企業経営

2007.10.29

121 人事制度再設計

企業経営の基礎に人事制度がある.この人事制度は経営者の考え方,仕事の特性,社員数,業績,年齢構成,労使関係,歴史,等によって千差万別である.

一方、少子高齢化、技術革新、国際化、産業構造のフラット化などの経営環境、価値観の変化に加え、今後の経営戦略、M&Aや関連企業統廃合、専門家集団の形成、等によって,人事制度再設計のニーズが高まっている.

同時に、成果主義か能力主義か,人材はストックかフローか等の議論も再燃している.

ここで,再設計における一つの基本的考え方を紹介したい.

人事制度は言うまでもなく,企業にとっても社員にとっても納得出来る制度である事が基本である.特に,一本道のキャリアパスから管理職と専門職の道を作る制度,能力と業績を反映する制度、によって人材活力を活性化する事がポイントである.

’能力・人間力ある者に地位を、業績ある者に禄を’が古典的ではあるが、今後も通じる考え方だと思う.

そこで一つのシンプルな体系を紹介したい.

月次給与=基準給与(本給+資格給)+職責給+(諸手当) 

・基準給与は残業,賞与などの基礎になる給与
・本給は年功順の賃金(幅を持つ事もある),退職金の基礎.
・資格給は勤続年数,能力主義にもとづく等級制度
・職責給は資格条件のもとで付与される役職・技能職制度

本給は年功序列の文化を残す部分である.給与全体の割合(例えば5割)を設定する.同時に退職金計算式の変更が発生する.次ぎに、新入社員から役職者までの資格体系と資格別資格給を設定する.職責給は役職・技能職の職責体系と職責毎の職責給を設定する事になる.

職責は肩書きになり、呼称も重要である.あまり再分化すると外部から分かりづらくなる.従って、課長職であっても、本給、資格給が違ってよい.次に職責には下記の定義が必要となる.

①残業手当の対象か否か
②経営者側の管理職かどうか
③原価計上するかしないか

勿論、職責毎の資格条件、管理内容、権限と責任が明文化されている必要がある.②については、組合があれば、組合側か経営者側か、組合のない会社もこの区別が必要である.

例えば、残業手当ては仕事をしただけでは付かない、労働法的には会社の指示があって成立する.では残業を指示したり、了解する人は誰かと言う事になる.従って、職責には経営者側の管理職であるどうかの区別が労働法の面でも必要になる.

残業制度については裁量労働制の検討もある.自主的活動の出来る資格付与者(但し残業手当て対象者)に対し、見なし残業手当(ex30時間相当)を支給し、作業を自分の裁量で行う(残業手当なし)制度である.

自分で裁量できない仕事が発生した場合はこの制度は適用されない.営業、調査・研究、ソフト開発、など裁量制にする場合が多い.原価計上については原価作業時間を計上する.この制度には無駄な残業や生産性の悪さによる残業の抑制も意図されている.

この体系で毎年,ルールにしたがって、年間の業績,能力に応じて,昇給,昇格が行われる.又,必要に応じて,本給,資格給,職責給の設定変更も行われる.勿論、昇給、昇格モデルによって、社員も将来の給与が、会社も将来の人件費予測が可能になる.

賞与は半期毎の業績で原資を決定(営業利益の%).総原資の決定は経営者の決断とし,個人への配分は成果主義にもとづくルールに任せる法が良い.

ルールはまず,資格グループ毎の基準給合計比率で原資を按分し,そのグループ内の順位でグループ原資を個人に配分する,等ルールを作ることが大事である.恣意的な配分をやると,個人に対しても,過去の支給実績についても,説明が出来なくなる.

次ぎに、賞与,資格,職責を決める評価の問題である.

何らかの評価方法を取るにしても、社員の顔が見えるか見えないかによって相対的評価の難しさがある.同一世代の人数も評価に影響を与える.又異質な仕事間の相対評価の問題もある.大企業ほど顔の見えない社員同士の相対評価が問題になる.

配分目的で無理に評価の数値化をすれば、悪影響を生む.数値・非数値の目標設定と取り組み状況、達成度で評価するにしても、目標設定の公平性が難しい.個人契約の米国流(絶対評価)にはない大きな問題である.現実は、評価システムをとりつつ、最後は管理職による調整機能が必要になる.

退職金制度のあり方も大きなテーマである.本給リンクをはずし、.ポイント制にする議論もある.ベースアップと退職金を分離し、それぞれ独立して自由に検討する狙いがある.賃金の後払いとの解釈のもと、賞与で払う考えもある.

さらに言えば、職種によっては、年棒制をとる企業も現われている.同一企業の中で、工場や営業で制度を複数持つ企業もある.

以上、人事制度の根幹に付いて述べたが、業績向上や専門家集団の形成を促進するシンプルな人事制度が、今求められていると思う.

尚、新制度への移行には、細心の注意が必要となる.特に移行に伴う不利益を出してはならない.新制度に個人を当てはめた時、給与額に不利益が出る事は予想されるが、何年間かの経過措置(補正支給)で対応する事になる.

総じて、人事制度は会社と社員の約束であり、新制度に移行するにしても、長期的視点で対応する事が寛容である.不具合や不透明制を放置する事は会社と社員との信頼感を弱めて行く.人事制度はまさに経営の基礎であり戦略なのである.

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2007.10.11

118 J-SOX法の懸念

投資家の保護を目的とした金融商品取引法(証券取引法から改編)が08年会計年度から適用される,

その中で.
①業務の有効性,効率化②財務報告の信憑性③コンプライアンス④資産の保全,を目的として,経営者による財務情報に関する内部統制状況の報告,それに対する会計監査人による内部統制監査が義務付けられた.(JーSOX法)

しかし,この内部統制(INSIDE CONTROL)と言う言葉は漠然としてわかりずらい.事業目標に向けた運営の仕組み,信頼性確保に向けた業務処理・事務処理の仕組み,想定されるリスク回避の仕組み,がどのように日常の活動で作動しているか,又,それらをどう改善していくか,等は言うまでもない事であり,会社法でもガバナンスのあり方を決めているのである.

