テレビ

2017.12.10

483 NHK受信料制度の課題

NHK受信料制度は契約の自由に反しており、憲法違反だと訴えた事に対し、12月6日、最高裁は公共放送の役割を重視して合憲とする判決を出した.その上で、NHKの受信制度に対して次の判断を下したのである.

①NHK受信契約は法律上の義務である.
②契約を拒む人との契約が成立する条件はNHKの勝訴が確定した時とする.
③受信料の支払義務はテレビ設置時に生じる.

これで半世紀以上に渡るNHK受信料制度の論争に終止符が打たれた事になる.

しかし、多様化する視聴方法の中で,受信機の定義をどうするのか、受信料不払い率(未納率)が22%程度あると言うが、公平な負担をどう実現するのか、ネットの動画配信が普及すると受信料制度が空洞化するのではないか、とか、課題は残ったままである.

又、NHKと契約しなければ他の有料放送と同じように、スクランブルをかける事で良いのではないか、そうすれば、憲法の契約の自由は守られる、と言う意見が多く上がっているが、NHKの収入に直結する事でもあり、NHKとしてはあくまでも,全世帯に公共放送を届け、受信料を戴くと言う大前提を盾に、この意見には反対の立場を取っているのである.この問題もネット配信の普及とともに、再度、議論される課題として残っていると思うのである.

これらの課題の中で、現実の「公平な負担」について掘り下げてみたい.

日経新聞の報道によると、NHKが受信対象としている世帯は約4600万世帯だと言う.その内,未契約が900万世帯、契約済みの滞納が約100万世帯あると言うのである.都合,1000万世帯(約22%の世帯)が未納と言う事になる.

一方、受信料は地上放送が月額1260円、衛星放送を含むと2230円であり、年間受信料は衛星放送含めて26760円となる.

2016年度のNHKの受信料収入は約6760憶円であり、それを契約世帯3600万世帯で割ると世帯当たり年間、18778円を負担している計算になる.

そこで、NHKの年間事業費が6760億円で運営されているとすると、NHKの大義に従って、4600万世帯で事業費を割ると、一世帯当たりの受信料金は年間、14670円の受信料と言う事になる.実際は未納者(約22%,1000万世帯)がいるとすると、1467億円の未納金が発生し、当然、事業費が賄えなくなるのである.

従て、公平な負担を行うなら、NHKとしては未納率を下げる工夫をするか、事業費を小さくするしかないのである.もし、未納受信料金(1467億円)を契約世帯3600万世帯に上乗せして、年間受信料金を18778円(4075円上乗せ)にしていたとすると,公平な負担をしている事にはならないのである.

このように、未納率を想定して受信料金を設定してはならないし、あくまでも未納率の問題はNHKの責任であり、契約者に負担させてはならないのである.

ところで、未納率を低下させる為(徴収率を高める為)に,各国は工夫をしている.英国のBBCは公共放送として年間受信料は約22000円であるが、一年間有効の受信許可がないとテレビは購入できない仕組みにしている.又、違反者には最高15万円の罰金を科すと言うのである.これらの仕組みで、徴収率93%を維持しているのだと言う.又、イタリアや韓国は受信料を電気料金と一緒に徴収する事で、徴収率を高く維持していると言うのである.

繰り返すが、NHKが「公平な負担」を追求するならNHKの事業費を4600万世帯で割った値を受信料にすべきなのである.事業費を.3600万世帯で割って受信料にしてはならないのである.

従って、現在の世帯平均年間受信料を先ず18778円から14670円に引き下げるべきである.同時にNHKは未納率や事業費の低下にも努めなければならないのである.さらに言えば、更なる受信料の引き下げ努力も不可欠だと思うのである.

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2016.04.25

429 いつも繰り返すテレビの災害報道の問題

熊本地震のテレビ報道で、災害報道の問題を又、繰り返した.すでにネットで多くの苦情や問題が指摘されているが、私から問題と提案をしたい.

問題は芸能スキャンダル報道と同じように、災害報道においても、どの局も、同じ被災場所の状況を繰り返し流している事である.これでは、きっと同じ被災場所に各局の取材陣や、レポーターや、テレビクルーや、ヘリコプターや、ドローンが集まっているに違いないのである.その結果が『うるさい、じゃまだ』、になっていると思うのである.

真剣に災害情報を知りたいテレビ視聴者からしても、どのチャネルを回しても同じ報道内容ばかりである.震度7~6クラスなのだから、被害は広範にわたって発生しているに違いないのだが,さっぱり,その情報を知る事が出来ないのである.

