切れず,景気対策・ソフトランデングと称して,金をばら撒いたのである.これを推進した政治家,政党の総括なしで増税論はあり得ないと思う.

さらに言えば,バブル経済の崩壊,少子高齢化,社会保障(年金・医療・介護)問題,経済のグローバル化,途上国の台頭,そして税・財政問題等,どれも偶然起こった問題ではない.10年,20年前から予見できる必然的問題である.国民も政治家も見識者も経済発展の'ゆで蛙'状態であったと思う.ゆで蛙を放置した無責任な,厚顔な,政治家が頭から離れない.

戦争による負の遺産もきわめて大きいが、借金の遺産も何十年と国民を苦しめる.’米百俵の精神’で登場した小泉政権に続く、政治家がいないのだろうか.’明日の事より今日の事’で国民は動くのだろうか.これも民主主義であるが、未来の国民の民主主義を奪う事を忘れてはならない.

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2007.11.06

123 政治混迷の根幹

予想どうり、政治が混迷している.ねじれ国会が原因とよく言われるが、もっと本質的な問題が根底にある.

本質的問題は憲法解釈問題、憲法改正問題、安全保障問題などの国家の基本政策問題である.具体的には自衛隊の国際協力、対米協力の問題である.

ねじれ国会では、この問題が政局に発展する.大連立騒動はその現われである.かといって各政党がこの問題に対する統一的な考えを持っているわけではない.ただ党利党略で対決するだけである.党内でも基本政策の議論がない.議論すると、党が分裂する可能性があるからである.国民も憲法改正の手段を持たない事から,真剣な議論,決断力を迫られていない.

小選挙区制を標榜していながら、’わが党にはいろいろな意見があって、むしろ健全である’と自慢げに言う政治家がいる.頭の中は中選挙区制のままである.全く分かっていない事も混迷を助長させている.

小選挙区,2大政党を標榜するなら

第一に、小選挙区制の政党は国家の基本政策を共有した集団でなければならない(政党政治).でなければ、小選挙区制の選挙は、中身のない政党が権力を握る手段になってしまう.投票した国民は白紙委任した事になってしまう.

第二に、政権交代可能な2大政党とは、少なくとも、国家の基本政策を政党間で共有している必要がある.これがなければ、交代が出来ないし、交代しても国の運営は出来なくなる.憲法を改訂した後でなければ、この第二の条件は成立しないかも知れない.

に取り組まなければならない.

テロ特措法問題は日本の基本政策のリトマス試験紙である.これからも、多くの国際問題が予想される.この基本政策にかかわる混迷から脱却するためには、憲法解釈,政策による政党再編しかない.今回の混迷がこれに発展して行くなら意味があるが、政治家の覚悟が見えない.

いづれにせよ、この憲法問題、安全保障問題は絶対避けて通れない.憲法解釈で、こねくり回しても言葉の遊びになる.(当ブログ112自衛隊の海外活動、で論点を整理)

従って、混迷脱却は政党の国家基本政策をしっかり策定する事が先決である.その上で,政党間で基本政策を争点にすべきである.

国家ビジョン,政策なしに政権をとる事しか頭にない政党では政治の混迷は続く.山ほどある国内政治課題も宙に浮く.

国家の基本政策は生活と無関係だと装う政治家もいるが,グローバル,ボーダーレス時代に国際政治と国内政治は密接に関係し.国家予算にも大きな影響を与える.何よりも日本の閉塞感を克服できないのである.

政党政治が無理なら、中選挙区制の人物中心の人気取り選挙に戻して、魑魅魍魎の政党を作り、多数党による是々非々の国会運営をやるしかない.この方が日本人に向いているかもしれない.小選挙区制、政権可能な2大政党は10年、20年、早いのかもしれない.

どうも,知る権利,報道の自由,言論の自由と言いながら,視聴率至上主義の人気取りに走るテレビと同じような傾向が政治にも色濃くある感じがする.

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2007.10.05

116 政党再編の予感

自民党政治は日本の復興、高度成長を牽引してきた.成長後も肥大化した政官財の社会構造にブレーキをかける事もなく、バブル崩壊が起こった.許容してきた構造、仕組みの冗長性がヘドロのように露呈する事になった.その後、デフレ経済、債権の不良化が長期化し、社会全体が失われた10年と言われるほどに、漂流し続けた.一方、麻薬的に財政出動を繰り返し、この間に、600兆ほどの借金を作って行った.

その後、小泉政権が登場し、「改革なくして成長なし」「小さな政府」「古い自民党をぶっ壊す」を旗印に不良債権処理、構造改革に着手した.国民も熱狂的に、これを支持し、衆議院選挙に大勝した.

小泉政権を引き継いだ安倍政権は、この勢いを得て、憲法問題、安全保障問題、教育問題などの国家理念の再構築と言う長年の根本問題に軸足を移した.同時に、小泉政権での改革抵抗派、守旧派の復権も進めた.結果、改革路線と戦後レジューム脱却路線と言う大きな政治課題を抱える事になる.

この大きなテーマに取り組む一方で、政治資金問題、社会保険庁問題、弱者救済問題、改革による自民党支持層の減少などで、安倍内閣は足元をすくわれ、先の参院戦に大敗した.

この参院戦敗戦によって、1年たらづで安倍政権は退陣し福田政権が誕生した.自民党は一気に小泉政権前の守旧的自民党に戻る事になる.その結果、ねじれ国会の勢力図は、「古手の自民、若手の民主」と言った様相になる.間違いなく、自民にとって「守勢一方」の構図になった.自民の世代交代のチャンスも失った.

古手主体の自民党では、膨大な借金問題、行政の不手際問題、政治資金問題などの張本人であり、その対策は天に唾をする事になり、攻撃のターゲットになりやすい.政策面では、過去のしがらみで思い切った手が打てない.政治家のイメージも一気に古臭くなる.これでは民主の政権担当能力を問う前に、歯切れの悪い守勢が続き、支持率の向上も期待できないと予想される.

こんな情勢の中にあって、次の政権選択の衆院戦に対し、選対委員に自民党守旧派の就任もあり、自民分裂の兆しが出てきたと感じる.支持率が低下すれば一気に古手と若手の分裂に発展する.

同時に、寄せ集め集団の民主党も憲法問題、安保問題で古手と若手の分裂も必至である.

かくて、「守旧派対改革派」「古手対若手」の政党再編が起こると予感する.政界の世代交代も加速する.出来たら、新体制で立候補者を決め、衆院選で国民の審判を受けて欲しいものである.

この乱世を収める新たな政治勢力に期待したいが、国会議員は自分の為ではなく、国の為に、この際、所属政党の明確化を願いたいものである.

魑魅魍魎が横行する政治の世界ではあるが、大きな潮流には逆らえない.この予感が実際起こるかどうか、1年後に、このブログを再読してみたい.

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2007.09.24

113 自民総裁戦結果

本日,次期自民党総裁に福田氏が決まった.派閥への回帰現象が起こり,選挙前に決着が付いていた選挙であった.当ブログで心配した通り,党としての政策論争はほとんどみられなかった.

振り子現象のように、タカ派からハト派,政策型から調整型、意見を言う人から言わない人,に変わっただけである.したがって、政策はこれから話し合いで決めるとの事である.国民は政治家のリーダーシップを求めながら,政策を主張しない政治家に安定感、安心感を感じている所もある.

どうやら日本は,選挙で勝つ為には,何も言わないか,競争相手を誹謗するか,小泉氏のように熱意をこめて自論を言うかのいづれかである.勿論,政治家の好ましいあり方は自明であるが,ベテラン政治家ほど理想・政策を言う人を好まない風潮がある.対案を持っていない,言質を取られない,リスクを避ける,事が理由だろうか.

又,参院戦の結果から,生活視点の政治,格差是正の政治,が口癖のように飛交うが、構造改革が原因だ,財政出動で日本的社会主義に戻るべきだ,とする風潮になっている事も気になる.

本当に構造改革が原因なのだろうか,改革の影なのだろうか,又,巨大な債務を未来に残した政治責任を棚に上げて,あまりにも無責任な主張である.対価のない返済のみを未来に強いている過去の事業(俗に言う食い逃げ事業)とその総額を明らかにした上で,改革批判をして欲しいのである.

残念ながら,日本の財政実態からすれば,富の拡大とシビアな分配が絶対条件である.これなくして,国民の収入も医療・介護・年金・防災も充実しない.日本の金融危機、財政危機に端を発した小泉改革は先ず国の構造をスリムにし,筋肉質な国家にする事に必死であった.’改革なくして成長なし’は,まだまだ道半ばである.

公務員改革、議員数縮少,道州制,地方分権等による税金の効果的使用,など分配の改革は山ほどある.このような根幹の構造改革なくして社会福祉もままならないのである.

国民への口当たりの良い分配政策で選挙に勝つ構造は絶対繰り返してはならない.本筋をとらえた政策を是非,展開して欲しいのである.国民も本質を見誤ってはならない.

しかしながら,こんな重要な時期に,今回の総裁戦で政策の理念・方向は見えなかった.参院戦敗北で自民の政策論が急速に減退したならば政権を担う資格がない.