この内部統制の論議は米国で公認会計士の’内部統制が有効でない場合,監査ができない’との意見(監査論)から出たと言う.会計監査人からすれば監査の範囲,責任を狭めたいのだと思う.

そこで,今回の金融商品取引法は,財務情報の信憑性確保に向けた経営者による内部統制報告書の作成と,これに対する会計監査人による内部統制監査報告書の作成が義務化されたのである.経営品質の向上を建前として,監査人の責任を軽くし,会社側の責任を重くする事がJ-SOX法の狙いなのである.しかし,いくつか戸惑う事がある.

①会社法で言う内部統制機能の見直し,補強をどこまでやるか
②金融取引法で言う内部統制機能の見直し,補強をどこまでやるか
③上記①②をどう計画し実施するか
④経営者,監査役,内部監査人,監査人の視点,独立性をどう保つのか
⑤経営者,監査役,監査人の監査計画の差異はどうするのか(④の結果)
⑥経営者の財務に係わる内部統制報告書はどこまで開示するのか
⑦経営者の内部統制報告範囲・評価と監査人
評価の差異はどうするか
⑧監査人の監査報告(会社法)と金取法の内部統制監査報告との関係は
監査人の内部統制評価と決算数値の信憑性との関係は
⑩監査人の内部統制調査・評価の標準化と企業特性をどう調整するか
⑪上場基準,経営品質の各種ISO基準,システム監査基準,等との関係は
⑫情報システム仕様のドキュメント問題をどうするか
⑬整備に必要な工数,経費,が事業を圧迫すると判断した時の処置
⑭監査人の監査費用,監査責任がどう変わるのか
⑮そもそも企業の信頼性,信憑性,透明性にJ=SOXが役立つのか

等々,J-SOX法は必ずしも歓迎されていない風潮がある.米国の初期の論議のように,監査人の合理的保証の為だと見る人も多い.内部統制コンサル等監査ビジネスを拡大する為だとの,うがった見方もある.

金融庁では上記懸念を解消する為に,実施基準を出したようである,さらに,公認会計士協会でも監査・評価の標準的実施基準を出すはずである.数条項でしかないJ-SOX条項が,膨大な実施基準を必要とする所に,どこかに無理がある感じがする.果たして実施基準が上記懸念をクリアーしてくれるか注目したい所である.

もっと大きな懸念は,内部統制は前述の如く,経営の視点より,監査人の視点に合わされるのではないかと言う懸念である.会計監査の合理的保証の為に監査人が考える評価方法に合わせた内部統制になったりしないかと言う事である.その結果,公認会計士協会の標準が全上場企業に適用され,法の目的が浮いてしまう懸念である.

もうひとつ,JーSOX法は米国と同じように,大粉飾事件によって、出番とばかりに、識者が理想に走って、企業の箸の上げ下げまで介入し,挙句,収拾できなくなった感じがする事である.経営者の方も,経営姿勢として,形だけでも取り組まざるを得ないと思っている節がある.不正が発生した時の経営者の責任回避のアリバイ作りにもなるからである.

私見によれば,内部統制はどうあるべきか、評価をどうするか、は教科書や企業に任せればよいと思う.企業運営の問題だからである.株主は取締役にそれを委任し,監査役が監視しているからである.監査人は会計処理が会計原則に従って行われているか,専門家として検証すれば良いと思う.

何よりも,内部統制は会計原則の様なルールがあるわけではなく,又,千差万別の企業を監査人が評価する事に無理があると思う.無理を裁くために,監査人の手間を省くために,標準と称して画一的な物差しがまかり通り,企業が振り回される危険性がある.

又,財務に関する内部統制の評価と会計監査の評価を関係づける事は困難である.内部統制の有効性と決算数値の合理的保証,信憑性とはマクロ的には連動するにしても,直接結びつかないと思う.

財務情報に関する内部統制で監査人の判断で,重要な欠陥や不備があると認識した時,会計監査に手間がかかるかもしれないが,数値は正しい事もあるし,間違っている事もあり得る.逆に内部統制に問題がなくても,決算数値が間違っている事もあり得る.内部統制に問題がないからといって,会計監査が簡単になるとは限らないのである.

そんなわけで,会計監査人による財務に関する内部統制の監査は不要だと思うが,投資家保護の視点や内部統制の強化の視点で,企業経営における内部統制の状況を開示する必要があるなら,事業報告にその部分を加えれば良いと思う.勿論,財務情報に関わる内部統制ではなく,企業全体のリスクにどう取り組んでいるかと言う会社法に乗っかった視点での報告となる.この方がJ-SOX法の目的に合っていると思う.どうやら会社法と金融庁扱いの金取法が整合していない感じがする.

しかしながら,良くも悪くも,08年の会計年度よりこの法律が施行される.表向きは経営の視点,株主の視点で内部統制を言っているが,企業側の未整備もあって,現実には,監査人の視点で内部統制が推し進められる懸念がある.

繰り返すが,結局,監査人の監査の為に,監査証明をもらう為に,法律の意図や各企業の思いとは別に,監査人の標準基準が世の中にまかり通り,これに合わせる事が目的と化すのではないか,と懸念するのである.その分,本来の企業の存続・発展を目的とした内部統制が後退したり,内部統制が形骸化する事が一番,懸念するのである.

’こういう体制・規約・記録が無いと内部統制が出来ていないと評価せざるを得ない’と言う監査人の強い主張で,商人がひれ伏す町奉行所の風景が目に浮かぶのである.

元来,投資家にとって,企業にとって,商売がどうなるか,トラブルが起こるのではないか,が一番の心配事である.せめて内部でやれる内部統制をしっかりやって,病気に掛からない元気な体を自主的に作るべきだと思うし,それを推し進める法であって欲しいのである.

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2007.03.27

89 百貨店業界

百貨店業界の再編が話題になっているが,懸念される事について述べたい.

百貨店業界は長い歴史の中で,一定のステータスを築いて来た.同時に,百貨店商法も連綿と続けて来た.この百貨店商法は設備投資,催し,消化仕入,委託販売,派遣店員,テナント,外商,ギフト,中元・歳暮,返品,売り場毎の発注などが特徴である.総じて場作りに重点を置いて,その分,商品リスクを取らない経営手法と言える.

