企業経営

2014.10.25

375 妊婦の仕事変更による賃金減は是か否か

2008年,理学療法士として勤めていた広島市の病院で,妊娠した為に負担の軽い業務を希望したところ,新たな業務に就く際に病院側から副主任の肩書を外され,月9500円の副主任手当を失ったと言う.この事に対し,不当だとの訴えが起こされたのである.

一審、二審は原告の敗訴であったが,最高裁は23日,妊娠を理由にした職場での降格は原則として男女雇用機会均等法が禁じる不利益処分にあたり違法だ,とする初めての判断を示した.例外となるのは「自由な意思に基づいて本人が同意した場合」と「業務を円滑に進めるうえで特段の支障が生じる場合」との基準も明示した.

この判決に対してテレビの多くコメンティターのコメントは,画期的な判決だ、妊娠や出産による職場での嫌がらせ,『マタニティ・ハラスメント』への一定の抑止力になりそうだ,等と判決を歓迎しているようであった.

これに対し、ネットの反応は違った.この判決に対し,疑問や異論が多かったのである.その成否は別にして,通り一遍のコメンティターのコメントより,一般人の方が感性が鋭いと思った.コメンティーターは、これにどう答えるのだろうか.私の感想も含めて,いくつか紹介したい.

①妊娠しました.楽な仕事にしてください.でも給料は下げないでね、と言っているのだが、これを拒否したのは違法だ,と言う裁判官がくるっている.

②会社は妊婦に対して本人の実力・貢献に基づいて人事評価できないってことだよね. 

③女性の採用が減りそうだ。特に妊娠しそうな人のね. 

④訴状の事実はなんら変わっていないのに,一審、二審、最高裁と違う判決が出る理由は何んだ.結審前にWEBはじめ各種メディアで取り上げられたからか,裁判官への恐怖と絶望を感じざるをえない. 

⑤降格が違法なら,今後,若い女性の昇格のハードルは必ず上がるだろうね. 

⑥本人が『仕事を楽にしてくれ』と申し入れた事は,本人が『承諾』している事になるのではないのか.

⑦妊娠以前と同じ仕事が出来ないのだから、降格,減俸も仕方無いのでは.この訴えが通るのなら、普通に仕事をしている人との,新たな不平等が発生しますよね. 

⑧妊婦に負担を軽減して極力就業しやすい環境を作ってあげる事は会社の責務だが、処遇をどうするかは仕事上の判断だ.『妊娠を理由に降格した』と言う裁判官の判断に事実を曲げて男女雇用機会均等法違反判決を出したい意図を感じる.事実は『妊娠・仕事の変更・降格』のはずだ.

⑨権利を主張する人は,『同一労働,同一賃金』と言っているではないか. ならば,仕事が違えば処遇は違って当たり前だよね.

⑩不当判決だ.100人以上の規模の病院ならともかく,そこら辺の開業医にまで産休を取らせた上に育休まで取らせてあげるのは経営に影響必至です.その間に新規での採用もしないといけないとなると育休明けで戻って来た人を解雇せざる負えない.零細開業医で余剰職員を抱える余裕は無いですよ.ここまで労働者の権利を押し通されるのは国の経営者苛めとしか考えられない.

妊娠で仕事を変えた結果,収入が減る問題は仕事とは別に,企業が妊婦手当を出すかどうか,もしくは,福祉行政で支援するかどうか,の問題だ.

⑫はっきり言って経営不振で倒産したらマタハラとか男女雇用均等へったくれとか言ってる場合じゃないでしょ.労働者は雇用保険で守られ、経営者は寝室で首を吊れって事ですか.

ざっとこんな感じですが,裁判官,コメンティタ-はどうこれに答えるのだろうか.

ところで,労働基準法及び育児・介護・等の福祉に関する法律では使用人は『雇用の継続及び再就職の促進を図り,職業生活と家庭生活との両立に寄与する事に努め,これらの者の福祉の増進を図り,あわせて経済及び社会の発展に資する事』と記されている.

企業では,慈善事業ではないのだから,『賃金は働いた対価である』を基本にしている.だから仕事を通して人事評価をするのである.

一方で企業は雇用の責務として,労働者の福祉の充実,税金や社会保険料の負担,などの社会的役割を背負わされているのである.そして,企業の社会的負担をどうするかは常に問題になっているのである.

このように法律は職場生活と家庭生活の両立に寄与すべきとしているが、現実には、従業員の医療・介護・子育て等への企業の配慮や企業負担は企業の体力の関係もあって,法で定めた事以外は一律ではないのである.

現実に,各企業の賃金・賞与規定、資格規定、休暇規定、諸手当規定、等は当然の事ながら,労働者との合意に基づいて決められているが、企業によってまちまちなのである.

以上であるが、私見を整理すると、

判決は『妊娠した事を理由に降格させた』から違法だとしているが、事実は『妊娠したから本人の要望を受け入れて仕事を変えた.仕事が変わった結果、降格になった』である.

裁判官が事実を誤認しているなら判決は間違いである.それとも、事実を認識したうえで結果的に『妊娠した事で降格になった』と、とらえているなら、裁判官に男女雇用機会均等法違反判決を出したいとの意図が働いている、としか考えられないのである.

私見によれば、あまりにも人権意識が前面に出ているように思う.人権論者がよく間違う勇み足である.事実が『妊娠・仕事・降格』であるにも関わらず,『妊娠・降格』と言う我田引水的な構図にデフォルメするところは,人権論者がよくやる論法なのである.

今回の事案は,明らかに妊娠したから,妊婦保護を優先して仕事を変えたのであって,不利益処分を受けたのではないのである.