衆参のねじれ現象ならばこそ政策で戦うべきである.憲法問題,安全保障問題,外交問題,年金・医療・介護問題,行政改革問題,教育問題,地方活性化問題,税制問題など正々堂々と論争して欲しいのである.これなくしてわが国の’もやっと感’はますます大きくなるばかりである.

とにかく政権与党は政策、行政,全てに責任がある.長年の行政のいい加減さも自ら指摘し対策を講じなければならない.ねじれであろうと無かろうと真剣に取り組んで欲しいのである.野党から見ればすきだらけの政権と言わざるを得ない.

10月3日から国会が再開されるが、’検討します、話し合いをします’の連発になりそうである.まだまだ混迷が続く予感がする.

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2007.09.20

112 自衛隊の海外活動

日本の自衛隊の海外活動は、常に憲法解釈で紛糾する.人道支援、後方支援、平和維持活動などを、現憲法に抵触しない、ぎりぎりの解釈で行っている.
勿論、その中途半端な活動ならではの効果やリスクの問題もあるが、国際的活動に少しでも参加しているとのアリバイ作り、付き合いもある.

自衛隊の海外活動について、解釈論ではもう限界であり、海外活動するにしても、しないにしても、憲法改正が必要である.ねじれ国会で一層,解釈論はデッドロックになる.

しかし、残念ながら憲法を改正する手続き法や具体的方法がいつ決まるか分からない.なによりも憲法改正内容や改正に必要な賛成票がいつ取れるか不明である.かくて、世論も政治家も国家の基本政策についての論議が中途半端に終わるのである.

そもそも憲法改正の方法が確定していない日本は民主主義国家と言えるだろうか.これでは国民の政治意識、立論力、実行力、は育たないのである.日本は世界で唯一、’憲法の放置国家'である.

今回のテロ特措法問題を取ってみても、日本の思考力の弱さを露呈しているように感じる.賛否両方の意見とも、憲法がどうだから、他国がどうだから、国連がどうだから、と賛否の理由を言う.そもそも、日本としてやりたいのか、やりたくないのかと自分の意見を言わない.そこで,まず次の4択で主張をはっきりすべきである.

自衛隊の海外での何らかのテロ対策活動について

①やるべきだ、その為にやれる事を検討する
やるべきだが憲法や国際情勢、財政の問題でやるべきではない
③やるべきではないが国連や他国との関係でやらねばならない
④やるべきではない(戦争・紛争への加担になる)

はたして、政治家、国民はどれを言っているのだろうか.主体的意見を持っているのだろうか.マスコミのアンケートも賛成・反対ではなく4択で調査すべきである.このように、先ず、筋道をはっきりする訓練が必要である.

次ぎに、考えを実現するに当たって、法的な検証が必要になる.法律は与えられたものとしてとらえる遵法精神は必要であるが、作るものだと捉える事も,これから求められる.その為に、まず,主体的意見が必要となるのである.

法治国家は'法を守る事’と’法を作る事’で成立する.憲法で言えば時代に合わないと感じても,変えることなく解釈で済まそうとする危うさを卒業しなければならない.見えづらい日本の考えで国際信用は失墜する.

そこで、当面の憲法解釈問題を整理すると次ぎになる.

そもそも現憲法は.国民の二度と戦争はしない誓いと,日本の軍備復活を阻止したい戦勝国の狙い,で制定された.そのコンセプトに対し,

合憲とする解釈は

①自衛(定義は不可能に近いが)の為の軍隊の保有と武力行使
②武力行使をしない自衛隊の海外活動(後方支援,人道支援など)

違憲とする解釈は

①自衛権行使以外の武力行使(境目はきわめて難しいが)
②集団的自衛活動(同盟国の自衛行使と一体化した武力行使)
③国連や他国と一体化した武力行使

である.結局、武力行使をしない自衛隊の海外活動は合憲とする解釈が長年の政府見解である.一方,後方支援は軍事行動と一体(戦争への加担)で違憲であるとする考え方もあり、曖昧さは拭えていない.

現在激論になっているインド洋上の給油活動の憲法解釈について言えば

①他国の軍事行動と一体であっても,武力行使をしないから合憲
②他国の軍事行動と一体であり違憲(集団的自衛にも抵触)
③他国の軍事行動と一体であっても,国連の発議があれば合憲

に別れる.

①は特定国の軍事行動に対しても,多国籍軍の軍事行動に対しても,武器を使用しない支援(後方支援)であれば合憲とする考え方(憲法で未定義)

②他国の軍事行動を支援する行為(後方支援も戦争への加担と認識)はすべて違憲とする考え方.(憲法で未定義)日本の米軍基地提供もこれに該当するとの意見もある.米軍が日本の傘になるだけではなく、米国独自の軍事行動があり得るからである.この意見は何をやっても違憲になってしまう.

③は,そもそも憲法は戦前のような国の発議による他国への侵略を禁止した物であり,国際社会と一体化した軍事行動を禁止しているわけではないとの考え方.(憲法で未定義)
しかし、国連決議と国内法の関係の問題もあるが,結局は国連決議と言っても,国の意思で紛争解決に武力行使をやる事になり(国の発議),憲法に触れると言う論が強い.

同じように、食料支援、輸送支援、機器修理支援、自衛の予防行為、公海の警備活動、等論争はきりがない.又自衛とは何かの定義もきわめて難しく、解釈論の宝庫になる.それほど憲法は曖昧なのである.

さらに、日米間に限って言えば、日米安保条約と集団的自衛の問題もクリアーしていない.

そもそも、憲法制定時、日本の再軍備の可能性について議論があったが、内閣の文民化を条件に、具体的な事に言及しなかった経緯がある.ここに解釈論の余地、言い換えれば、政治判断の余地を残したのである.その結果、自衛隊が誕生したのである.

かくて、国際貢献しようにも憲法が足かせになったり、血を流さない日本が国際社会で通用するのかと言う問題に直面した.この問題解決は曖昧な解釈論を超えており、はっきりした考え方の憲法を持たなければ対応できない事は自明である.一方、解釈論でもめる事自身が抑止になっているとの意見もあるが.

そこで、解釈運用をやめ,すっきした法整備をするなら(憲法改正),基本的に次の選択になるはずである.

①軍備は持つ,その行使は時々の民意・国会で決める
②軍備は持つ,その行使可能条件は法律で定める
③軍備は持たない(自衛権行使も放棄) 

①は一番自由度が多い案、
②は自衛、集団的自衛、国際貢献などを行使可能条件の明文化、③は丸腰案、である.

日米安保条約や他国との安全保障条約、国際的活動はこの憲法にもとづいて行われる事になる.(それでも解釈の余地は残ると思うが)

はたして民意はどれになるだろうか.この国民的合意がなければ日本は漂流するだけである.又、安全保障の政党間の基本合意がなければ,政権交代可能な2大政党はできない.先ず上記3択で国民の意思を確認し、その結果で、条文案を作り,民意を問うたら良い.

しかし、やっぱり日本は決断ができず、憲法改正もせず、

国際紛争に対し、

「戦勝国の作った憲法のおかげで、自衛隊の海外活動は出来ません.憲法改正手続きも,改正内容も定まっていません、いつ憲法改正ができるかわかりません」

あるいは

「日本は米国に守られている国として,憲法が作られています.したがって,日本の自衛軍が海外で活動できる法制度はありません」

と戦後復興に専念してきた時,湾岸戦争の時,と同じように、血を流している国々に経済支援,復興支援と引き換えに,お許しを乞い続けるのか.

さらに,あるいは

「日本は自国の安全の為に,米国の傘の下にいますが,日本としてはあらゆる国際紛争の解決の為の武力行使には賛同しません」

と,あらゆる国際紛争から距離を置く事にするのか,

ただし、日本の外交活動が成り立つ保証はない.日米安保が継続するかも分からない.いずれにせよ、憲法問題は絶対避けて通れない根本問題だと思う.日本国民は意思と覚悟を求められていると思う.識者,政治家の所見も聞きたい.

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2007.09.17

111 自民総裁戦

安倍総理の辞任表明によって、国会が開店休業となり,自民党総裁戦が始まった.総裁戦は,ともすると,人事抗争が前面に出て,党の政策抗争が忘れがちになる.

本来,総裁戦は党の方針を決める意味もあり,立候補者は党の方針の骨格になる憲法問題,外交問題、経済問題、医療・介護・年金問題、社会保障問題、行政改革、財政問題,地方分権問題、教育問題、税制問題などの認識と方向,任期中の重点施策(やる事)に触れなければならない.

国内外ともに,もやっとした閉塞感,多くの重要課題,が重くのしかかっている状態であればこそ政策が重要である.小泉前総理はデフレ危機,不良債権危機,金融危機、財政危機、無駄な構造、外交問題に明確に指針を打ち出した.多くの国民はこれに賛同した.今回、このような姿勢が総裁戦に見えてこない.

党内の政策抗争があって初めて,政策が固まり,他党との戦い,国政選挙に挑む事になる.人事抗争,人柄,だけでは強い党を作れない.小泉総理は例外だったのだろうか.小泉総理前の先祖帰りと言う事になる.