災害報道は芸能スキャンダル報道ではないし、視聴率を競う報道でもないはずである.社会的使命を持って、ある期間、各局に担当地域を割り振って、調査報道をして欲しいのである.視聴者はどの局が,どの地域を担当しているかを知った上で,チャネル選択をすれば良いのである.また行政も,その報道を参考にすればよいと思うのである.

報道の自由とか,自主報道と言っていながら,その結果が各局、同じ被災報道の繰り返しでは,看板倒れである.放送法(非常時の対応)にある様に、各局が協定を結んで,社会的使命に徹して欲しいのである.特に、災害状況がつかめない災害発生初期段階に、この使命を発揮して欲しいのである.

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2015.08.06

405 テレビに黒船が押し寄せて来た

動画配信最大手の米ネットフリックスが9月2日に日本でサービスを始めると、8月6日の日経新聞が伝えた.

映画やドラマが低料金で見放題という同社のサービスが米国の4千万人超を含めて世界で6千5百万人が利用されていると言う.従来のCATV利用者は,このサービスに切り替えていると言うのである.

このインターネットを使ったストリーミング(逐次再生)型の動画配信サービスはインターネット接続端末なら、どんな機器でも、いつでも、どこでも、どの国の番組も、利用できるのである.この加入者はCMから解放される事もあって,もう従来のテレビに戻れないと言うのである.

ちなみに、ネットフリックスはレンタルDVD宅配サービスで創業した.現在のサービス概要は、最低月額料金7.99ドル、一日に配信する動画の合計時間1億時間、配信作品7700種類、視聴者の好みそうな作品を提示する機能あり(視聴者の75%が,この中から選択).年間売り上げは6800億円(NHKの事業収入と同程度)と言う潤沢な資金で独自番組も作っていると言う.

このように、日本のテレビ業界の従来の事業構造も、コンテンツ作りも、NHKのあり方も、CATV事業者も、CM業界も、家電業界も、インターネット接続業者も、インターネット網も、企業のテレビ宣伝も、映画や音楽の事業者も、根底から影響を受ける事になる.それだけではなく、インターネットテレビの普及によって、情報社会がさらに変化して行くと思うのである.

これが急速に普及すれば、まさに『黒船』になり、革命を起こすのである.もちろん、経済にも大きな影響を与えると考えられる.日本でも、以前から予想され、一部実施されていたインターネットテレビが、いよいよ,本格的に動き始めたのである.

一つだけ懸念があるとすれば、民放の無料放送を見ている視聴者の習慣を変えられるかと言う事だけである.ネットフリックス側は、一度体験してもらえば『変わる』と自信を見せているのである.

体験すれば、民放の番組より、おもしろく、CMから解放され、しかも、オンデマンドで好きな番組を選択できると言う優位性に気付くと言うのだと思う.日本での料金は公表されていないが、相当や安く設定するかもしれないのである.

さて、この黒船でテレビ放送や情報社会はどう変わるであろうか.いくつか想像してみたい.

・空中波のテレビがインターネット接続テレビ、高画質テレビに置き換わる.
・タブレットパソコンが高齢者から子供にまで,普及する.

第一種通信事業社(キャリア),設備投資とネット利用料金の検討が始まる.
・インアターネット網の信頼性確保が問題になる.

・番組・コンテンツ作成者と配信事業者とが分離する.
・従来のテレビ局間競争の構造が、コンテンツ間競争に変化する.

・配信事業者は収入を番組視聴率で番組に配分するようになる.
・NHKの料金制度及び料金が影響を受ける.
・国際的な、良質な番組・コンテンツが増大する.
・教則番組も,教育番組も,教材も充実し、教育方法が変わって行く.
・番組・コンテンツの作成には国際化の視点が不可欠になる.
・世界、日本、地域、のニュース番組も,配信サービスの対象になってくる.
・企業のテレビ広告はネット広告にシフトする.
・従来のテレビが残るとすれば、通販、韓国ドラマ、安物芸人番組、になる.
・個人ごとに視聴内容が変わり,情報の共有化、画一化が薄らぐ.
・無料の動画配信サイトと有料の動画配信サイトとに2分化する.
・インターネット・アプリの増化・多様化がさらに加速する.
・テレビ会話が普及する.
・個人向け、家庭向け、クラウドサービスの拡充する.
・パーソナルマーケテングが発達する.
・WORLD WIDE WEBの世界,
INTERNET‐EVERYTHINGの世界,が広がる.

このような情報化社会の拡大と共に、次のような変化も起こると考えられる.

・経験知識の重視
・個人、独自性の重視
・手作り、俗人的技量の
重視
・FACE to FACEの重視

・哲学、情報判断力の重視
・インターネットコンテンツ類の法的罰則の強化


ほかにも、広範にわたって、影響が出ると思うが、従来のテレビに係わる多くの事業が根底から影響を受ける事は確実だと思う.
取りあえず、雑駁な想像をしたが、行く末がどうなるのか,興味が湧くのである.