違法となる場合は、妊娠しただけで減捧になった場合,妊娠したにもかかわらず,仕事環境を変えなかった場合,仕事が軽くなって減俸されるのは女性だけの場合だと思う.

要するに、今回の最高裁の判決は『労働が変わっても,同一賃金を払え』と言っているようなもので、労働基準法、男女雇用機会均等法の精神である労働者の『同一労働、同一賃金』の理念を裁判官自ら破れと言っているようなものである.

妊婦保護の為に仕事を変え,その為に賃金が減る事が問題になるなら,感想にもある通り賃金とは別に妊娠手当を企業が考えるか、行政が支援策を考えるか、の問題であって、賃金を減らした企業を一方的に違法だと言うのはむちゃくちゃな論理である.

これらは私だけの感想だろうか.裁判官の公平な認識力と立論力が欠如していると思わざるを得ないのである.はっきり言って,裁判官失格だとも思うのである.

ところで、私の物の見方,司法への懸念について触れておきたい.

私は世の中の問題には究極的には三つの視点があると思っている.この三つの視点を定めた上で,それぞれの考え方を知り,物事を判断するようにしているのである.

たとえば坂道は見方によっては上り坂、下り坂、もう一つ、地球規模で見れば,平坦と言う三つの視点がある.そこで、一つの視点だけではなく、この三つの視点に立って論理性を判断するのである.裁判官にもっとも必要な物の見方だと思う.

今回の問題で言えば,妊婦の視点,経営の視点、もう一つ,公共福祉の視点,がある.勿論,裁判官が偏った視点に立てば、論理性が欠落するのである.

もう一つ、懸念している事がある.司法の裁量権の問題である.法律は抽象的な記述が多く、判決に裁判官の裁量が入り込む余地が大きいのだが,中には、法律では判断ができない事も,裁判官の裁量の内に含まれる場合がある.

そこまで司法の裁量権が広がると,法治国家は法律ではなく司法の裁量権によって運営される事になる.極めて危険な事態である.したがって、司法の判断が困難な事案は、国会(立法府)に判断できる法律を作るように要請すべきだと思うのである.無理に裁判官がその裁量権を振り回してジャッジをすると法治国家ではなく、裁量国家なってしまうのである.

これは裁判官を信用していないからではなく,主権在民を貫きたいからである.最近,度々当ブログでも発信しているが,裁量権の乱用,お代官様時代への回帰現象が見受けられるからである.

限られた裁判官の俗人的な裁量権で国家権力が行使されないように、裁判官の自覚と新たな法治国家の仕組みが必要だと思うのである.

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2007.10.29

121 人事制度再設計ニーズに対しての所見

企業経営の基礎に人事制度がある.この人事制度は経営者の考え方,仕事の特性,社員数,業績,年齢構成,労使関係,歴史,等によって千差万別である.

一方、技術革新、国際化,産業構造変化,事業再編,競争激化,などの経営環境や価値観の変化の中で,人事制度の改革ニーズが高まっている.その中で,『成果主義か能力主義か』,『人材はストックかフローか』,等の基本的な議論も再燃しているのである.

ここで,再設計における一つの基本的考え方を述べてみたい.

人事制度は言うまでもなく,企業にとっても社員にとっても納得出来る制度である事が基本である.その上で,一本しかないキャリアパスを管理職と専門職の二つのキャリアパスにするとか,能力と業績を反映する制度にするとか、いかに会社全体の人材を活用し,会社としての活力を向上させて行くかが改革のポイントだと思うのである.

『能力・人間力ある者に地位を』,『業績ある者に禄を』という古典的な考えが,今問われていると思うのである.

そこで,一つのシンプルな人事制度を紹介したい.

月次給与=基準給与(本給+資格給)+職責給+(諸手当) 

・基準給与は残業,賞与などの基礎になる給与
・本給は年功順の賃金(幅を持つ事もある),退職金の基礎.
・資格給は勤続年数,能力主義にもとづく等級制度
・職責給は資格条件のもとで付与される役職・技能職制度

本給は年功序列の文化を残す部分である.給与全体の割合(例えば5割)を設定する.同時に退職金計算式の変更が発生する.次ぎに、新入社員から役職者までの資格体系と資格給を設定する.職責給は役職・専門職の職責体系と職責給を設定する事になる.

職責は肩書きになり、呼称も重要である.あまり再分化すると外部から分かりづらくなる.従って、課長職であっても、本給、資格給が違ってよい.

次に職責には職責毎の『権限と責任』が定義されるが,下記の定義も必要となる.
①組合員かどうか
②残業手当の支給対象者か
③個別原価の対象者か

次に,資格,職責の定義で裁量労働制の適用可否も決める必要がある.又,仕事によって,裁量労働制を外すルールも必要である.

この体系で毎年,年間の業績,能力に応じて,昇給(本給),昇格(資格,職責)が行われる.勿論、昇給、昇格モデルによって、社員も将来の給与が、会社も将来の人件費予測が可能になる.

一方,賞与は業績配分の考え方に立ち,半期毎の業績で賞与原資を決定(営業利益の%)し,配分は個人もしくはグループの業績で配分する,との考えが必要だと思う.但し,賞与は社員から見れば,生活費であり,一定の基準賞与を保障する原資確保が経営には求められる.

その配分ルールだが,資格グループ毎の基準給合計比率で賞与原資を按分し,そのグループ内の順位でその原資を個人に配分する,等のルールが考えられる.恣意的な配分をやると,個人に対しても,過去の支給実績についても,説明が出来なくなるので注意が必要である.