これでは政党の政治理念、ビジョンが曖昧になり、リーダーシップのない,原理原則、政策論争についていけない党になる.中選挙制度の党の体質では小選挙区制に勝てないし,ビジョンの無い政党は国家国民の損失である.

政策が描けず,描かず,選挙に勝つ事しか頭にない政治家・政党を排除して行く必要がある.鋭い政策集団の形成は日本に強くもとめられているからである.

繰り返すが,総裁戦は人気投票でも,人事抗争でもない.党の政策決定の選挙である.現状の総裁戦で,政策で勝負と立候補者,自民党議員は自覚しているのだろうか.短期間であるが政策論争を期待したい.これからの選挙戦、組閣、臨時国会の推移に注力していきたい.

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2007.09.12

109 安倍総理辞任

安倍総理が代表質問のある本日、辞任を発表した.所信表明一日後、論争開始直前の事である.国会軽視の異常なタイミングでの辞任表明である.

阿倍政権は戦後レジュームからの脱却を掲げて,小泉政権で弾き飛ばされた保守派の政治家をも取り込んで,憲法問題を取り上た.

いつか決着しなければならない憲法問題であったが,現実は社会保険庁問題,閣僚の政治資金問題,小泉改革への反感などで,参議院選挙で大敗し,直近のテロ特措法継続も暗礁に乗り上げた.

選挙の責任で辞職するのではなく,外国と約束した法律で辞職したところが安部総理のプライド,あるいは海外への謝罪の姿勢だったのかも知れない.また,自民党内実力者の安部軽視の動きにも,界を感じたのかもしれない.

体調を崩したとは言うものの,日本の根幹に触れる憲法改正手続き問題,憲法改正内容問題,集団的自衛権問題,自衛隊の海外派遣問題,教育問題などが又,政治課題から遠のいた事に虚しさを感じたのではないかと思う.

参院が野党で占められた現在,衆院で民主が政権を取らなければ,又,政党再編が行われなければ,国会のねじれ状態は長く続く.このねじれは,政策毎の政策協議,参院の党の拘束解除,衆院の再決議がなければ,国会が空転する.日本の政治の試練かもしれないが,国際情勢,国内政治が停滞を許さない.

安部総理の辞任劇は安部総理自身の問題というよりは,日本の将来像,日本の政治・政策の課題を政治家・国民に投げかけたと,とらえるべきだと思う.

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2007.08.03

108 参院選挙結果

今回の参院選は民主党が圧勝し参議院の第一党となった.衆議院の自民、参議院の民主となり、二院制運営の新たな局面を迎えた.政策決定や議会運営のあり方、現二院制度のあり方、等が初めて問われる事となる.

このデッドロック状態は、間違いなく政治が停滞し混迷期に入る.駆け引きの横行、真剣勝負の議論、政党分裂、政党再編、等が起こる可能性もある.これも政治構造改革、民主主義の試練、コストなのかも知れない.

自民党惨敗の原因は明らかに自滅である.特に閣僚の失言、事務所費に関する答弁の悪さ、4閣僚の交代、繰り返しテレビに映し出されるアホな顔、総理の応酬能力や稚拙な反論、など内閣の信頼失墜が原因である.これに長年の社保庁問題が火を吹き、決定的となった.年金、健保、失業保険など社会保険庁問題は国家の大問題に発展する可能性もある.

単純な閣僚の事務所費に関して,目的外費用、架空費用が問われているのに、’適法に処理している’は答弁になっていない.不正費用の有無を答えない限り,’不正の費用を適法に処理している’と言っている様なものである.

領収書貼付不要の制度は何でも費用計上できる、費用の中身を説明しなくても良い、と言う制度ではない.答弁を逃げるほど本人は勿論、自民党全体の信用失墜に繋がるのである.そもそも,’不正費用を適法に処理している’政治家は閣僚指名を辞退すべきなのである.

こんな次元の選挙であったが,もう少し深いところの政治の潮流について述べたい.

日本の政治の潮流をなぞると政治課題は次のように捉えられる.

①護送船団方式による経済成長の自民党政治の時代
②バブル崩壊、政治・経済の混迷、不況、巨大な財政赤字の時代
③政治・行政・産業・金融の改革断行、と経済危機脱出の時代
④行財政改革継続、教育改革、少子高齢化・福祉対策の時代
⑤アジア政策、憲法改定と国民の意識改革の時代

③は小泉政権の’失われた10年’(②)の救済内閣として誕生した.
’改革なくして成長なし’’小さな政府’を主張し、日本的社会主義、官僚政治の打破を目指した社会主義的構造・政策にはびこる無駄、不合理性、利権、を解体し、道路公団・郵政の民営化、公共事業への合理性追求と縮小化、ゼロ金利政策、業界再編、公的資金注入、などの金融政策、行政下部組織の統廃合、産業再生政策などを実行した.結果日本の経済・金融危機から脱出したのである.

安倍政権以降は④⑤が待ち構えているが、今回の参院戦は冒頭の自滅に加えて、市場主義、競争原理、経済格差、地域格差などへの批判で敗戦したとの見方もある.反小泉政策、かつての日本的社会主義政策への回帰である.地方の公共事業を増やせとの要求である.’大きな政府’への回帰なのである.そんなことは財政が許さないと思うのだが.

民意が本当にそうなのだろうか.小泉人気は何だったのだろうか、景気が良くなったから元に戻せと言う事なのだろうか.

地域経済問題は経済的合理性が伴わなければ、いくら公共事業をやっても解決しない.工事を通して金をばら撒くだけになる.これでどれだけ財政赤字を作ってきたか、この反省で、小泉改革が打ち出されたのである.

経済的不利な地方は違う価値観、政策が必要だと思う.今後も産業集積が進み、地方分権で益々地域間経済格差は広がる.人口、産業の移動は集積する方からすれば経済発展に寄与するのである.

市場原理、競争、自己責任の社会はけしからん、の発言も目立ち始めた.票が欲しいだけの発言だと思うが、論を待つまでも無く、この行動様式が社会活力のエネルギー源なのである.

社会主義的経済構造,制度は一見良いように見えるが,逆である.歴史が証明しているように腐敗,無駄,利権,不合理の温床になり,国民生活も社会福祉も低下する.何よりも,財政破綻による国力凋落を迎える.かつての日本的社会主義も戦後経済を引き上げたが,その役割りを終えたにもかかわらず、継続し改革を怠った為、膨大の借金、利権、無駄、不合理、官僚政治を生んだのである.

徹底的に儲けてこそ、福祉政策も可能になるのである.日本の財政事情からしても、国民所得の上昇の中で、国民自身が生活や医療・介護をまかなう考えが必要である.その外側でセーフティネットとしての福祉事業が位置付けられるのだと思う.儲けることに異論を唱える人のコンセプトを聞きたいと思う.

そこで、敗戦を踏まえて、自民党、安倍政権は小泉路線(小さな政府の考え方)を継続するのか社会主義的リベラル、保守(大きな政府の考え方)に擦り寄るのか、考え方をはっきり国民に言うべきである.

安倍政権発足以来、改憲勢力を集める為に、小泉抵抗勢力、大きな政府論者を受け入れた.これで安倍政権の考え方が曖昧になった.これも含めて,所信表明をすべきである.

又、安倍総理の憲法問題、外交問題、集団的自衛権、教育問題,など戦後レジームからの脱却が争点にならなかった事は、国家の基本政策は生活と無関係だとする国民の認識程度を表しており、有識者から見れば,愚民選挙と見えたに違いない.日本の骨格にかかわる大きな課題を又,先送した感がある.

2006年末に’2007年分水嶺’のブログを発信した.方向付けの上で、きわめて大事な年になると予見した.混乱はあっても、経済の足だけは引っ張らないで欲しいと思う.景気持続と財政改革が日本の生きる道だからである.

民主党は反対で結束出来ても、賛成の局面で結束できるか問われる.特に安全保障、予算編成,などの基本政策にどのように対峙するか問われる.政権奪取だけの政争が起これば,’失われた10年’を又繰り返す事になる.

今回の選挙の結果,議員は二大政党に向けて真剣に取り組むべきである.国会議員が個人的な思惑・事情で政党に帰属しているようでは政治の邪魔である,天下国家の視点で政党を形成して欲しいのである.

私見によれば、国の基本政策を共有した政権交代可能な二大政党とシンプルな一院制によって国民の政治意識を高め,民意を反映しやすくする仕組みが良いと思うが.

この時、参院は国民の代表による、行政や特別会計のチェック機関、行政の検察機関が良いと思う.会計監査院やNPOでは弱すぎるし、今までの無駄な公共事業の垂れ流しの反省、再発防止として必要だと思う.

とは言うものの,参議院問題はいつも話題になるが,結局、憲法改正の壁が立ちはだかる.そして議論を深める事すら無意味になる.こうやって日本人を思考停止状態にする事が,そもそも憲法を制定した戦勝国の狙いだったのではないか,と思わざるを得ない.

憲法改正の制度も持たない,憲法を変えることが出来ない日本は民主主義国家と言えるだろうか.これでは、国民の政治意識、民主主義、シビリアンコントロール、責任感など育たない.はずである.憲法改正の制度を作り,改正をした時,日本の民主主義が初めて国民の手にゆだねられるのである.