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2015.04.04

392 テレ朝・報道ステーションは放送法を無視しているのか?

当ブログで、たびたびテレビ報道の問題を指摘していたが、今回、その延長にあるような問題が発生した.テレ朝系報道ステーションでの古賀茂明氏の降板理由発言と,古館キャスターとの口論である.

古賀氏が本番で、(報道ステーションにおける、自分の政府批判が原因で)『テレビ朝日会長や古舘プロジェクトの佐藤会長の意向、加えて、菅官房長官はじめ官邸からのバッシングで、降板になった』と言う趣旨の発言をしたのである.

これに対し、古館キャスターは、『私としては承服できない』と反論し、口論になったのである.本番前に、何かがあったのかもしれない.

この騒動に、テレ朝会長は『圧力を受けていない、このような事態になったことをお詫びしたい』、菅官房長官は、『公共の電波を使って、事実無根な事を報道するのは極めて不適切だ』と言った趣旨の発言をしたのである.

この一連の、出来事に対し、見えない事が多すぎる感じがする.

『古館氏の承服できない』と言う意味が不明である.

①古賀氏が勝手に降板の理由を暴露したからか
②古賀氏が言った降板理由が間違っていたからか

次に、『テレ朝会長のお詫び』も意味不明である.

①報道ステーションが放送法に触れたからか
②古賀氏の政府批判に問題があったからか
③古賀氏が政府圧力があったと言ったからか

④古賀氏と古館しの口論が流れたからか

肝心の古賀氏の言動にも意味不明な事がある.

①テレビで一方的に政府批判をする事がコメンティターの仕事か
②何故、降板させられた理由を勝手にテレビでしゃべったのか
③菅官房長官はじめ官邸からのバッシングが本当に、あったのか

更に、私見で言えば、日頃の報道ステーションの報道姿勢にも疑念がある.

①客観報道を装って、偏った主観報道をしているのではないか
②放送法で言う公平公正を保とうとする配慮が見えない
③朝日新聞の論調に従って、テレビ朝日は報道をしているのではないか


そんなわけで、日頃から、放送法にある公平公正を意識した報道をしていれば、こんな騒動は起こらなかったと思うのである.どうやら、テレビ報道には放送法があって、新聞や雑誌とは違うと言う事が徹底されていない感じを受けるのである.テレビ業界の放送法の空洞化が背景にあるのかも知れないのである.

どうも、マスコミの中に、政府を批判するのは、マスコミの仕事だと言って、放送法を無視している人が多いように感じるのである.テレビで政府を批判するなら、反対意見も紹介すべきなのである.それが放送法の規定なのである.それもせずに、しかも事実と異なる事を報道すれば、コマーシャルのように、これは個人の意見です,では済まされないのである.

そんな中で、菅官房長官の反応は適切であったと思う.本心は放送法に違反していると言いたいところだったと思う.

テレビ朝日の会長も、デレクターも、古館氏も、自ら、率直に、日頃から、公平公正な報道になっているか、間違った報道をしていないか、を謙虚に自問しながら、番組を進めるべきだと思うし、その上で、今回は、どうであったのか、を言明すべきなのである.これが報道人として責任ある姿勢だと思うのである.

所詮、放送法は建前で、実際は守られていないと言う、テレビ局があれば、政治資金規正法はざる法だと批判する資格はない.法律に忠実なら、テレビ局は新聞社の子会社である事をやめるか、放送法改正を主張するか、或は、放送法が適用されないインターネットテレビ局になるか、を選択すべきなのである.いずれにせよ、放送法の空洞化はテレビ局の選択肢にはないのである.

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2014.11.29

379 報道の自由と放送法を考える

新聞や雑誌には,言論の自由とか,表現の自由とか,報道の自由,がある.報道の自由の行使においては日米に大きな違いがある.

日本の全国紙の場合は,公平性,客観性を装って,実際は主観的な報道をする事が多いのである.ともすると,読者は客観報道だと勘違いするのである.

一方米国の大手新聞は,政党や政策、或は自分の考えを明らかにした上で,記名付の報道をしているのである.まさに,報道の自由の下でど堂々と主観報道をしているのである.読者はそれをわきまえて新聞を選んだり、読んだりしているのである.

日本のコマーシャルで宣伝主の指示や出演料があるにも関わらず、あくまでも個人の感想ですと断って,いい事を言わせているが,米国では、これをステルスマーケテンク(やらせ)と言って,禁止しているのである.米国では消費者保護が徹底されているからである.