極論すると,百貨店商法は売り場を多くのテナントに提供し,その売上を自社売上に計上し,その売上から一定の利益を得るビジネスモデルである(勿論,直営売り場はあるが,その比率は会社の政策で異なっている).この意味で,百貨店の売上高は'取り扱高’なのかもしれない.(過去に売上の定義で議論を呼んだことがある)

この百貨店業界の売上は長い間,減少傾向が続いている.言うまでもなく,チェーンストアー,専門店,巨大ショッピングセンターの台頭もあるが,大きい要因は取り扱い商品が昔から固定的である点である.

家計支出の内容がデジタル家電,IT商品,レジャー,趣味,エクササイズ,車,などに移っていても百貨店の取り扱い商品は変わっていない.そればかりか,得意とする伝統的な家具,呉服等は減少傾向である.紳士服は品揃えが少なくなっている.ファッションは世界的有名ブランドが根強い人気である.社会の消費動向と売り場が遊離しては,売上減は避けられない.決して景気が原因ではないと思う.

百貨店経営の特質は設備投資(豪華な店舗,一等地,増床)や運営経費をまかなえる利幅がある商品しか扱えない事である.従って,ステータス等の付加価値をつけて,顧客に満足を提供する事が大事になる.必然的に客層も限定される.売上の拡大より,安定的な売上とステータスの維持が基本となる..

又,テナント依存から新商品開発や新分野への人材育成が行われていない事も原因であるように思う.時代の変化に取り残され,じりじりと'百貨店’が’百貨店'ではなくなって来た感じがする.

このような状況の中で,従来の百貨店商法を今後,どのように考えていくのか,が業界再編以上に重要なテーマだと思う.

アメリカでは昔から,小売業の業態は客層別,商品群別,に業態分化している.百貨店では,高額所得者と高級商品に特化している.

日本の百貨店は,顧客,商品,サービスのターゲットを鮮明にした方向で考えるのか,従来の商法を続けながら,高所得者層への更なる特化を進めるのか,の選択が求められていると思う.しかし,テナント依存の大きい百貨店は業態改革論議すら出来ないのかもしれない.

従来の百貨店商法のままでは,百貨店の売り場からどんどん商品がなくなって行くのか,テナントや納入業者が逃げて行くのか,あるいは,多くの世界のブランドショップが百貨店に結集されていく事になるのか、あるいは場を提供する不動産業に傾斜していくのか,など気にかかるところである.

百貨店業界の再編に際し,どのような事業コンセプトで展開されるのか興味が沸く.

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2007.01.24

77 損得の前に善悪を

言うまでもなく,人生においても,企業活動においても,'損得の前に善悪'を考える事は当たり前である.’善・悪’の判断はマナーの良し悪しもあるが,最低限,'合法・違法’の判断である.法の判断が難しければ,'常識・非常識’の感覚である.

倒産等の瀬戸際で苦し紛れに善・悪の判断なしに損・得に走ることはあるにせよ,問題は日常の中で,善・悪の感覚を失う事である.この’善・悪’の感覚が失われた状態は,業績悪化による倒産より,高いリスクの中で経営している事になる.

リスクマネージメントの基本は'善・悪''常識・非常識'さらに言えば`これはおかしい`と言う感覚を失わない事にある.違法覚悟の確信犯のリスクマネージメントは,これを発覚させない事であるが,通常のリスクマネージメントは'これはおかしい'と初期の段階で発覚させる事である.

小さな悪の見逃しの繰り返しが,感覚の麻痺を助長させ,慣習化した悪は公表より隠蔽に傾き,いつしか確信犯になる.リスクマネージメントがまったく逆になる.挙句,内部告発で終わりになる.

このように,'損・得'に決定的ダメージをあたえるのが,'善・悪’であり,これを忘れると’損・得’どころの騒ぎではなくなるのである.残念ながら長期に及ぶ’善・悪’の感覚の麻痺が起こした不祥事が絶えない.信用失墜は一夜にして窮地を招くのである.

自由・競争社会ほど’善・悪’には厳しいのである.自由・競争社会はフェアーな社会を求めるているのである.勿論,政治も行政も,この社会の感覚から隔離された特殊な世界ではないのである.

’損得の前に善悪を’心に刻んでおきたいものである.善悪に疎い人は,徹底的に損得を追求して欲しい.悪ほど損であると気がつくはずである.

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2007.01.21

76 労働多様化と残業

ホワイトカラーエグゼンプション法案が棚上げになったが,労働時間問題について整理してみた.

サラリーマンの残業時間の運用は,おおよそ次の通りである.

①呼称はともかく,管理職とされる人に残業が付かない.

組合がある場合は非組合員となり,裁量労働者として,残業は付かない.組合が無い場合は裁量労働者とみなしている.管理職の定義(権限委譲程度,部下のいない管理職,手当て,組合の有無)で法廷論争もある.

②非管理職に裁量労働者認定を行い残業をつけない.

研究者,営業などに裁量労働制(個人の了解付き)を導入しているケース.原価部門の人は見なし残業時間で原価計上.ただし,個人の裁量で仕事が出来ない場合(トラブル対応,長期残業が必要な仕事量の発生など)は裁量労働を中止.裁量労働者は想定残業程度の手当てを支給する場合もある.

生産性が低い,ミスが多い人の残業代削減策の側面もある.これは残業代の問題ではなく,マネージメントの問題だと思うが.

③非管理職で見なし残業相当の手当てを支給し残業をつけない.

会社内の資格制度で規定.

④管理職いかんにかかわらず,成果主義による年棒制,歩合制,嘱託制などでは残業概念がない.

①から④共通で,残業と言う概念が無い事から,長時間労働,過労死,定時間外の事故などでサービス残業問題がクローズアップされたり,反面,時間労働から解放されて,自主的に,積極的に,仕事に取り組むケースもある.

大体以上であるが,これと,ホワイトカラーエグゼプション制度(一定以上の報酬支給者に残業をつけなくても良いとする制度)の関係がよく分からない.この法律によって,一定報酬以下の人には,残業代を必ず支給する事が義務付けられるのだろうか.裁量労働制はどうなるのか.識者やマスコミは突っ込んだ所見を言わない.表面的な論評だけである.