最後に、昇給(本給のアップ評価),昇格(資格,職責のアップ評価),賞与算定の業績評価,に関するルールの問題であるが,過度にルールに走る事は危険である.基本は管理職と社員のコミュニケーションに置く事である.

何らかの評価方法を取るにしても、社員の顔が見えるか見えないかにもよるが,相対的評価の難しさがあるからである.同一世代の人数も相対評価に影響を与える.又異質な仕事間の相対評価の問題もある.大企業ほど顔の見えない,仕事が見えない,社員同士の相対評価が問題になるのである.

能力開発や業績達成の為に作られた目標管理が昇給,昇格,賞与の評価の為に使われると,目標設定の公平性に問題がでる.現実は、それらを参考にしつつ,最後は管理職による調整機能が必要になるのである.

退職金制度のあり方も大きなテーマである.本給リンクをはずし,ポイント制にする議論もある.ベースアップと退職金を分離し,それぞれ独立して自由に検討できるメリットがある.賃金の後払いとの解釈のもと、賞与で払う考えもある.

さらに言えば、職種によっては、年棒制をとる企業も現われている.同一企業の中で、工場や営業で制度を複数持つ企業もある.

以上、人事制度の根幹に付いて述べたが、業績向上や専門家集団の形成を促進するシンプルな人事制度が今求められていると思う.

尚、新制度への移行には、細心の注意が必要となる.特に移行に伴う不利益を出してはならない.新制度に個人を当てはめた時、給与額に不利益が出る事は予想されるが、何年間かの経過措置(補正支給)で対応する事になる.

米国の様な個人ごとの契約主義ではない日本は,会社と社員の約束で人事制度が存在する.従って,制度の不具合や不透明制を放置する事は社員の会社に対する信頼感を奪う事になる.人事制度はまさに経営の基礎であり戦略なのだから,いかなる人事制度も社員の信頼感を失ってはならないのである.

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2007.10.11

118 J-SOX法の懸念

投資家の保護を目的とした金融商品取引法(証券取引法から改編)が08年会計年度から適用される,

その中で.
①業務の有効性,効率化②財務報告の信憑性③コンプライアンス④資産の保全,を目的として,経営者による財務情報に関する内部統制状況の報告,それに対する会計監査人による内部統制監査が義務付けられた.(JーSOX法)

しかし,この内部統制(INSIDE CONTROL)と言う言葉は漠然としてわかりずらい.事業目標に向けた運営の仕組み,信頼性確保に向けた業務処理・事務処理の仕組み,想定されるリスク回避の仕組み,がどのように日常の活動で作動しているか,又,それらをどう改善していくか,等は言うまでもない事であり,会社法でもガバナンスのあり方を決めているのである.

この内部統制の論議は米国で公認会計士の’内部統制が有効でない場合,監査ができない’との意見(監査論)から出たと言う.会計監査人からすれば監査の範囲,責任を狭めたいのだと思う.

そこで,今回の金融商品取引法は,財務情報の信憑性確保に向けた経営者による内部統制報告書の作成と,これに対する会計監査人による内部統制監査報告書の作成が義務化されたのである.経営品質の向上を建前として,監査人の責任を軽くし,会社側の責任を重くする事がJ-SOX法の狙いなのである.しかし,いくつか戸惑う事がある.

①会社法で言う内部統制機能の見直し,補強をどこまでやるか
②金融取引法で言う内部統制機能の見直し,補強をどこまでやるか
③上記①②をどう計画し実施するか
④経営者,監査役,内部監査人,監査人の視点,独立性をどう保つのか
⑤経営者,監査役,監査人の監査計画の差異はどうするのか(④の結果)
⑥経営者の財務に係わる内部統制報告書はどこまで開示するのか
⑦経営者の内部統制報告範囲・評価と監査人
評価の差異はどうするか
⑧監査人の監査報告(会社法)と金取法の内部統制監査報告との関係は
監査人の内部統制評価と決算数値の信憑性との関係は
⑩監査人の内部統制調査・評価の標準化と企業特性をどう調整するか
⑪上場基準,経営品質の各種ISO基準,システム監査基準,等との関係は
⑫情報システム仕様のドキュメント問題をどうするか
⑬整備に必要な工数,経費,が事業を圧迫すると判断した時の処置
⑭監査人の監査費用,監査責任がどう変わるのか
⑮そもそも企業の信頼性,信憑性,透明性にJ=SOXが役立つのか

等々,J-SOX法は必ずしも歓迎されていない風潮がある.米国の初期の論議のように,監査人の合理的保証の為だと見る人も多い.内部統制コンサル等監査ビジネスを拡大する為だとの,うがった見方もある.

金融庁では上記懸念を解消する為に,実施基準を出したようである,さらに,公認会計士協会でも監査・評価の標準的実施基準を出すはずである.数条項でしかないJ-SOX条項が,膨大な実施基準を必要とする所に,どこかに無理がある感じがする.果たして実施基準が上記懸念をクリアーしてくれるか注目したい所である.

もっと大きな懸念は,内部統制は前述の如く,経営の視点より,監査人の視点に合わされるのではないかと言う懸念である.会計監査の合理的保証の為に監査人が考える評価方法に合わせた内部統制になったりしないかと言う事である.その結果,公認会計士協会の標準が全上場企業に適用され,法の目的が浮いてしまう懸念である.

もうひとつ,JーSOX法は米国と同じように,大粉飾事件によって、出番とばかりに、識者が理想に走って、企業の箸の上げ下げまで介入し,挙句,収拾できなくなった感じがする事である.経営者の方も,経営姿勢として,形だけでも取り組まざるを得ないと思っている節がある.不正が発生した時の経営者の責任回避のアリバイ作りにもなるからである.