さて、日本と米国のマスコミミで,どちらが報道の自由の精神を発揮しているだろうか.同じ報道の自由でも、その行使の仕方は米国の方が一歩も、二歩も、成熟していると思うのである.日本のマスコミでもコマーシャルでも,米国の精神を学ぶべきだと思うのである.

一方、テレビ放送においても、日米の違いがある.米国の場合は新聞と同じ報道の仕方だが、日本の場合は『放送法』によって,客観性,公平性が義務つけられているのである.視聴者への影響が大きい事,公共物である放送網を使う事,から、この法律が制定されたのである.

この放送法は放送を『公衆によつて直接受信されることを目的とする電気通信による送信』と定義し,その放送を行う場合、認可を受けた放送事業者に次の事を要請しているのである.

・公安及び善良な風俗を害しないこと. 
・政治的に公平であること. 
・報道は事実をまげないですること.
・意見が対立している問題については,多くの論点を明らかにすること.

この放送法には,いくつかの課題がある.列記してみたい.

1.ケーブルテレビの自主放送に放送法が適用されるのかと言う問題がある.有線は私設であり,報道目的が公衆ではなく,ケーブルテレビ契約をした人への送信だからである.ケーブルテレビが出た当初は放送法の外で位置づけられたが,近年,放送法が適用されているのである.

2.有料放送に放送法が適用されるのかと言う問題もある.これも又,公衆への送信目的ではなく,契約者への送信だからである.

3.米国のテレビ報道は新聞と同じように主観報道をしている.日本は放送法があるだけに,公平性、客観性があると信じられている.実際は新聞と同じように,放送法を守っていると装って(客観性を装って),主観的報道をしている場合が多いように感じられる.

実際,民間放送局が新聞社の配下にある事から,政治的中立性がすでになくなっている現実がある.子会社のテレビ局に放送の認可を取らせて,新聞社の主張をテレビに流している感じになっているのである.先の朝日新聞の大誤報事件に対し,テレビ朝日の報道を見ると,完全に放送法を無視しているのである.本当に,放送法を守るなら,テレビ局は新聞社から独立すべきなのである.

4.そもそも,公平性とか客観性の判断基準があるのか,誰がチェックしているのか.放送法違反を指摘した事があるのか、あるいは,認可取り消しをした事があるのか,よくわからないのである.報道の自由を優先する為か,放送法を誰も守らない,誰もチェックしていない,誰も指摘をしない、感じがするのである.これでは、放送法が、主観報道を客観報道に見せかける装置になっているだけなのである.

5.インターネットのコンテンツ(Youtube、インターネットテレビ等)の送信は世界の万民に向かっての情報発信であり,放送の定義に当てはまるのだが,実際は誰でも,このような送信ができる事から放送法を適用する事は実質不可能なのである.

やむを得ないと言う現象が他にもある.インターネットが使う有線・無線の通信網が公共物であるにもかかわらず,公平性,中立性が問われない事になる点である.

そうなると,放送法は結局,テレビ局向けの制度と言う事になるのだが,将来,もっとインターネット放送が拡大して行くと,この放送法がどれだけ意味がある事になるのか,が問われてくると思うのである.

6.最近、民放テレビは,特にBS放送はテレビショッピング番組がきわめて多い.調べてみると,放送法第5条で放送番組の種別を教養番組・教育番組・報道番組・娯楽番組,等としているのだが、近年,各社は収益確保の為に番組種別の中の『等』を利用して『テレビショッピング(通信販売)』を番組種別に加えているのである.そして堂々とテレビショッピングを番組として放送し,商売しているのである.

電波は公共物であり,広告時間に自主規制をかけているのだが,テレビショッピングはそんな精神はどこかに行ってしまって,公共の電波を堂々と私的な目的に使っているのである.これも,まさに放送法の空洞化である.

以上,いくつかの課題を列記したが,じゃどうするかである.浅学では論じられないが,次の考え方をまずはっきりさせる必要があると思うのである.

①テレビ各社の報道に公平性,中立性を求めるべきか否か.
②求めるとした時,テレビ局は新聞社から独立した報道機関にすべきか,否か.

③求めるとした時,公平性,中立性の判断基準を作るべきか,否か.
④求めないとした時,米国流(主観報道明記)にするのか、否か.

の検討が必要だと思う.また,民放のテレビショッピング番組に関しては

⑤見る,見ない,を視聴者が判断するので,テレビ局の勝手でよいと考えるのか.
⑥電波使用料をテレビショッピング時間分,別に課金すべきだと考えるのか.
⑦テレビショッピング番組は禁止し,広告収入のみにすべきだと考えるか.

こんな思考で整理してみたいのだが,多くの議論を呼びそうである.

私見で言えば,インターネットに代表される情報化社会は,いろんな情報が飛び交うだけに,自己判断が大事になる社会である.