以上,残業をつけない場合の議論であるが,残業をつける制度の中でも,運用上の問題もある.現法律では,会社の管理下における時間外作業はすべて残業代になるとの事だが,現実には,判断が難く,判例主義で補われているケースも多い.又,残業指示・申請なしのサービス残業の問題もある.特に始業前の準備作業,朝礼や時間外の勉強,研修,会社行事,自主判断の作業など悩ましい.あくまでも自主的であれば,残業にならないのだろうか.

私見によれば,仕事によって,労働条件の多様化は当然であり,労働条件が変わるつど,個人ごとに何らかの雇用契約(もしくは規約)をしっかりすべきだと思う.労働賃金・報酬が労働時間だけを物差しにした時代ではなくなったからである.

従って,労働条件の多様化に対応できる労働基準法の全面見直しが必要だと思う.法律の立場としては,労働条件の下限を規定する事であり,法律の規制を拡大すると,社会主義になってしまい,企業や産業が成り立たなくなる危険性もある.基本はあくまで企業と従業員(組合)で決めていくものだと思う.

一方,多くの企業においても,就業規定,賃金規定,人事評価・昇給・昇格制度,退職金制度,年金制度など,歴史的に引きずった複雑な規定になっていると思う.シンプルな方向に改革すべきである.又,優秀な人材はストックからフローの時代向かっているように思う.それに対応する仕組みも必要である.

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2006.11.27

69 アーキテクチャーとテクノロジー

’日本(人)はアーキテクチャー(考え方,方式,論理)は弱いが,テクノロジー(実現技術)は得意だ’と良く言われる.平たく言えば,’設計は弱いが物作りは得意だ’’基礎技術や独創的な考えに弱いが,それを取り入れるのは得意だ’である.

明治以来,欧米文明の輸入で近代化を進めてきた.翻訳が学者の仕事になっていった.歴史を遡れば,シルクロードの終着地として,常に文明・文化を輸入して来た長い歴史の延長かも知れない.現在もその流れにある.

積極的な見方をすれば,最も洗練された文明・文化を日本が受け入れて来た結果,世界の英知が日本を育てたとも言える.この意味でアーキテキチャーは弱くても,テクノロジーが得意なら島国日本の生き方として間違っていないのかもしれない.

しかしデジタル時代への大きな問題がある.デジタル化とは
①ソフトの巨大化(機能の拡大,ハード部品の減少化)
②システム商品化(ネット連携,他商品との連動)

③アーキテクチャーの共有化(方式,インターフェースの標準化)
④ハード製造ラインの装置化,自動化
⑤国際分業化,低価格化

であり,必ずしも日本のお家芸は安泰ではない.テクノロジや,ものつくりが得意なだけでは生きていけないのである.

アーキテクチャー重視の傾向は物作りの世界だけではない.国際政治や憲法,行政,企業経営などにも言える問題である.考え方や視点の重要性が改めて問われるのである.企業で言えば事業の方向性(アーキテクチャー)が定まらなければ生産性(テクノロジー)も追及できない時代なのである.

ある競技種目に秀でていても、その種目がなくなったり、ルールが変わったり、新しい種目が出てきたりする可能性もあるのである.物作りやテクノロジーに技術革新や生産性も重要だが、アーキテクチャーの戦略性が極めて大事になって来たのである.

日本のアーキテクチャーの弱点を克服する為に,次の事を提言したい..

①発想の視点を変える

会社や国の立場に立つと発想が狭まったり,損得勘定が優先されやすい.結果,世界に通用する普遍性が弱くなる.顧客の視点,世界の視点が必要である.

②得意なテクノロジーからアーキテクチャーを創造する

アーキテクチャーがあってテクノロジーが進歩するが,逆に,テクノロジーから高度なアーキテクチャーを創造する,既存のアーキテクチャーをブレークスルーする事を考える.

③ファイテングスピリットを発揮する

日本人は世界的にデファクトになった製品や開発規模の膨大さに,最初から戦意喪失状態になりやすい.

アメリカ人は何十年もこの製品が続くと思っていないし,市場が成熟していても,商品は未熟であり,シェアーが高い製品ほど挑戦しやすいと思っている.戦意喪失どころか,虎視眈々と次を狙っている.敵をリングの外に出すまで戦うのである.アングロサクソンの習性かもしれない.

④自前主義から脱却する

多くの人,企業,国が参加でき,利用できるアーキテクチャーが理想である.何でも独り占めにする事を狙ったアーキテクチャーは孤立する

マイクロソフトの例で言えば,パソコンOSを考えた時,プログラムの動作環境のみ提供する事とした.データベース,言語,表計算・DTPなどのミドルソフトは世界のソフトハウスに任せる戦略をとった.その上に多くのミドルソフト,アプリケーションソフトが開発され,マイクロソフトの世界が世界に普及して行ったのである.まさにオープンアーキテクチャーと言う考え方,戦略が成功した例である.

箱庭文化,自前主義と言う一筆書き発想から,グローバルな視点で,構造的骨太の考え方,戦略が大事だと感じる.家電,携帯機器,車,あるいは産業機器など,既に新たな戦いが始まっているのである.

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2006.09.26

60 必然と偶然

成功が必然だったのか,偶然だったのか,失敗が必然だったのか,偶然だったのか,を認識する事はきわめて重要である.特に失敗が必然であったとすると,本質的なことにメスを入れない限り,何回も失敗を繰り返すことになる.勿論,

'成功は必然,失敗は偶然'

であって欲しいのは当然である.

さて,先の戦争での敗戦,日本の脆弱性を露呈したバブル経済の崩壊,,崩壊後の対策が10年間迷走した,世界の冷戦体制が崩壊し,新たな秩序に向けて紛争が起こった,大義名分のもとで不正が起こる,企業の倒産や業績不振,国家財政が危機,借金だけ残った効果の無い公共施設,などほとんどが偶然に起こったことではなく,必然で起こっている.偶然で無い限り,防げるはずの失敗と言わざるを得ない.