私見によれば,内部統制はどうあるべきか、評価をどうするか、は教科書や企業に任せればよいと思う.企業運営の問題だからである.株主は取締役にそれを委任し,監査役が監視しているからである.監査人は会計処理が会計原則に従って行われているか,専門家として検証すれば良いと思う.

何よりも,内部統制は会計原則の様なルールがあるわけではなく,又,千差万別の企業を監査人が評価する事に無理があると思う.無理を裁くために,監査人の手間を省くために,標準と称して画一的な物差しがまかり通り,企業が振り回される危険性がある.

又,財務に関する内部統制の評価と会計監査の評価を関係づける事は困難である.内部統制の有効性と決算数値の合理的保証,信憑性とはマクロ的には連動するにしても,直接結びつかないと思う.

財務情報に関する内部統制で監査人の判断で,重要な欠陥や不備があると認識した時,会計監査に手間がかかるかもしれないが,数値は正しい事もあるし,間違っている事もあり得る.逆に内部統制に問題がなくても,決算数値が間違っている事もあり得る.内部統制に問題がないからといって,会計監査が簡単になるとは限らないのである.

そんなわけで,会計監査人による財務に関する内部統制の監査は不要だと思うが,投資家保護の視点や内部統制の強化の視点で,企業経営における内部統制の状況を開示する必要があるなら,事業報告にその部分を加えれば良いと思う.勿論,財務情報に関わる内部統制ではなく,企業全体のリスクにどう取り組んでいるかと言う会社法に乗っかった視点での報告となる.この方がJ-SOX法の目的に合っていると思う.どうやら会社法と金融庁扱いの金取法が整合していない感じがする.

しかしながら,良くも悪くも,08年の会計年度よりこの法律が施行される.表向きは経営の視点,株主の視点で内部統制を言っているが,企業側の未整備もあって,現実には,監査人の視点で内部統制が推し進められる懸念がある.

繰り返すが,結局,監査人の監査の為に,監査証明をもらう為に,法律の意図や各企業の思いとは別に,監査人の標準基準が世の中にまかり通り,これに合わせる事が目的と化すのではないか,と懸念するのである.その分,本来の企業の存続・発展を目的とした内部統制が後退したり,内部統制が形骸化する事が一番,懸念するのである.

’こういう体制・規約・記録が無いと内部統制が出来ていないと評価せざるを得ない’と言う監査人の強い主張で,商人がひれ伏す町奉行所の風景が目に浮かぶのである.

元来,投資家にとって,企業にとって,商売がどうなるか,トラブルが起こるのではないか,が一番の心配事である.せめて内部でやれる内部統制をしっかりやって,病気に掛からない元気な体を自主的に作るべきだと思うし,それを推し進める法であって欲しいのである.

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2007.03.27

89 百貨店の過去・現在・未来

百貨店業界の再編が話題になっているが,懸念される事について述べたい.

百貨店業界は長い歴史の中で,一定のステータスを築いて来た.同時に,百貨店商法も連綿と続けて来た.この百貨店商法は設備投資,催し,消化仕入,委託販売,派遣店員,テナント,外商,ギフト,中元・歳暮,返品,売り場毎の発注などが特徴である.総じて場作りに重点を置いて,その分,商品リスクを取らない経営手法と言える.

極論すると,百貨店商法は売り場を多くのテナントに提供し,その売上を自社売上に計上し,その売上から一定の利益を得るビジネスモデルである(勿論,直営売り場はあるが,その比率は会社の政策で異なっている).この意味で,百貨店の売上高は'取り扱高’なのかもしれない.(過去に売上の定義で議論を呼んだことがある)

この百貨店業界の売上は長い間,減少傾向が続いている.言うまでもなく,チェーンストアー,専門店,巨大ショッピングセンターの台頭もあるが,大きい要因は取り扱い商品が昔から固定的である点である.

家計支出の内容がデジタル家電,IT商品,レジャー,趣味,エクササイズ,車,などに移っていても百貨店の取り扱い商品は変わっていない.そればかりか,得意とする伝統的な家具,呉服等は減少傾向である.紳士服は品揃えが少なくなっている.ファッションは世界的有名ブランドが根強い人気である.社会の消費動向と売り場が遊離しては,売上減は避けられない.決して景気が原因ではないと思う.

百貨店経営の特質は設備投資(豪華な店舗,一等地,増床)や運営経費をまかなえる利幅がある商品しか扱えない事である.従って,ステータス等の付加価値をつけて,顧客に満足を提供する事が大事になる.必然的に客層も限定される.売上の拡大より,安定的な売上とステータスの維持が基本となる..

又,テナント依存から新商品開発や新分野への人材育成が行われていない事も原因であるように思う.時代の変化に取り残され,じりじりと'百貨店’が’百貨店'ではなくなって来た感じがする.

このような状況の中で,従来の百貨店商法を今後,どのように考えていくのか,が業界再編以上に重要なテーマだと思う.

アメリカでは昔から,小売業の業態は客層別,商品群別,に業態分化している.百貨店では,高額所得者と高級商品に特化している.

日本の百貨店は,顧客,商品,サービスのターゲットを鮮明にした方向で考えるのか,従来の商法を続けながら,高所得者層への更なる特化を進めるのか,の選択が求められていると思う.しかし,テナント依存の大きい百貨店は業態改革論議すら出来ないのかもしれない.