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2007.07.23

107 自然災害

3年前の新潟中越地震、今回の新潟中越沖地震はともに,かつての田中角栄の選挙地盤で発生した.皮肉にも、ここは,角栄政治の列島改造の原点の地である.

中越地震は小千谷地区,数十箇所の山間部の集落を襲った(山古志村など).豪雪地帯であり、多く点在する集落は、病院、消防、学校、役場、郵便など過疎化も含めて,行政サービス・コストの面で課題が多い地区であった.田中角栄は人道的施策として、道路、トンネルを整備し、この集落の課題を解決して行った.

人口に比して、膨大な公共事業に,不公平であるとの批判や、道路を作るより、お金を渡して市街地に引っ越してもらう方が、はるかに合理的だとの意見も多かった.

中越地震はこの道路、トンネル、集落を一瞬にして崩壊し、昔の過疎集落に戻ってしまった.集落ごと移転する意見もあったが、結局、再度の大掛かりな公共事業で復旧する事になる.

山間部に多くの集落が存在している以上、過疎対策公共事業、地震発生時の復旧事業は続く.日本全国各地に類似の課題は多い.

又、7月16日の中越沖地震は柏崎、刈羽地区に被害が集中した.その西山町に田中角栄の実家がある.刈羽原発も角栄の一声で決まった.北陸高速道路も近くを走る.柏崎市は補助金,事業税で財政問題はないが,安全確保への監視は続く.

2回の地震は田中角栄の足跡を思い出させる.田中角栄が生きていたら、角栄政治の強い思い入れがあるだけに、自然の非情さ、残酷さ、不条理,自然の前の無力さを嘆いたに違いない.

阪神淡路大地震を見るまでもなく,社会資本が整備するほど、人口が密集するほど,便利さ、快適さが高まるほど、防災コスト、災害被害、復旧コストが大きくなる.同じ規模の地震でも、地域によって、その被害の大きさは変わる.自然からすれば、そんな事は知った事ではない事だが、人間が抱えた防災対策の大きな命題である.

自然災害に対して,いくつかの対策を述べたい.

①水害は地形,土地の高低,雨量,治水能力によってハザードマップがあり,ダムの貯水状況,放流状況を加えれば水害発生条件は、はっきりしている.したがって、防災には治水、遊水能力を充実させるか,低い土地に住まない事しかない.発生条件、発生場所が事前に分かっているだけに、水害は人災に近い災害である.土地の評価選定に,この事を忘れてはいけない.

そこで,現在の住居地域,宅地造成地域のハザードの確認と覚悟が必要である.地価には,リスクが必ずしも反映していない.3年前の新潟中越大水害(7月発生,地震は10月に発生)でも,宅地造成地に新築した家屋の多くが水害にあった.勿論、購入時,水害リスクなど知らされていない.役所もチェックせず認可している.

②地震はどこでも突然発生する.発生を防げない.意味ある地震予知は不可能だと思う.又、余震の発生確率が発表されるが、1週間に震度4程度の余震発生の確率は30%、と言われてどう判断するのだろうか、20%、60%だったらどうか、余震は発生しない、あるいは、するとの予測以外、確率を聞いても、一見科学的なようだが、被災者はどうしようもない.

やれることは振動の時間差を利用した警報システム,地盤・住宅・建築物の耐震化,地震発生時の迅速な人命救助対策や火災,ガスの対策となる.

③土砂崩れは危険場所は、ある程度はっきりしているが、発生条件は分からない.防止策をとるにしても,日本全国、危険な場所は無数にあり,対策に限界がある.危険な場所を避けるしかない.

④災害発生時の初導動作は,マグニチュードの大きさ,水害の発生条件で自動的に警告や自衛隊,消防等の救命出動を行うべきである.組長が実態を調査してから動く,従来のやり方を変えなければならない.災害発生のたびに,被害調査に奔走する役所の動きが気にかかる.実態が分からないと何もできない行政制度は災害では通用しない.

⑤マスコミ報道の、けが人、死者、半壊、倒壊などの件数ばかりを追っているような報道に違和感を感じる.震度6強の地震なのに、初期の地震報道で、転んで一人がケガをしたとニュースにする神経が分からない.もっと大事な報道があると思う.震度の大きさで、おおよその被害規模が想像でき、それで懸念される事を追って、報道して欲しいのである.震度とはその為にある.

⑥災害発生時,通信網,情報収集,報道が大事になる.行政,マスコミ各社の動きはバラバラな感じがする.ヘリコプターも何台も同じ所に飛び交う.マスコミの設備,要員を行政も活用する体制はとれないものか.

⑦文明の発達とともに、自然災害対策,安全保障対策は重要になる.しかし,この二つの巨大化する安全対策は両立できるほどに、財政的に、時間的に余裕はない.

人間同士の’いさかい’にお金を使う事など、早くやめにして,どの国も,自然保護や自然災害に労力やお金を使う世界にすべきだと思う.人類の幸これに反対する国はないと思う.軍事費から自然対策費へ、軍事技術から自然環境、防災技術へ.自衛軍も軍事行動から災害救助行動へ.又、災害対策や復旧の為の世界基金,集団的自然保護・防災条約など、極東地区で必要ではないか.地球環境や防災意識が低い国があれば,人類にとって脅威となる.自然災害は対岸の火事では済まされないのである.

地球温暖化や自然災害をきっかけに、安全保障の’軍事から自然へのシフト’が起これば,不幸中の最大の幸いである.

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2007.07.14

105 accoutability

日本の民主主義の欠点はaccountabilityの認識や制度が弱い事である.先進国の中では最低だと言う.まさに,やっと始まった国や自治体の財務諸表作り,かつての無駄な公共事業や政治資金問題がこれを象徴している.それに輪をかけて,社保庁問題などは日本の民主主義の程度の低さを決定的にしたのである.恥ずかしくて,先進国の一員などと言っていられないのである。

(accountabilityとは資産の運用を委託された者が委託者に職務遂行の結果を正しく報告する事、会計責任と訳される.又、国民のお金を使う政治家・役人が国民に行う説明責任との意味もある)

日本は明治維新によって、官僚政治が始まった.もっと遡れば、中国の唐の影響を受けながら、律令国家を目指した飛鳥、奈良時代以来の風土かもしれない.欧米のような市民革命を経験していない事も律令国家、官僚国家の風土が色濃く残っている理由かも知れない.このような風土ではaccountabirlityの概念など不要なのである.

こんな風土の中で、税は封建時代の感覚で厳しく徴収される反面、税の使用については、権力者がaccountabilityと言うプレッシャーもなく、使い得になる.税金は為政者のもの、お上感覚が、政治風土の根底に生き残る.

民主主義とは政治の責任が国民にある制度である.その分,政治家や役人の責任が曖昧になる制度でもある.だから民主主義では為政者の説明責任が絶対条件として必要なのである.

実権を官僚が持ち’知らしむベからず’の不文律で国を動かしていれば、選挙も選ばれた代議士も、形だけとなり、主権在民は空洞化する.ならば官僚国家は国民に失政の付けを回す論拠も無いはずである.失政は官僚自ら切腹してもらう事になる.

国や行政に説明責任の義務を課す事が主権在民、間接民主主義の第一歩であり、ここから国の民主主義のあり方や政策がスタートする.日本は民主主義の根本的な所の踏み絵を踏んでいない感じがする.

いっそのこと、税金をなくして、全て任意の寄付行為にするところからやり直す必要があるかもしれない.寄付で行う事業の方が、真剣であり、無駄もなく、accountabilityと言うマナーが守られるからである.米国の病院はほとんど寄付で運営されている事が頭をよぎる.勿論、寄付がなければ、政治が出来ない、単純な理屈が国民にも浸透する.

国民から強制的に金を巻き上げて、自分の金のように使い、報告もしない、無駄使いの付けを国民に回す、そんな国家より、よっぽどクリアーである.

繰り返すが、accountabilityとは言葉の定義にあるように、公金を使う上での義務である.この義務によって、代議制民主主義が成立する.予算が議会を通ったからと言って、公共事業の結果説明や失敗責任が免責になるわけではない.大義に潜む私的魂胆もあるし、政策の間違いもある.勿論、状況の変化もある.説明責任は常に必要なのである.

又、国会の調査権や政治家のチェックやマスコミやNPOがあるから済む問題でもない.国民の責任とする条件としてaccountabilityがある.これによって、国民の政治意識も高まり、国民の監視、責任による真の民主主義が営まれるのである.

バブル崩壊以来17年、湖底のヘドロが露呈するように、政治・行政の問題が噴出した.厳しい財政問題も露呈した.国民の不信もピークである.政治行政改革とともに、accountability制度を至急に確立する必要がある.立法、行政、司法と並列に存在しても良いくらい重要な機能なのである.

そこで、accountabilityの義務を先ず発揮すべき事は、当ブログでも何回か発信しているが、800兆の借金の説明である.

①借金返済に見合う効果が出ている事業の借金額と、
現在効果がなく、借金返済のみ残っている事業の借金額

を明らかにする事がaccountabilityの第一歩である.①は財政問題ではない.将来の国民も納得できる.②が真の財政問題である.この事業の顛末を明らかにする事は将来の国民に対しても不可欠の義務である.②の借金額が不明では税制議論は成り立たない.