しかし,どうやら,人間は必然的に起こるであろう事に未然防止の手を打つ事がきわめて苦手であると言わざるを得ない.この苦手を直さない限り,同じことを繰り返すに違いない.

政治家や経営者の資質はこの必然的に起こる悪い事態を認識し未然防止を図る能力を有する事である.言い換えると,予知能力である.予知能力はリスクの回避や成功に向けた意思決定に,きわめて重要な能力である.

この予知能力は誰しもが持ち合わせている能力だと思う.しかし,それが発揮されにくい理由がある.事実を知らなかったり,無関心であったり,経緯や立場であったり,見栄であったり,目先の利益に走ったり,損切りが出来なかったり,勇気がなかったり,である.又チェックポイントを持たない事も予知のチャンスを失う.予知できても手が打てない場合もある.結果,行くところまで行ってしまうのである.地獄を見ないと直せない,ならまだ直すチャンスがあるが,現実は地獄を見たら終わりなのである.

企業で大事なことは,成功が必然なのか,偶然なのか,検証することである.必然なら,それをさらに伸ばす事である.もっと大事な事は失敗が必然なのか,偶然なのかを検証する事である.必然なら徹底的にその原因を追究し,対策を打たなければならない.必然的失敗を個人の問題で片付けたり,偶然のアンラッキーとして蓋をする事は絶対避けなければならない.必然的失敗の要因を認識し,改善しない限り,いつか致命的な問題に遭遇する.結局,そのような企業は予知能力が無いことになる.

国であっても企業であっても,起こってしまった過去の失敗を繰り返さない為に,その本質的原因がナレッジとして共有されているか,対策が打たれているか,が成長の決め手となる.対策が不十分であっても,原因が認識されていれば,回避したり慎重にする事ができる.

’成功は偶然,失敗は必然’の状態を認識し,徹底的に排除しなければならないし,その取り組みが,’成功は必然,失敗は偶然’に近づくのである.

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2006.07.26

52 満足度と貢献度

お客様の満足度向上は企業活動にとって大事なテーマであるが,そこに何か情緒的な雰囲気がある.満足度は感情も入った人間の評価だからかもしれない.従って満足度には人間関係,マナー,対応の仕方,製品,サービス,価格など,あらゆる事が関係するのである.

顧客満足度向上運動がよく企業の標語に掲げられるが,何をやっても,今まで通りやっていも,やっている事になったり,又,満足度向上度合いの測定も難しい事から,どうも精神論だけに終わっている感じもする.

クレームや傷害,あるいは敗戦が減少したからと言って満足度が向上した,と言うのも何かおかしい感じもする.調査員を編成し,顧客を回って顧客の評価を聞きに行き,これをラインにフィードバックする活動などは,顧客の声に常に耳を傾けるという企業姿勢の表れとして意味ある運動かもしれないが何かラインの外側で行動している感じもする.

いずれにせよ,顧客満足度向上と言う言葉は,その為の行動がすぐ連想出来ない抽象的な,インパクトの弱い,言葉だと思う.同じような言葉に貢献度がある.こちらは人間の評価ではなく,製品やサービスあるいは提案が顧客のビジネスに役に立っているかどうかの評価である.

コストダウン,スピードアップあるいは売上拡大に大いに役立っているか,あるいは,無用の長物になっているか,改善改良がまだまだ必要な状態だとか,の評価である.

満足度より俗人的要素がない分,具体的である.何よりも,お客様に貢献したい,役に立ちたいと思うと,たちどころにお客様の実態調査や事例や提案活動が連想できるところが満足度とは決定的に違うところである.

さらに言えば満足度向上と言う言葉から拡販活動やマーケテング活動が連想できないが,貢献度向上からは一社一社のお客様の顔が連想できるのである.あまり貢献できていないとか,この提案で貢献できそうだとか,である.

広い概念の顧客満足度向上運動より,狭くなるが顧客貢献度向上運動の方が言葉としては具体的でインパクトがあると思う.お客様に大きく貢献する事は自らの売上も大きくなり,その為に貢献できそうな分野を掘り下げる事になる.

満足度はあって当たり前となるが貢献度は高ければ対価も高くなる面もある.もちろん貢献が実現すれば当然顧客満足度向上につながるのである.貢献度向上運動はまさにマーケテング活動や拡販活動に新たなエネルギーを与え,新事業分野の発掘にもつながるのである.顧客の方も,貢献してくれそうな企業,製品,サービスを選ぶのであって,満足させてくれるのは当然の事であり,アドバンテージだとは思っていないのである.

真剣に顧客に貢献したい,その為にこれを実現したい,と発想し,行動する企業の出現を強く望むのである.流行言葉のSOLUTION,SATISFACTIONではなく,CONTRIBUTIONが企業理念,ビジネス理念だと考えるのである.

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2006.03.15

41 会社と社員の変貌

農耕民族の特徴である村社会の文化が日本の産業経済の発達とともに,その集団文化が会社に引き継がれ,それにともなって帰属意識が地域から会社に移って行った.同時に自分の職業意識より帰属する会社を第一義に考える会社人間が増えていった.

仕事も会社の中で割り振られ,ジョブローテーションが行なわれる.組合もユニオンショップ(会社組合)の形態になって行ったのである.この会社人間の猛烈振りが戦後の復興を支え,まさに会社社会を作り出したのである.

一方,バブル崩壊後,肥大化した企業の脆弱性があぶりだされ,個性や優位性の競争,産業構造のフラット化が急速に起こり,企業や産業の再構築時代に突入した.年功重視の伝統的な人事制度にも成果・能力主義が導入され,社員は数値責任と専門性の発揮を求められるようになった.

当然,自己啓発は当たり前,教育に会社が面倒をみる時代ではなくなったのである.まさに企業も個人も経済の荒波に身をさらすレース的競争(皆が良い成績を出せる競争)からゲーム的競争(勝ち負けの競争)に変わって行ったのである.