従来の百貨店商法のままでは,百貨店の売り場からどんどん商品がなくなって行くのか,テナントや納入業者が逃げて行くのか,あるいは,多くの世界のブランドショップが百貨店に結集されていく事になるのか、あるいは場を提供する不動産業に傾斜していくのか,など気にかかるところである.

百貨店業界の再編に際し,どのような事業コンセプトで展開されるのか興味が沸く.

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2007.01.24

77 損得の前に善悪を

言うまでもなく,人生においても,企業活動においても,'損得の前に善悪'を考える事は当たり前である.’善・悪’の判断はマナーの良し悪しもあるが,最低限,'合法・違法’の判断である.法の判断が難しければ,'常識・非常識’の感覚である.

倒産等の瀬戸際で苦し紛れに善・悪の判断なしに損・得に走ることはあるにせよ,問題は日常の中で,善・悪の感覚を失う事である.この’善・悪’の感覚が失われた状態は,業績悪化による倒産より,高いリスクの中で経営している事になる.

リスクマネージメントの基本は'善・悪''常識・非常識'さらに言えば`これはおかしい`と言う感覚を失わない事にある.違法覚悟の確信犯のリスクマネージメントは,これを発覚させない事であるが,通常のリスクマネージメントは'これはおかしい'と初期の段階で発覚させる事である.

小さな悪の見逃しの繰り返しが,感覚の麻痺を助長させ,慣習化した悪は公表より隠蔽に傾き,いつしか確信犯になる.リスクマネージメントがまったく逆になる.挙句,内部告発で終わりになる.

このように,'損・得'に決定的ダメージをあたえるのが,'善・悪’であり,これを忘れると’損・得’どころの騒ぎではなくなるのである.残念ながら長期に及ぶ’善・悪’の感覚の麻痺が起こした不祥事が絶えない.信用失墜は一夜にして窮地を招くのである.

自由・競争社会ほど’善・悪’には厳しいのである.自由・競争社会はフェアーな社会を求めるているのである.勿論,政治も行政も,この社会の感覚から隔離された特殊な世界ではないのである.

’損得の前に善悪を’心に刻んでおきたいものである.善悪に疎い人は,徹底的に損得を追求して欲しい.悪ほど損であると気がつくはずである.

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2007.01.21

76 労働多様化と残業問題

ホワイトカラーエグゼンプション法案が棚上げになったが,労働時間問題について整理してみた.

サラリーマンの残業時間の運用は,おおよそ次の通りである.

①呼称はともかく,管理職とされる人に残業が付かない.

組合がある場合は非組合員となり,裁量労働者として,残業は付かない.組合が無い場合は裁量労働者とみなしている.管理職の定義(権限委譲程度,部下のいない管理職,手当て,組合の有無)で法廷論争もある.

②非管理職に裁量労働者認定を行い残業をつけない.

研究者,営業などに裁量労働制(個人の了解付き)を導入しているケース.原価部門の人は見なし残業時間で原価計上.ただし,個人の裁量で仕事が出来ない場合(トラブル対応,長期残業が必要な仕事量の発生など)は裁量労働を中止.裁量労働者は想定残業程度の手当てを支給する場合もある.

生産性が低い,ミスが多い人の残業代削減策の側面もある.これは残業代の問題ではなく,マネージメントの問題だと思うが.

③非管理職で見なし残業相当の手当てを支給し残業をつけない.

会社内の資格制度で規定.

④管理職いかんにかかわらず,成果主義による年棒制,歩合制,嘱託制などでは残業概念がない.

①から④共通で,残業と言う概念が無い事から,長時間労働,過労死,定時間外の事故などでサービス残業問題がクローズアップされたり,反面,時間労働から解放されて,自主的に,積極的に,仕事に取り組むケースもある.

大体以上であるが,これと,ホワイトカラーエグゼプション制度(一定以上の報酬支給者に残業をつけなくても良いとする制度)の関係がよく分からない.この法律によって,一定報酬以下の人には,残業代を必ず支給する事が義務付けられるのだろうか.裁量労働制はどうなるのか.識者やマスコミは突っ込んだ所見を言わない.表面的な論評だけである.

以上,残業をつけない場合の議論であるが,残業をつける制度の中でも,運用上の問題もある.現法律では,会社の管理下における時間外作業はすべて残業代になるとの事だが,現実には,判断が難く,判例主義で補われているケースも多い.

又,残業指示・申請なしのサービス残業の問題もある.特に始業前の準備作業,朝礼や時間外の勉強,研修,会社行事,自主判断の作業など悩ましい.あくまでも自主的であれば,残業にならないのだろうか.

私見によれば,仕事によって,労働条件の多様化は当然であり,労働条件が変わるつど,個人ごとに何らかの雇用契約(もしくは規約)をしっかりすべきだと思う.労働賃金・報酬が労働時間だけを物差しにした時代ではなくなったからである.

従って,労働条件の多様化に対応できる労働基準法の全面見直しが必要だと思う.法律の立場としては,労働条件の下限を規定する事であり,法律の規制を拡大すると,社会主義になってしまい,企業や産業が成り立たなくなる危険性もある.基本はあくまで企業と従業員(組合)で決めていくものだと思う.

一方,多くの企業においても,就業規定,賃金規定,人事評価・昇給・昇格制度,退職金制度,年金制度など,歴史的に引きずった複雑な規定になっていると思う.シンプルな方向に改革すべきである.又,優秀な人材はストックからフローの時代向かっているように思う.それに対応する仕組みも必要である.

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2006.11.27

69 日本を揺るがすアーキテクチャーとテクノロジー

’日本(人)はアーキテクチャー(考え方,方式,論理)は弱いが,テクノロジー(実現技術)は得意だ’と良く言われる.平たく言えば,’設計は弱いが物作りは得意だ’’基礎技術や独創的な考えに弱いが,それを取り入れるのは得意だ’である.