次ぎにやるべき事は、上記も含めて、全公共事業の目的、資金調達方法、資金使用実績、返済計画をデータベース化し、返済が終わるまで、毎年、事業の評価をするシステムを作る事である.勿論このデータベースは公開される.これで、大金を使った公共事業が目的と比して、成果を出しているのか、いないのか、が明らかになる.

社会保険庁問題はじめ、国民が知らない、とんでもない事、例えば、郵貯、簡易保険、年金、健保などの資金運用状況と資産残高、財投の回収計画と税金負担・国債発行の関係など心配事が多い.

又、よく税制改革や増税が議論になるが、先ず無駄をなくしてから、と言うのも当然だが、accountabilityの仕組みがあっての議論でなければならない.国民はこの担保がなければ、税制の根幹である政治に対する信頼感も責任感も得られないからである.

この仕組みが担保されていない税制議論は、たとえ国会の場であっても、窃盗団が金の巻き上げ方を議論している事と大差がない事になる.

現在、企業でも、社会的透明性の発揮がきわめて大事になっている.悪い事を保身的に隠す事は、もっと大きな問題に発展する.この事はいくつかの事例で明らかである.

企業でもそうであるように、ましてや、公的機関はそれ以上に、社会的透明性の発揮は義務だと言う事を再認識すべきなのである.税金の使用に関するaccountabilityは代議制民主主義の基本なのである.予算主義(予算を取る事が仕事)の政治・行政の仕組みでは、日本は経済も民主主義も崩壊する.accountabilityの認識、制度、システムがあれば、無駄な公共事業も社会保険庁問題も小さな問題の段階で処置できたのである.

いや、いまさら怖くて、実態など言えない、国民の不安を煽るだけだ、accountabilityなどと言う青臭い事を言っている状況ではない,わかったところで対策など考えられない,もう手遅れだ,知らぬが仏で黙っていよう,ともかく,安全安心の大本営発表で行くところまで行こう,と言うことだろうか.どこかで,あった話のような気がする.

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2007.07.05

104’しょうがない’心理

久間防衛大臣の発言,’原爆投下によって悲惨な目にあったが,これで終戦になったと頭の中の整理で,今はしょうがないなと思っている’が物議をかもし,原爆投下を容認している発言だとして辞任に追い込まれた.

原爆廃絶を願う日本の現職の防衛大臣の発言としては,まさしく、唐突、無防備、被爆者への配慮を欠いた,発言だと思う.

一方,’原爆投下を容認できない’とするなら,日米双方の戦争の大義、米国への糾弾、核の抑止論、核廃絶の取り組み等に対して,見解と行動が求められるが,’しょうがなくはない’見解と行動が見えていない感じもする.

自分自身も下記のような断片の認識・思いを繋いだ全体的の見解は持てていない.日本人の日本人による戦争総括が出来ていない事と同じである.

断片的に順不同に認識を上げてみた.

・日露戦争後、軍国主義が日本全体を覆っていた
・欧米はアジアの植民地政策を進めていた
・欧米人は黄色人種への差別意識があった

・中国人・朝鮮人への差別意識が日本にあった
・日本は中国で列強と伍して侵略を行った
原爆投下,全土空爆は国際法違反の無差別大量殺人である
・原爆投下は実験であり,米国の国威発揮の為だった
・大量破壊兵器(化学、細菌、原爆、など)の研究を各国がしていた
・原爆投下が、その後の世界の軍事政策を変貌させた
・原爆投下でソ連の北海道占領を阻止した
・原爆投下で日本の一億玉砕、徹底抗戦に終止符を打った
・原爆投下に対する世界の批判、日本への同情はあまりなかった
・原爆投下の違法性は東京裁判で不問となった
・敗戦をもっと早く決断すれば原爆投下はなかった

・敗戦によって日本の軍国主義は解体された
・ソ連は多くの日本人をシベリアに抑留し、北方四島も占拠した

・東京裁判で二分論による戦争責任のけじめをつけた
・二分論(指導者と国民の分離)は国民の中では曖昧である
・軍国主義の犠牲者では戦没者は浮かばれないとの感情がある

・米国及び戦勝国の同意によって日本憲法が制定された
・日本の秩序維持は天皇制、行政組織を残した事が幸いした
・講和条約で日本の賠償責任、日本への賠償要求は放棄された
・米国統治によって,日本を南北分裂せずに済んだ
・米国統治は反共の砦として米国にとって重要であった
・米国の豊かさ,自由な文化が敵国感情から憧れに変えた
・米国を嫌いな国民は少ない
・平和憲法、日米安保、米国との連動が日本の復興、繁栄を支えた
・日本は復興・繁栄とともに、謝罪外交、ODA外交を展開した

・極東諸国の反日感情が根強く残っている
・日本の軍国主義、諸外国への侵略に対し自責の念が国民にある
・平和憲法、核廃絶の主張は米国の傘の下では説得力がない
・友好国の米国、原爆投下した米国、の感情整理が出来ていない

このように日本を総括する心理は複雑である.日本人自ら、戦争の総括をしていないと言われる由縁である.しかし、戦争で起こる異常な事、悲惨な事を個々に総括するのではなく、全面降伏、新憲法、戦後の謝罪外交、ODAなどの態度、行動が日本の総括であり、未来志向の中で対応して行くと考える人は多い.

日本では総じて戦争の事にあまり触れたくない心情がある.原爆投下や全土空爆も、この心情に埋もれるのである.これだけ取り出して議論すれば、戦争全体の議論、歴史認識のエンドレスな議論に発展するからである.

したがって,極東における反日感情、原爆を落とした米国に対する感情、米国への憧れ、友好を望む感情、等に歯切れが悪くなる.勿論、明確に反日、反米の日本人はいると思うが.

一方,他国は'軍事国家日本を滅ぼした’との明確な認識である.さらに、日本の戦後の繁栄や米国との友好関係は米国の戦争の大義の正しさを立証している、と思われている.

いづれにせよ、’しょうがない'の感情は戦争に対する、日本人のゆれる見解、原爆を投下した米国との同盟関係が背景にあると思う.もし中国やソ連が原爆投下したら、まったく違った見解になると思う.

大臣の発言としては勿論、久間流認識そのものが大問題とする識者、マスコミが多いが、是非、掘り下げた見解を教えて欲しいと願うのである.

原爆投下を徹底的に糾弾するとはどう言う事か,戦争の評価をどう考えるか、米国の論理に勝てるのか,友好関係をどうするのか,いまだ識者やマスコミからは掘り下げた論評が聞こえてこない.原爆はけしからんと言っているだけでは感情論に留まる.’しょうがない’としない論理と行動が見えてこないのである.

又、この’しょうがない’は精神文化・宗教とも関係があると思う.

’自力’では解決できない絶望的状況に対し,断腸の思いではあるが、’しょうがない'と先ず、現実を受け入れ,寛容になる事で心を落ち着かせる心理がある.其の上で、次の行動が起こせるのである.仏教で言う'他力'の教えと似ている.久間発言の’原爆投下はしょうがない’はこんな仏教的・自虐的・寛容的、精神文化から来ていると思われる.

キリスト教の文化では’しょうがない’の心理はない.神との契約が前提である以上、’しょうがない’と勝手に神の救いを放棄してはならないと考えるからである.NEVER GIVE UP、目には目をである.本心から逃げてはいけないとの、’自力’の徹底をする心理である.'しょうがない’と寛容的にはならないのである.アングロサクソンのDNAである.

日本人は日頃、よく'しょうがない'を口にする.気を落ち着かせる言葉である.自然災害、病気などに対峙した時など、そうなった事への不幸、不運に落ち込む気持ちを和らげるのである.

其の上で、大事な事は'其の次どうするか'である.何もしなければ'しょうがない'は'許容とあきらめた'に留まる事になる.

起こってしまった原爆投下を’しょうがない’あるいは'どうしようもない’と立ちすくんで、こんなひどい事は許せない、原爆反対と思っても、其の行動が伴わなければ、'許容とあきらめ’’米国の大義は正しい'事になってしまうのである.そう言う状況であれば、久間発言は現実的な見解と言う事になってしまう.悩ましい日本なのである.

久間問題を声高に言う識者、マスコミも、その思考レベルでは結局、あきらめの’しょうがない’に行き着く感じもする.

このブログを書きながら、次のように私見を整理してみた.

『世界の列強がぶつかる中で、日本の軍国主義、覇権主義の指導者が侵略と戦争を引き起こした事は、日本国民に対しても、諸外国に対しても、正当化できるものではない(指導者と国民の二分論).しかし.日本は無条件降伏によって、生まれ変わったのである.
一方、米国の広島、長崎への原爆投下は東京裁判で不問にされたが、人類史上最大の虐殺であり、正当化できるいかなる理由も存在しない事を宣言すべきである..米国は其の非道を認識し、原爆投下の主導者を糾弾すべきである.そして原爆を落とした者と落とされた者が核拡散阻止、核保有廃絶に取り組むことは、人類への責務だと考える.』

どうだろうか.悪かった事を率直に認め、これに対応しながら、主張もして行く態度が必要だと思う.戦後62年、明確さが不足してはいるが、反省にもとづく行動は充分やってきたと思うのである.’しょうがない’と口に出す事はあるが、決して呆然としていた訳ではないと思う.