卑近な例としてチェーンストアーをあげてみる.チェーンストアー(GMS)は呉服屋,衣料屋,家具屋,雑貨屋,魚屋,八百屋,肉屋,菓子屋等の個々の商売を包含した小売企業組織であるが米国のチェーンストアー理論を輸入して企業化された.セントラルバイイング,セルフ販売,マニアル化,システム化による,購買力の向上,ローコストオペレーションの実現である.これによる多店舗化,大量販売を可能とし高度経済成長の波にのって拡大していった.物流も含めた流通革命を起こしたのである.

バブル崩壊で拡大路線の崩壊,消費の低迷,競争企業の台頭,消費者ニーズの変化などによって危機的経営状況に陥った.大量仕入大量販売の経済成長時代のビジネスモデルが大きく見直される事となったのである.又回転差資金(仕入と売上のサイト差)や出店・改装が止まった時の自転車操業的経営のもろさも露呈した.さらにデベロッパー等への拡大路線も巨大な負債を残す事になったのである.

小売業界では産業再編成やリストラを経て,生鮮3品(魚,肉,野菜)と惣菜に経営の重心を戻す動きが始まった.地産地消,店内加工,対面販売,地元密着,商品郡別縦割り組織の見直し,など元来の店主体の八百屋,魚屋,肉屋への回帰現象である.

この方針を突き詰めると,当然,職人的社員の育成,人事制度,組合制度,仕入と販売の権限と数値責任,店長の役割り,インショップ制度(企業内企業制度,惣菜屋カンパニーによる全店舗展開の発想)等,従来のチェーンオペレーション経営を根幹から揺るがすテーマに突き当たる.まさに,物あまり,顧客ニーズの変化によるチェーンストアー理論の終焉である.又,専門性の追求は会社への帰属意識から,肉屋をやっているとの職業意識に変化する事になる.就職もアルバイトも会社選択から職業選択に移る事になるのである.

厳しいゲーム的競争社会では,どんな企業でも専門性の追求はきわめて重要である.しかし経営者が社員に'専門家になれ,成果・能力で評価する’と言っても'勉強しろ,数字をあげろ',といっているレベルであったり,単に年功賃金を抑制したいレベルであれば専門性の追求は難しい.真に専門家集団を形成したいのなら,チェーンストアーの例と同じように会社の組織制度,人事制度,組合,社員の意識,採用制度などのテーマに行き着くはずである.優遇を伴う専門職制度や職種別組合のような改革が必要になる.

しかしながら大企業における職業意識の向上には大きな課題がある.例えば職業意識は下請けにあり,社員はゼネラリストばかりであったり,人事異動の問題もある.専門職制度も管理職制度の亜流に位置付けられるケースもある.そこで専門分野の分社化で特化する事も一つの方策となる.この意味で総合から専門へ,フラットへ,大きな組織から小さな組織へ,が大企業の活力と人材育成を促す方向だと考えられる.終身雇用の弊害を少なくする為にも必要である.

一方,中小企業は職業意識や専門性発揮に組しやすいと思われる.中小企業はそれが企業存続の柱であり,機動力も発揮しやすいからである.この特性をいかにフラットな産業構造の中で発揮していくかが重要となる.産業構造のフラット化は専門性,機能性,効率性を持った特徴ある企業が多く存在する構造である.この縦型産業構造から横型産業構造へのシフトは中小企業の専門性の発揮によって加速するはずである.

さらに,専門性の発揮を目指す企業の組織は業務遂行と同時に教育機関としての役割りを高める必要がある.事業計画も活動計画も人材育成と連動していなければならない.その組織に所属している事で人材育成の方向をはっきりさせたり,育成を加速させることになる.そのような組織を作らねばならない.

その意味で会社全体が事業推進組織ではあるが人材開発会社と見えるようになるのである.学び,考え,切磋琢磨する風土が企業進化のエネルギーとなり,そのような会社に結果が付いてくるのである.専門性が不要な企業など世の中に存在しないからである.

この改革と並行して,’量から質‘から’質から量’へ考え方を変える必要がある.質を高めるためにも量が必要だという考えが高度成長期にあった.現在はそんな余裕,リスクは取れない.質がなければ量展開をしてはならないし,なによりも量には繋がらないのである.それほど競争はシビアーなのである.商品やサービスを打ち出す時,その質を支える仕組み,技術をまず先行させるためにも専門性は当初から不可欠なのである.

一方,専門家の増強は企業を超えて業界にも通用する人材が多くなる.当然,従来の’人材はストック’の考えから’人材はフロー’の傾向に変わる.またM&Aも多くなる.従って,これに対する対策も必要になる.かくて,会社村社会,会社人間の風土が変貌していく事になる.しばらくは生え抜きだけの会社,転出転入の多い会社,など会社の風土は多様化していくと考えられる.

最後に専門性の追求は事業の方針と連動しなければ意味がない.事業の方針が定まっていないところに専門家は育たないのは当然である.経営者の最大の仕事である.企業の存在価値を改めて見定め,企業に存在するナレッジを再認識するところから方向性をきめることになる.又,方針いかんにかかわらず,総務,人事,経理,の仕事は資格取得や専門性がきわめて高く,事業経営の重要な役割りを持っている事は言うまでもない.

専門家集団の企業になる事は生き続けるためには不可欠である.しかし掛け声だけではなく会社を根底から改革していかなければ実現できないテーマである.その事に気が付いていない経営者が多いように感じられる.従来,専門家より会社人間集団で経営をやってきた歴史が気付きにくくしているのかもしれない.

フレッシュマンが社会に出る季節だが,将来,職業意識(プロ意識と実力)を持てるようになって欲しいし,会社もそれを実現する改革を進めて欲しいのである.ヨーロッパのギルド社会の歴史や風土を少しは取り入れたいものである.会社帰属人間から自分のスペシャルティを会社で生かす関係になって欲しいのである.そんな社会がもう始まっているのである.’自分ー会社=0’の人生は個人にとっても会社にとっても望まないはずである.

今後は,より専門性があり,それを実現する風土・仕組みがあり,社員の職業意識がある企業が確実に生き残っていくと思うのである.従来の会社人間に代表される人生観,就職感,企業経営は産業のフラット化や社員や企業の専門性追及とともに,会社と社員の距離感を確実に変えて行くと思う.