明治以来,欧米文明の輸入で近代化を進めてきた歴史,翻訳が学者の仕事になっていた歴史,シルクロードの終着地として,常に文明・文化を輸入して来た長い歴史,が現在にも流れている感じである.

このままだと,アーキテクチャーの世界標準が海外に握られ,日本は作るだけ,が続く.その作る仕事も,自動化や途上国の台頭で怪しくなっているのである.

積極的な見方をすれば,最も洗練された文明・文化を日本が受け入れて来た結果,世界の英知が日本を育てたとも言える.この意味でアーキテキチャーは弱くても,テクノロジーが得意なら島国日本の生き方として間違っていないのかもしれない.

しかしデジタル時代への大きな問題がある.デジタル化とは
①ソフトの巨大化(機能の拡大,ハード部品の減少化)
②システム商品化(ネット連携,他商品との連動)

③アーキテクチャーの共有化(方式,インターフェースの標準化)
④ハード製造ラインの装置化,自動化
⑤国際分業化,低価格化

であり,必ずしも日本のお家芸は安泰ではない.テクノロジや,ものつくりが得意なだけでは生きていけないのである.

アーキテクチャー重視の傾向は物作りの世界だけではない.国際政治や憲法,行政,企業経営などにも言える問題である.考え方や視点の重要性が改めて問われるのである.企業で言えば事業の方向性(アーキテクチャー)が定まらなければ生産性(テクノロジー)も追及できない時代なのである.

ある競技種目に秀でていても、その種目がなくなったり、ルールが変わったり、新しい種目が出てきたりする可能性もあるのである.物作りやテクノロジーに技術革新や生産性も重要だが、アーキテクチャーの戦略性が極めて大事になって来たのである.

日本のアーキテクチャーの弱点を克服する為に,次の事を提言したい..

①発想の視点を変える

会社や国の立場に立つと発想が狭まったり,損得勘定が優先されやすい.結果,世界に通用する普遍性が弱くなる.顧客の視点,世界の視点が必要である.

②得意なテクノロジーからアーキテクチャーを創造する

アーキテクチャーがあってテクノロジーが進歩するが,逆に,テクノロジーから高度なアーキテクチャーを創造する,既存のアーキテクチャーをブレークスルーする事を考える.

③ファイテングスピリットを発揮する

日本人は世界的にデファクトになった製品や開発規模の膨大さに,最初から戦意喪失状態になりやすい.

アメリカ人は何十年もこの製品が続くと思っていないし,市場が成熟していても,商品は未熟であり,シェアーが高い製品ほど挑戦しやすいと思っている.戦意喪失どころか,虎視眈々と次を狙っている.敵をリングの外に出すまで戦うのである.アングロサクソンの習性かもしれない.

④自前主義から脱却する

多くの人,企業,国が参加でき,利用できるアーキテクチャーが理想である.何でも独り占めにする事を狙ったアーキテクチャーは孤立する

マイクロソフトの例で言えば,パソコンOSを考えた時,プログラムの動作環境のみ提供する事とした.データベース,言語,表計算・DTPなどのミドルソフトは世界のソフトハウスに任せる戦略をとった.その上に多くのミドルソフト,アプリケーションソフトが開発され,マイクロソフトの世界が世界に普及して行ったのである.まさにオープンアーキテクチャーと言う考え方,戦略が成功した例である.

箱庭文化,自前主義と言う一筆書き発想から,グローバルな視点で,構造的骨太の考え方,戦略が大事だと感じる.家電,携帯機器,車,あるいは産業機器など,既に新たな戦いが始まっているのである.

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2006.09.26

60 必然と偶然を見極める目

成功が必然だったのか,偶然だったのか,失敗が必然だったのか,偶然だったのか,を認識する事はきわめて重要である.特に失敗が必然であったとすると,本質的なことにメスを入れない限り,何回も失敗を繰り返すことになる.勿論,

'成功は必然,失敗は偶然'であって欲しいのは当然である.さて,

先の戦争での敗戦,日本の脆弱性を露呈したバブル経済の崩壊,,崩壊後の対策が10年間迷走した,世界の冷戦体制が崩壊し,新たな秩序に向けて紛争が起こった,大義名分のもとで不正が起こる,企業の倒産や業績不振,国家財政が危機,借金だけ残った効果の無い公共施設,など

ほとんどが偶然に起こったことではなく,必然で起こっている.偶然で無い限り,防げるはずの失敗と言わざるを得ない.

しかし,どうやら,人間は必然的に起こるであろう事に未然防止の手を打つ事がきわめて苦手であると言わざるを得ない.この苦手を直さない限り,同じことを繰り返すに違いない.

政治家や経営者の資質はこの必然的に起こる悪い事態を認識し未然防止を図る能力を有する事である.言い換えると,予知能力である.予知能力はリスクの回避や成功に向けた意思決定に,きわめて重要な能力である.

この予知能力は誰しもが持ち合わせている能力だと思う.しかし,それが発揮されにくい理由がある.事実を知らなかったり,無関心であったり,経緯や立場であったり,見栄であったり,目先の利益に走ったり,損切りが出来なかったり,勇気がなかったり,である.

又チェックポイントを持たない事も予知のチャンスを失う.予知できても手が打てない場合もある.結果,行くところまで行ってしまうのである.地獄を見ないと直せない,ならまだ直すチャンスがあるが,現実は地獄を見たら終わりなのである.