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2007.06.22

103 参院選挙を考える

国会の延期もあって、7月29日に参議員選挙が行われる.最近の国政選挙は少しずつ政策の戦いにシフトし,どぶ板選挙は残るものの,'錦の御旗’を掲げて戦う様相が出てきた.この’御旗’の上げ方が選挙戦の流れ、勢い、に大きな影響を与える事を前回の衆議院選挙では証明された.

前回の衆議院選挙は郵政民営化をリトマス試験紙に改革断行選挙であった.’自民党では改革が出来ない’とした民主党に対し'守旧派を追い出して改革を断行する’とした自民党に大勝利をもたらした.

口げんかの論理からすれば、'自民党はダメだ’より’その自民党の中にいる守旧派を追い出す'方が論理的上位になる.なぜなら、民主党が自民党を批判すればするほど、自民党の改革派が有利になるし、党内抗争の方が劇場的、激情的なのである.

この例で見る戦い方のヒントは、他党の攻撃より、自党の内部抗争を表面に出した御旗が国民を引き付ける事である.日本の政党は必ずしも考え方,政策で構成されていない.内部対立を抱えたまま,他党と戦う姿に,国民は信頼を寄せられないのである.

例えば、民主党の旗印を公務員改革、教育改革、年金・介護改革、集団安全保障政策、を唱えて古典的左派を排除して選挙に臨めば、論理の上では自民党に勝てるかも知れないのである.相手と同等の考え方にした上で、信頼感を確保し、其の上で、ワンポイントの優位性を訴える方法が戦い方として得策なのである.なんでも反対の180度違う政策を掲げても、野党に勝ち目はないのである.

自民党は社保庁の不祥事、グリーンピア問題、天下り、給付開始年齢の繰り下げ、加入率問題と年金への不信感、そして年金納付記録問題が噴火し苦境に立っている.

役人体質や国労の排除を狙った国鉄民営化と同じように,役人体質と自治労の排除を狙った社保庁改革も昨今の給付記録問題で,責任回避の為の看板の架け替えと非難されている.

ここは,社保庁改革は勿論、`聖域なき行政改革の断行’を掲げ,過去の政府の反省も含めて,旗をあげるべきだと感じる.もちろん内部抗争も,政党再編も辞さない態度を表に出した方が良い.

このように、'御旗'の上げ方はきわめて大事であるが言葉だけではなく、強い意志を表した'御旗’でなくてはならない.批判だけの旗では、意思や政策が見えず、旗にはならないのである.

'美しい国’’安心安全’’戦争しない’などのスローガンも’だからどうしたい’と現実的な政策,財源が見えず、抽象的で旗にはならない.

さて、今回の各政党の’錦の御旗’をどうするのだろうか.医療・介護・年金問題、教育問題、行政改革問題、財政・税制問題、憲法・安全保障問題、等、難問山済みであり、御旗の上げ方も国民の一票の行使も,きわめて難しい時代に入っているのである.

一方、参議院はこのような衆議院選挙と同じ選挙で良いのかと言う大問題がある.

参議院の趣旨からすれば、政策論争、政党間競争ではなく、人物中心の戦い方、選び方、選挙制度にすべきだとの考え方である.無党派もしくは衆議院とは違う会派の方が是々非々の行動が取り易く、参議院のチェック機能が発揮されるとの考え方である.

この考え方に立てば、せめて今のような選挙であっても、政党の候補者、推薦候補者はいろいろな分野の専門家が望ましい.政党のマニュフェストより、参議院議員として何を重点に活動するのか,の表明が重要となる.数が力の衆議院とは違うと思う.

参議院改革を是非検討して欲しいと思う.今のような衆議院と同じ政党選挙を展開し、政党評価の為の選挙であれば、ますます参議院は無用化の方向に進む.又,解散のない任期6年も長い.国会のスリム化の上からも検討すべき課題である.

参議院のあり方は随分議論されてきたと思うが、何も変わらない参議院選挙のあり方に選挙の都度、失望感を感じる.

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2007.06.10

102 コムスンと介護事業

大手介護事業者のコムスンが虚偽記載、不正受給で業務停止の行政処分を受けた.これに伴い介護サービスの継続問題が全国で発生した.

コムスン社のひどさの実態は承知していないが、’正義に反した会社は介護事業から締め出す’’営利目的の企業に介護をさせてはダメだ’と声高に言う政治家や行政の発言が気になる.

かつて,’医者の名義貸し’が発覚し,病院の虚偽記載,不正需給が明るみに出た.あまりにも多くの病院で慣行化していたが,さすがに病院の業務停止,医師免許剥奪,等の行政処分は出来ない為に,お咎めはなかったと記憶している.金額は覚えていないが,公金横領に違いない.'正義に反した病院は医療から締め出す’と言う声はあがらなかった.

コムスンはじめ介護事業は定常的に大幅な赤字との事、虚偽記載も頻繁にあると言う.介護業界は今の介護報酬では介護士の賃金が低く抑えられ、介護士の離職も多くなり、認可に必要な介護士の確保も難しく、介護品質も低下している、との深刻な実態がある.介護制度の枠内の介護事業は崖っぷちにある.介護に携わっている人たちには本当に頭が下がる.

こんな実態の中で、政治家や行政が’不正義は排除’と言っているだけでは何の解決にもならないし、’利益目的の企業にやらせるからダメだ’も幼稚な頭脳レベルである.

政治家や行政が認識をしっかりせねばならないのは、いかに産業化するかである.介護事業への投資や参入者が増加し、介護士の待遇も介護品質も向上し、介護関連事業も充実していく、そして、介護事業が産業として確立し、地域経済にとっても重要な地場産業になる,そんな姿である.

これらの考え方、主張なしに、`正義をかざし、利益は悪’と声高に叫ぶだけの思考レベルの政治家、役人に介護の深刻な問題を任せられない気がする.介護事業の産業化に知恵を出しあい、政策論議も活発にしたいのである.

介護だけではなく年金、医療、と言う社会保障制度はコストと見る限り必ず限界に突き当たる.社会保障の充実がパイの確保を妨げれば、国力を衰退させ、結局、社会保障が出来なくなる事に繋がるからである.社会保障の充実が産業全体の富の創出や技術革新に波及する構造が必要なのである.

コムスン事件の表面だけに目を向けている場合ではないのである.介護の深刻な問題を不正事件で覆い隠してはならない.

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2007.05.30

101 年金問題の本質

5000万件に及ぶ年金納付記録が宙に浮いていると言う.いくつかの視点で考察してみた.

(視点1)社会保険庁からの説明がない

①どんな問題なのか
社保庁は昔から知っていたのか,何をしていたのか
③最近わかった事で対策が打てていないのか
④昔から知っていて対策打てていないのか
⑤社会保険庁はこれから、どうしようとしているのか
⑥年金改革に使われた年金統計データに与える影響はどうか

さっぱり伝わってこない.ただ聞こえてくるのは社保庁へのクレーム、考察力のないテレビ報道、与党・野党の攻防、だけである.実態はどうなっているのだろうか.

現象から、だんだん分かってきた事は、

①基礎年金番号に名寄せされない納付記録が5000万件である
②上記未名寄せ納付記録の追跡は10年間解決していない

③結局,未名寄せ
納付記録の処置は国民の挙証申請待ち状態
④未名寄せによる給付ミスがあっても時効(5年)で遡及不要になる
⑤膨大な数の減額支給者が発生している可能性がある

との事である.これに当然、国民が怒る.まさに詐欺,業務上過失事件である.保険会社の保険金不払い以上の年金制度の根幹に係る大事件である.

(視点2)問題の切り分け

今回の問題は平成9年に各年金制度共通の基礎年金番号制の導入に震源地がある.加入情報の一元管理を目指した方向は正しいが,10年たった現在も実現できていないのである.10年間,巨額の費用をつぎ込み,年金制度をダメにしたのである.

これは明らかにシステム設計の問題である.多分,空前絶後の巨大トラブルである.簡単に言えば,精度が悪い記録を基礎年金番号に統合しようとすれば,当然,名寄せできないデータや誤名寄せが発生する.

従って

・過去の各種年金制度の納付データの精度を確保する事
・名寄せできないデータが発生した時の処置方法を定める事
・番号統合後の確認方法を定める事

があって初めて番号統合が可能になる.どんなシステム設計をしていたのだろうか.きわめて,でたらめな,無責任な設計であったと言わざるを得ない.基礎年金番号への統合が10年前に失敗だったのである.

この大問題を処置する為に,問題を切り分けて,対処する必要がある.①データ修復の問題,②修復費用の問題,③過小給付の弁済の問題,④修復できない時の処置の問題,⑤社会保険庁・システム開発者の責任問題,に分離して対処しないと,絶対収束しない.野戦病院状態が続く.

(視点3)社保庁の意識

この統合システムのいい加減さを生み出した元凶がシステム関係者の正義感、責任感の欠如、社保庁全体の意識や、たかをくくっった考えにあると思う.