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2006.02.03

30 演繹法と帰納法

問題の解決方法として、演繹法と帰納法がある.

演繹法は原理・原則・あるべき姿や行動を定義し、具現化・実行していく方法(理想から具現化の方法)であり、帰納法は目的に沿った具現的行動・成果を積み重ねて,原理・原則・あるべき姿や行動を汎用性のあるものに導いていく方法である.

従って演繹法はトップダウンアプローチであるがゆえに、あるべき姿や行動が定義されていなければならない.この定義作りに時間をかけていたのでは具現化までなかなか至らない危険を秘めている.一方、帰納法は現実の活動の中から理想の形を作って行くやり方であり、ナレッジの形成と活用のプロセスと類似しているのである.

システムの提案や設計は全体構想から始まって必要機能を洗い出し、論理的体系を定義し、DBを設計し、プログラムによって具現化する、まさに演繹法である.形にこだわる日本に多い手法である.米国では帰納法によるシステム化が古来より多く見られる.全体はともかく、各部門や個人の目的に応じてシステムを作る、まさに目的思考の行動である.其の分、全体のシステム体系がよく分からない事が多いのである.

企業における方針や課題・対策を効果的に進めるとき、この二つのアプローチがあることを理解して取組まなければならない.

例えばセキュリテー対策を例に取ると、ウイルス対策・不正アクセス対策・機密保持対策、信頼性対策、個人情報保護対策と非常に広範囲で、かつあらゆる事を網羅した対策はきわめて難しいのである.従って基本的な規約/ルールを造って'守りましょう’だけでは対策にならないのである。もっと帰納法的に’こんな問題もある’’こんな留意・対策も必要’と言った具現的事柄を出し合い、共有しながら、この問題に取組まなければならないのである。全社員の意識の向上と肉付けが必要なのである.

品質向上やコストダウンも、演繹的手法で’どんなやり方が良いのか’を考え、形を整えてから具現化・実行する方法もあるが、往々にして、形を作るのに多くの時間がかかったり、出来あがったものが共通的であるがゆえに、得意技を持った人からすれば、レベルダウンになったりするのである.(これは非常に良くある事)従ってこのような問題は帰納法的に、それぞれの分野で繰り返しの経験から出てきた改善/工夫を次に生かしながら、効果を上げていく方法が効果的なのである.

さらにスキルアップの問題に付いて言えば、企業戦略に応じて、スキル体系を考え計画的に実行する事はまさに演繹法である。しかしながら、時間をかけてスキル体系を考えて行くうちに、学校のような教育体系となり、食えないものになってしまう事が多いのである。個人で学ぶもの、会社として取組むもの、あるいは入門的なもの、専門的なもの、を仕分けしながら、絞りこみながら,あるいはOJTも考えながら、個人別に落とした実行が必要なのである.

情報社会の進展によって,情報格差をなくし,仕事に対する個人能力の最大化が急速に高まっている.したがって,全社員が考え、持ち上げていく,帰納法的発想(ナレッジマネージメントの基本)が重要である.企業の活力は考える人の数に比例する時代に入ったのである.

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2005.09.18

15 私の発想・語録

 私の発想・語録を紹介します.

 1.いくらやるかより何をやるかが大事だ
 2.何をやるかよりどうあるべきかを先に共有する事が大事だ
 3.社員一人一人の成長が良い会社を作る原点だ
 4.企業力は必死に考えている人の数に比例する
 5.経営とはブランド資産,営業資産,知的資産,を増殖させる事だ
 6.理は方向性,気は行動力,理のない気は停滞・衆愚化を招く
 7.意思・意義を自覚してやる仕事の成果は大きい
 8.1%の思考・認識が99%の作業の成否に繋がる
 9.徹底すると見えてくる,徹底した人の意見には感動がある
10.積極的な行動や議論・切磋琢磨に,知恵や数字がついてくる
11.事業計画や行動計画は人材開発の為でもある
12.否定文の多い人から発想・工夫・行動力が生まれない
13.真の専門家は,常に改善・改革をくりかえす
14.専門家への努力は個人・家族・会社・社会に利益をもたらす
15.専門家の組織は教育機関でもある
16.継承なくして創造なし、創造なくして継承なし(K.M.の基本)
17.ナレッジとは次に役立つものを情報化し行動と連動したものだ
18.ナレッジを増殖させる意識や仕組みが大事だ(企業進化論)
19.専門家の成果物は顧客の利益・次へのナレッジ・会社の利益である
20.ソフト産業は規模の経済が働きにくい,働くのはナレッジと能力だ
21.『情報』とは情(非数値)と報(数)の意味,これが経営情報だ
22.生産性と戦略性,改善と改革は,現状の肯定か否定かだ
23.品質は厳密な設計・厳密な段取り・厳密なテストに尽きる
24.工期短縮の発想が原価削減の原点だ
25.難問対策や改善は演繹法より帰納法が大事だ
26.市場は成熟,商品は未熟,これがマーケテングの原点だ
27.可能性より必然性が大事だ
28.受動的消極的行動は感染しやすい伝染病だ
29.失敗から本質を学び,成功からやり方を学ぶ事が大事だ
30.思考力,
図・文章の表現力は,書かないと絶対に向上しない

いづれも,体験の中で実感し,取り組んだ事です.一つ一つ説明したい所ですが,含蓄は状況によリますし,読み手の感性にお任せします.

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2005.09.10

09 経営状況の認識と行動

社会や会社や自分がどの様な状況にあるのかを認識する事はすべての行動の土台になる、きわめて大事な行為である.

自分の会社の経営状況を認識する事は経営者はもちろん、社員もきわめて大事である.

経営の状況を表す言葉として盛り場,踊り場,正念場,土壇場,修羅場,墓場がある.その説明を要しないが,正念場とは

・市場がすでに変化している,
・収益構造が悪化し赤字決算が数年続いている,
・売上死守が存続条件になっている,
・資金が火の車
・数字の会議が頻繁に行なわれている

こような状況を言うのである.この正念場にならない為に、踊り場の認識がきわめて重要である.正念場に落ちない,再び盛り場に向かう施策をこの踊り場にある時、手を打たねばならないのである.