企業で大事なことは,成功が必然なのか,偶然なのか,検証することである.必然なら,それをさらに伸ばす事である.もっと大事な事は失敗が必然なのか,偶然なのかを検証する事である.

必然なら徹底的にその原因を追究し,対策を打たなければならない.必然的失敗を個人の問題で片付けたり,偶然のアンラッキーとして蓋をする事は絶対避けなければならない.必然的失敗の要因を認識し,改善しない限り,成長しないし,いつか致命的な問題に遭遇する事になる.結局,そのような企業は予知能力が無いことになる.

国であっても企業であっても,起こってしまった過去の失敗を繰り返さない為に,その本質的原因がナレッジとして共有されているか,対策が打たれているか,が成長の決め手となる.対策が不十分であっても,原因が認識されていれば,回避したり慎重にする事ができる.

’成功は偶然,失敗は必然’の状態を認識し,徹底的に排除しなければ,’成功は必然,失敗は偶然’に近づかないのである.

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2006.07.26

52 満足度と貢献度

お客様の満足度向上は企業活動にとって大事なテーマであるが,そこに何か情緒的な雰囲気がある.満足度は感情も入った人間の評価だからかもしれない.従って満足度には人間関係,マナー,対応の仕方,製品,サービス,価格など,あらゆる事が関係するのである.

顧客満足度向上運動がよく企業の標語に掲げられるが,何をやっても,今まで通りやっていも,やっている事になったり,又,満足度向上度合いの測定も難しい事から,どうも精神論だけに終わっている感じもする.

クレームや傷害,あるいは敗戦が減少したからと言って満足度が向上した,と言うのも何かおかしい感じもする.調査員を編成し,顧客を回って顧客の評価を聞きに行き,これをラインにフィードバックする活動などは,顧客の声に常に耳を傾けるという企業姿勢の表れとして意味ある運動かもしれないが何かラインの外側で行動している感じもする.

いずれにせよ,顧客満足度向上と言う言葉は,その為の行動がすぐ連想出来ない抽象的な,インパクトの弱い,言葉だと思う.同じような言葉に貢献度がある.こちらは人間の評価ではなく,製品やサービスあるいは提案が顧客のビジネスに役に立っているかどうかの評価である.

コストダウン,スピードアップあるいは売上拡大に大いに役立っているか,あるいは,無用の長物になっているか,改善改良がまだまだ必要な状態だとか,の評価である.

満足度より俗人的要素がない分,具体的である.何よりも,お客様に貢献したい,役に立ちたいと思うと,たちどころにお客様の実態調査や事例や提案活動が連想できるところが満足度とは決定的に違うところである.

さらに言えば満足度向上と言う言葉から拡販活動やマーケテング活動が連想できないが,貢献度向上からは一社一社のお客様の顔が連想できるのである.あまり貢献できていないとか,この提案で貢献できそうだとか,である.

広い概念の顧客満足度向上運動より,狭くなるが顧客貢献度向上運動の方が言葉としては具体的でインパクトがあると思う.お客様に大きく貢献する事は自らの売上も大きくなり,その為に貢献できそうな分野を掘り下げる事になる.

満足度はあって当たり前となるが貢献度は高ければ対価も高くなる面もある.もちろん貢献が実現すれば当然顧客満足度向上につながるのである.貢献度向上運動はまさにマーケテング活動や拡販活動に新たなエネルギーを与え,新事業分野の発掘にもつながるのである.顧客の方も,貢献してくれそうな企業,製品,サービスを選ぶのであって,満足させてくれるのは当然の事であり,アドバンテージだとは思っていないのである.

真剣に顧客に貢献したい,その為にこれを実現したい,と発想し,行動する企業の出現を強く望むのである.流行言葉のSOLUTION,SATISFACTIONではなく,CONTRIBUTIONが企業理念,ビジネス理念だと考えるのである.

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2006.03.15

41 会社と社員の変貌

農耕民族の特徴である村社会の文化が日本の産業経済の発達とともに,その集団文化が会社に引き継がれ,それにともなって帰属意識が地域から会社に移って行った.同時に自分の職業意識より帰属する会社を第一義に考える会社人間が増えて行った.

仕事も会社の中で割り振られ,ジョブローテーションが行なわれる.組合もユニオンショップ(会社組合)の形態になって行ったのである.この会社人間の猛烈振りが戦後の復興を支え,まさに会社社会を作り出したのである.

一方,バブル崩壊後,肥大化した企業の脆弱性があぶりだされ,個性や優位性の競争,産業構造のフラット化が急速に起こり,企業や産業の再構築時代に突入した.年功重視の伝統的な人事制度にも成果・能力主義が導入され,社員は数値責任と専門性の発揮を求められるようになった.

当然,自己啓発は当たり前,教育に会社が面倒をみる時代ではなくなったのである.まさに企業も個人も経済の荒波に身をさらすレース的競争(皆が良い成績を出せる競争)からゲーム的競争(勝ち負けの競争)に変わって行ったのである.

卑近な例としてチェーンストアーをあげてみる.チェーンストアー(GMS)は呉服屋,衣料屋,家具屋,雑貨屋,魚屋,八百屋,肉屋,菓子屋等の個々の商売を包含した小売企業組織であるが米国のチェーンストアー理論を輸入して企業化された.セントラルバイイング,セルフ販売,マニアル化,システム化による,購買力の向上,ローコストオペレーションの実現である.これによる多店舗化,大量販売を可能とし高度経済成長の波にのって拡大していった.物流も含めた流通革命を起こしたのである.