その中で,テレビ報道は視聴者に与える影響が大きいだけに,視聴者への情報の整理役,判断材料の提供役であって欲しい感じもする.ならば,放送法の公平性,客観性,が必要な感じがするのである.あるいはNHKのみにこれを求め、民放は米国流に主観報道を許すことにするかである.

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2014.10.01

371 民放テレビは新聞社からの独立を

新聞や雑誌は、虚偽や違法がなければ、表現の自由,報道の自由が認められている.昨今の朝日新聞問題は国家のイメージを損ねる程の虚偽記事を長期にわたって報道した事である.

この虚偽報道事件を通じて,朝日新聞は、政治的意図を持って真実を曲げて報道したのではないかと,その報道姿勢が問われているのである.朝日新聞が、自社の歴史認識は間違っていないから、誤報は大した問題ではない、と言う話ではないのである.

そんなわけで、朝日新聞は、第三者による過去の記事の総点検,虚偽記事を書いた経緯、それを踏まえた報道姿勢の検証,虚偽記事の影響調査,誠心誠意の記事取り消し活動,が求められているのである.

このように新聞には、記事のねつ造は論外だが、自社の主義主張の視点で記事が書かれる事いが多いのである.

一方,テレビ・ラジオだが、NHK,民放ともに,公共の電波を国の認可を受けて使っている事から,『政治的公平性』が放送法で義務づけられているのである.新聞のように、持論に傾斜した報道は許されず、常に、公平性が要求されているのである.ここが新聞報道と大きく違う点である.

そこで問題は、その新聞社が系列のテレビ局を持っている事である.朝日新聞はテレビ朝日、毎日新聞はTBSテレビ,読売新聞は日テレ、産経新聞はフジサンケイ、等である.報道番組やバライティ番組には系列の新聞社の論説委員等が.コメンテーターとして参加しているのである.

当然,テレビの報道内容もコメント内容も,新聞社の主張に沿って報道しているのである.例えば、朝日新聞事件をテレ朝では一切報道しなかったり、コメンティターが自分の新聞社の主張に沿った解説をするのである.かと言って、意見の違う複数のコメンティターを在席させているわけでもないのである.どう見ても,その報道内容に政治的公平性はないのである.

新聞社社長の誤報記事の取り消し会見に対し、国民や他のマスコミから、大きな批判が起こったが,新聞社も,系列のテレビ番組も社長会見の内容を流しただけで、いろんな反応は報道せずに終わっているのである.いつも正義の味方のような事を言う報道機関の真の姿が垣間見えた瞬間である.

議決権の規制でマスメデア集中排除原則が守られているのかもしれないが,報道番組の中では集中排除がされていないのである.新聞社がテレビ局に電波の認可を取らせ新聞社の思い通りの報道をしている,と見えるのである.

そんなテレビ局に、電波の使用許可を出しても、放送法が守られるわけがないのだが,そもそも公平性などと言う曖昧な言い方は建前で,どうせ誰からも,何も言われないと新聞やテレビは思っているのだろうか.

私見だが,本来なら,テレビ局は,放送法と言う法律が適用されるだけに、新聞社から独立した報道機関であるべきだと思う.テレビと新聞は根本的に報道の使命や役割が違うからである.

国民としては、全てのマスメデアを見比べる事はできない為、客観的、公平な報道はテレビにしか期待出来ないのである.この事を意識し,放送法云々以前に、報道の客観性を常に配慮した報道番組がある事を付け加えておきたい.

国民の知識や判断力を高める為にも、影響度の大きいテレビがその役割を持つ事は民主主義の発展のためにも、極めて重要な事だと思うのである.

また、信頼感のあるテレビ局になる事は、視聴率の面でも、CM事業の面でも、好都合だと思うのである.その為にも、是非、新聞社から独立すべきだと思うのである.その為の人材体制強化も必要なのである.それとも、テレビ゙マンは報道機関ではなく、番組を流すだけの放送機関に甘んじるのだろうか.

放送法を前提に電波を借りているテレビ局の客観報道の在り方、特に、新聞社やCMスポンサーとの関係、について、マスコミ論を得意とするテレビ業界の論客は、どう考えているのだろうか.たまには、他人の事ではなく,自分の足場の事を考えてみたらどうだろうか.

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2010.11.30

232 『龍馬伝』最終回クライマックスで流れたテロップの怪

11月28日,NHK大河ドラマ最終回『龍馬伝』のクライマックス場面'近江屋の薄暗い隠れ部屋で刺客と龍馬,慎太郎の決死の格闘''瀕死の龍馬と慎太郎の辞世の会話’'血まみれで息途絶えて行く龍馬'をかたずを飲んで観ていた.