たとえ、いろいろな原因で個人記録の統合が不完全であっても、

①紙台帳(マイクロフィルム),年金種別番号での記録がある
②給付開始時、いづれ個人が自分の記録を確認する
③記録に疑義があれば、個人が申請してくる(申請主義)

④5年の時効があるので遡及調査・給付の必要性がない
⑤不整合なデータを放置しても、死亡によって、データが不要になる

と,積極的に納付データの精度向上には取り組まなかったきらいがある.社保庁は何千万件も洗いなおす気などさらさらなかったはずである.

社会保険庁は過去のデータに記入ミス、漏れがあって、不統合が起こって、未納になっても、給付が減額されても、国民の責任だと思っている.入力ミスの可能性に対する対策も取らず、いづれ国民が気付くまで放置しておけば良いと思っていたに違いない.10年たっても,まだ大混乱が起こっている事が何よりの証拠である.

言うまでもなく,個人記録の保存,データ精度向上,番号統合の未名寄せデータの修復は社会保険庁の重大な責任である.責任者の業務上過失責任,給付不足の弁済義務は免れない.

(視点4)賦課方式が生み出す体質

社保庁の体質は賦課方式の無責任性が関係していると感じる.例えばこんな事になる.

①納付金は自由に使える財源だ(経費、待遇、グリーンピア、財投)
②納付金、給付金、年金資産の将来を心配しても始まらない
③未加入率が増加しても、将来年金が破綻しても社保庁の問題ではない
④150兆と言う世界最大の資金,毎月降ってくるお金で責任のない大金持ち気分

と言った賦課方式がもたらす緊張感や責任感のない風土が今回のトラブルを10年も隠蔽させた元凶かもしれない.まさに'行政が国を滅ぼす'類の大問題である.

(視点5)自治労との対立

又,行政事務のシステム化に対し,自治労は合理化反対,労働強化反対,キーボード・ブラウン管による労働衛生悪化反対,新しい技能習得の反対等を全国で展開していた.社保庁はその急先鋒であった.今回の問題はこれとも関係していた感じもする.

(視点6)誤入力は素人騙しの原因

さて、今回の問題は,前述の通り実態が見えないが、統合以前に紙台帳からコンピュータに入力した時の精度の問題、名寄せの問題、個人の異動・届けの問題、等が原因と言われているが、素人騙しの説明である.

直接的問題は運用を含めたシステム設計の問題である.入力や名寄せ問題は自治体業務システムによくある基本的な設計要件であり、設計の中にデータ精度対策が打たれて当然の問題だからである.10年たって言える原因ではない.

システムに何千億も使って一体、社保庁は何をやっていたのか.この仕事を請けたシステムエンジニアーは恥ずかしくないのか、口を閉ざしている関係者も社保庁と同じ体質ではないかと不信感が募る.

(視点7)あるべき統合システムの概要

氏名のカタカナ入力の問題は、間違いを前提に、厚生年金番号、国民年金番号入力の精度確保、氏名の音読み(運転免許のダブり防止に使用)入力は常識である.入力内容の確認を経て、記録を整備する事が先ず大前提である.

次に、基礎年金番号と厚生年金番号、国民年金番号の関連付けを行う事になる.これが統合である.それぞれの番号にぶら下がっている記録の中に同一氏名、同一生年月日、があれば同一人の国民年金番号、厚生年金番号である可能性は高くなる.勿論、物証確認が必要である.

尚,国民年金番号,厚生年金番号の重複発行、それに伴う,基礎年金番号の重複も,これらの手順を踏んだ後,重複のチェックが必要となる.

もっと素朴に言えば、加入全個人から厚生年金番号、国民年金番号を聞くのも,急がば回れのやり方である.いずれにせよ王道はないのである.

統合も含めて年金システムの全体の設計内容が見えないが、現象から見れば、きわめてお粗末なシステムと言わざるを得ない.決して入力問題ではない.運用も含めたシステム設計の問題である.

中央官庁に係る情報システムは大丈夫だろうか.情報システムの設計、開発能力は公務員自身の問題である.外注するにしても、この能力なしで、行政は出来ないのである.ましてや電子行政等ほど遠い.

(視点8)今後取るべき対策

そこで今後の対策をまとめると(現行制度を前提)

①実態の解明(統合前も含めたシステム,データ精度の経緯と実態)
②データ修復の方策立案(未納扱い,未給付等)と経過処置
③高年代からの修復と個人確認の実施(優先付け,負荷分散)
③物理的,時間的,費用的,
修復不可時の対策立案(リスク対策)
④再発防止の為の現システムの見直し,早期適用
⑤年金資金の実態報告(納付、給付、経費、融資、投資、残高等)
⑥正しいデータによる年金統計分析のやり直し
⑦正しい年金統計分析による年金制度の見直し

⑧基礎年金番号から住民番号への移行(住民情報連動)

である.

当面、国民の殺到,クレーム対応,国会・マスコミ対応,挙証のみなし申請,データの修復作業,給付の見直し,追加給付等,ばらばらの対応でデータ修復に混乱をきたすと予想される.

収束に向た段取り,日程,体制などを確立し,権限と予算をを持ったプロジュエクトリーダーのもとで,順序立てて,この難局に取り組まねば成らない.トラブル時の鉄則である.又、名寄せロジックの改良、再名寄せ、個人確認、不備の修復を年代別に進める必要を感じる.国民も、この段取りに乗って行動する必要がある.

野戦病院状態の難破船,プロマネ不在のオペレーション、沈没しないと叫ぶ大本営,では不毛な戦いを続けながら玉砕する道を進む事になるのである.

(視点9)国民総背番号制

この際、もう一度議論すべきは⑧である.個人番号に年金情報、健保情報、住民情報、税金情報、免許情報などを関係付ける制度の利便性、コストダウンを取るか、情報管理社会を嫌うかの問題である.

現実は基礎年金番号、健康保険番号、住民番号に加え税の番号制も議論されるはずである.今回、縦割りの目的別番号制の弱点が露呈した訳だが、番号制が出来る都度、同じ問題が発生するに違いない.将来の日本にとって、行政のみ使う国民総背番号制(住民番号の利用)は避けられないと考える.

(視点10)前途多難な年金制度

又、新年金制度の議論もあるが、移行問題は至難である.新規加入から始める方法、既資金とともに一斉に移行する方法などが浮かぶが簡単ではない.現行を続けるにしても、少子高齢化、賦課方式の崩壊、加入者の減少など頭の痛い問題が待ち構えている.

今回の問題を10の視点で述べたが、現年金制度をどのように建て直すか、国民は大きな宿題を背負ったのである.各政党は政争の具にするとしても建設的な策がなければならない.

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2007.04.27

94 天下り

省庁職員の天下り問題が話題になっているが,論点がはっきりしていない.問題を整理してみた.

天下りは官の人事制度(昇進制度)を支える方法として存在し、転出公務員の処遇確保として、実施されている.その為に,天下り先の行政法人が多数存在し、仕事の発注と言う仕送りによってその法人が運営される.かくて,退職金を含めたキャリア官僚の厚遇が一生保障される.

各省庁が予算の削減に徹底抗戦するのも,行政改革に抵抗するのも,この構造があるからだとも受け取れる.まさに税金の無駄使いにつながるのである.

現在、各部門での天下りの口利きを禁止し、人材センターで管理する法案が国会を通過したが、具体的な制度はこれからであるが、天下りを前提にしているだけに,中途半端さは否めない.

天下り問題に対し、世間の意見の方がよほど,まともである.

①天下り目的の行政法人は廃止
②定年までの勤務を可能とする人事制度・人員計画を実施
③定年前の行政法人への転出は出向扱い
④定年後の行政法人への再就職は処遇の大幅ダウンが前提
⑤定年前、後の民間への再就職は個人問題

等である.もちろん、諸手当、人事評価、昇給、昇格などの改革も、これに伴い必要である.公務員の天下り構造をなくすだけで、税金の無駄使い、役人天国が防げるのである.上記①から⑤は民間では当たり前の制度である.官僚を冷遇する制度でもない.公務員の労働権に抵触する話でもない.大騒動する問題ではないと思う.

官僚からは省庁の人件費が増大する,との反論が来そうだ.もちろん人件費は上がるが,過剰な仕送りが減ったり、余計な法人を増殖する事が無くなり,総費用は減ると思う.

さらに言えば,仕送り目的で,適当な仕事を作って毎期,随契で,割高な発注をすれば,背任,公金横領,空発注である.検挙される前に、こんな危ない,天下り構造を,早くやめた方が良い.

もうひとつ,行政を補完する,専門集団としての行政法人が必要だ,との反論も想像できる.外部に作る理由があれば,法人の存在に反対ではない.人材活用で官僚がその法人に転出するなら,上記③④のルールで実施すれば良い.ただし,②をやれば,行政法人の数は減るはずである.

政治家も何をもたもたしているかわからない.何年,議論しているのだろうか.

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2007.03.23

87 政策選択の視点

今年は地方選挙,参議院選挙など猪年に起こる選挙ラッシュの年である.東京都知事選も公示された.選挙民にお願いする選挙からマニフェストを約束する選挙に少しづつ変わりつつあるが,政党や人物も依然として選択肢である.