しかしながら,この踊り場の認識が極めてむづかしい.盛り場の成功体験や自信,放漫の感覚がこの認識を見逃させるのである.結果、正念場,さらには土壇場で後悔する事になる.

踊り場の認識は,市場,受注,売上,収益,技術,競合などの変化,あるいは社内の根本的問題の露呈,などによって敏感に認識する必要がある.この対策を放置すると、たちどころに正念場と化すのである。

又日々正念場だと認識し,ひたすら数字の確保に必死な企業が実際には多いと思われるが,過去の経営を振り返って,

・盛り場,踊り場がどうであったのか
・現在となにが違うのか,
・違う割りに事業や仕事の仕方,風土が旧態以前ではないのか,

とかを改めて認識し直し,土壇場に落ちない、施策を講じなければならないのである.

ひたすら景気回復をじっと待ち続けていても,すでに風景や舞台が変わっていると思うのである.激動の時代,変わらないリスクが変わるリスクより大きいと思うのである.

転ばぬ先の杖が踊り場の大事な仕事であり、身の丈の経営,特徴ある事業化、社会・顧客から存在意義を認められる事業に努めなければならない.

世の常に,’急速に大きくなった企業は急速にへたる’があるが,これも踊り場すら認識できずに,身の丈以上に突っ走った結果,起こるのである.

変化へのヒントや事業化の宝は現実の仕事の中に存在し,これを見逃さない感受性や行動力が企業経営には不可欠なのである.

CHENGEはCHANCEに,EVOLUTIONを繰り返すとREVOLITIONになる.英語の語原も,たまには良い事を教えてくれる.

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2005.09.08

08 企業活力の源泉

私の好きな言葉に「けしの花にも宇宙を見ることが出来る」がある.どんな仕事でも,その切り口を極めていくと、真理や世界が見えてくるという意味である.

伊丹映画監督の作品作りのコンセプトに「節穴から出ている紐が気になって,其の紐をひいてみたら,だんだん重くなって来て最後に象が出てきた」とのたとえがあるが,これとよく似ている.

どんな仕事であっても,その専門家になる事を求められる時代だが大事なことは意識の問題である.マンネリにおちいり,今の仕事から次につながる知識,ノウハウを得ようとしない,昨年の自分と何が成長したのか気にしない,と言った態度である.

意義・意識を持ってやる仕事の成果はきわめて大きいと実感している.よく言われるようにホテルのドアマンにしろ,ウエイトレスにしろ,ガソリンスタンドマンにしろ立派な専門分野である.会社人間になっているホワイトカラーの人たちも,それぞれの担当の中で,ブル-カラーのような専門家になる必要がある.

一方,組織は経営目標達成のために有るが,もうひとつ重要な機能は教育機関である.学習は個人の意識に依存していると思われがちだがスキルアップは重要なマーケテング戦略であり拡販戦略である.自己啓発は事業戦略とリンクする必要が有る.この意味で組織は重要な役割をになっている.

成長の秘訣は,みんなの為、会社の為、国の為を考える事だ.自分の為だけで取り組みは必ず限界や壁に突き当り,自分に甘くなり,挫折する.みんなの為が自己を律し,ひいては自分に帰ってくる.

企業の成長にとっても個人の幸せにとっても常に専門家たりうる学習は欠かせない.学習意欲がなくなった時,企業も個人も滅びる.専門家を目指して,常に強い探求心と専門家同志との意見交換を積極的にやる行動が必要である.

ITの展開やネット社会においては個人の力量が裸で世の中にさらされる.もちろんフラットな産業構造化によって会社も競争社会にさらされる.これは大きなチャンスとなる.困った社会になったと思う企業,個人は滅びる.

学習を常に心がける風土や行動,専門家集団の形成が,新しい時代の会社の姿だと思う.

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06 継承と創造

伝統職人の世界は,継承なくして創造なし,創造なくして継承なし,とよく言われる.企業においても,企業進化論の基本理念にあたる行動原理だと考えられるが,はたしてどうであろうか.

企業の栄枯衰退を見るに付け,かたくなに継承するだけで長い間,持続出来ている企業は,よほど社会的存在価値が確立された,まれな企業であり,ほとんどの場合,創造・変化ができずに衰退して行くのである.

この創造・変化は大きな事業転換の場合もあるが,むしろ日常の創意工夫が原動力であり,1年前より今の方が成長進化している現実が極めて重要なのである.

情報技術やネットワークの発達で,リアルタイムマネージメント,情報共有,が急速に普及定着し,効率化,スピードを劇的に変えてきたが,ナレッジのすばやい継承と,その上での新たな創意工夫,言い換えれば,個人・企業の能力をいかんなく発揮させる道具としても,その威力は甚大なのである.

パソコンは継承と創造の道具であり.企業の情報装備は社員の能力の最大化だとも言えるのである.

日常の仕事の中で,情報装備を活用しながら,継承と創造の切磋琢磨を続けながら,自然に個人や企業が成長・進化させ,企業の社会的存在価値を発揮し続けたいのである.

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2005.09.05

03 生産性と戦略性

生産性は,仕事の仕方や製造技術等を工夫する事,改善する事をイメージする.発想の根底には現在の秩序を肯定する意識がある.一方,戦略性は差別化,独自化などをイメージする,その発想は現状打破・否定にある.まさに生産性は現状肯定で改善,戦略性は現状否定で改革,と全く視点が違うのである.

又,生産性は戦略性の前で,無意味になる事がある.その競技には強くなったが,競技種目が変わってしまうような関係である.

この二つの概念は日米比較にも出てくる.日本のテクノロジーやカイゼンは国際的に優れていても,アーキテクチャーの発案,普及と言った戦略性は苦手である.結局,国際標準アーキテクチャーに従って,価格競争と戦いながら物を作るだけになる.アーキテクチャーを握らないと,マーケテング,商品開発,物作りの主導力は発揮できないのである.

今後は生産性追求と同じくらい,戦略性を重視しなければならない.’市場は成熟,商品は未熟’の考えで,独自性を大いに発揮して行きたいものである.成熟市場ほど,独自性が発揮しやすいと思うのである.

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