事もあろうに,この時,愛媛県知事選挙で新人の中村時広氏が当選確実になったと言うテロップが,薄暗い画面に白字で,しかも,迫真の演技を隠す様に流れたのである.緊張感が一気に解けた.

この一発のテロップが,ドラマの最後で最大のクライマックスシーンに水を差し,ドラマを台無しにしたのである.一刻を争うような内容でもないテロップが,何故,あのタイミングで,と,怒りのクレームがNHKに殺到したと言うが,当然である.

何故こんな事が起こったのか,直感的に,この時をねらって,意図的にテロップを流したのではないか,土佐と松山の対立が背景にあるのではないか,が頭をよぎったのである.

松山藩は幕末期,佐幕派であり,大政奉還に舵を切った土佐藩と対立していた.鳥羽伏見の戦い以降,松山藩は土佐藩に支配されていた.この時から,土佐藩と松山藩の対立が始まった.

この土佐藩VS松山藩の歴史的対立が現在に至っても,龍馬・弥太郎VS秋山兄弟・子規の偉人対立,『龍馬伝』VS『坂の上の雲』のドラマ対立,土佐VS松山の観光対立,あるいは,道路等の公共事業対立,に,脈々と続いている感じがする.まさに,四つの国がある四国と言われる由縁である.

愛媛県知事当確の中村氏は松山市長として,町おこしの為に,『坂の上の雲』(松山出身の秋山好古陸軍大将,秋山直之陸軍中将,正岡子規を主人公にした青春群像小説)を宣伝していた事も,打倒,『龍馬伝』の意図を感じるのである.

さらに言えば,この最終回に限って,緊急性のないテロップが何本か流れていた.そのこと自体,不自然に感じたが,愛媛県知事当確の本命のテロップを偶然に見せかける蒔きえだったのかもしれない.

NHKが今年,『龍馬伝』と『坂の上の雲』を放送するのも,この対立の激しさを物語っている.NHK内部にも,ドラマ対立があると想像できる.そんな対立の中で,テロップによるテロが巧妙に仕掛けられたのではないか,と推測するのである

結果,視聴率のピークを狙って,愛媛の宣伝をし,同時に土佐が露出するドラマを台無しにしたのである.その絶妙さ故に,上記のような背景と意図を感じるのである.

そんな意図が実現するなら,もし,『坂の上の雲』の放映時間だったとしたら,愛媛県新知事誕生のテロップは,ドラマに影響を与えないように,流れたと思うし,土佐に関するニューステロップなら『坂の上の雲』の名場面に流れたかも知れないのである.

いづれにせよ,今回のテロップは,全く偶然であった,では納得できないのである.これ程の,いかにも歴史ファンが喜びそうな,いかにも有りそうな,理由がなければ,今回のテロップ事件は説明できないと思うし,歴史ファンは納得できないのである.

NHKは是非,得意のドキュメンタリータッチで,次の特番を組んで欲しいと思う.

なぜテロップ事件が起きたのかー今も続く土佐藩と松山藩の対立ー

ところで,一般的に,日常流れるテロップに問題はないのだろうか.今回を契機に,次の2点が気になるのである.

1.テロップで法的問題が起こらないのだろうか

今回の件は,著作物である映像がテロップで台無しにされたわけだが,一般に,こんな事が起これば,著作権侵害,表現の自由侵害,営業妨害,等の法的な問題は起こらないのだろうか.民放で言えば,スポンサーは黙っていられない事もあるはずである.法的にはどの様に取り扱われるのだろうか.テロップはいかなる放送より優先するのだろうか.

2.テロップの基準とテロップの運営はどうなっているのだろうか

例えば,緊急で重要な内容を放送中,地震の震度が1程度にもかかわらず,その地区名が画面を覆ったり,緊急でもない三面記事的事件のテロップが流れたり,する事がある.

テロップに,目的と基準があるとしても,流す判断,流す内容,流すタイミング,流す回数,は何らかの人間の判断があるはずである.だとすると,テロップによる宣伝や番組妨害等の恣意的な運用も起こり得る.そんなわけで,どのように運営されているのか知りたくなるのである.

こんな,疑問,疑念を払しょくする為にも,NHKも民放も,テロップを出す基準,出す判断,出すタイミング,出す回数,について,改めてキチッと国民に説明する必要がある.その上で,今回のテロップ事件の顛末をつけなければ,怒りは収まらないのである.

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2007.10.01

114 放送と通信の融合

インターネットの発達,伝送技術の発達によって放送法,通信法が形骸化してきた.その本質を整理したい.

現在の放送法は電波の公共性を担保した許認可制度である.(実際は商業放送であるが)認可を受けた放送事業者(不特定者に情報を流す事業者)は放送の影響力、電波の公共性から、コンテンツ(放送内容)の公平性が求められる事になる.