私見によれば,衆議院は政党で,知事,市長はマニフェストで参議院,地方議員は人物で考えてみたい.人物を選択肢とする理由は政党に属さず,政策毎に党議拘束を受けず,チェック機能を発揮して欲しいからである.

マニフェストでは,医療・介護・年金・福祉が常に掲げられるテーマである.社会の鏡だからである.'何をやっても,福祉'ではあるが,おおよそ三つの考え方がある.

①パイの拡大に軸足を置いた政策(自民系,財界系)
②パイの分配に軸足を置いた政策(市民系)
③財政難対策,効率に軸足を置いた政策(改革推進系)

である.財政難の中で③は必須政策となるが,守旧派,利権者との対立が常に発生する,'改革なくして成長無し’を旗印に無党派、若者の支持を受ける.①②は思想色,政党色が見え隠れした議論となる.

①は社会全体の底上げが福祉などの持続的向上につながるという考え方である(成長なくして財政難・福祉対策なし).景気対策の名のもと,工事が欲しいだけの,ばら撒き公共事業を徹底排除し,効果の上がる政策が求められる.

②は福祉等への分配を多くしようとする考え方である.賛同を得やすい政策であるが,財源問題や,持続できるかの問題を検証する必要がある.医療・介護・年金・福祉への分配増が続くと,逆に福祉をやれなくする危険性もある.

特に地方は実状に合わせて,①②③の建設的な政策の組み立てが求められる.しかし現実は,財政難の中で可能な政策領域がきわめて,狭くなっている.先ず財政問題を優先すべきだと思う.'財源なき政策は意味がない'からである.マニフェストに全体の予算計画書が欲しいくらいである.

いずれにせよ,自ら招いた財政難の中で,どんな政策をやるべきか,自らが決断しなければならない年である.

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2007.02.14

82 6カ国会議の評価

北朝鮮に是非聞いてみたい事がある.

①核を持ちたい理由はなんですか?
②経済支援を受ければ,その核を捨てられるのですか?
核を盾に自国の偉大さを鼓舞しても,それで国の将来は描けるのですか?
独裁政治,軍事国家で国民が幸せになれますか?
⑤脅威を受けない方法は核ではなく民主化だと思いませんか?

素直に聞いてみたいが,答えるはずも無い.

2月13日,6カ国会議の合意は,北の本心や解釈の差で,実行されない可能性を持っているが,表面的には,戦利品を引き出した北の勝利,長い目で見ればアメリカ側の勝利である.

アメリカ側に立てば,第一弾の支援は捨て銭であり,北が暴発しないよう,つかず離れず間合いを取りながら,第2弾の実行の可否を判断できるからである.第2弾の時期の設定も無いことから,長引けば,核開発が中途半端な状態になる.開発を続ければ合意違反となる.国内経済情勢もさらに厳しくなる.

特に,核放棄で重油100万トン(北の1年分)の設定は,北が守勢に回る事になる.人参をぶら下げて,コントロールが出来るからである.解釈・判断次第では実行されない可能性もある.各国独自の経済支援もコントロールが可能になる.

アメリカの軟化,北の主導と言われた交渉であったが,なんとかドアが開き,行動は北,監視・判断はアメリカと言う構図を作った事は見事な交渉力であったと思う.又,日本の5万トンの一部分担問題は合意を尊重する観点で,5カ国と相談し,何らかの形(核廃絶に向けた費用など)で負担すべきだと思う.

今回も感じた事だが,北が民主国家への取り組みを進めれば,もっと大きな,心のこもった支援を得られるはずである.将来も展望できる.指導者や国民は,これに気づいて欲しいと思う.

前時代的な体制・思想,将軍様への忠誠,外交でのツッパリ,戦利品で力を鼓舞する言動,戦意高揚の国内向け放送,等を見るにつけ,北のふびんさを感じる.過度な強がりは自ら窮地を招くと思う.一般的に教条主義が陥る道である.

それでも,核を温存したまま,経済支援を引き出す,恐喝外交が目的なのだろうか.こんな事をしなければ,現体制が維持できないと思っているのだろうか.

拉致の問題は6カ国会議と切り離された結果,今度は核と切り離して,国際世論を巻き込んで,人権問題で詰め寄れる事になる.核問題でギクシャクする事と並行して,人権問題を追及できる.

ただし,拉致問題は解決済みとする北朝鮮との交渉はきわめて難しい.中間点,妥協案,落とし所がない性格もある.圧力・制裁も核交渉いかんで左右し,拉致問題での制裁は限定される.しかし,6カ国会議の合意は日本の外交にとって新たな局面を迎えたのである.

ところで,戦争の爪痕は東西ドイツの統合,ソビエト連邦等共産圏の崩壊,EC連合の発足など良い方向に進展している.一方,中国・台湾問題,南北朝鮮問題,北朝鮮の政治体制問題,北方領土問題など極東の爪痕は依然として残ったままである.東洋人の特性が影響しているのだろうか.

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2007.01.27

78 箱物行政の対策

財政難の中で,なぜ無用な箱物が作られてきたか.その理由を明らかにし,今後の教訓にしなければならない.

こんな無駄なものを何で作ったのか,何を考えていたのだ.当初計画は甘い.などと非難轟々である.それに対し,行政も議員も口をつぐむ.

積みあがった膨大な借金で作った無残な箱物が,人間の業のモニュメントとして寂しくそそり立っている.食い逃げ事業の証拠である.あんな金があったら,せめて病院や老人施設にまわして欲しかった.同じ借金でも,よっぽど価値がある.と思うのは誰しもである.

一体,何の効果も無いのに,借金返済や経費を垂れ流している事業はどれくらいあるのだろうか.これを明らかにし,負担を強いられる後世の国民に説明する義務がある.

よく言われている事だが,こうなった理由を整理すると次の通りである.

①雇用対策,景気対策が目的で工事が欲しかった.予算が付けば,何でも良かった.表向きには,必要な理由をデッチあげた.

(これは公共投資ではなく,金の譲渡であり,これならば,わざわざ箱を作らずに,金をばら撒けばよい.)

②財政出動が景気を支えると間違った経済理論をかざしていた.

(正しくは,公共投資とは波及効果が発揮される事業であり,これが無い投資は金のばら撒きと借金の山を作るだけ)

③予算を取って,使わねば損との感覚が全国に蔓延していた.国の縦割り行政,郵便貯金などによる財政投融資,国債の金融機関引き受け,などがそれを加速させた.

(リゾート施設を作ったり,中身の無い美術館が出来たり,膨大な工業団地が野ざらしであったり,港湾と河川の隣接地帯に別々に橋が出来たり,災害で利用度が低い国道がすぐに復興したり,金の使い方が必要性と乖離,予算がつきやすいものを作っているだけ)

④予算を取って,金をばら撒く事が,選挙に有利であった.

(国政選挙で,中央とのパイプで地方に予算を持ってくると言う政治家が現在もいる.国政選挙は地方から国政をやる人を選ぶのであって,地方への利益誘導者,江戸屋敷の主を選ぶのではないはずだが)

以上4点である.これが箱物行政である.

戦後の経済がどん底,社会資本も未発達の中で,何をやっても,借金しても,公共事業の経済波及効果は大きかった.列島改造論は有効であった.これが日本の経済成長を引っ張って来た.

しかし,いつしか,公共事業経済にどっぷりつかった社会,社会主義経済社会を作り出して行った.もはや公共事業の波及効果と関係なく,公共事業なくして地域経済が持たない事態になったのである.その結果,公共事業に名を借りた,金のばら撒きが起こったのである.これが箱物行政であり,選挙手法になったのである.

さて,日本全体に覆いかぶさるこの事態に対し,どんな対策があるだろうか.何で,こんなムダをやっているのだと騒いでも解決しない.

明確な事は

①上記4つの箱物行政(ばら撒き予算,縦割り行政,財政出動,財政投融資,利権政治)を排除する事.

②さらにムダは勿論,行政,公務員,公共事業の改革等よって,歳出の徹底削減を行い,必死に民需の事業開拓をする

③その場限りの雇用対策,景気対策が政治判断され時は借金財源でやらない事.(後世の負担の先食いになるから).又,借金による公共事業は,その効果,意義が借金返済と見合う事.

である.小泉政権はこれに取り組んだはずであるが,道半ばである.

増税は短絡的であり,予算を収入と思う感覚の延長線であり,質的な変化を弱め,国を衰退に向かわせる気がする.

限られた歳入で,パイの拡大,弱者の救済,両面で真剣な税金の使い道の議論が必要である.又.税調は現行税の改良を議論する事は良いが,歳出計画が無い税制議論は無意味である.

今年は選挙の年である.厚顔なうさんくさい人,主張がなく,当選しか考えていない人は排除したいものである.

さらに対策を付け加えるなら

④地方議員,参議院議員は無所属とする

衆議院は政党政治で良いと思うが,地方議員,参議院議員は無所属で人物中心が良いと思う.議案毎に自由に賛否を表明することが,チェック機能として重要だからである.国民の変わりにチェックできる事になる.党議拘束のかかった地方議員や参議院議員ではチェックする立場にならな