バブル崩壊で拡大路線の崩壊,消費の低迷,競争企業の台頭,消費者ニーズの変化などによって危機的経営状況に陥った.大量仕入大量販売の経済成長時代のビジネスモデルが大きく見直される事となったのである.又回転差資金(仕入と売上のサイト差)や出店・改装が止まった時の自転車操業的経営のもろさも露呈した.さらにデベロッパー等への拡大路線も巨大な負債を残す事になったのである.

小売業界では産業再編成やリストラを経て,生鮮3品(魚,肉,野菜)と惣菜に経営の重心を戻す動きが始まった.地産地消,店内加工,対面販売,地元密着,商品郡別縦割り組織の見直し,など元来の店主体の八百屋,魚屋,肉屋への回帰現象である.

この方針を突き詰めると,当然,職人的社員の育成,人事制度,組合制度,仕入と販売の権限と数値責任,店長の役割り,インショップ制度(企業内企業制度,惣菜屋カンパニーによる全店舗展開の発想)等,従来のチェーンオペレーション経営を根幹から揺るがすテーマに突き当たる.

まさに,物あまり,顧客ニーズの変化によるチェーンストアー理論の終焉である.又,専門性の追求は会社への帰属意識から,肉屋をやっているとの職業意識に変化する事になる.就職もアルバイトも会社選択から職業選択に移る事になるのである.

厳しいゲーム的競争社会では,どんな企業でも専門性の追求はきわめて重要である.しかし経営者が社員に'専門家になれ,成果・能力で評価する’と言っても'勉強しろ,数字をあげろ',といっているレベルであったり,単に年功賃金を抑制したいレベルであれば専門性の追求は難しい.

真に専門家集団を形成したいのなら,チェーンストアーの例と同じように会社の組織制度,人事制度,組合,社員の意識,採用制度などのテーマに行き着くはずである.優遇を伴う専門職制度や職種別組合のような改革が必要になる.

しかしながら大企業における職業意識の向上には大きな課題がある.例えば職業意識は下請けにあり,社員はゼネラリストばかりであったり,人事異動の問題もある.専門職制度も管理職制度の亜流に位置付けられるケースもある.

そこで専門分野の分社化で特化する事も一つの方策となる.この意味で総合から専門へ,大きな組織から小さな組織へ,が大企業の活力と人材育成を促す方向だと考えられる.終身雇用の弊害を少なくする為にも必要である.

一方,中小企業は職業意識や専門性発揮に組しやすいと思われる.中小企業はそれが企業存続の柱であり,機動力も発揮しやすいからである.この特性をいかにフラットな産業構造の中で発揮していくかが重要となる.

産業構造のフラット化は専門性,機能性,効率性を持った特徴ある企業が多く存在する構造である.この縦型産業構造から横型産業構造へのシフトは中小企業の専門性の発揮によって加速するはずである.

さらに,専門性の発揮を目指す企業の組織は業務遂行と同時に教育機関としての役割りを高める必要がある.事業計画も活動計画も人材育成と連動していなければならない.その組織に所属している事で人材育成の方向をはっきりさせたり,育成を加速させることになる.そのような組織を作らねばならない.

その意味で会社全体が事業推進組織ではあるが人材開発会社と見えるようになるのである.学び,考え,切磋琢磨する風土が企業進化のエネルギーとなり,そのような会社に結果が付いてくるのである.専門性が不要な企業など世の中に存在しないからである.

この改革と並行して,’量から質‘から’質から量’へ考え方を変える必要がある.質を高めるためにも量が必要だという考えが高度成長期にあった.現在はそんな余裕,リスクは取れない.質がなければ量展開をしてはならないし,なによりも量には繋がらないのである.それほど競争はシビアーなのである.商品やサービスを打ち出す時,その質を支える仕組み,技術をまず先行させるためにも専門性は当初から不可欠なのである.

一方,専門家の増強は企業を超えて業界にも通用する人材が多くなる.当然,従来の’人材はストック’の考えから’人材はフロー’の傾向に変わる.またM&Aも多くなる.従って,これに対する対策も必要になる.かくて,会社村社会,会社人間の風土が変貌していく事になる.しばらくは生え抜きだけの会社,転出転入の多い会社,など会社の風土は多様化していくと考えられる.

最後に専門性の追求は事業の方針と連動しなければ意味がない.事業の方針が定まっていないところに専門家は育たないのは当然である.経営者の最大の仕事である.企業の存在価値を改めて見定め,企業に存在するナレッジを再認識するところから方向性をきめることになる.又,方針いかんにかかわらず,総務,人事,経理,の仕事は資格取得や専門性がきわめて高く,事業経営の重要な役割りを持っている事は言うまでもない.

専門家集団の企業になる事は生き続けるためには不可欠である.しかし掛け声だけではなく会社を根底から改革していかなければ実現できないテーマである.その事に気が付いていない経営者が多いように感じられる.従来,専門家より会社人間集団で経営をやってきた歴史が気付きにくくしているのかもしれない.

フレッシュマンが社会に出る季節だが,将来,職業意識(プロ意識と実力)を持てるようになって欲しいし,会社もそれを実現する改革を進めて欲しいのである.ヨーロッパのギルド社会の歴史や風土を少しは取り入れたいものである.会社帰属人間から自分のスペシャルティを会社で生かす関係になって欲しいのである.そんな社会がもう始まっているのである.’自分ー会社=0’の人生は個人にとっても会社にとっても望まないはずである.

今後は,より専門性があり,それを実現する風土・仕組みがあり,社員の職業意識がある企業が確実に生き残っていくと思うのである.

従来の会社人間に代表される社員と会社の距離感が産業のフラット化や社員や企業の専門性追及とともに,確実に変わって行くと思う.

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