一方,放送は放送目的の電波網以外に携帯電話網,インターネット網,等の通信網でも行われている.インターネットテレビ、オンデマンド映像配信、インターネットラジオもある.ここに放送法と通信法の融合問題が発生する.

伝送路の融合だけではなく,放送とは何か、報道とは何か、マスコミとは何か、報道・言論の自由と放送の公共性・公平性をどのように考えるか、ボーダーレスな通信網で国内法が成立するのか、など,の問題が発生してくる..

又,放送のデジタル化によって,放送内容の私的複製権も議論され始めた.複製しても画質や音声が劣化しない事から,著作権保護優先の規制問題である.インターネットのコンテンツ(画像・映像・音楽)の私的複製権の問題もある.

このような事態に対し、法的な整備はまだ出来ていない.私見であるが、縦割り(垂直統合の考え方)から横割り(水平統合の考え方)に法体系を作りかえるべきだと思う.横割りの考え方は次の通りである.

①プロバイダー
プロバイダーはコンテンツの発信機能を有している企業・団体・個人(従来の放送局、通信事業者を含む)を指し、認可もしくは届出制度で運営

②キャリアー
キャリアーは伝送路(有線、無線)を有している者を指し、認可制度による割り当てで運営、プロバイダーに伝送路を貸し出す事業となる.

③コンテンツ
コンテンツは不特定多数へのブロードキャスト・配信内容を指し、自主規制と刑法で規制、私的複製権はここで議論.(海外からのコンテンツをどのように規制するかの検討は残る)コンテンツ事業者はプロバイダーにコンテンツを提供する事になる.テレビで言えば番組作成と放送局を分離した考え方.

この考え方によれば、各事業者は分離しても良いし、併せ持っても良い事になる.事業の参入も活発になる.

現在、総務省で検討中だと思うが、どうするのか、その推移を見たい.

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2007.09.17

110 独占スポーツ番組への懸念

最近、バレーボール、世界水泳、世界陸上、世界柔道など、大会全体をテレビ局が独占放送する事が多くなった.テレビ局としては、視聴率アップに向けて、芸能人を入れたり、盛り上げる為の演出を入れる.客観的なスポーツの実況放送と言うより、バライティ番組のような感覚で独占番組が放送される.

ともすると放映料の見返りで大会内容に介入したりする.大きな競技大会もテレビ番組の為に存在する感じになりかねない.スポーツ界も選手も、人気を盛り上げたり、収入の面から、歓迎している向きもある.

一方、真剣にスポーツを見る方からすると、只で見られてありがたいが、これらのテレビ局の思惑は邪魔である.芸能人のコメントや応援は興ざめである.選手が芸能人のように扱われるのも抵抗感がある.

はたして、競技大会があって各局の放送があるのか、面白い番組作りの為に競技大会があるのか、観戦者にとって、スポーツの発展にとって、スポーツ選手にとって、どちらが望ましい事か考える必要がある.

テレビ局としても、報道の立場で放送するのか、番組作りの立場で放送するのか、を考える必要がある.これによって、放送の内容が変わってくる.

見る方からすると、独占放送より、各局が報道の立場で、放送した方が多面的、専門的になり、純粋に競技が楽しめるように思う.個人競技などは日本人以外の名勝負も見たいのである.

当ブログでテレビの危険性を述べているが、番組視聴率の為に、超えてはならない一線を超えてしまう危険性に触れた.24時間マラソンもしゃれや感動では済まされない.金を出すから、ここから飛び込んでくれ、と同じ、やらせの番組作りである.24時間マラソンが存在していて、それを報道する場合と全く違うのである.

テレビ局が番組作りの為にイベント、コンテスト、スポーツ大会等を主催する場合は報道ではなくなり、作り物になる.これに潜む危険性や報道と作り物の切り分けをテレビ局はどのように考えているのだろうか.

考えている間に、視聴率競争の中で、作り物の企画、番組がコストの面で、衰退するかもしれない.メデアの多様化で安物の番組が多くなり、本来の報道に回帰するかもしれないが.

余談だが、最近の食べ物番組が気になる.安上がりの割りに、ある程度の視聴率が稼げるからかもしれない.食べ物は自己責任と言うものの、いかにも油物、肉物で食料自給率や体を悪くする食べ物を吹聴している感じがする.テレビは放送コード以前に、良識が必要だと思うのだが.

表現の自由、報道の自由、の傘の下で、視聴率至上主義が社会をミスリードしているように感じる.視聴者は政治と同じように、今以上に見識や自立が必要な時代なのである.

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2007.01.29

79 テレビ局の課題

今始まった事ではないが,テレビの報道や番組作りに問題が絶えない.その問題,課題を列記してみた.

①話題を捏造する事がある.

テレビ局が同じ内容を繰り返し報道し,あたかも世間が大騒ぎをしているが如くの演出をする.視聴率を狙った,自作自演の拡声器放送である.嘘は無いかもしれないが,テレビによる'話題の捏造’に値する.

「こんな事が言われていますが」「こんな事が問題になっていますが」と話題沸騰のごとき言い方をして,視聴率をかせごうとする.言いふらしているのは自分なのである.

テレビ関係者はその事を百も承知で,影で舌を出しているのかも知れないが.見ている方も,そんな事は見抜いており,白けている事が多いのである.この事をテレビ関係者は気付いていない.

②テレビは報道機関ではなく放送機関と見た方が良い場合がある.

報道とは客観性の立場で取材し,自分の主張を言う事である.どうも客観性とは他人に言わせて,自分の意見を言わないことと理解しているようである.いや自分の調査能力,見識や自信がないからなのだろうか.

’新聞によれば’とやたら新聞を持ち出す,聞く程でもない事をやたら'専門家’に言わせる,ニュースはほとんど買ってきたものだ,は報道機関ではなく放送機関である.

③面白い番組作りに熱心なあまり,ニュースや事件を作る可能性がある.

ギャラを弾むから崖から飛び降りてくれ,試合で罵倒しあってくれ,反則をしてくれ,人気を出す為,あの選手に勝たしてくれ,など'やらせ’が裏で行われる可能性がある.テレビ局が客観的な報道に徹するか,興行主になるかの問題であるが,興行主になってしまう危険性がある.

又,台風や災害の現地からの報告に視聴率至上主義の姿勢が垣間見える時がある.多分,大変な事が起こっていると放送したいのだろうが,図らずも大した事が起こっていない時,そう言えば良いのに,番組の意図がなくなると思うのか,意地になって,少しでも大げさに言ったりする.明らかに,視聴率重視の姿勢が垣間見える瞬間である.

④報道番組,情報番組,バライティ番組,の垣根がなくなる.

これらの番組で,視聴率を上げる演出が優先し始めている.その結果,捏造,やらせ,演出意図に合ったコメント,が入り込みやすくなった.特に芸能人の発言は無責任で,間違いだらけ,でも許されると思っているのか,これを良い事に,芸能人を使って視聴率重視の番組作りに走っている傾向を感じる.

又,新聞によれば,週刊誌によれば,と伝聞情報に頼って,自ら事実を検証する事も無く,あたかも真実であるかのように,それらをネタにして番組を作っている感じがする.無責任,低コスト,で視聴率を稼ぐ手法なのだろうか.だとしたら,テレビの影響力の怖さを,無視していると思わざるを得ない.

⑤わかりやすさの為に事実が曲がる事がある.

面白く,わかりやすくする為に単純に割りきり,事実とギャップが生じる事がある.これも誤報,捏造,やらせと紙一重になる.バックに流れる映像も,いつの時点で,どんな状況で撮った映像かの注釈なしに,わかりやすさを演出する為,雰囲気を盛り上げる為,に流れている時がある.これも事実と違った印象を与える可能性を秘めている.

⑥建前と実態がかけ離れたて行く傾向がある.

建前で言えば,放送事業は公共性があるゆえに許認可事業であるが,これに基づく放送時間より,圧倒的に公共性とは関係ない,視聴率至上の番組やテレビショッピングの番組が多い.認可を取れば,何でもあり,建前と実態がかけ離れて行く傾向がある.特に,BS放送はテレビショップの為にある感じがする.

だとしたら,キャリア事業者(放送設備,放送網の時間貸し業者)とコンテンツ事業者(ニュース,娯楽等の番組作成業者,),番組放送者(広告と番組の編成)を分離した方が,良いかもしれない.

⑦テレビ局の広告収入は下降線をたどる.

チャネル数の増大,番組作りの重点志向,広告収入の減少で,安上がりの時間つぶしの番組が多くなり,益々軽薄な番組が増える.知恵を出さないと,テレビ業界は衰退するか,格差が広がる.キー局構造も改革が必要になる.そんな中で公共の電波が安物芸人の仕事場になって行く.同時に,番組出演者の中に閥が形成されて行く.

懸念する事は以上であるが,認可制度のあり方,事業者の分離化,放送とインターネットの融合,デジタル化による著作権問題,などなど,テレビをめぐる課題は山積みである.

テレビ関係者はこの問題に,どう答えるのだろうか.表現の自由,報道の自由,マスコミの使命,ジャーナリズム論,等の高尚な議論が’視聴率至上主義’'情報化社会'の中で,むなしく,霞む.’テレビとはそんなもんだ’と思って見るのも見識であるが.

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